幸いなるかな虐げられたる者、彼らは魂を取り戻す

僕がブルーズ、っていう言葉を使うと、いつも誤解を生む。
なぜなら、僕は自分の音楽、つまり比較的ハードロックやヘヴィメタルの範疇にあり、
自分なりのインディーロックの概念を混ぜて、和風クリスチャンメタルに向かおうとしている今でも、
やっぱり自分ではブルーズをやっているつもりだからだ。

ロックンロールの行き先についていつも悩んできた。
ロックンロールが本来行くべきであった場所について考えていた。

「はじめ」は良かったかもしれない。
人の世にあって黄金時代もあった。
でも、そこから先は僕たち人間はいつも間違ってきた。
本来そうであった場所から。
本来辿り着くべき場所から、遠く離れて。

でも、歴史を調べれば、
やっぱり「最初」っから、それは間違いだらけで、
間違いの中から生まれてきたものなのかもしれない。
長い時間をかけて。

ロックンロールはまだ終わっちゃいない。
ブルーズもまだ終わっちゃいない。

 

ブルーズが特別な音楽であって、
あるいは音楽以上のものかもしれないのは、
それが何にでも応用可能な「もの」だということだ。

そして、もちろんのこと、ロック(Rock & Roll)というやつは、
そのブルーズを応用し生み出された最たるものだ。
これは別に普通に歴史上の事実であってご存知のとおり。

その意味では、ブルーズを「発見」し、
その「使い方」を発見したのは、初期のブリティッシュロックの人たち、
ということで間違っていないのだと思う。

僕は「エレクトリック・ブルーズ」というのは武装した民族音楽だといつも思っている。
たとえばジミ・ヘンドリクスなんかはそのわかりやすい最たるものだ。

その「武装」の度合い、必要性、必然性、というものは、
僕が思うにそれは緊急性というものに関わってくる。
神の武器で武装した音楽。
それは、物理的な熱や力で破壊を生むものとは違う。

その意味ではヒップホップも、
緊急性の中で武装した民族音楽、
すなわちエレクトリック・ブルーズの定義から、いっこも外れちゃいない。

何と戦うのか、そして、どのように戦うというのか、
それは、今更ここで僕が語るまでもない。

そのために別にボブ・マーレイをあらためて聞き直すまでもないと思う(笑)

 

ブルーズがなぜ魂の音楽たり得たのか。
その理由はもちろん僕にもわかんない。

でも、自分の魂の中を探って、そこにどんな「民族音楽」があるのか、
探ってみた経験は個人的には僕もあるから、ちょっとだけそれが「どういった行為なのか」という、意味合いはなんとなく想像できる。

たとえば、当時、アメリカつーのか新大陸に連れていかれた、西アフリカの人たちはどんなだったのか。
歴史にも大して詳しくないからわかんない。

でも、人間というのか、人種というのか、民族まるごと、すべてを奪われようとする時に、
持っていけるものなんて何にもなかったと思う。

自分たちの民族的な文化的遺産を、文献として、記録として、形として、持ち込む、それを持っていく、なんてことは、あんましなかったと思う。

もちろん人類史上、残虐な出来事や、残虐な行為とか、収奪、搾取、略奪は、数え切れないくらい行われてきたはずだと思うけれど、

文化も、言語も、宗教も、そういったものも、すべて、
奪われて、失われた。
そして、何世代にもわたって、抑圧され、虐げられた。

たとえば、僕たちが、明日、いきなり、
地球に襲来した宇宙人の一族に、なすすべなく殺戮され、
奴隷としてどこかの星に連れ去られるとしたら、
僕たちはたとえば「地球人」、あるいは、「日本人」といった
アイデンティティを、どうやって保持するか。

もちろん、普通に考えれば、保持することなんて出来ないわけだが。
たぶん、考えられる限り最悪の扱いを、奴隷となった人類が受けるとして。
その上で、何世代も後になって、すべてを失い、変わり果ててしまった「人類の末裔」が、
その後でどうやって、「日本人」「日本文化」なんてものを取り戻すのか。

そんなことがあっても、すべてを奪われて、時間も過ぎ去り風化して、何もない中でも、
「魂」の奥底に、まだ残っていたものがあって、
いや、むしろ何も残っていなかったからこそ、
魂の奥底から、より高い純度で、それを見つけ出したとしたら。

たぶんブルーズを生み出した人たちは、
何世代にもわたって、それを実際に行ってしまったわけだ。

より強固なアイデンティティを持った、「民族の証」を。
そして「人間の証」を。

そして恐ろしいことに、それは「応用可能」なものだった。
つまり、世界的に普遍性を持ったものだった。

別にコード進行や、音楽形式や、音階をなぞることじゃなくて、
魂の中から、自分の本当のアイデンティティを見つけ出し、それを鳴らすという本質を、
それを理解できた者たちが、世界の各地で、自分たちのロックンロールを生み出した。

 

これは別に僕たちに限ったことではなく、
世界各地の、現代の世代には言えることかもしれない。

けれども、僕たちの国にもやはり、
奪われてきた歴史があり、
失われた伝統があり、
奪い去られ、取り上げられた文化、
見失った魂というものがある。

そして、そのまま世代が流れ、
日本人の精神は失われたかのように見えた。

その隠され、隠蔽され、
目を閉ざされ、
目を閉ざしたまま生きることが前提となったこの国で、
その「支配」や「収奪」の形は、とても複雑で、気付きにくく巧妙だ。

そんでもって卑屈な奴隷根性だからって、
そんなことは言いたくないが、
その「どうしようもなさ」は、
1980年代にGunsn’Rosesが歌ったよりも、
1990年代に2pacがラップしたよりも、
さらに輪をかけてどうしようもないくらいの惨状であると思う。
誰もが我を争って、競うようにして自らの自由を差し出すことが、
名誉であり成功と看做されるこの国にあっては。

 

そんなんで本当の「ブルーズ」が、
本物の「ロックンロール」が、鳴らせるわけがない。

けれど、人間の世界はいつだって間違っていた。
正しかったことなんて、たぶん無い。

すべてが失われ、「どうしようもない」状況だからこそ、
本当に発見できるものがある。

だから俺は自分の「ブルーズ」を。
新しい日本の民族音楽を、見つけたくて、
俺は「鍋島」を書いた。
2枚組24曲の、ちょっとした作品を。

それはほんの「始まり」にしか過ぎないかもしれないけれど、
指し示すには、俺にはこれが精一杯だ。

一応ね、クリスチャンミュージシャンだから、
日本人の魂と、信仰ってことに向き合って、
世界的な視点で、書いたつもりなんだ。

だから、残りの人生を賭けて、
俺はこれを全力で鳴らさなくちゃいけない。

 

ブルーズの始まりには、やっぱりゴスペルがあり、教会があり、
そこには神があった。
イエス・キリストは、やっぱり弱者の傍に居た。
でもそれは、ははは、偶然かもね(笑)

でも、思うよ、そこに居てくれて良かった、って。
悲劇があったとしても、そこにあの人が居てくれて良かったのだと。

 

幸いなるかな、虐げられたる者。彼らは魂を回復するのだから。

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