鳴らし続ける訳、伝えたい理由

ここのところずっと、90年代をRevisitしていて、その当時の音楽をあらためて振り返っていろいろ聴いているうちに気が付くことがいくつかあったんだけれど、
そしてそれについてもまたジャーナルに書き付けたいが、

最近また肉体労働のバイトをやっている時に、なんだかやっぱりそういう気分になるのか、思春期の頃に聴いていた音楽であるとか、思春期の頃の思いをRevisitし、自分が思春期の頃に、なぜロック、ヘヴィメタルを好きになったのか、そういった思い、理由を見つめ直してみる機会を持っている。
それはもちろん、90年代初頭の音楽だけでなく、80年代の音楽、それは僕にとっては「憧れの80年代」だから。

 

自分はあんまり成功ってものを望んでいない人間だ。
もちろん、自分がやってきたこと、というか、つまりは音楽は、なるべくたくさんの人に聴いてもらいたいと思っているけれど、
自分みたいな、そもそも普通の色々をまともにやれっこない、というところからスタートした人間が、これだけの時間、これだけのことをやって来ることが出来て、たとえ規模も数字も小さいかもしれないが、曲がりなりにもインディー規模である程度の世界的な認知を得た、ということ、ひとつひとつが、自分にとってはもったいないくらいのことであり、それはスタート地点の自分にとってみれば、十分すぎるくらいの「成功」なんだよね。

 

成功ってものを考える時に、それは自分が本当に心の中で望んでいたもの、それを手に入れる、それを形にする、ということだと思う。

その答は、やはりロック、メタル、そして恋、そういったものに初めて触れた思春期の頃に、その答がある。
そう思ったからこそ、その頃の思いをRevisitして、自分がこれからやるべき事は何なのか、考えている。

 

自分にとっての成功は、アリーナとかスタジアムで音を鳴らすことじゃない。
それは、よくよく分かっている。

けれども、自分にとっての「成功」を目指すその理由は、いったい何なのか。

それは、やっぱり、あの人への思いなんだよね。
そして、その頃の自分が感じていたことへの思いなんだ。

それは、その人、本人がどうか、なんてことではないんだよ。
どこで、どうしている、ということでもないんだ。

 

愛っていうのは、たとえその人が、どんな人間であれ、くだらない人間であっても、平凡な人間であっても、
その人の内面の美しさを信じて、その人の真実の美しさを信じて、
鳴らすものなんだ。
伝えるものなんだ。

なぜなら、くだらない人間、とか、平凡な人間、なんて、そんな人はいないからだ。
どんな人でも、人間はみんな、美しく、そして特別だからだ。

(そして、俺たちの救い主は、そんなくだらない俺たちのためにも、自分の身を投げ出してくれたからだ)

そのことは、前にも学んだじゃないか。
昨年も、そういう導きを、ひとつ学んだじゃないか。

 

だから、自分にとって「成功」の基準があり、
また「成功」の理由があるとしたら、
それなんだ。
きっとそれだけなんだ。

その人に、愛を伝えるには、それしかないからだよ。
僕にとっては。
今の僕にとっては。
いや、たぶん最初からずっと。

 

その約束。
いや、約束なんてものがあったのかどうかはわからない。
でも、そこに最初から、大きな約束があったのだと、信じることから、
変えられる気がする。
僕たちの生きる世界を。

(それはまるで+/-{plus/minus}の”Walking in a straight line”のようだ。)

その時に信じていたものを、
叶えることから、スタートするんだ。

そして、やっとそれが出来るところまで来たんだ。
本当のロックを、鳴らせるところまでやって来たんだ。

 

今でも夢に見る。
何度も夢に見てきた。伝えるべき思いのこと。
やり残したことはないのか、と、そう問いかける自分がいた。

だけれども、これが答かもしれない。

すごい遠い。
でも、やれる。
やれるんだという確信がある。

地球を何周しても、この愛を伝える。
生きてくれてありがとう。

 

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