スウェードと私の人生 (90年代のお気に入りのバンド)

 

例によって英語で書いたやつの元記事

僕はきっとこれを何度も言うだろうけれども、ウェブサイトをリニューアルした時、僕はそれを普通のバンドのウェブサイトとは違うものにしたかった。
ブログみたいにして、他のいろいろなことについて書けるようにしたかったんだ。(そして日本語のサイトの方では、実際にもっとたくさん色んなことについて書いている)

僕がいつも書きたいと思っていたことのひとつに、自分の好きな音楽についての事がある。
自分の愛する音楽、それが自分たちの音楽に影響を及ぼしているものや、あるいは必ずしも及ぼしていないもの。

その中には、有名なメジャーなバンドもあるし、わりと無名なインディーのバンドもある。つまるところ僕は彼らの音楽について敬意を払い、それが僕の人生にもたらしてくれたものに対してお礼を言いたいのだ。

僕らはクリスチャンヘヴィメタルのバンドをやっていて、オールドスクールなメタルを演奏している。けれど僕が触れるバンド、アーティストは、メタルのジャンルに限らないだろう。

そして、これも何度も何度も言うのであるが、もし英語が間違っていたらごめん。僕は日本人だから。

 

今日は、僕はイギリスのバンドで、1990年代に活躍した、Suede (スウェード)というバンドについて書きたいと思っている。
法的な理由により、彼らはアメリカではLondon Suedeと呼ばれている。彼らはグラムロック、ブリットポップといったカテゴリに分類されるバンドだと思う。

 

僕は90年代キッズだ。
僕は自分の10代を、1990年代に過ごした。

僕はヘヴィメタルを好きになったが、その時すでにヘヴィメタルは「お兄さん、お姉さんの世代の音楽」という感じだった。

1990年代をヘヴィメタルファンとして過ごすのは、基本的には「つまらない」ことだった。
1990年代にはヘヴィメタルは完全に流行から外れていていたからだ。時々、良いものもあったが、基本的には1990年代にはメタルにとってはすべてが間違った方向へ進んでいた。

 

けれどももちろん、1990年代のバンドでも好きになったバンドがいくつかあった。それは僕らの世代にとってはごく自然なことだった。

たとえばSmashing Pumpkins、Sonic Youth、Soundgarden。
あるいはArrested Developmentのようなヒップホップのグループ。

そしてこのブリットポップというものも、日本でもとても人気があった。
僕はBlur、Oasis、Pulpといったバンドの音楽を聴いていた。

もし、1990年代の日本の音楽についてということであれば、それはまたまったく別のお話になるので、それについては別の機会にとっておきたい。

 

けれども、もし僕の1990年代でもっとも好きなバンドは誰かと聞かれたら、おそらく僕の答えは、それはSuedeだということになるだろう。

彼らは、他のバンドとはちょっと違った存在だったからだ。

 

 

彼らのデビューはとてもスキャンダラスだった。

スウェードのデビューアルバムは、セックスがすべてだった。
普通でないセックス、禁じられたセックス。ホモセクシャル、近親相姦、レイプ、などなど、僕もよくわからないが、そういったあらゆる要素に満ちてきた。

そういったスキャンダラスな事柄について歌うことは、彼らの商業的な戦略でもあっただろう。けれども、彼らはとても、美しかった。

 

 

これらの音楽は、とても悲しい音楽だった。
けれど、それと同時に、僕はなんだかそこに「優しさ」を感じた。(Compassion、英語が合っているといいのだけれど)

弱い者に対する優しさ、時代の犠牲になった者への優しさ。少数派への愛情。忘れられた者への愛情。わかるだろうか。
なぜなら僕らの世代にとっては、それは大なり小なり、現実だったのだから。

 

 

彼らのデビューアルバムがチャートの1位になった時、Suedeは大きなハイプを巻き起こしていた。けれども彼らが2ndアルバムをリリースした時には状況は違っていた。
その頃にはすでにBlurとOasisが最大のバンドになっていて、もう誰もSuedeのことを気にかけていなかった。あらゆる人が、あらゆる音楽雑誌が、Suedeの2ndアルバムは失敗作だと言っていた。
その時、僕はハイプというものは信じられない、音楽メディアというものは信用ならない、ということを知った。

 

けれど、僕にとって本当にSuedeを好きになったのはこの時だった。
彼らの2ndアルバム”Dog Man Star”を聴いた時、僕は本当に彼らの音楽を理解して、彼らのことを好きになったんだ。

“Dog Man Star”は傑作だった。
ハッピーな音楽ではない。親しみ易い音楽でもない。けれども強いメッセージがあった。

僕はこの”Dog Man Star”が、ティーンエイジャーの頃にもっとも影響を受けたアルバムのうちのひとつであることを認めるし、自分の人生の中でももっとも大事なアルバムのうちのひとつであることも認める。
ヘヴィメタルミュージシャンである僕がそう言うのはおかしなことかもしれないが、それは本当だ。
これは、僕の人生を実際に変えてしまったアルバムのうちのひとつなんだ。

 

 

知ってるかい? それから10年か15年ほど後になって、人々はこの”Dog Man Star”を傑作だと言い始めた。音楽雑誌は次第に「90年代の傑作アルバム」みたいなリストの中に、このアルバムを取り上げるようになっていった。おい、お前ら、このアルバムは失敗作だ、って言ってたじゃないか。
やっぱり音楽ジャーナリズムなんてものは信用ならないと、僕は思った。

(これなんかは当時の状況をよく記した記事であると思う)
http://thequietus.com/articles/16540-suede-dog-man-star-reissue-anniversary-review

 

 

スウェードの商業的な全盛期は、3rdアルバムの”Coming Up”の頃だろう。
それは彼ら独自のスタイルを持った、軽快なポップアルバムだった。

 

この”Trash”という曲は、すごく90年代っぽい雰囲気を持っているが、僕と、僕の妻、当時はまだティーンエイジャーだった、が、この曲を聴いた時、ワオ、って感じだった。この曲はまるっきり僕たちのことを歌っているじゃないか。10代の恋人たち、日本の地方の町で、まるで街角に転がるゴミのように、もがきながら明日を探している。

 

 

 

Suedeはその後、1999年と2002年に、もう2枚のとても美しいアルバムをリリースし、それらは僕らの人生のサウンドトラックだった。

けれども商業的には彼らは全盛期の人気を取り戻すことは出来ず、結局2003年に解散することになった。

 

僕と妻は、個人的なちょっとした儀式を行った。それは、高校時代にデートしていた公園で、”When The Rain Falls”という曲を聴いて、そこにあった橋を渡ることだった。
そして僕らは「オーケー、僕らはスウェードを卒業する時だ」と言ったんだ。

 

なぜならSuedeの音楽は、悲しい音楽だ。それは悲しみに向き合う音楽だ。けれど僕らは今では強くなり、幸せにならなくてはいけない。僕らにとって、いつでも側に寄り添ってくれた、この特別なバンドの優しい音楽に、さよならを言うべき時が来た。

(そして、やがて僕らは自分たちのバンドを始めた)

 

ひとつの面白い個人的な出来事で、覚えている瞬間は、2009年に僕たちが初めてニューヨークを訪れた時。それは自分たちのバンドとしても、初めて演奏をしにアメリカを訪れた経験だった。

(当時の)ベーシストとドラマーであったHassyとJakeはどこかでショッピングをしていたのだと思うけれど、僕と妻はLower East Sideの日本食のラーメンかなんかのレストランに行った。そしたら、突然”Trash”が流れて、”Coming Up”のアルバムがずっと流れ出した。
昔、二人にとって辛い時期に聴いていた音楽が、こうして何年も後になって、ニューヨークの日本食レストランでもう一度聴けるなんて、面白い偶然で、おかしくなった。
アメリカでこういったブリットポップが聴けることをあまり予想していなかったけれど、Suedeの音楽は明らかにLGBTQのコミュニティではより受け入れられているという話を聞いていたから、この町で流れていたのはそういった理由だったかもしれない。

 

しかし、この話はこれで終わりではなかった。
驚くべきことに、このお話の最良の部分は、ここから始まるのだ。

 

Suedeは、再結成アルバムである”Bloodsports”を2013年にリリースした。

僕はそれを聴いてとても驚いた。

過去には、スウェードの音楽は、悲しみに向き合うものだった。
けれども、今ではそこには喜びがあり、祝福があり、そして感謝に溢れている。

何だ!? いったい何が起きたんだ!?

きっと、世界中の多くのファンは、あるいは気軽に聴いているだけのリスナーは、「これは昔のおなじみのSuedeじゃないか」「何も変わっていない」と言うかもしれない。けれど、僕は何かが確実に変わっているのを感じた。

 

過去には、彼らの音楽は、美しかったが、決してポジティヴなものではなかった。
けれど今では、彼らの音楽は、まるっきりポジティヴなメッセージを鳴らしている。

僕の英語のボキャブラリーでは十分に言えないのだけれど、日本語で言えば「爽やか」「清々しい」という言葉が思い浮かぶ。まるで、すべての束縛から解き放たれたような感じだ。

彼らは希望と共に戻ってきたんだ。

 

僕にとっては、この再結成後のSuedeは、悲しみに向き合いつつも、力強く希望を鳴らすことの出来るバンドだ。

これがきっと、彼らが人間として成長した、ということなのだろうか。

 

知ってのとおり、僕らはクリスチャンバンドをやっていて、クリスチャンの音楽を演奏しているけれども、この再結成後の今のSuedeの音楽は、他のどんなクリスチャンのバンドにも負けないほどの喜びをもたらしてくれる。

 

こんなことを言うと笑われるかもしれないが、これらの曲は、なんだかクリスチャンソングみたいに聴こえないだろうか?

 

 

 

彼らは2016年に、”Night Thoughts”という、もうひとつの素晴らしいアルバムをリリースした。それは(おおよそ、大なり小なり)人生についてのコンセプトアルバムだ。

 

 

 

そして今年、2018年に、彼らは”The Blue Hour”という新しいアルバムをリリースした。これもとても野心的なアルバムで、美しく、慰めと優しさに満ちている。

評論、レビューっぽいことを書くのであれば、この作品は彼らはプロデューサーにAlan Moulder (シューゲイザーやオルタナティブの分野で有名)に迎えて、たくさんのストリングスのパートをフィーチャーしており、それらはCity of Prague Philharmonic Orchestraによって演奏されている。

サウンドは一般な現代のアルバムと比較して、圧縮感が少なく、よりダイナミズムを保って仕上げられている。とても叙情的で、いかにもスウェードといった感じだ。おなじみの展開で、予想できるけれど、それでもやっぱり刺さるし、心に迫ってくる。
アルバムを通して聴けば、きっと涙が出て来るだろう。

 

これらの曲を聴くと僕は本当に涙が出る。
どんなに大事な意味があるのか、とても説明することが出来ない。

 

 

 

僕にとってSuedeは、「一般の」(クリスチャンの人が言うところのセキュラーの)バンドではあるけれど、そのへんのクリスチャンのバンドよりも、よほどクリスチャン的に聴こえるバンドのひとつだ。

彼らは人の罪について歌っている。とても罪深い音楽を奏でている。
けれどもそこには優しさと慈悲がある。
弱者への優しさ。罪人への優しさ。そして人々の罪に対する許しがある。
そして彼らは今では希望について歌い、少数派のために歌い、それらの者たちを励ましている。

 

僕は人生の中でたくさんのお気に入りのバンドやアーティストがいる。
けれども気が付けば、Suedeは今では、その中でも一番と言っていいほどに長く活動を続け、常に良い音楽を届け、期待を裏切らず、とても長い間、人生に寄り添ってくれたとても貴重なバンドだ。

こんなことは予想していなかった。彼らがここまでやるとは、正直思わなかった。
なぜなら彼らは、悲しく希望のない音楽を演奏するバンドだったのだから。

だけれども、初めて”Dog Man Star”を聴いた時、僕はすでに、彼らがロックンロールの歴史の中でも最高のバンドのひとつであることを知っていたかもしれない。
そうであっても、ティーンエイジャーの頃にお気に入りだったバンドが、今でもこうして、時代に合った素晴らしい音楽を届けてくれるのは嬉しい驚きだ。

 

Suedeは決して、万人におすすめできるバンドではない。
それは少数派のための音楽であり、アウトサイダーのための、孤独な者のための、除け者のための音楽だ。
彼らは今では知る人ぞ知るカルトバンドという感じだし、OasisやRadioheadのようにビッグではない。(過去には、OasisやRadioheadよりもビッグだった事も確かにあったのだが)

けれども、あなたが人生の中で困難を経験していたり、孤独な場所に居たことがあるのであれば、彼らの音楽はあなたの心を揺さぶるかもしれない。

 

そして僕は、彼らの”Dog Man Star”というアルバムから、自分が音楽家としてどれだけの大きな影響を受けたのか言うことが出来ない。
それは必ずしも直接に音楽的なことでなくても、音楽家としてどのように生きるのか、どのように戦い、どのように世界と向き合っていくのかということについて。それは決意や、志ということだった。

 

もうひとつSuedeについて言えること。
リードシンガーのブレット・アンダーソンについて。

彼は僕のスターだった。
彼こそが、僕の10代の頃のアイドルだった。

僕のギターヒーローはいつでも、いつまでも、Eddie Van Halenだろう。
けれどもシンガーで言えば、僕の最大の、そして唯一のスターはBrett Andersonだった。

 

僕は自分のバンドではギタリストであり、シンガーもやっている。

けれども親しい友人は僕が本当は歌いたくなかったという話を聞いたことがあるだろう。
僕はギタープレイヤーであり、シンガーではなかった。ただ、自分の音楽にふさわしいシンガーを見つけられなかったのだ。

僕はヘヴィメタルのギタリストであり、僕は自分がポップギタリストやジャズギタリストにはなれないことを知っている。

けれども、僕は自分のことをヘヴィメタルのシンガーだと思ったことはない。
なぜならシンガーとして、僕が影響を受けたのはブレット・アンダーソンだからだ。
僕は、男らしく力強いヘヴィメタルシンガーになりたいと思ったことは無いんだ。

僕はたまたま、ヘヴィメタルバンドで歌うことになったポップシンガー、あるいはグラムシンガーに過ぎないのだ。

僕らが他のバンドとちょっと違って聴こえる、それが理由のひとつだろう。

そして、僕のおかしな髪型も、それが理由だ。
(もちろん、Brettのようになれないことはわかっているのだけれども・・・)

 

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