この日がそろそろ来ることは、多くの人はわかっていたと思う。
おそらくはきっと、よくこれほど持った、という方が真実に近いのではないだろうか。
だから、驚きはしたけれども、まさか、とは思わなかった。
ショックは受けたが、案外と打ち拉がれてはいない自分がいる。
だから淡々と、こうしてソーシャルメディアに投稿したり、ブログを書いたりすることが出来ている。
インスタグラム等にポストした写真を、ここにも掲載しておきたい。
これは15歳の頃の僕の写真だ。笑。
そう、世界中で何百万人ものギターキッズがやったであろう、ストライプ模様を自作しちゃう、あれだ。僕もVan Halenに夢中な少年であったから、それをやったことがある。
インスタでちょっと交流を持った、アメリカの黒人のティーンエイジャーのギターキッズで、やはり、何十年もの時を経て、まるで80年代のキッズのように、自作のストライプでギターや部屋を飾っている少年を見つけたのだが、その子もやはり「クリスチャンロッカー」を志す敬虔なキリスト教徒の子であったから、僕は親近感を持ったのだが、今の若い世代の中にも、いまだにそういう子はいるのだ、と思い胸が熱くなった。
ソーシャルメディア上でそれぞれに皆がエディへの愛を告白する中、時間は戻らないものであるから、少年時代にこれほどエディにのめり込んでいた、という証拠として、僕も提出しておきたく思った。
もっとも、先述したとおり、これはきっと、世界中で何百万人ものギターキッズが、1978年以降、繰り返しやってきたことだ。
何百万人ではきかないかもしれない。
インスタには”like a million boys”と書いたが、たぶん百万人では足りないだろう。
エディ・ヴァン・ヘイレンに夢中になり、影響を受けた「少年たち」の数は、おそらくはもっともっと大きなものだろうと思う。
Van Halenは、ロックの歴史上、非常に重要なバンドであり、
エディ・ヴァン・ヘイレンは文字通り、「世界一のギタリスト」だ。
その演奏や技術や音楽の評価は人それぞれだろうけれども、
世界中のギターキッズを夢中にして、80年代ハードロックを中心に、数多のギタリストに影響を与えた、そして、ギターそのものの演奏や概念を変えてしまったという、
そういう影響力に関しては、間違いなく「地球上で一番」のギタリストだ。
だから、そんな世界一有名な世界一のロックギタリストについて、
僕なんかが何を言ってもしょうがないし、
また、今日この日には、世界中の有名なミュージシャンが、Eddieに対するコメントを語っているだろうし、
また、様々なロックファン、ギタリストたちが、有名無名問わず、ロックを愛する者であれば、
思い入れを込めて、それぞれが語っているだろう。
Eddie Van Halenというあまりにも偉大な音楽家、ギタリスト。
その中に、何を見て、何を学ぶのか。
学んだ上で、どのような音を鳴らすのか。
それは、1980年代以降のギタリストたちにとっては、運命のように与えられた命題であったと思う。
ある者は、エディ・クローンとも言えるような、そっくりな演奏をしたり。
ある者は、タッピング等のテクニックをより発展させたり。
ある者は、まったく違うジャンルでまったく違うスタイルの音楽を演奏したり。
またある者は、トリビュートバンドやコピーバンドで演奏することでエディへの愛を表現したり。
僕はVan Halen、そしてEddie Van Halenの大ファンであり、
また、はたから見ても、僕がEddie Van Halenの影響を受けていることは、かなりわかりやすく一目瞭然、という感じのギタリストである。
けれども僕はファンではあっても、マニアにはなれなかった。
僕は自分なりに、Eddieの創造性、クリエイティヴィティ、その姿勢を学ぼうとしていたつもりだ。
だからこそ、まんまそれっぽい音楽をやるのではなく、自分だったらどうするだろう、という姿勢で、日本の地方都市に生まれ育った1990年代世代(オルタナ、グランジ世代)として、自分だけのオリジナリティを目指して、音を紡いできたつもりだ。
クリスチャンロック、クリスチャンメタルなんていうものに辿り着いたのも、その結果である。
それが、僕にとっての、Eddie Van Halenへの答えであり、Eddie Van Halenへ報いることでもあった。
追悼の言葉、というのは無い。
すでにそういう言葉は僕には無い。
思い返してみると、昨年の今頃に、すでに「追悼」のブログは書いてしまっていたように思う。
それで、僕の魂の中では、だいたい答えが出ていた。
また、僕も、間違いなく、このEddie Van Halenというギタリストによって人生を変えられてしまった人間の一人であるが、
僕なりに、自分の人生の中で、このVan Halenという音楽を愛し、歩いてきた、その中においての個人的な答えや帰結は、自分の中でこれまでに、はっきりと、非常にはっきりと、フルサークルとなり与えられてきた。
なので、僕の中でVan Halenという物語は、すでにちゃんと完結しており、
そして、このEddie Van Halenの逝去という事実を持って、その物語に静かにピリオドが打たれた、ということになる。
もちろん、あるいはそれは、新たな物語の始まりかもしれない。
これはいつも言っている持論だが、
エディ・ヴァン・ヘイレンというのは、世界で一番有名なロックギタリストであり、ロックスターであるが、
その名前は「ギタリスト」の代名詞になっているくらいだが、
それほどまでに有名なロックスターだからこそ、
逆に、あるいは、世界でいちばん理解されていない人なのではないか、と、常々思っている。
じゃあ、お前は理解できているのか、と言われたらそれはわからない。
先にも言ったとおり、このEVHという巨大な音楽家の姿の中から、何を見て、どう解釈するか、それがギタリストの資質でもあるからだ。
そして僕は僕なりに、その答えを見出したからこそ、人生の中で、このように自分のバンドを立ち上げて音楽を作り続けている。
僕の中で、Eddie Van Halenはナンバーワンだ。
人生の中で、もっとも尊敬する音楽家であり、もっとも影響を受けた音楽家である、それは、自分の中では永遠に変わらない。
世代を考えれば、僕は決して多数派ではない。
70年代、80年代の世代の人たちにとっては、E.V.H.は絶対だったかもしれないが、オルタナ、グランジ、ブリットポップ、ヒップホップの中で青春を過ごした僕たち90年代世代にとっては、ヴァン・ヘイレンは決してかっこいい存在ではなかった。それは間違いなく古臭い音楽だった。
そして、メタル・ギタリストとしても、すでに最先端の人ではなかった。
僕らの世代がロックを聞き始める頃には、すでに世界には、Steve Vaiもいれば、Paul Gilbertもいれば、Yngwie Malmsteenもいたのだから。
だが、僕はそれらの誰よりも、エディこそが一番だ、とそう感じていた。
けれども、E.V.H.は、それでも僕にとって、唯一のヒーローというわけではない。
僕が生涯の中で、子供の頃はともかく、大人になってから、少しずつ聞き、触れていった音楽の中で、
自分にとってギターヒーロー、ロックのヒーローと言える人は、数は多くないけれども、何人も居た。
それは、ギタリストで言えば(これも今年逝去した)Peter Greenであり。
日本のロックバンドで言えば、(これも2013年に逝去した)Bloodthirsty Butchersの吉村秀樹氏であり。
21世紀のインディバンドという意味で言えば、ニューヨークの+/-{plus/minus}であり。
また自分の個人的な人生の感情にもっとも寄り添ってくれた音楽であり、また僕にとっての唯一のアイドルである、Suede、そしてブレット・アンダーソンであり。
また日本の作曲家という意味で言えば、荒井由実もそうだが、その直系の知る人ぞ知る鬼才である熊谷幸子さんであったり。
また、同様にソングライターという意味であれば、孤高のブリティッシュポップ職人であるXTCのアンディ・パートリッジであったり。
そしてロックそのものと言える存在として、ロックンロールのゴッドマザーであり、クリスチャンロックの最初にして最大の雛形であるSister Rosetta Tharpeでもある。
今でも思い出すのは、あの2013年。6月だったと記憶している。
東京ドームでのVan Halenの最後の来日コンサート。
その日は、たまたまBloodthirsty Butchers吉村氏を悼む会のイベントの日でもあり、僕は新代田のライヴハウスに寄り、吉村氏に別れを告げた上で、ほろ苦い気持ちで東京ドームへ向かったことを覚えている。
今日、朝方、訃報に接した時にはやはり本能的な驚きを禁じ得なかったが、
けれども、その後、僕が感じたこと、そしてわかったことは、
僕は、Eddie Van Halenが亡くなっても、泣かなかった、ということだ。
もちろんまったく泣かなかったわけではない。
それでも、案外と平気だったということだ。
(追記: 晩飯のお祈りの際にやっぱりちょっとだけ泣いてしまいました。)
あるいは、それは昨年、Eddieに別れを告げる夢を見た際に、もう存分に泣いてしまっていたからかもしれない。
僕は、実の父親が死んだ時、泣くまいと思っていたが、やはり知らないうちに泣いていた。
世間知らずはご容赦してほしい。
そして、Bloodthirsty Butchersの吉村秀樹氏が亡くなった時、僕はめちゃめちゃ号泣した。
そして今でも、あれから、ずっと、ブッチャーズを聴く度に、僕は今でも、やはり毎回のように、泣いてしまう。
また、Suedeの音楽には、僕は今でも泣かされっぱなしだ。
そしてプラマイにもだいたい同じことが言える。
その他にも、書けないほどに個人的に愛する音楽は数多くあり、そのどれもが、僕を泣かせる。
なのに、僕はEddie Van Halenが亡くなっても、案外と泣かないでいられたのだ。
これは、僕にとって大切な意味を持つことだ。
そして、それは幸福なことであり、幸運なことであると思う。
あの東京ドームで、僕はエディに、まるで「Van Halenを卒業しろ」と言われたような気がしていた。
僕はEddie Van Halenが居たから・・・
少年時代、思春期のつらい時期を、Eddieに救ってもらい、それによって人格の基盤が形成され、間違いなく人生が変わった。
魔法を、奇跡を、教えてもらった。
あれが僕にとっては、キリスト教で言うところの「火の洗礼」(baptism of fire)にあたるものだった。
Eddieが居たからギターを始め、Eddieが居たから音楽を作るようになり、
エディがいたから、、、
だから僕の中では、E.V.H.が最も影響を受けた、もっとも尊敬する、もっとも偉大なミュージシャンであることは絶対に変わらない。
けれども、そんなVan Halenの音楽以上に、自分の人生に、個人的な感情に、寄り添い、もっともっと大切な意味を持つ音楽に、僕は幸運にも、いくつも出会うことが出来た。
別に大袈裟なことではないかもしれない。
現代には音楽が溢れているし、また、その逆に、クラシックの偉大な作曲家たちの音楽を聞けば、そこには計り知れないほどの豊かな音楽がある。
個人的には、訃報に接して、ああ、もっと自分にはやれることがあったのではないか、と、ほのかな悔しさの念も感じた。
この日が来ることはわかっていたのだから。
エディにあてたメッセージソングを作って公開するとか、
考えてはいても、実行することが出来なかった。
自分なりのカバーもやってみたかった。
もっともこれは、今からでも遅くない。
また、自分の音をしかるべき形で彼の耳に届けることが、叶わなかったことに対して、僭越ではあるが、自分の不甲斐なさを感じた。
だが、先述したように、どんなカバーソングや、トリビュートをやるよりも、彼の影響を、根本的なところで、スタイルや技術ではなく、創造性や音楽に向き合う姿勢の部分で、彼の影響を受けた自分が、こうしてこれまで、ずっと作ってきた音楽が、音楽そのものが、僕の彼に対する贈り物であり、恩返しであるつもりだ。
だから、その意味では後悔は無い。
(また、リリースするには至っていないが、エディが生きていてくれる間に、”Nabeshima”を完成させることが出来てよかったと思う。)
エディの訃報を受けて、様々な著名なミュージシャンたちが、エディとのツーショット写真をソーシャルメディアにポストして、お悔やみの言葉を述べている。
僕は残念ながら、エディ・ヴァン・ヘイレンに直接会うことは叶わなかった。
(Van Halenの歴代メンバーの中では、唯一Gary Cheroneのみ、さる方のご厚意で会う機会をもらったことがある。それはクリスチャンつながりだ。)
世界中のキッズが皆、そうであるように、僕にとっても、Eddie Van Halenに会う、ということは目標のひとつだった。
その目標は、僕にとっては、どうやら、ひとまず、実現することは出来なかったようだ。
けれども。
またこれは、新たな物事の始まりかもしれない。
あの時。
もう7年も前になるのか。
吉村秀樹氏が亡くなってからというもの、僕の中ではまるで時間が止まってしまっていた。
そのように心の中で時間が止まってしまっていながら、生きているというのは、非常につらいものだ。
そのようなつらい、やりきれない年月を、僕はあれ以来、過ごしてきた。
けれども、あるいはこれを契機として、僕の中の時は、また動き出すかもしれない。
たとえば、キリスト教では、イエス・キリストが天に上ったその後で、聖霊(ホーリースピリット)が地上に降りて来た、という概念がある。
それと同じように、少年の頃から、擦り切れるほどに聞き飽きたVan Halen、であったはずだが、
まるで今は、エディが自分のすぐそばにいるように、そのサウンドが鮮明に感じられ、鮮やかに聴こえて迫ってくる。
つまり、物理的な制約の無い「天国」なる場所に旅立ったエディは、世界中のキッズが彼に憧れて鳴らしたサウンドと同様に、僕が作った”Nabeshima”も、その中に収録された、間違いなくEddieに一番捧げたかった曲である”Not Of This World”という曲も、きっと聞いてくれているはずだ。
ロサンゼルスの高級住宅地に居るのではない。
今、僕のそばに居てくれるのだと、そう感じることは、大切な人を失ったことがあれば、きっと理解してくれるだろう。
(この言葉を一番言う資格があるのは、間違いなくエディ氏のご家族であり、また息子のウルフィー君であろう。が、ここでは僕は自分の個人的な思いを書き綴るに留めたい。)
ちなみに、うちのバンドは「クリスチャンメタル」のバンドであるからして、
キリスト教ってことで言えば、
知っている人もいると思うが、Eddieの兄でありドラマーのAlex Van Halenは、Ordained Minister、日本語でどう訳していいのかわからないが、「聖職者」となるのだろうか、その「牧師/教師」の資格を持っており、実際にEddieの再婚の際にも結婚式を自らとり行ったと言われている。
アメリカ人がキリスト教であることにそれほど不思議は無いけれども、そういった意味からはエディ自身もキリスト教を信仰していた可能性は高いと思う。
また、エディに関して、スピリチュアルという切り口で言えば、1990年代半ばから後半にかけてのインタビューを読むと、エディはかなり「スピリチュアルな」発言をしている時期があったと思う。
陽気で豪快でストレートなロックの象徴であるVan Halenであるから、パブリックイメージから言っても、エディがそういう「スピリチュアル」な発言をしていたことに対して、好感を持っていなかったり、違和感を持っていたファンも多かったかもしれない。
だが、僕はそういう、スピリチュアルな高みに達しつつあった彼の音楽が大好きだった。
賛否両論あった1998年のアルバムにしても、Garyのヴォーカルが合っているかはともかくとして、エディのギタープレイはとんでもない表現力の領域に達していたと思う。
いずれにしても、世界中が、彼の偉業や、その巨大な功績を振り返り、またその失ったものの大きさに気付き、また世界中の音楽ファンが、このロスを受け入れ、心の整理をしていくまで、まだ時間がかかるだろう。
蛇足にはなるが、
英語ブログの方でも触れようと思っているが、自分のバンドで作ってきた曲の中で、「いかにもVan Halen」という曲がいくつかある。
EVHの影響を受けたギタリストは非常に多く、むしろ直接間接に、影響を受けてない人なんているの、くらいの話であるから、僕なんかが何を言える立場ではないが、
そういったギタリストの中では、さきほども言ったが、僕は「わかりやすくVan Halenの影響を丸出しにしている」方である。
だから、うちのバンドの曲の中には、「ああ、これはVan Halenだね」という曲がちらほら存在する。
いや、むしろ、厳密に言えば、全部の曲がそうだと言えるけれども。
“That’s why i love you”
この曲は、タイトルを見てわかる人ならわかると思うが、
1998年の”Van Halen 3”からのファーストシングルとして準備されながら、土壇場でボツとなって未発表となった伝説の未発表曲、そのタイトルにあやかっている。
これはどういうことかというと、実際に1998年に、アルバムが出る前に、僕は雑誌の記事に書かれたアルバム収録曲のタイトルを見て、実際にそのタイトルの曲を、自分で、アルバム一枚分作ってしまったことがある。
だが、結局、”That’s why I love you”はリリースされなかった。
なので、何年かたって自分のバンドを始めた後、僕はこの曲を自分で演奏することに決めたのである。
日本語でやるとヴァースの部分が長くて冗長になってしまう。
“Japanese Pop”アルバムではそこを省略した英語バージョンを作ったが、僕はこの日本語バージョンの方が気に入っている。
ちなみにこれが、その未発表に終わった本物の”That’s why I love you”である。
偶然にも、テンポ感とか曲想がわりと似ている、と思わないだろうか。
ちなみに僕はこの”Van Halen 3”からの幻のシングルとなったこの曲は、非常に好きだ。
泣いてしまうほどに好きだ。様々なあたたかい感情が、この曲に流れているように思う。
僕は”3”のアルバム自体、とても好きで、あのアルバムがあったから、僕はImari Tonesを始めたと言っても過言ではない。
だから僕は、この”That’s why I love you”を超える曲を、自分なりに、作ろうと、長年努力してきた。
話は逸れるが、僕のファイバリットバンドのひとつ、+/-{plus/minus}の必殺曲のひとつに、”Megalomaniac”という曲があり、これも僕は、世界でいちばん好きな曲のひとつだと感じているが、このVan HalenのThat’s why I love youと、曲想やムード、流れる感情に共通するものがあるように感じる。それは、偶然かもしれないが、やっぱり偶然ではないだろう。
“Winning Song”
この曲はバージョンがいくつかあるので、どれを紹介するか迷うが、Yプロデューサーの下で作った日本語バージョンを勧めておきたい。
メジャーキーで明るく楽しいムードのハードロックの曲を作れば、VHっぽくなる、という方程式が昔からあると思う。
その中でも、なんかぶっとんだギターワーク、なんか普通じゃないリフを盛り込むと、よりVHっぽくなる。
このWinning Songは、そんな方程式そのまんまといった曲だ。
1986年の”5150”のタイトルトラックである”5150”という曲があり、あれは凄い曲であり、僕は本当に大好きな曲だ。もっと言うと、ライヴバージョンの方が何倍も好きだ。
だから、ああいう曲を作りたい、という思いがいつもあって、この曲はその一貫として生み出された曲のひとつだ。
“Yokohama Dreaming”
Van Halen、というと思い浮かべるサウンドが誰しもあると思う。
そのもっとも代表的なものとして、”1984”からのヒット曲である”Panama”という、底抜けに明るくて楽しい曲があると思う。
この”Yokohama Dreaming”は、「よっしゃ、おもいっきりそのまんまPanamaをやってやる」と言わんばかりの曲だ。ギターソロもわざとらしいくらいにVan Halenしている。自分としては、港町である横浜の雰囲気を、カリフォルニアのからっとした開放的な雰囲気と重ねて作ってみたのだ。けれども、ブリッジ部分をメジャーセブンスで無理矢理ごり押ししているのは、せめて自分らしさを入れたかったからだ。
“Victory”
明るくて元気のいいハードロックをやるとVHになる、という法則が、これもわりとそのまんま当てはまる曲だ。
その前向きでポジティブなメッセージの中に、キリスト教、クリスチャンロックならではの希望のメッセージを込めた曲だ。
VHの曲には、そういった無邪気でchildishな側面がある。この曲もそんな感じだ。だが、いいじゃないか。聖書にだって、子供の心を持つ者こそが天国に行ける、と書いてあるのだから。
“He’s Still With Us”
これは明らかに90年代のVHのサウンドを狙って書いた曲だ。
スケールの大きい、けれども前向きな曲調を持ったアメリカンハードロックをやりたかったんだ。
歌詞はクリスチャンロックだけれど、明らかに「アメリカ」そして「ロック」を意識した歌詞になっている。
僕なりのアメリカンロックへの「鎮魂歌」のつもりで書いた。
僕は、デイヴかサミーかで言えば、「ロックンロールの本質」や「VHらしさ」という意味であれば、デイヴ時代の方が上だと思う。しかし、僕は90年代が青春だったから、親しみがあるのはサミー時代の方だ。
そして、デイヴ時代のVHは、ぶっとび過ぎていてなかなか真似しようと思っても出来ないが、サミー時代のVHは、もうちょっと形が普通のバンドに近いので、わりと真似出来る。
そういった理由から、僕はVan Hagar的なサウンドを狙った曲はたくさん書いている。
“Galactic Dreamer”
この曲はちょっと恥ずかしいのだが、16歳の時に書いた曲だ。(ただしギターソロ前のアレンジとかは大人になってから)
初期VHの感じ、というか、2ndアルバムの感じを狙っている曲、というか、Light Up The Skyみたいな曲を作りたいと思って書いたんだと思う。
イントロのタッピングから、もう、ちょっとかなり恥ずかしいのだけれど。(これは歳をとってからの再録バージョンだけに、尚更恥ずかしい)
初期Van Halenのようにかっこよくはならなかったかもしれないが、ギターの音の感じとか、「ああ、わかる」と、きっと思ってもらえるのではないだろうか。
“Dying Prophet”
これは、そのまま、というわけではないが、作曲にあたっては”Van Halen 3”収録の”Without You”をかなり意識して書いた曲だ。
先述したように、僕はあのGary Cheroneがリードヴォーカルを歌った賛否両論の”3”アルバムが大好きだ。
だがあのアルバムは色々な理由で、世の中から正統に評価されなかった。その理解されなかった部分を、あえて自分が受け継いで追及してみたい。基本的にはそう思って、僕はこのImari Tonesというバンドを始めた。
この”Dying Prophet”は、その”3”の要素を盛り込んである。リフの音使いや、サビ部分のコード進行などに、ああ、”Without You”にしたかったんだね、という匂いを感じ取ってもらえるはずだと思う。とはいえ、この曲はもっとメタル色が強いけれども。ギターソロはむしろ、”3”に収録されている”Ballot Or The Bullet”に近い雰囲気だ。
“Not Of This World”
この曲は、今年ついに完成させた”Nabeshima”、その24曲入りアルバムの”Disk2”の最後のクライマックスとして作られた曲だ。
残念ながら、まだリリースしていないので、ここにそのサンプルを載せることは出来ない。
だが、上記の”He’s Still With Us”や”That’s why i love you”と同様に、90年代VHのサウンドを狙った曲であり、また、その「幻の未発表曲」であるThat’s why I love youを超える曲を、自分で書きたい、という挑戦の、到達地点と言える曲だ。
たぶん曲を聞いてもらえば、VHのファンなら、「ああ、これは」と思うはずだ。ぶっちゃけ言ってしまえば、これは”For Unlawful Carnal Knowledge”に収録されていた”Top Of The World”のクリスチャンロック版である。
けれども、そこに聖書のメッセージ「俺たちはこの地球に属さない」というアウトサイダー的な概念を、天にこそある希望として込めた時、それは究極の「ポジティブで前向きなアメリカンロック」として結実するはずだと思う。
サウンド的にも、自分なりの「アメリカンハードロック」を実現した手応えがある。(もっとも、Nabeshimaは和風アルバムなんだけれど)
この曲を、世界に対して、皆さんに対してお届けするのが待ち切れない。
– 後日追記 ミュージックビデオを作りました。これです。これはVan Halenっぽい曲だと思います。
このくらいにしておきましょう。
本当は、もっとあるんだ。
いかにも、っていうタッピングをしている曲。
ヴァン・ヘイレン、っていう感じのポップで明るい曲。
3rd収録の”Romeo Delight”の路線を狙った曲。
これも90年代Van Hagarで、PoundcakeやSeventh Sealの路線を狙った曲、などなど。
でも、長くなっちゃうからね。もう十分長いし。
– 後日追記 いかにもっていうタッピングをしている曲って、これのことかな
そして、これからもまだまだ、僕は「いかにもVan Halen」な楽曲を作っていくつもりである。
世界中のロックギタリストが、「よし、俺はエディの意志を継ぐぜ」って思ってるだろうけれど、僕も自分なりに、より追及していきたいです。
応援していただけたら、幸いです。