少年Toneと14歳の約束

 

ロックをやめる理由なんていくらでもある。

僕たちは、成功したバンドじゃない。

もちろん、自分たちの視点から見れば、インディペンデントに、誰にも頼らずに音楽活動を続けてきて、
ここまで音を鳴らし、世界中のやつらと交流し、作品を作りあげてきたこと。

それは大勝利だ。
だから自分たちにとっては、連戦連勝、栄光の道のりって感じだった。

 

けれども、世間一般から見れば、僕たちは全然成功しちゃいない。
(たとえ世間一般に言う成功に、全然興味がなかったとしても)

音楽を真面目にやる、なんてことは、なかなか報われることじゃない。

ましてやメッセージ性の強いオリジナル作品。
ましてや日本ではおよそありえない「クリスチャンヘヴィメタル」。

もう十分にやったんじゃないか、って思うことは、何度もあった。

 

「夢」なんて概念はそもそも持ち合わせていないが、
いわゆる夢ってやつは結構実現してきた。

Awesomeな作品を作り上げた。
一枚や二枚じゃない。いくつも、いくつも、限界を越えていくつも作った。
海外レコーディングも経験した。ありがたいことに二度も機会をいただいた。
世界的に有名なプロデューサーと仕事をして、自分たちの曲をメジャー級のサウンドに作り上げてもらった。(それが良かったか、悪かったかは別にして)
神の啓示を受け取って「これが俺の使命だ!」と悟り、日本初のクリスチャンヘヴィメタルなんてものを形にした。
アメリカに何度も乗り込んで、対等の勝負で、向こうのバンドや聴衆をノックアウトしてきた。はっきりいってぶっちぎった。CDもTシャツも売りまくった。
そして今度はその逆に、アメリカのみならず、カナダ、ロシア、チリのミュージシャンを日本に招いて、一緒にツアーした。
ずっと作りたいと思っていた「日本の歴史」をテーマにした壮大なコンセプトアルバムを作り、それは最高のヘヴィメタルアルバムになった。
息の合ったメンバーと、10年間活動を共にした。
たとえ規模の小さいインディーズではあっても、世界中のファンから熱烈な声援をもらった。
大手メディアではないかもしれないが、自分たちの活動や作品を、それなりに由緒あるメディアに何度も取り上げてもらった。
もっとも、それでも日本国内の反応はいつでも、冷たいくらいに得られなかったが、「クリスチャン」とか言ってる時点で、そこは最初からあきらめていたところだ(苦笑)

 

もう十分やったじゃないか。
もうやめてもいいじゃないか。

そう思う事は何度もあった。

 

2018年3月で、10年間共に演奏してきたラインナップを終了させ、
その「解散」の原因のひとつでもあった、自分の音楽人生の集大成”Nabeshima”。
それは「究極の伊万里音色」。
その「鍋島」を作らなくてはいけない。
そう思っていたが、
けれども、それは無理なのではないか、不可能なのではないかと、僕はそう考えていた。
少なくとも半分はそう感じていた。

そもそも、僕は最初から、常に「バンドなんて早くやめたい」と公言してきた人間だ。

もうロックバンドをやる理由なんて、そんな動機なんて、どこにも残っていないではないか・・・

 

2018年3月をもって長年のメンバーに別れを告げた後、僕は、その後の活動をどうしていくのか、神に委ね、(半分投げやりで)、祈りつつも、内心では、「どのように活動していくか」ではなく、「どのように活動を終わらせるか」そればかりを考えていた。

だが神は僕に道を指し示した。
安易な道ではなく、厳しい道を。

異色のベテランドラマー「摩耶こうじ」、そして生粋のクリスチャンメタル女子「Marie」、この二人をフィーチャーした新しいバンドのラインナップを示された時、僕は「果たしてこれでいいのか」と当惑したが、次第に、自分の胸の中に忘れていた、あるひとつの情熱に気が付いた。

 

自分の中に、まだ実現していない「夢」があったことに気が付いたのだ。
ここで敢えて「夢」という言葉を使うのは、僕はそもそも最初から「夢」など持たずに音楽活動を始めた人間であるが、だがしかし、この時、自分の中に見つけた感情は、それは間違いなく「夢」と呼べるものであったからだった。

 

それは、14歳の自分との約束だった。
ロックに初めて触れた思春期の頃、僕が憧れていたロックバンドというものを、僕は思い出した。

それは、少年の頃に自分が初めて聴いた日本のヘヴィメタルバンド、そのデビュー前のメンバーであったドラマーと知り合ったことがひとつのきっかけであったかもしれない。
それをきっかけに、時代遅れだと思っていた、1980年代や、1990年代前半のヘヴィメタルを、改めて聴き直したのだ。
そして、大切な事に気が付いた。

 

「ロック」そして「ヘヴィメタル」のサウンドに初めて触れた時。13歳、14歳の僕が想像し、そして憧れた「ロックバンド」とは、「革命軍」であったのだ。
それは、すべての権力に反抗し、ストリートから、かつてない未来を切り開く「レジスタンス」だった。

そして、そのサウンドは、陽気なLAメタルでも、伝統に支えられたブリティッシュメタルでもなく、日本の、TOKYOのコンクリートジャングルだからこそ鳴り響く、Rebel Yellだった。

 

だが、もちろん、少年時代に見ていたそんな夢は、成長するに従って粉々に打ち砕かれることになる。

90年代にはヘヴィメタルは一度、死に絶えた。
そして、どんなに輝いていたバンドであっても、音楽業界のシステムの中にあって、本当にRebel Musicと言えるようなメッセージを持ち続けていたバンドなど、現実にはいなかったということを思い知らされたのだ。
(たとえ成功したビッグなミュージシャンであっても、そういったメッセージを表現する者は、やがて潰されていったのだ)

 

自分は、確かにここまで、一人の無名のインディーミュージシャンとして、いくつもの目標を達成してきたかもしれない。
だが、自分が少年の頃に憧れていた「本当のロック」を、僕はまだ実現していないのではないか。

そして、その思春期の頃の、少年の頃に抱いていた夢を実現するということは、たとえ世界のどこで、どのような大きな成功をつかむことよりも、自分にとっては大切なことだった。

その気持ちに気付くまでに、それほど時間はかからなかった。

ロックミュージックの、本当の意味。
ロックバンドの、本来あるべき姿。

それが、自由のために戦う革命のレジスタンスであるならば、僕はそれを実現させなければならない。

それがもし幻想であって、実際にはそんなバンドは存在しない、と言われるのであれば、自分がそれを実現すればいい。

 

自分が憧れていた「ロックンロール」は、幻想だったかもしれない。
だが20年以上の歳月を経て、僕はやっと、その幻想に過ぎなかった「ロックンロール」を、この手に掴むことが出来る場所までやってきた。

それは、14歳当時の自分との約束だ。
そして、それだけではなく、当時、僕が恋していたすべてのものへの、約束でもあるんだぜ。
あの人との約束を果たす、これが唯一、自分に残された方法だと、俺は思っているんだ。

 

親しい友人の中で、僕の日記やブログを見てくれている人の中には、昨年の今頃、僕が「ロックバンドはレジスタンスであるべき」と綴り、また、ロックンロールに憧れた自分は、そのレジスタンスのリーダーの下に集い、戦うことに憧れていた、そう告白していたことを覚えているかもしれない。

(もし、そんな「革命のリーダー」にふさわしい憧れのロッカーがいるとすれば、それは僕にとってはbloodthirsty butchers吉村秀樹氏しかいない。が、残念ながら彼はもうこの世にはいない。)

だが、20年の歳月と、経験と、伏線を経て、どうやら神は、その物語を綴り、そんな僕の祈りに答えてくれたようだ。

 

この「れいわ」の時代に、自由を求め、日本人による、日本人ならではのヘヴィメタルを、そして、日本人だからこそ鳴らせる、まっすぐに信仰というものに向き合った「クリスチャンヘヴィメタル」を、鳴らしていきたいと思っている。

そしてまた、それによって、日本のロックの、「ジャパニーズヘヴィメタル」が本来持っていた「純情」を、取り戻したいと思っているんだ!!

それが、俺が、このWest Tokyoの地で、ふたたび伊万里音色を、[Tone-Marie-Koji]による新生Imari Tonesを、始動する決意をした理由なのさ!!

 

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