Timeline 1998-2003

1990年代半ば
愛知県のとある地方都市にて、高校生だったナカミネ(Tone)はバンド活動をしながら100曲以上の楽曲を書く。地元でのバンド活動は受験勉強を理由に途中でやめてしまっていた。

 

199x年
音楽でプロを目指すことをどちらかというと否定していた高校生ナカミネ、エリートコースを進みまっとうな大人になる予定だったが、Marie嬢との出会いによって、レールの上から否応なく外れる。

 

1998年
心身を病み、音楽活動も大学生活もまともにできなかったナカミネ、コンピュータを使った音楽制作に触れ、一人で音源制作を始める。自宅スタジオをStudio Pelと名付ける。
1998年夏、ナカミネは初めての自主レコーディング作品を制作。現在、この作品には”Through The Garden Of Gods”という名前がつけられている。
録音や演奏の技術に未熟な部分は多いが、当時の精神的な状況の暗さから、インディーズ的なアンダーグラウンド的な雰囲気に満ちた作品になる。

 

1999年春
“Prototypes”と名付けられた自主作品を制作する。独自の個性が発揮された秀作になる。
この頃、Imari Tonesという奇妙なバンド名がナカミネの頭の中に突如浮かぶ。

 

1999年夏
ナカミネは、渾身の力を込めた自主作品、宅録ロックの金字塔と自ら認める快作”Kodomo Metal”を制作する。Toneの持つ個性や特異な音楽性が発揮された作品であり、イマリトーンズの初期の代表作となる。

 

2001年
この頃ナカミネは、プロミュージシャンを目指すのとはまた違った生き方を求め、生涯を放浪のうちに、芸術家として生き、芸術家として死ぬことを決意する。
この年、ナカミネは”Entering The New World”と名付けられた自主作品を制作する。
ナカミネはその理想の中にある新しい価値観を持った世界の扉を開くという意図をもって、制作に臨んだ。

 

2002年春
ナカミネ、象牙の塔Studio Pelを出て上京。

 

2002年9月頃
ナカミネ、ハードロックギタリスト、ヒッチーと出会い意気投合する。

 

2002年10月
意外にも、Imari Tonesの名前を使って都内で行った初めてのライヴは、四谷天窓で行ったアコースティック形式のものだった。ナカミネ(Vo, AG)、ヒッチー(EG)、ロミィ嬢(Cho, Perc)の3人編成。

 

2002年12月
ナカミネ、個人で音楽事務所を主宰するプロドラマー山田氏の主催で、御徒町Sahaというライヴハウスにて、たった一人でオケをバックにライヴ演奏をする。ナカミネはVo,Gを演奏。

 

2003年2月
ナカミネは、妹であるMizukiのライヴにアコースティックギターで参加。場所は四谷Live Gate Tokyo。Mizukiは、音大を出たのち、バーなどで歌い、一定のファンを獲得していた。

 

2003年3月
ナカミネ、新宿デモテープ評議会なるイベントにて、サエキけんぞう氏と東芝EMIディレクター加茂氏の両名に、楽曲「躁」を「図抜けている」と絶賛される。でもその後別にいいことはなかった。

 

2003年5月
ナカミネは、バイト先の友人Kuriちゃんをにわかドラマーに仕立てあげ、また、この頃上京していた旧知の友人、鬱病の女流詩人ことヲイちゃんをベーシストとして迎え、3人編成のバンドとして御徒町Sahaにてライヴ演奏をする。にわか仕立てのバンドであったため、完全とは言いがたい演奏。ドラマーKuriちゃんはこの一回きりの起用となる。

 

2003年8月
ナカミネは、ギタリスト、ヒッチーの誘いにより、埼玉県某所に一軒家を借りて、バンドメンバー皆による音楽中心の共同生活をスタートさせる。
この一軒家”House Juku-Shiki”の3階はスタジオになっており、ナカミネはここをStudio Juku-Shikiと名付けた。
同時期に、三重県出身のドラマーはらっちと知り合い、Tone、ヒッチー、ヲイちゃん、はらっち、の4人編成でのバンドを計画する。

 

2003年9月
御徒町SahaにてTone、ヒッチー、ヲイの3人編成でライヴ演奏を行う。
またこの時期ナカミネは、Studio Juku-Shikiにて、2001年以来の録音となる、”前途洋々”、”今君に会いたいよ” の2曲を一人で自主制作。バンド編成スタートの前の、ソロワークの締めくくり作業であった。この2曲は、1999年春に制作した「Prototypes」に追加収録されている。

 

2003年10月
三重県からはるばる、はらっちがHouse Juku-Shikiに引っ越してくる。
House Juku-Shikiには、レギュラー住人のナカミネ、ヒッチー、はらっちの他、友人達が常時居座り非常ににぎやかな生活となる。世の中から、どこかはずれた若者たちによる、不思議で奇妙な共同生活。4人編成のバンドとしてスタート。

 

2003年10月後半~11月前半
バンドのメンバーにはっぱをかけられ、ナカミネは、約1ヶ月で55曲を作曲。

 

2003年11月
Tone(Vo)、ヒッチー(G)、ヲイ(B)、はらっち(Dr)、の4人編成で、本格的なバンド活動のスタートとなるライヴ演奏を、御徒町Sahaにて行う。悪くない演奏であったが、メンバーは、ロックバンドの編成向きでないハコである 御徒町Sahaでの演奏に飽きてきて、これ以後都内の主要ライヴハウスに進出を図ることとなる。

 

 

 

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