Facing the hopelessness

The notion of sin and repentance.
It should be the basic part of Christianity but often times I feel like very few understand this.
Facing sin, is to face “hopelessness” (lacking the right translation from Japanese word 絶望)
You can’t find the hope (the Cross) without it.
Christ is not moral, politics nor community.
Salvation is much more than that.

But if you say that aloud, you can’t do human business anymore.
So today we again, turn our back to God, only the sign says “God is Love”.

 

人間の持つ罪っていう概念。そんで悔い改めということ。
これはキリスト教のすごいベーシックなところだと思うんだけれど、
考えれば考えるほど、これをまともに理解している人があんまりいるように思えなくなる。

罪っていうのに向き合うことは絶望に向き合うことだ。
でもそうしないと十字架、すなわち希望を見出すことはできない。
キリストってのは道徳でもなければ、政治派閥でもなければ、コミュニティでもない。
特定のモラルを共有する人の集まりでもない。
救済ってのはそういうもんじゃない。
でも、それを言っちまったら、宗教団体なんて成立しないから、商売だって成立しないから、今日も世界は、神ってやつに背を向ける。看板だけは掲げておいて。

 

いや、どこかの国がまた選挙やってる(た)から、タイムラインが喧しくなってきたから、こんなこと書いてたわけじゃないぜ(笑)
いつもだいたい絶望してるのよ(笑)

In a nutshell,
みんな、宗教であれバンドであれコミュニティであれ政治団体であれ、
セミナーであれセールスであれ、
希望ってことを高らかにアピールするけれど、
そんで僕だってロックンロールに希望を見出したけれど、
僕にとってはキリストに向き合うってことは、
だいたい絶望に向き合うってことだった。

それでもやるって、たぶん俺は彼に言ったんだ。

 

 

> ついで。別記事。いつだって自嘲的に。

この世界にはいろんな問題がある。
解決しなければいけない問題があり、手助けを必要とする人がたくさんいる。
それらのことについて、俺は何にもすることが出来ない。
そういった仕事に取り組む人を、俺は心から尊敬する。
でもこの世界で、いちばん誰からも見向きもされないやつがいる。
世界でいちばんなおざりにされているやつ。
それは神自身だろう。
そのことを、俺はちょっとだけ、多少はわかっている。
そいつに向き合うのが、どうやら俺の仕事っぽい。

 

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