レッスンジャーナル Day 18

コミュニケーションの深度っていうのはやっぱり大切だ。
コミュニケーションの効率って言ってもいいかもしれない。

インターネットはそのへんを人類社会の中で、かなり改善する筈だったのだが、
良い面だけでなく、悪い面もかなりあることは皆さんとっくにご承知だろう。

初心者で音楽の才能もないうちの嫁さんにベースを教え始めて、
(Atsuki Ryo with Jesus Modeでルート弾いてたのはまぁ別として)

まだ一ヶ月が経過していないと思うが、
ていうかむしろまだ半月程度か、
たとえばリズム感の無い人に対して、
運動神経の悪い人に対して、
そのリズム感そのものを直す、
あるいは運動神経そのものを改善する、
っていうのは、わりと難しいことではないかと思う。

もちろん不可能では無いかもしれないが。

うちの嫁さんは、運動神経が非常に悪い。とろい。
そんでもって、リズム感はそれなりにあるはずだが、やっぱりとろい。
とにかく体の使い方が不器用だ。
神経がつながっていない。

これはすべて脳みその認識の問題だ。

だけれども、夫婦で教えているので、
コミュニケーションの深度も深ければ、効率もいい。
だから、本質ってやつを教えられる。
ちょっとだけだけど。

つまり、運動神経が悪いのは、
本当に運動が出来ないからではなく、
脳みその中での物事の認識が間違っているからだ、と、
脳みその配線をちょこっと変えるだけで、運動神経そのものを変えられるのだ、ということを伝えられる。
そして、そのさらに背後にある心理状態とか、心の問題まで説明し、変えることが出来る。

たった一日のレッスンでも、そういった本質の部分、
運動神経そのものを改善することが出来る。

まあ、体の使い方、体の動かし方、そして脳みその使い方、ってことなんだけれど、
こういった脳みその中のことまで説明出来るというのは、
わりと貴重なことではないかと、思った。

つっても、それこそ武術の達人とか師匠みたいに呼ばれる人は、
そうやって極意を教えることも出来るに違いない。

お子さんたちを対象にレッスンする先生とかも、
きっとそういう経験や技術を持っているんだろうな。(そう願う)

でも、もともと才能の無い人に対して、
その才能の部分を、変える、というか、掘り起こす、というのは、
うーん、やっぱ何でもそうだけど、愛情が無いと出来ないよなあ。

あと忍耐。

昨晩も、「やっぱダメかな」と思った。
嫁ベース起用のアイディア。
「無理かな」「才能ないかな」って。

でも、その「才能」自体も、
一日でちょこっと変わったから、
まだ失格のハンコを押すところまでは至っていない。

僕とコミュニケーションを取ることが出来る、という優位性。
あと、学ぶこと、吸収することについての才能は、
きっとあるだろうな、
知ってる。

よくできた人だよ。
俺みたいのと二十数年も一緒に居てくれるんだもの。

一ヶ月、三ヶ月、そして半年でどう変わるか。
そんな短期間で根本から変わって、一人前のプレイヤーになれるのか。
わりと、そこも、今、生きる張り合いというか生き甲斐のひとつになっている。

僕も勇気を持って一日一日を踏み出す。
行ってくる。

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