普遍を探すお散歩

自分は色々と世の中のあれこれについて、
つまりは常識的なことについて、
疎い方であるので、
また鈍い方であるので、

普通であれば、
子供の頃とか、10代の若いうちに、
生きていく上で前提として「言われなくてもわかる」
ようなことが、
ずっと大人になるまでわかっていない。

また、わかっていなかったし、
たぶん今でもわかっていない事が多いと思う。

たとえば男と女の関係とか。
たとえばお金についてとか。
たとえば権力についてとか。

たとえば、世の中で一般的な原則として、
「男ってのはみんな、いい女とヤりたいんだ」
と言われれば、
「へえ、そうなの? 僕は別に、そうは思わないんだけどなあ」
って。

でも、いい歳になるまで生きてくると、
世の中ってのは、確かに、
男ってのはみんな、女とヤりたくて、
その原則の上にいろんなことが成り立っている、
ということが、わかってくる。

へえ、そうなんだ、って(笑)

 

でも、そういうことは、普通、
人生の始めの頃に、言われなくても、みんなわかっていることなのだろう。

男はみんな、女とヤりたい。
そしてみんな、お金が欲しい。

目立ちたいし、ちやほやされたい。
自分のことを肯定してほしい。

そういった当然のことを、
あんまり当然として考えられない僕みたいな人間が、
「みんなに共感してもらえる音楽」
なんて、作れないのは当然のことで、

ありとあらゆるものを否定して
残ったのがキリストの十字架くらいだった、
という世界観の中で、
人を寄せ付けないのは仕様がないことだ。

 

それは俺自身は、
ぜんぶ許しているつもりなのに、
修行が足りないせいで、
全部をぶったぎっているように見えてしまうからであり、
そのへんは人の身の限界というか、
力不足で本当にすみません。

と言って、頭を下げたところで、その頭を踏みつけられるだろうってことくらいは、
いくらなんでも僕にでも、そろそろわかる。

ほとんどの人は、僕の作る音楽を聴いて、
共感したりしないんだぜ、
気分を損ねたり、
怒り出す人の方が多い、っていうんだ。

でも、そういうのもだんだんわかってくる。
なるほど、そういうことなのか、って。

 

最近、また、時々、暇な時に散歩をすることがある。

どこ、ってわけじゃなく、ただ散歩する。

でも、基本的に引きこもりで、
世の中に出て行くこと自体に無理のある立場からすると、

この歳まで、そうやって「散歩」を、たまにすることで
見えてくることがある。

でも、それはきっと全部、普通の人だったら、子供の頃とか、
人生の始めの頃に、当然のようにわかっているはずのことだ。

 

自分の欲しいもの。
自分は、何が欲しかったのか。
人生の中で、何を欲しかったのか。

 

いい車。高級車。速い車。

いい家。大きな家。立派な家。

いい仕事。稼げる仕事。大金。

いい暮らし。余裕のある暮らし。いい食事。

社会的な立場。地位。
負い目なく人前に出ていける肩書き。

いい女。きれいな女。可愛い女。ありとあらゆる女。

名誉。人から尊敬されること。目立つこと。認められること。

安定。安心。普通の暮らし。人並みの暮らし。安定した生活。

 

要らんかった。
全部要らんかった。
興味すらも無かった。

もちろん、くれると言えば欲しいと言ったかもしれないが、
本気になって追いかけるような気には、始めからなれなかった。

追いかけることの出来る人は幸せだ。
本心からそう思う、幸せだって。

追いかけることすら出来ない人間からすればね。

 

自分が欲しかったもの、
自分が憧れていたもの、
もっと言えば、
自分が心で希求していたもの。

それは何だったのか。

 

僕は少年の頃、
法律家になりたいという夢があったが、

それに興味を無くしてしまった時、
料理を作る人になりたいなと思った。

その思いは、決して軽いものでは無かったはずだが。

 

けれども、食文化、というものに対して、
Disillusionというのか、
幻滅と絶望しか覚えることが出来なかった。

食というのか、
食文化、なんてものは、
人間の文化の中でも、
歴史であれ、風土であれ、民族性であれ、
とても深い根を持っているもののはずだけれども、

そんなものに対しても、
「はかなさ」
しか感じることが出来なかった。

そりゃもう、だって、
じゃあ海で漁をしている漁師さんとか、
農家の皆さんとか、
海の男とか、山の男とか、畑の人とか、職人さんとか、
みんなぜんぶ、ごめんなさい、と言うしかないが、

それであっても、僕はやっぱり、そこに、
切なさとはかなさを感じざるを得なかった。

食文化、みたいなものが相手であっても、
僕はそこに
「普遍」を感じることが出来なかった。

僕が欲しかったのは、
「普遍」
だったということが、この歳になるとだんだんわかってくる。

「普遍」でないものは、何にも要らなかった。

 

いや、言い過ぎか。
言い過ぎだろうけどね、しょせん人の身にあって。

でも、人はそれでも日々、食わなければいけない。
えり好みしていられない。

正統な食文化だろうが、邪道だろうが、
汚染されていようが、高かろうが安かろうが、
やっぱり人は、日々、食わなくてはいけない。

でも、考えてみると、
「食べる」
っていう、たったそれだけのことであっても、
本当はものすごく難しいことなんだ。

だから僕はきっと今でも、
「食べ方」
がわからないし、
「食べる」
という行為がわからない。

どちらかといえば考えれば考えるほど
「食べない」
ということに行き着いてしまう。

 

そして「食べる」
という、生物として生きるために必須であるはずの行為ですら、
そこに伴う「味わう」「味覚」というものですら、
いかにアテにならないものなのか、
それは、別に流行りのなんちゃらラーメンを食べるまでもなく、
みんな嫌ってほど見てきているだろう。
さもなくば、みんな何も考えずに食べているかのどちらかなのか。

そんなことだから、
生きるために必須の栄養素ではないところの
「音楽」
なんてものは、
なおさら、アヤシい。

それは、僕もいつも言っていることだ。

 

けれども、ひょっとするとそれは逆で、
生きるために必須の栄養素では無いからこそ、
聖書で言うところの「肉」から離れて、
「霊」の領域で味わうことが出来る可能性があるかもしれない。

 

これは、もちろんすっとぼけてギャグで言ってるんだぜ。
だって、初心者のC級スタンド使いとはいえ、
スタンドの「霊」を多少は扱える人間としては、
「霊」の食い物、ってことについても、
少しは知っているわけだから。

なんで世界のどこの国にも、民族固有のソウルフードとしての、発酵食品があるのか、ってことよ。ひとつの例で言えば。

酒もそうだが、米の精米でもそう。
肉体の栄養のためじゃないんだぜ。
霊のためなんだから。

 

話がそれたが、
人間の社会において、欠かせないものであり、
なおかつ歴史や風土にもとづいた文化であるはずの、
食ってものについても、
僕は「普遍」を見出せなかった。

すべてがお手軽に商業化されている
現代社会の悲しさかもしれないが。

1000年、2000年程度の「普遍」じゃあ、
僕にとっては「不変」とは言えなかった、
ということなのだろうか。

 

数億年を経ても、
次元を越えても、
他の宇宙に言っても、
やっぱりそこに連れていけるくらいの
「普遍」
「不変」
「永遠」
僕が欲しいと思うのは、
最低限、それくらいのものだったのかと、
酔狂にもおふざけ半分で、そう言ってみるしかない。

で、音楽というものは、確かにそれだけのものを持っていた。

 

信じられるものが何にもない。

ほんとに、ぜんぶ興味がない。

ちっとも嬉しくなんかない。

 

でもこの宇宙は、必要なものはちゃんと見つかるように出来ている。

あるいは、必要なものは、思うよりも先に、近くに居てくれる。

 

たとえ世間的に安物扱いであっても、
Bacchus (STRもあるけど)のギター、ベースは、
やっぱりそれだけの価値があったし、
別にお金持ちのコレクターが欲しがるような高価な楽器なんて必要ない。

 

うちの嫁さんだってもちろんそれ以上だ。

愛ってものが、ちゃんと「不変」に何千光年の次元まで持っていけるんだったら、
数百人の美女より価値があると思うんだけれど。

だから、自分の望む「革命」に参加して、
今、生きている一瞬、一時間、一日を、
世界のどこかの豪邸で暮らす生活以上に、
価値があると思えないんだったら、

とっくにやめてるよ、
こんなことは。

 

この前は、故あって嫁さんと一緒にどこかを散歩した。

今、個人的に色々あるので、うちの嫁さんについても、
友人知人の皆さんにはご心配をおかけしていると思うが、
個人的な色々なので、きちんと向き合っていくつもりだ。

家族、家庭ってことについても、
やっぱり歴史ってものがあり、経緯があり、
それらの積み重ねで、僕らの現在がある。

だけれども、たとえば、20年以上も前。
まだ10代だった頃にも、やっぱりこうして嫁さんと一緒に町を歩いていた。

世の中は、変わったところもあるけれど、
あんまり変わってない。
残念なほどに変わってない。

けれど、僕らはやっぱり、こうしてきちんと、前に進んでいる。

少しずつ、思っていたことを、形にしていく。

 

人として大切なことって何かって言ったら、
色々あるけれど、
人生を始めるにあたって、

自分の欲しいものが何なのか。
そして、
自分の要らないものは何なのか。

それを知っておくことって、
大事なことだって、ずっと思っていた。

けど、なかなかわかんない。
自分のことって、なおさらわかんない。

今でも、ちょっとずつわかってきている感じ。

だから、まだまだこれからなんだと思う。

自分が、欲しかったものを見つけるのは。

 

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