いざギター録り大勝負

さて、12月14日の六本木バウハウスでのライヴに向けて気合いが入っており、今年新メンバーで活動を新たにスタートしたが、その「初期のまとめ」として一年のしめくくりのライヴとしてぶちかます所存である。

しかし、御存知のように、僕は今、Imari Tonesとしての自分の音楽人生の到達地点となる作品「鍋島」の制作にかかりきりになっている。

この作品を作るために、10年一緒に活動してきたHassy&Jakeをクビにした(?)と言ってもいいくらいの、それくらい、あらゆる意味で難しい作品だ。

状況から見て推察できると思うが、昨年、新メンバーでのリハーサルを開始し、そこから見えてきた様々な状況から、僕はそれを神からのメッセージと解釈し、今後は音源制作はライヴ活動とは分けて考えていくべきだ、と決心した。

ゆえの、かなり無茶をしたパーソナルな制作活動であるが、あとは察していただきたい。

 

今年は1月、2月に「引越し」という個人的に大掛かりなイベントがあり、その引越し後、一段落した後になってから、この”Nabeshima”の制作準備にとりかかることとなった。

3月から8月までかけて「ドラム録音の準備」をしつつ、9月後半から10月初頭にかけてドラムトラックのレコーディングを行い、そして10月末までになんとかベーストラックの録音を終わらせた。

実際のところ、今回のいちばんの難関はドラム録音だと思っていたので、この非常にあらゆる意味で難しい”Nabeshima”のドラムトラックを、曲がりなりにもやっつけることが出来ただけでも金星であるし、
また、この数年、かなりサウンドや機材、楽器に関しても追求していたこともあり、ドラム、ベースのリズムセクションを録音した段階で、すでに想定を越えたサウンドが録れているという手応えがあった。

 

さて、次はいよいよギタートラックのレコーディング、というわけなのだけれど、
10月末日にベーストラックをやっつけて以来、ギター録音の「準備」をするだけで、まるまる一ヶ月がかかってしまった。

これは自分としては少し想定外だった。

 

そこには色々と理由がある。

今まで、ギターの録音に際して、準備、であるとか、練習、が必要だったことは、ほとんど無かった。

考えてみれば、Hassy&Jakeと作ってきた作品では、たとえば1年なり1年半かけてバンドでリハーサルを繰り返し、主だった曲はライヴでも演奏して、バンドで鳴らすという経験を経てからレコーディングしていた。

それはロックバンドとしては基本、とも言えるが、けれどもやはり考えてみれば贅沢なことであって、
そうやって実際にバンドでアンサンブルと音を組み立てた上で録音作品を作ってこれたHassy&Jakeとの10年間は幸福であったと思う。

 

だが今回はそうではない。
もちろん、今現在、この”Nabeshima”からの楽曲は、ひとつ、ふたつ、バンドのリハーサルで鳴らし始めてはいるが、
そして、アコースティックのソロという形であれば、さらにいくつかの楽曲は「ライヴで歌う」経験は経ているけれども、

けれど、これまでのように1年なり2年なりかけて、バンドで鳴らす、というプロセスは経ていないのだ。

 

つまりどういうことかと言えば、
“Nabeshima”の曲を作ったのが、2014年から2016年にかけて、と考える。
そして、2016年の8月に歌の入っていない「デモ」の形にしたのだけれど、ほとんどの楽曲は、「それ以来ちゃんと弾いていない」状態であった。
(もっと言えば、曲を書いた時の「メモ録音」のみで、そのまま「デモ」になったものもあり、本当に当初のメモ録音の一回きり、しか弾いていない曲すらいくつかあった)

あれ、この曲、どうやって弾いたんだっけ、状態である。

今年、つまり2019年の、確か5月のゴールデンウィークの頃。
これからドラムトラックの「準備」にかかりきりになるので、せめてその前にギターパートを思い出しておこう、と、全部で24曲の”Nabeshima”の楽曲のギターパートを、思い出し、自分でコピーして「2回どおり」弾いたのであった。

それっきりである。
ギターソロに関しては、まるっきり無視だった。

 

というわけで、これまではいつもなら、Jakeのドラム録り、Hassyのベース録りが終わった後は、ギター録音なんて、ぱぱっと、ちゃっちゃっ、と、適当に軽く終わらせてしまっていたものだったけれど、今回は準備が必要だった。

この曲どうやって弾いたんだっけ、の復習。
そして、このギターソロどうやって弾いてんの、の、部分を最初っから。
そして、それを脳が記憶し、無意識下に落とし込むまでの練習。

たとえばこれまで、1年なり、1年半なりかけて行ってきたそのプロセス、
つまり、特に何も考えなくても弾ける、という状態になるまで、そのプロセスを短時間で済ませなくてはならない。

ギターソロに関しても同様で、今回、曲数の多さもさることながら、表現の部分が難しい。
技術的には、もちろんややこしいスウィープとかは所々にあるけれど、これまで、たとえば”Jesus Wind”等で弾いてきたものと比べれば、「技術的に難しい」という部分はそれほど多くはない。
けれども、それ以上に「表現力」が求められる内容であり、これははっきり言って速弾き等の技術なんかよりも圧倒的に難しい領域だ。

 

それだけでなく、音色を探す、という作業が必要だった。
これが一番大変だったと言っていい。

なぜなら、音色に関しても圧倒的に表現力が求められるからだ。
“Nabeshima”に求められる表現力は、これまで作ってきた作品の比では無かった。

 

音色には様々な要素があり、
まずは、どの曲にどのギターを使うのか、ということ。

そして、どのペダル/ブースター/オーバードライブを使用するのか、という選択。

そして、アンプのセッティングということももちろんあるし、

また、録音にあたってどのマイクを立てて、それに対してどのマイクプリを使用するのか、という部分も判断する必要があった。

これらすべてを検証し、楽曲をスムーズに弾けるようになり、音色の選択、音作りに関してもひととおりの答えが出るまで、そのプロセスに一ヶ月、やはりかかってしまった。

それを、早いと考えるか遅いと考えるかは、人によって違うだろう。

が、自分にとっては、これまでのギタリスト人生において、もっとも濃密で、激しく、インテンスな時間だったことは事実だ。

 

先だっての日記だかインスタグラムのポストにも書いたけれども、このように「検証」なんてものが出来る環境を持ったのも、ほとんど初めてのことだ。(そうは言っても、実際にキャビを鳴らしているわけではなく、ダミーロード経由、パソコンの中の音であるが)

これまでは、現場にギターを何本か持ち込んで、その場でギターやペダルを比較して、ぱぱっと適当に判断してやっていたのだ。

だから、こんなふうに、たとえ「短時間でさくっと」であっても、検証して、サウンドについて試行錯誤して考える、なんていう機会は、恥ずかしながら初めてだった。

そして、今回、この”Nabeshima”は、やはり非常に難しく、それらのギターパートと、音作りに向き合う中で、短期間の間に、非常に深く悩み、また14年ぶりくらいに「手を痛める寸前」くらいまで行き、そして精神的、肉体的にも、あやうく自律神経をやっちゃうくらいの状態になった。

その中で、ギタリストとしてのサウンドの価値観は何度もひっくり返り、そして、「究極のサウンド」の、ひとつではなく、みっつやよっつは見つけたように思う。

その時間と経験の密度というのは、言葉には出来ない。

 

正直なところ、地獄のようだった。

それくらい、今回のこの”Nabeshima”は難しいのである。

いや、あるいは、自分がそれに「賭け」すぎているのかもしれない。
これを自分の人生の到達点であると、意気込むあまり、自らハードルを上げ過ぎてしまっているのかもしれない。

わからない、今、とても不安に思っているのは、意気込みすぎて失敗するのではないかということだ。

適当な機材で、適当なサウンドで、適当に作った方が上手くいく、ということも、世の中にはある。
今までも、あるいはそうだったかもしれない。

こだわり、突き詰めてしまったがゆえに、かえって失敗する、ということがあるかもしれない。

だが、当たって砕けろだ。
それほどまでに突き詰める経験を、人生で一度くらい、するべきではないか。
神経をやっちゃうほどに悩む経験を、一度や二度はするべきではないか。

そして、世間のもっと頑張ってる人たちからしてみれば、それでも、まだまだ表面をこすったくらいに過ぎないだろう。

「適当」にやっているんだよ、これでも、僕は。

 

 

で、自宅屋根裏での検証作業を終え、これからいよいよスタジオに出向いて録音に入るのであるが、
今、またその現場で鳴らす音に、迷い、圧倒され、当惑している。

理由は、馬鹿みたいなことだ。

 

今回、自分のギタリスト人生の究極のサウンドを求めて、僕は”Imaria”(50W)という「非常に安価」なアンプを手に入れた。
“Nabeshima”のギターパートはそのアンプで鳴らすのである。

だが、自宅屋根裏での検証は、そいつのサブ機である”Little Imaria”(20W)で行った。

理由は馬鹿みたいな事情であり、それは、リハスタにアンプを預け入れる事情で、早めに場所を確保しておきたかったため、ベース録りの終わった段階で速攻で”Imaria”アンプを預け入れてしまい、自宅屋根裏での「検証」はサブ機の”Little Imaria”を使うことになったのだった。

だが、屋根裏で”Little Imaria”で音を検証し、ひととおりの答は出たのだが、
いざ現場に行ってみると、”Imaria”は、それ以上に「難しい」アンプだったのだ。

 

その「難しさ」に対応できるかどうか。
この難しいアンプを、乗りこなせるかどうか、恐れおののき、当惑し、また、奮い立っているのである。

 

 

屋根裏での検証をサブ機の”Little Imaria”で行ったのが、良かったのか、悪かったのか。

あるいは、良かったのかもしれない、と感じている。

 

“Little Imaria”は、もちろん”Imaria”と共通したキャラクターを持っているが、(どちらも安価なアンプであるが)、

けれども、非常に気難しい”Imaria”と比べれば、”Little”の方は、シンプルで簡単だ。

もし、一ヶ月間の屋根裏での検証の、その神経をやっちゃう一歩手前のやばい作業に、あの気難しい”Imaria”を使っていたら、きっと出口のない迷宮に入ってしまっていたかもしれない。そして、おそらくは無事には戻って来れなかったのではないかと思う。

 

“Little Imaria”は、バンドのリハーサルでも何度か使っているし、10月のライヴでも使用した。
ブリティッシュ的なテイストは持っているが、基本的には素直で、なおかつモダンな使いやすさも兼ね備えたアンプだ。
理解するのにそれほど時間はかからないし、そしてこの「検証」作業を経たことで、より理解した気がする。

そんな、よりフレンドリーなアンプで検証を行ったからこそ、方向性を見出すことが出来た。

 

だが、”Imaria”は、それよりももっと、何倍も難しい。
安物のくせに、非常に気位の高いアンプなのだ。
セッティングも非常に繊細だし、なにより、とんでもないパワーを持っている。

“Little”を使って屋根裏で得た答えをもって、現場でこの”Imaria”に適用し、新たな答えを見出さなくてはいけない。

 

バンドのリハーサル環境や、ライヴの回数などもまだまだ少ないこともあり、
この”Imaria”は、まだバンドの演奏で使用したことがないし、実際のキャビネットで鳴らしたことも、まだ数える程度だ。
(ダミーロード、キャビのIRを介しての録音作業には、何度か使った)

それでも、僕はこいつが、自分にとっての「答え」であり、自分のギタリスト人生におけるひとつの答であることを確信している。

この”Nabeshima”の録音作業を通じて、こいつを乗りこなし、自分のものとしなければならない。

 

なんで、こんな難しい道具ばかり選んでしまうのだろうか、と思う。

あるいは、もっと簡単なアンプでやればいいじゃん、と思わなくもない。

これまでの録音で使い慣れた、Marshall JVMを使えばいいではないか。

あるいは、この素直な”Little Imaria”を使って作ってしまってもいいではないか。

だが、それでは、自分の考える「究極」には届かない気がしている。

 

 

ひとつ怖いのは、これが初めての経験だということだ。

録音家として、という以前に、ギタリストとして、だ。

つまり、これまでは、想定内のわかりきったサウンドで、想定内のサウンドを使って楽曲を、作品を作り上げてきた。

だが、こうして現場で”Imaria”をあらためて鳴らしてみると、これは想定以上のサウンドだ。こいつを、どうやって使えばいいのか。どういう結果になるのか。そもそも使いこなせるのか。

すべてがわからない。

未知のサウンドで、結果のわからないミックスに挑むことになる。

最終的にどんな音になるのか、まったく想像がつかない。

こんなふうに、すべてが未知数な状態で、録音作業に臨む、なんてことが、初めてなのだ。

だから怖い。

失敗するのではないかと不安になる。

だから勇気が必要だ。

たとえそれが未知のサウンドであったとしても、勇気を持って鳴らし、選び取っていける、そんな勇気と、知恵と、判断力が必要だ。

わかっているだろう。
霊で、スタンドで感じるのだ。
音を見ろ。
耳で聴くのではなく、その色を見ろ。
色を、その色調の波長を。
霊の色彩と、そこにこめられた言葉を。
その時間軸と、次元を見極めろ。
未来の音に耳を澄ますのだ。

 

 

言ってしまえば、Ameliaはモダンなハイゲインタイプのアンプというよりは、よりクラシックな方向性のアンプだ。
気難しいのは、そのあたりにも理由があるだろう。

著名なYouTuberギタリストのEytschPi42氏も言っているが、Marshallの中ではどちらかといえばJTM寄りのキャラクターであり、かといって、まんまMarshallというわけでもない。
独特の立ち位置にあるアンプだと思う。

作られた経緯や、馬鹿みたいに安価な値段等も、特異な立ち位置を示していると思う。
モデルとなったCornford MK2と、必ずしも回路も同じではないとも言われている。

簡単すぎるアンプはつまらない、と常々言っていた自分にとっては、これは気位の高い絶世の美女が安売りされているようなものだった。

某楽器店ではあの後すぐに、値上がりしたかと思ったら、販売停止になっていた。あるいはもう貴重なものになってしまったのか。

変わったアンプだが、こんなもん、本当に使いこなせる人がいるのだろうか。
でも、だからこそ惹かれた。

 

 

どんなふうに使えばいいのかわからんような難しいギター(Bacchus Duke Standard)を使い、
どんな用途に使えばいいのかわからんような難しいペダル(Shoals Overdrive、Albit/Cranetortoiseのブースター)を使い、
使い方の難しいミステリアスな気難しいアンプを使い(Jet City Amelia)、

そしてまた、どんなふうにして生まれたのか、存在自体が奇跡に違いない、きっと特異に違いないこの”Nabeshima”を作る。

難しいことだらけだ。

 

でも変わらない。
そいつを誰かにわかってもらおうとも思わないし、
言葉にして説明できるとも思わない。
ましてやパッケージして商品に出来るとも思わないし、
わかりやすいキャッチフレーズにして看板に書けるとも思わない。

変わらないこと。
それは、
It’s all between me and God.
こいつは俺と、神さんの間のことだ、ってことだ。

 

失敗しても、悔いはないさあ。
よくやるよ、とは、自分でも思っているけどね。

 

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