Timeline 2007

2007年1~2月
テキサスに行く話が浮上して身辺が慌ただしくなる。

 

2007年3月
ナカミネは、Tak Yonemochi氏に連れられて、わざわざ海を越えてアメリカはテキサス、オースティンで行われる世界最大の音楽コンベンションのひとつ、South By Southwestまでのこのこと出かけていく。
営業成果は必ずしも芳しくなかったが、音楽に人生を捧げた人間たちが世界中から集まるこの祭りにおいて、ナカミネは間違いなく、少年時代から恋をしてきたロックの神様に出会い、多くのインスピレーションを得る。
聖地巡礼の如くロックの女神から直接言葉を聞いたナカミネは、明確なヴィジョンを持って、新たな活動を決意する。
またこの時期、ナカミネは、HR/HM系企画集団、Above Da Worldのメンバーとなる。
この時期、ナカミネ、4年近く住んだ埼玉某所のHouse Juku-Shikiから、大学時代を過ごしたお気に入りの街、横浜に引越す。

 

2007年6月
6月初頭、ナカミネは、即席メタルバンド「児玉鎮魂歌」にてヴォーカルを担当する。
6月後半、新宿JAMにて、Above Da WorldのHR/HMイベント、「Straght Edge」を主催、Imari Tonesも勿論ライヴ演奏を行う。Metal Safari、Knights Of Round、アイ・ドント・ノウ、Clever Headsと共演。メタルイベントの割に優しいステージを展開して賛否両論をくらう(笑)

 

2007年7月
Above Da World主催のギター速弾き決定戦”G1 Carnival”にて、オープニングライヴを務める。場所は渋谷PLUG。 SLEDGE、BEREAVED、Majellycaと共演。テンション高くはっちゃけて好評を得る。
その後まもなく、ナカミネは将来的な目標のために現状を変える必要性を感じ、米持プロデューサーに、自分の足で歩く旨を伝え、インディ路線での活動や自主レーベルの運営などに乗り出すことを決意する。

 

2007年8月
某日、新宿JAMにてナカミネ一人によるアコースティック弾き語り。
さらに某日、北千住Crawfishにてナカミネ一人によるアコースティック弾き語り。むしろバンドの時よりも内容が伝わってしまい困惑する。
諸般の事情により活動に限界が出て来たため、優秀だったBabaくん&はらっち体制に、惜しくも別れを告げ(実質的に初のメンバー首切りとなる)、間もなく新メンバーを見つけて新たな体制での活動を開始する。G&Vo: Tone、B: Hassy、Dr: Doctor Manzo 3人とも横浜在住のローカルバンドとなる。

 

2007年9月
某日、ナカミネはレーベルの名前を冠したイベント、Kitchen Knife Partyを新宿JAMにて開催、主催のみで演奏はせず、その足でそのまま吉祥寺WARPに赴き、ほぼ飛び入りで新メンバーでの初ライヴ演奏を行う。
またこの時期、”Winning Song”、”躁”の自主制作PVを制作する。

 

2007年10月
某日、新宿JAMにてアイ・ドント・ノウと共演ライヴ。限りなく成功だったような失敗だったような。
そうこうしてるうちに自主レーベルからのアルバムのリリースが決まる。ホームページの英語サイトをオープンさせる。

 

2007年11月
某日、西荻窪FLATにてナカミネ弾き語り。
某日、Above Da Worldとの共同企画「Straight Edge 2」を渋谷PLUGにて開催。Risk Hedge、Metal Safari、Devour、Clever Headsと共演。

 

2007年12月
某日、渋谷AUBEにてEmergenzaコンテストに参加。コンテストには勝ち残れなかったが良い演奏を行う。
某日、原宿カフェラティアにてナカミネ弾き語り。このライヴの際にゴスペルアーティストの萩原ゆたか氏の演奏を見たことがナカミネがクリスチャンになる直接のきっかけとなった。
同時期、MySpace等の各音楽サイトに本格的に進出開始。

 

 

 

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