新体制初リハーサル

前振りが非常に長いが、とりあえず少なくとも、バンドアンサンブルの3人で音を合わせてきた。
写真は取り忘れた。簡単な自撮りだけでも撮ろうと思っていたが、夢中になっていて忘れた。

ロックバンドはTeam Thingだ。
つまり、チームでやるものだ。
一人では出来ない。
チームでやらないと出来ない。

そのことは、今アップしているThe Road To NabeshimaのYouTubeでも語っている。

 

今年の3月で終了させた[Tone – Hassy – Jake]の3人のImari Tones、そのチームは、断じて「良いチーム」だった。
それは、仮にも10年間も一緒に演奏し、たくさんの音楽を作り、海外ツアーをし、小規模ながら国内ツアーもして、最後まで少なくとも仲良くミッションを遂行し続けた。

けれども、完璧ではなかった。
そこには限界があった。
音楽的な意味でも限界があったし、精神的にも限界があったし、活動の上でも限界があった。

バンドというのは、チームでやることだから、
たとえ限界があったとしても、その限界に付き合って、それを飲み込んだ上でやっていかなければならない。
わかりやすい言葉で言えば、我慢しなければならない。

もちろん、我慢するというのは、人間である以上、お互い様であるから、僕も完璧な人間はないので、そんな僕に付き合って10年もの間、一緒に演奏し音楽を作ってくれた彼ら(Hassy&Jake)は、やはり特別な二人であり、感謝しているのであり、そしてやはり僕たちは良いチームだったのだ。

だが、そこにはやっぱり限界があったのであり、
要するに、特に後半の5年間は、僕はその限界がわかっていたとしても、
彼らを即刻クビにするのではなく、
その限界に付き合って、それでも彼らと活動することを選んできた。

なぜなら、そこにはまだ、彼らと一緒に鳴らすべき音、
鳴らすことのできる音があったから。
その音を鳴らすことこそが、僕たちの使命であり、僕たちの関係性だった。

その限界にどのように向き合ってきたのか、
その限界にどのように付き合ってきたのか、
それを、今、The Road To NabeshimaのYouTubeシリーズを作りながら、振り返り、自分の言葉で語っているわけだけれど。

なので、最後に作った日本語アルバム「Overture」を以て、
彼らと一緒に鳴らせる音は、最後のひとつの音符まで鳴らし切った、と、
そう断言できる。
そしてそれは誇るべきことだ。

それはとても言葉では言い表せない。

(そして、その「限界」を乗り越えて次に行く時が来た、
と感じたからこそ、10年続けてきた「チーム」を終了させたのだ。)

 

ロックバンド、っていうのは面白いもんで、
つまり、それはチームでやらないと出来ない。
一人では、バンドは出来ない。
バンドっていうのは、1人では出来ないものだ。

ロックという音楽。
その音楽表現は、すごく個人的であったり、
パーソン、「個」を起点とする、「個人」の目線に基づいたものであるのに、
それを表現するための「ロックバンド」というのは、
一人では出来ない。
チームでやらないと出来ない。
一人称というのか、主語はいつだって「俺たち」(we)になる。
そこが面白い。

つまり、それは、作曲者、ソングライター、アーティストが、
どんなに独善的で、個性的で、また独裁的であったとしても、
それを表現するためには、
他者とチームを作り共同作業をしなければならない。

すなわち、それは「救済」というものが、
あるいは「民主主義」というものが、
あるいは、そうではなくて、単に我ら救い難いダメ人間のための、
。。。。。
以下は長くなるから省略(笑)

 

しかし、俺はやはりチームで、
アンサンブルで、
つまりバンドで、
音を鳴らすことをこそ、至高と、
生き甲斐と、
本懐と、
そう思って生きてきた人間なのか。

それを証拠に、
俺はアコースティックや、フォーク弾き語りや、
ソロ活動には、没頭しなかった。
(やるけどね。喜んで。)

やはりいつでも、バンド、そしてチームを頼ってきた。

それは、たぶんこんな俺であっても、
たとえすごい独善的な人間であっても、
人と協調することを、
そして世界と協調することを、
あきらめていなかったからなのだと思う。
そして、まだあきらめていない。

だから俺はやっぱり、バンドで音を鳴らしたい。
チームでひとつの音を奏でたい。

だから俺は、こんな時、こんな場所、こんな状況であっても、
ささやかにスタートしたこの新しいチームを、頼りたい。

ちゃんとスタートすればの話だけど。

でも、スタートしたみたいなんだ。

 

久しぶりにギター、ドラム、ベースのバンドアンサンブルで演奏した。
某Calling Recordsのスタジオにて。

ひさしぶりと言っても、3月にバンドをバラして以来だから、
4ヶ月ぶりくらいか。

バンドをバラす時に、
今まで、自分の音楽人生の中で、節目にメンバーチェンジがあっても、
いつも何ヶ月もしないうちに、新しいメンバーが見つかってきたので、
これまで「バンドメンバーが見つからなくて困った」という経験が、幸いにして無いのだけれど。

でも今度ばかりは難しいだろうな、と思っていたし、今でもそう思っている。
一年、二年くらいはアコースティックとか、一人でやるソロ活動に専念するつもりでいた。
でも、少なくとも、曲がりなりにも、こうして4ヶ月たたないうちに、新しい形での初リハーサルが出来た。
だからやっぱり、神に感謝したい。

 

夫婦で演奏する、ということが、どういうことなのかは、まだわかんない。
もちろん、サイドプロジェクトのお遊びバンドでは一緒に演奏していたわけだけれども、本気でやるバンドで、嫁と一緒に、っていうのはもちろん初めてだ。

そして、そんなことは、以前なら考えられなかった。

それはドラマーさんの技術、精神、ビジュアル、の組み合わせが前提となったものだ。
ドラマーさんが技術のあるベテランさんだったから、じゃあ、ベースはちょっと「賭け」をしてみようか、と思うことが出来た。つまり、時間をかけて「育成」をしてみる、という気になった。
あとは、ドラマーさんが歳上のベテランさんだったから、ベースはせめて、少しでも華のある人選にしたかった。なので女性を起用。。。。

だからといって嫁ベース、は、やはり安易かもしれない。この段階でも、やっぱりそう思っている。

 

夫婦でバンドをやっていた例と言えば、もちろん有名なバンドの中でも少なくはない。
Sonic Youthとか、ブッチャーズもそうだし、あれもそうだしこれもそうだ(自分にとって適切な例をあげられないのでお任せします)。

あとは、僕のAll Time FavoriteであるVan Halenだって、今では家族バンドになっている。

そんでもって、僕はいろんなバンドを見るにつけ、兄弟でバンドをやれるのはいいな、といつも憧れていた。
僕は妹とは一緒に(アコースティックはやれても)ロックバンドは出来ないし、
弟はいなかったから(その話は別途)。

そんでもって、もちろん、音楽の才能は無いとわかっていて一緒になったうちの嫁さんであるが。

でもこれは、家族、兄弟でバンドをやる、ということに対する、「次善の策」なのかもしれない。

これを「最善」とは考えないが、
けれども、たとえ将来的に、「もっとちゃんとしたベーシスト」と出会って加入してもらうことがあったとしても、
夫婦で過ごすこの時間は、決して無駄ではない。

たとえうちの嫁さんがベーシストとしてものにならなかったとしても、
今、こうしてベースに、音楽に、アンサンブルに、二人で向き合っている時間は、
夫婦としてかけがえのない時間だと、言うことが出来る。

だから、夫婦仲は良くなってるんだよね、嫁にベース弾かせる、と決めて、半月ほどしかたってないけれど。
そして、確かにこのたった半月で、結構、向上した。

そして、こっから短期間で、さらに向上して、一人前になってもらわないといけない。
教師としての、僕の教える手腕が問われるわけだ。

 

さて、ドラム、ベース、ギター&ヴォーカル、で合わせてみた。
初回、まだまだ顔合わせ、の段階であるので。

演奏したのは、なぜだかKissの曲と。
(ドラマーさんがKiss好きなので、やるかもね、Kissの曲。)
あとは基本的なブルーズ進行のセッション。

でも、ブルーズ進行でいろいろやるだけでも、
やっぱり楽しいね。

そして、やっぱり、ドラムがちゃんとしてると、いい。
ブルーズがちゃんと演れるバンド、っていうのは、
僕にとって理想であり、憧れだった。
演れるかもしれない、ブルーズ、このバンドなら。

そして、そういう「ちゃんとした」ドラマーさんと
一緒に音を鳴らすと、
そしておっきな音で、アンサンブルで鳴らすと、
うちの嫁さんも、やはり得るものがあるようで、
家に帰って練習すると、たった一日で、ずいぶんと変わっていた。
嫁さんの意識と、音の出し方が。

それは、ジーザスモードで演っていた時の感覚が戻ってきた、ということもあるだろう。

 

生まれ変わる、っていうことがある。

これから、The Road to NabeshimaのYouTubeシリーズでも改めて語っていくけれど、
2011、2012頃にアメリカを回った頃の「バージョン」の伊万里音色。
“Victory In Christ”、”Japan Metal Jesus”の頃のImari Tones。

もちろん、それは素晴らしいものだったと思う。
そのまま行っても、アメリカを制覇できたと思う。
(小規模には制覇してたし、面と向かってのケンカ(ライブ)には、すべて勝っていた)

そこにとどまってもよかった。
そこにとどまることも出来た。
(現実には、運営上、そうできなかったのだが)

 

けれども、僕は、音楽的に、さらに先へ進むことを選んだ。
活動の規模を大きくすることよりも、より新しい音楽を生み出すことを選んだ。

だから、「生まれ変わったつもりで」Revive The Worldを作り、

そしてさらに「生まれ変わったつもりで」Jesus Windを作り、

最後にもう一度生まれ変わったつもりで、Overtureを作り、

それらはすべて、まったく違った音楽性と方向性でもって。

そんで、その生まれ変わった最終形として、「鍋島」を書いた。

 

成功を追い求めるのではなく、
安易に成功してしまうのではなく、
チームの、人間の、限界に付き合い、
音楽を進化させ、修行を優先してきたことに、
後悔はない。

何度も言うが、あのままアメリカを攻め続けて、ツアーに明け暮れ、たとえ成功していたとしても、「Jesus Wind」は、そして「鍋島」は、作れなかった。

 

んでもって、今回の「Reincarnation」は、その「鍋島」を鳴らすためのものだ。

「鍋島」を鳴らすために、ジャパメタの戦場からタイムスリップしてきた、このベテランドラマー氏を核として、この戦略を立ち上げる。

うまくいくかどうかはわかんない。

んでも、精神的には、なんか悪くない感じだ。

ジャパメタで叩いていた野武士みたいなベテランドラマーいないのかな、
とか、
むしろアンセムのMADさん叩いてくれないかな、
とか嫁に向かって冗談を言っていた僕だが、
それから3ヶ月後には、それがほとんど現実になっていた。
だから、これは神さんの配剤なのだろう。
(もれなく、神さんはやっぱり、応えてくれる。)

どっちにしても、
アメリカンロック的な陽気な精神性、
音楽的、精神的、情熱的、な相性が合致した、
(年齢以外は)申し分のないドラマー氏と出会ったのであるから、
もしこれがうまくいかなければ、
僕もとっとと、四の五の言わずに環境を変える、つまり海外移住するつもりだ。
そんでもって、それは、音楽をやめたって構わない。

バンドやめたって、鳴らせる音が無いわけじゃないのだから。

でも、「そうにゃん」の件もあるし(前の日記参照)

日本発、東京発、で、
ジャパニーズメタルの血統を以て、
世界に発信することが出来たら、
この「鍋島」を。

それに越したことはない。
ので、やるだけやってみる。

 

まだまだ水面下で、準備段階。
ゆっくり、アンサンブルを作っていくので、
うまくいけば、年内に最初のライブが出来たらいいな、くらいの。

海外向けに、英語では、
やっと先日、The Road to Nabeshimaのエピソード1をアップして、
はっしーとジェイクの脱退を、ようやく正式にアナウンスしたところ。

だから、海外向け、英語では、まだまだしばらく、「メンバーを探してますよ、さあこれからどうなるかな」という体で、発信をしていきます。海外のファンの皆さんに向けて、まだ、語るべきことがあるからね。

そんでもって、新しい体制の発表、このベテランドラマーさんが誰なのか、
などなどは、時期を見て、発表していきたい。
(うまくいけば)

そして、準備が出来たら、がつんと、派手に、精力的に活動していくよ!

うまくいったらね。

だから、うまくいくように祈ってくれたら嬉しいな。

ありがとうございます。

 

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