2017年11月の日記

■…2017年11月 3日 (Sat)…….Literally 星になりたい
このリンク先のビートたけし氏のインタビューが味わい深い。
こちら
「恋い焦がれる」楽しさと悲しさ 70歳ビートたけし「純愛」を語る

自分のバンドの、音楽人生の節目で考えていること、この前のうちの嫁さんの若かりし頃の姿、いまだに時折聞くことのあるs.m.さんの音楽、そしてこの前のMs.Overtureの事件など、をきっかけで、こういう話題についつい触れてしまう。

お酒を飲んだら誰かに聞いてほしいところなのだけれども(笑)、
僕は13歳の頃、ある一人の女性に出会った。

不思議なことだが僕はその女性の、たとえば小学生の頃の姿もなんとなく知っている。だが、それはまた別の話である。さかのぼって話し出すときりがない。

その女性はつまり僕がこの日記で呼称するところの[s.m.さん](と表記することが多いと思う)のことであるが。

僕は17歳の頃、その女性にラブレターを送った。熱心でわけのわからないラブレターである。今の時代にはもうそんなものは無いかもしれない。だが少年がラブレターを書くことに不思議は無いかもしれないが、内容は何を伝えたいのかさっぱりわからないものだったと思う。おそらくはラブレターとすら言えないものだった。

なぜその女性にそんなラブレターを書いて送ったのか、僕はその理由が自分でもぜんぜんわからなかった。
なぜ、初恋のその女性(この冠は事実であるので献上したい)のことが、いつまでもそんなに脈絡もなく気になるのか、自分でも「おかしい、変だ」と不思議に思っていたのである。

別に付き合いたいとか、そういうのでは必ずしもなかったと思う。
ただ、何か、とても伝えたい大切なものがあったのだと思う。
少なくともその時の自分はそう感じていた。

その伝えたい大切な「何か」とは何だったのか、歳を経た今、僕は以前より多少はっきりとわかるようになったし、今の自分はそれをもう少し上手く伝えることが出来るだろう。もちろん、人が人に対して何かを「伝える」ということの絶望的な距離を目の前にして途方に暮れることは変わらないにしても。

僕はその手紙のやりとりをした直後に、確か、”Seventeen’s Requiem”という曲を書いた。自分のバンドの名義の作品の中では、その後、一人宅録時代の作品である”Entering The New World”にその曲は収録してある。

先日、古いビデオテープをデジタル化したと書いたが、2007年の「Tone – はらっち – ババくん」時代の貴重なライブ映像が出て来て、びっくりしたのだが、その時の2007年6月のライブが、その「Seventeen’s Requiem」をバンドでライブ演奏した、今のところ最初で最後の機会だと思う。メタル系のイベントだったのに、あまりにも青くてピュアな青春ソングを歌い上げてしまったので、めっちゃ浮いていたと記憶している。またいつか演奏したいと思ってはいる。(アコースティックで演ったことは何度かあるはずだ)

[Seventeen’s Requiem]は、必ずしもラブソングではなく、またその女性のことを直接的にモデルにした曲でもない。それは少年の心の内面を題材にした曲であって、純粋に青春を歌ったものだ。けれども、その[s.m.さん]に間接的にインスパイアされて、また「捧げた」曲であることに間違いはない。歌詞が、ものすごく青くて恥ずかしいんだけどね。でも、敢えてそこは変えていない。

もちろん、その女性(s.m.さん)をモチーフにして書いた曲は、他にもいくつかある。[丘上烈風]なんかはわりとモチーフにしたし、もっと後になると[A Girl in the Mirror]の歌詞なんかも多少影響を受けている。

しかし、そんなことを言ったら、うちの嫁さんの影響で出来た曲とか、うちの嫁さんに献じた曲は、それこそもっといっぱいある。数えてたらキリがないくらいだ。

18つーか高校3年の秋に書いた、今年「完成版」のヴォーカルをやっと録音したところの「I」なんかはその最たるものだし、その高校生当時、雨で嫁さんとデート出来ない日にユーミン(荒井由実)みたいな曲が書けてしまった「雨の日の妖精たち」とか(そのリフは、今度制作するOvertureの中の、Mistakeという曲でリサイクルしている)。
“Revive The World”の最後のトラックである”17years”っていう曲なんかは、その”Seventeen’s Requiem”の続編のようにして書いた実体験をもとにした曲で、ものすごくストレートに嫁さんに捧げているし。それこそ、That’s why I love youとか、他にも挙げていったらキリがない。

ていうかそもそもバンド名とか、音楽そのものを嫁に捧げている状態だしね。見ればわかるように。

もちろん、クリスチャンバンドになってからは、「神へのラヴソング」が圧倒的に多くなったのは言うまでもないことだけれども。

だから、よく皆さんにお話するエピソードとして、「奥さんはどうしてクリスチャンになったんですか」っていう話で、俺が嫁さんに対して「僕、ちょっとクリスチャンになろうと思うんだけど、君も一緒にどう?」って聞いたら、「うん、わかった。私もなる。」みたいな、そんな軽いノリとか、そういう笑い話みたいにいつも話しているけれども、そのへんも、こうして話すとわかってもらえるんじゃないかと思う。(わからんか。笑。)

つまり、僕たちにとってはおんなじことだったんだよね。
愛を信じたり、お互いを信じたり、そういう希望とか運命みたいのを信じることと、
神を信じるってことは。
だから、なんにも違和感なかった。

ああそうか、神はキリストだったのね、この、ずっと前から僕らを上から見守っていてくれていたところの神は、イエスさんやったんや、と、そう気付いただけの話。

話が逸れとるな。

で、どちらにせよ、僕は17歳の折。その初恋の女性であるところの[s.m.さん]に、それはそれは、よくわからない、不思議な内容の、ラブレターをお送りした。
自分でもその理由がよくわからないままに。

で、俺はその時の気持ちを曲にして、その後、その女性を曲のモチーフに使わせてもらうことも何度かあった。

が、その当の相手である[s.m.さん]も、僕のこと、というか、この事柄をモチーフにして作品を作り、そしてこの時僕が書いたラブレターの内容も、けっこうそのまんま、曲にしていただいた。

その後の活動をフォローアップしてないし、チェックしなければ、と思ってはいるのだが、なかなかそれだけのことにも勇気が必要なので、

だからチェックしてないが、今でも俺は、s.m.さんのファーストアルバムは、当時のローカルなインディーシーンのヴァイブを色濃く反映した、とんでもない名盤だと思っているし、全曲ゲスト参加の発想で作られたにぎやかな2ndはもちろんのこと、その「遅れてきたラブレターの返事」とも取れる、パーソナル感を打ち出した3枚目も、素晴らしい作品だと思っている。
その後の、その当時のピコピコ(ヘビメタ、と同じくらい差別的か、苦笑)シーンの誰が有名になったとかならないとか知らないが、そんなの関係なく、俺はあれは素晴らしかったと思っている。

まさか、私がその女性に「初恋」なんて貴重なものをした理由が、そんな「音楽的な理由」だったとはつゆも知らなかったし。特に、その13とか思春期の頃には。

そこに音楽があり、彼女が音楽(アート)であったからこそ、私は恋をしたのだ、ということに。

いつも思っていて、仮説として何度も話していることではあるが、
たとえば、僕が少年の頃、もう少し、自分に素直になれる男の子であったら。
たとえば家庭環境や、育ち方の問題で、もう少し、愛情に対してまっすぐに向き合える少年であったなら。
そして少年時代の、自分の「自我」の目覚めが、もう少し早かったら。

自分の人生は今とは違っていたかもしれない、と思う。

俺は少年時代の夢、目標、のとおりに、法律家の道を歩めたかもしれないと思う。
バンドなんてやらなくて済んだかもしれない。
そしてまた、あるいは同様に、彼女も音楽をやらなかったかもしれない。

そして・・・世界はどうなっていただろうか。
今と違った世界になっていただろうか。

けれども、現実には、こうして僕のとなりには「うちの嫁さん」が居て、
[s.m.さん]は2000年代のインディーシーンを彩ったエロクトロポップ系のシンガーであり、
そして僕は日本でほとんど唯一のクリスチャンヘヴィメタルバンドをやっている。

それもひとつの結果には違いない。

どちらにせよ、結果というのは、音楽的なことだ。
絵に描いたような優等生でありながら、誰とも友達になれないいじめられっこであり、また既にヘヴィメタルの洗礼を受けていた、そんな13歳の思春期の少年にとって、そこに好きになれる女性が一人いる、というだけで、どれほどの大きなことだっただろうか。

黄金時代のヘヴィメタルのサウンドと相まって、その女の子の存在こそが、数年かかって僕の自我を「叩き起こした」のである。

それは、その女の子が非常に魅力的な女性だったからだ。
誰でも良かったわけではない。
特別な人だったからこそ、僕に対してそんなことが出来たのだ。

それを証拠に、彼女は私が一人のインディーミュージシャンとして、心から共感し素晴らしいと思えるような、そんなインディーアーティストになり、素晴らしい作品を作ったではないか。

そこにはいつでも音楽があった。

だからいつも言っているように、僕は理想的な少年時代を手に入れることは出来なかったけれども(S.M.さんのタイムラインの意味では)、
音楽的には、これはおそらくはベストの未来だった。

そして、いつも言っているように、
うちの嫁さんはヘヴィメタルだ。
だから、俺は決して、ヘヴィメタルが好きだなんて、素直には言えない人間だけれども、
たとえそうであったとしても、ヘヴィメタルの方で、俺を選んだのである。

ロックの女神が、
そしてヘヴィメタルの女神に、俺は選ばれたのだ。
だから、日本人でありながらクリスチャンメタルなんていう、難しいことをやっている。
そういう使命を割り振られたから。

書いておきたかったのは。

では、俺は[s.m.さん]に対して、何をしたのだろう。
何も出来なかったけれども、何かをすることが出来たのか。

あのわけのわからない内容のラブレターは、いったい何ためだったのか。
そして、その後、彼女の1stアルバムを聴き、僕はなぜ、彼女に会いに行き、レーベルの人たちと知り合い、そう、思い出した、そこで何をやって、それはつまり、俺は、聴きたかったからだ、続きが、もっとやってほしかったからだ、音楽を、彼女に。そのために俺は、自分の足で動いてみたのだった。

俺は単純に、その続きの音が聴きたかったのだ。

どっちにしても、2ndと3rdは、それで聴くことが出来た。

だから俺が、その女性に対して、あげたものは何だったのか。
それはつまり、少年の純情というやつだったのだと思う。

決して、どこにも売っているものではない。

言葉にして説明できるものでもない。

でも、音楽の中から、感じ取ることは出来る。

わりと貴重なものを、あげてしまったと思う(笑)。

She, of course, deserves it.


自分の音楽人生の節目を前にして、
フォローアップをすべきかと、考えないこともない。

曲はある。十分にある。
歌ってくれるシンガーはなんとなく探してはいる。

これまでもフォローアップをまったくしなかったわけではない。
けれども、タイミングも距離もある。

必要ないんじゃないかなとは思っている。
でも、作ってしまった音は、何かの形で歌われなくてはならない。

誰か歌ってくれるだろうか。

決定打となるシンガーには、未だ出会っていない。

(註: うちの嫁さんは、ひどい音痴である)


そんなふうに、僕の人生において、そういう要素は、およそ人生の最初の頃にだけ、少しだけあった。

だからこそどんなことにせよ、子供の頃のこと、少年の頃のこと、俺は大切だと思っている。
大人になってから、とか、そういうのは、全部、人間の都合というか、大人の都合だからだ。
楽器の演奏にせよ、スポーツにせよ、教育ひとつとっても、大切なことは結構、子供時代であるとか、少年時代に、存在している。

大人になって、社会的地位も得て安定して、適齢期になって、じゃあお相手を見つけましょう、とか、人間というものはそんなふうに都合よく出来てはいないと思う。

そんないきさつだから、僕は、二十歳を越えてからというか、大人になってから、女性に惹かれたことがない。わかりやすく言えば、恋をしたことがない。それは、僕みたいに世間との距離が遠く、世の中そのもの、とか、時代そのものに、距離を感じて、それが人生の前提になってしまっている人間にとっては、そんなに不自然なことではない。

けれども、人として、それは不幸せなことだな、と思うことはある。

それは社会そのもの、世界そのものに、最初から幻滅している、ということに他ならないからだ。そもそもこの国、この場所、この時代に生きている女性に、魅力を感じない、ということは。

寂しいことではある。
(以前、オオハラ氏にこの話題をちょっと話したことがあったが、言葉が足りなかったので、たぶんなんか誤解されている、笑)

そんな折に突然起きた[Ms.Overture]と霊的能力の顕現の事件は、ちょっとした小さな点ではあるが、面白い出来事ではあった。

あれは霊的な事象を通じての間接的な疑似体験だったので、つまりは自分ではなく他人の感覚を一時的に体験しただけだったので、自分の中の恋愛感情のカウントには入れないけれども、そうであっても、ふーん、そうか、中年になってから若い女性を好きになるとこういう状態になるのね、という「気分」を疑似体験することが出来た。

それは気持ち的にというよりは、霊的現象だったから、そっちの方が苦しかったけれども、おかげでXTCのApple Venus Vol.1のアルバム後半の曲をよく理解することが出来た(笑) これは結構、俺としては重要な収穫なのである。

どちらにしても、「そんなに素敵な女性がいるのならこの世界もまだまだ捨てたもんじゃないな」なんて思えたら、それだけでも良いじゃあないか。

俺はその人物の、容姿は知らんが、内面は信じたい。知らないからこそ、その貴さを信じたい。
だって、神の愛ってそういうものだろうから。


神の愛を誰かが伝えなきゃいかん時、
誰に対しても、それは皆にエブリワン伝えなければいけないのだが、
愛なんてものの希少性を思うとき、
じゃあ美人だから伝えなくていいよね、ってわけにいかないので、
しかも誰かが幾人もの人間が、一人の人間の人生の中で、幾人かが担当して何度も伝えなきゃいかんものであるから、
霊の命によってそのチョイ役を振られただけのことである。

もっとも、俺はその「少年の純情」ってやつはs.m.さんにあげてしまったし、
その後の愛情はほっとんどすべて四六時中うちの嫁さんにプレゼントしているので、
人にあげられるような愛情はあんまし残っちゃいない。

だからせめて音楽をやっているんだと思うんだけれど。。。。

魂の義務として。

いまどきのインディーバンド、特にメッセージのあるバンドは、
70年代とか80年代じゃないんだから、
ファンと親密な関係にならない方がいい。
これはいろいろを見ても事実だと思う。
そういう時代じゃないし。

けれども、歴代においては、そういうバンドだから人気が出る、ということも事実なのだし、つまりバンドをやる、ということの、もっとも共通した目的は「女にもてたい」ということであり、ロックバンドの求心力は、その一点にあることがほとんどだからだ。

そのへんにおいて、うちの「わかりにくさ」は、最初から認識している。
はなっから全部嫁さんに捧げてんじゃん、っていうのが、まるわかりなバンドでもって、何をしたいのか、普通は理解できないだろうし、そういうケースがほとんどだった。
うちのバンドのステージや、ウェブサイトとか見て、怒り出す人がいる、っていうのは、わからないではない。
つまり、客商売としてステージの上に居る演者は、客に媚びることがサービスとして必然の業務だ。
媚びることが当然になっている世の中で、逆のものを目にした場合、人は怒り出す。

クリスチャンバンドになってそこの状況はわりと改善したが(笑)

お前は何になりたいんだよ、みたいなことは、きっとあると思う。
ロックスターになりたいのか、人気者になりたいのか、成功したいのか。
全部、答えは、ノー。

その時点で、すでにほとんど人の理解の範疇からは外れる。

バンドやってるのに、寺沢武一のコブラの真似して「人気者になるためにやってるわけじゃないからな」って発言してしまう。バンドの評価って人気だろうに。

じゃあお前は何になりたいのか。
何になりたくて、こんな気の遠くなる、まわり道みたいなことをずっとやってんのか。

その答えは、ずっと前にすでに提出しているつもりなんだけれどな。


なんにせよ、このビートたけし氏のインタビューにおいて、
氏の書いた小説の内容に触れて、
肉体関係がなくても、相手と一緒にいたい、という感情というか内容につれて書かれている。

俺はそういった世間一般の「草食」みたいなあれこれについては賛成でもあり反対でもあり、両方あるけれども、

そのことはともかくとして、
僕はこれよりももう一段、上の感情を知っている。

つまり、側にいられなくても構わない、という気持ちである。

太陽って知ってるだろうか。

日本語がおかしいな。

太陽はみんな知っているはずだ。
昼間に、晴れた日に、頭の上でかがやいているあれだ。

愛情ってやつを究めるとあれになるんだと思う。

側にいなくてもいい。そもそも太陽だから肉体関係とかそういう話ですらない。

ただ、あの人のことを照らしていたい、って。

あの人の行く手を照らしていたい、って。

ああ、そうか、って思ったんだよね。

だから太陽は輝いてるんだな、って。

なんかの宗教において、
たとえばモルモン教とかでも、怖いから知らんけど、
死後にどうなるとか、ああなる、とか、
いろんな教義が宗教によってあるんだと思うけれど、

だからって、実際にそうだとは思わないけれども、
太陽にせよ、地球にせよ、風にせよ、水にせよ。

太陽が輝いてるのは、
風がそよぐのは、
水が流れるのは、
愛のせいなんだな、って。

つまり、誰かが思ったんだよ。
強い愛情で。
大きな愛情で。
自分は、あの人のことを照らしてあげたい、って。
あの人の渇きを、潤してあげたい、って。

その結果、太陽が輝いてる。
せせらぎに水が湧き出している。

で、太陽は、別に一人の人間だけじゃなく、
地球上の誰のことも、わけへだてなく、全員を照らし、全員に光が降り注ぐじゃない。
何の差別もない。

そういうことなんだな、って。

愛ってすごいんだ。

だからね、あんな素敵な人のためなら、照らしてあげよう、って
その一人の女の子のために、太陽は輝き、地球人類は滅亡を免れているのかもしれない(笑)

そして逆に、そんな素敵な人のためなら、あんなまっすぐなやつのためなら、今日も地球を照らし出してやろう、って、
そんなふうに思わせるような、素敵な人間が、一人でも二人でも、この地球上に増えたら、
世界は続いていくかもしれない。

だから星が輝くのは愛ゆえなんだ。
太陽が昇るのも愛ゆえなんだ。

夜空の星が、一瞬、きらりと光って、それが、何億光年もの時を経て、地球に届いたのは、今、君のために、君の頭上で、またたきかける、そのためだったかもしれない。

そのためだったら、その愛は、光は、何十億光年も旅をする。

そして、その価値はきっとあるよ。

No(4955)

■…2017年11月 3日 (Sat)…….コンセプトの形、届く
The CDs, have arrived.
発注していた”Jesus Wind”のCDが届いた。
その数、500枚。
多いか少ないかの判断は自分ではわからない。

おかげさまで、良かったことには、届いたCDには何も問題がない。
ジャケットの印刷も、思ったとおり、予定していた通りの仕上がりだったし、
肝心の音についても、ちゃんと問題なく再生されているようだ。

ここのところのずっと懸案事項だった、このCD制作が、予定どおりに無事に完成して、形になって届いた、このことによって、胸のつかえが取れたというと違うかもしれないが、ほっと一安心、確かに気持ちがずいぶんと楽になった。

あとは週末のバンド練習の際に、クラウドファンディングの発送ぶんについて皆でサインして、そして発送し、そしてあとはデジタルダウンロードのセットアップをしなければならない。

もちろん、その後も、フォローアップや営業など、いろいろな「業務」が待っているが、大きな山はとりあえず越えたことは間違いない。

形になってきたものを見ると、やはり感慨がある。

馬鹿みたいな話だが、きれいに制作された12ページのブックレットを眺めていると、やっぱりちょっと、メジャーのCDのようで、不思議な気分になる。
この「歴史もののコンセプトアルバム」なんてものを考えついた時には、いったいどんな形で、どんなパッケージで制作すればいいのか、まったくわからなかった。

今回、この”Jesus Wind”のクラウドファンディングが成功したことについては、本当に感謝しており、これは本当にバンド活動の中でも最大級の祝福に違いない。そして、それによってこんなふうにきちんと、しかるべき「形」にして作ることが出来た。

わかんないから、とりあえずやってみよう、と立ち上げたクラウドファンディング。
そして、ジャケットのデザインとかに関しても、成り行き任せで、周囲にアドバイスを乞いつつ、そしてファンディングが成功に近づくにつれ、それに促される形で、こうしてブックレットをデザインした。なんというか、成り行きに任せていたら、いつのまにか出来ていた、という感覚だ。

そしてそれが形になって手元に完成してきた。
やっぱりこれはちょっとひとつの大きな感慨だ。
このコンセプトアルバムのために、ずいぶん時間も労力も、年月もかけたのだから。

自分が作った音源であるのだけれども、
ハードディスク上にあるwavやmp3のファイルではなく、AudioCDという形態で聞くと、また違った感覚がある。

もちろん、これはオーディオ的にもよく知られたことであって、オーディオCDなんてものは、読み込み率とか、エラーレートの多いメディア形式であるのは周知の事実だ。
だから、CDプレイヤーではなくて、読み込んでハードディスクで聴いた方が音がいい、なんて言われるのは今では一般的に知られていると思う。

僕のMacBookは備え付けのCDドライブが既に壊れているので、外付けのCDドライブをUSBにつないで聴くのであるが、だからそのせいもあるのだろうけれども、こうしてCDで聴くと、いかにも昔のメジャーのCDのような、そしてなんか、邦楽というか、日本のメジャーみたいな音である。

今回、日本の業者さん、に頼むのは当然なんだけれど、国内プレスを選んだ。それは、海外プレスとあまり値段が変わらなかったのと、クラウドファンディングで資金を募ったこともあり、質を優先した方が良かろうと思った、あとは納期もその方が早かったからだ。

だけれども、こうして出来上がったきた盤を聴いたら、音までなんだか「邦楽メジャー」っぽい感じになっているのにちょっと笑った。しかし今回の作品においては、その方向性は必ずしも間違っていない。

懐かしい音、と言ってしまっていいかもしれない。
つまり、オーディオCDというメディアは、エラーレートも高い、効率の悪いメディアだったかもしれないが、その「薄い音」は、僕たちにとっては馴染みのある音であり、その「薄い音」を聴いて、僕たち世代はずっと育ってきたのだから。

そんな「薄い音」で自分の作品を聴くと、ちょっと感慨深い、そんな不思議なデジャブ感、いや、デジャブ、は、視覚だから、聴覚の場合は言い方が違うのか、フランス語で聴くってなんて言うんだっけか。

とはいえ、嫁さんのMacBookで内蔵のCDドライブで聴いたら、もっとまともな、ハードディスク上にあるファイルと同じような音になっていたので、やはりこれは、外付けのUSB式CDドライブのせいだったかもしれない。

どちらにしても、国内工場のプレスは優秀だと思う。

知らんけど、音なんてものは本当に難しくて、CDのプレスの段階でも音は変わるし、ちょっとしたことでも音が変わる。それが製品になって届く、までに、いろいろで音が変わることを考えると、本当に難しいと思う。

それこそ昔は、CDのプレスとか、マスター用のCD-Rに焼いて郵送とかしていたものだが、アメリカ行く時とか、CDbaby/DiscMakersとかに、アップロードで作れてたから、日本の業者もネット経由で入稿出来んもんかなとか思っていたら、いつのまにかCDプレスもDDPなんてものが普及して、あのいまいましい「CD-R」なんてものを経由しなくても、データをそのままの形で業者さんに送れるようになった。ちなみに今回利用した業者さんは、ソルフェイのオオハラ氏がいつも利用している数字の3がつくところ、の系列の国内工場の数字の9がつくところのやつである。

思い返してみると、前回CDを、100枚とかのツアー用のCD-R(duplication)じゃなくて、ちゃんとプレス(replication)したのは、2007年の”Japanese Pop”の時だったが、さっき、確認してみると、あの時は、定番の業者さんであるディスカバリーファームさんにどうやら発注していたようだ。ただ、それが国内プレスだったか海外プレスだったかまでは覚えていない。あの時は、なんと1000枚も作ったのだった。それは、僕はそんなに作りたくなかったのだけれど、あの作品も、周囲の人たちに助けられて、お金に関しても、さるお方に工面していただき、いろいろな方にお世話になって作った作品であったから、義務として形にしないわけにはいかなかった。

販売用のRは、過去にアメリカ行くときに100枚とか200枚とか作って、それはツアーの中で大部分売り切ったし、前作の”Revive The World”の時は、Rの形で200枚作った。それもおかげさまで(レビュー用配布なども含めてではあるが)、もうかなりなくなっている。弱小バンドのささやかな数ではあるが、海外ツアーとかそういう派手なことを全然していないにしては、ちょっとずつ地味に売れているのはありがたい。もっとも、やはりSpotifyやAppleMusicなどのストリーミングが世界的に普及してからは、BandCamp経由のCDの売り上げは確実に減った。

だから今回の”Jesus Wind”についても、時代を考えると、フィジカルというか、CDの形にわざわざしなくてもいいんじゃないか、それも500枚という数も、多いんじゃないか、とも思ったが、やはり節目の作品であり、そうせざるを得なかった。歴史的資料として、ある程度の数を作っておきたかった(笑) おかげさまで多少部屋は狭くなった。しかしその一部は、メディアとかへの送付へ使えるし。なんで500枚かっていうと、300枚作るのも、500枚作るのも、値段あんまし変わらないんだよね。部屋は狭いけれど、人様からお金を募って作らせていただくものだから、ちゃんと作りましょう、って。

願わくばさっくり売れてなくなって欲しいものだと思う。



音についての言い訳をしたい。

外付けCDドライブの、「まるで昔の邦楽メジャーのような音」で聴いていると、逆に感慨というか、自分たちで作った作品ながら、意外と出来が良いじゃないかと、がんばっているじゃないか、と思ったのであるが。

そうはいっても、「ああ、ここは失敗したな」とか、「音の処理を間違えてるな」と思う点は、もちろんいくつかはある。

もっとも、先日インタビューを読んだのだが、かの名プロデューサーBob Rock氏をして、氏が手がけた、歴史的な名作と言われるところのMetallicaやMotley Crueのアルバムを聴くと、「間違えた」点に耳が行くそうである。
だから、僕みたいのが手探りで作品作って、そういう点がいくつあっても、もちろんあたりまえのことだ。ただ、聴く人には純粋に楽しんでもらえたらいい。

もちろん、プロのエンジニアの方々の耳からしたら、ひとつふたつ、どころか、根本的にもっといろいろな間違いがある、なんていうことはわかっている。
だが、僕はメジャーとかプロの基準で録音作品を作っているわけではない。インディーバンドならではの価値観の中で、メッセージ優先で音を作っている。だからそれでいい。インディーバンドが、メジャーのような音を目指しても意味がないと俺は思っている。さらに言えばそのメジャーの音の基準も時代によってころころと変わる。もちろん今では、デジタル技術や、録音機材が発達、普及しているので、インディーバンドでも、かなりメジャーのような音が作れてしまうのも事実だが。

言い訳、および、注意点、というのは、つまりはインターサンプルピークというやつである。
mp3に変換する時であるとか、あるいはこのインターサンプルピークというものについて、昔から知らなかったわけではない。

けれども、俺は、ぶっちゃけ、気にしなかったし、今後も、きっとあまり気にしない。

要するに、デジタル上ではちっともクリップしていないのに、いざCDプレイヤーで再生したり、なんかの機器で、なんかの環境で再生すると、実際のアナログ信号はクリップしている、というあれである。

ぶっちゃけたところ、ありとあらゆる再生環境ですべてちゃんと再生される、なんて、そもそも無理な話であるし。
そして、いまどきの、デジタル機器が主流のリスニング環境を考えれば、俺はあまり問題になるとは思わない。

そして、自分自身、限られた環境の中でCDプレイヤーで聴いた時にも、問題になったことは無かったが、
そうはいっても、過去に、二度ほど、ああこれは、思い返せば、ひょっとするとこの「インターサンプルピーク」のせいだったかもしれない、と思う出来事がある。

ひとつは、2012年の西海岸版のThe Extreme Tourに参加した時に、お世話になった某お宅で、自分たちのCD、当時、出来たばっかりの”Japan Metal Jesus”を、再生してもらったのだが、そしたら、めっちゃ音が割れていた。
それは、とっても古い、なんかいかにも年代もののオーディオシステムであったから、そして「長いこと使っていない」みたいなこと言っていたから、CDそのものではなくて、オーディオシステムに問題があった可能性もあるけれども、どこかで聞きかじったに、そういった古いCDプレイヤーだと、このインターサンプルピークの問題が生じることがある、と聞いた、読んだ、ことがあるような気がする。だから、ひょっとするとそうだったかもしれない。

もうひとつは、Calling Recordsの仲間と一緒に、確かソルフェイの皆と出かけた時だったか、車の中で、Calling RecordsのコンピレーションCDを、FMラジオ転送でカーステレオで再生した時に、他の皆の曲は普通に再生されたけれども、うちのバンドの”Born To Ride”だけ、部分的にばりばりと音がクリップしていた。
俺は、「おお、俺のギターサウンドがオーディオシステムをはみ出したぜ!」と結構得意気だったし、実際、そんな気分なのが本音だけれど(笑)
あれもひょっとすると、FM転送される際に、インターサンプルピークが問題になったのかもしれない。

つまり、前作の”Revive The World”もそうだけれども、今回の”Jesus Wind”も、DDP作るときにHOFAのメーターの「インターサンプルピーク検出」をオンにしてみたら、めっちゃ発生していたのである、オーバーロードが。

しかし、かといって、前作の”Revive The World”も、これまでの作品も、買ってくれた方々から苦情が来たり、問題が生じた、ということは、少なくともないし、聞いていない。(わからんけど) 。自分とこの範囲では、実家の古いステレオシステムでも問題なく再生できていた。

インターサンプルピークの問題も、単純に一筋縄ではいかないもので、たとえば、いまどきのリミッターのプラグインなんかは、このインターサンプルピークにも対応したリミッティング処理をしてくれるものが多く出回っている、と思う。

しかし、そういったインターサンプルピークを丸めるようなリミッターを使うと、音が変わってしまう、たとえば、音が丸くなってしまったり、妙につるつるした音になってしまう、ということも事実なのだ。
その方向性が、合う内容の音楽であればいいが、やはりギンギンに尖っていたいヘヴィメタルとしては、こういった処理は、あまり好ましくない。

たとえば俺も昨年、「鍋島デモ」を作る時に、IKのStealth Limiterを使ってみたりしたし、それはそれで透明度の高い音であったけれども、結果的には良くない結果だった。
あとはBozのところのThe Wallなんかも決して嫌いではないが。

けれども、こういうのにも流行りがあって、要するに最近では、この手のつるつるしたリミッターの音がやたら流行っているのだと、きっと思う。

なんでも完璧にしなければいけない、なんでもメソッド通りにしなければいけない、世の中は、きっとそんな人が多い、それはきっと、皆が贅沢だからだ。完璧でありたい、乗り遅れたくない、と思うからだろう。そんな贅沢な世の中にcaterするために、業者さんはせっせと評判の定番商品を売りまくる。ハイプにのっかって安心したいのは、皆が贅沢だからである。群れの中にいるという贅沢だ。

俺は完璧でなくて構わない。
問題があって構わない。
人であれ音であれ、問題と向き合いながらなんとかやっていければいい。

だからそのへんのハイプやヒステリックとは距離を置いて、完璧でなくていいから、自分なりに音と向き合っていたい。

ただ、もしどうしてもCDで再生して聴きたい、って人が居て、自分とこのCDプレイヤーだと音が割れちゃう、とかいう人が居たら、それはもちろん、代替品をお送りします。

ちゃんとインターサンプルピークのぶん、ヘッドルームを空けたやつをCD-Rに焼いてお送りすることくらいしか、出来ないが。

Loudness Warなんていう言葉もあるけれど、俺としては、ちゃんと理由があってコンプやリミッターに突っ込んでるつもりなんだよね。
まぁ、今回の作品に関しては、最初に仮マスター作った後に、うちのベース君から、「もうちょっと音量上げて欲しい」って言われたから、さらに突っ込んだんだけれども(汗)。

いいじゃないか、ヘヴィメタルなんだから。

リミッターの弊害と言われる、Squashedなサウンドということについては、たとえば昨年出たAlter Bridgeのアルバムなんかは、ひどかったと思う。あれにくらべれば、まだ(汗)。

ところどころ、IKのリミッターやクリッパーのせいで、突っ込みすぎてノイズが出てるところもあるんだけれども、でも、そこまでぶっつぶれては、いないはずだ。オーガニックなサウンドの範疇に、とどまっていると思うよ。Hopefully.

次の作品は、最終段のリミッターはたぶんbrainworxのものにすると思います。別にIKのクリッパーが悪いわけじゃないんだけれどね。
T-Racksも新しいバージョンが出るらしいね。
MacBookのOSが古いから、そもそも対応してないけれど(涙)

以上です。
ひとりごとですみません。

No(4956)

■…2017年11月 3日 (Sat)…….わけのわからないもの
自分は宣教ということはわからないが、愛を伝えるということについては知っている。

自分は「救われる」ということはわからないが、神の愛のうちにある、ということについては知っている。

愛を伝える、ということは、一時的にハイな気分にさせて自分は幸せだと信じ込ませることではない。
実際には愛を伝えるという行為は、困惑や、疑問につながることが多い。
それが通じた場合であっても、わけのわからないままに涙する、ということになるのではないか。
愛とは、本当に、「わけのわからないもの」だ。

もちろん、理解する人は、本当に心から喜びを体験するけれど、それは魂の内側からの自発的なものであるべきだ。つまりその喜びは、その人が歩むべき道を示すものである。

「救われる」ということは、一般にキリスト教徒の用語としては、神を信じるようになる、ということであったり、信仰告白をするとか、あるいはもっと単純に、教会員になる、ということを意味すると思われる。

「救い」を伝える、ということは、僕にとっては、そういうことではない。別にどこかの教会の人数を増やすことではない。
「救い」を伝える、ということは、そして愛を伝える、ということは、たとえその人が、結果的に神を信じなかったとしても、もちろん、別に教会に行かなかったとしても、そして、当人にその自覚がなかったとしても、
無自覚のうちに、導かれるということだと思う。
何を信じればいいのか、何が正しくて、何が間違っているのか、そして、人生において、神における魂の使命を果たすことについて、より、導かれるということだと思う。

right trackの上に乗せる、と言ってしまうと語弊があるかもしれないが、そのための何かを渡すことだと思う。仏教っぽい概念で言えば、縁ということかもしれない。神との縁というか。天国のノートにその名が記載されるための何かということか。

それは一度触れたら、決してなくならない何かだ。
そして、暗闇の中に落ち込むようなことがあったとき、そこに一筋の光となって差し込むようなことであると思う。その光に、当人が気付くかどうかは、別の話かもしれないが。
むしろ、暗闇の中に落ち込んで初めて、人は光というものの存在に気が付くのかもしれないが。

それは一度渡せば、決して枯れることのない、まさにイエスさんが言っていたところの「命の水」というやつのようだ。

そして「霊」というか「聖霊」を渡す、「聖霊」を伝える、なんてことも可能だということを僕は知っている。つまり愛というものは形のないものであるけれども、触れることは確かにできる。その形のないけれど、触れることの出来る何かを、誰かに渡すことが出来たら、それは最高のプレゼントではないか。実際のところ、文字通り「形」が無いからこそ、それを伝える方法にも、決まった形式など無いことになる。

神の愛の内にある、
これについては、本当に言葉で説明ができない。
しかし明白な事実、わかる範囲のことから書いていくのであれば、神がその人を愛したからこそ、人もその人を愛することが出来るのではないか。
その人が神の愛のうちにあって欲しいと願うとき、まずは自分が、人が、その人を愛することが大切だ。
だけれども、その順番は本当は逆で、神がその人を愛したからこそ、人はその人を愛することが出来るのだ。
だから、人が人を愛する時、その人は神の愛のうちにある。
人が人を愛することは、神の愛の証明である。

必要なのは、愛を伝えることだ。
問題は、どうすれば、愛を示すことが出来るか。
どうすれば、愛を伝えることが出来るか。
その答えは、愛そのものに聞くしかない。
そして愛を理解するためには、十字架に向き合うしかない。

そして、自分は「祈る」という行為、「祈り方」というのがずっとわからなかったけれど、意識的に瞑想をすることによって霊的な活動をする、ということについては最近わかるようになった。

これは結構疲れることである。
I’m praying. 祈ってるよ、とクリスチャンの人々は気軽に?言うことが多いと思うが、
実際に霊的なアクティヴィティを伴う、というか、霊的に動く、というのは、やはりそれなりに労働だ。

ただ、やっぱりそれでいっても「祈り方」にはいろいろあるし、霊的なアクティヴィティというのは無意識の領域で大いに行われていることも確かだ。

だけれども、何ために祈るのか、どのような霊的アクティヴィティを、この世界において行うのか。
それについては、人それぞれが考えなくてはならないテーマだと、僕は思う。

そんでもって、それらのこととは直接関係がないかもしれないが、
この記事の内容、なかなか感銘を受けた。

おなかがすいた日本人の胃袋を支える 元ホームレスの「アメリカ人」

こちら

俺はわりと普段から、キリスト教についても、アメリカ人についても、ときどき文句を言うけれど、
やっぱこうしてみると、キリスト教すげー、って思うし、
アメリカ人も立派だと思う。
みんな、ちゃんと行動するもんな。
僕なんかは頭が上がりません。

今なんかは、国際化したし、
国境も国籍も関係ないし、
世界中つながって、世界は狭くなり、
もはや地球はひとつの小さな村なんだから、
みんなで世界をよくしていったらいいと思う。
よくなるといいな。
もっとAwesomeな世界になったらいい。

No(4957)

■…2017年11月 9日 (Fri)…….昨日のインスタより
クラウドファンディングのCDやダウンロードの発送を徹夜で終え、眠れず散歩で一日無駄にすることにした。
降りようと思っていた駅を寝過ごし中目黒から(おにやんま、おろし醤油経由で)いつの間にか世田谷公園。たまたま偶然でiPhoneから流れていたのはフィッシュマンズ。あまりにベタベタで笑える。だが僕が”Overture”の歌詞で[何々なのさ]のフレーズを2回繰り返すのは無意識にこれを真似ていたんだな(笑)(笑) 多少でもおされな音を作ろうとする時、90年代世代としての意地もあればその世代独特の感覚がある。時代遅れだろうと固有の感覚は大事にしたい。さて、という事は俺は誰のために”Overture”を作るのか。答えはCM明けを待つまでもない。
#setagayapark #setagayakoen #worstskateparkever #itsnotheavymetalthistime

そして絵に描いたようなダメなスケートパーク。ThrasherとかRide Channelのギャグ記事でこういうの見た気がする。どちらにしてもフラット8割レッジ2割の自分には居場所が無い。もっと敷居の低いスケートパークを増やして欲しいが都内の現実は逆だろうか。働くこと経済効率が万事優先の国にはして欲しくない。
#skatepark #ohgodwhy #misguided

No(4958)

■…2017年11月 9日 (Fri)…….りりーしんぐ
あるばむ”Jesus Wind”のリリース作業をしています。
とりあえずBandCampにのっけました。
こちら

iTunesやSpotifyなどにもsubmitしたので、数日以内には上がるかと。
今回は久々にCDbabyもセットアップしようかと思っています。

僕らはインディーバンドだし、いまどきリリースなんて言っても、何をどこまでやったらリリースしたことになるのかよくわからない。
これが昔とかメジャーとかであれば、音楽業界の流通システムみたいのがあって、そのシステムにのっけることを指してリリースと呼んでたと思いますが、今を生きるインディーの我々としては、ぼんやり少しずつ世に放っていくことを気を長くして続けていくことがリリース。そういう意味では一生リリース作業です根。

というわけで、先日のスタジオ練習の際にサンキュー動画を撮ってみました。
こちら
すごいカタカナ発音で間違えまくって英語をしゃべってます。本当にごめんなさい(汗) でも、こんなにちゃんとしたCDが作れたので、皆さんには本当に感謝しています。IndieGoGoでbackしてくれた人々には既にCDもデジタルも発送を完了していますが、反響のメッセージとかコメントとか来ると本当に嬉しい。こういう気持ちの通じ合う感じが、インディで音楽やってる醍醐味かなと思います。いまだささやかな弱小バンドではありますが、喜びつつ歩みます。
感謝 in Christ. In Jesus name.

No(4959)

■…2017年11月11日 (Sun)…….デモ歌だん
「鍋島デモ」の「デモ歌」の録音作業が終わった。
“Jesus Wind”のリリースとか、クラウドファンディングの発送もひととおり完了したこともあり、technically speaking、これで僕も新しいバイトを始めることが出来るということでもある(苦笑)

前述したように「デモ歌」っていうのは、今年の始めにアパートの部屋で小さな声で歌った「仮歌」からもうひとつ昇格させたものだ。つまり、ラフで不完全なデモではあるけれど、それでも必要であれば世間に発表できる形にする、という目的のものである。

そして技術的なことを言えば、小さな声で鼻歌みたいにして歌った「仮歌」であるけれども、音質的なことはともあれ、あれはあれで優れた練習であったし、また表現としても意外と悪くないレベルにあった。つまり、大きな声、というかきちんとしたヴォリュームで、実際にバンドで歌うようなレベルで歌う場合と、こんなふうに小さなヴォリュームで鼻歌のようにして歌うのとでは、発声がまったく違うからである。

(とは言っても、バンドでライヴ演奏、スタジオ演奏、する時の発声と、マイクに向かって録音する時の発声ではまた違ってくるのも事実であり、そこも嫌というほど体験済みである)

(自分の体験では、バンドでライヴ演奏、スタジオ演奏、するときの方が、比較的リラックスして、力を抜いて歌えるのに対して、マイクの前に立ってヘッドホン付けて、録音する時には、ディテールもしっかり残ってしまうので、細部まで気を抜けず、発声としても、より負担のかかる状態になる、と思っている。)、

もちろん、実際にある程度のヴォリュームで声を張って歌う時の方が、小さなヴォリュームで歌うよりも、技術や発声の負担のハードルは高くなる。
けれども、こうして小さなヴォリュームで、近所に迷惑をかけないように、とちぢこまって極力小さな声でメロディラインをなぞるのも、実はとても効果的なトレーニングだった。それはつまり、小さな音量でもきちんと、いわゆるミックスヴォイスというのか、ヘッドヴォイスを実体化させて運用するという、そのトレーニングには非常に効果的だからだ。だから、特にヘッドヴォイスやミックスヴォイスの運用の練習として、このように小さな音量で歌ってみる、というのはとても良いトレーニングだと思う。自分としても技術的に進歩があった。

また、マイクの前で直立して歌うのではなく、部屋でかがみこんで、また、寝転んで(笑)歌う、とか、つまり、人前で歌うのに比べて圧倒的にリラックスした状態、リラックスした姿勢で歌うので、その面でも、単純に脱力という以上の意味で、それも表現にプラスになる要素であり、新しい発見であった。

なので、ダイナミックマイクに文字通りかじりついて歌った、しかもポップ対策に靴下をかぶせてww、音質的には無理な音だし、メロディラインを決めるためだけのなぞっただけの仮歌ではあったけれど、実はわりと、狙い通りの表現が出来ていた傾向がある。

で、今回、それをもうひとつ昇格させて、きちんとマイクスタンドの前に立って、ちゃんとした音量で歌って録音した「デモ歌」というのを歌ってみたわけだ。

考えてみれば、もうずっと、自分のバンドの作品を作る時でも、つまりは録音作業に入る前に、一年とか一年半とかかけて、バンドでリハーサルを繰り返して、ライヴでも歌ったりして、その曲を歌い込んでから録音作業に入るのである。
だから、実際にヴォーカルを録る段になって、マイクの前に立っても、自然に歌える。

しかし、今回はまだ「デモ」であり、バンドで演奏していない段階であるから、「ええと、どうやって歌えばいいんだ??」という状態での試行錯誤を、これから始める段階である。
というよりも、この「デモ歌」を歌うことが、「鍋島」という素材に向き合うための段階のひとつ、次の一歩、と言った方が正しい。(きっとこれから、バンドで実際に演奏する、という段階を踏むことになる。)

そんな段階で、つまりは年始にやっつけた鼻歌状態の「仮歌」からスタートして、これらの曲をちゃんとした音量および発声で歌うのは、文字通り「初めて」の経験だ、ということだ。

小さな音量の鼻歌では歌えたけれども、果たして、まともに歌ったら、ちゃんと歌えるのか。

だから、「仮歌」の時よりも、当然ながらハードルはぜんぜん上がっていた。

もちろん実際に「仮歌」の段階で歌っているのだから、音量を落として、リラックスして力を抜けば、歌えることはわかっている。これはこれで大きな指針である。だが、実際にスタジオでマイクスタンド立てたその前で、寝転んで歌うわけにはいかないので、なるべくマイク位置を低めにとって前屈みになるとか、リラックスした姿勢をこころがけたりはしている。(寝転んで歌うためのマイクスタンドを誰か開発してくれないか、笑)

ヴォーカル録音の際に、少々のアルコールの助けを使ってみる、というのも、よく使われる手だとは思うのだが、僕は録音に関してはこの方法は使ったことがない。そういう環境で作業してないし。

助けと言えば、もう何年も、ヴォーカル録音をする時にお助けアイテムとしてお世話になっているのは、チップスター、である。あの円筒形の容器に入った整形されたポテトチップスのことだ。

つまり、僕みたいなインディーバンドで、貧乏録音、孤独な自主録音作業をやっていると、どこかのメジャーアーティストみたいに、1ヶ月かけて10曲歌う、とか、一日1曲、みたいなことも出来ない。成し遂げたい作業量と、限られた人生の時間、および楽ではない生活の状況などの理由から、一日に出来るだけ、何曲も歌うことになる。だいたい5、6時間は歌いっぱなしと考えていい。それ以上の時もある。しかも基本的にハードロックのシャウト唱法である。

だから、その日の5曲目を歌う頃には、もうノドはかなり消耗している。
(もちろん、歌う順番を考える際にも、1曲目はウォーミングアップ、2曲目、3曲目に難しい曲を持ってきて、4曲目以降は、多少声が嗄れていても問題のない曲、または多少嗄れていた方が適している曲、を持ってくるようにするのだが。)

そんな時に、チップスターが助けになってくれる。
水をひたすら飲むのは当然なのだけれど、チップスターの塩分が、唾液の分泌をおもいっきり促してくれるのだ。
歌い続けて、文字通りカラカラの状態になったノドに、この「唾液」というやつは、いちばんの回復効果があるように思う。
そして、塩分だけでなく、チップスに含まれた油の成分も効果が大きい。
これで、またもう少し、歌えるようになるのである。
もちろん、エネルギー補給の意味合いもある。
他のポテチではなく、チップスターが適しているのは、スタジオ等の場所に持ち込んでも、手軽で、周囲を汚さないからだ。100円ちょっとで買える小さなパッケージのやつは特に。

エネルギー補給という意味では、いろいろの関係で疲れているのに、歌の録音をしなければいけない際などは、普通にエナジードリンクというか、デカビタとかライフガードとかそういう系のドリンクも役に立ってくれると思う。でも、これは一時的であったり、カフェインと糖分のバックファイヤー効果というか、後で逆にノドに逆効果がある時もあるから、当然ならがタイミングに注意は必要だ。でも、やっぱり元気が出れば、それが一番だからね。

話が逸れたが、
そんなわけで今回、この「デモ歌」の録音をするのに、Calling Recordsの関係のあのお方のスタジオを何度かお借りした。

実際のところ、4日の作業で21曲を歌ったのだけれど。(といっても、メインヴォーカルというか主旋律だけで、コーラスパートみたいなものはほとんど付けていない。)

そのうちの前半の2日は、Calling Recordsの関係のあの場所をお借りした。
それは金銭的にもスケジュール的にもとてもありがたいことであった。そして自分としても経験と勉強になった。

だが、日本のスタジオってだいたいそういう作りだけれど、かなり音響的にデッドな環境であったことも確かであり、僕の好みとしては、こういうデッドな環境だと歌いにくい、というのも事実であった。
もちろん、ヘッドフォンのモニタリングの中でリヴァーブを返せばいいではないか、と思うかもしれないし、実際にそうするしかないのだけれど、人間の体というものは、それ以上にやはり周囲の環境とか音を感じてしまうものだ。

ともかくも、「デモ歌」であり、あくまでデモ、であるので、完璧な出来にする必要はなく、ある程度は不完全でもオッケー、としたこともあり。(というか、今の時点で、まだ完璧な歌唱は出来ない。これらの楽曲に、やっと向き合い始めたところなのだから。)
つごう21曲、を、4日間の作業で、5曲、5曲、6曲、5曲、と、やっつけてしまった。

(鍋島、は2枚組24曲、という計画であるが、うち2曲はインスト。および、1曲だけ、”Jidai”という曲に関しては、ささやき声で歌った仮歌の方が合う、という曲があって、これに関しては仮歌を生かすことにして、今回は歌わなかった。)

やってみて、やはり難しい。

自分の音楽人生の「到達点」と言っているだけあって、
やはり表現の幅も、深みも、歌唱力を求められる部分も、発声に関しても、今までよりも多くを要求される。

現時点では、「完成品」を歌えるという感じはしない。
やはり、何年もかけてバンドで演って、突き詰め、自分のものにする必要がある、と感じる。
その領域に、実に行きたくてたまらないものだが、果たして実際にいつ、その場所、その領域にたどりつくことが出来るか。
ちょっとわからない。気が遠くなるような気持ちだ。

だが、限られた時間と環境の中で、最低限、ちゃんとした発声で歌う、ということはしたし、限られたテイクの中で、きちんと表現と発声に向き合った。

案外と、リラックスして小さな声で歌った「仮歌」の時のフィーリングを再現できていない部分も多々あるのだけれど、とはいえ「仮歌」のテイクは他人には聴かせないものであるから、皆さんにこう言っても意味はないが。
でも、最低限、楽曲とメロディを伝える歌唱は出来たのではないかと思っている。
そして、完成品へとステップアップしていくための叩き台としては、十分な素材、および経験、になったと思う。

今回、「スタンドを利用した歌唱」ということも何度か試してみた。
スタンドといってもマイクスタンドではなく。
つまり、スタンド能力を利用した歌唱のことで、
最近ちょくちょく書いているが、これは「霊的な感受能力、および、霊的な活動を意識的、無意識的に行う能力」を呼称して、ジョジョになぞらえて「スタンド」と呼んでいるものである。もちろん、これに関しては僕はまだまだ初心者であることに違いない。

例の、僕は9月にこれに意識的になり発現したので、それ以降、というか、それ以降は、もちろんなるべく使わないようにしている。あたりまえだ。日常生活で、なるべくそんなもんは使わないように、人間は出来ている。社会というものはそういうもんだ。そんなもん、いつもオンになってたら身がもたない。

だが、歌唱とか演奏にも応用が効くのではないかと思い、今回のヴォーカル録音にあたっても、「ノッてきた時」に限って、少しずつ試してみた。
つまり、スタンドを起動して、霊的な感受性をオープンというか、オンにした状態で歌唱を試みてみる、ということである。

まだまだ試している段階ではあるが、パフォーマンスが予想しない方向にぶれてしまうきらいはあるものの、音に対して立体的な表現が可能になる、音に対してカラフルな色彩感覚を持って表現が出来る、つまりこれは、誰かが言っていた共感覚というものだったか、それにも通じるものだが、音を、立体的に、および色彩感覚をもってとらえることが可能になるという事がある。および、これはもちろん当然のことだが、霊的な領域においての表現というかメッセージを込めて歌唱が可能になる、当然ながら取り扱いにおいて注意が必要な分野でもある。
また霊的な領域においての楽曲の理解が深まるので、歌唱表現や発声においてもレベルを上げていける、そして便利なのは、基本的に「無意識」に根ざした自動運転っぽい能力でもあるので、オートパイロットというか自動運転で歌唱を正しい方向に導いてくれる点も便利である。だから発声についても、やはりパワーアップしてくれるのである。

もっともこういった事柄は、優れたシンガーとか、優れたアーティストであれば、そもそも普通に、無意識のうちに行っているものでもあると思う。

ちょっとびっくりした事のひとつというか、これはミュージシャン的に熱い、と思って書き留めておきたいと思ったのは、歌唱をしないパート、つまりは無音の部分においても、そこに霊的なメッセージを込めることが出来る、という点である。これはちょっと、それが起きたときにびっくりした。無音のパートなのに、その無音にメッセージを込めることが出来るのである。つまりは、無音であって、物理的に音は鳴っていないのだが、霊の部分では確かに何かを表現しており、歌ってるんだか、何か言ってるんだか、聴こえないけれども、何かある、ということだ。

それ自体は、認識も、応用も、難しいが、どっちにしろ、優れた演奏家や、優れたバンドというものは、無音、ミュート、ブレイク、そういったものも有効に表現手段として利用するものであるから、これはあながち、音楽的にも間違ってはいない。つまり優れた演奏家は、無音をもってしても何かを表現するはずだ。

演奏家に限らず、サウンドエンジニアなど、音を扱う人、音を使った芸術表現にたずさわる人であれば、こういったことに多少なりとも敏感になるべきだ、とも、これは僕の個人的な持論であるが、思う。

つまり、商業的な音楽作品とか音源を作る際に、商業音楽のセオリーにのっとって、「この周波数はノイズだから」と言って、削ってしまうとすれば、確かに、それで商品としてのブラッシュアップされた音にはなるかもしれないが、あるいはその周波数の中には、そういった霊的なメッセージが込められているかもしれないのである。僕の音楽表現の人生は、たとえ世の中的に「メジャーっぽい」「洗練された」音ではなかったとしても、それらの目に見えないメッセージを伝えることを最優先に考えてきた。だからといって、ちゃんとそれがうまく伝わっているかは、わからないが、どちらにせよ、音の中に隠されたそういったメッセージの意味合いを、もっとよく考えた方がいいと、俺は思う。

だから、その「無音」の中にメッセージを込めたのであれば、
じゃあ無音だからゲートしちゃいましょ、とか、たぶんやらない方がいい(笑)

ゲートしても、スピリットメッセージはそれでも通り抜けてくるかもしれないが。
怖いなーーー。

その場で起きているありのままを記録することが、エンジニアの仕事だと、かのスティーヴ・アルビニも言っている。
アルビニさんも、世間では変わり者扱いされている、そんな人物の一人ではあるが、でもやっぱり、世間一般の基準で、測らない方がいいと思う。


技術的なメモをするのであれば、
今回、”Anthem”も、もう一度歌ってしまった。
“Anthem”に関しては、昨年夏に「鍋島デモ」のインストの段階を作った時に、あの曲だけはその時点で歌詞がすでにあったので、その時歌ってみたテイクがあるのである。
ただ、あの時は、Eventide MixingLinkはヴォーカル録音に使えるのか、ということをテストしてみるのが目的だった。

小回りの効く、値段の安い、貧乏機材で貧乏ポータブル録音をしている僕であるが、
Eventide MixingLinkは、価格を考えても、非常にしっかりとしたハイファイな音質を持っている。そして携帯性と多機能ぶりはとても素晴らしい。

だが、楽器の録音に関しては、ぶっちゃけJoeMeek 3QよりもMixingLinkの方がハイファイなのだが、ヴォーカルの録音に関しては、やわらかい音(あたたかい音)、EQによる柔軟性、ヴォーカルに最適なコンプ、等の要素から、JoeMeek 3Qの方がやはり適している。(楽器の録音についても、キャラクターを付けていきたい時には3Qの方が良いと思う。ハイファイなトランスペアレントな音ということであれば逆だが。)

前身モデルのJoeMeek VC3を、昔、つまりは、”Kodomo Metal”から”fireworks”まで、実のところは”Victory in Christ”でも使った記憶がある、ずっと使っていたけれど、コンプの使い方がわからず、使っていなかった、が、昨年の”Jesus Wind”の録音に先だって、後継モデルの3Qを取り返し、そしてこの内蔵オプティカルコンプに惚れ込んでしまった。”Jesus Wind”において僕がちっとは良い歌唱が出来たのは、かなりの部分この3Qの内蔵コンプのおかげである。そして、最近、EQも少しずつ使えるようになってきた。

つまりは、今の自分のメインのヴォーカルマイク、CAD E-300sは、基本的にブライトな音質であるから、曲によって太くしたい時には、EQでミッドを上げてやるのである。今回は、場合よって、1.5kとか、2kとか、3kをプッシュした。異論反論は受け付ける。
そんで、これもケースバイケースだが、ヴォーカルの処理には定番の12kをちょいとプッシュすることも度々やっている。もっとも、E-300sは最初からそのへんが強調されているけれども。

“Anthem”は、歌唱がとても難しい楽曲である。「君が代」をベースにしていることはもちろんだが、どんな歌手であれ、スポーツイベントや、式典などで国家を歌った歌手はみんな、「君が代は難しい」と言うではないか。
だから、それをヘヴィメタルバージョンにしてみたら、死ぬ程難しかったのである。

昨年録ったテイクがあるから、いいかな、と思っていたけれども、3Qのコンプを通さないと、今の僕は本領の歌が歌えない。(もう、良質のハードウェアコンプなしに、ヴォーカルの録音が出来る気がしない。)

そんで、最終日に、最後に20分ちょっと時間が余ったので、すでにノドは消耗しきっていたが、
とんでもなく難しい楽曲だから、前半後半は別テイクに分けさせてもらったが、結果的に、昨年歌ったやつを越えることが出来た、と思う、多分。

(MixingLinkは実際のところ、ソリッドな音質に加えて、歪ませた時の音が良い感じなので、それはそれで、捨て難いかもしれず、比較してみる。)

もちろん「スタンド歌唱」の助けを得ていたことは事実である。

それでも、一日の最後の、消耗したノドで、まさか歌えるとは思えなかった。

ので、自分がんばったじゃん、という意味あいとともに、
自分としてはシンガーとしての小さな前進の一歩であるので、書き記しておきたかった。

さて、デモ歌を、録り終えた、とはいえ、それをちゃんと編集し、音を作ってミックスし、公表できる形にするまでには、まだ時間がかかる。

なにはともあれ
サンキュージーザス。
皆さんありがとう。

No(4960)

■…2017年11月14日 (Wed)…….ドラム録音とやりたいこと
[創作上の内面のメモのひとりごとの記述again]
[いつもの意味のないやつ]
[早くブログとかメールの返事とか書けよ、みたいのはわかっているのですが、笑]

ついに”Overture”アルバムのドラム録音にとりかかる。
予定どおりに行けば、今月のうちにドラムトラックを録り終えることが出来るはずだ。
アルバムといっても、今回はバンドで録るのは7曲だけだ。

過去を思い返すと、2度に分けて録音した”Japan Metal Jesus”の時もそんな感じだったし、「4曲入りのEPを作ろう」つって結局7曲にふくれあがった「Heroes EP」(普通、7曲入ってるディスクをEPとは呼ばない、笑)の時もそうだった。つまり、一人アコースティックとか、打ち込みのトラックも合わせて、合計で10曲になる感じだ。というか、またご依頼ご協力をいただいた、これから作る「ファミコンドージョーの曲」も、許可が取れれば入れたいと考えているから、そうしたら11曲になるかもしれない。何度も書いているが、今回は全曲日本語である。

ようやく、リリースするだけでも一年以上の期間をついやした”Jesus Wind”のリリースが、基本的には完了したので、(とはいっても、まだリリースしました、のメーリングリストも書いてないし、作品のストーリー解説のブログも書いていない。また、プレスリリース的なものとか、各所にサンプルを送付する、みたいなこともしなければいけないし、そうした作業はエンドレスで続く。)
と、括弧の中だけで終わってしまったが。

とはいえ、作った本人の気持ちとしては、昨年の8月の時点で音を作り終えた作品に対して、自分の気持ちはとっくにその先へ行っているので、リリース作業を終えたことで、やっと過去から解放される、と言った感じ。

そんで、つい先日、「鍋島」の「デモ歌」を歌い終えたところであるから。

クリスチャンロック、とか、クリスチャンメタル、とか言い出してからも、基本的に僕たちは、オーソドックスなヘヴィメタルとかハードロックの範疇で、しかもわりと80年代的なメタルの文脈の中で、作品を作ってきたけれど、今回の”Overture”は、ようやくというかひさびさに、「今回のはあんましメタルじゃありません」と言える作品だ。なんでそうなったかと言うと、それは偶然の要素も大きい。

そんでこれも日本語では何度も書いているけれど、決して英語でオフィシャルのページには書かないけれども、今のバンドの体制、Tone-Hassy-Jakeの3人で作るものとしては、最後の作品にするつもりだ。

今の体制での活動の限界、そして演奏の限界、ということについては、ここ数年、少なくともきっちり2年は悩み、考え続けてきた。
それでなくても、XTJ (The Extreme Tour Japan)をやり始めてからの数年間。2013年から数えてきっちり4年間、というものは、僕は「待つ」だけだった。音楽活動の上でも、「攻める」ことはしなかった。もちろん、別に海外進出することが攻めることとは限らないのであるが。けれども、周囲のいろんなことを待っていたのである。

もちろん、その「待つ」ことをしている間に、得るものが無かったわけではなく、僕にとってのその期間の最大の収穫は、日本人のミュージシャンとしてのアイデンティティとかサウンドに対する価値観や追求を、ずいぶんと掘り下げることが出来たこと、これはむしろ、ミュージシャンとしては普通に、本分みたいな仕事だ。そして、その結果、作れっこない、と思っていた歴史ものコンセプトアルバム”Jesus Wind”を作れてしまっただけでなく、ついに自分のこの地上での魂の到達点、と言える「鍋島」に辿り着いた。だから、収穫は大きかったし、この「鍋島」に辿り着くために、この数年間、じっと耐えながら「修行」をしてきた、ということは言える。その価値は、ぜんぜんばっちり十分に、あった。音楽とか創作の面で言えば、これはほとんど、奇跡の上に奇跡が重なる、くらいの奇跡なのだから。だから俺は相当に運がいい。知らん。何がどうなってるのかわからん。自覚していたらやれない。

僕の人生は、割と、待つことの連続だった。
待って、待って、待ち続ける人生だった、みたいな感じがする。

それは、10代の後半でうちの嫁さんに出会ってから、もうずっとそうだった。
今では信じないかもしれないが、若い頃のうちの嫁さんは、たとえば待ち合わせの時に、相手を2時間待たせて平然としているような娘だった。2時間ならまだいい方だったかもしれない。それっくらいわがままで常識知らずな娘だったと言っていい。だから僕はずいぶんと待ち続けたし、そしてそれは人生の中でも、やはりずいぶんと何年も待たされた。待った挙げ句に、「状況が変わったからあと3年待って」みたいな感じだった。例に挙げないが、実際はもっとひどかった。当時のお互いの家庭環境とか周囲の社会環境とかあるが、そういうのがなければ、僕はバンドなんてやらずに済んだというか、まともにもっとちゃんとした職業に就けていたはずだ。(と、まあ、ここで世間のいろいろな苦労話とか、そうでなくても聖書のヤコブの話とかを引き合いに出すのはやめて欲しい。俺は現実に、今ここで生きている人間なのだから。)

で、待つばかりの人生だったとして、それで、この数年間、たとえばこの2年間も、俺は待った。

それは、猶予という決してそれだけの意味合いではないけれども、それはもちろん、自分に対しての考える時間という意味の猶予という色合いも強い。
だけれども、「鍋島」の楽曲を作ってしまってからというもの、それに対して、どのように向き合っていけばいいのか、それを思案するうちに、だから、バンドの運営にせよ、これからの活動の方針や身の振り方にせよ、すべては音楽というか音が導くというか、その音を鳴らし作り上げるために他ならないのだけれども、(つまりは成功とか出世とかではなく)、

どちらにせよ、この”Overture”は、「鍋島」への試金石というか、助走というか、では、今この現状で「鍋島」を鳴らせるのか、その前にこの”Overture”に取り組むことで、テストしてみよう、ということだった。

で、一年かけて取り組んでみて、この”Overture”というテストに、今のイマリトーンズ、現体制のメンバーたちは、やっぱりもれなくばっちり、落第していった。そのことは、10月に新宿でやったCalling Recordsのライヴでもわかったと思う。Thus, やはり今のままでは「鍋島」は鳴らせない、という、結論になってしまう。

だからと言って、これから”Overture”の録音をするわけだし、彼らに”Overture”をやる資格が無いわけではない。それはなんというか、メタルバンド(クリスチャンメタルバンド)を名乗りながらも、実際は体質的にはそれほどメタルではなかった僕たちの、現体制のメンバーの持つ色気ってもんであり、センスはなかったにしても、歴史みたいなものであり、あるいは「絆」みたいなもんである。

でも技術とかセンスでは、間違いなく落第しているので、最初からそのつもりだったけれども、この”Overture”はある意味「捨て駒」だ。このアルバムは失敗するだろうな、でもそれでいいや、って。
それでも前に進まなきゃいけないんだから。

ともに歩いてきた、その「絆」とか、「歴史」みたいなもののパワーを、発揮してくれることを、期待している。メンバーにも、自分自身にも。

先日録り終えた、「鍋島デモ」の「デモ歌」の整理、確認をしたり、ギターの音の調整をしていると、そこからさらに”Overture”の作業に戻るだけでも、なんか、また過去に引き戻されるような感覚がある。

だから作り終える前から、すでに自分の中では”Overture”は「過去」になってしまっている感覚がある。もっとも、こういう感覚は今までだって無かったわけではなく、珍しいことではない。

ちなみに、ギターの音はデモであるから、パソコンに突っ込んで鳴らしたシミュレーターの音であるが、Amplitubeで最初に作った音を、brainworxのシミュレーターにひとつずつ差し替えていく作業をしているが、Amplitubeのキレのいい音の表現力を、がっちりした堅実な音のbrainworxで再現できるだろうかと心配していたが、もちろんEQ等の他のプラグインの助けも得て、の話ではあるが、今のところ、思ったよりも良い具合に差し替えが出来ている。音のリアリティは間違いなくグレードアップするのだが、そうはいっても、Amplitubeの「リアリティどうこうじゃなくて単純にパソコンの中の音として使い易い」という表現力とは、いくぶん引き換えになる。まぁこれはこれでひとつの形である。Amplitubeで作った「仮歌」までのデモは外部には公表しないものであるから、比較に意味はない。自分の中での試行錯誤というだけである。

どちらにせよ、Overtureの録音にせよ、「鍋島」の「デモ歌」にせよ、これらの作業に向き合う中で、自分の中ではまた結構な速さで、いろいろなものが変化していっている。そして、いろいろなものが次第にはっきりとしてくる。はっきりと形を見せてくる、という感じだろうか。

僕がイエスさんといろいろなことを話す中で、どこで話したのはかはまったく知らないが、いつ話したのかというとそれは時間の概念の外だろうけれども。
その中で、彼、というかイエスさんが言っていたことに、「私が世界を救うためにしたことと言えば、ただ十字架を背負っただけのことだよ」とか言っていて、おいおい、と爆笑せざるを得ないのだけれども。

そうだね、ただちょっと十字架を背負っただけだよね、だったら誰にも、俺にも出来るよね、って、おい、みたいな。

もちろん、ちょっと十字架背負って、「ジーザスクライストポーズ」(Soundgarden)を取ってみせるだけでいいんなら、確かに出来なくはないかな、みたいな気持ちにもさせる。

じゃあ人はおのおの、その人生の中で、たとえば俺だったら恥ずかしながら、音楽を作っていくその中で、十字架ってやつを見出し、背負ってみればいい。
仕事を通じてでもいいし、家庭を通じてでもいいし、人を愛することを通じてでもいい。

だけれども、十字架なんてものは、いったいどうやったら背負うことが出来るのか。
十字架を背負って音楽を鳴らす、十字架を背負ってロックを鳴らす、なんてことは、いったいどういうことなのか。

それはたとえば、ロックの歴史をすべてその肩に背負った上で、それらを包括する音を鳴らせということなのか。
それとも、そのロックの歴史の一部になり、ひとつになれということなのか。

一人で世界を背負うなよ、ヘイ、ジュード、世界を背負い込む必要なんてないぜ、ってポール・マッカートニーも歌ったというのに、やはり世界を背負い込んで鳴らすべきなのか。

じゃあその背負うべき世界ってやつはどこにあるのか。
背負い方の見本はキリストさんが見せてくれるのか。

「十字架、つまりは木のきれっぱしを私が背負うことで救いを完成させたのなら」
音という概念でその救いを展開することが、出来ないはずがない、と、そう言いたいのか、あなたは。

ふざけんじゃないよ(笑)

どんだけ、その音というものが。

もちろんあの人から見れば逆だ。
音という概念があるからこそ、僕は掴み、構築することが出来る。
あの人は、霊と肉体と木のきれっぱしで世界を再構築したのだから。
そして言葉ってやつで。

と、まあ、それを踏まえて、あらためて考える。
僕はこれから、何をやりたいのか。
何をしていきたいのか。

あと、人生がたとえば、何年あるとして、俺はこれから、あと何をやりたいのか。

これまで出来なかったことは何か。
これまで、やりたくても出来なかったことは何だろうか。

そう思うと、きちんと「音楽ミニストリー」、ヘヴィメタル・ミニストリーをやりたい、ということももちろんなのだが、

あらためて、もっと純粋に「ヘヴィメタル」というものを伝えていきたい、そのためのミニストリー、なんというか一般に音楽を布教する、という意味合いでの、「布教活動」をしたいものだ、みたいな思いが与えられている。

もちろんのこと、今の時代となっては、ロックミュージックも、クラシック(古典)の範疇だ。だからこそ、若いバンドも、年寄りも、オリジナルの楽曲を演奏して成功する、みたいなのじゃなくて、そういったクラシックな古典を演奏すること、そういった方向性にシフトしているよね。それは、クラシックのピアニストがショパンやリストを演奏するのと同じように。

だから、ロックミュージックがクラシックになっていくこれからの時代に、自分だったらどういう演奏活動をしていきたいか。選曲は、その理由は、そのセンスは、その概念は。

ヘヴィメタル、という概念も、風化しきって、すでに風化しきってから三周くらい後って感じなのだろうけれども、じゃあ、そこで「正しく」ヘヴィメタルを伝えていける信念とか概念が、自分にあるのか。そうだな、あるだろうよ、ああ、あるさ。

たとえば、演奏力とか能力とかやる気なども問題もあって、これまでのイマリトーンズは、あまり「カバー」とか、そういうのをやれなかった。あるいは、これからやっとそういった演奏活動が出来るようになるかもしれない。

とにもかくにも、「鍋島」や「クリスチャンメタル」はもちろんのこと、ここから先のイマリトーンズに対して、僕が要求することは、とても多いし、とても高い。およそ、世の中の現状が100であるとすれば、1000以上のことを要求するだろう、質としても、量としても。でも、それでなければ「伝道」「ミニストリー」みたいなことはやってられない。

似た文脈の話として、たとえば、この2年ばかし「ジーザスモード」は活動休止であったが、ひさしぶりに「Atsuki Ryo with Jesus Mode」の音源を聴いてみると、やはり思うことがあるというか、このジーザスモードの続きを、またやらなくてはいけない、つまり、イマリトーンズとは別に、サイドプロジェクトとしてヘヴィメタルとか、ジャパメタ、といったものに、もっとストレートに向き合う活動を、立ち上げていきたい。そういう思いもある。

アコースティックの例のプロジェクトも、やはり本当に立ち上げなければいけないが、どうしても、やはり自分は、最後にはヘヴィメタルというものに、そしておそらくはジャパメタ、というものに、向き合わなくてはならない。

そしてヘヴィメタル、というのは、その音楽とか演奏とかを通じて、「道」みたいなものを示して、精神的な意味合いにおいて、「道」を追求し究めていける、そんなジャンルとして、ブルーズと同じくらいに、可能性のある音楽形態だ。

もちろん、ブルーズとヘヴィメタルは、僕の中では同じ延長線上にあるし、そこは今は割愛するが、別にそれは歴史的に見ても事実であると思う。

ロックバンドが歳を取ることは難しい。

もっとも、こうして「創作」に取り組んでいると、”Jesus Wind”や”鍋島デモ”の楽曲に向き合っていてもそうなのだけれども、演奏、とか、ツアー、とか、ライブ、とか、そういったことはまだいい。けれども、実際いちばん、若さ、情熱、肉体的にも精神的にも「若さ」といったものが必要なのは、「創作」ということに尽きると思う。つまりロックバンドで言えば、曲を作り、レコーディングすること、アルバムを作ること、オリジナルな何かを生み出すこと、だ。別に女性の場合でも何歳になると高齢出産、とか、それはそれで話が違うし、また、別にミュージシャンであれ、決して歳を食ってから良い作品を作れないわけではないけれども、やはり、それでも感じることはある。

ロックの歴史において良かったのは、今、そうやって「ロックそのもの」として歳を取っていった高齢のビッグネームなミュージシャンたちは、その若い頃において、録音技術ってものの黎明において、若い頃に作った録音作品が、最初から「ヴィンテージ」の音になっていたことである。不思議なジャンルだと思う。そう思うと、ロックンロールというものは、不思議なジャンルであり、不思議な運命だ。

だからこそ余計にロックバンドが歳を取ることは難しい。華やかでキュートなルックスの若いアイドルたちが、大人の男になり、また円熟した年齢になるにつれて、ルックスはともかくとして、同じように、サウンドの面でもうまく熟成していった例は、あまり多くないように思う。

もちろん、これにも自分にとって、目標や理想とするものがある。こういうふうになりたい、あるいは、これの延長線上を実現したい、と思う目標や存在がある。

たぶん僕の音楽人生の、いちばんの夢であり、いちばんの目標は、自分自身の手で、この理想的に歳を取り、理想的に熟成されたサウンドを実現すること、そこにあるのかもしれない、と、次第に思うようになってきた。

しかし、この話はやっぱり今日は割愛しよう。

僕は、僕たちは、キャラクターから言っても、技術や実力から言っても、体質から言っても、ヴィンテージみたいに円熟する、みたいなのは、遠い。
けれども、たとえば”Jesus Wind”では、ある程度、そういったサウンドに迫ることが出来たと思っているし、(なにしろ、歴史もの、だから、古文書に書かれた古い音、みたいな感じはイメージしていた。だからノイズのっててもいいじゃん、みたいな笑)

そして「鍋島」はもちろんのことだが、この”Overture”においても、その、円熟、みたいなのに、ちょっとだけ挑戦してみたい。
もっとも、逆に若返ることも、狙いではあるのだが。

また話は変わるが、Calling Recordsの関係の方々の諸々で、この前、初めて大和カルバリーに行ってきた。大きな教会というか、日本のプロテスタントの教会でいちばん大きい、ということでずっと前から話に聞いていたし、知り合いの方々の中にも何人がそこへ行っている人がいるはずだが、やっと自分で足を運ぶ機会を得て、ありがたい限りである。(単にふだん、出不精というか、ずぼらなだけであるw)

僕みたいなインディ人生やっていると、大手とか、大きいところ、と聞くだけで拒否反応があるのだが(苦笑)、しかし、行ってみると思いのほか雰囲気の良いところだった。日本人が、宗教であれ、信仰であれ、そうでない場合であれ、共通の信条で集まると生まれる独特のコミュニティの雰囲気と言えるかもしれない。

その他の細かいことは割愛するが、けれども、日本で最大、と聞いていたけれど、実際に行ってみると、そんなに大きさは感じない、というべきか、それこそアメリカや諸外国の基準で言えば、これはせいぜいやっと中くらい、という感じなのだろうな、と思わされた。

だから日本のキリスト教というのは、やっぱり小規模なものなのだな。
そんな現状や、そんな状況の中で、何をか言わん。
良い面でも悪い面でも、考えさせられた。

いつだったか、アメリカの若い子と話していて、その子が「僕のところの教会は本当に小さいよ(really small)。100人くらいしか居ないんだ。」って言ってたことを思い出した。
日本人クリスチャンの俺としては、笑い転げて爆笑していいレベルのお話だ。

さあ、礼拝に100人いる教会って、日本にどれくらいあるのだろうか。
純粋に興味がある。

No(4961)

■…2017年11月17日 (Sat)…….Jesus Wind プレスリリース
なんといいますか、プレスリリースみたいなもの。

前回のRevive The WorldとかAtomic Liveの時にも、下手な英語力ででっちあげたんだよね。で、音楽系のウェブサイトとかブログに送りつけた(笑) それでもいくつか、のっけてくれたサイトや音楽ニュースもあったよ。

今回はもうめんどくさいからそんなの書きたくないなー、と思っていたら、嫁さんが書いてきたので、見たら間違いだらけだったから添削しちゃった。いや、僕の英語だって、あやしいもんだというのは重々わかっているけどね。
そんなわけで、嫁の助けを得て僕が書いた、のではなく、僕の助けを得て嫁さんが書いたプレスリリースです。

ところで、プレスリリースっていったい何のことなんだっけ???
(そもそもちゃんとしたメディア向けのプレスリリースだったら、リリース日の前とか当日とかに送らなきゃいけないことは明白。でも僕らはインディだから別にいいじゃん。)

こちら

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For Immediate Release
Contact: Tak Nakamine
Date: November 16, 2017

Title: Japanese Christian Metal Band IMARI TONES releases new album “Jesus Wind”, a concept album about Japanese history

Yokohama, Japan – November 16, 2017 – Japanese Christian heavy metal band Imari Tones releases new album titled “Jesus Wind” to discover the unknown spiritual history of Japan

Japanese Christian rock band (virtually the only active Christian metal band in the Buddhist nation) Imari Tones has released their new album titled “Jesus Wind” on November 9th 2017. According to the band, “Jesus Wind” is a concept album about Japanese history from a Christian point of view. Imari Tones was formed as a band in 2004 and became a Christian rock band with current lineup (Tak, Hassy, Jake) in 2008. The band has toured both in Japan and USA, while recording many albums independently.

After releasing the former studio album “Revive the World” in 2015, Tak (guitars/vocals) was interested in Japanese history and came up with an idea for the album. He says, “We wondered if it’s possible to make a concept album. A concept album to focus on Japanese history from a Christian point of view. So many Japanese people think Christianity is Western/European religion. But we don’t necessarily think that way. In fact, essence of Christianity was carried to Japan in many ways. For example, if you read the book “Bushido” by Inazo Nitobe, you can see Bushido (Samurai’s code) has so much in common with Christianity. Also it is widely known that Japanese Buddhism in medieval age was influenced by Christianity. “ After intense rehearsals and 5 months of recording work, Jesus Wind was finally finished.

The album consists of 3 parts: Past, Present and Future. This is because the band decided to write not only about the past, but also about the future, in order to convey the message of hope. The Present part gives the listener a feeling of tension and reality, through the songs about the ongoing events like Fukushima Nuclear Power Plant incident in 2011 and political turmoil in the current world. The future part has almost prophecy-like overtone, with spiritual utopian songs like “Revolution” and “New Jerusalem”.

Although playing in “Christian Metal” genre, Imari Tones is also known for its diverse music styles, often progressive with a similarity to Rush and Yes. But they focused more on straightforward heavy metal style on this album. As a result “Jesus Wind” is the heaviest and most intense heavy metal album Imari Tones has made so far. “Repent”, the lead single and the first music video from the album, is nothing short of a loud & clear statement as a Christian metal band from the East. It is not a coincidence that Tak quotes the Bible verse from Isaiah 42 in the song “Revolution”; Sing to the Lord a new song, and His praise from the ends of the earth, You who go down to the sea, and all that is in it, You coastlands and you inhabitants of them!

The album is available on iTunes and BandCamp, as well as on digital streaming outlets such as Spotify, Google Play, and Apple Music. Physical CDs are available on BandCamp, where you can buy directly from the band.

Track List:

“Past”
1. Jee-You
2. Dying Prophet
3. God’s People
4. Saints Seeking Salvation
5. Bushido

“Present”
6. The War
7. The Peace
8. Remembrance
9. The Wave
10. When The Nation Falls

“Future”
11. This is How Freedom Dies
12. Repent
13. Don’t Stop Walking
14. Revolution
15. New Jerusalem

Imari Tones website:
こちら

Imari Tones Facebook:
こちら

Imari Tones Twitter:
こちら

Imari Tones YouTube channel:
こちら

No(4962)

■…2017年11月20日 (Tue)…….Lovers, believers, mountain movers.
僕は女の人に惚れたことなんて、
片手で数えるほどにも無いけれど、
その時はみんなそうだった。

どんなにきれいな人でも、
面と向かってみれば、
どうってことない、って、そう思えた。

じゃあ、なんでその人のために、
自分の身や、人生を捧げたりするのか。

考えたら、言葉が浮かんだ。

君の顔をのぞき込むとき、
その頬の紅さや瞳の輝きに見惚れないわけじゃない。

どんな美人でも、想像や幻想を越えることはできない。
3日も見てれば、どうってことないなって思える。

むしろ想像を越えるくらいきれいなのは、あくびをしていたり、
無防備にうたたねをしている時の君の顔だったりするのだから。

けれども、それは別に大事なことじゃないって知っている。

大事なのは、
二人の間で育む関係そのものだ。

二人の間にある形のない愛みたいなものだ。

二人の間に積み重ねていく歴史だ。

そして人生の中で共に成し遂げていく仕事だ。

二人の間にある運命だ。

だから恋というものは、運命の引力。

その運命を選ぶとき、世界はきっと、ちょっとだけ変わる。

そのちょっとは、もしかするとものすごく大きな「ちょっと」かもしれない。

信じれば山も動かせるって、あの本には書いてある。

確かに動くって、僕もそう思う。

だけれど、いっぺんに、一日で動いてしまったら、
きっといろいろなことがおかしくなる。

だから、ちょっとずつ、時間をかけて動かしていこう。

それが、人に与えられた、信じるという作業。

We are mountain movers.

Lovers, believers, mountain movers.

共に鳴らすべき音が、きっとそこにある。

No(4963)

■…2017年11月23日 (Fri)…….Jake’s last standing
というわけでドラム録音が終了しましたーー。
“Overture”というタイトルになる予定のあるばむの、バンドで今回鳴らすぶんの7曲。

今回はマイクの本数減らしたいと思って、6本で録ってみた。
昨年拾った、国産T社のとんでもない安物のインターフェイスと、米国M社のこれまたとんでもない安物のオーバーヘッドのペアを使って。
でも、結果は、思いのほか良い音で録れた。
安い機材でも、特性とか、方向性を生かして使えば、狙い通りの音は録れる。
低音の捉え方とか、AD/DAの部分とか、実は案外性能は悪くない。
要は使い方次第だあ。

安物のインターフェイス、本当にびっくりしたよ、プリアンプのつまみ最小なのに、ばっちりオーバーロードなんだもの。そういうものなの?? ソフトウェアミキサーをいじってもぜんぜん意味なかった。でも、ヘッドルームはちゃんとあるみたいで、どうせ録音は24bitだから、別にクリップはしなかったし、良い感じにドライヴして結果オーライのばっちりだった。もっとも、重要なスネアとキックには、手持ちの他のマイクプリを当てているけどね。(キックにML、スネアに3Q)

6本でこれだけ録れた、ってことは、実際は4本でも録れるってことだ。うち2本はタムに充てただけだったから。で、もっと言えば、オーバーヘッド1本でもいいし、キックとオーバーヘッドの2本でもいい。
その昔、無茶な形で設置したSM57の2本だけで録ったことがあるのは、知ってのとおり。
編集も楽だし、歳も取ったし、今後はこの「6本以内」でぜんぶ済ませたいものだなあ。

タイトル曲の”Overture”については、BPMを106にしようか、108にしようか、まだ迷ってる。
時間があったから、両方でドラム録っちゃった。
色気があるのは106の方だが、ドライヴ感があるのは108の方だ。たった2だと思うかもしれないが。

でも、よくある話だけれど、こういうふうにリハスタを使って普通に録ってると、毎回、ドラムのチューニングとか、ヘッドの具合がぜんぜん違うとか。
先週と今週でぜんぜん違う音になった。
前はそういうの、気にして音程に合わせてチューニングしてたけど、前作くらいからめんどくさくなって何も言わない。

どんなマイクだの機材使おうと、そこに鳴ってる音がやっぱりいちばん大事。
と、思うと、音を作ってる大半の部分は、楽器やアンプやドラムキットを作った人たちの努力であったり、スタジオの音響を設計した人たちの努力であったり、ドラムキットのメンテを行っているスタッフの人たちの努力であったり。
僕たちはそれをちょこっと借りて鳴らしてるだけみたいな気がする。
網の上に置いて焼くだけっていうか。
料理と同じで、いろんな人の、世の中のいろいろを経て、素材は調理され、食卓にのぼる。

たかだか7曲、今までのとか、特に前回の、とかに比べたら、余裕、と言える内容。
けれども、センスや技術が追いついているかといえば、それはまた、長い話。

でも、なんだかんだ、ジェイクはきちんと仕事をしてくれたと思う。

渾身のヘヴィメタルアルバム”Jesus Wind”をリリースしたばかりだというのに。
ぜんぜんメタルじゃないやつを、もう録音開始してる。

そうね、これを作り終えたら、「メンバーくびにする」とか、「バンドを再構築する」とか、「新たなステージに向かう」とか、そういう考えではいる。
でも、実際なにをどうすればいいのかは、もちろん、まだ見えない。
そして、すぐに見えなくても、構わない。

わかってるよ、3人で仲良くやっていくことは別に出来るんだよ。
それに、たとえば海外とかでも、最近やっと僕たちを知ってくれたリスナーの人とかからしたら。
やっと少しは「話題」になってきたのに。

でもね、「次の音」「最高の音」を作る、鳴らす、そのために、そのためだけなんだよね、理由は。
音楽だけなんだよ、理由は。
音の奴隷だからね。
10年間、やってきたんです。僕らは。
答えは、いっぱい、出してきたんだよ。とっくに。

“Jesus Wind”は、どうやらディスクユニオンさんにも置いてもらえることになったみたい。
そのうちまた告知しなくっちゃ。
ぜひぜひ、手にとってみてください。今回はジャケがとてもかっこいいから。

CDbabyもどうしようかと思ったけれど、やはり載せることにした。
オレゴンまでCDが届いたら、登録されて、それでアメリカのみならず、いろいろで、たとえばあちこちの大手のサイトでもCDが注文できるようになるみたい。
宣伝しなきゃーーー。

でも、私の頭は「Overture」ならびに「鍋島デモ」のことでいっぱいです。
ベース録りも、ドラムと同じく順調に進むだろうか。

さて、来年をどうやって生き延びたものか。

No(4964)

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