実り多き円熟を喜びつつ歩め

内容の散漫なただの日記。

泣いて喜べ、といつでも神さんに言われている。
自分の置かれた立場。
自分に与えられたもの。
自分に与えられたサウンド。

すべてにおいて、泣いて喜べ、と言われているし、
それは数年前から変わらない。

 

白髪が増えたな、と思う。
30代の後半になっても、見つけたらラッキーという四ツ葉のクローバー状態だった私の髪の毛の白髪も、この1、2年くらいでさすがに増えてきた。
まだまだ同年代の方々と比べれば(頭のネジがゆるいせいで、あるいは人並みに苦労をしていないせいで)、少ないだろうが、さすがに不老不死というわけにはいかない(笑)

もっとも人によっては、体質のせいで若くても白髪の多い人はいるし、そんなこと言ったら、髪の毛の色なんて人種によっても様々だ。
将来的に染める必要が出て来たとすれば、その時にどんな派手な色に染めるか楽しみでもあるし、あるいは良い感じに銀髪になるのも楽しみではある。

 

歳をとったなぁ、と思う。
とはいえ、このような高齢化社会に生きていて、さらには今の時代にあっては、ロックをやっている年輩の方々も多い、というか、ロックはもはや若者のものではなく、むしろ若き頃に黄金時代を経験した年輩の世代のものであるし、
さらに言えば、今、その「黄金世代」の歳上のドラマー氏とリハーサルを重ねているので、気分としては、「歳を取った」なんてまだまだ言ってられない状態ではある。

そのうち年寄り扱いを、本当にされるのだろうから、そうしたらありがたいものだ。

 

歳を取ったな、とは思う。日々思う。
だが、僕は、考えてみれば、実のところ「歳を重ねる」ということについての対策は、もうとっくに終わっている。

あるいはこれは90年代世代の特権だったかもしれない。
若き日、青春時代に見て来た「90年代ロック」の人たちは、80年代の若さあふれる時代からシフトして、「成熟」や「円熟」を意識したアーティストが多かったから、自然と自分の目指すサウンドの目的地もそこを考えて設計することになった。大人になって円熟するロックの見本を、当時からその理想型をたくさん見てきて、考えてきたと言える。

目を覚ませば、過去にいつも「この年齢に達したらジョークにする」と言ってきた年齢に達した。まあ90年代キッズだから、書かなくてもわかるだろう。
インディーバンドを続けていること自体が、恥ずかしいし、照れもあるので許してほしい。
それは、社会的どうこうよりも、人間的に欠陥を持った一人としてのお願いだ。

不老不死ってわけにはいかないが、それでも、「神の恩寵」のひとつの証として、若さや情熱を失わない姿は見せることが出来るかもしれないし、純情ってやつが起こす奇跡のひとつやふたつは見せることが出来るだろう。きっとそれを以て、世界に何かをもたらすことが出来るはずだ。

 

僕の個人としての、「歳を重ねる」ということについての対策。
つまり、それは、ここ数年、ずっと考えて、追い求めてきたと言える。

それはやっぱり、楽器、ギターにインスパイアされるところからだったかもしれない。
2013年の秋、最初のXTJ (The Extreme Tour Japan)を終えた後に、Bacchusの日本製のレスポールと出会った。「猫ポール」って呼んでいるチャコールグレーのやつだ。当時は、自分がレスポールをメインに使うなんて想像すらもしていなかった。

そこから、自分自身をヴィンテージにしていく作業が始まったと言える。
それはつまり、理想のサウンドを追い求めることだ。

“Revive The World”にはまだ無邪気な若さが残っていたと思うが、
“Jesus Wind”ではかなり大人になった内容を鳴らすことが出来たと思う。
(“Overture”ではろくでもないダメ人間バンドマンをさらけ出すことが出来たが、笑)

 

そして、これから作る「鍋島」(Nabeshima)である。

自分にとっての円熟を見つけたということだ。
自分にとっての究極のサウンドは、自分の到達する円熟でもあった。

いろんなアーティストが、年齢を重ねることによる、表現のジレンマに陥るかもしれないが、世間に合わせることなく純情を貫いてきた僕としては、そういったジレンマはあまり感じない。

純情? 自分のバンドに、高校時代から一緒にいる嫁さんの名前を付けて、奇跡みたいに幸せにやってるんだけどな。だから、たとえば17歳の頃に書いたラブソングを歌うのに、何の支障も、抵抗もない。その恋は今でも、変わらずに続いているどころか、より力強く輝いているからだ。「神の愛」なんてオマケさえ付いてきてしまった。いや、オマケなんて言ったら怒られるけれども(笑)

 

話はそれたが、どちらにしても、「Nabeshima」とは、歳をとっても、この先、いくつになって老人になっても十分に鳴らすことのできるマテリアルであると言える。

そして、自分の目指すサウンドの理想型は、その「円熟」の中にあった。
とすれば、自分の理想のサウンドは、まだまだこの先の未来に待っているかもしれない。

そう思って、僕は勇気を持って、嬉々として未来に踏み出し、歳を重ねていける。
それは、人間としても同じことである。

だから僕は歳を重ねることを恐れる必要はない。
むしろ嬉々として進んでいくべきだ。
理想のサウンドがそこにあるのだから。

 

そうして目を覚まして、この年齢にある。
僕は喜ぶべきかもしれない。
音楽人生の究極のゴールと言える「Nabeshima」を目の前に捉え、まだ僕には、十分に中年になったとはいえ、まだまだ若さも時間も残されている。
つまり、これからの10年間は、芸術家にとってもっとも実り多い年齢であるべきだからだ。経験と円熟と肉体のバランスが取れた、脂の乗った時期になるからだ。

Van Halenのファンをやっていて、一番の不幸は、Eddie Van Halenのその時代の作品が、つまり芸術家として脂がもっとも乗っているはずの40代以降の作品が、すっぽりと抜けてしまっているところにある。もっともこれは、非難すべきことではないし、文句を言うのはEddieに対してフェアではない。文句を言うのであればエディにではなく、音楽業界や、世界そのものに対して言うべきだ。

だから、これからその40代を迎えようとするこの時点で、ここまで来れたことに、感謝すべきなのだ。泣いて喜ぶべきなのだ。そして、嬉々としてその仕事に取り掛かるべきなのだ。
わかってるよ。

 

「鍋島」のその先は、実はもう見えていて、それは「軽いカムバック作品」、そしてその次は「Nabeshima 3」と呼ぶことの出来る作品、そこまではもう、視界に捉えている。

その先がとんと見えなかったが、前に書いた通り、年始に義母の部屋で遺品に囲まれながら、インスピレーションが振ってきた。

だから、これから歳を重ねて、一人の「作家」として、どのような作品を作っていけばいいのか、その方法論や道筋は確かに示された。

これはとてつもなく大きなことだ。
まぎれもなく奇跡と言っていい。

 

世の中っていうのは奇跡ばっかだ。
とっくに知ってるし、若い頃から何度も経験している。

奇跡を信じるってことは神を信じることだ。
だからキリストを信じるようになった。
僕は奇跡ってやつは普通に信じている。
ただ、安っぽい見せ物みたいな奇跡は信じていない。
ソーシャルネットワークで話題になるような奇跡に興味は一切ない(苦笑)

 

今でも、折をみては新しい音楽、新しいアーティストをチェックする気持ちは失っていないつもりだが、
これも繰り返し言っていることだが、2013年にbloodthirsty butchersの吉村秀樹氏が逝ってしまって以来、基本的にやはり僕の中では時間が止まっている。
かと言ってもちろん、それ以降も好きになったアーティストがいないわけじゃない。

だが、今のバンドよりも、昔のバンドに惚れ込むことが多くなったのは事実だし、

そしてもっと言えば、最近では、ミュージシャンよりも、小説とか作家に感銘を受けることの方が多くなったみたいだ。

でも、そこに僕の進むべき方向性があることに間違いない。

なんたって、僕がただ一人、「日本のクリスチャンヘヴィメタルの大先輩」と呼ぶことが出来るのは、遠藤周作さんなのだから。

 

大御所と呼べるような有名なアーティストのインタビューなんか読んでみても、皆さん、歳を取って「老年」に差し掛かる今のタイミング。
「天才」と呼ばれたそれらの方々が、「永遠」というものを意識されているのが、折々に感じられる。

僕は無名のインディバンドの人であるが、あるいはそういった大御所の皆さんが求めている「永遠」ってやつを、何の気もなく普通に手のひらに握っているとしたら、僕はそれを軽く考えるべきではないし、やはりそのことについて「泣いて喜ぶ」べきなのだ。

 

僕も大ファンであるところの大御所。
昨年、僕もついついブログで話題にしてしまったが、その後、「動き」があったのは身近に知っている。
その方は、見つけ出されただろうか、その「永遠」を。
まぁ、天才だからな、そういった動きがあっただけで、さすが、って。

あるいはこれも「祈り」ってことかもしれない。
自分の、僕の祈り、とは言わないが、祈りで人が動くこともあれば、時代が動くことだってある。

どうかな、あの方々の「腕前」にかかっているところだろう。
結果は問わない。
知ってるくせに。
でも、きっとやはり「天才」だから。そこはたぶん。

 

救いたい人がいる。

他の人はどうでもいい。俺はその人を救いたい。

そう思ったとする。

どうやったら、人の魂を導くことが出来る?

愛を、「神の愛」ってことを、手のひらにのせて、大事な人に渡すことが出来る?

神の愛のうちにある、っていうその「引力」を、大好きな人にプレゼントすることが出来る?

愛は行為の中にしか存在しない、とすれば、そんな形の無いものを、どうやって伝えることが、ましてや手渡すことが、出来るのか。

愛を伝えるには、愛するしかない。

知ってるくせに。

実際にやるのは、俺はすごく面倒。
とても面倒だから(笑)

だからやらないぜ、滅多に(笑)

 

資格があるんだよ、神さんからの仕事を運用する資格が。
どうやって取得するのか、それは、たぶん順序ってものがある。

僕もそれなりにやってきたはずだけど、これからだ。
まだまだ二流のスタンド使いなんだ。

 

こうして文章を書くことは、気持ちが静まっている時でないと出来ないことだが、僕にとってはこれは習慣のようなもので、しかし「脳みそを動かすこと」を様々な「仕事」に振り向けている今では、20代の頃のように毎夜のように長い文章で思索を書き留めるわけにはいかない。ぶっちゃけ昔とくらべればやっぱり体力も落ちている。

「祈る」ってことは決して得意ではないが、
(それは、何が正しくて何が間違っているのか、何をもって本当に良いとするのか、そして自分自身が本当に何を欲しがっているのか、安易に答えを出したくないために、白や黒をはっきり付けて、何かを欲しがることが出来ないからだ。って、わかるよね、これ。)

祈るってことは決して得意ではないが、僕にとってはこうして文章をしたためて思索することも、間違いなく祈りの一環であり、また瞑想の一環でもある。

スケートボードも僕にとってはそういうものだと思う。

僕は最近ではスケートボードはかろうじて続けているという状況で、それについてはまた別途、別の機会に書き記したいと思っているが、

僕がスケートボードにおいて板の上でやっていることは、祈りと瞑想に他ならない。
だから普通はスケートボードを通じてsocialize、友だちを作ったり、人と交わることが、若い人たちや少年たちは目的だと思うけれども、僕は世間から離れるために板の上に乗っている。

どっちかと言うと間違いなく、世間から隠遁するためにスケートボードという板の上に乗っている。人間的にバランスが極端に悪いこと、生まれ持ったあれこれや、霊的なあれこれのせいももちろんあるのだけれど。
だから、一人きりで板に向き合うことになってしまう。
友達、欲しいけどね(笑)

 

どちらにせよ、「時」ということ。
その義母の部屋にあったアリソン・アトリーの「時の旅人」も、同じ翻訳のバージョンを入手して、先日読み終えた。

やはり凄まじい内容の、しかも平易でわかりやすく貴重な情報がさっくりと書かれた本だったと思う。普通に泣いた。本の内容を「霊」で読めて、かつキリスト教の信仰がある人なら、もっと泣けるだろう。でも僕は、すぐに泣くから。映画なんて、最初の5分で泣くもの。本当に。

その表紙に、Time Is. Time Was. Time Is Not.と書かれていて、うわぁ、すげえな、って。決まり文句なのかもしれないが、それにしたって余計に。

時間の外側にきっとある、本当の「時」。

時ってものの正体を、見定める、なんてハードルの高いことを言わなくとも、
少なくとも、ちょっとでも見極めることさえ出来たら、
もう「時」なんてものを、恐れる必要はない。

たぶん、そうじゃないかと思う。
楽しむことさ。
そうだね?

 

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