2018年3月の日記

■…2018年 3月 1日 (Fri)…….田舎でも都
メンバー募集のアナウンスメントをバンドのブログに掲載した。
日本語だけれど。
こちら

だけれどもこういうメン募みたいなものもあまり信用してない。
古典的な張り紙の方がいいかもしれない(笑)

一応、義務的に、やるだけやってみている、という感じだ。

でも、こころあたりのある方はご連絡いただきたいです。

思考1:
やはりそんなことよりも
僕はアコギ一本もって、
アコギとスケートボードを持って、
いろいろな場所を旅するべきなのだろう。
そういう中でこそ、出会いもあれば導きもあるはずだ。

少しずつ、一歩ずつ、ではあるが、
まずは近場から、
出かけてみたい。
その旅路に。

思考2:
思い当たった、というか思い出した。
僕は、ナッシュビルに行くべきではないのか。

今、僕が、生きているうちに地球上で行くべき場所があるとしたら、
やはりその場所に行くべきではないのか。

その昔、アートを志す人はニューヨークに行ったかもしれない。
あるいはパリに行ったかもしれない。
ヘヴィメタルの黄金時代には誰もがロサンゼルスを目指したかもしれない。

日本でもロックの好きな人は、ロンドンに憧れたり、
するのかもしれないが、
ブリティッシュロックも決して嫌いではないのだが、
僕はUKとかロンドンにあまり憧れていない。

そんで、いかにもアメリカンハードロック的な音楽性でバンドをやってきているのに、Van Halen大好き、とか言っているのに、
なぜだかロサンゼルスにもあんまり惹かれない。

むしろ西海岸だとシアトルがしっくり来た、というのは前述の通りだ。

今の時代には、そのような、かつてのような華やかな、ロックの聖地、アートと芸術の都、みたいな場所は、たぶん、もうあんまりない。きっと見る影もない。

それでも、地球上で唯一、乗り込むとしたら、やはりナッシュビルは、僕はもう一度訪れるべきではないのか。

何かの記事で、どこかのスタジオミュージシャンがインタビューで話していた。他の場所では音楽ビジネスはどんどん衰退しているが、ナッシュビルだけはまだ音楽ビジネスが栄えている、と。
ましてや僕はクリスチャンミュージシャンである。
その場所に、自分をぶつけてみるのは、むしろ義務ではないのか。

どこかの音楽サイトを開いたら、たとえば今、アフリカとかナイジェリアあたりの音楽シーンがどれだけ盛り上がっているか、とか。
アジアとか南米のシーンも熱いに違いない。
俺だって、そういった色々な多様な世界に踏み出していたい。

そんな国際化した多様な世界にあっても、
僕が唯一、「そんなもの」を求めて、行くべき場所は、テネシーの山々越えてそこになってしまうのではないか。
退屈だ、と思っても、やはりそこに行くべきではないのか。
そこには確かに会うべき友人や知り合いも何人かいる。
むしろ何人もいる、と言える。

あの時、2011年とか2012年頃に、置き忘れたものが、あの場所にあるのではないか。

その時、その頃は、僕はまだそれに、手を伸ばすことが出来なかった。
ぶっちゃけそれは、バンドの内部事情だし、やるべき宿題ももっとあった。
今、僕はそれを取りにいけるのではないか。

もしうまくいなかかったとしても、笑ってごまかすまでだ。
失うものなんか、まったくもってなんにもぜんぜんからっきしない。

なぜ僕はその場所に思い当たらなかったか。
距離を置いていたのか。
いわゆるキリスト教世界から。
日本だろうとアメリカだろうと。
そして日本人のアイデンティティとか考えていたのではないか。
どちらかというとリベラル志向な自分の思想的立ち位置を探していたのではないか。

逃げていたわけではないはずだ。

たとえば象徴的なわかりやすいシーンとして、
みんな覚えているだろう、Back To The Futureの最初のエピソードで、
主人公のマーティ・マクフライはミュージシャンを夢見る。そして周囲にデモテープをレコード会社に送ってみたらどうだ、と言われるが、「その勇気がない。もし才能が無いと言われたらどうしたらいい。」と怖じ気づく。

その気持ちは誰だってわかる。
だけれども、僕はインディ志向で、世間で言う成功にはぜんぜん興味も共感もない人間だ。
だから、俺にとって、そのような「怖じ気づく」とか、何かから「逃げる」ようなものは、何もないと思っていた。

だが、本当にそうだろうか。

「乗り込むべき」場所。
そして「勝負すべき」場所。

そんなものがあるとしたら、
やはりそこから逃げてはいけないのではないだろうか。

なによりも、自分自身の運命から逃げないということ。

他のどんな方法で、お茶を濁して自分を納得させるよりも。
自分の本来あるべき姿として、
真正面から扉を叩く方法。

自分の本来あるべき姿へと、
逃げずに扉を叩く道。

そんなものがあるとしたら。

もっと簡潔に書きたかったが、やっぱり乙女ポエムになった。

もちろんスケートボードは持っていく。

No(5026)

■…2018年 3月 4日 (Mon)…….Impossible at Heavy Metal show
まだこっちには書いてなかったみたいだけれども、
2月10日に西横浜エルプエンテで演奏したときに、
ステージ上、っていうか皆の前でスケートボードで「インポッシブル」を決めた時の動画、撮っていただいていたのを、YouTubeに上げてみた。
こちら

些細なことなんだけれど、
でも、ひとりの(へたっぴでも)スケーターとして、ちょっとこれは誇りだからね。
スケートボードのトリックって、どんなものであれ決して簡単ではないんだけれど、こうして皆の前で、しかもあんな場所でいきなりやって、一発でメイクできた、っていうのは、やっぱり自分のバンドでライヴしてる時の集中力っていうのは、普段とはまったく違う次元にあるものなんだと、思う。

もちろん、上手い人から見れば、たいしたことないんだろうけれども、
(2013年にThe LacksやThe Burn Insの連中と東北ツアーしたときに、石巻のスケートパークでばっちり決めた時と同じくらい – その時の映像のこってないのだけれど)
僕のささやかなスケート人生(あんどヘヴィメタル人生)の中で、
ちょっとした栄光の瞬間だ(笑)

そして、もちろん、うまく言えてないけれど、聖書のPhilippians ピリピ書4章13節を引用する形で、「イエスキリストにあって不可能はない」って。
なにしろ、「Impossible」だし。

No(5027)

■…2018年 3月 4日 (Mon)…….キッチンナイフブログ
Kitchen Knife Recordsのブログをちょっと書こうと思って。

インディーズバンドにとっての録音制作の考え方(その1)
こちら

No(5028)

■…2018年 3月 4日 (Mon)…….徒歩30秒
ちょっと前に、家のすぐ近く(徒歩30秒くらい)にいきなり新しい教会が建つという夢を見た。
しかも結構リアルに本当にありそうな教会だったし。
出不精でずぼらな自分としては、正夢にならんかなー、と。
先週も近所の教会の祈祷会に参加したりはしてるんだけどね。
死ぬ程ハードワークだった録音制作や、バンド活動がいちだんらくするので、人生の次のステップということも含め、落ち着ける教会を見つけたい。
毎週、とは言わないが(汗)、月イチでどっかに行ってみる、くらいのことはしたいと思っている。
どっちにしろイースターがもうすぐそこだし。

No(5029)

■…2018年 3月 6日 (Wed)…….テーブルの上
笑っちゃう話かもしれないが、
3月いっぱいおけるイマリトーンズの現体制の終了、
つまり、わかりやすくいえばはっしーとジェイクをクビにしてバンドを立ち上げ直すこと、
に関して、今の今でもまだ迷いがある。

(3月21日(水祝)、新橋ZZです!出番は19:30から。せっかくだから見に来てちょ!)

かといって、じゃあやっぱり撤回、この3人で活動を続けて行きます、
と宣言したとして、
テーブルにはどんなものが残るだろうか。

この一年あまりで僕たちが行ったライヴは、ほんの2、3本である。

バンドとしての機能は、ほとんど停止状態というか、機能不全状態だった。

そして、いちばん最後まで残ったのは「作品を作る」という機能だった。
その最後の力を使って、「Overture」という作品を作り上げた。

バンドが既に機能していなかったからこそ、僕は次のステップに進むことを決断したのではなかったか。

先々の身の振り方については色々と悩んでいるが、
精神的なことについて言えば、
いちばんの問題は「音楽」というものを信じられなくなっていることだ。
少々大袈裟であるけれども。

だけれども、僕にとっては、もし「音楽」というものを信じられないとすれば、遅かれ早かれ、「神」も信じられなくなるので、結構これは本質的である。

昨日だか一昨日だか、Sonicbidsのニュースレターの中に、「君の音楽がToo Smartだという5つのサイン」みたいな記事があった。

記事の内容は、どうってことのないものだったけれど、
それでも、時々、自虐的になってしまう。

もちろん、僕の友人たちは、僕の作る音楽が、たとえちょっとばかし複雑なリフとかコード進行とか使っていたとしても、本質的にフレンドリーであり、キャッチーであるということを親切に指摘してくれるかもしれない。

けれども、特に今の世の中の状況では、ロックというものは既にいったん歴史が終了した音楽であり、世の中でどんなものがもてはやされ流行するのかを見れば、ということはある。

ましてや、みたいに考えていくとどんどん自虐的になってしまう。

本当に素晴らしいバンド、本当に素晴らしいミュージシャン、でいるためには、どうしたらいいのだろう。

そんな中で、何かを「信じる」っていうことは、いったいどういうことなんだろう。

つまり、世間で受け入れられるためには、本当に素晴らしいミュージシャン、でいる必要など、ほとんどないのだから。

これは、僕の大好きな現代および歴史上のミュージシャンたちを見ていく中でも、悲しいくらいに感じることだ。

そこで絶望を感じることはいつだってそうなんだけれど。
だけれども、僕の人生はだいたいそこの絶望に向き合うところからスタートしていたのではなかったか。

そうね。
そう考えれば別に失うものも何にもなかった。

ああ、そうなのね、どうせ報われないわけね。
別にいいよ、って言って、そのテーブルの上に、残りの自分の人生を賭けていけるのか。
みんなそうだろうけれど、人として、そういう愚直さは持ち続けていたい。

ありのままでいたいと思う。
年齢を重ねるにつれて、少しずつ、自分はありのままでいられるようになった。
その「ありのまま」を、周囲の人間や世間といったものが受け入れてくれるかどうかは、また別だけれど。

今のイマリトーンズを続けていくことは、自分にとって「ありのまま」と言えるのか。

2013年以降、つまりXTJをやるようになってからの数年間、大なり小なり自分は「無理して」このバンドを続けてきたのではなかったか。

自分自身の「ありのまま」をもう一度見つめ直し、リセット、再構築する時期なのではないだろうか。

その「ありのまま」を見つけるのに、少し時間がかかるだろうことは、予想している。

でも、その価値はあるはずだ。

No(5030)

■…2018年 3月 9日 (Sat)…….ドラマ
僕たちの小さなバンドのささやかなメンバーチェンジは、やっぱりささやかなドラマを生み出しているようで、色んな人に気にかけていただいたり、アドバイスやメッセージをいただくのは本当にありがたい。
つまり僕たちのこのささやかなバンドの周囲には、とおりいっぺんの反応をする”customer”や”audience”ではなく、本当に気にかけてくれる友人やfriendsやloving peopleが居るのだ。(とか言ってみる) (なにをさしおいても感謝!)

しかるに、次へと進むために少しずつバンドページに投稿してみる。
こちら

こういうのひとつ書くのですら、英語で書くとか、日本語で書くとか、そこに面倒なせめぎあいがあって面倒くさい。自分の中では、どっちも心から書いているつもりなんだよね。

もしそれが運命であれば、HassyとJakeは戻ってくるだろうと思う。これからの企画が進む中で、そういう運命があれば。一年後なり二年後なりにね。
けれど、そういう運命かどうかはわからないし、僕は今回の「鍋島」に限っては、今までのようなやり方では作りたくない。もういっぺん言うけれども、今回、メンバーチェンジをしなければならない、と決断したのは、この「鍋島」を作るため、それだけだ。

人生の中で、後悔するようなことがひとつくらいあったっていいと思う。
今回の、長年一緒に演奏して音楽を作ってきたHassyとJakeとお別れする、という選択も、当然ながら今の今でも迷っているし、たぶん実行してからも迷ったままだろう。これでよかったんだろうか、って。それに答えが出るのは何年もたった後のことだろうと思う。(俺は、嫁さんに関しては幸運にも若い頃に出会えたのだから、バンドメンバーに関しては、基本、達観しているよ。)

色々と新しい企画というかmake some new moveというのか、あんなことやこんなことをやってみよう、トライしてみよう、と考えている。アイディアがたくさんある。もちろんアコギ一本もってアメリカに乗り込んだっていい。

日本の仲間たちとXTJとかCalling Recordsに取り組んでいたここ数年。
具体的に言って2013年以降。さあ海外ツアーしようぜ、世界征服に行こうぜ、って言ってもうちのメンバーはその気にならなかった。その時は、まだ予算も残っていたんだよね。
で、XTJを4年間やったら、その手元にあった予算も全部なくなっちゃった(笑)
一人で行動できる立場になって、やっと自由になったと思ったら、今度は行動するための予算がない。

これは皮肉と思うかもしれないけれど、たぶん前向きにとらえていいことだ。
今までずっと音楽、というよりは、音、というものに、全部つきっきりで向き合ってきた。
でもこれからは人に向き合っていかなきゃいけない。
自分の運命に向き合っていかなきゃいけない。

もちろん、ナッシュビルであるとか、ニューヨークであるとか、そういうしかるべき場所に行く、っていうのもそれに向き合ううちだけれども、
やっぱり何を差し置いても、本当に向き合わなきゃいけないこと、それは、本気で夢を語り、世界に向かってラヴコールを送ること、それは、やはりお金では買えないことだと思う。
だから、何を差し置いてもそれに向き合うことを余儀なくされるのであれば、今の状況は、きっと幸運な神の配剤だ。

で、本当のことを言えば、同じくらいの情熱で、ここに付き合ってくれる人と、僕は出会いたいのだ。つまり、人々に向かって、世界に向かって、ラヴコールを送り、愛に向き合う、ってことに。

俺はそれを、決して不可能とは思ってないよ。

ついでの手抜きな告知で申し訳ないんですが、
3月21日(水祝)に、現体制のイマリトーンズとして、最後の演奏を新橋ZZで行いますので、よろしくお願いいたします。

19:30からの30分の持ち時間ですが、さわやかに駆け抜けようと思います。

“Jesus Wind”の曲もやろうと思っていたんですが、
やっぱり、今バンドはどうしても”Overture”モードから抜け切らないので、
結局”Overture”の曲を中心に。

予告セットリストは、Overture, Discarded World, Born Again, Mistake, Precious, Winning Songといったところです。MCはしゃべりません。(しゃべりませんよ!)

つっても、Overtureはまだリリースしてないから、誰もわからないよね!!
(一部の友人にあげたサンプルと、YouTubeに上がってるライブ動画以外は)

No(5031)

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