アコースティックとヴォーカル

 

今年、「藍色伊万里」名義で、ToneとShinryuの二人組でアコースティックのライブ活動を始めた。

その結果、歌う機会が増えて、僕はシンガーとして非常にいい修行になった。

 

アコースティックだとどうしても歌が中心になるし、
また、バンドと比べて、カバー曲も含めていろいろな曲に気軽に挑戦することが出来る。

なので、「藍色伊万里」では、結構カバーをやった。

結構面白いネタもいくつかあり、それは、この場ではまだ書かないでおくけれど、藍色伊万里のライヴを見てくれた人は、きっと覚えているだろう

 

そうしたカバー曲をやる中で、とあるきっかけで、Queen / Freddie Mercuryの”I was born to love you”をやることになった。

これは、とある動画の企画に誘われた時に、カバー曲を何か、っていうことで、なんとなく挑戦してみた。

この動画のどこかに居ます。

 

 

これはもともと、フレディ・マーキュリーのソロ曲だけど、90年代にフレディの死後にQueenのラストアルバム(?)に収録されて、テレビでも流れていたので、僕らは10代の頃に聞いていたので馴染みがあった。

 

しかし、歌ってみると、やはりすごく難しかった。
なぜかというと、これを収録している「道場」の環境もあり、マイクも無い状態であるので、どうしても力んでしまうのだね。

そういう感じで、この曲に取り組んでみて、僕は決して、Queenのファンという感じではないし、フレディ・マーキュリーも別に熱烈に崇拝しているわけではないが、けれどもやっぱり、フレディ・マーキュリーは凄いなあ、とあらためて思った。

 

そして、その時、同時期に、ネット上でThe Strutsというバンドを見つけて、そのバンドのシンガーであるLuke Spillerに、非常に感銘を受けた。
それは、先だってわざわざブログ記事として書いてしまったくらいだ。それくらい感銘を受けた。

で、シンガーって凄いなあ、と思ったのだった。

 

で、また、その同時期に、ライヴが二日続いていて、バンドでやった翌日に、アコースティックライブをやることがあった。
別に二日間連続くらい、どうってことないじゃん、って思うかもしれないけれど、色々な理由があって、二日目はやっぱり消耗しており、アコースティックのライブだったけれど、本調子で歌えなかった。

それは、見ている人からすれば、ほんの些細な声の乱れで、気にならなかったかもしれないし、それでも十分に楽しめるライヴをやったつもりだけれど、歌っている本人、僕としては、やはり納得がいかなかった。

 

と、そう思っている時に、なんとなく練習をしている時に。
(とはいえ、僕はヴォーカルの練習というのは、ほとんどしない。ひとつは、それは僕はギタリストであり、自分がヴォーカリストという自覚はあまり無いから。もうひとつは、住んでいる生活環境、住環境として、あまり普段ヴォーカルを練習できる環境が、残念ながら無いからだ。)

なんとなく声を出している時に、発見があり、技術的なブレイクスルーがあった。

それは、自分の頭の中というのか、目の奥あたりに「十字架」を見つけたのだ。

 

で、その「十字架」に音をあずけ、音を響かせることで、様々な発声上の問題をクリアすることが出来ることに気付いた。

 

それは、歌の先生に言わせれば、ヘッドボイスの共鳴であるとか、鼻腔の共鳴であるとか、そういう用語で説明するのかもしれない。

けれども、僕にとっては、自分の目の奥の方に、十字架を見つけた。
その十字架に音を響かせることで、自分の弱点を克服し、より確信を持って良い歌が歌えるようになる、その気付きは、どんなアドバイスよりも、どんな先生の指導よりも、大きな感動と、気付きにつながった。

 

僕はその「十字架」の縦の線は、あるいは使うことがこれまでも出来ていたかもしれないが、横の線は、あまり使えていなかったのだ。

 

男性は、一般的に、基本となる音階(点がひとつつくところ?)のGの付近に声のブレイクポイントがあるとされる。人によってはFだったりGだったり、FとGの間だったりするだろう。僕はGのあたりにあると感じている。

だが、もうひとつ、そこから少し上の、Bのあたりにも、小さな割れ目のようなブレイクポイントがあるように感じていた。
それは小さな割れ目、クラックのような感じの隙間であり、その隙間をくぐり抜けて声を出すのが難しいと感じることが時折あった。

それはまるで薄い紙を、狭い隙間に通すような感覚だった。
(“Nabeshima”のレコーディング時点では、それが自分に出来るベストだった)

 

しかし、この十字架の「横の線」を見つけたことで、僕はもうこのB付近にある「隙間」を恐れる必要がなくなった。

この自分の目の奥にある「十字架」っていうのは、まるで本当にキリストの十字架のように、自分に足りない部分、自分の技術の未熟な部分、自分が肉体的に弱い部分を、すべて背負い、引き受けてくれる。

だから、僕がすべきなのは、その十字架を信頼して、すべてをあずけることだけなんだ。

 

そのことで、脱力が出来ると同時にまた、力いっぱい情熱を込めてシャウトすることも出来るようになったのだ。

 

ここからさらにわかったことがあり、非常にあたりまえのことであるのだが、
ヴォーカルの発声というものは、基本的に力まない方がいいとされている。

そして、もちろん力まずに歌えればそれに越したことはないのだが、現実にはライヴの現場では様々な理由で力んでしまう。そしてまた、ロックというものは、力んでナンボということもある。力まずに歌えるようであればそもそもロックをやっていない。

しかし、この「十字架」にすべてをあずけることによって、力むことも恐れることがなくなる。恐れずに力むことが出来るようになるのだ。それは、十字架が豊かなディストーションとサチュレーションで受け止めてくれるからだ。

 

そしてまた、力むということは、失敗につながる。声がひっくりかえったり、音程が外れたりする。
しかし、人というのは、人間というのは、失敗の中にこそ「その人らしさ」があるのだと気付いた。

人生でも仕事でも恋愛でも、なんでもそうだ。
成功することは素晴らしいが、失敗の中にこそ、その人らしさがある。どのような失敗を、どんなふうにするか、ということに、その人の人生の様々なものがある。

だから、ヴォーカルというもの、特に個性、パーソナリティの表現たるロックヴォーカルにおいては、正しい力まない発声と、力んで失敗した発声の間にこそ、その人の表現があるということに、気付いた。

本番において、力むために、力んで伝えるために、そのために普段、力まない発声を練習するという感じに思える。

だからこそ失敗も恐れなくていいし、「完璧なシンガー」なんて目指さなくていい。自分らしい歌を歌うことが、本当の目的であるのだから、失敗もすべて自分の一部として受け止めるべきだ。

 

どっちにしても、他人にはわからないかもしれないが、この発見、技術的なブレイクスルーにより、僕は歌うのが非常に楽になったのである。

 

それでも、歌というのは体調であったり、環境であったり、精神的なものであったり、ヴォーカルは本当に色々なものの影響を受けるから、いつもいつも完璧とはいかないかもしれないが、駄目な日もあるいは、これからもあるかもしれないが、
しかし、今のところ、これまでにないくらい、安定して、今まで以上の歌が歌えるようになったと感じている。

 

そのひとつとして、先日、アコースティックの練習日に、ふと気まぐれてでインスタグラムにて生配信をしてしまった。

 

それは、2時間以上、みっちり練習をして歌い込んだ後で、さらに1時間くらい、やってしまったのである。しかも、やたら難しいカバー曲などを盛り込んで。

 

その時のパフォーマンスから、カバー曲をふたつ、すでにYouTubeにアップしてある。

 

そのひとつは、上で書いた、とある動画企画でやった”I was born to love you”をもういっぺんやってみたものであり、

 

またもうひとつは、よりにもよって、Van Halen、サミー・ヘイガー時代の、もっとも難しい曲のひとつである”Dreams”に挑戦してみたものである。サミー本人だってライヴではまともに歌っていないアレである。

 

どうだろう、上に掲載した、8月時点の録音よりも、歌がいくぶん、進歩しているように思わないだろうか。まあ、大差ないかもしれないが。自分としては、発声にあたって結構違いがあるのである。

 

そして、Van Halen / Sammy Hagarの”Dreams”は、もともと非常にキーが高くて難しい曲であるから、完璧とは言い難いが、それでも、かなり健闘した方ではないだろうか。

もちろん、アコースティックで演る上で、サビの前で一瞬、間を作るとか、歌い易いようにしているが、こんな曲を仮にもライヴで歌えるようになったというのは、僕としては大きな進歩だ。

 

この時のインスタライブは、結構うまく歌えたので、自分たちの曲も含め、全編をアップしたいくらいであるが、長いし、面倒なので、それはしていない。けれど、その時の「血まみれのメサイア」とか、結構良かったから、いつか記録として、公開してもいいかも。

もっとも、これ以上の歌唱は、きっとこれからも、もっと出来るだろう。そして、もっともっと良い歌唱をする予定である。

 

何度も言うが、僕はメタルシンガーではない。
声の質から言っても、ポップシンガーの域を出ないし、僕は自分のことを中性的なグラムロックのシンガーだと思っている。

それが、何の因果かメタルを歌う羽目になってしまったというだけである。
僕の声は、細くて、なよなよして男らしくないし、およそ恥ずかしい声である。

一般的なメタルシンガーみたいに、マッチョだったり、朗々とオペラのようだったり、そういうのは全然ない。

(そして正直、そういったメタルシンガーに憧れたことは、ほとんどない)

 

だから、シンガーとしては、僕はいつでも、批判を食らうことはあるだろうが、それでもこの「十字架」を自分の中に見つけた以上、僕はまだまだ、きっと最後まで、神を信じて、大切なメッセージを歌うことが出来るだろう。

これからだぜ。
シンガーとしての俺は、これからだぜ。

 

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