個人的な感情は、ソーシャルメディア上よりも、むしろ自己責任で書き綴っているこの日本語ブログの方が書きやすい。
#theshowmustbepaused #blackouttuesday #blacklivesmatter
ということで、
インスタのタイムラインが真っ黒。
さすがにうちはこれは乗り遅れちゃった。
このタイミングで皆と同じことをするのは自分は美意識として出来ない。
先日、すでに明確に意思表示のポストはしてあるから。
でも、やっぱり思い立ち、ちょっと人とは違うふうにしたいという気取りから、以下のようなポストになってしまった。
ちょっとあざとい写真だっただろうか。でも、そこに神に、キリストに居てほしかった。それは伝わったらいいな。
僕が大好きなアーティストたちも、皆、同じように黒い画像を投稿したり、あるいはスケーターたちもそれぞれのやり方でメッセージを発信している。
大変な状況の中で、皆がいろんな意見を言い、
様々な側面があり、皆が様々なメッセージを発しているけれど、
それでも皆が望んでいることは同じはずだ。
そんな中で、某大御所のクリスチャン系のアーティストがそれとはまったく逆のメッセージを発していることにも気が付いてしまう。(unfollowしようかな。苦笑。)
僕らはかつて彼らをサポートする立場にあり、けれど2016年の夏をもって、彼らを応援する立場から退いたのだけれども、たとえ現実の上でそれが不利益やさらなる悩みにつながったとしても、僕ら(僕と嫁さん)はそのことを決して後悔はしていない。
もちろん物事には良い面も悪い面も両方あり、片方だけから語ることはできない。様々な意見の人が必要だ。
周囲の風潮とは逆でもメッセージを発していることにはむしろ根性を感じてリスペクトをする。
でもそれは本当に真心と言えるものだろうか。
でも僕らが2011年あたりから、XTJを続けていた2016年くらいに至るまで、
かの国のクリスチャンの人たちとやりとりをしてイベントなどやっていく中で、日本人としてどんなふうに考え、何を望み、何に希望を見出し、何に絶望を感じていたか、近くで見ていた友人の人たちにはわかってほしいとは思うけれど、それでもわからなかったとしても、それらはすべて音楽に込めたつもりだ。
それだけが大切だったから。
そして神さんはそれでも見ていてくれると信じていた。
信仰があるからやれる、っていうことは、もちろんたくさんあったけれど、
信じているからこそやれない、っていうことも、同じくらいたくさんあったように思う。
神を信じると決めて、そこには喜びがたくさんあったけれど、
信じれば信じるほど、人の中に幻滅や絶望も感じるようになっていった。
それでも歩き続けてきたことだけが、僕にとっての信仰の証だ。
人間を信じる、ということを、それでも僕はやめなかったつもりだ。
もちろん神を信じることも。
そんなふうに思っている僕だって、やはり一人の罪人だ。
神様の「許し」ってやつが、皆の上にありますよう。
May God’s mercy be on everyone.