2015年12月の日記

■…2015年12月 2日 (Thu)…….思い出した思いつき(実行するかは不明)
今さらに思い出したってわけじゃないが、俺は食うのに困ったら(ギター講師とかベース講師とかも選択肢に入れるべきかもしれんが)、AC/DCのコピーバンドで歌うという選択肢を考えるべきなのだ(笑) 10代の頃からブライアン・ジョンソンと同じ声で歌える奴と、地元でほんのちょっとだけ有名だった俺は(笑) その後、その特殊な声を自分のバンドで使うことは無かった(発声が特殊。ウドとかアクセルと同種。)だが、よくよく考えるとこれ以上に選ばれた適性というものがあるだろうか。もしこれを見てる人で、AC/DCのトリビュートバンドをやっている人がいたとしたら、そして、もしそのトリビュートバンドを、高いレベルで世界的にアピールしたいという思いがあれば、「次に何かあったら」ぜひ声をかけてみてほしい。はっきりいって、たぶん上手い。そして、英語も完璧だ。英語のMCもお手の物だ。問題は、自分で自分の音楽をやっているアーティストエゴをさしおいて、ステージングやルックス含めてブライアンになりきれるかどうか。そして、自分のバンド活動が上手く行っているうちは、たぶんその気にならない(笑) しかし、一度、俺の歌うThunderstruckを聞いてみてほしい。ん、ていうか、その動画を自分で作ってYouTubeにアップすればいいのか(笑) トリビュートバンド云々言う前に、結構アクセスを集めるかもしれない(笑) ちょっと考えてみる。まずは帽子を物色するところから(笑)

No(4602)

■…2015年12月 2日 (Thu)…….ただの日記
前からトライせねばと気になっていた元住吉・日吉の豚星さんをやっと食べてきた。写真撮るのすっかり忘れていたのでインスタとかに上げることは出来ない。二郎系だがとても食べやすく豚入り大をさっくり完食できた。まだ胃袋は衰えていないと安堵したものである。さてご存知のとおり二郎とは料理としてのセオリーをこれほど踏み外していながらなぜこれほど美味いのだろう。今日も食べた後は化学調味料で口の中がぴりぴりしていたが、食べている最中の脳内物質の出方は半端ない。添加物にまみれた現代の食生活の中で、毒を以て毒を制すとでもいうべき存在なのだろうか。時に考えるのだが、料理を生業とする人、あるいは料理を作ることに生活や人生をかけている料理人の人はこの二郎という食べ物をどう捉えているのだろう。これを料理として認めるのか、認めないのか。きっと示唆に富んだ回答が聞けそうな気がしている。そう考えると食べるっていう行為そのものを考えてしまう。そういえば昨日は文房具屋に立ち寄って手帳を選んでいたが、このコンピュータデバイスが普及した現代において書くという行為の意味をひたすら考えていた。結論としては、書けりゃなんでもいい。ダメですかそういうの。
以上ただの日記でありました。FBよりこぴ。

No(4603)

■…2015年12月12日 (Sun)…….臨時編成
さて、「熱きリョウwithジーザスモード」なんですが、現在シンガーの熱きリョウが「ソロ活動が忙しい」などなどの事情がありまして、今後の活動が結構未定です。とりま、12月29日(火)に新橋ZZにて「B.D.Badge祭り#4」に出演するのですが、残念ながら熱きリョウの都合がつかず、我々は変名ユニット「ジーザスドーモ」にて出演します。つまりは熱きリョウ抜きで僕がヴォーカルも担当するという感じです。はっきりいって臨時です。でも、7月に臨時でやったときも、意外と好評だったし・・・。カバー曲もちょっとやろうと思っております。完全に趣味の領域ですが・・・。年の瀬に、サラリーマンの町、新橋にて、素晴らしいバンドさんたちと一緒に過ごしましょう、ってことで、よろしければ遊びに来ちゃってください〜。「ジーザスドーモ」は出番最初です。
こちら

No(4604)

■…2015年12月20日 (Mon)…….再録プロジェクト
最近、なかなかひとりごと日記が書けていませんでした。
今、何をしているかというと、昔に作った作品の作り直し作業をしています。
その作業を一人で黙々と行っています。
それは、2005年に自分がほぼ一人で録音制作した”異能レース”と”無責任なメシア”という2つの作品です。
その2枚の作品の、作り直しと言いますか、再ミックス、改善作業をしています。

僕がImari Tonesというバンドをやっていて、クリスチャンヘヴィメタルなんて言い出したのは2008年のことですが、それ以前にもいろいろな経緯でバンドは存在しておりまして、きちんとバンドの形になったのは2004年からと言っておりますが、それ以前にも自分の録音制作プロジェクトとして始まっておりまして、とにかく複雑な歴史や事情や経緯はあり、そして録音制作してきた作品はたくさん存在します。

それらの過去の作品、たとえばクリスチャンヘヴィメタルなんて言い出す前の作品や、日本語で作ってきた作品も、自分としては誇りに思っておりますが、その中でも2005年にたくさん駆け足で作ってしまった作品、それはちょうど2004年バージョンのImari Tonesが空中分解し、2006年バージョンの「海外仕様ハードロック」のImari Tonesが始まる前の時間に、それまでにあった、主に10代の頃に書いた楽曲たちを駆け足でたくさん録音した作品群なのです。それらの出来にはおおむね満足しておりますが、4枚作ったうちの後半2枚(“Color of Hers”と”fireworks”)についてはおおよそあるべき場所に音が収まったと感じていますが、前半2枚(“異能レース”と”無責任なメシア”)に関しては、年月が経つにつれて、これは改善の余地があったのではないかと感じるようになりました。

そこで、前から考えてはいたのですが、この2015年に、その改善作業を実行に移すタイミングだと感じました。Imari Tonesは、2016年には勝負作であるコンセプトアルバム”Jesus Wind”のれこーでんぐに取り掛かりますが、その前に、この2005年に制作したものの作り直しが出来るタイミングであると判断しました。

そして、2月あたりの段階で過去のデータを保存してあったディスクから引っ張り出して回収、整理し、そして夏の間(7月から9月にかけて)にタイミングを見て、ギターおよびベースを、必要な場所に関しては録りなおしを実行しました。

そして、XTJ2015のばたばたが終わった今、やっとミックス作業を進めているという次第です。

これは、主に作業としては、ミックスのやり直しなのですが、それと同時に、一部のギターおよびベーストラックに関して、改善が見込める場所は録りなおしをしようと考えました。また、ほんの一部の楽曲のヴォーカルについても録りなおしを計画していて、それはこの年末年始あたりでやれたらいいなと思っています。

その2005年に録音制作した作品群は、楽曲は10代の頃に書いたものが多く含まれており、とても個人的というかパーソナルな色の強い楽曲群になりますが、2005年当時に鳴らし、作った音や演奏に関しては、その時、その時の自分にしか出せないものであると思いますが、ドラムスを含む全パートを自分で演奏し、駆け足で膨大な数の楽曲を録音しましたので、一部にはやはり、音作りに関して限界がありました。限界があったというと語弊がありますが、今ならもっと良いものに出来る、という部分があったということです。

また、自分は近年、Hamer USAやBacchus/Headwayなどの良質な楽器に出会って、楽器プレイヤーとしての視点も以前とは変わっていることから、要するに自分にとって本当に良いと思える楽器が今は手元にあるので、それを使ってより良いサウンドに改善できると思ったのです。

なので、ベーストラックに関してはかなりの部分、弾き直しをしています。楽曲のうち7割くらいのものに関してはベースを弾き直したのではないかと思います。ギターに関しては弾き直したのはごく一部でして、全体の1割くらい、またいくつかの楽曲ではギターソロも弾き直したり、追加で弾いたりしました。

一番のポイントはベーストラックの弾き直し、録りなおしということなのですが、これはロックバンドのアンサンブルにおいて、いかにベースが重要かということの再認識と、学びの機会になったと思います。この2枚の作品において、まあ当時の機材や環境も限られていましたので、リズムトラックのサウンドや演奏の貧弱さは、若干否めないところなのですが、当時の自分のドラムプレイに関しても、自分はそもそも専業ドラマーではないですし、やはり限界はあります。けれども、ベーストラックをこうして良質の楽器とサウンドで弾き直してみると、こうも変わるのかというか、実際に問題があったのはドラムプレイではなく、むしろベースの演奏の方だったということがわかってきました。(むしろ自分の当時のドラムプレイ、結構良いですね。)

自分はバンドの中でベーシストであったことはあまりありませんでしたが、Bacchusの楽器と出会って以来、ベースということがもう少しわかってきたことがあります。そして、思うに、バンドの中でベーシストであること、そのために必要なのは、ベーシストであることの自覚であると思います。つまり、自分がベーシストであるのだ、という自覚と、ベーシストの役割ということへの認識と自覚、それだけで、ベーシストとしての必要条件の半分は満たすのではないかということです。そのベースプレイヤーとして多少進歩した自分の姿をここに込めるというだけで、この再録プロジェクトの意義はあったのではないかと思っています。

さて、そうした、自分の過去の、まあ有り体に数字を言えば10年前に演奏、録音したものに触れて、それらの音をいじって再ミックス作業をしている中で、やはり思うこと、気付くことがあります。

それは、まあ結論からあっさり言ってしまえば、機材や楽器、環境などにまったく関係がなく、やはりその時にしか鳴らせない、自分の音、そういったものの大切さに触れたということになります。

それを若さという言葉で片付けようとは思いません。
当時の自分からして20代の後半。
取り組んでいた素材である楽曲の多くは10代の頃、高校生の頃に書いたものも多分に含まれます。
世間にはまったく伝わっていませんし、1ミリも世に出てませんが、自分は演奏者、ステージの上で表現する者としては不器用だったり、バンドマンとしても遅咲きであったとしても、ソングライターとしては間違いなく早熟であったと思います。つまり自分の人生の中で重要なマテリアルはほとんど10代の頃、高校生の頃に書き上げてしまったし、今でもそれらのものは自分の音楽家としての人生の中でもっとも重要なものであると考えています。もちろん、今、自分のバンドImari Tonesで演奏しているのは、ほとんどはその後、大人になってから書いたマテリアルであり、それらはもちろん、それなりに進歩、成長したものではありますが、それでも、いまだにその中に、10代の頃に書いた楽曲をいくつか演奏している事実があります。

それは、もちろん、その後も不器用にちょっとずつ演奏者、表現者、バンドマンとしてちょっとずつマシになって、今でもまだまだとても未熟ですが、ちょっとずつやれるようになってきたものです。

けれども、その10代の頃に築き上げた音楽の世界観や、精神世界、そしてスピリットは、たぶんそんなに失ってはいないし、だからこそ、20代の後半になってその素材に向き合って録音制作したこれらの作品の中でも、そのスピリットが生きているということです。

そして、その当時出していたギターサウンドに改めて向き合うと、気付くことや、驚かされることがあるのです。

機材を言ってしまえば、当時から、そして今でも日常的に愛用している2本のMusicManのAxis-EX。
それを、Cranetorsoise/Albitのペダルに突っ込んで歪ませ、MarshallのValvestateの1×12のコンボアンプで鳴らしただけのものです。

けれども、そのサウンドの汎用性というか、可能性の広さは、今から思うと、ちょっと驚くほどです。
自分はハードロック、ヘヴィメタルが確かにルーツであり、メタル畑の人間ですが、そうはいっても、自分がやりたい音楽は実際にはもっと広範囲に及ぶため、それらを実現するための音作りや、機材、サウンドのチョイスだったことがよくわかります。

ハードロックでありながら、より広い表現を可能にするための音作り、まあそれは、言ってしまえばZeppelinでありVan Halenであるわけなんですが、テレキャスターやヴィンテージレスポールを持ち出す代わりに、自分はMusicMan AxisとCranetortoiseを使ったということです。ペダルとコンボアンプを使った、そのいかにも日本の宅録的な、小規模な音作りは、小規模とバカにすることも可能ですが、それでもその環境の世界観でしか表現できない「日本的な」音の世界は確かにあり、そして自分に必要なのはそれだったということです。自分に表現の上での自由を与えてくれるのは、その組み合わせしかなかった、ということです。

まあ、もっともジミー・ペイジだって録音は小さなアンプを使って行っていた、なんてことも言われてますよね。

実際にはかなりトレブリーな音作りになるため、クラシックなハードロックや、オルタナティヴな音作りには適していますが、その後、よりハードロック、ヘヴィメタル色を強めていった我がImari Tonesのバンドサウンドの中で、この音はちょっとパワー不足ということになり、自分はもっと低音の出る「もうちょっと普通なハードロック系の」音作りに次第に移行していって、そして今に至ります。

もちろん、今自分がImari Tonesで出しているギターサウンドについても、自分は絶対の自信を持っていますが、そうはいっても、この2004-2005当時に自分が出していた、このMusicMan AxisとCranetortoiseによる「自由度の高い」音。どちらがいいかと聞かれたら、俺はわかりません。自分はもともとスーパートレブリーな倍音じゃきじゃきの音を出したい人ですし、その意味では今出している音よりも、ひょっとするとやはりこの当時出していた音こそが自分の命の音ではないか、本来の音ではないか、と思わなくもありません。

一般的に考えれば、かなり変わった音作り、極端な音作りということになるかもしれませんが、それでも、この当時の自分が出していた音、そしてその音による演奏の内容を聴くと、これはちょっと、今の自分には二度と出せないかな、と思わせるものだったりします。

同様のことはヴォーカルについても言うことができます。
常々言っていますが、当時の自分はもっとパワー系の発声をしていました。
力任せと言ってしまうと語弊がありますが、もっとストレートな発声だったかもしれません。

その発声に限界を感じ、より自然なテクニックに従った発声に変えよう、と決心したきっかけが、まさにこの2005年に行った一連の録音作業でした。具体的に言うと、2005年の後半に行った、後ろ2枚(“Color of Hers”と”fireworks”)の録音作業でした。
腹からの発声ではあったものの、喉は必ずしも脱力できていない、ノドに比較的負担をかけたままの発声であったため、パワーや情熱は表現できましたが、それを長時間、続けることが難しかった。ライヴ一本やるのに、最後まで声を出すのが大変だったということです。

そこから、いわゆるミックスヴォイスを効果的に使った発声へと切り替えていくわけですが、物事はそんなに簡単ではなく、そして、適切な指導者に巡り会うこともなかったので(適した先生に出会うことの難しさは、歌唱、発声については、すごく難しいものだと思います)、また、その後お世話になったプロデューサー氏や、いろいろな巡り合わせもあり、2006年は自分のヴォーカルの絶不調の年であり、もうほとんど、どうやって声を出していいのかまったくわからなくなってしまった時期でありました。(そして皮肉なことに、2人の著名プロデューサーによって作られたImari Tonesの代表作である”Japanese Pop”は、この時期に作られたのです。だから、あの作品の自分のヴォーカルは、はっきり言って史上最低です。) 重要な作品であるそれから実際にミックスヴォイスを効果的に使った発声が身に付いてきて実用できるようになるまで、2、3年は軽くかかりました。ていうか、今でもまだちゃんとやれてるか怪しいところですが。

発声、特に、バンドの中で、自分の音楽を表現するということにおいては、技術的なことよりも、精神的、霊的なことの方が大きかった、ということは釈明のためにも付け加えておきたいところです。これは、今でもそうです。つまりは、いくら技術を練習して身につけたとしても、精神的、霊的な諸問題を乗り越えないことには、実際にステージでそれを発揮することなんか、できっこないのです。そして、そっちの方が、発声を学ぶよりも、実際にはずっと難しいことです。

だから、技術的に言えば、確実に今の方が自分の歌唱、ヴォーカルは向上しているのですが、だからといって、ではこの2005年当時の録音での歌唱が、ダメなのかと言えば、そんなことはなく、やはり当時の発声だからこそ可能な表現、情熱、パワー、そして個性、独自性といったものが、そこにあるわけです。
これは言ってしまえば、当時しか出せなかった声であるわけで、今の僕には二度とこんな声で歌うことはできないわけです。
だからこそ、たとえそれが、技術的には難のある発声方法や歌唱であったとしても、当時、これをやっておいて良かった、と思えることがあるわけです。

いずれにせよ、今、その2作品の作り直し、再ミックス作業が進んでいます。
もうかなりのところまで、終わっていますが、最終的に完成の形までもっていって、さらにそれをチェックして、オーケーと判断し、世の中に発表するところまでは、まだまだかかるでしょう。

録音の環境、パソコンの中にあるミックス環境も、当時と比べて、良くなっている部分もあれば、そうでない部分もあります。けれども、近年、思っているように、今ではコンピューターのDAWのシステムの中にあるプラグインエフェクトは、昔のようなおおざっぱな効果だけでなく、アナログ的な細かい音のニュアンスまで、微調整できるようなものが増えてきました。まさに実際に音を作るためには、音を作るということは、そのような本当に微妙なニュアンスをコントロールしなければならない、その作業に他ならないということだと思います。
その意味では、10年前にミックスしたものよりも、あるいは多少は、踏み込んだ音作りができるかもしれません。

それらの作業をしながら、今考えていることとして、その過去の楽曲の新鮮な表現力に改めて触れて、それらの楽曲の中で、もし今のImari Tonesで演奏できそうなものがあれば、改めてバンドのレパートリーとして復活といいますか、新たに組み込んでみようかな、と、そんな思いが、ちょっとだけ自分の中にあります。

いずれにせよ2016年はImari Tonesは”Jesus Wind”の録音作業を行う予定ですし、それは、日本の歴史をテーマにはしていますが、歌詞は英語であり、基本的にはインターナショナルなハードロックです。
けれどもその次の「到達点」である作品、「鍋島」については、日本語と英語が半々か、あるいはもっと日本語が入ってくるのではないかと予想しています。

日本語での表現に、今だからこそ、回帰できたらいいなと思っている次第です。

こちら

No(4605)

■…2015年12月20日 (Mon)…….あの日ライヴ終わった直後に文字通り地震があった
最近、あったことのひとつとして、日本のハードロック、ヘヴィメタルの重鎮であり大ベテランでありトップランナーであるEarthshaker(アースシェイカー)のライヴDVDを見たということがあります。

それは、アースシェイカーの30周年のツアーとして行われた2013年の赤坂ブリッツでのライヴの模様を収めたDVDなのですが、実際のところ、僕はこのライヴを現場で見ています。

つまり、昔っからVan Halenみたいなポップなハードロックが好きだった自分としては、「アースシェイカー聴いてみなよ」とずっと言われ続けていても、勉強不足からまったく聴いていなかったのを、やっと聴いたのが今を去ること2012年のこと。
そして、そのあまりの凄さ、あまりの素晴らしさにもう300メートルくらいぶっとんでしまい、すっかり大ファンになったのでした。

もちろん、最初に触れたのは初期の4枚のアルバム。つまりは80年代にアースシェイカーが日本のメタルバンドとして初めて武道館のステージに立つまでの、日本のハードロックの歴史そのものと言える「全盛期」の4枚です。

その初期と言いますが全盛期アースシェイカーの凄さは、自分などが改めて語らなくとも、いろんな人が語っておられると思うのですが、
こちら

俺が思うに、たとえば俺はジャパメタの代表であるLoudnessはもちろん大好きですが、そしてもちろん世界的な知名度や認知度で言えばLoudnessの方がアースシェイカーよりも格段に上だと思いますが、

けれども言ってみるならば、Loudnessは欧米のHR/HMという土俵に乗り込んで、その上で勝負した日本のバンドということに価値があります。

しかしEarthshakerはといえば、そんな欧米のロックシーンとはまったく別に、日本ならではのハードロック、という土俵を独自に作り上げてしまったという点にその凄さがあります。

実のところその意味において、僕の中ではLoudnessよりもEarthshakerの方が評価としてはどうしても上に来てしまうのです。

しかしそんなことを言う以前に、このLoudnessとEarthshaker、ジャパメタという日本のロックの歴史のステージの中で、お互いに切っても切れない、数奇な運命によって結ばれたバンドであるのは周知の事実です。

両者ともに、ロックの世界の中で、それぞれに違う使命と役割を背負った、どちらも重要で素晴らしいバンドだということです。

奇しくももうすぐ、この2つのバンドが対バンするイベントが行われるようですが。

そしてそのアースシェイカーなのですが、僕は2012年にやっとアースシェイカーを知って、その全盛期の音にしびれまくったものの、
その後、その後のアースシェイカーを知っていくにつれ、そしてまた今のアースシェイカーの楽曲や映像をインターネットで見るにつけ、あんなに凄かった全盛期のアースシェイカーが、どうしてこんなに平凡でかっこわるいバンドになってしまったのか(失礼)という疑問に苛まれていました。

その答は、どうでしょう。
その答は、ファンであれば人それぞれに違った答を胸の中に持っているかもしれません。

全盛期のアースシェイカーの凄さと比べて、その後の、そして今のアースシェイカーは、ファンとして、納得できるのか。それともやはり釈然とせず、納得できないのか。

けれども、そんな疑問をさしおいても、たとえ納得が出来なかったとしても、その後の、そして今のアースシェイカーが、依然として素晴らしいバンドであることには変わりがないのです。

「たとえ、全盛期の、桁外れのスケールのかっこよさや、凄さが失われたとしても」
たとえそうであったとしても、
アースシェイカーは、その後、そして今でも、素晴らしい名曲を作り続け、日本人ならではのロックの在り方に向き合い続け、そして、素晴らしいステージを繰り広げ続けているのです。

そして、僕はこの2013年の赤坂Blitzにて、初めてアースシェイカーのライヴを見たんですが、最初っから最後まで、号泣して涙が止まらなかったんですね。

で、その時のライヴがこうして公式にDVD化され、ずっと見たいなと思いつつも、今まで見てなかったんですが、やっと今月、XTJ2015でがんばった自分へのごほうびってわけじゃないですが、買ってきて見たわけです。

まあ、嫁さんと一緒に見たわけなんですが、
現場で見た、その時以上に、号泣して涙が止まりませんでした。

アースシェイカーは、それくらいに素晴らしいバンドだということです。

なんなんでしょうね。
特段、なんてことのない、普通に、普通のハードロックを、素直にメロディ重視のハードロックをやってる、そんなバンドなんだけれど。

彼らの、今まで、昔から、今この瞬間まで、たゆまずに向き合ってきたそのロックというものが、本当に演奏の中から、情報量として伝わってくるんですね。

そして、たとえば全米進出して世界に出ていったLoudnessとはちがう道、ちがう選択であったにせよ、
日本のオーディエンスに向けて、まっすぐなロックを、ひたむきに鳴らし続けて来た彼らの姿が、音の中から伝わってくる。

もちろん、武道館を制覇した後、その後のアースシェイカーも、第一線で常に活躍していたわけだし、その功績は、ひとつひとつ数え上げれば、きりがないくらいです。けれども、そして、彼らは、そうやって走り続ける中で、後に続く日本のロックバンドたちに、影響を与え、時代にさきがけて道を切り開いてきた。

そんなトップランナーとしてまっすぐに走り続けてきたそんな彼らは、そう、そんな連中の出す音に、心を動かされないわけには、どうしてもいかない。

つまりは、彼らアースシェイカーは、全盛期に、武道館を制覇して以降。
いろいろときっと困難な状況もいくつも乗り越えてきた。
きっと納得のいかないこともいくつも経てきた。
けれども、それでも、走り続け、そして、それだからこそ、鳴らせる音というものを見つけ出した。
そして、いまだに、それに向き合い、情熱を燃やしている。
その重さが、どうしても、心を打つんですよね。

もちろん、僕は常々、言っているように、今の、というか、2000年代も後半以降のアースシェイカーは、J-Popを越えた演歌ハードロックだと思うし、2015年に出た新作アルバム”Bird”を聴いても、より「演歌色」が強まったな(笑)と感じたけれど。

でもそんな演歌ロックを本気でやれてるのは凄いとしか言いようがない。

で、そんなアースシェイカーのDVDレビューはここまでなんですが、
それによって自分が個人的にどのようなことを感じ、思ったかというと。

そうだね、俺は、俺たちは、クリスチャンロックなんて言って、この狭い日本のゴスペルミュージックシーンの片隅に居るわけなんだけれども、

愛なんて言って、愛はもちろん神の愛なんだけれども、愛なんてものは別にキリスト教徒の専売品じゃない。
なぜなら愛なんてものはみんなに平等に開かれているものだから。

たとえばどんなアーティストにしたって芸術家にしたって、
愛を表現するし、愛を表現できる。
もちろん、本物の愛をつかみとることは決して簡単ではないけれども。

このアースシェイカーのライヴ映像にしたって、
そこには本当に愛があふれているし、
その様子は、この俺をしたって嫉妬を感じるほどに、熱く、ひたむきで、力強く美しい。
ほとんど完璧(笑)

俺にはこんなことはできないって思う。
自分の過去に作ってきた、日本語の楽曲のカタログを見返してみるけれど、
確かに「ポップなハードロック」が好きな自分の楽曲カタログの中には、キャッチーな楽曲はある。つまりは、俺らが近年ずっとやっている海外向けの本格派(笑)ハードロックじゃなくて、もっと一般の日本のオーディエンス向けの楽曲のことを考えている。

けれども、俺の作る楽曲は、たとえポップでキャッチーなメロディであったとしても、やっぱりどこか、孤独で、人を寄せ付けないものになってしまう。
だからやっぱり、俺にはこんなことは出来ないなって思う。
アースシェイカーは凄えんだな、と思うわけだ。

じゃあそんな愛に溢れた演奏をするすげえバンドが世間にはいるとして。
クリスチャンロックって言ってる俺たちは、そんな皆を差し置いて「これこそが正しいんだ!」って言ってのける演奏をするわけだ(笑)
それは、本当に、笑っちゃうくらいのことだと思う。

その時、やっぱり、それは万人に開かれたものってわけにはいかないのかもしれない。
もちろんそれは皆に開かれている。
けれども、狭い道を、険しい道を乗り越えてくるやつにしか、やっぱりそれは見えないし、つかめない。

クリスチャンロックって何さ、って思うけれども、
俺はそんなドンキホーテのような滑稽な、「これこそが神の真実だ」って言ってしまう、そんなバンドが、ひとつやふたつあったっていいと思うし、そんなことが出来るとすれば、それはクリスチャンロックしかない。そしてどちらかというと、俺はそんなドンキホーテでいたい。

なぜって、ドンキホーテが、権威になってしまったら、それはもう本物じゃないからね。

だから、いつまでも滑稽なドンキホーテで居たいと思うよ。
それでいいじゃないかと思ったのさ。

No(4606)

■…2015年12月20日 (Mon)…….3年目の振り返り
スケートボーダーとしての今年の振り返りをしたい。

それは、スケートシーンのほんのはしっこにいい年して参加した、一人のへたっぴな野良スケーターとして。

XTJ2015 (The Extreme Tour Japan 2015)で、ひとつだけ心残りだったシーンは、名古屋の路上で、ギター持ったまんまでスケートボードに乗ろうとしたとき。

もう少し上手くやりたかった。

それはつまり、仕方のないことで、
まずは言い訳をすると、フライングVはスケートボードには向かない。
こう言ってる時点ですでに文章としておかしい気がするけれど、もう一度書いてみる。

フライングVはスケートボードには向かない(笑)

なぜなら、Vの羽の部分が、右足の太ももにあたってしまって、デッキを弾く右足が不自由になってしまうから。デッキを弾いた後に、右足を上げることができない。

じゃあ、手でギターを抱え上げた姿勢でオーリーとかやろうとすると、それはそれでまた不自然なことになる。

まあ、はっきりいって、スケートボードは繊細なスポーツだし、ステージ上で、演奏の合間に、ギター持ったまんまで、それをやるとか、そもそも無茶だ。
精神的に集中できるわけがない。

ギター持たずに、演奏とかせずに、ちゃんとウォーミングアップ済ませてやるんだったら、オーリーインポッシブルだろうがトレフリップだろうが決めてやるけど、やっぱそういう状況で、ただでさえばたばたした状況でステージの上でやるとかやっぱ無理だ(笑)

ロックバンドのステージにスケートボードを導入するなとは言わないけれど、やるんだったらやっぱり、演奏する人と、スケートボードする人は分けた方がいい(笑) 演奏する人は演奏に徹した方がいい(笑)

まあ、俺もやるならやるで、やってもいいけれども、
やるんであれば、ギター持ったままでスケートボードのパフォーマンスするっていうんであれば、ちゃんとワイヤレスにして(シールドささったままでやれるわけない)、それから、フライングVじゃない、右足が自由になるストラトタイプのギターを持って、それも、ぶっこわしても構わないそれ専用のギターに持ち替えて、その上で走り回ったらいい。

そこまでする機会は、あんまし無いから、実際(笑)
そんな必要も、実際、たぶん無いし。

それに、やるんだったら、普段からギター持ったまんまでトリック決める練習を、普段からしておくべきだ。
そして、そんなことは、自宅にスケートできるガレージでも無い限り、ちょっと無理だ(笑) 恥ずかしいし(笑) スケートパークでギター持って滑るわけにいかないし。

とりま、恐ろしいことに、自分がスケートボードを、いい年して始めてから、3年が経った。
ことわざにも、石の上にも三年、いや、板の上にも三年、と言うように、
三年やればちょっとはなんとかなるんじゃないかと思っていたが、

三年が経過してみて、どうだろう。

思ったよりも出来るようになった部分も、かなりあるが、
思ったよりも全然、進歩していない部分も、たくさんある。

それは、はっきり言って、こういうことには、環境ということが、大きいと思う。

どうしても、スケートボードをやれる環境、そして、生活環境も。
そうして環境というものに、大きく左右されてしまう。

人見知りで一人で居ることが好きな(嫁さんからは「おっどさん」と呼ばれている)性格も災いしている。

逆に言えば、自閉症気味に病的にこだわって出来るようになる部分の影響で、フラットトリックが妙に器用に出来るようになってしまった点。

そして、自分が動くことは劇的に苦手だが、板を動かしてコントロールすることは結構得意という、そういう自分の性質。
これは、テクニカル系のメタルギタリストだということも大いに影響しており、このまま続けていけば、どう転んでも自分はテクニカル系のスケーターになっていくと思われる。

スケートを始めて3年目となる2015年、自分のスケート的な成果といえば、最大の成果はやはり2月に楽曲”Born To Ride”のミュージックビデオを完成させたことだと思う。
つまり、スケートボードにインスパイアされて曲を書き、それだけでなく自分自身でスケートボードをそこから始め、そしてそのミュージックビデオのために自分でスケートボードをやって映像を作ってしまうという、そこまでのことが達成できたということで、よく頑張った、というよりは、よくやるわ(笑)という感じの成果である。

こちら

今にして見返すと、カメラの前でトリックを決めることを最重視するあまり、かなりゆっくりのとろとろのスピードで転がりながら技を決めているので、そのあたりはもうちょっとスピード感とか迫力が欲しいところだが、しかし、わずか2年数ヶ月の時点で、仮にもいい大人がたまのスケートでここまでやったのだから、仕方ないと言える。

それをさしおいてもあの撮影している時に、特筆すべきだったのは自分の集中力で、やっぱり意識の違いというのは大きいのか、「絶対に決めてやるぜ」と思って臨んだせいか、普段はなかなか決まらないような技まで、あの映像の中では決まっているのだ。

そのへんは、たとえスケーターとしては未熟で下手っぴだったとしても、自分の表現者としての集中力として自己評価しても良いポイントではある。要するに、必要な時、必要な場所でそれを決めることが出来るかどうかということだ。バンドマンとしては場数はそれなりに踏んでいるっていうこともある。

今年は、新たに習得したトリックは、これまでと比べて少なかった。
新たに決まったトリックは、ほとんどハードフリップくらいで、まあもちろんそれとて、いまだに完璧とは言い難いけれども、あとは、インワードヒールが少しずつ形になってきてはいるものの、着地にはまだまだ遠いし、あとは、なんといっても、一年以上取り組んでいまだにちゃんと決まらないベリアルヒール。まあ、これもかなりきれいに板は回るようにはなっているが。

あとは、これまでに(Born To Rideの撮影より前に)習得した技を、ブラッシュアップすることに終始して、新たな大技の獲得、ってところまではいかなかった。

まあそもそも、スケートボードというのは難しいものである。
ひとつの技が、形だけ出来るようになったといっても、その技を、よりきれいに、より完璧に決めるには、もっともっと時間がかかる。

それに、俺は別にスケートボードで天下取ろうって思ってるわけじゃない。ただ、いい年して遅まきながらスケートボード始めて、ダメ人間のライセンスを取りに行ってるだけのことである。楽しめれば、それでいいのだし、基本的なトリックがひととおり出来れば、十分すぎると思っている。

だから、技の習得は、これくらいにしておいて、後は、それらをちょっとずつ磨くことに終始して、まったく間違いではない。

あとは、フラット中心にやっているところから、少しずつ、レッジ、レール、ランプ、とか、ちょっとずつ広げていけたら、それでいい。

3年が経過して、ひとつの目標というか自分の中でのマイルストーンとしての”Born To Ride”のビデオ作成も達成し、まあ、2年前に作った例の「初心者スケートボード」の動画がいまだにアクセスを集めて45,000再生とか行ってしまっているのは死ぬ程恥ずかしいし、気になってはいるのだが(汗) かといってバンドのYouTubeチャンネルに人を集めてくれる意義を考えると、削除するわけにもいかない(汗)

そんなこんなで3年たって自分のスケートへの情熱というか、モチベーションは、下がっているかといえば、若干下がってはいるものの、それでもいまだに燃え続けているので、あとは惰性で続けていければいいかなと。
もう「これを習得しなきゃ」みたいなプレッシャーからは解放されてるし、エンジョイして続けていければそれで勝利、みたいな。

もちろんその「エンジョイ」の尺度は、案外とストイックだったりするかもしれないのだけれど。ダメ人間のライセンスを取りに行っているけれど、僕の場合は生真面目すぎるところがたたってダメ人間へと向かっている傾向があるのは否めないため。

だから、3年たって、技術的にはまだまだ下手っぴだったとしても、精神的には「初心者」の時期を脱し、それは、初期の情熱が去ったとしても、冷静に着実に続けていくことが重要な時期ということ。

ただ思うのは、そんな人見知りで孤独な自分の性格がたたって、フラット重視の自閉症系テクニカルなスタイルのスケーターになってしまっているものの、それも含めて、スケートというのはその人の内面やパーソナリティを反映していて、面白いなと思う。

だから、こんな自分だけれども、そんな自分を否定することなしに、じわじわと続けていければ、そのうち、そんな自分ならではの、面白いスタイルに行き着くんじゃないかと言う気がする。

もちろん、いい年して遅まきに始めたからには、目標は高くない。
続けるだけでも奇跡だ。

ダメ人間のライセンスを立派に取りに行くこと。
そして、やっぱ目標は、いくつになるまでこれを続けられるかということだ。

そこに、どんな死に方ってことも含め、
どんな大人、どんな中年、そしてそれ以降、になっていくのか、という果てしない目標があるのみだ。

それはつまり肉体もだが内面的な意味で若さを維持できるかということでもある。肉体は歳を取ってもいいが、元気さは維持していきたい。

近年、毎年、某回転寿しで30皿を基準に食べてみるということをやっている。
それはつまり、30皿以上食べるとコスト的に回転寿司ごときに3000円以上払うのが悔しいということもあるが、ひとまず30皿食べられれば胃腸は元気だという基準にしているのだ。今年は31皿プラスデザートを食べても比較的余裕が残っていた。昨年は30皿食べて若干苦しくなっていたので、まだまだ消化能力としても下降線を辿る必要は無いということだ。

音楽をやめても、スケートボードは続けようと思っている。

まずは無事に音楽をやめることが出来るかどうか、そこが問題なのだけれど(笑)

4年目となる来年のスケートの目標は、まだ立てないでおく。
でも、そうだな、レールともうちょっと仲良くなりたいかなぁ。
やれる場所がなあ、レール。

あとは、人のいるパークでもうちょっとやれるようになりたい。
少しずつでいいから。
これは、どっちかというと生活環境の問題か。
結局そこだよね。

何はともあれ、3年がたち、こうして、たとえばちょっと近所に買い物に行く際とか、ミニクルーザーに乗ってすいっと滑っていけるわけだ。それは、それだけで、なかなかに便利でもあるし、素敵なことであるのは否定しない。

あとは、自分は慎重で臆病な性格で、だからこそ大きなセクションとか大きな技にも、なかなか挑めないことがあるが、準備運動もきちんとしたりするし。
スケートボードにせよ、肉体的なスポーツとかは、肉体の安全装置を外していく作業でもある。安全装置がブレーキをかけているところを、少しずつ修練によって、安全装置を外すことによって、それまで出来なかった動作が可能になる。
僕の場合は、その安全装置と、かなりゆっくりと向き合っているのだと思う。
だからこそ、ここまでケガをすることなく3年続けてこれたということも、地味にある。
そこは、運もあると思うが、実際、結構、感謝したい。

これからもマイペースで構わない。
元気でやらせてもらってることに、ありがとうございます。

No(4607)

■…2015年12月20日 (Mon)…….パスタアンサンブル
スパゲティというのは、バンドアンサンブルの中のギターサウンドに似ている。茹で上がったパスタ単体で良い感じだなと思っても、ソースと絡めて皿に盛りつけると、案外とその風味は埋もれてしまう。だが、本当にコシと芯のあるアルデンテのパスタは、ソースと絡めても音が抜けてくる、じゃなかった、風味と歯応えが感じられる。

No(4608)

■…2015年12月30日 (Thu)…….ジーザスドーモ
昨日、29日は新橋ZZにてライヴしてきました。
バンドは、臨時バンド「ジーザスドーモ」。
これは、「熱きリョウとジーザスモード」が、熱きリョウが「ソロ活動が忙しい」ということで都合がつかず出演できないため、熱きリョウ無しで演奏するための臨時ユニット的な名義です。

「熱きリョウとジーザスモード」なのに、その主役の熱きリョウがいないということなんですが(笑) そういえば今年の7月にも似たようなことがありました。それは、同じ新橋ZZのライヴの時に、熱きリョウが急病で出れなくなった時に、急遽僕がギター弾きながら歌ってステージをやり遂げたことがありました。その延長ということで、今回はこの体制でやってみたわけです。

いつも熱きリョウが歌っている曲を、僕が臨時で歌うということで、滅多にない機会ということで、僕もいろいろと普段やらない試みをやってみました。

ただやるのでは面白くないので、Judas Priestのコピーを1曲やろうということで、けれども練習してる時間がほとんど無かったので、簡単な曲を選ぼうということで、Metal Godsを選んでみました。–> これは成功だったと思います(^^ たぶんまた後でYouTubeにアップします。

普段と違う髪型、というか、普段はなんもせずにぼさぼさの頭で、無駄に前髪を垂らしていますが、今回はポマードをべったりつけてオールバック的にしてみました。 –> これは結構失敗でした!ww どうせすぐに乱れる上に、演奏中に汗に整髪料が混じって目にしみて大変でしたww

最近ではライヴで滅多に使わないギター、MusicMan Axis-EX(ピンク)を久しぶりに使ってみました。 –> 音は悪くなかったけど、意外と似合わないことが判明!ww 13年間も愛用してるギターなのに、今さら似合わないことに気が付きました(笑) 昔はわりと似合ってたのに、今の僕のちょっとメタル系の格好にはあんまし似合わないみたいです!(泣) 3月にソルフェイで使った時には問題なかったもん!

普段と違う機材というか歪みペダルを試してみました。最近、ちょっと試験的にスタジオで使ってるEX-Proのディストーションを使ってみました。これは、僕の普段のライヴのメインの音は、JCM800程度のゲインのあるチューブアンプがあれば、それにCranetortoiseの真空管ブースターを突っ込んだ音です。会場に良い感じのチューブアンプが無いときは、今は歪みペダルはメインはBlackStarです。けれども、Cranetortoiseの真空管ブースターも、BlackStarのペダルも、どちらもでかくて重いので、持っていくのが嫌だなということで、持ち運びのラクなサブ機材の候補として、この軽量なEX-Proを試してみた次第です。

–> 結果、これは、失敗と成功が両方でした!失敗したのは、この「人間工学に基づいてデザイン」されたはずのペダル、サイズが小さすぎて、ソロの際にブースターを踏もうとすると、間違えてディストーションまで切っちゃう。ギター専任ならまだしも、歌いながら、サビ歌ってすぐにソロに入ろうとすると、絶対踏み間違える。さらに、昨日はおっきめのブーツを履いていたので、余計に踏み間違える。そのせいで、いくつかのギターソロを駄目にしました(泣) せめてスケートシューズを履いていれば、もうちょっと繊細に足での操作ができただろうに。今後、このペダルを使う時は、スケートシューズを履いていくべきですね。それか、ソロの際のスイッチングはあきらめて、最初からブースターONで音を作っておいて、後は手元で調整するとか。いずれにせよ、スイッチのふたつあるBlackStarが大きめのサイズで設計されてる理由がこれでわかりました。Yes, I learned it the hard way.

–> 肝心の音なんですが、リハの際は、まだ悪くない音が出ていたんですが、本番、音を出してみたら、ダメダメな音。これは駄目だなぁ、このライヴ終わったらこのペダル売っ払っちゃおう、と思いながら演奏してました。ところが、後でビデオとか録音を確認してみると、これが思いのほか良い音。どうやらこれは、アンプの至近距離でオンの音を聞いていたため、ドライな音を聞いて演奏していたために「きつい音」と感じたようです。もともとこのEX-Proのペダル(緑色の方のやつです)、ピッキングのニュアンスがかなり出るタイプで、演奏のハードルは高い。音作りもかなり難しいペダルです。さらにドライな音で演奏しろという状況で、余計にハードル高かった。けれども、客席に良いサウンドが届いていたのであれば、これは成功であったと言えます。「もうこのペダル売っちゃおう。いや、これだけじゃなくて、家にたくさんある余計なペダル全部売っちゃおう。」と思いながら演奏してましたが、録音を聞いて思いとどまりました。やっぱ売りません。余計なおもちゃ、もといペダルも財産のうちです。いろいろ試すのも勉強になるようです。

熱きリョウの代わりに歌ってみたヴォーカルですが、これは、成功と失敗両方でした。
成功したのは、前半3曲はかなり良い感じに歌えたということ!
失敗したのは、後半、Y氏のドラムが走ったり、ばたつき始めてからは、さっぱり歌えなくなりました!(泣) ギター弾きながらだともう無理です。どうやら俺は、ドラムが安定してないと歌えないみたいです!けれども、最後のHallelujahとかは結構がんばって歌っていたよ!すごいキー高いけれど!がんばって歌った。

あくまで臨時ユニットなので、テンション低く(当社比)ステージングを展開し、そして歌詞も覚えてられないので、譜面台に歌詞カードを立てて歌ってみました。 –> これは楽でした!w そして曲の合間に、次の曲の歌詞を、紙をめくるのが面倒だったけれど、その間がまったりしていて、ゆったりステージ進めることができたのでかえってよかったです!

そして、肝心の、会場の皆様、お客さんには、とても喜んでいただけました!

これは、俺は、ギターの音はダメダメだったし(後で録音聴いたら良かった)、ペダル踏み間違えるは、ドラム云々(省略)、歌えないわ、テンション低いわ、あーこれは駄目駄目なライヴだったわあ、と思ってたんですが、会場の皆様には喜んでいただけたということで、結果良ければすべてよし!です!ありがとうございます!!

そして共演のバンドの皆様、いつもながら誘っていただいたB.D.Badgeの皆様、寿朗閣下、皆さん本当にありがとうございます。おかげさまで良い経験をもって2015年のライヴ収めをすることができました!

Facebookポストとして、またギターソロ動画をのっけておきます。”Glory of the Sky”のギターソロ。これは、結構テクニックを駆使してます。最後のストレッチ使ったスキッピングとか、よくやるわ、と自分で思ってます。まあ最後のベンドが上がりきってないけどねww

という感じのライヴでしたが、ここからちょっと真面目に書きます。
それは、普段は4人体制のバンドとして、ギタリストとして参加している「熱きリョウとジーザスモード」。こうやって、主役のいない中、ギターとヴォーカルを兼任してみて思うこと。

それは、やっぱ物足りねえ、ということです。
それは、「ジーザスモード」として、主役のフロントマンがいないことも、もちろん指していますが、
もうひとつ、俺自身、ギター&ヴォーカルを兼任するフロントマン(?)として、やってみて、物足りないと感じたこと。

それは、俺はやはり、自分の考える最高のもの、それはつまり、単純にお客さんに喜んでもらうとか、ウケること以上に、もっともっとExtra Specialなもの、圧倒的にありえないもの、そういったものを提供しないと、満足できないということです。

たとえそれが、皆さんや、他の人々に、わかってもらえるにしても、もらえないにしても、僕がそれをやっているのが、やはり自分のバンドであるImari Tonesです。

ジーザスモードでのライヴは、プレッシャーが少ないので、自分のバンドであるImari Tonesよりも、気持ちが楽にステージに立てるし、4人でやるときには素晴らしいフロントマンでありシンガーの熱きリョウが横にいるので、なおさら俺は気楽にやれます。

けれども、たとえ、やたら高い精神的なハードルを越えなければいけなかったとしても、そしてそれがたとえ、万人に理解してもらえるものでなかったとしても、俺は自分のバンドであるImari Tonesで、俺の考える、スーパースペシャルで、およそありえないと言える、そんな最高のものを、放たなければ、自分は納得ができないのだ、と感じました。

演奏を終えて、ギターを見てみると、普段であれば汗でべったべたになっている楽器は、それほど汚れていません。いや、あれか、それは冬だからか(笑) でも、同じように歌ってもやはり、飛んでいる唾の量とか(笑) それに先月のライヴでもやっぱり汗びっしょりだったし、昨日も熱くて途中でジャケット脱いだりしたから、やはり関係ない。どれだけ自分が必死になり、魂を燃やせるかどうか。そして、やはり、シンガーとしては、魂が燃えなければ、歌えない。

だからやっぱりこの編成、この体制、この形では、B.D.Badgeをはじめとする素晴らしいバンドさんたちと、ガチなバトルはできない。
だから、そのへんをよく考えて、次のイベントを考えようと思いました。
そして、そんな最高に本気になれる自分のバンド、自分の表現を、最後までやり抜こう、と。

さて「ジーザスモード」の今後ですが、主役である熱きリョウのソロ活動の関係もあり、現時点で、かなり未定です。
どういった形になっていくのか、しばらく休止期間になるか、セッションを計画して別の企画を立ち上げていくか。

せっかくうちの嫁さんも、ベース上手くなってきたしね。3枚目のEPも作りたいと思っているし、主役の都合がつくまで、なんとか「トーチを運んで」いきたいと思っています。でも、未来は「神様だけが知る」って感じあるね。

サンキュージーザス。

No(4609)

■…2015年12月31日 (Fri)…….2015年の振り返り
さて文章に書いて思考をまとめることが常ですので、2015年を振り返って日記を書いてみます。
今年は非常に祝福に溢れた年でした。
祝福にあふれた、っていうのは、ちょっとクリスチャン的な言葉だが、つまりはとても良いことがあった年だったということ。とても充実していました。

ちょっと数えてみても、

他のクリスチャンロックバンドさんたちと一緒になっての、”Calling Records”の立ち上げとコンピレーションCDの発売。下北沢でやったレコ発ライヴイベントも非常に熱いものになった。

松原湖バイブレーションジャムという、日本で初めてのクリスチャンロックのフェスティバルって触れ込みで、長野県の松原湖バイブルキャンプでいろんなバンドさんたちと一緒に演奏したこと。

3年目となるThe Extreme Tour Japanで各地を回り、自分のバンドImari Tonesでも首都圏のライヴの他に、愛知遠征を行い、それがとても祝福されたツアーとなったこと。

自分のバンドImari Tonesでは、新しいアルバム”Revive The World”をリリースつーか発表、というか発売した。他の作品同様、地味にちょっとずつ売れてるだけですが(微笑) この作品は昨年2014年に録音したものだけれど、発表する準備がやっとととのって、そしてリリースした。

というか、思い出してみれば、春にはちょっと実験的なライヴアルバム”Atomic Live!”も発表していた。これは、ちょっとした成り行きで作った企画もののライヴレコーディング作品だけれど、結構充実した記念碑的な作品になったと思っている。

そして、どちらの作品もリリースにあたって、いくつかの(それほど大きくない)メディアに取り上げてもらったりした。

そして、サイドプロジェクトのバンドである「Atsuki Ryo with Jesus Mode」では、2枚目となるEP、”Burning Fire”を発表つーか、そうねリリース、した。

(自分は言葉にはこだわってしまうのか、バンドとか、そういうのも、ささやかにやっているつもりで、今時誰でも音楽を作るように、個人的規模で音楽を一生懸命やってるだけなので、「レコーディング」と言わずに「録音制作」と呼び、「アルバム」と呼ばずに「作品」と呼び、「ツアー」と呼ばずに「遠征」と呼び、「リリース」とか言わずに「発表」とか言うんですね。照れるから。)

そう思うと、たくさんいろいろ発表したものだ。

あとは、そうだね、自分のバンドでは、ミュージックビデオをたくさん作ったなあ。本当は、”Revive The World”に入っている曲のビデオは全曲作るくらいのつもりだったんだけれど、やっぱりさすがに出来てないね。でも、まだいくつかは作りたいなあ。実のところ、5月に撮影したビデオの素材が、まだ1曲ぶん残ってるんだけれど、まだ制作できていない(笑) 翌年に持ち越しということに(笑)

けれども、YouTubeだって、そんなに大きなアクセスがあるわけではなく、むしろ小さなアクセスしか無いけれども、地道にミュージックビデオの視聴回数も増え続け、あとは、subscriberっていうのか登録者数は結構増えた。あとは、まあ、あれなんだけれども、例の2年くらい前に作ったスケートボードのビデオが4万5千再生いったのが、まあ気分は複雑だけれども、ちょっとした祝福かなぁ。ともあれYouTubeは現代のバンドには大切なことだから、大したことは出来ないけれども、地道に続けてはいきたい。

あとは先日も書いたけれど、スケートボードの面でも、いろいろとがんばった成果というか達成があった。ミュージックビデオと言えば、Born To Rideをはじめとして、スケートボードを使ったビデオを作ることが出来たしね。

僕らは無名の、なんとか活動を続けているだけのインディバンドだし、微妙にニッチな支持はあるものの、バンドのメンバーも生活するだけでいっぱいいっぱいで、そんなに頻繁にライヴとか、ツアーとか出来るわけじゃない。けれども、ジェイクが加入して2009年以来ずっと、アメリカであったり国内であったり、毎年なんらかの形で「ツアー」と名付けた活動を小規模であっても行うことが出来ているのは、とてもありがたいことだし、それはそれで、ちょっとした達成だ。

B.D.Badgeさんに声をかけてもらう「local bar gig」も、相変わらず修行と、修練と、活動の大きな財産になっている。そういうところで素晴らしいバンドさんたちの胸を借りて研鑽することで、力をつけることが出来ていると思う。
あとは今年は、アコースティックライヴも何回かやったなぁ。来年もぜひやっていきたい。

そして、もちろんながら「ソルフェイ」のメンバーとしても活動をした。
ギターで参加したいくつかのライヴ、長野県で行ったお祭りの野外ライヴ、どれも素晴らしい経験だった。ソルフェイの今後の活動に、どこまで関われるか(混ぜてもらえるか)はわからないが、僕はオオハラ氏の活動に対しては、協力と応援を惜しまないつもりだ。

今年リリースつーか発表した”Revive The World”は昨年2014年に録音制作したものだけれども、うちのバンドは、毎年だいたい、何らかの録音制作は行っている。今年は、実のところ、バンドとしての録音制作はしてないんだけれど、個人的にバンド用の作品を水面下で秘密裡に(笑)録音していたり、あとは先日も書いたように2005年に作った作品の再ミックスというか、ReBuild、作り直しを行った。これは、今、まだミックスを進めているところ、というか、今まさにこの年末年始でミックスをやっつけている最中だ(笑)

あと、そうだ、忘れていた。バンドの録音制作こそしていないものの、創作という面では、今年は、ここ数年、ちょっとずつ進めていた自分のそしてImari Tones(伊万里音色)にとっての究極の到達点「鍋島」のソングライティング、その骨組みの部分が、完了したのだ。これは、地味だけれども、実はかなり大きいことだ。もっとも、出来たといっても、楽曲の骨組みの部分だけで、そこへの肉付け、きちんとしたデモに仕上げるのは、まだこれからの作業になるけれども、僕としては、この骨組みの部分さえ出来てしまえば、あとはどうにでもなるというところだ。でも、非常に難易度の高い「鍋島」の楽曲たちなので、デモの形に仕上げるのも、きっと重労働に、なるだろうけども、ね。

まとめてみれば、自分のバンドとしては、ひきこもってYouTubeを攻めつつ、そうはいっても遠征もひとつふたつ行って、良いライヴもいくつもやり、活動の範囲を広げ、必殺の新曲にも取り組み、作品をいくつもリリースして、少しはメディアカバレッジも得て、創作面でも未来のために重要な楽曲をたくさん書き、過去の作品の作り直しもして、新しい人々にも出会い、などなど、こうしてみると非常に充実している(笑)

皆さん本当にありがとう。
そして神様、ありがとう。
サンキュージーザス。

正直言って、思いのほか、予想していた以上に充実した年だったお言えます、2015年は。
もちろん、そうはいっても、実際は、いっぱいいっぱいで悲鳴をあげながら日々を生きていたわけだし、先のことも不安でいっぱいですが。
でもいつも信じて希望を持っていることは変わらないです。

さて来年はどうなるか。

まずは、Imari Tonesの次の作品、重要なコンセプトアルバムであり、たぶん今まででいちばん「ヘヴィメタル色」が強くなるところの”Jesus Wind”の録音制作を、しっかりと行うこと。うーん、これは、きっと大変な作業になる。たぶん、年の前半は録音制作で引きこもるでしょうね(笑) まぁ、なんか毎年、年の前半はライヴ少なめでひきこもるのが通例になってますけど、ここ2、3年。

そして、予定している「ナッシュビル行き」をどうするか。行くのか。行かないのか。行くのであれば、どのような形で行き、何をするか。有り体に言えば、ライヴを何本やれるのか。

そして、骨組みは完成したところの「鍋島」を、デモの形までに仕上げることが、出来るのか。いつまでに、それを形に出来るのか。これはとても、重要なことだ。そして、非常に苦しいところだけれど、非常に重要な作品ゆえに、手は抜きたくはない。

そして、”The Extreme Tour Japan”はどうなるのか。
そして、”Calling Records”はどうなるのか。
あとは、”Atsuki Ryo with Jesus Mode”はどうなっていくのか。

そして、俺はスケートボードの練習をする暇があるのか(笑)

そんな余談を許さない状況の中、2016年に踏み出したいと思います!(笑)

いや、といっても、まじで、
2016年!!!
なんて、
数字だけ見たら、なんというフューチャーな未来感。

俺が子供の頃とか、少年の頃とか。
2016年なんて、スーパー未来だと思ってました。

そして、世界は、世の中は、どうしようもない状況だけれども。
人類、前に進んでいる人は、間違いなく進んでいる。
前に進んでいる物事は、間違いなく進んでいる。

世界も人類も、明日どうなるかわかんない。
人の心は、果たして未来を受け入れることが出来るのか、わかんない。
社会や世界にどう向き合っていくかを考える前に、その社会とか世界の方から壊れていくような、そんな時代。

そんな未来に、ふさわしいことを、君は今、やっているか。

もうバックトゥザフューチャーのドクとマーティーを乗せたデロリアンも、到着してしまった後になってしまったわけであるから。

そんなスーパー未来なフューチャーに、ふさわしい、未来的な仕事を、君は人生の中で行っているか!

そんな感じです。

人が生きていくって大変だけれど、
たぶんどう考えても人は、愛するために、
そんで愛をいろんな形で作り上げて表現するために、
生まれてきて、生きていくんだと思う。
それ以外になんにもありゃしないと、俺は思う。

God Bless You in New Year 2016!!!!
新しい年、2016年に、皆さんに神様の祝福がたくさんありますように。
in Jesus name.

No(4610)

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