若い世代のアーティストに嫉妬してみる

見ればだいたいわかると思うんだけど、自分はあまりうまくやっている方ではない(笑)

基本的に、人間として、世の中とうまくやっていない(笑)

なので、うまくやっている人を見ると、大抵、羨ましいなあ、と思い、その反面、自分自身に対して劣等感を抱く。

 

で、それがどんな立場の、どんな職業の人であれ、
世の中の大抵の人は、僕よりもちゃんとしており、僕よりもちゃんとやっているので、
僕は現実には、出会うほとんどすべての人に対して、羨ましいなと思い、劣等感を抱くことになる。

 

ミュージシャン、アーティスト、表現者、などのカテゴリの人においては、
自分よりもうまくやっている人を見ると、羨ましいと思うと同時に、嫉妬することになる。
で、実際には、出会ったり見かけたりするほとんどミュージシャンは、大抵は僕よりうまくやっているので、僕は出会うミュージシャンの9割くらいには、劣等感と嫉妬を抱くことになる。

(ちなみに残りの9パーセントは、普通に仲良くなっちゃう場合であり、最後の1パーセントは、本当に惚れ込んでうおーっと興奮してファンになっちゃう場合である。)

けれども、そうやって、会う人、会う人、自分よりも優れている、自分よりもうまくやっている、と思っていると、劣等感を抱いたり、嫉妬を覚えることにも、疲れてくる。
なので、現実には、だんだんどうでもよくなって、いちいち気にしなくなるのである。

 

 

けれども、これは僕の持論であるが、嫉妬という感情は、必ずしも悪いことではない。

人に嫉妬する時、それは、その相手が、自分に無いものを持っている、ということだ。
それは、自分に足りないものであるから、その相手から学ぶ良い機会だ、ということだ。
そして、実際に嫉妬という感情を持っている時、その相手の優れている部分が、よく見えるのである。

それはつまり、愛情の裏返しみたいなものであり、尊敬の裏返しみたいなものであり、また向上心のもとでもあると思う。

 

しかし、そうはいっても、僕の場合、人としても、ミュージシャンとしても、足りないものばかりであるから、いちいち全部、学ぶというわけにもいかず、「まあいっか、俺は俺だ」とどこかで線を引かなくてはならない。

生身の体で人として生きている以上、人間としてやっぱり限界はあるからだ。

 

そういったことがあるので、
僕はある時期から、というよりは最初から、
意識的に、自分の中で、ライバルとして意識する人は「あの人」だけだ、
と決めていた。
それが誰なのかは、ここでは言うまい。

でもそれは、ずっと昔から、そう決めている人である。
(それはクリスチャンになる前からのことなので、キリスト教界隈の人ではない)

 

 

そんなわけで、様々なミュージシャン、アーティストの皆様に対しては、尊敬こそすれ、いちいち嫉妬はしない、というふうに決めていた私であったが、

しかし、最近、Wolfgang Van Halen、a.k.a. Mammoth WVH、彼の演奏を聴くに付け、「うん、この人には堂々と嫉妬してもいいかもな」と思うようになった。

そして、いろいろ、若い世代の新しい音楽を聴いてみると、「よし、この人には積極的に嫉妬しよう」と思えるようなアーティストを、何人か見つけることが出来た。

 

 

ちなみに、基本的には、僕は、自分よりも若い世代に対しては、期待こそすれ、嫉妬ということは思っていなかったし、今も思っていない。

それは、僕は自分の生まれたタイミングが、(ロックで成功しようと思えば、それは遅過ぎたのだろうが)、ロックの王道の上でオリジナルなものを生み出す上では、かなり絶妙なタイミングと場所だったと考えており、
つまり、これがあと、1、2年遅かったり、早かったりしても、ちょっと都会だったりしても、もうそれだけで、今、これまで、僕が見つけて鳴らしてきた音は、鳴らせなかっただろうと思うからだ。

自分が音楽を聴き始めた青春時代や思春期は、グランジ、オルタナ、ヒップホップがすでに世界を席巻していた時代だったが、それでも僕は、地方に育ち、「お兄さん、お姉さんたちの世代の憧れの音楽」として、80年代や90年代初期のHR/HMを好きになった。

かといって、オルタナ、ヒップホップを嫌いなわけではなく、そしてブリットポップの波はまともにかぶった。

そしてその後のインディやポストロックの流れは・・・

みたいにして、いちいち、いろんなことが絶妙なタイミングであり、絶妙な世代であったと感じている。

 

だからこそ、上の世代にも、下の世代にも、特段に劣等感みたいなものはない。

そして、人間というものは、だんだんと進化し、進歩していくものであるから、自分よりも若い世代の人たちに対しては、基本的には「自分たちの世代よりも進歩した人たち」として、敬意を持って接したいと思っている。

しかし、今回は、それを差し置いて、「うらやましいな」と思い、なるべく頑張って嫉妬してみた次第である。

 

 

 

まずは代表的な存在として、Yvette Youngを挙げることが出来る。
名前が読みづらいが、日本のメディアの公式なカタカナ表記だと、イヴェット・ヤングとなるようだ。僕の感覚だと「ヴェットヤン」という方が近い。

なんというか、奇しくも彼女は、Wolfie君と同じ年の生まれである。

しかし、立場というものが違うから、YvetteとWolfie君を比較して、どちらがどう、とか言うことは出来ない。

 

僕は、もちろん、インターネットやソーシャルメディア上で、彼女を見かけることは何度もあった。
けれども、特段に興味を引かれなかった。

それは、ソーシャルメディア上で人目を引くパフォーマンスをしているプレイヤー全般に、あまり興味を引かれなかったからであるが、特段にその楽曲から、感じるものが無かったからだ。

けれども、昨年(2020年)、彼女がCovetでリリースしたアルバムは、なんだか、かなりツボなのである。Technicolorっていうタイトルのやつ。

 

それは何故かと考えると、バンドっぽいからではないかというのが理由ではないかと思う。

彼女は(よく知らんが)、基本的にソロでインターネットから出て来た人だと思うが(とっくにそういう世代になっている)、近年はCovetというバンドをやって、

そのバンドでツアーとかして、作り出す音の感覚が、かなりバンドっぽくなったのだと思う。

 

そんでもって、彼女の以前の作品は知らんが、このTechnicolorのアルバムは、なんというか、ちょっと前の「良い時代のインディバンド」の匂いがする。

それは決して、新しい音、という感じではなくて、むしろ2000年代前半とか、せいぜい2010年くらいまでの、インディシーンがまだ良い時代だった頃、「インディロック」というものが、メインストリーム化してしまう前の時代。
そんな時代のバンドの音に、近い匂いがするからではないかと思う。

だから、僕くらいの世代とかは、あるいはたぶんアラサーくらいまでは、「懐かしい」と感じるのではないかと思う。

普通に考えて、こんな感じで、ちゃんとギターを鳴らして、ちゃんとバンドの音がする音楽っていうのは、今ではもう主流ではないだろうから。

 

そして、バンドでツアーを重ねた経験から来ているんだろうけれども、その、アメリカの良い時代のインディシーンの匂いっていうのかね、
わかりやすく言えば、オースティンの街で、夜中の0:30くらいにライヴやって、皆で騒いで、っていう、そういう感じが、すごく思い起こされる。
そんな音なので、僕はなんとなく、感傷的になって、聞き入ってしまった。

 

 

冷静に考えれば、この手のインストのポストロック系のバンドは、何十年も前から居た。掃いて捨てるほどいたと思う。(フュージョンやプログレも含めればもっと前から居ただろう)
けれども、ひとつユニークな点を言うのであれば、やっぱりYvetteのギターに対する取り組み方だと思う。取り組み方っていうか、鳴らし方。
ここはやはり、彼女がユニークなプレイヤーであることを認めざるを得ない。

 

こういうことを書くと、sexistというか、差別的だと言って批判されるかもしれないが、
僕はYvette Youngのギタープレイに、非常に女性的なものを感じる。
そして、音の鳴らし方だけでなく、ソングライティングの面でも、非常に女性的な要素を感じる。

 

たとえば、これまでにも、女性のギタープレイヤーは、ロックの歴史の中にもたくさん居たと思う。
でも基本的には、それらの女性たちは、男性社会であり、男性の価値観、男性のやり方にもとづいたルールや枠組みの中に入り、その中でやってきたのではないかと思う。

でも、Yvetteのギターの音の鳴らし方っていうのは、そういった枠組みにとらわれていない感じがする。なんというか、ギターという楽器への向き合い方が、最初から女性的だ。

だから、発想にしても、手法にしても、なぜその音を鳴らすのか、という理由にしても、すごく女性的で、男性のギタリストには無いものが感じられる。

そういった意味では、これほど「女性」を感じるギタープレイヤーというものは、僕は初めて見た。
たぶんこれは僕が不勉強なせいかもしれない。
そして、そういった、根源的に女性的なギタープレイヤーは、これからきっともっと増えていくのだろうと思う。

 

もうひとつは、この”Technicolor”においては、彼女はいくつかの曲でヴォーカルを取っている。
つまり、恥ずかしながら、僕はインストというのは、ロックバンドとして、やはりどこか逃げているような印象を持ってしまうことがある。
それは、ポストロックだから、ロックじゃないんだ、と言ってしまえばそれまでだが。

けれど、このアルバムでは、いくつかの曲でYvetteはヴォーカルを歌っており、また、楽曲の枠組みも比較的にconventional(一般的)な部分があるので、それが僕には良かったのかもしれない。

この手のロックは、今ではmath rockという呼ばれ方をしていると思うけれども、
でも基本的には、2000年代とかにはいっぱいいたはずの、この手のインディロックも、今では絶滅危惧種だろう。

あるいはこのYvette Youngは、そうした「良い時代のインディロック」、そして「創造的なギターロック」にとっての、最終兵器なのかもしれない。

で、たぶんそれは、女性にしか出来ないことだったのだろうと思う。

 

で、嫉妬ポイントだ。

嫉妬するポイントはここだ(笑)

まず、その、そのまんまだが、女性であることだ。

女性にしか出来ないこと、社会的にもそうだし、ギタープレイヤーとしても、女性にしか鳴らせない音、ギターへの向き合い方。

そして、ここが実は最大の嫉妬ポイントなんだけど、世界に対して、ちゃんとコミュニケーションが取れるところ。(苦笑)
これは、利発な、若い、アメリカ人の、アジア系の、女性、ということで、
ちょっとしゃべったりするにもうまくコミュニケーションというものが出来ない僕としては、最大の「うらやましい」ポイントなのであった。

 

あとは、マルチプレイヤーぶり。
ピアノも弾ければ、バイオリンも弾ける。
そもそもクラシック畑の出身。
もちろん絵も描ける。
最初からアートを志している。
(その意味ではロックを志していない)

ああ、僕も、良い世代の、良い場所の、良い環境に生まれて、こんなふうに素直にアートを志して、いろいろな才能を伸ばしてみたかったなあ、と、そんなふうに思わせる。

そんなふうに思うのは、きっと僕だけではないだろう。

 

 

しかし、正味な話、エレクトリックギターというものの鳴らし方を考えさせる。
彼女は確かに、タッピングやフィンガーピッキング等の分野において、現代的な最先端のテクニックを持ち合わせているかもしれない。

しかし、特にFender系の楽器を考えた場合、レオ・フェンダーや、Fender社の皆さんが、「エレクトリックギター」という楽器を最初に作った時に、思い描いていた音、思い描いていた使われ方って、まさにこういう感じだったんじゃないのかなあ、って、Yvetteの演奏を聴いていると、そんなふうに感じる。

(ここで、60年代のサーフロックのテクニカルなインストと、現代のマスロックの共通点を見つけてみるのも面白いが、それは誰かに任せよう)

 

特に、メタル系とか、ハードロックを通ってきてる、僕もそうだけど、男のギタリストはみんな、そういう、競うような、マッチョで、ファストで、ハードな演奏をしがちだけど、エレクトリックギターの本当の鳴らし方って、(それらのロックギタリストよりも)、彼女の方が本来正しいスタイルなのじゃないかな、って、そんなふうに思う。

とりとめもないおしゃべりを聴かされているような、そんな曲の構成。
変化する感情を訴えかけているようなサウンドとメロディ。
そして、化粧して着飾るような感覚で使い分けるエフェクトの多彩な音色。

どれも、女性のギタリストにしか出来ない表現のように、僕は感じている。

 

 

ああ、そうだ、僕は、昨年、急遽(無理矢理)リリースしたアコースティックEPにおいて、その2枚の先行シングルのジャケットを、自分で絵を描いたんだけど、あれって、Yvetteに影響されて、自分も描いてみよう、って思ったのが理由だった、って言ったら、笑われるかな。

 

ああそうさ、僕が彼女に嫉妬するのは、自分の中途半端で不確かなジェンダー面も含めて、彼女に近いもの(感情、姿勢、ゴール)を、自分の中にも持っているからだ。

んでも、また次の作品も聴いてみて、彼女がこれから、どんな音を鳴らし、どんな作品を作っていくのか、注目していたいね。

 

 

 

次に挙げたいのは、やっぱりウルフィー君だろう。
Wolfgang Van Halen、”Mammoth WVH”として、間もなくアルバムが発売される彼のことだ。

僕は15歳頃からVan Halenの大ファンだし、僕のAll Time Favoriteは永遠にVan Halenで変わらないし、いちばん尊敬するギタリストがEddie Van Halenであることもきっと永遠に変わらない。

なので、僕はファンであるので、いつもVan Halenの話をしたり、書いたりしているし、
Wolfie君についても、昨年に”Distance”が発表された時にこのブログに書いたと思う。

なので、彼のなにが凄いのか、どこが凄いのか、ということは、今回はあまり書かないでおこう。

 

しかし、僕が彼に感じる嫉妬ポイントはここだ。

エディ・ヴァン・ヘイレンという偉大な人物に、これほどまでにも愛された人だ、という事実。

恵まれた環境、両親から受け継いだ才能、はもちろんのこと、むしろ純粋な能力値のステータスから見れば、父親であるエディよりも、このウルフィー君の方が「完成形」ではないかと思えること。

圧倒的なマルチプレイヤーぶり、特にドラム。ものすごいパワフル。

アメリカ人ならではの恵まれた体躯。(マンモスって名前を選んだのは、そういう意味でもシャレなのか)(同時に、その体形を一切恥じることのない素直さと、今の時代っぽさ)

それらの才能を持ちつつも、育ちの良さゆえか、ピュアでナイーヴな精神が感じられるところ。ものすごく、まっすぐな発言をして、ものすごく、まっすぐな歌詞で、ものすごく、まっすぐなサウンドを鳴らすところ。

 

そして、彼の場合は、やはり父親から受け継いだ「立場」というものがある。
それは、少なからず「背負った重荷」であり、宿命であるに違いない。

だから、彼は、Yvetteのように、「じゃあ最新のmath rockをやろう」とか「Djentをやろう」っていうふうにはならない。明らかにそれらの音楽が好きそうなのに。

彼はあくまでVan Halenであり、ある意味クラシックな王道のロックを、やはり鳴らさなければならない宿命なのだ。
そこのところは、彼は最初から、考えるよりも先に、血の部分でわかっているはずだ。

 

だからこそってわけじゃないが、
実際に彼が鳴らした音は、ある意味90年代的な、
そして2000年代初期っぽい音だった。

これまで公開されている数曲について、もちろん絶賛もされているが、「なんだかFoo Fightersみたい」とか「よくある昔のメインストリームロック」みたいにも言われている。

けれども、彼にとっては、やはりどうしても、そのクラシックなメインストリーム路線こそが、唯一可能な選択だったのだろう、ということは、なんとなくわかる。

 

そしてたぶん、それで正解だろう。
いかに、「Genericなラジオ向けの月並みなロック」とか言われたとしても、やっぱりそれでも、彼は最大の成功を収めるはずだ。

それは、やっぱり、素材が違うからであり、魂が違うからだ。

そんでもって、彼はきっと、やっぱりロックに時代は関係ない、ってことを、きっと証明するだろう。

 

でも、やっぱり、普通にうらやましいと思うのは、
やはり選ばれた人、選ばれた立場。
多くのミュージシャンが、生涯達成することのないであろう数字、
たとえば、今で言えばYouTubeのミリオンプレイとか、軽く達成して、
そして、この夏にはGuns’n’Rosesのオープニングアクトとして全米を回るわけだ。

それは、たぶん、普通に考えて、たくさんのロックミュージシャンが、うらやましがり、また嫉妬するだろう。

彼が、その素直で謙虚なキャラクターにも関わらず、インターネット上で、ヘイトに晒されている、というのも、なんだかそう思うと、わからなくもない。

 

しかし彼の場合は、有名人の息子、世界最大のロックスターの一人息子、という立場で、得をしたことよりも、たぶん苦労したこととか、背負ったものの方が、大きいように思うので、その意味では天は(神様は)決して不公平ってわけじゃないと、そんなふうに思う。

 

そうはいっても、厳しい世界であるし、またロックというものはすでに流行らない時代であるから、たとえば何年か後には、ウルフィー君が音楽から離れて、母親の方の才能を生かして俳優業をやっている、なんていう未来もあるかもしれない。
あるいはEVHブランドでの楽器販売を通じて、メタル界のJoe Bonamassaみたいな、ギターコミュニティの中でのご意見番みたいになるかもしれない。

 

でもどちらにしても、大きな共感と、ほんのちょっとの嫉妬を持って、彼のことを見守り、彼の鳴らす音を、楽しみにしていたい。

 

 

 

次に挙げるのは、Dante Frisielloというギタリストだ。

先に挙げた二人に比べると、たぶん無名の人ではないかと思われる。
確か、ネット見てる時に、広告が出てきて、うっかり聴いたら割と良かったんだよね。

いや、別に特段どうということのない、Pliniみたいな今風のギターインストなんだけれど。
なんか、テイストがわりと好みで。

 

彼は、なんでも、ワシントンDCで弁護士をやっているらしく。
それで、働きながらも、これまで、そんな感じのプログレっぽいギターインストのアルバムを何枚か作ってきたらしい。
YouTubeに上がってるそれらの過去の作品を聴いたら、はっきりいってぱっとしなかったんだけど、

ひょっとしてCOVID-19の影響で、時間が有り余っていたのだろうか、
Fly In Formationというバンド/プロジェクトを結成して、それで間もなくアルバムを発表するようだ。
それが、なんか、良い感じに力作になっているみたいなのだ。

で、彼の経歴とか、インスタグラムとか見たら、「ああ、うらやましいなあ」ってなったんだよね(笑)

 

イケメンじゃん。
器用で頭がよくて、どんなプレイでも出来るじゃん。
理論とかにも精通してて、ギターの先生もやってるみたいじゃん。
弁護士やってるじゃん。
当然、いい楽器持ってるじゃん。
かといって、Hey Buddyみたいな、Guysみたいなノリで、友達も多そうじゃん。
これだけでも、なんか、どんだけハイスペックなリア充のなんというのか、人生勝ち組イージーモードかよ、みたいな感じするじゃん(笑)

 

で、彼のインスタを見ると、キラキラ感というのか、いけてる感というのか、人生うまくやってる感がすごく漂っていて、とても嫉妬する(笑)
まあ、インスタなんてそんなものだけれど。

弁護士やってるってことは、やっぱりちゃんと、世間とコミュニケーションが取れる人なわけですよ。あたりまえだよね。
僕はそれが出来ない人間だから、そこに嫉妬するわけだけど、普通の人から見たら当たり前のことだよね(笑)

 

その、弁護士やってる、っていうのがね。
実際に、ググった時に、LinkedInとか、弁護士事務所のページが出て来たからね。髪が短い時の真面目な写真が載っていて。

 

知ってのとおり(知らんか)、僕は10代の頃の夢は、法律家になることだった。
弁護士っていうよりは、地味に検事が憧れだったんだけど。
Marieに出会ってしまったことがきっかけで、すべての人生計画が狂い、精神的にもずいぶんやられて、結局音楽しか残らなかった、みたいなところがある。

だから、法律家として社会で働きながら音楽をやっている彼のことが、なんかすごく羨ましい。
時代が違えば、あるいは場所や環境が違えば、そういうことも可能だったのかな、なんて思わなくもない。

これも家庭環境とか、周囲の環境、社会の環境ってこともある。

そういう意味で、より個人的な思い入れを持って、うらやましさを感じるのです。

 

 

あとはね、これは上に挙げた誰にも共通することなんだけど、家庭環境ってことがね(笑)
恵まれた家庭環境みたいなの、すごく羨ましい。
別に自分の育った家庭環境が、恵まれていなかったわけではないんだけれど、やっぱりそれでも、羨ましい面がある。これは個人的なことだから書かないけれど。

 

でも基本的に、インターネット時代、僕らが若い頃よりももっと自由で、コミュニケーションも多様な時代に、場所も時間も制約なく、楽しく交流しながら音楽を作っている若い世代に対して、嫉妬しているのかもしれないね。

僕なんかは、やっぱり、世間から距離が遠く、いつも一人で、そしてその孤独の中で、自分の音を見つけてきたところがあるからね。
それは、確かに自分だけにしか見つけられない音ではあったけれど、それでもやっぱり、とても不器用なものだったからね。

自由なコミュニケーションが可能な世代、そういう人たちに対しては、ずっと羨ましいなという感情があるよ。
そこが結局、結論という名のボトムラインかな(笑)

 

どちらにしても、このDante君のやってるFly In Information、あるいは世間から見ればただのPliniあたりのフォロワーなのかもしれないけれど、
なんとなく好みだし、気になるから、応援しようと思ってます。
果たして人気が出るかどうか。
がんばれー。

 

 

 

もうひとつ挙げておこうかな。
これはたぶん、人気のある話題のバンドなんだと思うけれど、Black Midiっていうイギリスの若いバンド。

最近、ネットを見てて知った。

で、嫉妬ポイントはこれだ。

才能を持った若者たちが、国が支援する音楽学校という、恵まれた教育の場を介して、最大限に可能性を追及した音を見つけ、鳴らしているところ。

 

イギリスってあれなんだよね、ずっと昔にSXSWに行った時にも、資料もらって、そこにも書いてあった。
あの国は、音楽、ロックミュージックが、有力な輸出産業だから。
バンドに国とか自治体とか、公共の支援金が出たりするんだよね。知らんけど。
僕がその時、読んだ資料にはそんなようなことが書いてあった。

で、このBlack Midiの彼らが通っていたBRIT Schoolっていうのも、そういう国策として、ミュージシャンとかアーティストを育てるための学校らしい。
なんかもう、そもそもな環境の違いを感じるよね(苦笑)
(うわあ、今Wikipedia見たら、Imogen Heapもここの卒業生じゃない!!)(Amy Winehouseもそうだ)

 

僕は、先述のとおり、10代の頃は法律家になるのが夢だった。
ミュージシャンになろうとはちっとも思っていなかった。
そのため、このような音楽学校には行っていない。
(皮肉なことに、というか、僕の妹は、ちゃんと高校の音楽課程を出て、音大を卒業している。役割交代したらいいのに、って思う、笑)

しかし、今この歳になると、というか、歳をとってからでもいいから、
あらためて、そのような、才能のある人たちが集う音楽学校や、芸術大学みたいな場所に通い、ちゃんと勉強してみたい、という願いがある。

そういった場所で、刺激を受けながら、研鑽し、年齢に関係なく、新しい、より良い音を鳴らす可能性を見つけたい、という思いがある。
長生きできればあるいは叶うかもしれない(笑)

 

だから、こういう、若い人たちが頑張って鳴らしている音には、やっぱり刺激を受ける。

 

 

でも、冷静に分析してみると、
なんかインタビューを読んだには、彼らは、ストラヴィンスキーの影響を受けているらしい。

ネットでさっくり聴いた限りでは、2019年に出ているファーストアルバムは、それほど、別に、という印象だった。
けれど、今年に出た2ndアルバムは、すごくジャズっぽくなっている。

しかし、冷静に分析すると、僕はジャズに対しても、ストラヴィンスキーに対しても、わりと冷めた目で見ている方だ(笑)

だから、このBlack Midiの彼らが鳴らしている音に対しても、ああ、凄いな、がんばってるな、とは思うけれども、やっぱりちょっと、冷めた目で見てしまう。

それは、今の時代の音楽、それをめぐる社会状況ってことを感じるからかな。

素晴らしいとは思うんだけどね。

 

 

僕は、ドビュッシーは大ファンだし、ラヴェルもかなり好きだけれど、ストラヴィンスキーは、それほどファンってわけじゃなくてね。もちろん、とんでもなくすごい音楽家だと思うけれど。

クラシック音楽っておかしなもので、モーツァルトやベートーヴェンを聴いても、「古いな」とは感じない。
それは、まったく時代が違うものだし、古典だから、そういうものだ、と思うんだよね。単純に、違う時代のものだ、と感じる。

けれども、ストラヴィンスキーは、なまじ現代と地続きになっているだけに、かえって「古い」と感じることが多い。
それはつまり、それだけストラヴィンスキーの音楽が、現代、というか20世紀の音楽に影響を与えていて、僕らはテレビとかいろんな媒体を通じて、ストラヴィンスキーっぽい音楽をたくさん聴かされてきたからだよね。

たとえば、たぶん僕も幼い頃に、いくつも聴かされていたんじゃないかと思うんだ、そういうレコードを。(まだレコードの時代ですね)

 

だから、ストラヴィンスキーの音楽を聴くと、なんか古い、昭和っぽい、みたいな印象を受けることになる。
これはちょっと皮肉な感じだ。

でも、逆説的に、それはストラヴィンスキーの音楽が、その時代というものの律動を捉えることに優れていたからではないか、とも思う。

 

ニーチェっぽいかもしれない。
ニーチェと言えばワーグナーなんだろうけれども、
あるいはニーチェの理想をもっとちゃんと音にしたのは、ストラヴィンスキーかもしれない、って思う。
でも、ワーグナーも、ストラヴィンスキーも、劇的で、ドラマっぽい、映像に合う音楽だってとこは共通してる。
(すいません、無学なので少ない知識で言っています)

 

 

ジャズっていう音楽に対しては、僕はぜんぜん演奏できないから、偉そうなことは言えないし、尊敬はしているし、絶対にジャズの人からは怒られるけれど、
けれども、ジャズという音楽は、たとえ即興の要素が強かったとしても、その作用および反応において、結果があらかじめわかっている音楽だから、ということが言える。

薬品Aに薬品Bを注ぎ込むと、化学反応で赤くなりますよ、ね、ほら、そうでしょう、みたいなノリがある。

そこを込みで楽しめる人は、きっと大人だと思うんだけれど、僕はそういう大人の嗜みは、持っていないようだ。(いや、別にBGMとしては楽しめますけどね。)

そして、それは、どんなに演奏やテクノロジーが進歩しても、たぶん変わらないんじゃないかと思う。

そんでもって、ジャズっていう音楽、表現技法も、やはり、現代や時代の律動、およびその作用を表現するっていう意味では、優れた特性を持っている。

 

 

なので、すでにAIのアルゴリズムに支配され、これからもっと支配されていくであろうこの現代という状況に、それらの音楽がかなり適応しているんだろうな、ってことは、予想がつく。

 

今の時代っていうのは、人間がどんどん、ネットワークを介したアルゴリズムの一部になっている。

人間の社会が、経済活動が、交遊関係が、そんでもって感情の大部分が、ネットワークに従属してしまった現代社会においては。

音楽というもの、表現というものも、ネットワーク上のアルゴリズムのために鳴らされている、と言っても過言ではないと思う。

だから僕の意見では、今の時代では、とっくに、人間のための音楽というものは、なくなっていると思う。
皆、ネットワークのために、アルゴリズムのために、AIのために鳴らされた音楽になっていると思う。

アルゴリズムのために、ネットワークのために捧げられた音楽は、決して人を幸せにしない。

 

あるいは、人間の幸せというものも、そういったネットワークに、アルゴリズムに従属したものになってしまっているとすれば。

本来の人間の幸せというものは、もうこの世界には存在しなくなっているのかもしれない。
それは、消えつつあるのかもしれない。

そんなふうに思う。

ジャズもプログレも新しくない。
でもそれらのものは、たぶんAIのアルゴリズムに組み込まれる。
なぜならアルゴリズムっていうのは、理論および作用とその結果ということだから。

 

 

でも、たまに思う。
人間はあるいは、AI以上にAIらしい音も作り出せるのかもしれない、って。

おかしな話だけれど、AIが作り出す音楽を楽しみにするのもいいし、あるいはたぶん、もうそれらの音楽は出回っているのかもしれないが、

実際にAIが作り出す音楽よりも、よりAIらしい音楽を、人間はすでに作り出しているのかもしれない。

前から言っているし、思っているけれど、
人工知能、AIが人間社会を支配する、そういう世の中になる前に、
たぶん人間の方が、だんだん、アルゴリズムに従属し、ロボットっぽく、人工知能っぽくなっていく。

ひょっとして、本物のロボットよりも、人間の方が、よりロボットらしかったりしてね。
それが美しくて、awesomeであったのならば、僕は文句は言わないよ。

 

 

でもね、こういう表現では、現代を鳴らすこと、即時性を鳴らすことは出来ても、未来は鳴らせない。
僕はそう思っている。
ストラヴィンスキーさんに向けて言っている。

たぶん未来とか、過去とか、時間軸の捉え方が、ちょっと違う。
それは、僕だって一応、キリスト教徒だからさ。

永遠ってものがリアルだからだよ。

(ごめん、今ぐぐったら、ストラヴィンスキーさんがロシア正教として「信仰を取り戻した」のは、1924年のことだって。その後の作品を聴くべきかな。)

(すみません、しょせんクラシック、詳しくないんで)

 

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