すぐそばにいるはずの君へ

 

写真は特に内容に関係ない。

人生を振り返って、いろいろなことを思う時に、たとえばこんな人生もあったんじゃないか、こんな可能性や、今とは違う人生もあり得たのじゃないか、と思うことがある。

きっと誰でもそういったことがあるだろうと思う。

 

色々なことを考えるけど、僕が時々考えてしまうテーマのひとつとして、子供、家族、ということがある。

たぶん過去にもウェブ日記に書いたことがあるだろう。

僕はもともと、どちらかといえば子供が欲しかった。
少年の頃の夢のひとつは、間違いなく、幸せな家庭を築くことだった。

ちゃんとした仕事に就き、家庭を持ち、子供を育て、なんというか幸せな家庭を築きたかった。

今でもこうやって考えることがあるということは、それは自分の人生の中で大切なテーマのひとつだったのだろう。

 

現実には僕は無名のインディのバンドマンをやっていて、また人生の中で子供を持たないという選択をした。

そのことについては何度も繰り返し真剣に考えてきた。

肝心の嫁さんがどれだけそれを真剣に考えていたのかはわからないけれども。
どちらかといえば、それを真剣に考えるような女性ではないからこそ、子供を持たない選択をした、という方が現実に近い。

そして現在、いい年齢になった彼女の姿を日々、見ていても、やはりこの人は母親にならない方が幸せだったのだろうと納得している。

 

今ではバンドのメンバー、ベース奏者になってしまったMarieだが、長年バンド活動をしてきて、周囲の人々は僕たちを見ると、僕のことを「夢を追いかけているクレイジーな芸術家の夫」と考え、Marieのことを「それを献身的に支える理解のある常識人の妻」というふうに考えることが多かったのではないかと思う。
そういうふうに見られることが多かったし、今でも多くの人からきっとそういうふうに思われているのではないかと思う。

それは、人々はそのように、わかりやすいステレオタイプに当てはめて考える方が安心するからだと思う。そのように考えたいから、そのように思うのだと思う。
また、単純に僕らのことをよく知らないから、ということもあるだろう。

しかし現実はそれとはだいたい逆であって、だからこそ僕らはここまで苦労しているということが言える。
現実に則して、ジェンダーやスキル、および性格の組み合わせが、世の中の実情と比べてまったく逆になっているから、僕たちはかなり苦労している。

これが、音楽をやっている芸術家タイプが僕ではなくMarieの方で、堅実な生活をしながらそれを理解し支えるのが僕の方であったら、世間のイメージ通りだし、お互いの性格にも合うし、社会的なジェンダーの役割としても、ぴったりくるし、効率もいい。

けれど現実はそうではなかった。

たとえば英語が出来るのが僕ではなくMarieの方だったら、それだけでも随分違っただろう。
現実には英語が結構できるのは僕の方で、彼女はほとんど喋れない。
そして「部屋にこもって勉強熱心」なのは僕の方であり、「勉強なんかより出歩いて遊びたい」のは彼女の方である。

お互いにまったく向いていない役割を背負っている人生になっていると言える。

 

そして、僕に「子供のいない人生」を選ばせたのも、僕にまっとうな仕事ではなく「芸術家として生きる」ことを選ばせたのも、それは僕自身の決断ではなく、彼女がそうさせたことだった。
これは別に理解してもらおうとは思わない。

(でも、彼女に出会わなければ音楽をやっていなかった、というのは、見ていればきっとわかるでしょう。そもそも、バンドの名前に彼女の名前が入ってるじゃない。普通そんな名前つけないよ。)

けれどもこの事については何度も言っている通り、僕は音楽をやることを決めたから子供を持たないことにした、のではなく、子供を持たないことを決めたからしょうがなく音楽をやることにした、のである。

つまり、だいたいにおいて、音楽をやるという選択よりも、子供を持たない、という決断の方が先だった。
(そのように僕の中では子供を持つ、家庭を築く、というテーマは重大な決断であったのだ。)

 

これは何度も書いたり言っているかもしれないが、当時18歳だった僕に向かって「子供なんていらない」とあっさり言い放ったのは彼女の方であり、そして彼女はその点についてそれからまったく変わっていない。
普通、皆は、女性はだいたい、こうした事柄については年齢とともに変わる、と思うかもしれないし、そう言うかもしれないが、少なくともMarieはこの根本の点においては一貫して変わらなかった。
当たり前のことではあるが、すべての女性が母になるために生まれてくるわけではないのだと思う。

 

今になって振り返れば、逆に妊娠したのは僕の方であった。
彼女という存在のインスピレーションによって「のっぴきならないこと」になり、どうにもなんかしらんが音楽をたくさん生み出してしまったのは僕の方である。
それは、止められるようなものではなく自然にそうなったのだ。
精神的に妊娠していた、と思えば確かに説明がつく。
というか、そうでもしないと説明がつかない。
僕のその精神状態は。

精神的な、あるいは霊的な意味においては僕たちは確かに何かを生み出してきただろう。
それが、子供を持つということの替わりにはならないかもしれないが、意義はあっただろうと思う。
人生の実体験に基づき、ある程度ユニークな唯一無二のものを作り出せたからである。

それが結果的に「日本発のクリスチャンメタル」みたいなものになったのは、結果論ではあるが、ひとつの勝利ではないかと思う。誰の勝利かと言うと、それはキリストの勝利だが。
愛というものを突き詰めてたどっていったらキリストにつながった、というだけのことであって。

 

前置きが長くなったのだが、
もっと違う人生もあったのではないか、と考えることがある。

パラレルワールドとか異世界とか言い出す気はないが、可能性というものは確かにあって、その可能性というものは、どこかに何かの形で存在しているのではないかと感じている。

だから、僕が音楽をやらず、子供を持ち家庭を築いていた人生もきっとあっただろう。

(とはいえ、Marieが母親になっている図はやっぱりあまり想像が出来ないのだが。)

そして、確かにこのタイムライン、この人生では、僕は子供というものを持っていない人生をやっているのだが、

他の可能性の世界、他のタイムラインにおいては、子供や家庭といったものが、きっといるのではないかと思う。

 

不思議に思うことがあって、僕は彼女(Marie)に向けて曲を書いたことは、確かに何度もあるが、これまでに僕は何度となく「子供たち」に向けて曲を書くことがあった。その「子供たち」というのが、誰の子供なのかはわからないが、それは確かに「自分の愛する子供たちに向けて」書いた曲なのだ。感覚的にはそういう感じだ。

それはいったい何故なのだろうと、時々思ってきた。

 

さて、話は変わって、僕の大好きなバンドに、Van Halenというバンドがいる。
言うまでもなく世界で最大のロックバンドのひとつであるし、世界中にファンのいる歴史上の偉大なバンドである。

一昨年、亡くなってしまったが、
僕にとってEddie Van Halenは絶対的なヒーローであって、少年時代から自分の音楽観やロックに対する姿勢、人生観にいたるまで大きな影響を受けてきた。
それは、単にマニアみたいになったり、ギタリストとして真似をしたり、ということではなくて、音の鳴らし方そのものについて学んだのだ。

だからこそ僕は少年時代からすでに「世界一上手いテクニックを持つ速弾きギタリストとかには絶対になるまい」と思っていた。そういうのには興味がなかった。
世間ではエディ・ヴァン・ヘイレンというのは、速弾きギタリストの代表のように言われることがあるが、現実には彼はそれとはまったく違う存在だったからだ。(これは息子のウルフィー君もいつも言っていることだ。)

Eddie Van Halen、そしてVan Halenというバンドは、ヒーローであり、僕にとっては、上手い喩えではないが、ドラゴンボールの孫悟空のようなものだった。

 

Eddie Van Halen、そしてVan Halenが、最後までヒーローで有り続けた世界を想像することがある。

つまり1999年以降、Van Halenは実質的に活動を止めてしまったバンドだったからだ。

僕がVan Halenの曲の中でも、非常に好きな曲、とても特別だと思っている気に入っている曲がある。

だがその曲は、現実に商業的にリリースされ、ヒットとなった曲ではない。
それは何らかの事情でリリースされなかった、未発表曲なのだ。

 

僕はどのシンガーというよりも、Eddieのギター自体のファンなので、エディがギターを弾いている限り、どの時代のVan Halenも大好きだが、
その未発表曲は、すべてのVan Halenの曲の中でも、まさにEddie Van Halenにしか鳴らせなかったであろう、一番好きな曲といっても過言ではないくらいに、僕はその曲を気に入っている。

あまりにも衝撃を受けたので、その後の自分のバンド人生の中で、僕はその曲を自分の手によってrecreateしようとし続けてきた。
つまり、その曲の持つテーマや感情といったものを、自分の曲の中で再現しようとしてきたのだ。

(そのテーマで作った曲はいくつかあるが、”Nabeshima”に収録した”Not Of This World”でひとつの答えは出せたと思っている。)

(偶然というわけではないだろうが、その”Not Of This World”の歌詞も、自分が親の気持ちになり、子供に向けて語りかけたものである。)

あの曲がなければ、僕はこの自分のバンドを始めなかったかもしれない。
それくらいの衝撃と影響を受けている。

 

けれど、その未発表に終わってしまったその曲が、現実にリリースされ、ヒット曲となっていた世界もあるのかもしれない。

そしてVan Halenが引退状態にならず、現役のヒーローとして活躍し続けた世界線、タイムラインも、どこかに存在するのかもしれない。

残念ながら僕はそのような世界線を体験することが出来なかった。

(それでも、Van Halenはその後、”A Different Kind Of Truth”と”Tokyo Dome Live in Concert”をもって、ちゃんと僕といういちファンに対しても、ハッピーな結末と「落とし前」を、ちゃんと答えを出してくれたけれど。)

 

確か、ドラゴンボールにおいても、主人公の孫悟空が病気で死んでしまうタイムラインというものが存在していたと思う。

それはひとつの可能性としてのパラレルワールドだけれど、そのパラレルワールドからやってきたトランクスが物語に登場していた。

その「未発表曲」がヒット曲とならず、Van Halenが引退してしまった世界に生きる僕は、時々、まるでその孫悟空が死んでしまった方のパラレルワールドに生きているような感覚に陥ることがあった。

そんな世界に生きている自分の人生にも、果たして意味はあるのだろうか。
この世界は、結局どうにもならない運命にあるのではないだろうか。

ときどき、そんな無力感を感じることがある。

 

僕は、誇れる仕事に就き、社会の一員として生活し、何人かの子供を持ち幸せな家庭を築き、まっとうな人生をやっている筈ではなかったのか。

音楽でプロになることを否定し、もともとバンドをやろうなんてちっとも考えてなかった僕が、
(僕は10代の頃、受験勉強に集中したいという理由で、結構いい感じだった「いけてるバンド」を辞めた人間である。それが実際に「いけてる」バンドだったというのは、その後、そのメンバーは、だいたい何らかの形で成功してる事からもわかる。)

ちっともそんなこと考えてなかった僕が、こんな売れもしないような形で、本気で音楽に向き合うなんていう「世界線」は、よっぽどの異常事態や、バグが発生しなければあり得なかっただろう。

そして、その異常事態、ファクターXこそが、彼女であったということだと思う。

だからこそ、他の世界線、他の可能性の世界では、きっと僕は音楽を鳴らしていない。

 

僕が音楽を鳴らしているのは、彼女と出会ってしまったこの世界線の中だけだ。

 

僕は成功なんて望んでいない。
数字も望んでいない。
この世界の中でヒットするような曲なんて望めない。

けれども、世界線の壁を越えて、宇宙の次元の壁を越えて、すべての世界に鳴り響くような音が、鳴らせるだろうか。

どのようにしたらそんなことが可能だろうか。

たとえば他の可能性の宇宙には、きっといるに違いない、自分の子供たちに向けて。

そこにいる家族に向けて。
それが誰なのか、姿は見えなくても、大切な誰かに向けて。

彼らに届くような音を、どうしたら鳴らせるだろうか。

 

そして気付く。

僕にも愛しい家族や、かけがえのない人々が、確かにいるのだと。

たとえどんなに遠くにいても。

それらの愛する人々に向けて、自分はずっと音を鳴らしていたのだと。
メッセージを伝えようとしていたのだと。

それが誰のことなのか、
ここまで読んだ人にはきっと伝わっているに違いない。

わかんないかな。
でも、たぶんそれが、最初からずっと、いちばん大切なテーマだったんだよね。
手の届かないような遠くにいる人に、どうやって届けるか。

託せる人がいるんだよ。

どんな世界であっても。
ナルニアのライオンのように。
たとえ物語の世界の中にでも、すべての宇宙の中に、あの人は、救い主は、必ず存在しているんだよね。

であればこそ。
僕はなるべくがんばって、
復活と希望のメッセージを鳴らしてみせよう。

努力はする。

 

愛というものを説明できる人はいないけど、
僕が生きてきて、実体験の中で、感じたことがひとつふたつある。

ひとつは、
10万も100万もある中から、ひとつのものを、迷いなく間違いなく選べること。

もうひとつは、
時間や空間やどんなものによって隔てられていても、そのメッセージが必ず伝わること。

もうひとつくらい見つけたいね。

そうだね、それなら。

みっつめは、
最初からそうだったと知っていること、
かな。

これはたぶん聖書にも書いてあったね。

 

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