2016年4月の日記

■…2016年 4月 3日 (Sun)…….リハーサル
昨日はバンドのリハーサルでしたが、現在、録音作業期間中ということで、皆で集まってリハをするのは実に2ヶ月ぶりでした。逆に言えば、録音はまだまだ続きますが、自分の番が回ってきた時に「そういえばギター弾いてない」とか「歌うの3ヶ月ぶり」とかならないように、リハを入れておいたわけですが。

バンドで歌うのが2ヶ月ぶりということだったんですが、まあたかだか2ヶ月、と思うかもしれませんが、2ヶ月ぶりに歌ってみたら、むしろよくなってました。これはどういうことかというと、人間、力を入れることはすぐに出来るわけです。けれども、力を抜く、ということは簡単ではない。
僕は、自分で歌う羽目に陥って以来(もともと、歌う気はなかった)、20代の頃は、力を入れて歌うことをやっていたわけです。
そして、30代になってから、力を抜いて歌うようになった。
けれどもそれは簡単ではなくて、やれるようになるためには何年もかかった、というか、いまだに何年もかかっている、ということです。

そして、ヴォーカルだけでなく、人として、人間としても、力を抜く、力を抜いて生きる、ということは、簡単ではなく、ようやく歳をとってきて、少しずつそれが出来るようになってきた、ということなのだと思います。

自分がとっつきにくい人間であることは事実で、それがいきなり、親しみやすい人間に変わることはできないでしょうが、それでも、力が抜けるにつれて、少しは皆さんとの距離が縮まるかもしれません(笑)

昨日のリハではいろいろな気付きがたくさんありました。
なぜ、突然、目からウロコじゃないですが、こんなに気付きがいっぺんに訪れたのか。
2ヶ月ぶりだったのが良かったのか。
あるいは、ここしばらく、いろいろのことをたくさん思考して考えてきたことがよかったのか。
単純にこれが歳を取るということなのか。

もう2年近く前になりますが、(Jesus Modeではなくて)自分のバンドで初めて「猫ポール」を持ってライヴやったときにも、いろいろな気付きがありました。楽器が、猫ポールが教えてくれる、ってわけじゃないんですが、やはり昨日のリハでも猫ポールを持っていて、それが気付きをもたらしてくれたかもしれません。

人を変えてくれるような楽器があるのか、知りませんが、そういう体験が自分自身で来たことは幸運だと思っています。願わくば、もうちょっと若いころに、そういった出会いや、そういった気付きが、あればよかったのかもしれませんが、それでも、全ては無駄ではない。歩いてきたから、ここにいるわけです。

極端に聞こえるかもしれませんが、昨日のリハで音を出しながら、いろいろなことに気付き、いろいろなことを考えて、僕は自分が自分の人生で一番に欲しいものが何だったのか、わかったような気がしています。

だからこそ自分はここまでして、ここまで遠回りのような道をひとつひとつ歩いてまで、「ラヴコール」を送ってきたのだ、ということに。

そして、自分自身がいかに未熟であったか、ということも。
僕は、必ずしも成功を求めて人生やっているわけではないですが、それでも、成功ということが、どんなことで、そのために自分に足りないものが何であったのか、昨日のリハの後には、自分は少しは理解したように思います。

ロックを鳴らす、エレクトリックギターを鳴らす、ということの意味合い、(霊的というかスピリチュアルな意味合いも含め)、も、少しはわかってきました。

自分が求めているのが、愛であったとすれば、なぜそのことにもっと早く気付くことができなかったか。あるいは、なぜ愛されることを自分に許すことが出来なかったか。でも結局、愛することと愛されることのどちらか大事なのかは、自分にはわかりません。

でも、それを見出したとすれば、それが決して簡単ではない、いかに難しいものかは、よくわかっています。

愛の形はそれぞれです。
そこにある祝福の形も、人それぞれ。

たとえ世界を制覇したとしても、ロックバンド的に言えば、たとえどんな大きなステージや、大きな知名度や成功を手にしたとしても、愛を手に入れるのでなければ、やっぱり何の意味もない。わざわざ聖書を引用するまでもなく。

俺が思うに、その愛ということを、愛することと愛されることを知っている人のことをこそ、ロックスターと呼ぶのでしょう。

僕らのヒーロー、イエス・キリストさんは、間違いなく人類史上最大のスーパースターですが、
イエスさんにしたって、地上において成功者であるとか、人気者でありたいと願ったわけではないでしょう。
地上にあって十字架に向かうイエスさんは、神の子としては、目的を果たすために、必要最低限のものしか持たなかった。

僕がどんな約束のもとに、ここへ来て音を鳴らしているのか知りませんが、
キリスト者のはしくれとしては、僕らもその範に倣いたいものだと思います。

No(4653)

■…2016年 4月 4日 (Mon)…….いろんな音が鳴る
恥ずかしながら2010年代になってから(もう6年もたつのか)、
「本気で好きになったバンド」として新しいバンドに出会ってない。
(もちろん、結構いいな、くらいならいくつもあった、が、本気で好きになる、のは、ない)
(そして、昔から好きだったバンド、アーティストの、新譜としては、良いものはもちろんあったし、今年も、すでにある)
(そんでまた、ここ2、3年で、本気で好きになったバンドには、ひとつ、ふたつ、みっつ、くらい、出会えたが、それは1960年代とか1970年代のバンドだった)

歳のせい、と言うこともできるが、
特に若いバンドで、出会いたいものだ、本当に夢中にさせてくれるようなバンドに。
こんな音楽を聴いたのは初めてだ、と驚くことのできる、素晴らしいバンドに。

ただ、もう2016年にもなっていることだし、自分もこの歳になり、有名なバンドを教えられるのではなく、出来れば、メジャーのバンドではなく、インディのバンドを、なんとかうまいこと見つけたい。

ので、そろそろ少しずつ、こういうウェブサイトとかをチェックしようと思っている次第。
こちら

惜しくらくは、メタル系、ハードロック系では、こういうのってあんまりない。
やはりどうしても「オサレ系インディ」になってしまう。
が、もともと、俺、メタル系、そんなに好きじゃないしね(爆笑)

ちょっといいな、くらいはもちろん見つけることができるけれど、
ハートをぐわっと持ってかれる、ような出会いは、やはりなかなか。

それでも、見てるとやっぱり気分がいい。

ちなみに、というか、もちろん、というか、
俺としては、
自分の目標のひとつとしては、もちろん、質や、量や、情熱や、創造性や、生き方や、根性の面で、「世界一のインディバンド」を目指しているしぃ。

世界のどっかの人が、見つけてくれたりした際に。
見つけてくれた人を、驚かせるようなバンドで居たいと、いつも思っている。

もうちょっとで、その「揺るぎない頂点」に、届きそうな気がしてるんだ〜〜。

そこまで、やらせておくれ、神様。

No(4654)

■…2016年 4月 6日 (Wed)…….ローファイ・デスティニー
身近にあるもの、とか、当たり前のようにあるもの、たとえば愛とか、愛とか、あと愛とか。
そういったものは、やっぱり実のところ、ぜんぜん当たり前ではない、ということをちょっとだけ今日、垣間みた。

いや、オーバードライブ、おーヴァーどらいヴ、のペダルをいくつか試してきただけなんですが。

そもそも、なぜ、今、オーヴァードライヴ、のペダルを試そう、という気に突然なったか、というと、それは、ひとつには、ここ1、2年ばかり、ライヴなどの機会において、メインの「真空管ブースター」(重い、でかい)よりも、「適当なオーバードライブのペダル」(ポケットに入る)を使った方が、良い結果が出てしまうことが、何度もあった、ということ。

それともうひとつの直接のきっかけは、先月、Calling Recordsの皆で、横浜で野外のライヴを予定していた日に、雨が、というか天気予報が雨80%だったため、コンサートを中止、とはいえCalling Records参加メンバーによるミーティングを行う必要はあり、その場所は必然的に町田。そして、ふとその時、たまたま見たギター関係のウェブサイトに、静岡のどっかのビルダーさんが作ったオーバードライブのペダルの記事が載っていた。で、ちょうどその日に、イベントでそのペダルを持って町田の楽器屋さんに来ますよ、という情報があったため、ミーティングの前に寄れるな、と。いや、何って、そのペダルが見た目がちょっとかっこよかったので。

このSmoggy Overdriveってやつですね。
こちら

案の定、評判になっているようですが。

で、これを期に、ちょっと追求してみようと思ったんです。
というのは、「ここ1、2年、手元にたまたまあって適当に使っていたオーバードライブ」つまりそれはTonerider AO-1のことなんですが、
それが、いったい、どのくらいの立ち位置のものなのか、そんで、ぶっちゃけこれ、中古で5000円もしなかったくらいのものだし、これより良いものも、当然たくさんあるに違いない、ということで。

そういえば昨年の12月にT-Rex Mollerと比較する、という機会もありました。そういう伏線も確かにあったということですね。
T-Rex Mollerは、パソコンの中のAmplitube内でいつもお世話になっているし、本物にももちろん興味はあった。

結果は、Moller、切れ味も、音抜けも、そしてパソコンの中のモデリングでは感じられないその音圧も、かなり良かったのですが、僕の用途の中での実用性だと、Toneriderの低音の出方の方が合ってるかなぁ、と。あとは、ToneriderのToneを上げていくと、結構Mollerに近い音が出てしまったこともあり。
Marshallの初代BluesBreakerのペダル(第二世代ガバナーの三兄弟)も持ってるんで、それの出音も、Mollerにかなり近かったため、「別にいっかな」となってしまった。いや、お金に余裕がありゃ今でも欲しいですけどね(笑)

で、その見た目がかっこいいSmoggy Overdriveを試してみよう、と勇んで出かけたわけですが、結果、音抜け、音のレンジ、反応の良さ、あとはかなりメタリックな音も出たり、と、すっごい良かったんですが、以前にも書いたように、「じゃあ、僕の用途、うちのバンドのサウンドの中ではどうなの」ということ、あとは「しょせんサブの機材」としての微妙な立ち位置(メインには決して勝てず、メインが合わない場合のローファイ要員)としての実用性に疑問があったり、と。あとは、やっぱり最終的に「これが俺の音」と思えるかどうか、など。クリアではあるけど、ちょっと冷たい音だったかも、しれないし。「だったら俺、Toneriderでいい」となってしまった。

そんで、その場で店員さんに勧められた、G-Life Gemini Boosterとか、あと名前すらも忘れたブースターをふたつくらい、それらと比較しても、「やっぱToneriderでいい」となってしまったので、「果たしてこの中国のどっか製の安物と思っていたTonerider、実は意外といいのか」と思い立ち。

「じゃあ、俺にとって、これよりも良いと思えるものに出会いたい」という命題で、いっぺん楽器屋さんを回ってみようと思った。次第です。

ですが。
オーバードライブなんて世界は。深い。
いろんなところから、大手メーカーから、小規模な個人ビルダーから、いろんな製品が出てる上に、今回みたいに「アンプに突っ込むブースター用途」で考えると、余計にわかりにくい!

なので、はっきりいって、あまり踏み込みたくない世界でありました。
なので、今回も、ちょっとだけ試してみた、という感じです。
あまり深入りは、しません。

で、はっきり言って、このブースター用途。
音の判断はしづらいです。
アンプによっても変わるし、あくまでアンプの味付け、という微妙な音の変化だし。楽器屋さんの試奏できる環境も、必ずしも良いとは限らないし。
しかも、これって、はっきりいって、楽器屋さんの店頭でいくら試そうが。
実際に、スタジオで、大きな音を出して。
なおかつ、ギター単体ではなく、バンドで合わせてみないと、本当のところはわからない。

けれども、そんなふうにして試すのは、「レンタル試奏サービス」とか無い限り無理だし。
おおよそ、なんとか店頭でわかる範囲で、これかな、と思うものを実際に買い、そして実際にバンドで合わせてみて、合わなかったら「残念でした」となってしまう。そういうもの。ほとんど賭け。

なので、今回の試奏の判断も、おおよそどこまで正確かは、あやしい部分も多く、なんとも言えません。

そういうことを踏まえて、前提としつつ、なんとかちょいちょいっと試してみた限りでの印象は、こんな感じでした。

T-Rex Diva
うちのはっしー先生も”Bass Juice”を使っているし、僕もパソコンの中でMollerやMudhoneyにお世話になっているし、その意味ではおなじみのT-Rex、の比較的新しいペダルで、今回、いちばん期待してたんですが、結果は、うーん、良いんだけど、なんか違う。悪くないんだけど、「ギターの個性をそのまま出す素直なペダル」というような宣伝文句に反して、「意外と主張してくる」「なんかダイレクトじゃない」「なんか邪魔なもんが、ミッドローのへんにある」という印象。なぜだ。いや、決して悪くなかったんですが。キャラクターを3種類変えられるスイッチも、確かに出音は変わるんですが、本質的な音のキャラクター自体は、変わらなかったです。

Bogner Wessex
すっごい音の深みが出て、なおかつ音の芯もあり、太く抜けてくる。宣伝文句のとおり、普通のオーバードライブのペダルを越えて、なんかのオーディオデバイスのような。この深い音の感じ、オーバードライブのペダルにもかかわらず、どこかハイゲインアンプのような深い音になるのは、Bognerの個性ということでしょうか。んでも、これは、正直、俺、主張が強過ぎると思う。俺は高級だぜ、というエリート志向な音になってしまう気がして。

TDC 007 Creamy Drive
アースシェイカーのシャラさんも愛用しているという、プロ御用達なイメージのある、いっぺん試してみたかったやつ。なんか、音がすごいダイレクトで、太く、音圧もぐぐっと来たような気がする(すでに記憶が曖昧ww)。生々しい音だったと思う。そんで、かなーり粘っこい音だった。これは、たぶんウェブサイト見るに、ゲルマニウム使ってるからだと推察する。その太い粘っこさは、下記のArcherよりも、ケンタウルス的な使い方を想像したくらい。すんげー粘るし、良い感じに音も太くストレートなんだが、果たしてこの音でImari Tonesのライヴできるか、と考えながらToneriderと比較すると、うーん、すみません、という感じ。この時点で、やっぱ俺はしょせんToneriderなのかという気になってくる。

Rockett Pedals Archer
評判のケンタウルスクローン。
俺、ケンタウルスとか知らん。でも、ブッチャーズのファンだったから、ライヴハウスでその音は聴いたことはある、というよりは、むしろいつも聴いてた。聴いて泣いてた。その生々しい音の圧力に感動して泣いてた。それはもちろんケンタウルスが偉大なのではなく、吉村さんとかひさ子さんが偉大なのだけど。つまり大事なのは機材ではなく人間だ。
で、Archer。普通に良かった。もっと粘っこい、主張の強い、くどい音がするのかと思っていたけど、意外とすっきりしていた。なんか、普通にすんなり良かった。もっと大きい音で、バンドで合わせたら、もっと良さがわかるのかもしれない。抜けも良いし、素直でストレート。これでライヴやれと言われたら、たぶんやれる。でも、正直、それ以上の印象は受けず。

Leqtiqueっていうブランドの、なんかカラフルでぐにゃぐにゃしたペイントのやつ2つ、一方はTS系で、もう一方はそうじゃないもの、と店員さんに勧められた
これは、ちょっと弾いただけで、「あ、これは俺には必要ない音だww」となった。ゆえに、どんなだったかも覚えてない。ウェブサイト見るに、たぶん赤いのと青いのだと思うんだけど、どっちかはわりと良かったんだけど、どっちだったかも覚えていない。友人なくしそうなひどい言葉で書くけれど、こういう機材は、「自称機材通至高のブティック志向自己満足のへたっぴさん」たちの間で使ってもらったらいい。

Eastern Music Device ProDriver
これは良かった。音抜けも、実用性の面でも。現場の実用性の面でも、ひょっとしてToneriderを越えてくれるかもしれない、と思えた、たぶん今日試した中では唯一の製品だったと思う。でも高いな(笑) あとは見た目がな。しょせん、僕は機材とか、見た目が8割で、音は2割なんだと思う。その見た目も、ストライクゾーンは狭い。ギターのエフェクトペダルでさえそうなんだから、女性のストライクゾーンはもっと狭いと思っていい。今日試したペダルのうち、ひとつを選んでライヴをやれと言われたら、たぶんこれを選ぶだろう。ウェブサイト見ると、TypeAとTypeBがあるんだが、今日試したのがどっちかはわからん。店員さんに勧められるままに試してみただけ。強く印象に残ったが、とはいえ、キャラクターの面で、やはり「Toneriderでよくない?」となったのが本日の現状であった。

Eletro Harmonix Clayon
これも良い意味でローファイなやつ。フルレンジドライブというコンセプトは良いし、音も好みだったけど、チープ志向の悲しさか、惜しむらくは、いかんせんノイズが多い。音自体はわりと好みだっただけにとても残念。

漢字がいっぱい書いてあるメーカーのAlbatross(信天翁)ってやつ
俺も一応、Peter Greenのファンとしては、名前だけでそそられるこのペダル。ついつい試してしまいました。
何を突っ込んで何を弾いてもヴィンテージレスポールみたいな音できゅいんきゅいんという音を出す、ちょっとずるいペダルでした。正直、ちょっとわざとらしいと思う。音の傾向は、俺も持っている初代Blues Breakerにも、確かに近い音ではあった。なんにせようちのバンドには音が軽過ぎる。

漢字がいっぱい書いてあるメーカーのKamikaze(神風)っていう白いペダル
見た目かっこいいから、期待はしてたんだけど。
音はすげえ太くて、強そうな音で、すごいんだけど、「どうだ、すごいだろう」という音すぎて、ちょっとわざとらしいと、俺は思った。こういう音が必要な人とか、こういう音が必要な用途はあると思うけれど、俺はパス。

Walrus Audio Messner
Walrus Audioはネット見ると、かわいい絵が描かれたペダルばかりで、ぜひいろいろ試してみたいんだけど、とりあえずMessnerっていうのを試してみた。
ゲイン低い(笑) そして、結構好み。
音、硬い。かなり、きめ細かい。
これも、これでライヴやれ、と言われたら、たぶんやれる、という感じのペダル。
メタリック感は出る。それこそ、この前ためしたY.O.S.さんのSmoggy Driveを、もうちょっと真面目にした感じ、というべきか。
だが、その鋭角的で冷たい音のキャラクターが、うちのバンドの音に合うのかと言われると、軽く疑問が残る。しかし、センスのいい音だと、俺も思う。

あとはもっと試したかったんだけど時間切れ!
11個しか試してないわけだ。意外と少ない。

で、結果として、まあ値段のこともあるけれど、
Toneriderを打ち負かして、「もう俺、こっちにする」と思わせてくれたペダルは、実際のところ、無かったわけだ(笑)
いや、Eastern Music Deviceは、良かったから、もうちょっと、次は冷静に、試してみたい気もするけれど、それでも、今日、既にあまり覚えてないけれど、今日の比較の時点で、「まだToneriderのがいいかな」という感じだったのは事実。

ブースター用のペダルっていうのは難しく、それは、やはりアンプの味付けということだから。
音抜け、とか、音の太さ、とか、レンジの広さ、とか、低音がしっかり出る、とか、いろいろの意味で、今回試したペダルは、もちろん多くの意味で、「中国製の安物」であるTonerider AO-1 American Overdriveよりも、性能はもちろん上回っていた。

けれども、だからといって、俺の用途で、俺の使い方で、うちのバンドで、ライヴの現場で結果を出してくれるか、というのは、やはり別の問題だった。

あとは、なんといっても、「これが俺の音だ」と思えるかどうか。

今回こうして、昨年末から数えると、15台くらいのペダルと一緒につないで比較してみた結果から言えるのは、Tonerider AO-1は、それらの最新高級ペダルと比較しても、「それほど高級ではないものの」「かといって決してそれほど劣るものでもない」ということ。

はっきりいってTonerider AO-1はローファイだと思う。かといって、クリアな音はするけれど、なんか基本、音の落としどころはやはりローファイ的だ。

Tonerider AO-1はなんか不思議なペダルで、今回あらためて試してやはりわかった長所、魅力としては、はっきりとしたミッドハイの押し出し、いい感じに飽和するハイ、とともに、ガシっと太く、かつハードロック的にがしがしとした質感で鳴ってくれるローというかローミッド。で、ローエンドははっきりいって、そんなにない。けれど、俺が思うに、うちのバンドの場合、ローエンドとかって、別にベースに担当してもらえばいい部分。

なんといっても音のキャラクター。クリアかつ丸いハイ。ガシっと低音のヘヴィ感は出つつも、ローエンドはすっきり。そして、ちょうどよい具合にローファイで古くさい。このレトロ感。これこそがオーバードライブに求める「味付け」ではないかと思わなくもない。そして、そんな「味付け」をしてくれるペダルは、意外なほど少ないことが、わかってきた。

で、このAO-1のサウンドの「落としどころ」。それは、決して最新高級ペダルのような完全無欠な場所ではないけれど。その音が落ち着く場所は、なんか僕にとって、うちのバンドにとって、「落ち着く場所」であり「やりやすい場所」「しっくりくる場所」であるらしい。

それは決して「理想の音」ってわけじゃない。何度も言うように、あくまで僕のメインの音はAlbit/Cranetortoiseのでっかい真空管ブースターを経由した音だ。これから行うレコーディングでも、間違いなくその音を僕は使う。でも、時としてその「透明な音」が合わない場合がある。つまり、解像度が高すぎたり、ハイがきつかったりすることが、ライヴハウスとかだと、結構ある。

その場合に、「案外現場だとこれでしっくりくるじゃん」的な、ローファイで落ち着く音、それが僕が、Tonerider AO-1に助けられている点だ。

それは、たとえ「理想の音」ではなかったとしても、ひとつの「運命の音」ではあるのかもしれない。

いずれにせよ、これだけの最新高級のペダルと比較しても、「俺はやっぱこっちでいいかも」「やっぱこれが俺の音かな」と思える、そんなペダルに出会えたのはギタリストとして幸運かもしれない。

そんで、メインで使っている、水色、紫、ピンクのAlbit/Cranetortoiseに関しては、もっともっと天文学的に幸運だったろう。あれは、作られた数も、生産、流通していた時期も限られている。

そんで、うちには、他にも、Cranetortoiseのペダルで、「まだまだ使えそうなやつ」も結構あるのだ。それらはだいたい、やっぱりいろいろな高級ペダルと比較しても、「こっちのが好み」と言えるものだろう。

そんなわけで今日のところは「俺やっぱToneriderでいいや」になってしまった。
残念なことではある。だけれども、貴重なことであるかもしれない。

かといって、数ヶ月後に、今回試したペダルの中のものが、何かしら僕の足下に無いとは、決して言い切れないが。

ちなみに、今日、もうひとつ興味深かったのは、3、4軒まわった楽器屋さんのうちのひとつ、まあシブヤの鍵さんなんだけど、試奏用のギターに、シリアルからして2000年代初期くらいと思われるBacchus Duke Standard(メーカー名は剥がしてあった)があった、ということだった。オイルフィニッシュだからひょっとして、と思ったが、ヘッド裏のシリアルの書き方や番号から、判別できたものである。というか店員さんに聞いたけどね。「確かバッカスだったと思います」って。

その頃はたぶんまだ、ホンジュラスマホガニーで作っていた頃ではないかと推測する。試奏用として置かれているもので評価するのはフェアではないとは思うが、僕の正直な感想としては、現行のアフリカンマホガニーで作られたものの方が、面白い音がするように思う。

ヴィンテージに使われていたということで、ホンジュラスマホガニーこそが最高、と言われているが、やはり一部で言われているように、ホンジュラスマホガニーは、うまく作ればMajestic(なんか偉大)な音がするが、そうでなければ特徴のないつまらない音になってしまうのだろうか。アフリカンマホガニーの方が、実際にはポテンシャルがあるということなのか。あるいはBacchus/Deviserさんとこの製作や商品開発が、年月を経るにつれて向上してきたのだという可能性も、あり得るな。そうであれば、大変なことだと、思う。大変、というのは、それはもう、すごいよね、という意味で。

というわけで、たかだかギターのオーバードライブのペダルひとつでさえ、こんな具合なのだ。世の中に、エフェクター、オーバードライブなんて、何万種類あるかわからないくらい、あふれているのに、である。

同じことは、ヴォーカル用のマイクに関しても、書こうと思っていることが、今、ネタとしてある。

だから、人間ならなおさらである。人生のパートナーであればなおさらである。
今、しっくりくる相手が身近に居るのであれば、きっとそうそう、離さない方がいい。
人間が何億人いようが、本当にしっくりくる相手は、この時、この場、この人しかいないかもしれないのだ。結構、そんな気がしてきた。

No(4655)

■…2016年 4月 7日 (Thu)…….ヴィンテージは自分で作る
おかげさまで、録音について考えることが、まるで自宅録音を始めた最初の数年の頃くらいに多くなっている。
考えているというよりは、考え直している、ということだと思う。
ベース録音は、もうあと1曲を残すのみで、それが終われば自分の出番となり、ギター録音に入るのだが、Stryperの来日というビッグイベントが控えているので、実際に録音にとりかかるのはもうちょっと後になってしまうだろう。

さて、マイクプリアンプなんてものについて「考える」だけでも何年ぶりだろうか。
昔は、それこそ一人録音をやって、それからバンドを結成した頃は、それなりに良いマイクプリも持っていたし、何種類か持っていた。

それから、あれを売り、これを売り、「もう録音とかしないから」と、なかば投げやりなスタンスで。
それからは毎回の録音プロジェクトを、昔に買った古いオーディオインターフェイスの内蔵のマイクプリをそのまま使って済ませている。

果たして、それでいいのか、ということを、この機会に考えてしまっているのである。

さて、どこかの親切な人々、(まぁ商売なんだけど、それにあのお店だし)、が、このような便利なチャートを作ってくれている。

こちら

ここで聴けるいろいろなマイクプリの音を聴きながら、「ヴィンテージサウンドとは」ということについて、考えてみようではないか。

果たしてヴィンテージとは、どういうことなのか。

この際、Neveがどうとか、真空管がどうとか、そういうのはどうでもいい。

ヴィンテージ、それは、普遍性への憧れ。
決して変わらない、真理とも言える普遍性、不変性。

すり切れたジーンズ、ぼろぼろのラッカー塗装、刻まれた老人の皺、ウイスキーの琥珀。

この世のすべての物語が、およそ突き詰めれば、それはキリストの救いの物語へと収束してしまうように、
普遍性なんていったって、そのおおもとは、神である以上、
1950年代とか、1930年代とか、分野によってヴィンテージとされる年代はあれど、
僕らがそこに求め、憧れるのは、何千年、何万年、何億年という、悠久。

神を、聖書を、古代を、そしてはるか未来を、そこに届けとばかりに、憧れ、追い求めるのがヴィンテージ。

そして、一人の人間で言うならば、それは幼い頃に見た光、幼い頃に見たきらめき、幼い頃に感じたぬくもり、幼い頃に感じた匂い、あるいは生まれる前に確かに聴いていたあの音。
少なくとも僕はそうだ。

だからこそ、こんなのは当たり前だが、
ヴィンテージの機材を使うことと、ヴィンテージな音楽を作ることは、別のことだ。

ヴィンテージな音楽を作るのは、人間であり、その人間の情熱だからだ。
時を越えて普遍へとたどりつき、クラシックとして時空に刻み込むべき「記録」を作り上げるのは、情熱の炎であり、なによりも意志の強さだ。

だから、ヴィンテージな機材を使えば、ヴィンテージな音楽が作れるわけじゃない。

ヴィンテージな機材を追っかけている君らは、果たしてヴィンテージな音楽を作っているのか。

果たして、僕は嘆くべきか。

自分の境遇では、このような、世間に出回っている、「良い」とされているマイクプリアンプを、使うことは現状ではできない。

果たして、僕は嘆くべきなのか。
「こんな、古い安価なオーディオインターフェイスに内蔵されているようなマイクプリでは、素晴らしい作品など作れるはずがない」と。

「それを証拠に、一昨年録音した”Revive The World”も、ひどいサウンドだった」と嘆くべきだろうか。(SpotifyなりApple Musicなりで聴いてみてほしい)

俺の作った”Heaven’s Gate”という曲は、その昔、ドイツで有名プロデューサー、元Heavens Gateのあの人に録ってもらった時のサウンドに、遠く及ばないのか。

そのギターサウンドは、録音機材の限界を越えて、みしみしと空間をきしませることが出来るのか、出来ないのか。

それは、自分自身の耳で聴いてみりゃいい。

音というのは、難しい。
商業音楽で、標準とされている音。
その基準も時代とともに、どんどんと変化する。

その標準を基準に、美人コンテストのようにして、良い音を決めるのか。
自分の恋人はどうやって探すのだ。
自分にとっての良い音とは。

そして世界中の有名無名のミュージシャンがたくさん、気軽に、安価で高性能な機材で録音をするような時代になって、
そんな中で、あふれかえり、とびまわっている機材の中から、いったい何を信じて良い音というものを判断すればいいのか。

そもそも前提になってるものが、間違ってたりしないか。

ヴィンテージサウンドに対する答。

俺は持っている。

みんな、いちばん大事なことを忘れてる。

ヴィンテージの機材とか楽器を欲しがったり、使ったりする前に。

自分自身がヴィンテージであるべきだ。

価値観を磨くべきだ。

歴史を刻むべきだ。

意志と努力を積み重ねるべきだ。

さて、とにもかくにも、最近、録音作業を前にして、こうやって日記の文章を書くことが多くなっている。
Facebookポスト、とすら思っておらず、自分のウェブ日記に記載する文章を、ついでにFBにもポストしておくだけであるが、うざったくてすみませぬ。

こんなふうに文章を頻繁に書くのは、僕は昔はそうだったが、近年、歳をとってからは、あまり無いことだった。
これは、近年うちのバンドも、ライヴも本数少ないし、引きこもりがちになっている、また世間との接点が減っている、ということでもある(泣)

よくない傾向ではあるものの、音楽を作る、音楽に向き合う活動そのものは、まったく衰えていないどころか、より充実していることは書き記しておきたい。

そして、自分はもとよりうちの人たちも、もともとがひきこもりがちな人々であるうえに、近年の僕のファイバリットバンドの中にXTCのようなバンドがあることからも、引きこもって世間と距離を置いた上で、音を編み上げることに向き合いたい、という、この状態は、案外既定路線でもある。

しかし、僕らは必ず戻ってくる。
必殺の奥義を携えて(笑)

そこんとこよろしく。

No(4656)

■…2016年 4月12日 (Tue)…….Eventide T-verb
ここ1、2年の間に、いくつかのプラグインを試してみて、Eventideというメーカーにずいぶんimpressされている。
それはつまり、この前の年末年始のあれこれでいろいろなリヴァーブをひととおり試してみた中でも、やはりその中でもEventideのUltraReverbが自分としては非常に良かった、それはつまり、基本がしっかりしていてどのようにいじっても破綻せず、目的の音を出す結果につながった、ということ。

そしてこれも某バーゲン期間に入手したUltraChannelも恐ろしいほどに良い。
(もっと早く出会いたかったが)
UltraChannelは、コンプレッサー2種類とEQとディレイと簡易ハーモナイザーが付いているだけ(?)のチャンネルストリップだが、そのどれもが、クオリティが得体の知れないレベルでやばい。たとえばEQだけとってみても、他社のどのEQのプラグインよりも、はっきり言って良い、というくらいに良い。

というような体験から、Eventideというオーディオメーカーに随分良い印象を持った。
それはつまり、自宅録音が一般的になって、世界中のインディーミュージシャンが、いろいろな機材といろいろなプラグインを使ってそれぞれにあれやこれやの音を作るようになって、音の価値観も大いに変わり、そんな時代にあって、いまだにブレない、業務用ライクで、堅実というか真にプロ仕様な感じのツールを作っている、という印象である。

まあ、それが良いか悪いかはわからない。僕はしょせん80年代メタルとか70年代ハードロックが好きな人間だし、新しい時代の新しい価値観による音が作られていくことは良いことには違いないし。そんな時代にあって「プロフェッショナルな音」なんていう価値観は、とっくの昔に多様化の中で消えてなくなっているわけで。

まぁそういう意味でいってしまえば俺だってプロフェッショナルな音なんて1ミリも目指していないわけで(笑)

Eventideなんて言えば、元ギターキッズの記憶から言えば、ギター雑誌を読む中で、ビッグネームのギタリストが使っているラックエフェクトのイメージ。そしてかの有名な「ハーモナイザー」のイメージしかなかった。それはつまり、一般的なEventideのイメージは、かなり飛び道具的な派手なエフェクトを作るブランド、というイメージが浸透していたと思うし、そう推測する。

だけれども、こうして今、こんな時代の中で、僕個人がUltraReverbやUltraChannelにさわってみて感じるのは、Eventideは実に堅実な、どちらかというと地味な、基本のしっかりした音を作るオーディオメーカーであって、その堅実な基本の上におそらくは派手なエフェクトの開発が成り立っていたのだろう、という感じ。

いずれにせよいろいろとある「老舗」ブランドの中でも、「業務用」レベルで信頼できる数少ないブランドのひとつだと思うし、たとえば僕が自分のバンドで、もうちょっと大きな、プロ仕様のレベルが要求されるステージに立つとしたら、たとえばギターのエフェクトにしたって、Eventideのペダルのいちばん高いやつを買って足下に置いておくだろう。もっとも僕が使うギターエフェクトなんてほんのいくつかに限られているので、その搭載されている機能のたぶん10%も使わないだろうが。(そしてそんな高品位のエフェクトが、ペダルサイズに収まるというのも現代のデジタル時代のびっくりする現実である)

最近、Eventideのウェブサイトを見たら、全然知らなかったんだけど、コンパクトサイズのマイクプリアンプというのか変則的な多機能DIを出していることを知って、おそらくはそれが「見た目以上の何か」であることを予感し、欲しくてしょうがなくなっているのだが(汗)

そんなEventideから、ほんの数日前にリリースされた、新しいリヴァーブのプラグインがあるようだ。
このTverbってやつは、なんでも、David Bowieの”Heroes”のアルバムで使われたリヴァーブを再現したもの、とのこと。

こちら

で、実は既にデモ版をインストールしてちょっとだけいじってみたのだが、これはやばい。

要するに、広いホールにマイクを3本立てる、という、それだけのことなのだけれど、これは、なんだか今までの「リヴァーブ」というプラグインエフェクトに比べて、発想が違う。

つまり、マイクを3本立てて、いろいろやりまっせ、という、ことが、手軽にできる、たったそれだけのことなんだけれど、これが実際のところ、リヴァーブというエフェクトの考え方を変えてしまうようなツールだ。

つまりこれは、どうしてもリヴァーブのエフェクトに付いて回った、残響は付けたいのだが、原音がどうしてもぼやけてしまう、という問題に対するEventideなりの解答とも取れる。また、より自然な残響という意味で、現代の主流になっているコンボリューション式のリヴァーブに対する、老舗デジタルエフェクトメーカーからのアンチテーゼ的な解答でもあるだろう。

そして、よりキラキラして輪郭をはっきりさせるような現代の新しいリヴァーブサウンドに対する、Eventideの解答というか、違う方向性への進化というか、リヴァーブというエフェクトの進化を考えるに、プロセスの仕方をそもそもの発想の部分から変えてみた、という部分で、これはかなりジーニアス(画期的)だ。

そして、そんなところにDavid Bowie(とエンジニアのTony Vinconti)の名作をインスピレーションとして持ってきた、というのもすごい話だ。

ひとつ言えば、これはセンドで送ってかけるような、一般的なリヴァーブの使い方には必ずしも向かない。
なぜならこれは、David Bowieのヴォーカルに使われたように、あくまで主役を目立たせるための「主演俳優」リヴァーブだからだ。

もちろん脇役にかけたって、面白い効果を出せる能力は十分にあると思うけれど、その真価を発揮するのは、やはり中心となる主役の楽器/歌手に対して使う場合だろう。

で、はっきりいって僕のパソコンの基準からすると、このプラグインはちょっと重い。重過ぎるってほどじゃないけれど、「うーん、ちょっと重いな」くらい。
たぶん、ここ2、3年で作られたもっと新しいパソコンだったら、ほとんど問題ないくらいだと思う。

だけれど、ひとつ良いのは、このTverbの、その主演俳優的な使い方から考えて、たとえ重かったとしても、ファイルを書き出して処理する(いったんバウンスしてしまう)ことがしやすいだろう、ということ。つまり、センドで使うよりも、特定の音源にインサートで使うことの方が多いだろう、ということ。そうすれば、重さは問題にはならない。

ミックスの中で使って、どうなるのか、まだわからないけれど、たぶんこれ、正統にして画期的な、リヴァーブの進化形のように思える。

そんでまた、Eventideのウェブサイト見ると、プラグインの定期購読のサービスも始めたようで、おいおいAdobeじゃないんだから、って(笑)
でも、定期購読だったら初期投資もちょっとしかかからないし、音楽やってる友人におすすめできますね。まあハーモナイザーを始めとしてこんなの使いこなせないよ、っていうの多いけどね(笑)

でも、まだ数えるほどしか使ってないけれど、すでに思う。You can’t go wrong with Eventide products. って。

No(4657)

■…2016年 4月13日 (Wed)…….インスタに書いた言葉
その先に天国があるかどうか。宗教家が気にかけるべきは詰まるところその一点にあると思う。宗教音楽家のはしくれである自分も、たぶんそんな感じだ。
#god #christianmusic #readthebible #doyoubelieve #doyoureallybelieve

神を信じるためにはまず神に出会う必要がある。思うにこれは結構ハードルが高い。因みに神を憎むためにも神に出会うか、少なくとも感じる必要がある。これも案外ハードルが高い。
#god #christianmusic #readthebible #doyoubelieve #doyoureallybelieve

いずれにせよ今度の録音が終われば僕たちにとって[鍋島]の季節が訪れる訳だが(その前に[シマシマ]の季節が来るかもしれないが)、より本当の意味で神に出会い、理解する季節にしたいと思っている。
#thisisselfie #bestselfieever #iknowimbeautifulthanks

No(4658)

■…2016年 4月13日 (Wed)…….運命の恋人に再会したような
そういうわけでインスタにアップした写真からもわかるとおりだが、マイクを調達した。なんというか、かつて持っていたマイクを取り返したというか、「かつて所持していたマイクの後継機種」を安価にてゲットしたという感じだ。
インスタの投稿に「まるで古い恋人に再会したような気持ちだ」というようなことを書いたが、それは確かに偽らざる気持ちである。

それはCADというメーカーのマイクだが、これからおもいっきりブリティッシュ風味な様式美ヘヴィメタルの作品を作ろうというときに、めちゃくちゃアメリカンテイストなマイクを手に入れてしまうのだから、間抜けといえば間の抜けた選択かもしれない。

しかしアメリカンサウンドだの、ブリティッシュサウンドだのという言葉も、「ヴィンテージ」なんちゃら、というのと同じくらいに曖昧な言葉だ。
人間、意識してやろうと思ってやることと、実際に成し遂げてしまうことは結構別なのであるからして、「アメリカンサウンドを目指すぞ」とか「ブリティッシュサウンドに近づこう」とか言ってもがきつつ、うまいこと独自の「ジャパニーズロックサウンド」が作れたら、それがベストなのは言うまでもない。

またここ一週間、二週間くらいで、自分のコレクションの中から古今東西の名作ロックアルバムをいろいろと聴いてその音質とかを学ぼうとしたが、ことにここ何年かでリリースされた作品の中では、正統派というにはあまりにも正統派なロックのレコードとして、Vandenberg先生のMoonkingsアルバムは、ギターサウンドからしても、録音状態からしても、まさに教科書どおり、お手本と言わざるを得ない出来だ。

ただ、お手本にしようにも、ここまできちんと、「ヴィンテージ」(ここでは本来の意味で)サウンドを形にされてしまうと、これを真似するにはギターにせよ録音機材にせよ本当の本物のヴィンテージが必要になるので、お金がいくらあっても足りない以上、やっぱりお手本には出来ない(涙)

しかしもちろん、ロックという音楽においては、機材の良し悪しよりも情熱とハングリーさの方が重要(なはず)であるので、そこは自分たちのやり方でやるしかないのだ。

話がそれたが、マイクの話だ。

僕は確か1998年にいちばん最初にパソコンを使った自宅録音を始めた際に、始めてからほどなくして、そのマイクを手に入れた。CAD社のマイクを。そのマイクが、どれほど当時の自分に合っていたもので、素晴らしいものだったかは、たくさんの言葉を使わないと説明できない。

どちらにせよ、Imari Tonesの名義で、ウェブサイトの作品ページにのっけてあるアルバムのうち、”Prototypes”から”fireworks”までの作品すべては、そのマイクを使って録音したものだ。正確に言えば、ギターの録音と、ヴォーカルの録音に使っていた。(もちろん、ギターに関してはShure SM-57も使い分けて併用している)

で、僕はそれを、確か、2006年から2007年にかけての色々の際に、売り払ってしまった。それなりの値段で売れたと思う。

“Japanese Pop”の録音は2006年いっぱい、あとは2007年初頭くらいまでかかって行っていたけれども、あれは「有名プロデューサー氏」お二方に録ってもらったものだった。

そのうちの東京で行った録音に関して、ヴォーカルマイクは当時販売されていたAKGの真空管タイプのマイクだった。当時そのスタジオで同時期に録音されていた先輩の女性シンガーの方には、そのマイクは非常に合っていたと思うが、僕の声には正直必ずしも合っていなかった。色々の理由で当時僕はヴォーカルが人生でいちばん絶不調の時期だったこともある。

ドイツで録ってもらったやつに関しては、どんなマイクだったかは、すでに覚えていない(笑) だが、「すげえいいやつ」だったに決まっている。GrooveTube製のマイクだったような気がしているが記憶違いだろうか。

そして、その時期にちょっと引っ越ししたこともあり、その2006-2007年前後のあれこれで機材を結構売ってしまった。
それはつまり、「もう録音とかいいや」みたいな気持ちだったのである。
「もう録音とかしないだろうし」っていう。
僕はいつだってバンドをいかにしてやめるか、としか考えていなかったし。
とにかく身軽になりたかったというのもある。

この時期と前後して、所有していた自慢のマイクプリアンプも売り払ってしまっている。
もっとも、小型のやつだけは、もう何年か所有して、”Victory In Christ”の録音にはそのマイクプリは使ったのだけれど。その小型のマイクプリ2台も、”VIC”を作った後に、同じく売ってしまったのである。

で、その後の録音をどうやってやっていたか。

マイクに関しては、”Welcome To The School”の録音は、Dr.Manzoの所有スタジオで行ったから、それはDr.Manzoの所有していたRODE NT-1で普通に行った。リーズナブルなマイクとして21世紀定番であるRODEのNTシリーズだが、僕はこの時初めて使ってみた、ということになる。で、結果は悪くなかった。「十分良いじゃん」という感じ。

で、その後、”Victory In Christ”以降は、録音する時にリハスタでレンタルされているマイク、大抵は同様にRODE NT-1Aか、NT-2A、ときにはNT2000なんていうのもあったけれど、それを使っているわけだ。

ジーザスモードの録音のときに、いっぺんSennheiser mk4っていうのがあって使ってみたけど、熱きリョウのヴォーカルにはよく合っていたな。

で、そんなふうに、スタジオのレンタルのRODEマイクを使って録音やってきた、というのは、レンタル料金かかるんだけど、毎回、「きっとこれが最後だからいいや」と思って、「きっとこれが最後だから、わざわざマイク買うまでもない」ということで、レンタルで済ませてきたのだ。その方が、荷物も少ないし。

ところが、Victory In Christ、Japan Metal Jesus、Heroes EP、Revive The World、と、ジェイクが加入してからも、作品を重ねてこれだけ作ってきてしまったわけである。

それらを作るのに、かかったマイクのレンタル費用で、とっくに高いマイクが買えている(笑)

で、今度こそ最後になってもおかしくない(まあ、鍋島というプロジェクトが控えてはいるが)、この局面になって、「うん、やっぱマイク調達しよう」と、やっと重い腰を上げた(笑)

実際のところ、RODEのNT-1AとかNT-2Aとか使って作ってきた作品も決して悪くはない。NT-1Aとか、ハイが不自然に派手、とか、言われているが、実のところ、かといってそうハイファイってわけでもないのだが、かといってやはりハイは派手なのだが、結局のところ、標準的なヴォーカルを録るマイクとしては、やっぱり定番なだけあって、ちゃんと結果は出るのだ。

だから、「あちゃー、あんな安価なマイクで作品いくつも作っちゃった」みたいな後悔は、まったくない。むしろ、それだからこそ作れた、という気がしているのが本当のところだ。

実際にはジェイクが加入して「クリスチャンメタルバンド」としてのImari Tonesの活動が始まってからは、バンドらしくライヴ活動とか、アメリカにツアーに行ったり、という演奏活動の方に力点が置かれていたこともあり、録音に関しては良い意味でこだわらない、というか、「手元にある最小限のものでやればいい」という考え方で取り組み、それで実際に良い結果も出てしまっていたのが事実だ。
(たとえ、安価なオーディオインターフェイスの、決してハイファイとは言えないマイクプリをそのまま使って録音したとしても、だ。むしろその周波数レンジの狭さが、アナログ的な生々しさと迫力につながったと思う。だからロックは難しい。)

で、その「めっちゃアメリカンなマイク」である。
その、かつて使っていたCAD社のマイク。その品質の素晴らしさは十分に知っていた。
どちらかというとちょっとマイナーなブランドを選んでしまうのも僕の習性だ。

ただ、かつての僕の作風、かつての僕の声に合っていた、とはいっても、今の僕の音楽性、今の僕の声に合うとは限らないわけで、そのあたりはちょっと賭けではある。

昔使っていたモデルそのまま、というわけにはいかない。
というのは、2000年代の前半に、すでにCAD社はモデルチェンジをしていたからで、思えばその当時持っていたモデルは、非常に貴重なものになっていたのである。
ここへきて、売ってしまったことを後悔。

してももちろん先には立たないし、売ったお金は確かにその時、道を切り開くのに必要だった。
そして、売ってしまったからこそ、RODEの定番マイクで、「標準的な音の」作品をいくつも作ることが出来た。

で、そろそろ、その自分の運命のマイクを、再び取り戻そう、と思ったわけだ。
いい歳になってきたし。

ただ、今、手に入るのは、あくまで昔持っていたモデルの、モデルチェンジした後継機種である。うまいことに、数年前の再モデルチェンジで、ひとつ前のモデルの、ちょっと許せない見た目というか色、が、ぐっと好みになり、昔のモデルに近いルックスになった。というか、形が多少スマートになたぶん、むしろ昔のモデルよりも好みの見た目になってしまった。これはたぶん、神の導きに違いない。

問題は、その現行の後継機種が、昔のモデルと同じ音を出してくれるかどうかだ。(いや、マイクだから、同じ音を拾ってくれるかどうか、と言うのが正しい)
CAD社は、かつてはアメリカ国内の工場でマイクを生産していたが、その2000年代前半あたりのモデルチェンジに際して、時代の流れによって生産の拠点を中国に移している。ごくごく最近、一部モデルをアメリカ本国で再び生産を始めて評判になっているようだが、僕が欲しいその後継機種はやはり中国製である。果たして、中国で作られたそれが、かつての栄光あるアメリカ製と同質の音を鳴らして、いや、拾ってくれるものか。

だが、そのぶん、値段もかつてにくらべて、はるかに下がっているのも事実なのだ。これは、生産国の違いだけでなく、時代のせいもあるだろう。その昔、RODEがNT-2を発売した頃、それがたとえば、5万円とか、そこらで買えたことに、世界は驚いたのである。しかし、今では、一万円で変えるコンデンサーマイクなんて、ざらにある。時代は、すでに変わりまくっているのだ。

結果的に、かつてのほとんど、4ぶんの1の値段で、「かつての愛用のマイク」を取り戻すことが出来た。

肝心の音であるが、
で、結論から言えば、おおむね期待どおりだったと言っていい。
ひょっとするとかつてよりもハイが派手に、なっている気もするが、
それでも、そうはいってもやっぱり芯のあるしっかりした低音をひろってくれる。
ここ数日のうちに、ちょっとテストを重ねてみたものである。
今更にマイマイクを取り戻そう、なんて思った動機のひとつには、アコギを録音するときに、わざわざスタジオまで出向きたくない、家で録っちゃいたい、ひいてはそれが節約にもなる。お金だけでなく精神的にも節約になる。と思ったのだ。

どちらにせよ、RODE NT-1Aと比較すると、(値段はともかく)音質的には大幅なアップグレードであるのは間違いないので、今回の”Jesus Wind”の録音において、きっと大きな働きをしてくれるはずである。

どちらにせよ今回の録音ではスタジオを取るときに、「マイク空いてますか?」と電話口で聞く必要はなくなったので、それは精神的にちょっと楽なことなのだ。

No(4659)

■…2016年 4月14日 (Thu)…….Fallen
[個人的な悲報] 僕がスケートを始めて3年余りずっと愛用してきたスケートシューズFallen Footwareがついに無くなるそうです。ファッションにもスニーカーにも興味のない僕が、人生で初めてこんなに好きになれた、それくらいしっくりくるスニーカーでありスケートシューズでした。
奇しくもStryperが”Fallen”というアルバムのツアーで来日したこのタイミングで、こっちのFallenが文字通りFallしました。
最後にもう一足買うことにします。海外のサイトから個人輸入する日々もこれで終わりでしょう。これから何を履いてスケートすればいいんだろう。
こちら

No(4660)

■…2016年 4月15日 (Fri)…….ヘヴィメタル、だからして、ベビーと書いてもライムしない、ゼッタイ。
あんまり流行っているものだから、非常に遅ればせながら、Babymetalを3、4曲聴いてみてしまった。たった3、4曲で何がわかるってものでもないと思うが。

何年か前に、ヘヴィメタルのフェスにどこかのアイドルグループが出演した際には、かなり批判的な意見を持った記憶があるが、つまり、ああ、これでヘヴィメタル終わった、みたいな。
だけれども、よくよく考えてみれば、その時すでに少なくとも僕の考えるところの「ヘヴィメタル」なんてものは、とっくの昔に終わって跡形もなくなって久しかったのだ。終わりまくって2周くらいした後だからこそ、ああいうことが起きていたのだ。ちょっと冷静になって考えてみればわかることではあった。

そのせいってわけじゃないが、「メタルが好きなようで実はそれほど好きでもなく、かといってやっぱりそれなりに好き」な僕ではあるが、今回のBabymetalに関しては、一人のメタルファンとして比較的好意的に、「いんじゃない」くらいに考えている(笑)

女の子アイドルグループがヘヴィメタルバンドのフロントをやる「色物感」については、実のところそんなに違和感はなく、つまりはかつてのオジー・オズボーンにせよ、KISSにせよ、ヘヴィメタルのヒーローたちはむしろ常に「色物」であったのだから、オジーの代わりに女の子たちがステージに立っていると思えば、むしろこれこそがヘヴィメタルという芸能の本道じゃないかと思えるくらいだ。

そしてこのアイドルという媒体ないしは受け皿の中で、非常にプロフェッショナルなエンターテインメントを構築するこのステージは、まさにそうした昔からある日本のアイドルという芸能の伝統というか王道そのものに見える。

アイディアくらいは誰でも思いつくものかもしれないが、実際にやってしまい、こうして世界的に注目されて非常に高いクオリティの音をはじき出しているBabymetalというグループだけれども、思えば「アイドル」なんていうものは、昔から(知らんけど、70年代とかから)日本には存在していたものであり、その意味では日本にはこういう女の子のアイドル歌手、アイドルグループ、というポップミュージックの伝統みたいのがある。それが21世紀的な秋葉原系の萌えとかそういう要素と結びついてしまうことに関しては、一人の男としては不満がいっぱいあるけれど(つまり、そういうアイドルを可愛いと思わない)、それはまた別のトピックだ。

だからそうした日本のお家芸であるアイドルが、ヘヴィメタルと結びついて、共に閉塞状態にあった両ジャンルの中で風を起こしているのであればそれは喜ばしいことだ。

なぜ日本にこうした「若い女の子のアイドル」みたいなのが昔からあるかといえば、それは、まぁ欧米にも少なからずあるとは思うが、ずいぶん性質が違うと思われ、それはつまるところ、体格や体質の違いであると思う。言わなくても当たり前のことだが。つまり「萌え」とか、そういう少女趣味的なアイドルの魅力が成り立つのは、日本人の女の子だからこそ、と言える。まあこの件については突っ込むとややこしくなるし身体性とか時代性とか含めていくらでも長くなるから省略する。コスプレとかやったことないし。(バンドごっこのコスプレならいざ知らず。あとは社会人ごっこでスーツ着るとか。)
まあでも結論から言えば、大きな体格の外国の人たちだってアニメの格好でコスプレをしたい、と思う人たちがいっぱいいる時代だ、ってことだと思う。

そういう意味で、いつのまにかこの日本のポップカルチャーは萌えで世界をリードしていたのだろう。俺は門外漢なのでぜんぜん知らんが。

だから、Babymetalに対しては、「こんなのメタルじゃない」と思うよりは、どちらかというと、「これってむしろメタルの王道なんじゃ」という感慨の方が強い。

萌えとかアイドルとかそういう下地の他に言えば、こと21世紀になってからの日本のメタルは、やはりこれも秋葉原系カルチャーとの接点によって、音楽的にもかなりポップ化していた(適切な言葉が思いつかないが)、なんというかJ-Pop化していた、もっと言えばアニソン化していた、という下地も多いに関係していると思う。
だから、たとえば日本人は昔からユーロビート的な軽快なダンスミュージックが好きな民族だったが、そのJ-pop式のビートやメロディと現代メタルサウンドの組み合わせは、たぶんとっくに既定路線になっていたものと思われる。

だから、Babymetalに関して言えば、「やっと出て来た」と言うことも出来るし、「満を持して時代に出て来た」と言うことも出来るだろう。だから最先端と呼ぶよりは、ようやく熟した必然、と呼ぶ方が近い。

どちらにせよ、僕は基本的にアイドルの曲は好きじゃないし、街中とかメシ食ってるときに、アイドルの曲が流れると閉口するが、
それらのアイドルの世界にこうしたメタルのサウンドが「浸食」したと思えば、それは悪いことではないし、それはたぶん確実に僕が街を歩いていて気分を損ねる回数が減るということだ。

どちらせよ、BabyMetalが流行って、僕が損することよりも、得することの方が、たぶんよっぽど多い(笑)

自分もしがない自分のメタルバンドで、小規模なりに世界をターゲットに音楽を発信しているが、僕らのバンドのファンになってくれる外国の子たちは、その中の多くの割合が、こういうアニメとかアイドルとかの日本のポップカルチャーに興味を持っている子たちだ、という事実も、もう何年も前から知っていることだ。

その意味では、これは僕らには追い風にしかならないので、BabyMetalさんにはどんどんと世界進出していってもらいたいものだ。

んでまあ、地味に、真面目に、しがないヘヴィメタルバンドをやっている身としては、
先述したように、BabyMetalをヘヴィメタルとして認めるか認めないかで言えば、俺は認める、という意見だけれど、
かといって決して、それだけでないのも、やはりヘヴィメタルだ。
そんなに甘いものでもなければ、底の浅いものでもない、ということだと思う。

いろいろだね。

社会学的には、新しい音楽と呼べるかもしれないけれど、
そして、そういうことは、このグローバルな21世紀の世の中、どんどんやるべきだし、どんどんこういうことが起こってほしい、と思っているけれど、
けれども、ソングライターとして本質的に、新しさを感じるものでは、やはりなかった。

でも非常にクオリティの高い商業音楽であることは間違いない。

まったく話は変わるが、どなたかがタイムラインにシェアしておられたので、日本の昔のバンド、ボ・ガンボスっていうのをちょっと聴いてしまったが、凄いね。
ドラマーの人なんか、ストーン・ローゼズのレニよりも凄いくらいじゃないか。バンドとしてもストーン・ローゼズよりも上じゃん、って思うくらいだね。つまり、ロックンロールそのものへの迫り方が。

ブルーズもなんだけれど言葉は知らないがルーツミュージックっていうのか、日本人ながらそういうのに迫れる力量も凄いと思うけれど、
思うに日本人には決して本場ではない門外漢の立場から追求していける強みがあるのだと思う。
それは欧米もそうだけどそういった本場の伝説たちに憧れ、本気で尊敬することが出来るってこと。
落差のぶん志が高い。

そして、日本はガラパゴスなんていう言葉もあるけれど、ポップカルチャーとしても、文化とか気質とかから言っても世界の中で独特の、独自の文化圏つーか文化体系を持った国なので、そこから出ていって、別のものを吸収できるっていう強みがあると思う。つまりは理解がすでに二重構造になっている。
これは仏教とか東洋思想をふまえた上で(いわゆる西欧の)キリスト教文化を学ぶことができるという意味で、宗教の上でも言えることだ。

もちろん、決してナチュラルに本場の人にはなれないというハンデはあるが、そのへんは結局、どこの人だろうとも最後には才能だろうとも思う。

そんで、もっと言ってしまえば、結論としては日本人の本当の強みは、この世界にもたぶんあんまし例を見ない、超高機能言語である「日本語」という言葉の世界に生きていることだと思う。
(もちろん、ある面ではそれがハンデにもなっている)

さらっと書いたけど、結構、俺は、本気でそう思っている。

はじめに言葉があった、言葉は神であった、っていうくらいだからさ。

すごい力があるんだよ。言葉には。

日本語すげえ。

そうそう、ひとつ書こうと思ってたことだけど、
アイドルだの、アニソンだの、J-popだの、っていう話題を書いたけれど、
今、ひとつあたためてるプロジェクトがあって、それを実際にやることになるかどうかはまだわからないんだけれど、
もしそのプロジェクトを、走らせることになるんであれば、俺は今度は本気で「アニソン」やってみようと思う(笑)

その手のものに縁がなかった自分たちであるが、いよいよそういったJ-pop、J-rock、アニソン的な文脈が、世界規模でも通用する状況になってきたし(という打算的な考えです)。

ただ、アニソン、なんていっても、ヒーローの歌、ってことでしょ。それは、それこそ熱きリョウじゃないけれど。
ヒーローとは、どうあるべきか、って、そう考え出したら、はんぱなアニソンはやらんぞ、やるなら本気でやってやる、と思う次第なのです。

No(4661)

■…2016年 4月17日 (Sun)…….災害マーケティング
こんな折ですが(Stryper最終日、大変な災害、日曜礼拝)、言葉が降りてきたので再度告知。

120点の演奏を1回きり行うよりも、80点の演奏を毎晩やるのがプロ。
100人中3人にしか理解されないものよりも、100人中97人に伝えるのが大手のマーケティング。

では、あなたのためだけの、120点の演奏が聴きたい時は?

アンダーグラウンドなミュージシャンを見に行きましょう!

いまどき、みんな、レベルすげえです!

告知
4/19(火)
新橋ZZ ナカミネタカヒロ アコースティック
共演: B.D.Badge、つるかめ兄弟、宇宙詩人アトム

4/30(土)
町田Nutty’s 伊万里音色
共演: ソルフェイ、GeeBars、三木ヒロキ、Peter’s Chicken Party

5/3(火)
新橋ZZ 伊万里音色
共演: B.D.Badge、Dragon Cry、Marugan Blues

あなたのためだけの、一晩かぎりの120点の演奏に、挑みます!

ここで一句。

この世が天国だなんて思っちゃいない
キリストさんだってはりつけになった
死んだらそこはパラダイス
死ぬまで生きてやるだけさ
それが信仰というものさ

No(4662)

■…2016年 4月19日 (Tue)…….なぜかStryperのマイケル・スウィートにインタビューする羽目に
某クリスチャン系メディアの記者をやってる知人のためにマイケル・スウィートのインタビューを取ってくるという大技を達成(笑) この写真はその副産物。バンド側がピリピリして大手メディアの取材もかなり断ってた(らしい)中、ひょっとすると貴重なものかもしれない。
So basically I have a friend working for Christian Today Japan and I did a little interview with Michael Sweet on behalf of them. This photo is a little by-product of that. We did a little “business chat” though. God only knows how that will turn out.

記事これ
こちら

インタビュアーとして名前クレジットしてもらった。ありがたいことです。照れるけど、一応、ばたばたした中でインタビュー取ってくるという仕事はしたので、プチ露出としては、ありかな。でも何よりも、ストリートチームを一生懸命やってるうちの嫁さん見てて、今回のコンサートを通じて、いろんな人々のいろんなドラマがあって、皆さんがハッピーになったのであれば、本当にそれはすごいことだと、思ったよ!

No(4663)

■…2016年 4月21日 (Thu)…….Aging well
ロックバンドにとって、うまく歳を取るということは、思いのほか難しいことらしい。年を取る、というか、age wellというのだろうか。

思えば現在ニュースを騒がしているAC/DCの件もそうだが、あのAC/DCをして、晩節がなんだかおかしなことになってきていることからも。

昨年からちょっとファンになってはまっているとあるドイツのバンドがあるのだけれど(ポップバンドですが)、そのバンドの「晩年」(っていうほどじゃないけど)の作品を聴いても、いい線はいっているものの、必ずしも理想的に「歳を取った」作品を作れていなかったりと。

うまく「歳を取った」作品を作っていく、理想的に歳をとっていく、ということは、ロックバンドにとっては簡単そうで、簡単なことではないのだなあ、という。

これは、ロックバンドはブルーズに向き合い時を越えたヴィンテージであらねばならない、という僕の固定観念からくるものだろうか。

歳を経てヴィンテージ化していくべきだ、という考え方と、いや現実にはまだまだ若いのだ、まだまだやれる、という精力とか、若い世代や時代に負けない音を出したいという気概、それらのものにどう折り合いを付けるか、スタンスはそれぞれだろう。

僕の好きな日本のバンドで言えば、アースシェイカーなどは、かなり理想的な歳の取り方をしているとは思うものの、シャラさんのサウンド面とか、近年の録音の音作りの面などで、多少なりとも不満というか残念に思う点もあり。

やはり鍵は「散り際」とか「去り際」というものをどう見極めていくか、というその一点にあるのだろうか。

その点、ブッチャーズなどは、完璧にかっこいい「去り際」を音の上では残したものの、やはり不慮の急逝ということで、必ずしも「歳を取る」必要なく行ってしまった感はある。つまり最後まで全力疾走のままで去ってしまった。ずるいと言えばずるい。かっこよく逝ってしまったということか。

僕が昔から好きだったバンドということでいえば、今年の初頭にSuedeの新作が出たが、再結成後の2枚目ということにはなるが、内容は非常に充実しており、これはかなり理想的な歳の取り方として、感銘を受けた。彼らは90年代のバンドであり、世代的には「ロックの黄金時代」よりは後の世代であり、その世代ならではの妙な達観というのか、ポストロック、ポストグランジ的な、妙に覚めた視点が含まれるものの、そこからさらに乗り越えた上でこれだけの音を今鳴らしてくるのも凄いものがある。やはり世代が下がるにつれて、歳を取ることのハードルも一段ずつ高くなっていくのだろうか。まあSuedeにあっては、リチャード・オークスやニール・コドリングら「後から加入した」組はまだ十分に若いということも言える。(それはそれで大変なことではある)

世代的な問題ということもあり、まぁそもそもが昔にあってはロックミュージシャンが歳を取るということ自体が考えられなかった時代があったわけで。
それが現代においては、すでにロックの盛んだった時代を支えた伝説の人たちは、すでに多くは老境にあり、むしろロックは年輩の人たちのものという状況になっているのが現状であり。

ひとつアンフェアだと思うのは、そういったロックが盛んだった時代のたとえば70年代とか80年代のレジェンドがいる一方で、その下の世代のひとたちは、知名度や序列の面で、上の世代の人たちにはかなわないわけで、バンドとして、アーティストとして、「歳を取る暇すら与えられない」「歳を取るチャンスすらもらえない」という問題がある。

しかし、まぁこれこそ本当に非常な苦労ではあるものの、インディーバンドにおいては必ずしもこれは当てはまらないので、僕らとしても、いかに歳をとり、「散り際」を見極めていくか、という作業をしなければいけない。

そのためには、自分たちの中にあるものを掘り下げ、限られた時間の中で、「いかにそこまでたどりつくか」という問題がある。

そう思うと、活動の規模はささやかなものではあっても、音そのものに向き合う作業はこれまできちんとしてきたことは、自分のバンド生活を振り返っても、今、現時点でも良かったなと思うことのひとつではある。

つまり、僕らはまだバンドとしてはリーダーの僕を含めて30代であるけれど、すでに60歳で鳴らすべき音を視界の中というか射程距離の中にとらえているからである。(これはもちろん、コードネーム「鍋島」プロジェクトのことである。)

個人的な経験から言うと、僕自身の人生において、一般的に言われる年齢とか若さ、あるいは人生の中の時期というかフェイズについて言われる、あるべき固定観念は、そのかなりの部分は、嘘とは言わないまでも、事実ではなかった。

たとえば僕が現時点で今までの人生の中でもっとも老人のような態度で「日和見な」時間を過ごしていたのは、間違いなく子供時代であったし、もっとも体を動かし、「わんぱく」な生活スタイルをしているのは、子供時代でも学生時代でもなく、30代も半ばから後半にある今現在である。

また人間は歳を取るにつれて成熟し、社会性を身につけて、丸くなって、賢くなっていく、と思われるが、
僕の場合はこれらはすべて、見事なまでに逆になっている。
僕がもっとも真面目で、柔和で、かつ社会性があったのは、子供の頃とか少年時代のことであり、年々、歳をとるにつれて、そこから離れていっているのが事実だ。

それと同様に、ロックバンドの歳の取り方についても、今、老境にさしかかっている伝説のバンドたち、ミュージシャンたちを見てみても、面白いのは、彼らが「60歳で鳴らすべき音」というものは、たとえ、そこに円熟や歴史といったものが乗っかっていくにせよ、案外とそこで鳴らされるべき楽曲は、実際のところ彼らが20歳とか25歳とかで書いたものであったりするからだ。

まあこれは、創作というものの本質というか、ロックンロールと言ってしまえばそれまでだが、インスピレーションというものは偉大であり、そこには年齢は関係ない、というか、やはりインスピレーションといったものは若い頃にこそつかまえるものである。

たとえば、ポール・マッカートニーが70歳で鳴らす音は、それは彼が20代の時に書いたマテリアルであるかもしれないが、やはりThe Beatlesがロックンロールの青春の折に鳴らしたその音は、たとえ彼らがその時に20代の若者であったとしても、やはりそれは僕らの目からすれば「クラシック」であり「ヴィンテージ」に違いない。
不思議なもので。

ロックンロールが偉大だ、と言ってしまえばそれまでのことではある。

世代とともに、ファンの人々とともに歳をとり、歴史を重ねることのできる伝説の世代のバンドたちにはうらやましく思うし、限りなくあこがれることではあるが、そうであってもやはり彼らレジェンドたちにとっても歳を取ることは容易なことではないことを鑑みつつ、
僕らインディーバンドとしても、どういった歳の取り方ができるのか、考えていかなくてはならない。

楽曲やインスピレーションの面でも、歳を取ってより脂の乗った、年輪を重ねたクラシックを作っていけるのであれば、それはベストの中のベストと言えるが、それがたとえ難しい場合でも、ハードの面や、演奏の面、サウンドの面で、向上は見込める。

たとえば、若い頃よりも良い楽器を使うようになったり、
時代の進歩とともに「これだ」というサウンドを突き詰めて、見つけることができるかもしれない。機材などもいろいろの面で進歩するし、年月の中でそれらをチェックすることもできるのだから。

俺としては、たとえば楽器の面は重要だと思うし、思うに一緒に歳を取ることのできる、もっと言えば一緒に死ぬことのできる楽器を見つけることは重要だ。かなり鍵になってくる。

インスピレーションは、若い頃にしか降ってこないものであったとしても、そういう、若い頃にはできない、けれど歳をとれば、時間とともに詰めていける面。たとえば昔できなかった演奏技術を、時間をかけて習得するとか。早死にしてしまえば無理だが、生きている者には時間がある。そのへんを怠らないことも、結構、バンドマンとしては大事なことだ。

自分のバンドを組んで、社会的に対外的に活動を始めることこそ遅かったものの、ソングライティングとか創作の面で言えば、俺も「早熟の天才」なつもりなんだけどな(笑)

まあでもたとえ自称早熟の天才であっても、ぼちぼちと「遅咲き」であるとか、「下積み」や「武者修行」を重ねた上での「円熟」といったものまで与えられるのであれば、それはものすごく幸福なことであるかもしれない。

そこまで生きて、続けることができればの話である。

どちらにせよ、ひとつでもふたつでも、生きて音に向き合えることは幸せだ。

No(4664)

■…2016年 4月21日 (Thu)…….踏み込みアコースティック
先日は新橋にてアコースティックで演奏してきた。バンドでなくて、ソロでアコースティック、ということである。

いまどき、ロックバンドのヴォーカル、ロックバンドのフロントマンなんていうものは、日本のバンドであれアメリカのバンドであれ、アコースティックでソロをやってツアーを回るものだと相場が決まっている、というか、そうなってきている。

それはつまり、音楽のマーケットが縮小する中で、アコースティックのソロであれば、費用もかからないし、フットワークも利くし、バンドの宣伝にもなる、ということだと、思う、明らかに。

つまりは、どさ回り、ということだと思う、古い言葉で言えば。

なので、僕もきっと、こういうようなアコースティックのライブを、もっとやるべきなのだと思う。

僕は自分のことをバンドのフロントマンだとは思っていないし、
自分の社会性の非常に乏しい、世間と距離が乖離した性格を思うと、たとえそういった「ソロ活動」をやっても、宣伝としてバンドを利するかどうかは、限りなく疑問であるが、そうはいっても、やはりやるべきだ。

(フロントマンはジーザスだ、と言い張っているし笑、自分はギタリストであってシンガーではないとも言い張っている。フロントマン不在はうちのバンドの致命的な弱点であるのだが、長い目で見てメリットになっている点も否定できない。)

それは、ちょっとでも「フロントマン」らしくなろうという努力でもあるし、アコースティックで歌うことで、ちょっとでも「シンガー」としての自覚を磨こうということでもある。

実際に、そう思って、ここ1、2年、やり始めているし、もっとやりたいという思いはある。実行に移すまでには、もう少し、かかるだろうけれども。

その意味では、ここ1、2年の間に何度かアコースティックソロにチャレンジしてきて、今回の新橋は、うん、なんとかやれるようになってきたかな、という手応えというか、見込みが得られた感じだ。

ひとつには、アコースティックギター、というか、アコギ、と敢えて略した方がしっくりくるが、アコギの音作りについて、ひとつやっとこれだというものが得られたことがある。

つまり、アコギでソロやるときの機材とか、お手軽に行きたいのであるが、
今までのところ、プリアンプに何を使うかで、エレクトリックの時も使っているCranetortoise/Albitの真空管入りブースター(この場合はピンク)が、いちばん良い結果が出ていたのである。

しかし、これは重いし、でかい。電車と徒歩で移動する日本のしがないバンドマンとしては、ライヴの際の荷物はなるべく小さくしたいのは結構切実な願いであるし。

なので小さなEQのペダルをプリアンプ代わりに使って何度かやってみて、それも十分に悪くなかったのだが、僕としてはもう一歩、何かsomething specialを足したかった。

なので今回、ふと思い当たって、昔から持っている、これもAlbit/Cranetortoiseのベース用の小型のプリアンプを試してみた。そしたら、これがビンゴだったわけである。(煙草を吸うカウボーイ?の絵が描いてあるあれである)

もともと、Albit社のベース用のプリアンプとかDIは、アコギに使う人もいると聞いていたので、そう思えば、決して意外というわけでもない。今まで思いつかなかったのが不思議なくらいだ。

アコースティックギター用のプリアンプというのも、各社からいろいろな種類のものが出ているし、そのAlbit社にしても、昨年確か小型のアコースティック用のプリアンプを発売しているので、それらを導入するという選択肢もあったのだが、
僕としては、「たかだかアコースティックソロ」の活動に、手間も費用もかけたくない。自分の美意識としては、手元にあるもので、お手軽にやりたいのである。

なので、昔から持っていたこのベース用プリアンプで、ジャストというかビンゴな音が出たことは、非常にラッキーだった。これなら、そんなに重くないし、ゲインも調整できるし、プリアンプ機能のオンオフで、歪み具合というか倍音の乗り具合も調整できる。まあ、基本オフで良いと思うけれど。なによりEQも付いているのが便利きわまりない。こいつのEQは、効きが良すぎて手強いし、ノイズとも隣り合わせだが、実際に使ってみて結果は上々だった。現場では案の定音を出してみたらミッドが張り出していたので、セオリー通りMidを下げていったがきちんと望んだ効果が得られた。

そんでもってフィンガースタイルというのかフィンガーピッキングの際にはコンプを踏めばいいだけのことである。

アコースティックギター、というのか、アコギ、なんというか電気を通した場合のエレアコ、の音作りについても、いろんな考え方があると思われ、
ひとつの理想としては生音に近い、あるいはレコーディングなどのマイクで拾ったような音に近付ける、というのがあると思うし、近年ではそういった技術もかなり発達してきて、たとえばL.R.BaggsのLyricとかも考えたりもしたのだが、

僕のアコギに対する考え方は、PAを通してライヴ演奏する、ということについては、僕はどちらかというと、生音に近付ける、というよりは、生音とか関係なくエレクトリックの音の範疇で単純に良い音、やりやすい音を作っていく、という方向性の方が近い。

マグネティックタイプのピックアップをがっちり固定してつけるから、ギター自体もミュートされてしっかり鳴った生音も望めないし、しょせんPAを通した音は生音とは違うのだという考え方。

これは僕が、かならずしもピュアなアコースティック奏者ではないことや、しょせんエレクトリック弾き、メタルギタリストだ、ということでもある。
そんで、エレクトリック弾きのメタルギタリストだからこそ、結果としてピックアップも「マグネットでいいや」という感じになったのである(笑)

逆に言えば、現状として、どんなシステムで「生音に近い」ピックアップを選んだとしても、しょせんそれは偽物の音だと、俺は思ったのである。だったら、生音に無理に近付けなくても、マグネットの音であれば、それは少なくともエレクトリックギターの範疇においては、それは本物の音である。これは、俺としては自然な発想だった(笑)

なにしろギターに穴開けなくていいしね。マグネティックだったら。
なにより手軽で、確実だ。

なので、「エレクトリックギター弾きのメタルギタリストが、片手間でやるアコースティック」として、しっくりくる音が得られれば、それがベストであると、俺は考えた。

どちらにせよ、自分が「アコースティックやろう」というきっかけにもなった、このHeadwayとの付き合いも、下手をするとそろそろ2年になる。
早いものだが、やっと少しはちゃんと鳴らせるようになってきた感がある。
ライヴの場で「生音」をちゃんと鳴らしてあげられないのは皮肉だが、どちらにせよこのギターはライヴ演奏とかそういうの関係なく、自分の老後のためだけに手に入れたものである。

やっと少しは慣れてきたフィンガーピッキングも含めて、自分のスタイルが、手の届くところに見えてきたということだと思う。

たとえば、曲でいえば「愛の色」なんかは、Imari Tonesの”Heroes EP”に収録されているけれど、録音した際にはもちろんピックで弾いたし、2014年に何度か演奏した際にも、やっぱりピックで弾いていたけれど、今はこれをやっとフィンガースタイルで演れるようになったのである。

まあなんにせよ、ギターや機材のことを書くときりがないが、
こうしてアコースティックで弾き語り、じゃないけれど、ギター一本で歌う、なんてことをやりだすと、
その世界には、また広く深い世界が広がっていて、いろんな人が、いろんな場所でそういう活動をしているわけである。

そして、そこにはそのスタイルの中で、いろいろな美学があるわけだ。
歌い方、スタイル、アコースティックギターそのもの、その弾き方ひとつとっても。

そういった世界に、足を踏み入れるのは、怖いことではあるが、
そうはいっても、すでに踏み込んでしまった。

おそるおそるではあるが、時期を見て、少しずつ、一歩ずつ、この世界に入っていけたらと思っている。

No(4665)

■…2016年 4月21日 (Thu)…….Get the amp back
結局マイクプリアンプも調達することになった。

レコーディングは難航していると言っていい。
ドラム録音、ベース録音ともに、まあ予想の範囲内ではあるものの、予定よりもいくぶんてこずって完了し、あとは僕のパートであるのだが、

今回のStryper来日というイベントをはさんで、おそらく色々な意味で準備が遅れたり、手をつけることも遅れるだろうと予想はしていたが、予定だけでなく、精神的なことや体調の面でも波があり、やはりなかなか進めることができないとやきもきとした気分になる。

そもそもが、自分のパートを始める前に、このように録音方法や録音機材について、ここまで悩んでしまうというのは、これはもうこの時点で、難航していると言っていい状況である。迷いが生じている、というわけでは決してないのだが、僕に言わせればこれはやはり難航だ。ちなみにまだギターの音のひとつさえ、録りはじめてはいない。

(だが、ギターの録り方と、マイクプリの使い方と、性能の把握の実験だけは、ひととおりすでに済ませている。あとは、求める音を得るためのEQの検証も済ませている。)

これはつまり、明らかに、「ここ数年、録音について考えてこなかった」ことのしっぺ返し、反動、報いだと思われる。

つまり、僕は2005年の制作までは、それまでに愛用していたマイク、マイクプリ、などを使っていたが、2006、2007に行った、某有名プロデューサーお二方との録音以来、またその後の嫁さんと籍を入れたことや引っ越しなどに際して、機材を売り払ったり、またクリスチャンバンドになって以降、録音ということの優先順位が自分の中で下がっており、また録音制作についても、機材については「手元にある最小限のものでやればよい」という考え方でやってきた。

それはそれで、合理的なことではあったものの、ここへ来て、これまで考えてこなかった、こだわってこなかった、そのことのしっぺ返しが、来ているのである。

おかげで、今回の制作にも、どうやら想定していた以上の費用が、必要な機材をそろえるために、かかってしまうことになりそうだ。

あるいは、別の視点から言えば、ここ数年で、僕は良質の楽器と出会うことによって、自分のエレクトリックギターを含む楽器のサウンドについての考え方が、ずいぶんと変わった。

前回の、一昨年に行った”Revive The World”の録音こそ、それまでと同じ機材で行ってしまったものの、
それにともなって、やはり録音の分野でも、それらに相応のレベルを求められるようになったということかもしれない。

たとえば前回の録音の際に、「このギターサウンドはとてもキャプチャーしきれない」と思ったことを覚えている。(まあ、本来しっかりと鳴らされたギター、アンプの音を、すべてキャプチャーできる録音システムなど、この世にはおそらく存在しないと思っているが。)

ということであれば、これもやはり、「猫ポール」に教えられる、ということの一環であろう。

というわけで、かつて使っていたマイクの後継機種を手に入れたのに引き続いて、マイクプリアンプも取り戻すことになってしまった。

世間の、まじめに録音について取り組んでいる宅録ミュージシャンや、エンジニアの方々から見れば、それでも、「え、こんな安価な機材で録音やっちゃうの?」というものかもしれない。

しかし、どのような選択で、どのような常識はずれの安い予算で、今後の人生を左右するようなマイクプリという重要な機材を入手したかのかは、それは秘密である(笑)

けれども、ひとつのきっかけは、今回作る作品は、僕らのバンドにとってはほとんど例外的と言っていいブリティッシュ風味の正統派ヘヴィメタルの作品なので、「ブリティッシュ風味を出したいな」という考えがあったのは確かだ。

で、そう思った際に、昔使っていたもので、うまい具合に安価ながらに本格的なブリティッシュテイストを持ったプリがあったのを思い出したのである。だから、これもマイクに引き続いて、そのかつて使っていたものの、そのものずばりではないにせよ、後継機種を、うまいこと安く手に入れる、「取り返す」ことになった。で、これもうまいことに、かつて使っていたモデルよりも、モデルチェンジした後のその後継機種の方が、性能も使い勝手もよくなっているのである。

僕は近年ではギターの録音にしてもマイクを2本立てるスタイルでずっとやっているので、必然的にもうひとつのチャンネルに対しても改善をする必要があったが、こちらの方にもちょっと企業秘密にしたい珍しいものを調達することになった。

ヒントというわけではないが、ひとつ言うのであれば、中国製の製品がこれだけあふれる中でも、アメリカ製のしっかりしたマイクプリが、これだけ安価で手に入るなんてほとんどあり得ない、ということは言える。

そして、セオリー通りではあるが、マイクプリというものも使い分け、素材や狙いによっての適材適所である以上、一方のキャラクターを持ったものに対して、比較的素直なものを押さえたことも事実だ。それによって、音の作り方や、組み合わせ方についても、いろいろなバリエーションを出すことが可能になる。

どちらにせよ、これで自分の「録音人生」において、マイクに続いて、マイクプリも2チャンネル分、取り戻すことになってしまった。

どちらも安価で、かつ、モバイルというか携帯性にすぐれた小型のものであるものの、これは自分のバンド人生というのか録音制作をしていく人生のひとつの「結論」と言えるものであり、きっと死ぬまで手放すまい、今度はきっと最後まで手放すことはしまい、と、心に誓っていることは事実だ。もっとも、あとどれくらい、録音制作みたいのをすることになるかは、わからないが。

あるいはこれで最後だったりする可能性も十分にある以上、ここへ来て、最後かもしれない作業にようやく機材を導入するのもばかばかしいことかもしれない。しかし、もちろんその逆に、nothing is too lateというか、最後だからこそ導入するのだ、という事も言うことができる。

今回そろえたものには「真空管」は使われていない。

かつて僕が持っていた、自慢のマイクプリは、真空管タイプのもので、明らかにアメリカン寄りだったそのプリの性格とともに、確かに当時の僕の録音には、その真空管の音が必要だったのだけれど、今の僕らのバンドのスタイルには、真空管のプリは必ずしも必要ないことがわかっている。そして将来的にも、音を録って、作っていく上で、その方がいろいろと扱いやすい、と考えている。最低限、身軽なもので、カジュアルに録音を行う、とう美学というかスタイルを守りつつも、たどりついた結論と言えるものだ。

既にアコースティックギターの録音を繰り返して、それらのプリの使い方や性格の検証作業を行っているが、
今までの何枚かの作品で使ってきた「安価なオーディオインターフェイス内蔵のマイクプリ」と比べて、明らかな性能の向上であり、どちらも非常にクリアかつしっかりした、またキャラクター的にも狙い通りの音である。

これらと実際に比較すると、今まで使っていた、その古い安価なオーディオインターフェイスに内蔵されたマイクプリが、いかに周波数的にも、ダイナミックレンジ的にも、レンジの狭いもので、また音も鮮明とは言えず、今までこんなマイクプリを使ってよく作品を作ってこれたものだ、という気分になる。

ここ数年で作ってきた作品を聞き返しつつ、考え込んでしまったのだが、

かといって冷静になってその「安価なインターフェイスのプリ」の音を聴き、また例の録音機材屋さんのウェブサイトにあったいろいろなマイクプリの音のサンプルと聴き比べるにあたっても、
確かに音はあまり鮮明とは言えないものの、その音のキャラクターは案外と、良い感じのキャラクターを持っており、それをNeveとかそういう「ヴィンテージ機材のような」方向性と言ってしまっていいのかどうかは限りなく疑問だが、それでもその「案外悪く無い音のキャラクター」に、やっぱり案外と、隠れた名機だったのかもしれない、と思ったりもする。

それは、案外ラッキーなことだったかもしれず、そう言えば、それまでの機材を売却し、この安価なプリで初めて実際に音を録ってみた際に、「あれ、案外いいじゃない」と思ったことを記憶している。だからこそ、これまで特に不自由を感じることなく、何枚も作品を作ってこれたのだ。少なくともこの安価な内蔵プリの音が、ここ何年かのImari Tonesの音を支えてくれたのである。

かと言って、このプリを使ってこれ以上作品を作る気には、やはりなれない。それは、自分自身が、どうしても許さない。
だからこそ、今回こうして機材を「取り戻し」、先へと進む必要があった。

たぶん前回よりも良い音で、きっと録れるはずだ。

だが、音というのはなんとも難しいものである。理屈どおりにはいかない。

「音の悪い機材で録った前回までの作品の方が、かえって良い作品が作れた」みたいなことも、十分にあり得ることなので、気を引き締めて、慎重に作業を進めていかなくてはならない。

これから始まっていく録音作業。
難航することを、予想している。

No(4666)

■…2016年 4月21日 (Thu)…….Stryper、27年振りの単独来日ツアー、個人的レポート
Stryperの、実に27年振りの単独来日公演という、大きなイベントが終わった。

2011年のLoudparkに出演してはいるものの、単独の来日公演としては、1989年以来ということで、話題を集めた。
大阪で一回、そして川崎で二回、計3度のコンサートが行われ、無事に、成功のうちに終わった。

そして、これは、うちの嫁さんにとってそうであるように、僕にとってもやっぱりちょっとした、大きなライフイベントだった。ほとんど、生涯に一度のことだったと言っていい。

つまり、かの伝説のクリスチャンヘヴィメタルバンド、ストライパーが、27年ぶりに来日する、なんてことは、やはり生涯に一度のことだからだ。この感動を再現するには、もう27年後に来日してもらうしかないわけであるから。そして実際は、もっと早くきっと来日することだろう。

このウェブサイトのひとりごと日記パッドには、日々の出来事は、あまり書かないかわりに、音楽に向き合う時の心象風景しか書いていないので、ひょっとして見てくれている人がいても、知らないかもしれないが、うちの嫁さんは、Stryper Street Team Japanなんてものを主催しているのである。ひらたく言えば、ファンクラブの日本支部みたいなものだ。

そもそもうちの嫁さんは、2008年初頭に、僕と一緒にクリスチャンになり、2009年に、やはり僕と一緒に洗礼を受けたが、それ以来ずっと、Stryperの大ファンであり、その頃からすでに、ストライパーを来日させたい、という活動とか働きかけを地味にやっていて、クリスチャン新聞にもその話題で載ったくらいである。

そして、その甲斐があったのか、Stryperは2011年のLoudparkで、久しぶりの来日を果たした。それは、かなり急に決定した、なんかかなり微妙な位置の来日ではあったものの、その際の演奏はかなりの好評を得て、日本においてもStryperの名前が再び聞かれるようになり、再評価の機運が高まった。

そして、それを追い風に、ってわけではないが、うちの嫁さんは、このStryper Street Team Japanなんてものを始めた。
これはつまり、Loudparkでの来日の際に、まあMeet&Greetもやったんだけれど、いろいろを通じて、80年代からファンをやっている古参というのかベテランのファンの皆さんと知り合い、そういったことにうちの嫁さんが刺激を受けて、思い立ち決心して始めたのである。
それは、結構やっぱり一大決心であったと思うし、実際、その様子は僕は隣で見ているわけであるからして。

そして、それから、Street Teamとして、うちの嫁さんは、インターネットを中心に、いろんな活動をして、いろんなところに繰り返しはたらきかけたり、Stryperのファンの集いみたいな草の根のイベントを行ったり、トリビュートバンドのイベントを行ったり、とにかくいろんなレベルでの活動を行ってきた。それは文字通り「布教活動」に他ならないという感じだ。クリスチャンメタルだし。

その成果が、ついにこうして実り、27年ぶりの単独来日ツアーという、実に奇跡的なことが、こうして2016年4月、実現したのである。

これは、もちろんうちの嫁さんは、Street Teamとして、ファンの皆さんと一緒になって、あらゆることをがんばってきた成果でもあるし、

また、当然のことながら、Stryperというバンド自身が、21世紀に入って、再結成の後、根強く活動を続け、またこのかつてとは違う音楽業界の状況の中、時代に合わせてインターネット時代に適応した活動を地道に行ってきたことなどもあり、またここ数年で非常に精力的に充実した内容の作品をいくつも発表してきたりと、まさに第二の黄金期とも言える状態になっており、その意味でも、かつての1980年代とはまた違った意味で、成功を納めつつある、その成果でもある。

どちらにせよ、うちの嫁さんにとっては、これは長年の悲願だったわけであるので、それがこうして、実現したことは、本当に人生の大きな出来事だったのである。

そして、当然のことながら、僕もその「人生の一大イベント」に、付き合うこととなった。

そして、どういう偶然だか、僕自身も「日本最初のクリスチャンヘヴィメタル」なんてのを名乗るバンドで活動してる身であるので、やっぱりそこは、小さいことではなかったのである。

別に計画したわけでもなんでもないのだが、夫婦揃って、こうして信仰とヘヴィメタルの道に邁進している、ということであるので、まあ規模こそ小さいものの、ひょっとしたら僕らのやっていることが、目に見えないところで、少しは日本のキリスト教をめぐる状況に、風通しを良くすることに貢献できていればいいなとは願っている。まあ、小さなことであるかもしれないが。

で、まぁ2011年のLoudparkの際も、嫁さんと一緒にミート&グリートに参加してはいるものの、Street Team Japanをやっている嫁さんが、マネージャーのLisa Sweetさんと緊密につながっているため、ちょっとした「インサイダー」の立場に近いところで、このストライパーの日本ツアーを見られることになった。

うちの嫁さんにしても、ただの熱心なファンだったものが、2011年の来日にはいちファンとしてミーグリに参加したのだが、今回はこうしてちょっとしたインサイダーとして公演に関わることになったのだから、ずいぶんな出世である。

これは書いていいか知らないが、けれどもたぶんここに書いたって問題は無いとは思うのだが、一例を挙げるなら、たとえば今回の来日公演にあたっても、うちの嫁さん(というかStreet Team Japan)のところに、マネージャーのLisa氏から、日本公演のセットリストというか選曲について、日本のファンが何を求めているのかといった点で、事前に相談が来ていたくらいである。しかしこれは、ファンが求めているものをきちんとすり合わせて公演に臨むという意味で、マネージャーとしてのLisa氏の敏腕ぶり、優秀さ、またファンの声を拾い上げようとするバンドの真摯な姿勢を意味するものでもある。(実に見上げたものというか、こうあるべきだ)

そして、まぁ、僕もあくまで嫁さんをサポートし、念願が成就したことについて祝福し、またいちファンとしてコンサートを楽しむつもりでいたのだが、
そうはいっても、僕自身、真剣に活動するクリスチャンミュージシャンであり、また、それなりに熱心なキリスト教徒でもある以上、そこには「やっておきたいこと」や、「やらなければいけないこと」が、いくつかあった。

そのうちのいちばんわかりやすいものは、たとえば「うちのバンド(Imari Tones 伊万里音色)で、Stryperのオープニングアクトがやれたら」というものであった。

その前座の件こそ実現しなかったものの、予定されていた日程が嵐のように終わってみれば、「こんなふうになったらいいな」という”ウィッシュリスト”は、ほとんどあらかた、彼らの来日の期間中に実現してしまった。場合によっては、思っていた以上に、実現してしまった。

世間というか、メタルファンの皆さんは、この来日ラッシュが続く中、すでにアイアン・メイデンの話題に切り替わっていることと思うが、
僕らはこうしてStryperの余韻に浸りつつ、思いを総括している感じだ。

僕としては複雑なところであり、一応国際的(一応ね)に活動しているクリスチャンヘヴィメタルバンドのメンバーとしては、そのクリスチャンメタルの元祖であり代表であるところのStryperの来日に際して、それは好機であるとは思うものの、心のどこか半分くらいでは「別に実現しなくたっていい」というか、「実現しない方がいい」という複雑な思いを持っているからだ。それは、もともと僕がロックスターとかになりたいわけでも、有名になりたいわけでもなく、音楽ビジネスやバンド活動に対しても複雑な思いでやっている人間であることも大きいし、なによりバンド活動というものは大変なものであるので、いろいろなことがもし実現してしまえば、それは余計に大変であるからだ。

だが、実際には終わってみれば、リストアップしていた項目のうち、ほとんどはこうして実現というか実行出来てしまったわけだ。

結果は神のみぞ知る、という感じである。
今この瞬間でも僕は、半分くらいは「実現しなければいいな」と思っているし、神様に託す、というのはそういうものかもしれない。

期間中にやれた「良い仕事」のひとつとして、クリスチャン・トゥデイの取材に協力することが出来、また、その中で、マイケル・スウィートのインタビューを取ってくる、というちょっとした「大仕事」(ってほどじゃないが)に成功したことがある。

これは、ここ数年来、僕たちはクリスチャン・トゥデイのS記者には、非常にお世話になっていた。S記者は、XTJ (The Extreme Tour Japan)の活動についての日記でも書いたかもしれないが、最初の年のXTJの際にいろいろのご縁で知り合って以来、クリスチャンメディアの報道記者として、ずいぶん僕ら、うちのバンドや、他のアーティストたち、の活動を記事にしていただいているのである。

またこの27年振りというStryperの単独来日に関して、クリスチャン業界というのか、日本のクリスチャン世界に関しても、きちんと反応するというか、応えるというか、取り上げなくてどうする、という思いがあった。つまり、クリスチャンメタルの元祖である伝説のStryperの来日に際して、日本のクリスチャン系メディアに、きちんと取り上げてもらいたかったのである。

僕らのバンドや、XTJ、またCalling Recordsの活動を通じて、S記者とつながりがあったことが幸いして、僕らとしては、そしてうちの嫁さんとしては、S記者が今回のStryperの取材をするにあたって、Lisaさんとのつながりを生かし、協力することが出来た。

そして、成り行きは省略するけれども、その記事のために、コンサートレビューだけでなく、Michael Sweetのインタビューとか取れたら理想的だなと考えていたのだが、どういった成り行きか、そのインタビューを僕が取ってくる羽目になったわけである。

記事には僕の名前もインタビュアーとして掲載され、もちろん名誉なことであるし、僕自身も、かなり興奮しているが、これは、クリスチャン系メディアにStryperの記事を載せたい、という思いの結果、成り行きでこうなってしまったことである。

つまり、やっぱりコンサートの前後に、アーティストのインタビューを取るということは、かなりタイミング命だったり、運任せだったり、やっぱりするからだ。
ましてや、僕らはBurrnでもなければ、Guitar Worldでもない。日本というクリスチャン人口が非常に少ない国の、「弱小」クリスチャンメディアの取材である。
なので、たまたまインタビューのチャンスがあった時に、そこに僕しかいなかった、というだけのことだ。

もちろん、それは、うちの嫁さんが、バンドのマネージャーであるLisa Sweetさんと個人的に緊密なつながりがあったからこそ、実現したことだ。

川崎公演の初日、バンド側は、かなりピリピリしていたらしく、バックステージには誰も入れない、という状況だったみたいだし、
実際に、大手の取材もかなり断った、ような話を、ちらっと聞いている。
(それはそれで、心配ではあるが)

だから、ひょっとしてこのマイケル・スウィートのインタビューは、それがクリスチャンメディアのほんの短いインタビューであったとしても、かなり貴重なものかもしれない。それを、日本のクリスチャンメディアとして実現することが出来たことが、ちょっと嬉しい気がする。

逆に言えば、こうしたメディアや、取材や、ファンとのコミュニケーションといったことに関しても、大手とか、紙媒体に必ずしも頼らず、インターネットを介した草の根のレベルで行っていくことが大事な時代になっているのかもしれない。

面白いのは、S記者から預かっていた質問以外にも、僕自身もいくつか質問を用意してはいたのだが、時間の関係もあり、最後の質問として、多少なりとも音楽誌的な質問を、僕は投げてみた。その結果、インタビューが音楽雑誌っぽい内容になったのもそうだが、キリスト教メディアに、「次のアルバムはヘヴィでメロディックになるぜ。そしてもうすぐ出る俺のソロアルバムにはホワイトスネイクのギタリストが参加しているんだ。」みたいな内容を、載せることが出来たのが、ちょっと嬉しい。

それは、場違いかもしれないが、日本のキリスト教世界の中にも、もちろん隠れメタルファンはいるだろうし、多少なりとも日本のクリスチャン業界を風通しの良いものにするために、助力できたら嬉しいなという思いだ。

いずれにせよ、S記者にはとてもお世話になっているが、Stryperの取材、またMichael Sweetのインタビューを取ってくる、というちょっとした金星をあげることで、お世話になっているぶんを、いくぶんなりとも返すことが出来たのではないかと思う。

Stryperというバンドに対する僕の思いや、評価、そして、近年のStryperの作品に対する評価や思いなどは、今回敢えてここには書くまいと思う。それはもちろん、尊敬する偉大なバンドではあるけれども、だからといって決して、諸手を上げて絶賛ということにはならないから(汗)

どちらにせよ、嫁さんがStryper Street Team Japanなんてものを主催していて、また僕自身も「クリスチャンヘヴィメタル」をやっていることから、僕だってStryperについて語らせたら、めちゃくちゃ長いのである。

しかし、今回の「悲願の」来日公演を拝見する中で、感じたのは、非常にファンを大切にし、ファンとの交流を大事にするバンドの姿勢だった。まぎれもない美形アイドルグループであった1980年代から、時は流れて、彼らはもっと成熟したベテランのヘヴィメタルグループになったが、現在の音楽業界や時代の流れにもきちんと対応し、彼らは良い年月の重ね方というか、かなり理想的なヘヴィメタルバンドになっていると思う。

ステージそのものや、演奏だけでなく、またインターネット上の交流だけでなく、Meet&Greetの際のファンとの熱心な交流などを見ても、バンド側のファンに対する思い、またファンの皆さんのバンドに対する愛を、生で感じることが出来て、感動を覚えた。

そして、演奏もステージも非常に素晴らしかったのだけれども、特にシンガーとして思うのが、マイケル・スウィート、もちろん、ヘヴィメタル界の中でも屈指のシンガーであることは言うまでもないが、彼が、3日間連続公演というスケジュールの中で、ファンともしっかり交流し、大いにファンの皆さんと会話し、それがどれだけヴォーカリストとしてノドに負担をかけるか僕も体験的に知っているので、その上で、ステージをこなし、あれだけのパフォーマンス、歌唱をすることができるマイケル・スウィートに対し、素直に感服した。(もちろんそれだけの中で、決して絶好調の歌唱でなかったことは、僕もシンガーとして、わかるけれども、それでもやるのが、すごいのだ。)

あとは、3日目の最終日の川崎を、Tim Gaines側で見たのだが、Timさんは、無口で職人肌で温和な典型的なベーシストキャラではあるが、その生音をしっかり浴びながら見ることが出来、その素晴らしいベースプレイとサウンドに、強い感銘を覚えた。というか、あんなに良いベーシストだったとは知らなかった。

やはり、素晴らしい実力を持ったバンドですね、Stryperは。

そして、何度も書くけれど、今回のStryperの来日公演を通じて、本当にたくさんの、熱心なファンの皆さん。それらの人たちが、それぞれの思いや、ドラマを持って、バンドと交流し、思いを伝えたり、たくさんのハッピー・モメントが生まれるのを生で目撃して、本当に凄いな、ロックというものは、音楽というものは、本当に偉大だな、と、改めて思いました。

そして、それらのハッピー・モメントが生まれるきっかけとして、うちの嫁さんが何年もずっとやってきたことが、少しでもその実現の助けとなっていたのであれば、「ずいぶんすごい仕事をしたものだね」と、嫁さんには伝えたい気持ちです。まあ当然、とっくに伝えましたけれど。

嫁さんということでいえば、今回のストライパー来日ツアーに際して、僕が個人的に自分で印象的だったのは、自分が「アンドレ・ポジション」に居たことです。

これはつまり、もちろん、嫁さんがいろいろやるのに付き合う時はいつもそうなので、決して初めてというわけではないのだけれど、これだけ徹底してそうなのは、やはり珍しいことなので。

つまり、今回のStryper来日に際して、うちの嫁さんは、大活躍でありました。それはもう、いろいろのあれこれで、常に大活躍しておりました。
そして僕は、そんな大活躍をする嫁さんの隣で、ベルサイユのバラで言うところのアンドレ的な立ち位置にあったということです。

ふとした瞬間に、あ、これって俺、今、アンドレ状態なんじゃないか、と思った時に、うーむ、こういうものか、と、妙な感慨を覚えたのでありました。

まあ、それはそれで、決して楽しいものではないかもしれないけれど、このアンドレ・ポジションをうまくこなせるかどうかというのも、いい男の条件のひとつなんじゃないか、とも思いましたので、それはそれで、状況を楽しみました。

はなはだ個人的なことではありますが、今回の体験も、いろいろと今後の僕らの人生というか夫婦生活にとって、糧になっていくのではないかと思っています。

そして、いろいろな人にお礼を言いたいと思います。

ファンとしては世代的にも新参者に過ぎないうちの嫁さんと友達になっていただいて、盛り上げていただいた以前からのファンの皆さん。SSTJを通じて盛り上がっていただいているすべての皆さん。黄色と黒を身につけて公演にかけつけていただいたすべての熱心なファンの皆さん。今回も各方面でかなり目立っていらした大阪のトリビュートバンドZtryper(ズトライパー)の皆さん。

今回の公演を可能にして実現していただいた、クラブチッタ、クアトロ、スタッフの皆さん。業界関係者の皆さん。

あとは川崎の最終日に一緒に行動し、滞在最終日に(昨晩ですが)一緒に飲んで交流したニュージーランドのクレイグさんご夫妻。個人的には「最新アルバムの曲で、どれが好きで、どれがいまいちか」という話題でかなり意見が一致したのが印象的なのですが(笑)

また皆さんで一緒に、楽しめる日が、今度はそう遠くなく、来ることを祈っています。

そんで、うちの嫁さんには、「実現してよかったね」という祝福と、「よくやったね」という賞賛と、「おつかれさま」というねぎらいの言葉を伝えようと思います。というか、もちろんすでに伝えてますが。

ついでですが、ギター雑誌ぽいトピックを書くと、ちらっと見えた範囲ではありますが、今回マイケル・スウィートは、機材としては、足下にTheta Pro DSPのプリアンプがあり、それをMarshall JCM2000のエフェクトループからパワーアンプにつないで鳴らしているようでした。これはおそらく、ソロアルバムで共演しているJoel Hoekstraから勧められたのかもしれません。そして、終演後にローディーの方がひょいっとボードを抱えた際に、エフェクトボードのはしっこに古いペダルですがMarshallのDrive Masterがあったような。これはバックアップ用なのか、あるいはソロの際のブーストなのか、特定の楽曲用なのか、それはわかりませんでした。
そして、ダウンチューニングでの演奏に際しては、実際にギターのチューニングを変えるのではなく、ダウンチューニングのために音程を下げるペダルを使用していたようです。DigitechのDropとかそういうやつだと思います。これは、曲間にOzさんに何か指摘されてて、踏んだら急に音程上がったりしてたので(笑)

また、ミッドレンジを強調したMichael Sweetのギターの音に対して、Oz Foxはどちらかというとドンシャリ系の音で演奏していました。これは組み合わせの関係だと思います。しかし、ミッドの太い音でソロを弾くマイケルに対して、オズ・フォックスがソロを弾く際には、ドンシャリでちょっと抜けない音だったので、そのへんはオズ先生、ちょっと可哀相な感じでした。

また、Michaelは新しくエンドース契約したWashburnのフライングVタイプを使っていましたが、これがなかなか太い、良い音をしていました。最近のWashburn、良いみたいだね。

あとは、やっぱ黄色と黒のしましまの衣装は、ぴかぴかに光って、単純にかっこいいねー!! でも、やる方はきっと暑くてたまらないんだろうな。

さて、最後にこんなことを書くと、また反感を買うこと必至ではありますが(笑)

僕がマイケル・スウィートのインタビューを奪取してきた際に、まあ記事用の写真と一緒に、ついでにツーショットでも写真撮ったりしましたので、へらへらしながらマイケルと一緒に写っている僕の写真が、というのは、もっとふざけてポーズ取ってるやつもあるんですが(マイケルも一緒にポーズしてるし、掲載したら絶対怒られる笑)、FBにはまともなやつをのっけたんですが、

それでも、結構へらへらしてるので、「緊張しなかったんですか」というお言葉を、いただきまして。

もちろん、緊張したかと言えば、緊張した、ということも、言えるんですが。

しかし、僕の本当の答は、やはりこれです。

「相手がエディ・ヴァン・ヘイレンだったら、緊張してやるよ!」

僕が憧れ、緊張する人物がいるとすれば、
僕にとっての絶対的なヒーローであるEddie Van Halenか、

あるいは、すでに故人ですが、近付き難いバンドマンの代表格でもあった、ブッチャーズ吉村秀樹氏、

もう一人は、活動再開後のコンサートでも、お声をおかけする度に、今でも緊張してしまう、熊谷幸子師匠、

そんな感じです。

そして、もうひとつ、このStryperの公演に際して、またこの来日ツアーは、熊本で起きた地震と、その影響が進行する中で、行われました。

このことについて、改めて書く必要がありますし、また、そういった中でツアーが行われたことについても、いろいろな思いがありますが、

余談を許さぬ状況に対して、また被害に遭われた方々に対しても、書くべきことは重大なことがいくつもありますが、

ひとまずは、この私的な日記の文章におきましては、そのような状況の中で、Stryperの来日公演が無事行われ、それを多くの人々が楽しむことが出来たことを、感謝することで、代えたいと思います。

皆さんに、また日本の上に、世界の上に、神の守りと、祝福が、ありますよう。
イエス・キリストの名前でお祈りします。

No(4667)

■…2016年 4月22日 (Fri)…….小さなこと
ちょっと気になる事があったのでどうしても書きたくなりました。昨日感謝と感動の言葉を綴ったばかりですが、例えばStryperのコンサートの裏側が見れた事や個人的に繋がれた事、インタビュー出来た事など、良い事ではありますが、どれも僕の中では「小さな事」である事を書き記しておきたいです。そして、言ってしまえば僕にとってはStryperはわりと「どうでもいいバンド」である事も事実です。来日公演を通じて僕の中でのStryper というバンドの評価は上がりましたが、もっと良い音楽、もっと良いバンドはいくらでも知っています。だから俺はそんな俺を夢中にさせてくれる音楽ともっと出会いたい。そう今でも、思っています。

コメントの返事追記
ありがとうございます。要約すれば、「ちょっとStryperくらいと仲良くなれたくらいで舞い上がってるようじゃ僕の将来もたかが知れている」みたいな事ですね。あとは自分の愛する、愛してきた音楽という事ですね。もしEddie Van Halenと友達になれたらその時はちゃんと舞い上がろうと思います。

No(4668)

■…2016年 4月23日 (Sat)…….J-80 on Randy Rhoads
もう7、8年も前、入手した際に前のオーナーが換装したと思われるダンカン59のついていたランディV(白)。ダンカン59は好きだし、反応良いのだが、このギターに関しては時々パワーが足りず、ハイゲインのセッティング時にはハウリングも起こることがある。以前からピックアップ変えた方がいいかなぁと思わなくもなかった。今日もバンドのリハーサル後には「やっぱこのままでいいや」とか言っていたものの、家に返って衝動的にはんだごてをひっつかんだ。道具箱の中に、裸のままで何年もひどい保管状態で置いておいたJackson J-80、セット完了、幸いちゃんと音が出た!! もともとついていたのはダンカン59だが、外してよく見ると59Nとなっていたのでたぶん余計にパワーのないネック用。今や貴重なJ-80に替えて、大幅パワーアップ。ザックザクのメタルマシーンになった。やっぱりこの当時(1990)のJacksonにはJacksonロゴのついたピックアップが似合う。近年俺は「究極のギターとは丁寧に作られたセットネック」とか「レスポールこそ王道」とか言っているものの、やっぱりこういう尖ったギターはやめられない(笑)

No(4669)

■…2016年 4月24日 (Sun)…….いつも言っていること、言ってきたこと
ロックの黄金時代を支えた偉大なミュージシャンがどんどん地球上から姿を消している。世界中で災害が頻発し、政治の状況も民主主義や平和や自由が後退している。もしこの世界を司る神様が「もう地球の音楽おもしろくないな」「もう地球からはこれ以上のロックは生まれぬようじゃ」と思ったら、神様は地球終了のスイッチを押すかもしれない。だから俺の目標は、たとえ無名でも、孤軍奮闘でも構わない、「こいつらの次のアルバムが出るまで、地球滅亡は延期しようかの」と神様に思わせるようなバンドになることです。(けっこう本気)

No(4670)

■…2016年 4月25日 (Mon)…….孤高フラグ孤独ブラック
日本のミュージシャンに限らないし、世界的に有名なバンドやミュージシャンでもたまにある。
有名な人である。長いキャリアを持つビッグなミュージシャンである。
幅広い世代に支持されている。
社会的な活動も行っている。
人望が厚く多くの人に慕われている。
政治的にも立派な発言をしている。
先進的な音楽やアートで知られている。
ブログを見ると、すごく共感できる。
なんて立派なアーティストなんだ、と思う。
でも音を聴くと、「あれ?」となってしまう。

タグとしては、#自分と世間との距離を痛感する瞬間
とでも分類すべきだろう(涙)
あるいは、言葉が語ることと、音が語ることは、必ずしも同じではない、という事実。
自分の感覚はどのくらい世間とずれているのかと。
#そういう時、誰か一緒に飲んでください

別にU2とかのことじゃないんだからね!!!
ヒムロックのことでもありません。
プリンスは凄いけれど、僕には関係のないミュージシャンだな、と思う30代後半の夕べでございました。

No(4671)

■…2016年 4月27日 (Wed)…….最近妙に毒が多くてスミマセン
人よりは少ないかもしれないがたぶん僕は子供の頃からいろんな「宗教」に触れてきた。
ヘヴィメタルという宗教、民主主義という宗教、日本人という宗教、キリスト教という宗教、近年ではスケートボードという宗教。
最初からわかっていたことではあるが、やはり何度も気付かされるのが宗教というのはIt’s about community, not about faith.ということだ。つまり、人はそこに人とのつながりを求めるのであって、神とのつながりを求めるわけではないということ。(もちろん、そのことを決して否定はしない。人は一人では生きていけないし、人と人とのふれあいの中には確かに神は存在するのだから。)
音楽もそうだが、宗教も人が行うものである以上、そこにはあらゆる間違いが存在し、その間違いの中で人々は日々の営みを行い生きる。ほとんどの人にとって生きるというのはそういうことに違いない。
そんな娑婆の世界の中にあって、いかに神のもとへとたどりつくのかということが、幼い頃から常に僕の人生のテーマであったような気がする。そして、それでもなお、人々とともに(共に、友に、伴に)居ることができるのかという問いかけを、おそらく僕は与えられている。
十字架を背負う、言葉にするのは簡単であるが、誰にでも出来ることではない。そして、背負った十字架は人には見えない。だからこそ人は救い主を必要とするし、だからこそ救い主は人に寄り添う。
諸先輩方とくらべれば、背負った荷物は軽いに違いないが、俺はこれでも、神さんとの約束を果たすために、一歩ずつ今日も歩いているつもりだ。

No(4672)

■…2016年 4月29日 (Fri)…….Heavy Lid Effects – Shoals Overdrive
これも一般的な「オーバードライブ」というテーマに対して、ここまできちんと向き合ってこなかったことの報いと言える。しっぺがえし、というか。

Overdrive、オーヴァードライヴ、オーバードライブの深き沼には、僕はいつだって、あまり足を突っ込みたくないと思っており、
今回もこうして「軽症」でなんとか脱出してこれたことに関してはgratefulな気分でいるし、なるべくこういうのには関わりたくない。
ファズとかそういうのはもっと深い底なし沼が待っているとか、そういうものらしいが、なるべくそういうのはご免こうむりたいものである。

僕がここまで、一般的なオーバードライブ、に、あまり関わってこなかったのは、その必要がなかったからだ。
つまり、このバンドが始まったばかりの頃は、Cranetortoiseのディストーションペダルが非常にクラシックかつ常識外れの広いレンジで、表現力が豊かだったため、下手なチューブアンプを鳴らすよりも結果は良く、それで音楽的なニーズはまかなえてしまった。

だけれどもAlbit/Cranetortoiseの良いところでもあり最大の弱点は、現場のギタリストのニーズ、そして現代の音楽シーンのニーズを、あんまり認識していないように思われる点である。純粋に技術者視点から作っているニュアンスがあり、そして純粋にヴィンテージを基準に律儀に作っている感じがする。ゆえに、現代の音楽シーンの中で演奏するギタリストからすると、あのブランドの音は、普段認識されているギターサウンドのレンジから、軽くはみだしてしまい、非常に使いづらかったりする。(もちろん、敢えてそれを使いこなすことが、大人の嗜みでもある。)

それはともあれ、その「レンジの広過ぎる」Albit/Cranetortoiseの古くさくて使いにくい音、を、しかしメインの歪みではなくして純粋にアンプをプッシュする真空管ブースターとして使うことで、マーシャルの歪みをパワーアップさせる用途として、僕はちょうどいい自分好みの「ハードロックの音」を手に入れた。つまりそれは僕にとっては現代に対応したヴィンテージである。

そんで、そのまま、その音に何の不満もなく、ここまで音楽を鳴らしてこれてしまった。

そんなわけで、ブースター用途のオーバードライブとして、僕は、たとえばBossのODなんちゃらとか、IbanezのTSなんちゃらとか、あんまり使うことなく来てしまったのである。(一応、IbanezのTSは持ってるけど、ね。)

その報いというわけではないが、以前にもこうして書いたように、ライヴの現場において、その真空管ブースターの音がしっくり来ず、そこにたまたま手持ちだったのがToneriderのAmerican Overdriveというオーバードライブのペダルだったわけだ。そして、そこで思わぬ良い結果が出てしまった。

(これはつまり、Cranetortoise/Albitの真空管ブースターの音が、それだけ難しい音であり、ハードルの高い音である、ということでもある。レコーディングでも死にそうになりながら弾くのである。そんな音で、毎回ライヴやってたら死んでしまう。)

これによって、「普通のオーバードライブのペダルをディグるべきかも」というニーズが、僕の中に芽生えてしまった。

そして、昨年末くらいから、この春にかけて、述べ15個くらいのペダルと比較しつつ試してみるというちょっとした儀式を行った。
その結果、Tonerider AO-1を越えて、「これにするっ!」と思わせてくれたものは、見つからなかった(爆笑)

改めて見ると、やはりこの中国の香港だか深センだかどっかの安売りピックアップメーカーが気まぐれで作ったこのペダル、もちろん最新高級のペダルと比べると、本質的に音抜けや鮮明さなどで劣る面はあるものの、やはりその意味のわからん押しの強さやパワー、そして現場での説得力など、ちょっと化け物じみている。

そして、以前、FBでシェアして「こんなのあったのか」とメンションした、Shoals Overdriveである。
カリフォルニアあたりのどっかのしがないプレイヤーが、たぶん純粋に自分の必要なものの延長で作り上げたっぽい、いまどきよくある小規模ビルダーのペダルであると思われる。Heavy Lid Effectsの、Shoals Overdrive。

これの何が気になったか、って、それはもう、「見た目」である。
見た目が9割、というか、もうね、それは、僕はいつも機材は。「見た目」が10割である。
それは、やっぱり美意識ということだと思う。
ステージで使う楽器だけじゃなく、録音機材だってそうだ。

女の子だってやっぱり見た目がすべてだけれど、けれども、どのような見た目を良しとするのかは、人によってまったく基準が違う。そして、その「見た目」から、どれだけ人の内面を見抜くのか、という観察力も問われる。そして実際に考える前にすでに精神や肉体が言葉を使わずに感応しているのならば、他人から見てルックスがどうであろうと、やっぱり当人には最高の美人に見えるものだ。

話はそれたが、歪みというものは難しい。
ギターサウンドというものは難しい。

どこかの楽器販売サイトのコラムに、ギターの音を構成する比率とは、実際にはギター1割、アンプ4割、キャビネットが5割なのだと書かれていた。
たとえば今回僕がああでもないこうでもないと検証していた「オーバードライブペダル」なんてものは、その中のおそらく3%とかそれくらいのレベルのものに違いない。

けれども、そのほんのちょっとの違いに、プレイヤーは躍起になるし、そのほんの0.2パーセントとかの違いを敏感に感じ取り、それで表現が可能になったり、不可能になったりしてしまう、それがギタリストという生き物だ。

たとえ本当に音への影響は「1割」であったとしても、入力装置としてのギターのフィールが、ギタリストにとっては大きな違いであるのは、そしてそのギターの信号を最初に増幅する位置に置かれた「オーバードライブペダル」の微妙な違いにこだわるのは、
それはたとえば、ゴルフで言えば、500ヤードのコースを、ドライバーでナイスショットして300ヤードかっとばそうが、アイアンのアプローチでピンそば5メートルに付けようが、最後のパットがほんの2センチそれてしまえば、永遠に目的にたどり着くことはできない、そういうことなのだと思う。

ましてや歪み、である。
歪み、なんてものに対する考え方、捉え方、スタンス、向き合い方は、ギタリストそれぞれだと思うし、それがあまりにも千差万別であるからこそ、世の中には数限りないオーバードライブやディストーションのペダルが存在する。

そして、ギターサウンド、その歪みサウンドに、何を要求するのか、どれだけのものを要求するのか、というその音楽が求める要求。結局はすべて、それによるものだと思う。

俺がギターサウンド、その歪みに求めるのは、オープンでクリアなハイエンド、つまりは透明な歪み、十分に伸びやかなゲインとサステイン、ミッドハイの情報量、太くパワー感のあるミッドロー、そしてタイトで鋭いロー、みたいな感じだ。ミッドハイ、つっても、それを1.8kHzに求めるのか、あるいは3.2kHzに求めるのか、それはケースバイケースなのだけれど。

そんでもって、ヘヴィメタル、という命題がある。
このヘヴィメタルなんていう曖昧な概念。
今となっては余計に曖昧だが、すでに実のところ70年代とか80年代の頃でさえとっくに曖昧であったこの「ヘヴィメタル」なんていう概念。

その概念、どう捉えるか。どう捉えて、どう構築するか。
それは、そのギタリストの感性であり、イマジネーションであり、力量であると思うが。
ミッドの張り出した音をヘヴィメタルと呼ぶのか。
あるいは、ドンシャリの音をヘヴィメタルと呼ぶのか。
ジャキっとした切れ味良い音をヘヴィメタルと呼ぶのか。
あるいは、こもった密閉感のある音をヘヴィメタルと呼ぶのか。

それは、特にメタルを聞かないリスナーからしてみたら、ぜんぶどれも似たようなものであり、「同じじゃん」で済んでしまうかもしれず。
あるいは特に熱心なリスナーでない限り、メタルファンであっても、その違いがわからないかもしれない。

けれども、弾き手はそこに明確な違いを持って、そのサウンドを作り上げるのであって、いかに「歪み」というものが、そのほんの微妙な違いによって、是か非か、その違いが決まってしまうものかということだ。

たとえば、世の中にいっぱいあふれているオーバードライブのペダル。
これの主流のひとつが、TS系と呼ばれるもので、実際に世の中にあるオーバードライブペダルのうち、かなりの割合のものが、実際にはこのTS系、つまりIbanezのTube Screamerをベースにして設計されたものだと言われている。

だから、つまり、TSでいいんだよね。
そう、チューブスクリーマーで、別にいいんだよ。
あるいは、世の中にたくさんあるチューブスクリーマーもどきで、構わないわけさ。

だけれども、人によってその「チューブスクリーマーでいいんだけど、もうちょっとだけ、このへんが」とか、そういうのがあるので、
その「ほんのちょっとの違い」を具現化した「自分だけのチューブスクリーマー」を求めて、誰もがさまよい、そして、たくさんのビルダーが、それぞれのモデルを作り上げる、ということになっているんだと思う。

ほら、バーボンの味なんて、みんな似たようなもんだ、って思っても、やっぱり人によって、いろいろ好みがあるだろう。(ちょうどHeavy Lid EffectsのウェブサイトにBourbon Tastingなんて言葉があるように、ギターサウンドはこれと同じだ。)

だから、言ってしまえば、この2年ほど、僕をいくつもの現場で助けてくれたこのTonerider AO-1も、間違いなくTS系のペダルだし、そして今回検証してみた、このHeavy Lid Effects Shoals Overdriveも、間違いなくTS系のペダルだと思う。

で、結論から書きますが、Shoals Overdrive、以下Shoals、
これは、僕にとっての、僕が考えるところの「ヘヴィメタル」を具現化するために僕のところへ来てくれたペダルであると、たぶん間違いなく言えます。

ひとつだけ不満は、もうちょっとLevelというかボリュームというか、出力のレベルがもうちょっと上がったらいいのにな、ってところ。
でも、それも別に、後段にEQ踏めば解決する話。

このペダルの説明書きには、別に「メタル用です」とかちっとも書いてない。
ただ、「ヴィンテージでウォームなオーヴァードライヴから、モダンハイゲインまで対応します」みたいなことが書いてある。メタル、という単語は、一言も使われていない。なおかつ、元々の商品名には”Memphis”という言葉が入っていたことから、どっちかというとブルーズを意識しているような感じだ。

けれども、その見た目は、非常にメタリックだし、なおかつメタリックかつクラシックであるのも気に入ったんだけれど、そのように、そのペダルのデザインというか見た目は、確かに全力で「メタルだぜ」と主張している。そして、そもそもがブランド名からして”Heavy”という言葉が入っているし、ブランドのロゴも80年代のメタルバンドみたいにギザギザにとがっている(笑)

少なくとも、僕にとっては、これは「ヘヴィメタルギターサウンドデバイス」で間違いない。

僕の考える「ヘヴィメタル」とは、どういうものなのか。
不思議なもので、僕はそもそもが、アメリカンハードロックが大好きな人間であった。だから、僕が目指すギターサウンドは、いつだってVan Halen的な、乾いたアメリカン寄りの音であるはずだった。
しかし、そうはいっても、日本人でもあり、もっと湿った、ブリティッシュ寄りの音を、年を取るに従って、必要とするようになってきたのだ。
このShoalsは、基本的にアメリカン寄りの音ではあるものの、意外と歪みのキメも細かく、鮮明で、かつDriveつまみを上げていくことによるローエンドの増強により、アメリカンを基本にしつつもブリティッシュ的なヘヴィメタルサウンドに近づいていく、という方向性を見出すことが可能だ。

そして、僕の考えるヘヴィメタルの理想の音とは。
わかりづらいかもしれないが、それは僕の人生最後のギターヒーローであるPeter Green、そのPeter Green’s Fleetwood Macにおいて、後期に鳴らされていた、たとえばRattlesnake Shakeのような音、といっても、昔のレコードだし、アルバムバージョンとは限らないし、いろんなライヴのバージョンの方かもしれないが。

要するに、Peter Greenは僕にとって、最高のブルーズギタリストでありながら、それと同時に最高のヘヴィメタルギタリストでもあるのだ。
そのニュアンスを、このShoalsはよくわかってくれていると、僕はなんだか思う。
レトロでありつつ、クラシックでありつつ、メタルであるという感覚だろうか。

Shoalsの宣伝文句には、前述のように、ヴィンテージウォームドライヴから、モダンハイゲインまでいけます、と書いてある。メーカーのウェブサイトにちゃんと英語で書いてあるので、別に日本の代理店の口から出任せではない。

けれども残念ながら、これは少しばかり誇張だと思う。
TS系のペダルとしては、確かにゲインの幅は大きくとってあるのだろうけれども、これはあくまで「オーバードライブ」の範囲であり、ペダル単体の歪みだけで、ハイゲインのメタルの音を出すというのは、やはり無理がある。
しかし、まるっきりの嘘というわけでもないのは、Driveコントロールを上げていくことでローエンドに深みが出るので、それによって確かに、モダンハイゲイン的な深い歪みのニュアンスは出てくるからである。軽くクランチする程度のアンプにぶっこんで、ボリュームを上げれば、確かに「モダンハイゲイン」な範疇のサウンドでの演奏は、可能と言えるかもしれない。

そんで、Driveを下げていけば、それは普通にすっきりとしたミッドレンジ重視型の一般のTS系ペダルのような音になっていくので、その線で音を作れば、ヴィンテージでウォームなオーバードライブは、確かに十分にこなせる。

しかし、やっぱりこのペダルの良さが一番生きるのは、Driveを上げていった時で、つまりこのDriveコントロールは、歪みが深くなると同時にローエンドも強調されるという、「メタル指数」を上げるつまみと言っていいもので、このDriveを上げていった状態で、アンプをブーストすると、非常に良い具合にアンプの音がメタリックかつ芯のあるホットな音になっていくのである。強度の強い音とでも言おうか。

要するに、オーバードライブというのは、80年代においても、アンプを「押す」役割として重視されたわけである。
BOSSのOD-1が名機とされたのは、それが当時のマーシャルを「押す」のに、ちょうどいいもので、またそれが当時の音楽シーンの音にマッチしたからだ。

それと同じように、Shoalsは、俺が俺の考えるメタルサウンドを作り出すために、現存のマーシャルを「押す」ためのデバイスとして、理想的なものかもしれない。

さていくつものペダルをそうやって比較してきたように、Tonerider AO-1との比較であるが、スタジオでアンプを鳴らす比較をした段階で、Shoalsはだいたい10ゲーム中の7対3くらいの割合で、気持ちよくToneriderを打ち負かしてくれた。
けれども、やはり部分的にはToneriderに軍配が上がる部分もあり、そのへんがToneriderの化け物じみた個性の部分である。

どちらもTS系の似たようなオーバードライブだから、当然なのかもしれないが、基本の音は、やはり似ていると言えるかもしれない。

ShoalsがToneriderの音に似るポジションが、今回試してふたつあり、それはDriveを11時くらいまで下げていった時、そこで、ローエンドがなくなってすっきりして普通のTS系の音になるあたりで、Toneriderの音に似るポイントがひとつある。
もうひとつは、Driveを2時か3時くらいまで上げていったあたりで、ここでローミッドの太さがToneriderとちょうど同じ感じになるポイントがある。
これはつまり、Shoalsと比較すると、Tonerider AO-1には、ローエンドはすっきりとしているものの、ローミッドは妙に太い、ということだと思う。
ただし前述のように、Shoalsの良さがもっとも生きるのはさらにDriveを上げていった際の無敵のメタル状態であるので、どの用途で使うかはケースバイケースだ。

基本的な音の鮮明さ、出音の高級さ、ということで言えばこれはぜんぜんShoalsの方が上だ。あとは、Toneriderが基本的に「使える」セッティングがひとつしかない(Drive9時か10時、Tone12時から14時、Volume15時かそれ以上)のに対して、Shoalsはどのセッティングでも、ゲインを上げていっても破綻せず使える音である。
出力レベルはToneriderの方が大きいので、もうちょっとShoalsにも出力が欲しいところがあるのだが、これはGainを上げていくことで対応できる部分もある。
ノイズについてはどっこいどっこいというか、出力が低いぶんむしろ本質的なゲインはShoalsの方が高いので、ローゲインで使うぶんToneriderの方が「静か」と言えるかもしれない。(これはやっぱり、「クラシックハードロック」的なToneriderに対して、「ヘヴィメタル」的な性格のShoalsと言える。)

自分の用途においては、自分の考える「ヘヴィメタル」というものを具現化するにおいて、Shoalsの方が明らかに高得点だし、いくつもの最新高級ペダルと比較して、勝ったとは言わないが決して負けなかったToneriderに対して、こうして自分の中の基準できちんと上回ってくれたShoalsというペダルに出会えたことは嬉しく思う。

しかし、かといって、Toneriderの妙に押しの強いミッドローとか、一部の個性ではToneriderの方が上回っているところがあるので、100パーセントReplaceするとは言えない。欲を言えば、ライヴの際に、ふたつとも足下に置いて、曲によって切り替えたりすれば、理想的かもしれない。メタルっぽい曲ではShoalsを踏み、ローゲインでRawな曲ではToneriderを踏めばいい。でも、そもそもが荷物を減らして軽くするためにこの手の「小さいオーバードライブ」を使い始めたのに(苦笑)

ひとつ良かったのは、これで、「Cranetortoise/Albitの真空管ブースター」が使いづらい現場においても、「本命の音」を妥協しなくていいことだ。はっきりいって、Toneriderの音は、自分にとって100パーセント満足できる音ではない。ないけれど、結果が出てしまうから使っているだけのことだ。だけれど、Shoalsであれば、「一般的なギターサウンド」の範疇からはみ出すことなく、それでいてその中で「理想の音」に近付ける。そんで、言ってしまえば、サウンドの純度とか、あるべき音とか、ギターの個性をそのまま生かす、といった点においては、間違いなくShoalsの方が上だ。

要するに、「納得のいく、良いクオリティのTS系のペダル」を誰もが必要としていて、やっと僕もこれで、自分に合った「良いクオリティ」のTS系ペダルを手に入れることが出来た、ということなのだと思う。

その必要とする方向性とか、要求とか、ストライクゾーンが、やはり、たぶん僕はそれなりに狭かったに違いない。見た目も含めて(笑)

だから、いくつか試した、いろんなペダル。
それらは、どれも、良かったし、クオリティは、音抜けや、音質とか、いくつもの面でToneriderを上回っていた。
たとえば、何度も書くけれどEastern Music DeviceのProDriverはかなり良かったし、Rockett PedalsのArcherなんかも、バンドで使ってもきっと違和感ないと思う。
けれども、やはり、いちばん大事なのは、「これが俺の音だ」と思えるかどうか。
そして、「これで俺の音が作れる」と、自分の美意識の中で思えるかどうか。

その点で、Shoalsは、それらの試したいくつもの高名なペダルを上回っていた。

俺の考えるヘヴィメタル、そしてクラシック、そういう音が出たってことです。
これが生涯最後のオーヴァードライヴとなってくれたらそれでいい。

No(4673)

■…2016年 4月29日 (Fri)…….リトルプリンス
どのジャンルのどの宗派も、どの陣営も、旅立ってしまった星の王子様を自分の陣営に引き入れるのに必死だ。(実際にはエホバの証人の信徒であったことは有名かと思う。) 死んでしまった人に対しては皆、好きなことが言えるようで。
繰り返しになるけれど、どんな偉大なアーティストであったにせよ、僕はたぶん殿下とは、あんまり関係がない。そして、理由はわからないが、殿下のギタープレイは、なぜだか俺には、ぐっと来ない。(いや、理由は、わかるけど、書かない。)
でも、妖艶なグラムロックが好きな変態ロックファンの一人としては、とりあえず基本いつでも半ケツがスタンダードなのは、良いと思う(笑)

No(4674)

■…2016年 4月29日 (Fri)…….コピーライト
人生において、クリスチャンてやつは「ハンドルから手を離して〜(©CLOD)」神にすべてを委ねるという生き方を理想とする。しかし時において「ここまでは君ががんばりなさいね」と神に言われる時がある。「そこから後は私が面倒見るから」と。(しかし神の言葉においてはそこすらも定かではないwww たどりついた途端に「じゃあもう5km走ってみようか」とかwww) 外側からはわからないかもしれないが、僕にとっては、今がまさにその時だ。しかも、結構重大な節目に当たる。それは、なんというか、やっぱり、結構つらい。半端ない重圧にさらされている。だが、ここが人生いちばんのふんばりどころ、と思って、一日一日、やるしかないと思っている。それさえやり遂げれば、ハンドルから手を離す準備は万端だ(笑)

No(4675)

■…2016年 4月30日 (Sat)…….I got my dreams
夢を語る。無理かもしれないが想像の翼を広げてみる。
なぜなら、想像することに限界は無い、と思うから。
人生の中で、こんなだったらいいなという夢。

世界でいちばんのギターに出会い、弾く。
一万年後にも色あせないサウンドを残す。
宇宙規模で次元の扉を越えて響き渡るようなギターを弾く。
宇宙ロケットのような、次元ロケットのようなギターを弾く。
僕が出したいのはヴィンテージの音ではない。
いわんや、いまどきの音とか、ちょっと2、3年先を行く音でもない。
僕が出したいのは、神の国の音であるからして、
年数にしてみればたぶん10万年くらい先の音を出したい。
時を越えて、宇宙そのものを産み出すほどの音を鳴らしたい。
音で宇宙を作ってみたい。
ひとつ、ふたつ、音で宇宙を作ってみたい。
音を鳴らすだけで惑星が祝福につつまれるような音楽家になりたい。
音を鳴らすだけで太陽系に、銀河に祝福が広がるようなバンドになりたい。
宇宙に調和をもたらす音楽を奏でたい。
宇宙にフォースのバランスをもたらす”chosen one”なバンドになりたいw
“Force is strong with this band.”
世界最高の女性と出会って結婚したい <– はい、叶ってますねwww
世界でいちばんのインディーバンドでありたい。
音に触れただけで意識しなくても生き方が変わってしまうくらいのおそるべきバンドでありたい。
音楽性、創造性、信念、メッセージ、生き方、サウンド、ソングライティング、それらの面で地球のトップを行くバンドでありたい。
不可能を可能にするバンドでありたい。
底辺に生きる人たちが底辺のままで世界を変えられると思わせるようなバンドでありたい。
神の国のヒットチャートにランクインするバンドでありたい。
それら神の国の想像を越えた伝説的なミュージシャンたち(地球だけでなく、各銀河からのレジェンドたち)と競い合えるようなミュージシャン、ソングライター、プレイヤー、でありたい。
宇宙のSpotifyで文字通り星の数ほど再生されるようなヒット曲を書きたい。
地球だけでなく、銀河を相手にコンサート活動をしたい。
銀河に向けて、地球を出発したら、その先は、はるかその先で見つけるその音とは。
誰にも動かせない、誰にも奪えない、誰にも偽れない、今、ここ、この国、この場所、この命、この日本、を、鳴らしたい。
宇宙に向けて鳴らしたい。
今、この場所こそが宇宙の中心なのだという音を鳴らしたい。

意外と想像力が豊かではない(^^;
自分が心の中で、人生の中で、
何を欲しているのかを知るためにも、
もっと練習が必要だ。

こういう「祈り」は、未来に向けて叶うこともあるが、
経験上、過去に遡って叶ってしまうこともたまにあるから要注意だ。

ちなみに聖書でイエス・キリストは、からし種ほどの信仰があれば、山を動かすこともできる、と言っている。
俺は、それはわりと本当だと思っている方だが、
だからこそ、山を動かしたい、と言われたら、まず「何センチ動かしたいのか」と聞くべきだ。そして「いつまでに動かしたいのか」「何のために動かしたいのか」ということも。
とくにこの地震の多い昨今の日本では、やたら動かしてもらうと明らかに問題がありますからね・・・。
で、もし相手が本気なようであれば、一緒に祈ってあげましょう。
山であれ海であれ、確かに動いてるわけですしね。
地球だって高速で回ってるんだし。

でも人間、そうそう何でも本気になれるってものじゃないです。
本気になって祈るのって、案外難しいもんです。
信じるのにも練習が必要というか。
本気になるのも才能ですね!

だからこそ自分が何を望んでいるのか、俺はちょくちょく、自分に問うてみたいと思っちょるのですよ。

No(4676)

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