台風とゲットーとブルース

[勝手なひとりごとを書いている個人のブログなので不謹慎につきsnowflakeな方は読み飛ばして下さい]

広い地域に被害を及ぼした台風19号「ハギビス」、様々な形で被害や影響を被った方々に、お見舞い申し上げます。
いずれにせよ、僕なんかには祈ることしか出来ない。
ただの無名のインディバンドマンの立場でこういう個人的な文章を書いていること自体、おこがましいが、それでも僕は書いてしまうタイプだ。

今度の台風は、報道のされ方に違和感があった。
今回に限ったことではないのかもしれないけれども。

たとえば、ちょっと英語の報道とか見てみるだけでも、その情報の食い違いに気付くことは、難しいことではなかったように思う。

大手メディアの報道は、とても正確とは言えないし、
果たして何が起きたのか、どれだけの被害があったのか、
実際の被害の全容を僕たちが知ることは、無いのではないかと思える。

実際に何人の方が犠牲になったとしても、
公の機関であったり、大手メディアは、不正確な数字だけを公表して、
何事もなかったかのように振る舞うのではないかという気がする。
(そして、そういったことを、僕たちはすでに経験しているはずだ)

身を守ることは、ほとんど「自己責任」になってしまっている。
本当はそれではいけないのだけれども、
世界中が今、たぶんそんな感じであるように、
この国も、日本も、今、目に見えない内戦状態のような感じになっているから、

いったい、何が起きて、それがどのようなものだったのか、
本当のことは誰にもわからないし、誰にも知らされることはないのだろうと思う。

これだけの最小限の被害で済んだ、と言えるのか、
あるいは、これほどの甚大な被害が出た、と表現すべきなのか、
そこはそれぞれの立場によって違うだろうし、
僕自身にそんなことは言えるわけがないけれど、
どちらにせよ今の日本には何か大きな「ギャップ」のようなものがある。

世の中に充満するこの「違和感」が、
ある一定の臨界点に達した時、
あるいはもうすでに達しているのかもしれないが、
いったいそれがどのような形になって表れるのか、
僕にはわからないし、また、考えたくもない。

台風の前日、安アパートの窓をダンボールで補強しながら、僕はまるでゲットーの住民の気分だった。(別にそれが悪いわけではなく、僕は上機嫌だったが)
僕らはたぶん、見捨てられたゲットーの住民なんじゃないか、大なり小なり、みんな。

それでも生きていける勇気が、たくましさが、みんな、あるのか。
これからの時代ってそういうことかもしれない。
僕にはとても自信がない。

皆様、それぞれにこの日を懸命に過ごされたと思いますが、
僕らが風雨に怯えながら、聴いていたのは、
(嫁さんは全然怯えていなかったが、笑)
80年代初期のヘヴィメタル、90年代の古いデトロイトテクノ、
70年代のジョン・レノン、
そしてやっぱり、ブルーズだったな。

ブルースを鳴らすしか、ないんだと思うぜ、俺たち庶民は、やっぱり。
元気が出るものな、あの、泥臭いシャッフルのビートは。

それが世界でいちばん強靭な音なのだと、僕は信じたい。

 

 

 

 

なんかいたたまれないのでFacebookにポストした文章を補足。

https://note.mu/syasukaw/n/nb8b5631c1e7d

各地の被害を考えると首都圏や都内のことばかり言えないが、これだけの被害で済んだ、という表現が許されるのであれば、それは奇跡的な事であり、影で働いていた無名のヒーローたちや、日本人の仕事ぶりの凄さという事も言える。けれどそれは本当にぎりぎりのところだったのであり、ひとつ違っていればさらに壊滅的な被害になっていたのだと思われる。
薄氷の上に勝ち取った今日という気がする。
(それこそ皆の祈りの結果かもしれない)
そして拡大する災害に対して、次もこのように守り切れるかどうかわからない。
感謝と不安の入り交じった、なんとも言えない複雑な気持ちだ。
どちらにしても、今日という日は当たり前ではない。

 

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