2019年の振り返り

 

思ってみれば2019年であり、
つまり、2010年代というディケイドが終わろうとする節目。

だから、今年一年を振り返るのではなく、
この10年を振り返る、ということも出来る。

でもやめておこう。
時間がないから(笑)

そういう振り返りは、自分の中で、節目節目にちゃんとやってきた。

 

最近じゃ、もっと若かった時みたいに、日常のことを「日記」みたいにして逐一書く、なんてこともやっていない。

また僕は、twitterのような場所に日常のあれこれをひとつひとつアップロードする、みたいなことも苦手なので、あまりやっていない。

結果、これはクリスチャンバンドのウェブサイト/ブログではあるけれど、教会のことであるとか、日常の信仰生活のようなことについてもあまり触れていないと思う。

そういうのはMarieのtwitterの方が多少はやっているかもしれない。
(ほとんど、相模猫の話題ばかりかと思うが、笑)

 

 

簡単に、簡素に、2019年を振り返ってみよう。

 

引越しをした。
これは、引っ越さざるを得ない状況が示されたから。
でも、それで色々なことが始まったように思う。
新しい環境は気に入っている。
夢のような生活だ。

 

バンドの新メンバーを発表し、新体制をオフィシャルにスタートさせた。
昨年2018年3月いっぱいをもって、[Tone-Hassy-Jake]という、2008年より10年続いたメンバーを、終了させ、実際にはその3、4ヶ月後、2018年7月には新メンバーでのリハーサルは水面下でスタートしていたのだけれど、それから公式に活動を開始するまでの準備に時間がかかった。
アー写を撮影し、ビデオを撮影し、今年2019年7月に、やっと公式に発表することが出来た。

 

1stアルバムの「再発」をした。
その際のブログに書き記しているが、うちのバンドは、成り立ちも、スタートも、曖昧であるが、「ファーストアルバム」というものが、長年の間、あるのかないのかわからない状態になっていたため、穴あき状態になっていた素材を埋めるため、新たに昔の曲を録音し直して、「リイシュー」の形にして発表した。
これは、2018年の下半期に3曲を録音し、今年2019年のファーストクォーターに2曲半(2曲プラスインスト1曲)を録音した。

僕らは、思えば、だいたいコンスタントに作品を作ってきているが、2016年上半期に”Jesus Wind”をレコーディングした後、2017年終盤に”Overture”をレコーディングし、そして2018年後半から2019年初頭にかけてはそのファースト作り直しのレコーディングを行い、そして今年2019年後半は「鍋島」のレコーディングを行っているのだから、こうして振り返ってみると、だいたい毎年休み無く、なんらかの録音制作に取り組んでいる。それは、悪いことではないと思う。

 

新メンバーのバンドでのライヴを4本、アコースティックソロでのライヴを1本行った。
決して多い本数ではない。でも、ちゃんとやれた、ということが大事だ。
昨年7月から、リハーサルを開始しているのだから、時間がかかりすぎだと思うかもしれないが、現在のメンバーは、プレイヤーとしての性格や、年齢的な事情もあり、仕込みには結構時間がかかる。
だから、今年は公式に新ラインナップを発表し、演奏活動を開始したけれども、まだまだ「序の口」「お試し」「準備段階」という感じだ。
これから、少しずつ、本来やるべき演奏、これからのImari Tonesが本来するべき表現に、向き合っていくことになる。

来年上半期は、現在のところ、まだ予定を入れておらず、しばらくライヴの予定が空いてしまうかもしれないが、そのための仕込み、準備の期間が、まだ必要だ。ご理解いただき、待っていていただければ、そして見守っていただければ、幸いです。

 

その新メンバーで行ったライヴについても、小田急相模原の御園バプテスト教会における企画ライブ”Over The Rainbow”についても良いヴァイブを作り出せたし、
また8月に静岡県浜松市まで「プチ遠征」を敢行し、寸座ロックフェスティバル2019に参加できたことも大きな達成だ。達成といってしまうと大袈裟だが、まずは一歩ということで、収穫だと思う。イベント自体も素晴らしいものだった。参加できたことは光栄だった。

 

今年、一年ずっとかけて取り組んでいたことは、「鍋島」の録音制作だ。つまり、僕が自分の音楽人生の集大成であり、この伊万里音色にとっての「究極」の形である作品”Nabeshima”のレコーディング制作である。
この作品をつくるために、おそらくは僕らはXTJ等の活動をやってきたのだし、そしてまた、この作品をつくるために、10年間続いた[Tone-Hassy-Jake]のバンドの形を終了させた。

その”Nabeshima”をどこで、どのようにして、誰と、どんなふうに作るのか、ここ何年かの間、ずっと模索し、問い続けてきたわけだけれども、昨年、その答えが示されたと感じ、今年2019年はこれをついに作る、と決意して臨んだ。そして、2月に引越しを実行し、その後、諸々の生活のあれこれに忙殺されつつも、ずっと録音の準備に向き合ってきた。それが具体的にどのようなものだったかはここには書かない。だが、夏の間もずっと取り組んでいたし、実際にドラム録音を始めたのは9月、10月いっぱいかけてベース録音を行い、11月はギター録音の「準備」に費やし、そして12月にギター録音を行い、なんとかクリスマスが来る前にギター録音を終わらせることが出来た。
年内に完成させることは出来なかったが、年が明けたら、ついにヴォーカルの録音、そして一部のアコースティックギターの録音を行い、おそらくは2月中、時間がかかったとしても3月中には、”Nabeshima”はひととおりの完成を見るはずである。(何事もなく無事にいけば)

 

2019年のもっとも大きな出来事とは、自分にとってはこの”Nabeshima”の制作に向き合ったことであり、これは、生涯でもっとも大変だった音楽制作として、自分はずっと忘れないだろう。レコーディングの結果、制作が成功するかどうかはわからない。また、何をもって成功とするのか、その基準も難しいものだ。
だけれども、自分は全力を尽くし、ベストを尽くしたと、ここまでの作業については言えるし、残りの作業についてもそう言えるように、抜かり無くベストを尽くして作業をするつもりだ。

そして、この”Nabeshima”の制作作業、はたから見れば、淡々とやっているだけに見えるかもしれないが、自分の中では、やれるかどうかわからなかった、不可能ではないか、と思っていたことである。それが、曲がりなりにも、こうしてここまで無事に作業が進み、形になってきている、ということだけでも、自分にとっては間違いなく奇跡である。そのことは、他人にはあまり伝わらないことであるが、記しておきたい。もっとも、完成した音楽を聴けば、聴いてくれた人に、その「奇跡」はきっと伝わるはずだ。

 

スケートボードは、あまり出来なかった。
2012年の秋にスケートボードを始めて以来、マイペースで続けてきたけれど、今年は今まででいちばんスケートが出来なかった年だった。
全然やれていない。月に一度もやれていない。二ヶ月に一度やれているかどうかもあやしいくらいだった。
理由は、その”Nabeshima”の制作にかかりきりだった、という、それが一番の理由だ。
よって、技術的な進歩も、あまり無い。
けれども、クリスチャンの仲間たちと一緒にスケートをする、という機会に、何度か、恵まれたというか、恵まれそうだ。そのうちの一回が、今日これから、あるはずである。
これは、10月初頭に、千葉で行われたクリスチャンスケーターの集いに、”Nabeshima”の録音制作がちょうど大変なところに当たっていたため、行くことが出来ず、その埋め合わせの形で今日、参加できる見込みであり、それは嬉しいことだ。

 

また、毎月最低1曲は曲を書く、ということが達成できた。
これは別に、目標として設定していたことではないし、自分にとっては小さなことだ。
実を言うと、引越しの準備でてんやわんやだった1月には曲を書いていないのだけれど、引越し後、2月から5月くらいまで、環境が変わってインスピレーションが湧いたのか、気が付けば毎月いくつも曲が書けており、その後、習慣の意味合いで、毎月ひとつは最低、何か曲を書こう、ということを自分に義務づけた。それが、12月までちゃんと達成出来た、という意味だ。

自分は、2016年上半期に、”Nabeshima”の曲を全部書き終え、その後、自分の人生での音楽的なインスピレーションは、(Imari Tonesに関わるものは)、すべて使い果たしたように感じ、実際にその後、曲が書けない時期が続いた。かと言って、自分の人生にこれ以上、曲を書く必要があるのか、と言われれば、必要ないかもしれないが、精神的に、クリエイティブな魂を健康に保つために、書くことは良いことだからだ。
2017年以降、struggleしつつも、書いたり、書かなかったり、それでもなかなか納得できるものは書けなかったりしていたが、今年は、久しぶりに「ちゃんと書けた」手応えがある。
“Nabeshima”を作り上げたとして、その後の音楽活動はどうなるか不明だが、もし続けていくことが、作り続けることが出来たとして、その後、アルバムにして3枚ぶんの計画、そのための楽曲は、もう書けてしまった。それは、生きていく上では、自分にとっては、とても大切なことだ。だから、引越し、人生の展望、様々なことをきっかけとして、インスピレーションを得ることが出来、それらの楽曲を書けたことに感謝したい。

 

来年はどうなるだろう。
今は、僕にとって、考えているのは、”Nabeshima”のレコーディング制作、それに取り組み、最後まで完成させる、そのことだけだ。
来年の2月か3月に、それを完成させたとして、その後、どうするのか。
それはわからない。
様々な人に会うために、またこれからの未来に出会うために、旅に出ようとは思っている。
それは、これまでも、ずっといつも旅をしたいと思いつつ、様々な人たちに会いに行きたいと思いつつ、諸事情でなかなかそう出来なかった。
“Nabeshima”を完成させたら、今こそその機会だからである。

けれど、実際にはきっと、”Nabeshima”を完成させたら、僕はしばらく、放心状態に、虚脱状態に、なってしまうだろう。だから、ちょっとだけ休むつもりだ。休む、というのは、不思議な話だが、肉体的には働いているかもしれない。つまり人並みに働いて肉体労働とかする、っていうことは、僕にとっては癒しであったり、精神的には休んでいることだったりする。

 

だが来年はついに2020年だ。
その2020年という節目の年を、どのようにして迎えるのか、これまで想像していた。
「オリンピックまでには鍋島を完成させていたいな」というのは、ずっと考えていたことだ。
順調にいけばそれは達成できる。
けれども、東京でオリンピックが行われ(行われるのか? 行われるんだろうな)、
また世界の情勢をかんがみるに、日本も世界も、今年以上に大変な年になるだろう、という予感は、きっと皆もそうであるように、僕もひしひしと感じている。
だから、様々な大変なことがあるだろうと覚悟をしているし、また、様々なことがあったとして、政治や報道は、それらに目をつむり、何事も無いかのように振る舞うだろう、ということは、それこそ過去の10年間を振り返れば、誰にでも想像が出来ることだろう。
だから祈らずにはいられないし、祈らなくてはいけない。
どのような心で、どのような魂で、この2020年を迎え、そして生きていくのか。
その中に僕たちは、未来を見つけ出せるだろうか。

 

自分の人生は・・・
自分のしがない人生は、このような形で進めているから、色々な意味で、社会的にも人間的にも、大手を振って世間に自慢できるようなものではないかもしれない。
けれども、今年は、非常に幸せな一年だった。

引越しをしたことがきっかけで、ちょっとした環境の変化ではあるのだけれども、嫁さんとの夫婦の間が、精神的にとても充実し、様々な折に触れて、大きな幸せ感を感じることのできた一年だった。

それは、彼女と出会った頃のことや、若かったころの事、あるいは大変だった時期などを思い出すと、非常に、意味のあることであり、ある意味、色々なものがfull circleとなって実現し、成就し、充実したと言える出来事がいくつもあった。

 

うちのバンドの音楽、僕が作り出している音楽というのは、バンドのヒストリーを見てもらえばわかるが、彼女の存在がひとつのきっかけとなり、前提となっているものだ。その彼女が今年は正式にバンドのメンバーとなってしまったので、それはまたひとつ、大きな出来事ではあるのだが、その意味でも、今制作している”Nabeshima”は、僕たち二人にとって個人的な意味でも大切な作品なのである。

その作品を作るために、今年一年、非常に、とても、素晴らしく大きく、支えてくれた彼女(Marie)に、感謝し、お礼を言いたい。

そして、今年も、そして今までも、たぶんこれからも、かかわってくれた皆様、色々な場所でご一緒した皆様、ご助言いただいた皆様、見守っていただいた皆様、そして世界中から声援を送ってくれるファン/リスナーの皆様(いまだにこういう言い方をするのが照れくさい。だから商売ができない)、

そしてもちろん、すべての始まりであり終わりである、主イエス・キリストに、

感謝して、ありがとうございます、とお礼を言い、そしてハレルヤ、と言いたい。

ハレルヤ。
2019年12月28日
Takahiro “Tone” Nakamine

 

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