父親にへらず口

キリスト教ってやつにあっては、人はおよそ皆、「父なる神」と個人的に結ばれている、と思う。たぶん。

神ってやつから、この世で生きるにあたって「使命」とか「仕事」みたいなものを賜る時、
僕が思う、いちばんまっとうな「返答」は「ふざけんなよ」というものである。

人間の親子でもそうだろう。
「おい、タカシ。悪いが○○を持ってきてくれんか。」
「まじかよ、ふざけんなよ、オヤジ。」
それは親子というものがそれだけ親しい関係であるからだ。

神ってものは、人間に仕事をよこす時、
それは大抵、おおよそ人の手に負えないような、厄介な仕事を投げてよこす。
しかもそれは結構、やっても報われないような、そんな仕事ばかりだ。
(少なくとも人間の目から見ればそう見える)

だが、神ってものがわかってるからこそ、
その仕事を引き受けざるを得ないことも承知している。
人間の側に拒否権なんてものは、多くの場合、無い。

だからこそ、出て来る言葉は、
「ふざっけんなよ、神」
というものになる。

別に、「はい、わかりました、神様、感謝します!」
ってキラキラした目で返答してる人を否定するわけじゃない。

んでも、誰だって、子供の頃は、親だって優しく接してくれるが、
成長すれば、遠慮がなくなるものである。

ましてや、俺たちの「父なる神」ってやつは、
へらず口のひとつやふたつも許してくれないような、
つまんない奴ではない。

 

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