[夢とピアノと初恋アコースティック]

また夢を見た。

夢を見ることはたまにある。

肉親とか大事な人に関すること。

「スタンド能力」を多少は獲得した今じゃ「その領域」に目を覚ました状態で行くことだって出来る。(自分を納得させるだけの正統な理由があれば)(チャンネルを合わせるつーのかわかりやすく言えば瞑想状態に入る必要はあるが)(こういうの、後から絶対、来るんだよね、僕が「神あたり」と呼んでいる頭痛が)

 

でもこの人に関する夢に関してはもう何十年も見ている。

最初に見たのは2001年頃だったか。
思い出してみれば「夢」の中の出来事によって現実に干渉される体験はそれが初めてだったかもしれない。
夢の中でその人に「呼ばれた」。

あらためて考えてみれば笑っちゃうくらい不思議なことだが、かといって、そんなことは当然によくあることだろう。
世の中っていうのはそういうものだ。
人間は、人間ならず生き物っていうのは、肉体と同時に霊や魂を持って生きている。

 

肉親に関する大事な夢を見る時、
そこにいつもある感覚は、
何か、やたらと生命に満ちた、生命力つーのか生命そのものに満ちた、
緑色の、なんつーか草原なのかなんなのか、緑色の鮮やかな世界の中にいる感覚だ。

その感覚は、僕の中でひとつの基準になっている。

 

今日見た夢もやっぱりその緑色の生命に満ちた感覚の中に居た。

でも、そこは何もない草原とか、
どこかに向かう路ではなく、
今日見た世界にかぎってはそれは人の住む町だった。

たまたま、日中に嫁さんと、お隣の国、まぁ韓国なんだけど、
その話をしていたので、
そのイメージで認識したのかもしれない。

店の中で流れるテレビみたいな映像の中には、
英語もあれば、日本語もあり、そのお隣の国の言葉もあった。

僕も思わず英語でジョークを言っていたように思う。
どんな言葉でも通じそうだったから。

そこは理想郷だったのかもしれないし、天国だったのかもしれない。
違う星とか違う次元の世界だったかもしれない。

でも、何も無い場所ではなく、人のいる場所に行けたということは、
少しずつその世界で、動くことが、なんというか、より近くまで、行けるようになっているのかもしれない。
そこには生活があったし、町があり、お店もあれば、スポーツをやっている人、くつろいでいる人、いろいろ居た。
でも、やたらと色は鮮やかで、不思議な生命に満ちていた。

(なんか、どっかに旅行に行くべきかね)

 

夢の内容は年々、少しずつ変わるが、
近年見るものは、少しずつその内容が「気持ちが伝わる」ような感覚のものになってきている。

舞台は色々であっても。

今日は、皆で歩き、旅をする中で、その方ときちんと会話をし、
突っ込んだことをばっちりと聞かれ、
その突っ込んだことをきちんと答えようと、口を開いた。

「そうだね、僕には、17の時まで、すごく好きだった女の子が居た。けれど・・・」

そこで目が覚めた。
嫁さんから電話がかかってきたからだ(笑)

笑っちゃうくらいのタイミングだ。すごい。
もう少しで伝えられたのに(笑)

 

起きた時、頭の中で鳴っていたのはショパンのノクターン。
笑っちゃうくらいベタベタな選曲だ。

僕は別にショパンは好きって訳じゃない。
嫌いという訳でもないけれど、

母親が自宅でピアノのレッスンをやっていた関係上、
ショパンの曲は小さな頃から嫌というほど聞かされた。

それは、子供の頃の生活上の色々の記憶と重なっている。
そしてもちろん、当然ながらそれは嫌なことの方が多い。

 

そんな僕にとって、18くらいの時に、自分で初めて好きになったピアノ曲はドビュッシーのそれであり、ドビュッシーは今でも僕のフェイバリットな音楽家の一人であるが、
おそらくは音楽的な文脈から言っても、その方と相通ずるものとしてはドビュッシーの方がふさわしく、夢の中で鳴る音としてはその方がふさわしい。

だが鳴っていたのがショパンだったということは、やはりそういった子供の頃の記憶と関連した何かがあるのだろうか。

 

律儀に説明をするとすれば、やはりピアノ教師が教える題材としてはショパンやベートーベンというのはおそらくは課題曲としては多く、
ドビュッシーで唯一、嫌というほど聞かされたのは例の有名な「アラベスク」だ。
だからドビュッシーの曲の中でも、あれだけは僕は聞きたくもないというくらいに嫌いである。やはり同様に嫌な記憶が色々とよみがえるからだ。

もちろん何年も続けて上手い生徒さんは「喜びの島」とかを弾くことになるが、そこまでいく生徒さんっていうのは割合的には多くはない。だから嫌という程聞かされることはなかった。

 

僕は何を伝えたかったのか。

思えば不思議なことだ。

僕は彼女が一流の、時代にふさわしい最先端のインディーズアーティストであったから好きになったのだ。

彼女がそんな音を実際に鳴らす何年も前に。

そして、僕がうちの嫁さんに出会わなければこの「伊万里音色」と名付けられた音楽をやることがなかったのと同様、

あるいはもっとスタート地点から、
その方に出会うことなくしては僕はエレクトリックギターを手に取ることはなかったかもしれないし、

また、その夢に呼ばれた出会いが無ければ、こうしてこの[Imari Tones]を実際にバンドの形にして、活動を始めることもなかったかもしれない。

世間的な成功からは最初から距離を置いていた僕が、
唯一、目標として、心の内で負けないように、と思ったライバルは、
唯一彼女だけではなかったか。

 

それ以上の音楽的なあれこれについては、
今ここで書く必要はない。
僕らは、きっとお互いのことを歌にしたことは事実だ。
(ただ単にちょうどいい素材だった、とも言う、笑)

 

この曲じゃないぜ。でも単にちょうどいいビデオだったから。
このビデオは13の時に初恋をした彼女の姿がほとんどそのままだよ。

 

 

けれども同じ世代を生きた人間として、
同じ世代のインディーズアーティストの一人として、
同じ世代を共有した世界中にたくさんいるインディーズアーティストの一人として、
僕はやはり、それを言葉で分かち合いたいのだ。
可能であれば、直接。

 

それを伝えていなかったというカルマ上の負い目があったから、
たとえば昨年もMs.Overtureの事件があり、
-Ms.Overtureは「その方」によく似ていた

まぁ霊の上で取り殺されそうになったが(汗)
結果的に伝えるべきことは何かということを話し合い(霊の人たちと、笑)
およそおせっかいな手紙を添えて、
ジャポニカ聖書(ギデオン聖書とも言う)をお渡しすることになった。

(それがあまりにも”Overture”の歌詞と合致したので、その方をMs.Overtureとお呼びしている)

 

これは全然回数まわってないからさきほどのその方のビデオと比較して恥ずかしいが。
いうても僕らのYouTubeも例の”Faith Rider”が静止画のやつが15,000、オフィシャルのが5,000くらいで、あとは2,000~4,000くらいのはいくつかあるが、合計数で勝負するしかないからな。
もっとも例のスケートボードのビデオは10万越えてるけれど・・・(汗)

やっぱ何でもそうだが女の子の方がキュートなのは否めないからな。クールジャパン的なニーズを考えても(笑) あのレーベルもそういう売り方をしていたように思う。

 

だがそれはそれとして、
ギターであれ女性であれ完璧な人というのは居ない。

Ms.Overtureは美人であったが、
それとて面と向かってしまえば、いくらでも欠点は見つけ出せたし、
別にどうってことねえな、と思えた。

それはギターでも同じことで、
たとえば初対面とかお店で見て、素敵だと思っても、
それは自分の中の想像や幻想で理想像を見ているだけであって、
実際にギターを手に取り、そして購入し、現場に持ち込んで実際に音楽を作る段階になると、実際上の限界や、あれやこれやの欠点が見えてくる。(その上で、うまく生かすのが腕のいいギタリストというものだ)

 

その意味では、うちの嫁さんが、
仮にもこうして23年くらい一緒にいて、いまだに好きでいられて、全力で愛することが出来ているというのは、
それは現実的な意味においてうちの嫁さんがそれだけいい女だということである。
これはもう現実の上で証明されたことであるし、
いちいちネット上に書くよりも生活上で毎日伝えるべきことだ。

そもそもこの「伊万里音色」と名付けられた音楽において、
僕が表現していることのほとんどは彼女に向けて書かれたものではないか。
まぁその本人に、今、ベースを弾いてもらうことになったので、それはそれでちょっとawkwardであるが(笑)
しかしそれもなるべくしてなった成り行きであろう。

 

少年の頃に、「その方」であったり、うちの嫁さん、に出会って、少年時代の僕の人生の登場人物として存在してくれたとして。
なぜ、「その方」ではなく、「うちの嫁さん」が、今こうして僕の隣にいるかというのは、
その答えはとっくにわかっていて、

つまりそれは、うちの嫁さんは「ヘヴィメタル」であり、
「その方」はヘヴィメタルではないからだ。

どちらも素晴らしい才能を持った女性であり、

それはたとえばうちの妹のようにクラシカルな本来の意味での音楽の才能は必ずしも持っていないかもしれないが、生きるアートとしての才能を持っている。他のどこにもないような。

僕の世界の価値観の中心は、いつでもずっとそこにあった。きっと。

 

今、僕が、
たとえば2008年以降、クリスチャンバンドになり、
日本で初、かつほぼ唯一の、本格的クリスチャンメタルバンドとして、
小規模であっても世界に向けて音楽を作り、
そんでもって[Tone-Hassy-Jake]の三人の組み合わせで10年間活動し、
“Jesus Wind”というひとつの到達点の作品を作り、
そして2018年3月末をもっていったんそれを解体し終止符を打った。

その僕が、これからさらに音を鳴らしていく理由があるとすれば、
理由はもちろん、いくつもあるが、
その中のもっとも大事なことのひとつに、このことを伝えたい、という気持ちが確実にある。

それはその方個人に向けたメッセージという以上に、少年の頃の自分との約束であり、また少年の頃の自分が見ていた理想のロックンロールというものをつかむことである。

なので[革命]とか[レジスタンス]とか言い出しているわけだが(笑)

 

僕は、これまでに「その方」に向けた曲をいくつか書いてきたが、
また同様に、ここ4、5年ほど、僕が少しずつ書き溜めてきた「おしゃれインディ系のアコースティック」の楽曲というのは、やはり「その方」に歌ってもらうことを想定して書いたものだ。アルバムの一枚くらいの楽曲は十分にある。

ただ、今、現実の上でその方に連絡を取って、歌ってもらうということは、僕の中の心理的な選択肢としてはあまり無い。
Facebookで探して連絡を取れとでも言うのか。それは嫌だ。(笑)

なので、その「おしゃれインディ系のアコースティック」を、誰に歌ってもらうのかは、ここ数年も、一応少しは試行錯誤をしてきた。

もちろん、クリスチャンの知り合いの女性の中で、音楽が出来る人で、候補は何人かいないこともないので、準備が出来れば声をおかけするかもしれない。
ただ、本当にそれらの方々が適任かどうかは、やってみないとわからない。

 

知ってのとおりうちの嫁さんはすごい音痴であるので、何度も言っているがその選択肢は限りなく最後の手段になる。ただ、パソコンのOSをアップデートして、一応、万が一のことを考えて、フリーの音程修正プラグインをこの前やっとインストールしたが。
(つまり、普段僕は、自分のバンドののヴォーカル録音について、そんなもんは使っておらん。またそういうブラッシュアップが必要な音楽でもない)

ヴォーカル以外の部分の録音をさっさと終えて、候補の女性シンガーさんにとっとと声をかけてしまえばいいのだが、まだまだその制作は出来ていない。自分のバンドのことで精一杯だったし。来年こそはやるべきか?

 

こうした夢に見た風景をブログ等に書き留めるのも、個人的な記録の意味がほとんどではあるが、出来る限りの可能性で伝え、またツテやアテのある方がおられれば、つながる可能性を考えてのことでもある。

だから、その本人さん、「その方」と、その「おしゃれインディ系アコースティック」のプロジェクトを、演れるのであれば、ぜひ演ってみたい。

が、それが本当に現実に上手く行くかどうかは、わからないし、他の方にやってもらった方が上手くいくかもしれない。

でも、もし演れるのであれば、それが5年後であれ、10年後であれ、僕は取り組んでみたいと思う。

というのは、こういったものは、むしろ、歳を食ってからの方が、問題は少なく、実りは多い。

しかし、いつまでも生きているわけではないから、
演れるうちにやっておいた方がいい、
そして、気持ちというのは、言葉であれ音楽であれ、伝えられるうちに伝えておいた方がいい。

それは、友人でも、肉親でも、ライバルでも、恋人でも、みんな同じだ。

 

伝えたいこと。

たとえば僕が自分のバンドの創作活動の中で、
ほのかにヒントを得た曲は他にもいくつかあったと思うが、
明確に「その方」をイメージして書いた曲が、少なくとも3つはある。

“17’s Requiem”、”丘上烈風”、”A Girl In The Mirror”のみっつは、少なくとも挙げることが出来る。

 

今でも、というか、今まで、たとえばこの「Seventeen’s Requiem」は少年時代の純情を歌った曲であり、自分にとってもとても重要な曲であるが。(歌詞は非常に青臭いので注意して欲しい)

これまでにも、色々な海外のファンの方から、「この曲が好きだ」というメール、メッセージ、コメント、何度ももらっている。きっとこれからももらうと思う。(海外のファンには、青臭い歌詞はわからないから、かえって伝わるのかもしれない)
僕の、その方についての気持ちが、何かこうしてひとつの形になり、人々の心に触れている、という事実を、伝えたい。

またきっとバンドでも演奏してみよう。こんな少年時代の歌詞を歌うのはもちろん勇気がいるが、いつかきっとやってみよう。

「鍋島」を鳴らすため、それもあるが、もうひとつは、こうした少年の頃の純情をふたたび鳴らすために、今僕は、新しいバンドの体制を立ち上げている。そのつもりだ。

 

 

うちの嫁さんについて言えば、うちの嫁さんに捧げた曲はそれこそ数えていたら大変なことになるが、
この”17’s Requiem”の続編のような形で、うちの嫁さんに捧げる意味で、重ねてみた曲がこれである。これは自分にとっては、この「17歳のレクイエム」を書いてから、さらに17年後の物語だった。この曲もずっとビデオを作りたいと思っていて、出来ていない。

 

 

そんな感じでLife Goes On.

 

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