神と野蛮人とKeep the rock alive

宗教とか神なんつーもんは、文明とか科学の発達していない古代人とか野蛮人が信じるもので、現代の人間には必要ない、みたいな方向性の意見、議論はいつだって普通にあると思うが、
僕の感覚としては逆で、現時点で人間つーか人類つーもんは、「神」という概念をちゃんと扱えるほどにはまだ成熟していない、(科学、精神、霊、などのあらゆる面で)、というのが僕の思うところの意見だ。

(なので、歴史上だいたいそうであったように、神なんつー概念は、今のところ、危険でしかなかったりする)

時代や世界の状況を見るに、その「どうしようもなさ」を考えると、本当にどうにもなっておらず、途方に暮れるしかない、っていうのが本当のところなのだろうし、僕自身、だいたい途方に暮れてきたわけだ、自分自身、ここまでの人生の中でも。

 

かといって、神という概念から逃げるわけにはいかない。これはわかりきったことで、神から目を背けるのであれば、人はそこに別のもの、まぁつまりなんかしらの偶像、を置いて、それを祀るようになるからだ。あらかたの日本人も、みんなそれをしてる。ほとんどの人は自分では認めたくないだろうけれど。

 

たとえば架空の人物ではあるが、こんな時、ブラウン神父だったらどんなふうに言うだろう、とか考える。
キリスト教、クリスチャニティってやつは、そうであっても、人や世界の「駄目な部分」をすべて飲み込み、受け入れてきた、その先にいつだってあったに違いない。
その意味で、日本の仏教と同じくらい、カトリックの歴史にもやっぱり興味はある。

どうしようもない悲しい歴史ではあったかもしれないが、そこにはやはり血は通っていたことだろう。

無知と素朴こそが祝福といったところだろうか。むしろ人が神に通じようとすれば。信じるって、もともとそういうことだし。

 

人が「神」なんつーものに、ちゃんと向き合えるような時は、来るのか。
それはどんなにSFみたいに科学も文明も発達した未来のことだろうか。

途方に暮れる中で、苦しいな、って思うことは多いけれど、霊における成長ってやつを、それでも自分は求めていきたいし、そういう覚悟を持ちたいと思っている。(どういう種類の覚悟なのかは、それは考えたくない。)

なんでそこまでするのか、それは、きっと待ってるからだろうな、その先に。寂しい目をした少年が、さ。俺はそいつを、一人にはしておけないよ。

 

ちなみに、「神」を「ロック」に置き換えても、やっぱりあんまり、残念ながら、状況は変わらないんじゃないかと、思う。涙。だからこそ、Keep the rock alive.

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