ブッチャーズファンによる「ソレダケ」のレビュー

 

先日、新宿で映画を見てきた。
それは「ソレダケ」というタイトルの映画だ。
監督は、石井岳龍という人物。
有名な映画監督さんのようだ。

 

僕は映画ファンというわけではない。
全然詳しくない。
僕は、この映画が、自分の大好きなバンドであるところの”Bloodthirsty Butchers”に捧げられた映画であるので、見に行ったのだ。

 

この映画が公開されたのは、2015年。
僕は、映画ファンというわけではないので、あまり関心が無かった。あまり情報も入って来なかった。

だが、この映画は、公開された後、なんと10年間にもわたって、5月27日に、その新宿の映画館で上映され続けた。そんな映画は珍しい。

その10年目の上映にして、今年でそれが最後になる、というのをソーシャルメディアで見かけて、僕はやっと重い腰を上げて、その映画を見に行くことにした。

見に行ってよかった。
それが、この10年目でよかった。

 

僕はBloodthirsty Butchersのファンだ。

誰も気にしないだろうが、僕が自分の日記というか、この勝手に書きなぐっている日本語ブログにおいて、頻繁に名前が出てくる「敬愛するミュージシャン」みたいな人が何人も居る。

その筆頭はなんといってもEddie Van Halenであろうと思う。

キリスト教の世界には、What Would Jesus Doと言う言い回しがあって、つまり、イエス・キリストだったらどうしただろうか、という意味だが、
僕はそれと同じように、自分の音楽人生において、若い頃から常に、What would Ed do、つまり、エディ・ヴァン・ヘイレンだったらこのような状況でどういう音を鳴らしただろうか、それを考えて生きてきたフシがある。

 

そして、たぶん二番目に出てくるのが、Bloodthirsty Butchersの吉村秀樹氏だ。
特に、2013年5月27日に吉村氏が急逝して以来、僕の中では吉村氏は特別な存在になってしまった感がある。これは仕方の無いところがある。

 

3番目は、誰だろう。
SuedeのBrett Andersonかもしれないし、XTCのAndy Partridgeかもしれない。ギタリストという意味ではPeter Greenかもしれないし、日本のアーティストでは、尊敬から敢えて滅多に名前は出さないが、やはり今でも尊敬している、僕がJ-Popで最強のソングライターであると信じている「熊谷幸子さん」かもしれない。

どちらにしても、Bloodthirsty Butchersの吉村秀樹氏は、僕が世界で最も敬愛するロッカーの一人であることに間違いはない。日本のロックバンドでどれが一番好きかと聞かれたら、僕は迷わずにブッチャーズです、と答える。

 

今回見た映画「ソレダケ」は、そのBloodthirsty Butchers、吉村秀樹氏に捧げられた映画だ。だから、音楽ありきの映画になっている。
はっきり言って、ストーリーは二の次で、映画全体が、ひとつの大きなミュージックビデオみたいなものだ。

けれど、インターネットで検索して人々の評価やレビューなんか見てみると、そのほとんどは、ブッチャーズを知らない、普通の映画ファンが書いた感想だったりする。もちろん、それ自体はまったく間違ってはいないのだけれど、やっぱり僕は、どことなくもどかしい思いがする。音楽に込められたメッセージを受け取らなければ、この映画を本当に見た事にはならない気がするのだ。

 

以下は内容にネタばれが入るだろうと思う。
だから、ネタばれ、いわゆるspoilerが嫌な人は見ないでもらいたい。

 

+

 

ストーリーは単純だ。
そして、荒唐無稽だ。
アウトローというのか、アンダーグラウンドに生きる悪党の姿が描かれるが、彼らのキャラクターはどことなくリアリティのない、漫画チックなものだ。

 

どうにも、日本の映画を見ると、その表現や世界観、演出にわざとらしい白々しさを感じることがある。
この映画にも、もちろんそういう部分はあるが、様々な映像上の効果が使われていて、それによって雰囲気が演出されて、ボルテージを高めているようだ。

 

そしてまた、日本の映画を見ると、その一部には、舞台の匂いを感じる事がある。個人的にはこれは好きな要素だ。こう見えても、僕は、そしてうちの嫁さんも一応そうだったのだが、高校時代に演劇部で活動していた事がある。短い期間の事と思われるかもしれないが、よって、こういった舞台の匂いがする映画であるとか、舞台の匂いがする俳優さんは、結構好きだ。かといって、大人になってバンドマンになってから、下北沢あたりでインディの演劇を見たかと言えば、全然そんなことはしていないのだけれど。

 

とにもかくにも、あるかないかわからないくらいの単純なストーリー、そしてチープな演出、荒唐無稽なキャラクター、場合によっては、結構しらけてしまうような演技。

その中に、感動的な要素はまったく無い。

無い筈なのに、その映像に乗せて、ブッチャーズの曲が流れるだけで、僕はもう、3秒も持たなかった。ブッチャーズの曲が、そこに鳴り響くだけで、僕はもう自動的に号泣してしまっていた。

それは、そのブッチャーズの音楽に込められた想いが。
そして、そのブッチャーズの音楽と共に歩いてきた自分の人生が。
重なるからだ。
スクリーンの上に。

 

映画の後半、クライマックスに当たるシーンに、激しい銃撃戦が描かれる。
それは、激しいながらも、もう笑っちゃうくらいに、荒唐無稽で、ギャグすれすれの、というか、明らかに観客を笑わせに来ているギャグとして、様々な演出と共に描かれる銃撃戦だ。

普通だったら笑う場面だ。あるいは、失笑する場面だ。なんだ、このくだらない映画は、と言って、失笑する場面だ。

なのに、そこにブッチャーズの音楽が鳴っているだけで、それは、これ以上ないくらいに本気で、切実で、リアルで、心に迫るものになる。本来ならば爆笑すべきこのクライマックスのシーンで、僕はもう、ぼろぼろに泣いていた。

 

こういった思いは、説明が難しい。
本当に説明しようとすると、内容が個人的になってしまうので、やはり本当のところは、感想など書くことは出来ない。

だが、この映画は、Bloodthirsty Butchersという、この世界でも特別なひとつのロックバンドの音楽や、その生き様、そこに込められた感情、メッセージ、それらのものを前提として、それを中心として作られたものだということは確かだ。

だから、音楽について語らずに、この映画を語ることは出来ないと思う。

 

映画の上映の後、出演していた俳優さんたちが舞台に登場し、トークが行われた。

僕はテレビも見ないし、芸能人にも疎いので、出演している俳優さんのことは、見事に一人も知らず、まったくの知識ゼロだった。

僕が、うーん、この人、演技下手だなあ、と思って見ていた悪役の人は、なんだか相当な人気俳優で、音楽もやっている人であったらしい。下手だと思ったが、それはそれで味はあった。女性ファンはキャーキャー言っているらしい。

だが、主人公を演じていた俳優は実に美しいと思った。

どちらにしても、俳優さんたちがトークする中で、誰ももっと、この映画の根幹の部分を成すブッチャーズの音楽について掘り下げないのを、僕は不思議に思った。俳優さんの仕事は演技の中にあるのだから、それが当然かもしれないのだが。

 

 

ブッチャーズのファンとして、ひとつ、この映画において大きく評価していいのは、「デストロイヤー」である。

デストロイヤーというのは、ブッチャーズの最後のアルバム”YOUTH 青春”に収録されていた曲であり、ファーストシングル扱いだった曲だ。

凄い曲であり、ブッチャーズのファンにとっては、とても大切な曲だと思う。僕にとってもそうだ。この曲に込められた意味、思い、とても語ることが出来ない。ギターが鳴り響くイントロだけでも泣いてしまう。(前の曲のエンディングからつながっている)

 

ブッチャーズの歌詞は、結構日本語が独特で、意味も不明な事が多い。
で、この曲も、非常に美しい曲なんだけど、「デストロイヤー」って何なんだろう、ってふうになる。

 

デストロイヤーって何なのか。
それは人によってそれぞれに答えがあるだろうと思う。

だが、この映画における「デストロイヤー」の描き方は、実に正しい。

 

デストロイヤーに憧れた主人公は、夢の中でデストロイヤーになりきり、そしてそのデストロイヤーを信じて戦った。
それは、あるいは他人からすれば、馬鹿みたいな戯言かもしれない。はかない夢かもしれない。
けれど、そのデストロイヤーの力によって、目覚めた主人公は勝利する。

それは、銃撃戦の結果でもなく、格闘技の技術によるものでもない。
言ってみれば、まさに、信じていたことの勝利だ。

僕はキリスト教徒であるが、ほとんど、この「デストロイヤー」は「キリスト」に置き換えても成り立ってしまうくらいの勢いだ。

過酷な境遇で生まれ育った主人公にとって、唯一その「デストロイヤー」だけが、自分の側に在り、信じられるものであったのだ。

 

ビジュアルとしては、下手っぴで荒唐無稽な漫画によって描かれた「デストロイヤー」だったが、吉村秀樹の歌った「デストロイヤー」にひとつの形を与えるとしたら、この映画「ソレダケ」は、結構いい線行ったんじゃないかと思う。

 

僕にも信じているものがある。
それは他人からしてみれば、愚にもつかない、くだらないものかもしれない。
けれど、それは確かに、僕に戦う力をくれる。立ち向かう力をくれる。

 

そんな存在であるように思う。
だから僕も、「デストロイヤー」と叫ぼう。
いや、違うよな、「ハレルヤー」と叫ぶんだよ。
違わないんだよ、これは。

 

奇しくも、「デストロイヤー」が収録されたブッチャーズの最後のアルバムには「ハレルヤ」という曲も入っている。

それは他でもなく、やはり吉村秀樹氏が天才だったからだと、僕は思っている。

生きる気持ち、戦う気持ちが込められた良い映画だった。

うまく閉まったのでここまでにしておきます。

 

 

最後になるが、僕は昨年、吉村秀樹の10年目の命日を迎えるにあたり、
自分のバンドの曲である、タイトルもそのまま”Bloodthirsty”という曲のビデオを作り、吉村氏に捧げた。

実際には、2016年くらいに書いた曲で、歌詞を書く際に、そうだ、吉村氏に捧げよう、と特段の理由もなく思い、そのような歌詞を乗せた。2019年にレコーディングし、2021年にアルバム”Nabeshima”の収録曲のひとつとして発表し、そして昨年2023年に、ようやくたった一人でビデオを作り、吉村さんへのトリビュートとした。

もし知っていれば、うちのバンドは、一応、クリスチャンヘヴィメタルバンドを名乗り、ジャンル的にも音楽性がバラけていて、つかみどころのないバンドである。
そしてこの曲も、一般のメタルファンにはたぶん理解されないし、またオルタナとも何とも言えないくらいの曲である。アルバムの中では浮いていたし、たぶん誰も注目していない曲だったろう。

でも、この映画「ソレダケ」を見て、
トリビュートの方向性としては、やはり間違っていなかったと思った。

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