カウチの上の戦争

 

ウイルス流行の影響により世界中の皆さんが大変な思いをされている時かと思いますが、記録をしたためておきます。

ここ何年かの間、自分の人生をかけて取り組んできた作品である”Nabeshima”は、3月中にひととおりミックスが終わり、またそのミックスを聴いてひととおりの手直しをするという検証作業も行い、あとはマスタリングの工程を残すのみとなっています。

 

僕も日々の生活のための小銭を稼いだり、そういったことをする必要がやはりあるので、マスタリングの作業を行うのはたぶんもうちょっと先。
でも、ミックスの完成度は高いですし、マスタリングというのは、技術を持ったエンジニアに任せれば、アーティストの意向や創作の領域とは違ったところで、作り手と聴き手の橋渡しをするものであり、アーティストがその場に立ち会わなくても成り立つ作業と言えるので、
その意味では、たとえば僕が来週、流行りのウイルスでいきなり死んでしまったとしても、作品自体は完成する、と言えます。

これまでもほとんどの場合、マスタリングに関しても自前でやってしまっているけれども、そういう意味では今回はちゃんと専門家に任せてもいいのかもしれない。曲数多いけどね。

 

ミックスに関しても、まだ気に入らない音、手直ししたい音のひとつ、ふたつ、みっつくらいはありますが、そこは小さなことだし、
本質的にはもう、このImari Tones (伊万里音色)の究極の形である”Nabeshima”は、完成している、と言える。

ここまで来ることが出来て良かったと思っている。

 

で、自分の音楽人生の究極のゴールと言える作品を完成させる段階に来て、世界がこのように危機のまっただ中。ある意味、崩壊中とも言える。

どれだけの被害が出るのか、人類や世界がどれだけのダメージ、損害を被るのか、その大小の如何に関わらず、the world will never be the same、これが終わった時、世界はきっと変わってしまっているだろう。それは、誰の目にも自明のことだろうと思う。

社会もそうだし、経済もそうだし、政治もそうだろう。
文化もそうだし、そしてもちろん、音楽だってその例外では無い。

 

音楽シーン、音楽ビジネス、みたいなものも、きっとこれまでとは違ったものになるだろうし、たとえば皆がライヴ演奏を取りやめて、ストリーミング配信に乗り出すのを見ていても、それはもう予測がつく事ではないかと思う。

 

逆に言えば、この10年、15年、20年で、現代の「ロック」とか「音楽シーン」みたいなものが、どんどんと変わっていき、変容し、ある一定の臨界点というのか限界点に達し、その上での必然的なきっかけとなったと言うことが出来ると思う。

どちらにせよもう「音楽」そのものが、変わらざるを得なかった。

 

すべてが変わってしまった後でも、鳴らすべき音を君は持っているか。

すべてが変わってしまった後でも、鳴らすべき音を持っている音楽家でありたいし、そのつもりで歩いてきたつもりだ。

 

実際的なことを言えば、このウイルスのパンデミックの中に世界が突き落とされる前に、”Nabeshima”のレコーディングを終わらせることが出来て良かった、ということは言える。結果論だけれども。

僕はいつでも、制作や創作に関しては時間との戦いという意識があった。
そしてこの”Nabeshima”に関しては、2020年のオリンピックまでには何としても完成させなければいけない、という強迫観念があったけれども、その意味ではそれはmake senseしていたと言える。
なぜこれにたった一人で立ち向かわなくてはならなかったのか、その意味も次第にわかってきたように思う。

そこに関しては感謝をしたい。
もっともいつ死んでもいいように、という覚悟は昔から前提としてあった。

 

現在世界が直面している危機、それからウイルス、ってことについても、色々な事が言われているし、僕は決して「陰謀論」というやつは嫌いでは無いのだが、(だが、あれはあくまでエンターテイメントだと考えているので、現実の判断材料にはすべきではない)、

ビル・ゲイツでも、誰でもいいんだけれども、情報を持った人、見識のある人、学問のある専門家たちの間では、かなり以前から、世界が今後直面すべき危機があるとすればそれはウイルスであり、世界大戦や核戦争を恐れるよりも、ウイルスによる戦争、ウイルスによる危機に備えるべきだ、という話は、いつも語られていたように思う。

僕の周囲にもそういったことを言っていた人物がいた。

だからこそ僕は、その昔、エヴァンゲリオンというアニメを見た時に、敵キャラの当時としては斬新なデザインと、主人公が乗り込むのもロボットではなく生物兵器、という設定に、これはおそらく近未来における人類とウイルスの戦いを描いているのだろう、という解釈になるのは自然なことだった。世間でどのような評論をされているのか知らないが、同じことを思った人は多いのではないだろうか。

 

繰り返すが僕は決して「陰謀論」みたいなのは嫌いではない。
嫌いではないけれども、この際、このウイルスがどこから来たのか、とか、誰かが仕組んだのか、そうではないのか、といったことは、僕は小さなことではないかと思う。

物事には必ず何らかの理由があるのであり、この世にある生命には、必ず存在する理由、神によって与えられた使命みたいなものがある。
使命といってしまうと言葉が適切ではないけれども、役割があるのだと思う。
そして、それはウイルスとて例外ではないと思う。
(そういえばエヴァンゲリオンではその敵キャラを使徒、エンジェル、と呼んでいたではないか)

このように書くと、実際に世界中で多くの人々が亡くなり、そしてこれからもっと多くの人々が亡くなるかもしれず、また自分自身もやはり命を失う可能性があるので、適切ではないかもしれないが。

けれどもこういったウイルスの流行も、人間の環境破壊や過剰な開発がその背景にあるとされ、たとえばアマゾンの奥地とか、詳しくは知らないが、そういった場所から、これまで封じ込まれていた未知のウイルスが表に出て来る、という記事もどこかで読んだ。

 

今現在、こうして、皆が苦労を味わっており、困難な折だということは承知しているつもりだが、僕はなんだか、心のうちに妙な希望を抱いている。

社会は混乱しており、それは日本においても例外ではなく、まぁ、どうしてもこういう時に、フェイスブックやツイッター等のソーシャルメディアを覗いてしまうのは現代病であり、よくないことなのだが、人々は実に色々なことを言っている。

日本における、政府の対応、政治の状態、政府の施策、等に対して、様々な批判や、その批判に対する批判や、その批判に対する批判に対する批判とか、とにかく人々は色々なことを言っている。

実際に僕も、政府の対応、政治のリーダーシップの在り方について、これで良いとはちっとも思っていないし、不満も批判も多いにあるのだが、それは一端横に置いておきたい。

 

世の中、世界に絶望することは多々あるけれども、時折、ああ、これでいいのかもしれない、と思う瞬間というものもある。

 

世界が変わる瞬間というものがあるとすれば、それはわかりやすく横断幕を掲げてファンファーレと共に変わる事もあるのかもしれないが、
いつの間にか変わっていた、ということも、どうやら多々あるようだ。

 

これもあちこちで言われていることだと思うが、
ウイルスの影響によって世界中の人間の経済活動がスローダウンした結果、地球環境は改善しているらしい。

わかってはいても、現実にはドラスティックな対応が取れず、無理だろうと言われていた気候変動や環境問題に、あるいはこれで時間が与えられたり、希望の光が差すのかもしれない。

人類のライフスタイルはこれで本当に変わるのかもしれない。
変わらざるを得ない状況に、否応無く、なった。

グレタちゃんが怖い顔をして演説しても、人類は皆、本気に受け取らず、嘲笑する者も多かったのに、このウイルスの影響によって、図らずも彼女が望んでいたように、世界中の人々が生活を変えてしまった。

この一連の流れに、僕は必然性が無いとは思わない。

 

僕はこの「事件」をきっかけに、おそらく損害は甚大なものになるだろうけれども、これを生き延びた人々には、どうか世界を良い方向へと変えていって欲しいのだ。

そのための大きな契機として、十分過ぎると思う。

ウイルスという共通の困難を前にして、世界人類が、国も人種も関係なく、協調して助け合うこと。

今までとは違った価値観で、これまでよりも良い世界を築き上げること。

 

政治ということに関しては僕は小さなことであると思う。

日本の状況については、他の国と比較して不十分であるとか、いや他の国に比べればきちんとしているであるとか、それは両方当たっていることだと思う。

けれども、たとえば政治という意味で、「自由」ということについて言えば、
自由の国、といえばアメリカのことを指すことが多かったかと思うが、日本はそれとは対照的に保守的で不自由な村社会である、というのが昔から言われていたことであったが、

時代が進み、国際化して久しい現代においては、それもある意味では逆転しているというか、物事をどっちから見るかの問題であって、
今僕は、ひょっとすると現代の日本人は、自由というものをもっとも熱心に追求しようとする世界でも先端にいる人々ではないか、と思うことがある。
もちろん現状は非常に保守的で、古い体質や体制が残っているが、だからこそ、という意味合いにおいて。

自由というものは非常に大切なものであるが、それを追求する立場や環境に、皆が恵まれているわけではない。だから、それをやれる者が、やれる時に、やはり戦わなくてはいけない。
日本には、今、その機運が熟そうとしているのかもしれない。

 

誰が政権を握っているか、というのは小さな問題であると思う。

たとえば僕も「れいわ新選組」は応援しているが、かといって山本太郎氏が総理大臣になるのを待ってはいられない。
総理大臣の地位にいるのが誰であるにせよ、これはあくまでひとつの例であるけれども(良し悪しは知らん)、山本太郎がやるだろう、という事を、その時の首相がやってくれればいいのである。
そして、そうなるように民意で動かせばいい。
そして、民主主義とはそういうものだ。

たぶん民主主義の本質というのはそこであって、誰が権力の座に座っていてもあまり関係がない。

わかりやすい例なので挙げさせてもらったし、山本太郎氏を支持するかどうかは、僕も感情的に微妙なところがあるが、

けれども、わざわざ山本太郎が政権を取るのを待たずとも、そもそも山本太郎が総理大臣になる必要が無いという社会状況を、人々のパワーで作り出さなくてはいけない。

そうなればいいなと思っている。
グレタちゃんがわざわざ怖い顔で演説をしなくても、そもそもグレタちゃんが何も言う必要のない世界を作ってしまえばいい。

山本太郎氏が街頭で必死の演説をしなくても、そもそも山本太郎が出て来る必要が無いくらいの政治状況を、皆の力で作ってしまえばいい。

もちろん、実際の政治状況や、世界の情勢は厳しいと思う。

でも僕は、そうなっている、そうなっていくだろう、と感じている。

民主主義の究極は政治そのものの陳腐化であると僕は考えてきたが、その機運は今まさに熟そうとしているのではないか。

支配しているのが何者であれ、その原理から逃れることは出来ないと僕は考えている。

 

経済も同様に変わっていくだろう。

お金、貨幣、というものについての考え方も変わっていくはずだ。
これをきっかけに、そうせざるを得ない状況が現出するかもしれない。
そうなるのでないかと感じている。

お金という概念が無くなるとは思えないが、とは言え、お金は概念に過ぎない、ということを、きっと多くの人々は自覚するはずだ。

お金という概念に人生を縛られることや、同様に経済という概念に、人類の未来の指標が妨げられてはいけない。
たとえば、経済的に「数字の辻褄が合わなく」なったからといって、それを理由に命を失うことがあってはいけない。
お金という数字の辻褄を合わせることと、罪や救済といった魂の辻褄を合わせることと、どちらがより困難で、重大なことだと思うのか。魂の辻褄を合わせるために、いったいどれだけのものが必要だと思うのか。

でも、おそらく人間はそこからも次第に自由になっていくことが出来るはずだ。
最初の一歩は、やっぱり意識が変わることだろう。
で、それはもう、きっと皆、変わっていると思うんだ。

 

そういえば、フェイスブックのどこかで、誰かがマイケル・モンローのポストをシェアしていて、
そこには、ゴージャスでグラマラスな格好でソファに座ってくつろぐ彼の写真とともに、まぁこれもどこかからの引用なのかもしれないが、
「君の親や、祖父、祖母たちの世代は、二度の世界大戦を戦った。それと比べれば、君がしなければならないことは、家のカウチで座っていることだけだ。大丈夫、君には出来る」
といった趣旨の投稿で、実に的を得た言葉だと思った。

それはつまり、カウチに座って家で大人しくしていること、という意味だけではなく、それと同時に、これは戦争だ、という意味において。

多くの人は、これが現代における、僕らの世代に課された戦争だということに既に気付いているに違いないと思う。

実際のところ、世界はもう何年も前から、戦争の状態にあったと思う。

時代とともに様々なものが変わっていったように、これも周知のこととは思うが、現代においては戦争の形も昔とは違う。

それは概念の戦争であり、情報の戦争であり、そんでもってやっぱり、霊の上での戦争だ。

その戦いは、日々、そこで行われている。
どこ、って聞くな(笑)
そこだよ、そこ。
イエス・キリストに神の国はどこにあるのかって聞いてみなよ。

その戦いが、霊の上で行われているものだからこそ、
たとえば僕らの祖父、祖母の世代が、銃や爆弾や戦車や飛行機で戦争を戦っていたとしても、
やっぱり部屋のカウチで過ごすだけのこの「戦い」は、祖父、祖母の時代にそうであったように、あるいはそれ以上に、困難で過酷なものなんだと思う。

自由という概念を、全うする、って、どれだけ困難なことだと思うかい?
創作とか、芸術に、携わる人なら、きっと知っているだろう。

でも大丈夫、君には出来る。
僕らにはやれる。

やれるからこそ、僕らはこの時代に、役割を持って生まれてきた。
そうだろう。

 

世界中の人々が、肉体は今、とても不自由な環境に置かれているけれど、魂はなんだか自由だ、そう感じないか??

国境は閉ざされ、世界中の人々が離ればなれになり隔離されているけれど、心はなんだか、皆と一緒にひとつになっているように、そんなふうに感じないか??

 

じゃあ、世界は戦争状態だから、そういう内容のアルバムでも作ろうか、って、笑。
いや、それはもう、すでに作ったんだよ。
“Jesus Wind”っていうアルバムを。
録音したのは2016年だけど。

僕が”Jesus Wind”の楽曲を書いたのは、2014年の1月。
その時、僕はそういうことを感じていた。

ずっと前から「作りたい」と言っていた、日本の歴史をテーマにした、キリスト教の視点からのヘヴィメタルのコンセプトアルバム。
そんなの作れっこない、って思っていた。
でも、それが未来に対する預言として、であれば、やる意義があるんじゃないかと思ったんだ。
当時から言っていたけれど、あれは僕は、ヘヴィメタルの預言書、という意味合いで、作ったんだぜ。

一応書いておくけど、預言は当たらないよ、笑。
預言が当たったら、預言者にとっては負けなんだよ、よく言われることだと思うけど。
でも聴ける人は、ちゃんと「霊」で聴いてみて。

 

今度作った”Nabeshima”は、その先にあるもの。
そこにどんな意味があるのか、僕もまだちっともわかっちゃいない。
でも踏み出そうと思う。
命があるうちは。

世界を獲れる予定なんだけどな〜、笑。
それまで生きていられるかどうか、笑。

 

あまりにもたくさんのことがあるから、とても書き切れないけれど、
記録としてはこれくらいで十分だろうと思う。

僕たちはとても大事な時代を生きている。
今、この星に生きる僕らは、日々、ひとつひとつが、とても大事な意味を持っているんだ。
だから、困難な状況だけど、希望は必ずあるよ。
がんばろう。

 

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