コンセプトアルバム、”Jesus Wind”(仮)の録音制作、エレクトリックギターの録音がすべて終わりました(hopefully)。
あとはこれから録ったものを編集して、それからアコースティックギターの録音もちょっとありますが、アコギは自分の部屋で録っちゃう予定なのですぐに終わる予定です。
ドラム録音もわりと難航し、ベース録音はそれ以上に難行でしたが、
ギターの録音も、もう本当に予想の5倍くらいの難航ぶりでした。
そうはいっても、のべ14トラックの録音を、4日のスタジオワークでやっつけたのだから、傍からみれば早い作業で順調のように思えるかもしれませんが、内容から言うと、まちがいなく、自分の人生の中でもっとも難しかったギター録音でした。
今回のアルバム「Jesus Wind」は、コンセプトアルバムですが、ナメていたのは、これを「ごくごく単純なヘヴィメタルのアルバム」だと思っていたことです。
つまり、今までのような「幅の広い自己流ハードロック」(ZeppelinとかRushみたいな)ではなくて、よりストレートで、様式美系のヘヴィメタルっぽいコンセプトアルバムなので、内容もたぶん単純なものだろう、と、なぜだか考えていたのです。
けれども、蓋を開けてみたら、これがまったく違った。
つまり、コンセプトアルバムで、ストーリーがあるぶん、ストーリーテリングというか、ストーリーに沿って、思いのほか様々なタイプの楽曲があり、またそのストーリーを語るぶん、演奏にも表現力が求められて、実は楽曲の枠組みこそ多様性があるように思いつつもストレートな演奏で良かったこれまでと違い、「本当の意味で」表現力が問われる内容だった。そして、そのストーリーに沿った楽曲の、バラエティが、実はよく見てみれば、非常に振り幅が広かった!
つまり、確かに典型的なヘヴィメタル、Jee-Youとか、Repentみたいな、ストレートで直球なヘヴィメタルもいくつもあるんだけれど、それらの間に、ストーリーの中で、ボサノバみたいな曲とか、ビートルズみたいな曲とか、ヒップホップ系のグルーヴとか、ダウンチューニングとか、ファンクなリズムとか、インストの曲とか、本当にいろいろあったのである。
これは、どっかで頭の中で「今度のやつは単純でストレートなヘヴィメタルアルバム」と思い込んでいたのが、間違いだったようだ。
だから、ドラムやベースの録音の際にも、よくよくディレクションして「音楽監督」やらなくてはならなかったけれど、音色やダイナミクスにも気を使った。
思えば前作”Revive The World”は、本当に自由奔放に曲を書いたので、そのぶん自然体で、音色も基本的にひとつの音色だけで、あとはたまにギターを持ち替えるだけとか。ギターも8割型「猫ポール」で、2曲だけHamerとか、2つのソロだけMusicman Axisとか、それくらいだったけど、今回に関しては、バリエーションという範囲ではなくて、本気で曲によって音色を変えなくてはいけなくて、(それでも、傍から見れば同じような音色かもしれないが)、ギターも結局、5本使って、曲ごとに本当に絵の具や絵筆を持ち替える感じだった。
考えれみればベースも3本使い分けているし、今まででいちばん楽器のバリエーションを必要としたアルバムということになる。
そしてたった4日間のスタジオワークだったとはいえ、今回のギター録音を終えて、本当にこれは勉強になった。そして、終わってみて、自分はまだまだギターや、アンプや、録音のことを、全然知らない、ということを思い知らされた。
愕然としたことがいくつかあるのだけれど、そのうちのひとつの最たるものは、Marshallのキャビネット。
リハスタで録音をするのだけれど、それはアンプは、リハスタにあるMarshallのJVMを使わせてもらうんだけれど(日本の無名ミュージシャンの現状)、
なんか2年前にやった前作の録音のときとくらべて、猫ポールやHamerを鳴らしても、いまいちどーんと来ない。演奏していても、なんか、勝手が違う。
それでも、気にせずにどんどん録音を進めていたんだけれど、最終日に、あと2曲半、というところで、やっと気が付いた。
マーシャルのキャビネットのスピーカー、4発のうち、半分の2発しか鳴ってなかった(笑)
これ、キャビの裏側のスイッチ見たら、そうなってたんだよね。
気付くの遅いって(笑)
たまたまオンマイクのSM57を立ててたのが、鳴ってる方のスピーカーだったせいもあって、明白な問題にならなかったこともあり。
これは、リハスタ的には、経営として電気代の節約でそうなっていたのか、あるいは、たまたまスタジオを利用していた人が、そういうセッティングにしたのかは、わからないけれど(また検証してみる)。
キャビが半分しか鳴ってないんだったら、そりゃ、パワー感は半減するよね。
気付いた時には既に遅く、そんな状態で、ほとんどの曲を録音しちゃった。
って、言っても、そこで確かめてみたんだよ。
4発ちゃんと鳴らした場合と、2発だけで鳴らした場合の違いを。
これがライヴだったら、4発鳴らした方がいいに決まってるし、
あるいは前作みたいな自由はハードロックだったら、4発鳴らした方がレンジ感が出て良い結果につながる。
でも、半分の2発しか鳴ってないってことは、スピーカー同士の位相の干渉とか、余計な箱鳴りも、少なくなるのも事実。他にもいろいろ、あると思うけど、今回のようなピュアなヘヴィメタルの音を狙いたい場合には、案外この方が、狙った音が得られたんじゃないか、と、検証してみて、そう感じた。
だから、幸運だったのか、不運だったのか、それは、作品が完成してみないとわからないけれど、今の時点では、きっと今回の作風に関しては、実は幸運だったかもしれないと、考えている。
ギターに関しては、結果的に5本のギターを使い分けることになったけれど、知ってのとおり僕はこの2、3年というもの、Bacchusのレスポール「猫ポール」に出会って以来、ギターに関する価値観は大きく変わった。
で、2014年に録音した”Revive The World”は、8割は猫ポールで録ったんだけれど、今回の音楽性の広さ、多様さは、それだけでは済まなかった。
で、結果的に、この録音を通じて、またも僕のギターとそのサウンドに関する価値観は、大きく揺るがされた、とは言わないまでも、改めて学ぶことが多かった。
改めて使ってみたもう14年も使ってるMusicman Axis-EXとか、これもたまにしか使わないけれど要所で重要なソロを弾き出してきた89年製Charvel Dinkyとか、こうして改めて久しぶりに使ってみると、改めてその良さというか魅力に気付いて圧倒された。つまりは、使い方次第なんだな、って。楽器というものは。どう良さを生かしていくか。この日本製のDinkyだって、決して高いギターではないし、センターずれも起こしてるけれど、センターずれを起こしているからこそ、ネックジョイントの伝達が良くなってこの音が出ている可能性もある。
もちろんどちらにしても自分の手元にある楽器は自分に合ったものであるから、それも合っているから使い続けているものなので、当然と言えば当然なのだけれど。
そして今回の録音の鍵というか最大のトピックとして予想外の活躍を見せたのは(予想はしていたけれど)、Bacchus Duke Standard、通称「ショコラ」だった。
実のところこのギターは、ここ2年くらいの間、秘蔵していて人前でまったく弾いていないもので、これはつまり「鍋島」用の文字通りの秘密兵器であり最終兵器なんだけれど。そうはいっても、家での「パソコンにつないだ録音」にはしょっちゅう使ってるから、色々の音源で既に音源デビューというか皆様の耳には触れている。昨年やった”ReBuild”作業のギターの録りなおしはほとんどこれだし。先日YouTubeにビデオをアップした「空飛ぶキッチン」(ReBuildバージョン)のバッキングもこれだし。
で、実のところこのギターは「秘蔵っ子」なので、人前で弾いたことないってことは、家での曲作りと録音のみで、スタジオに持っていってアンプにつないで鳴らしたことすら無いわけよ。
で、今回、この”Jesus Wind”のれこーでぃんぐのために、初めてスタジオに持込み、アンプにつないで、ブースターにぶっこんでみたら、瞬時にして「ひゅーん」ってハウリングが起こった(笑)
これは、本当に愕然とした。
そう、つまり、よく見てみたら、ピックアップ、ロウ浸けっていうか含浸されてないやつだった。
つまり、パソコンにつないで鳴らしてる時点で、「すごいクリアな音のモダンなピックアップ」とか思ってて、すげえモダンでヴァーサタイルなギターだ、とか日記にも書いていたのに、実際のところはめっちゃヴィンテージタイプだったという。
これはもちろん、ヴィンテージタイプのいわゆるP.A.F.タイプのピックアップが、いかにレンジが広くて反応が良いか、ということでもあるんだけれど、勘違いも甚だしく、またちょっとアンプにつないで鳴らしてみればすぐわかることであるだけに、めっちゃ恥ずかしい。
僕は気に入ったギターに関しては、なぜだか昔から、ペアで所有する習性があり、ずっと使ってるMusicman Axis-EXに関しても、ピンク色のやつとペアで、赤いアルダーボディのAxis-EXSっていうのをペアで使ってる。音の傾向はちょっと違うんだけれど。
また手放しちゃったけどEpiphoneのフライングVも2本ペアで交互に使い分けてたし、HamerのフライングVにしても、USA製とインドネシア製の「高いのと安いの」を両方使い分けている。
古いCharvel Dinkyにしても2本持ってたしね。1本は手放しちゃったけど。
で、Bacchusのレスポールについても同様のことをしてしまっているわけだ。なぜかって、嘘みたいな安価で投げ売りされちゃってるわけよ。性能はものすごいのに。ここのメーカーの楽器はやっぱり、ネームバリューが無いんで。
実際のところactually、「猫ポール」(BLP-STD-FM)と「ショコラ」(Duke Standard)の違いは、ボディの重さと、塗装が大きく違う。あとはピックアップとかコンデンサとか電装系に小さな違いはあるけれど。
猫ポールが4.2kgなのに対して、ショコラは3.6kgしかない。(材は同じアフリカンマホガニーなので、個体差かもしれんが、ひょっとするとショコラはウェイトリリーフくり抜かれてるかもしれない。)このことによるキャラクターの違いはまずかなり大きい。ぶっちゃけヘヴィな音を出すにはやっぱり多少重量のある猫ポールの方がいい。
それから猫ポールがトップラッカー塗装なのに対して、ショコラはオイルフィニッシュ。これもキャラクターの大きな違いになってくる。猫ポールのトップラッカー塗装というか、バッカスさんのトップラッカー塗装については全然気に入っているし良い感じなのだけれど、オイルフィニッシュのDuke Standardは、なんというか鳴りっぱなしというか、塗装によるフィルターがほとんどかからずに倍音が好き放題に鳴りまくっている感じだ。
この「奔放かつ野放途に倍音鳴りまくり状態」のショコラの持ち味を、今回の録音ではとくと思い知ることになった。
周波数的にも、あくまでミッドレンジにピークつうのか押し出しのある猫ポールに対して、フルレンジで鳴ってしまうショコラのキャラクターはなかなかに衝撃的で、今回の楽曲にどう生かしていくか、ということを、考えながらの録音だった。
どちらにせよ含浸してないピックアップのハウリング。
いや、ロウ浸けのないピックアップって言えば、ダンカンの59なんかこれまでかなり愛用していたんだけれど、ダンカン59の付いたギターでハイゲインな音でライヴやったことも何度もあるはずなんだけれど、今までいったいどうしていたんだろうか。単純にハウリングとか気にしてなかったのだろうか。
いや、反応はいいし、素晴らしいんですよ。このピックアップ。たぶんおなじみの国産G社が作ってるものなんだろうけれど。フロントなんてジャズも弾けるしね。昨年のReBuild作業で「夜の歌」のソロもこれだし(SpotifyとかBandCampで聴いてみてよ)、今回も”The Peace”のボサノバのソロはこれで弾いたし。
ただ、僕のセッティングだとどうしても、また録音の際もある程度アンプを音量鳴らして録音したいんで、どうしてもやはりボリュームを全開にするとハウってしまい、手元のギターのボリュームをおそるおそる8とか8.5とか8.3とか微妙に絞りながらレコーディングすることになった。
だから今回の録音には、ショコラのボリュームは10で鳴らした音というのは入っていない。いや、ソロは入ってるか。でもバッキングは全部、8とか8.5の音。でも、それでも十分に表現力のある音が録れたのが、この楽器とヴィンテージ系ピックアップの恐ろしいところだった。
しかしどちらにしてもハウリングとは紙一重であったので、たとえば”The Wave”のギターリフのブレイクというか「間」の部分、この無音というか休譜をどう演出するかというのはバンドアンサンブルの永遠のテーマでもあるけれど、今回、その間のスペースは、このひゅんひゅん言うゴーストのようなハウリングのうめきが演出することになった。(最初に猫ポールで弾いたので、二度目に弾き直したショコラのバージョンが採用されれば、の話だけれど)
その”The Wave”という曲にしても非常に苦戦したので、一度録音したギタートラックを、やりなおす、なんてほとんど初めてのことだし、本当に今回は、デモの段階とか、バンドでリハーサルをやっていた段階では、まったく問題に思わなかったのに、実際の録音をしてみると、音作りとか、音色選びとか、録音とか、チューニングや楽器の特性に至るまで、いろいろの問題が噴出して、こんなことは初めてというくらいに難航した。
やりなおしがまだ発生しないといいんだけれど。ギタートラックの編集はこれからだから(汗)
The Waveは本当に苦戦して、猫ポールで最初に録って、ブースターはCranetortoise真空管VT-2Bで、ばっちり、と思ったんだけれど、後で聴いてみたら妙な違和感があって。
で、最終日に余った時間で思わずショコラでやりなおしてみた。ブースターはShoalsを使って。
この曲は、The Waveっていうのはつまり、あまり触れたくないけれど2011年のあの出来事がテーマなんだけれど、なんか声が聴こえたもの。「はんぱな音では許さない」「こんなものではなかった」って。それが誰の声かは、考えたくない。だから猫ポールとAlbit/Cranetortoise VT-2Bの「きれいな」音よりも、ショコラ&Shoalsの「重く、荒れた」音の方が、より正解だったのかもしれない。セッションの最後だったから弦も錆びていて、チューニングの問題も発生していたのだけれど、敢えてそれでよかったのかもしれない。まぁ、どのテイクを採用するかはこれから決める。
それでも、本当にそこまでやっても”The Wave”なんかは、「ごめんなさい」っていう感じだった。
俺のギターはここまでです、俺の表現力は、これが限界です、っていう。
思えば2年前にやった”Revive The World”の録音は、本当に今思うと順調だったのだと思わざるを得ない。ヴォーカルはしんどかったけど。精神的に。だって音作りで迷うことなんか一切無かったもの。その時点で使っていた安いインターフェイスの安い内蔵マイクプリも、こうして振り返って検証してみると、安価ながらも実用的な使いやすいものだったことがよくわかる。今回、マイクプリも新しく用意したことで、音のレンジや選択肢は広がったが、そのぶん、音の選択肢も増えて、また音作りは難しくなってしまった。
そして思うままに、自分流の音楽を奔放に感情のままに書いた”Revive The World”、あれは自分の音楽の「霊的」キャパシティの中では最高のものであったと思う。そして、その音楽を書いた後に「猫ポール」と出会った。
その時に思ったことは、つまり、人というものは基本的に、自分の霊的なキャパシティの限界の中でしか物事を認識できない。つまりギタープレイヤーであれば、自分の霊的なキャパシティというかレベルを越える楽器とは、基本的には出会えない、出会っても良さを認識できない、というものだと思う。
だけれども「猫ポール」は、自分のそのギタープレイヤーとしての霊的なレベルを越えるものだった。そして引き上げてくれるものだったと思う。
そしてその直後というか、2013年の大晦日から、2014年の正月、元旦と2日、そのほんの2、3日の間に、この”Jesus Wind”の楽曲が書けてしまった。
(8割、9割、かな。”Jee-You”に関しては、その直後に、Y&Tの来日公演を見て、”Forever”でみんなが合唱しているのを見て、「俺もこんなわざとらしくてクサいメタルの曲を書いてみたい笑、と思い、出来た曲。でも、そのおかげで、このコンセプトアルバムのストーリーの結末が、人類滅亡、ではなくて、希望のある終わり方になった。)
だからこの”Jesus Wind”の楽曲は、自分の音楽的な霊的キャパシティを越えたものなのだ。ソングライティングの面でも。
だからこそ、自分の手に負えないのも、自然なことかもしれない。
そういった、自分の器を越えるものに向き合ったことで、ぜんぜん未熟ながら、経験も少ないながら、まぁ未熟なんだけれど、あらためて自らの未熟さと、何も知らないんだ、ということを思い知らされた。
キャビネットの件や、ショコラのピックアップの件もそうだし、マイクプリに関しても、事前に準備して検証しておいたにもかかわらず、そのセッティングは、その日ごとに結果が違っていた。これも曲によって要求する音がまったく違うということだと思うのだけれど、だから、一日の録音を始める前に、いちいち、すべてのギター、ペダル、マイクプリの組み合わせを試して、検証してからでないと始められなかった。その結果も、毎日違うわけで、まあ普通レコーディングなんてものはそんなものかもしれないが、ちょっとしんどかったな。
サウンドというか機材つーかギアの面でもうひとつの事件は、やっぱりオーバードライブのペダルのShoalsだったと言わざるを得ない。
これはHeavy Lid EffectsのShoalsなんだけれど、ここ数ヶ月、なぜだかオーバードライヴに今更悩んで、いろいろ検証していて、気が付いたらこのShoalsが手元にあったんだけれど。
たぶんこれは今回の作品の音楽性とか方向性のせいだと思うんだけれど、長年、実に8年とか9年くらい自分の足下でメインとして君臨してきたそのAlbit/Cranetortoiseの真空管ブースターよりも、このShoalsの方が勝ってしまうということが多発して本当に焦った。
ぶっちゃけShoalsはノイズは多い。これは間違いない。けれども、やはり僕の人生において、良い音、良い歪みと、ノイズというのはトレードオフの関係にあるようだ。ノイズレスで良い音、良い歪み、とかは、やっぱりあり得ないのかもしれない。当然ながらCranetortoiseの真空管入りに関しても、アンプに突っ込めばやはりノイズは乗るのだから。
僕は、今回のこの”Jesus Wind”の、今までの僕らの作品の中では、珍しく例外的に「正統派ヘヴィメタル」なサウンドに向き合うについて、今までのナチュラル系トランスペアレントドライヴではダメだ、ということを、本能的に察知していたのだろうか。
それくらいに、前作までメイン使用していたAlbit/Cranetortoiseのブースターの音では足りない、合わない部分を、このShoalsの「あくまでヘヴィメタル」な音は見事にカバーしてくれた。
結果的に、7割くらいの曲では、Cranetortoise VT-2Bよりも、このShoalsが採用されてしまった。
実のところ、ソロはちょっとそのままでは弾きづらい音だったので(ライヴではEQ踏むから問題ないけれど)、ソロに関してはVT-2Bを使った割合が多いけれど。
野放途な音圧、とか、レンジの広さ、トランスペアレントな音の粒立ち、ということでいえば、今までの音の方が勝っているけれど、今回の作品のダークでインテンスな正統派ヘヴィメタルの音については、今回使用したShoalsはまさにうってつけだった。ていうかたぶん今後のライヴの足下のメインはこれになるだろうと思うし。レンジが広過ぎるAlbit真空管よりも、より中域にフォーカスした一般的なTS系オーバードライブの方がライヴの場で使いやすいケースが増えてきたのは、前にも書いたとおり。
とにかく今回のギター録音を通じて、自分の未熟さというか、「ああ、俺はギター下手だなあ」と思うことが、非常に多かった。何度もあった。
それくらい、足りなかったし、手強かった。学んだし、学ばされたし、思い知らされた。
That be said, そうはいっても、ひとつ良かったことは、ギターソロ。
テイクを重ねなかったのよ。
これは、歳を食ってきて、単純に体力とか気力が昔よりも全然ないってこと(笑)
そういうこともあってか、いや、そういうわけじゃないんだけれど、ギターソロ、本当に最初のテイクで決まって、これでいいや、とか、まあ念のためもう2、3テイク弾くんだけど、3テイク弾いて完了、だったりとか。とにかく早かった。
自分の中に、別人格の「達人」が居て、「先生、お願いします」って言って、その達人に出て来てもらって、弾いてもらう感じ。で、その達人は白髪の老人なので、2、3テイクしか弾いてくれないわけよ。2、3テイク弾いたら、疲れて帰っちゃう。そしたら、もう弾けない(笑)
唯一テイクを重ねたのは”Bushido”のギターソロかな。ライヴだと問題ないんだけれど、れこーでぃんぐだと正確さとスピードが要求されて、ちょうど集中力が欠けていたこともあって、かなりテイクを重ねてしまった。
今回、キャビネットが半分しか鳴ってなかったりとか、VT-2Bの感触も、Shoalsの感触も、いまいち勝手が違ったりして、ギターソロもなんか弾きづらかったんだけど、それでも無理矢理弾いちゃったし、
あとはね、もともと、今回の作品のギターソロは、デモのテイクをそのまま流用しようかとか思ってたの。かなり本気で思ってた。
それはつまり、デモを作った際に、まぁデモはパソコンにつないでAmplitibeで弾くんだけど、なんかやたら難しいギターソロが出来てしまって、ああこれは、もう二度と弾けないだろう、たぶんこのデモのテイクを越えることは無理だろう、と思って、半分くらいはそのデモのテイクをそのまま使っちゃおうと思っていた。
だけれども、やっぱりアンプ鳴らして録った方が、リアリティがあるじゃん。パソコンの整った音じゃなくて、アンプとマイクの、荒くて生々しい音の方が。
で、結果的に、「自分のギタリストとしての霊的な限界を越えた」この難しいギターソロ群なんだけれど、終わってみれば、全部アンプを通して弾けちゃってた。
もちろんそれは、それぞれに適した楽器に助けられて、の話。あとは自分の中にいるその白髪の達人の力。
まあ決して、完璧、とか、滑らか、ではないかもしれないし、その意味では、あのいろいろ人任せで辛かった「Japanese Pop」の録音を思い出すんだけれど、あれもヘヴィメタル色強かったし、完璧ではなくても、ありのままを表現できる生々しいギターソロが録れたんじゃないかと思う。
で、これからギタートラックの編集して、ちょっとだけアコギ録って、それからヴォーカルを録っていくんだけど、
いちばん書きたかったことというか、今現在の心象風景。
それは、俺の今の気持ちは、「トップ、いただきます!」というものなのね。
これは、笑っちゃうようなことだと思うんだけれど。
有名無名とか、売り上げの数とか、会場の大きさとか、いろいろな基準があるけれど、音楽的なことについては。どこまで究めるかということについては。いちばん先へ行くというか。
で、この、今作ってる”Jesus Wind”じゃなくて、
これは、無論、その先にある最終到達点の「鍋島」のことなのね。
この録音期間中に、「鍋島」のデモも作っちゃおうと思っているので。
僕の中では、「鍋島」をきちんと鳴らして、作り上げたら、それは、「トップ、いただきます」ということになるんだ。
それは、もちろん、笑ってくれていいんだけれど。
でもね、これも当たり前のことだけれど、音楽とか、芸術というものには、明確な基準がない。
そのぶん、厳しい、と言っていいかどうかはわからない。
つまり、スポーツであれば、明確な基準がある。それはつまり、記録の数字とか、結果は数字で明確に順位を付けることができる。表彰台に立って金メダルを受け取れるのは1人だけだ。
だからこそ逆にスポーツの厳しさもそこにある、結果がすべて、という感じ。ただ、そんなスポーツの世界であっても、そこには不確定要素とか、運とか、巡り合わせとか、たとえば怪我しちゃうとか、いろいろな不確定要素があるわけだ。
そんな不確定でわからない世界で、音楽とか芸術には、いったい何が良くて、何が悪いのか、何をもって良いものとするのか、その基準すら、そもそも明確に存在しない。だから、その基準すらも、自分で作り上げなければいけない。そしてその基準とか価値観というもの自体に、勝負をかけていかなければならない。
芸術というのはそんなものだから、たとえばそんな真実も基準も存在しないような世界の中で、「これが一番だ」と言える、そんな基準とかものさしを見つけることが出来ただけでも、僕はそれは素晴らしいことであり、幸運なことだと思っている。
だから、僕が、今現在、あくまで自分自身の狭い見識の中での、自分自身による基準であったとしても、「トップ、いただきます」という気持ちになっている、ということは、やっぱり喜ぶべきことだと思う。
そして、いつの日か、その自分の最高到達点である「鍋島」を作り上げたとして、そして、またいつの日にか、その基準自体を打ち砕かれるような、自分を越える圧倒的な作品とか才能に、巡り会ったとしたら。
その時、僕は本当にそのことを、嬉しく、また、幸せに思うに違いない。
だって、こんな僕なんかがトップを取れてしまうような世界に、僕は住んでいたいとは、あまり思わないから。
もっとすげえやつらが、いっぱいいる世界に、俺は生きていたいのだから。
そんな世界をこそ、夢見て、俺は、すべてのことをやっているのだから。
そこまで生きていられるかどうかは、わからない。
「鍋島」を鳴らし切ることが、あくまでトップの到達点だけれど、この”Jesus Wind”を完成させることが出来たら、それはそれで、ひとつ、城を築き上げたことにはなる。それでも、満足と言えば満足だけれどね。
まずは、ここでがんばって、今やっているこの”Jesus Wind”を、完成させなくては。
実のところ、「トップ、いただきます」という精神状態は、
ハイであるべきだし、歓喜であるべきだし、ヒャッハー、であるべきだ。
このことに思い当たったとき、僕は少年時代のいろんなことを含めて、ああ、自分の人生が、すべてmake senseすることに気が付いた。
だから、そこは、明るく陽気に、歩き、また、走るべきだ。
そういう流儀だし。
なぜって、何か物事を実行するとき。
それを計画したり、立案したりするときには、いっぱい悩んで、思案しなくてはならない。正しいかどうか、検証し、綿密に、計画を立てなくてはならない。
けれども、ひとたびそれを実行する段になったら。
何も考えてはいけない。
頭はからっぽで、悩まず、ためらわず、笑顔でさっくりと引き金を引かなくてはいけない。
行動っていうのは、そういうものだ。
だから、今がその時だ、と僕は思っている。
陽気に、一歩一歩、のんきに、鼻歌を歌いながら、進みたい。
けれども、実際のところは、やっぱり、へとへとの精神と肉体をひきずって、
また文字通り、重い機材や、荷物をひきずって、
死にそうな顔をして、歩いているのが、現状の日々だ。
実際はそんなものかもしれない。
それでも、根っこの部分は、楽天的に、のんきで、陽気でありたいものだ。