誰もEddieを責められない

ちょっと前に、夢の中で現実にはあり得ない“吉村秀樹 – bloodthisty butchersの新曲”を聴き、(僕が勝手にそう思っただけ)、それにインスパイアされて(パクって?)曲を書いた、という趣旨の日記を書いた。

また同じような話で、こいつクレイジーだなと思われるかもしれないが、また「夢の中の話」いわゆる夢日記としてつづっておきたい。

 

今日ここで書きたいのは、他でもない、かの偉大なるEddie Van Halenについての話だ。

僕がギタープレイ、だけでなく、ソングライティングや、ステージング等の面でも、Van Halenの影響を受けていることは、ほとんどの人には一目瞭然だろうと思う。

そして、あまりにも偉大な人であるから、過去何十年にもわたって、Eddie Van Halenから大きな影響を受けたギタリストは、文字通り星の数ほどいるだろう。というより、影響を受けていない人なんているのだろうか。そして僕は、そんな星の数ほどいるエディから影響を受けたギタリストの一人に過ぎない。

僕は少年時代からEddie Van Halenの大ファンであるから、過去においてこのように好き勝手につづってきた日記やブログにおいても、Eddie Van Halenについては何度も書いてきたし、語り出せばきっと止まらない。

 

Eddie Van Halenは、
間違いなく「世界でもっとも有名なロックギタリスト」であり、
また間違いなく「ロックの歴史上最高のギタリストの一人」であるだろう。

説明の必要もないくらいに、スーパーギタリスト、そして「ギターヒーロー」の代名詞になっている人だ。

けれども、これは僕の持論であるけれども、そして有名人というのは得てしてそういうものだけれど、僕の意見では、Eddie Van Halenとは、世界でもっとも有名なミュージシャンであるけれども、けれども同時に、世界でもっとも理解されていない人でもあると思う。

そして、それがどのようなものなのか、僕たち凡人からしてみれば想像の域を出ない。

 

前提となる話をしよう。

まずVan Halenは、2012年に「奇跡の復活作」と呼ぶにふさわしいアルバム”A Different Kind of Truth”をリリースし、
また2013年には来日して東京ドームにてコンサートを行った。
そして、その東京ドームでのコンサートを収録したまさかのライヴアルバムを2015年にリリースし、同年夏に北米ツアーを行った。
それが今のところVan Halenが行った最後のツアーになっており、それ以来、バンドからは音沙汰がない。

エディの息子であるウルフィー君(Wolfgang Van Halen)のソロアルバムがリリースされるという噂は数年前から流れているが、今のところ、それも実現していない。

そして、普通に考えたら、ロックの歴史を変えた衝撃のファーストアルバムから40周年(!!)となる2018年には、大々的に記念ツアーをやってもよさそうなものだが、現実にはバンドは沈黙し、何も起こらなかった。

 

そして今年2019年を迎えるにあたって、バンドは今年こそツアーを行う、という噂が、かなりの信憑性をともなってインターネット上に流れていた。
噂ではそれは何箇所かで行われる規模の大きなスタジアムツアーで、オリジナルベーシストのMichael Anthonyも復帰するらしい、という話だった。
そして極めつけに、それらの噂を裏付けるように、いくつかの媒体にインタビューを受けたDavid Lee Rothが、「2019年の夏はでかいことをやるぜ」みたいな発言を繰り返していたのだった。

だからVan Halenのファンの間では、今年2019年は期待が高まっていた。

けれども、現実には、例年どおり、何も起こらず、バンドからは特にアナウンスも説明もなく、夏が過ぎ去っていった。

そして秋になった頃だっただろうか。
David Lee Rothがまたインタビューの中で、衝撃的な発言をした。
「Van Halenは終わった。Van Halenはもう戻って来ない。少なくとも皆の知っている形では戻ってこない。きっとエディの口から、詳しい説明があるはずだ」みたいな内容だった。

一年前には「来年はVan Halenは動くぜ。でっかいイベントをやるぜ」と言っていた本人が、「もうバンドは終わった」と発言したのだから、これはもう、「ああ、終わったんだな」と思うしかない。

つまり、経緯はどうあれ、2019年夏に予定されていた、「大きなイベント」「大規模なツアー」は、何らかの理由で実現しなかったのだ。

 

そして、やっぱりインターネット上には、噂が流れる。

エディ・ヴァン・ヘイレンの健康状態が悪化している。ツアーが実現しなかったのは、彼の病気が原因だ。

エディの癌が再発して、今、治療をしているらしい。

ドイツの医療機関へ出向いて、そこで治療を受けているらしい。

噂によれば、エディが以前(2000年代の前半だったと思う)かかって治療した舌癌ではなく、今度は喉の癌(throat cancer)であるらしい。

また、同様に噂が流れる、たぶんEddie Trunkかなんかの記事で報道される。つまり、悪化するエディの健康状態を受けて、元妻である女優のValerie Bertinelliが、見舞いに訪れた、とか、そういう報道。

もちろん、ファンなら知っているが、EddieとValerieは、もともと「友達のような夫婦」であったわけで、離婚後も友人関係は続いており、お互いの再婚にあたっても式に参加したり祝福したりしているから、息子のウルフィーに会うために、ヴァレリーがエディのもとを訪れたとしても、別にぜんぜん不自然ではない。

でもこういう流れで、そういう報道がされると、元妻のヴァレリーがわざわざ会いにくるほど、エディの病状は悪いのか!?と思ってしまうじゃないか。

 

 

そして、そんな中で、ウルフィー君のインスタグラムやTwitterに突如として投稿された、こんな写真を見て、心を動かされなかったファンは、たぶんいないだろう。

 

 
 
 
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Family ❤️ 📸 – @pbertinelli

Wolf Van Halen(@wolfvanhalen)がシェアした投稿 –

 

これは、僕は、見た瞬間に泣けました。
これは、なんというか、ファンなら、泣くなという方が無理ではないかと思う。

理由は聞くな。
ファンならわかる。

あるいはわからないかもしれないが、
さきほどEddie Van Halenは「世界一有名なミュージシャンであるが、世界一理解されていない人だ」と書いたが、
では、もし、そういった世界中から誤解されているEddieがあるとするならば、本当のエディとは、そして彼の音楽に一環して流れていた本当の凄さとは、こういうことなのだと僕は思う。
それは、別段、どうってことのないもののように見えるかもしれないが、だが、それがどんなにかけがえのないものか、皆が知っている。

実際、この写真(ウルフィー君の投稿)は、相当なバズになり、音楽系メディアにも取り上げられ、ひょっとしてVan Halen側からの、2019年の最大の「アナウンス」「ステイトメント」は、この写真だったんじゃないか、と思えるくらいだ。

 

なぜなら、周知のこととして、Van Halenは、インターネット時代になってからずっと、非常に情報の少ないバンドになってしまった。

普通のバンドなら、公式のウェブサイトや、ソーシャルメディア等で、情報を発信していくものなのに、Van Halenは、そうしたことを一切しない。何の説明もないし、何のPRもない。

せいぜい、クリスマスやイースターにエディがおどけた顔でグリーティングの短い投稿をするとか、エディのギターブランドE.V.H.の新商品の広告がたまに載るくらいのものだ。正直なところ、Van Halenの「公式」として、いちばん頻繁に情報を発信しているのは、エディの飼い犬である”Cody”(ポメラニアン)のアカウントなんじゃないだろうか(笑)

 

つまるところ、21世紀になり、インターネット/ソーシャルメディアの時代になってからは、Van Halenは、「まったく動かない」「沈黙したバンド」であり続けているわけだ。

そのことに対して、インターネットのフォーラム等では、多くのファンが不満を言い、「Van Halenはファンのことを考えていない」等の批判を繰り返しているが、僕は決してそうは思わないし、またEddieや、バンド側を責める気にはなれない。
その理由は、後述しよう。

 

また、同時期にやはりウルフィー君がInstagram/Twitterに投稿したもので、これも非常にバズったものがあり、
皆さんも見たかもしれないが、

それはウルフィー君も大ファンであるところのTOOLのコンサートに、エディとウルフィーが出かけていったところ、コンサートの開演前に、一人の熱心なTOOLのファンが、エディに声をかけ、「写真を撮ってくれないか」と言って、TOOLのステージを背景にピースサインをする自分の写真を撮ってもらったのだと言う。
つまり、ステージを背景に自撮りしたかったわけで、スマホのシャッターをエディに押してもらったわけだ。

もちろんこの話の何が面白いかと言えば、その兄ちゃんは、それが「かの偉大なるEddie Van Halen」だとは1ミリも気付いていなかったわけで、彼は普通のオッサンだと思って、エディに声をかけ、撮影を依頼したのである。

これがウルフィー君としては大ウケだったらしく、エディがカメラのシャッターを押す様子をさらに後ろから写真に収め、(ちょっと意地が悪い気もするが)、インスタグラムに投稿したわけである。

 

 

想像するに、ウルフィー君同様、エディ本人も、結構楽しんでいたに違いない。
つまり、彼は1978年のデビュー以来ずっと、「世界でもっとも有名なロックスター」だった。
そんな彼にとって、自分が有名人と気付かれず、ただの人だと思われて、このように写真撮影を頼まれるのは、きっと愉快な経験だったのではないだろうか。

 

だが僕が凄いなと思ったのは、こんなことが起きてしまうEddie Van Halenの「人となり」ということである。
冗談ではなく、僕が一人の無名のミュージシャンのはしくれとして、真剣に考え、本気で思うことである。

こんなことが、他のロックスターだったらあり得るだろうか。
同時期の、80年代や70年代のスターたちであっても、その知名度がEddie Van Halenに及ばない人であったとしても、このようなことはあり得ないのではないだろうか。

(もちろん、引退して今では普通のオッサンのルックスになっている元ミュージシャンはたくさんいるだろうし、エディも実質「引退したも同然」と言えるかもしれないが、たとえそうであったとしても)

言うまでもなく”Eddie Van Halen”という存在、そのスーパーギタリスト、ロックスターとしての知名度、影響力は、巨大なものだ。あまりにも巨大だ。文字通り史上最大のロックスターの一人であり、史上最大のギターヒーローなのだから。

けれど、60歳を過ぎているとはいえ、その知名度や、パブリックな存在としての巨大さに比して、実際にこのように「ただのオッサン」と勘違いされることがあり得る、というギャップ。そこに、僕はEddie Van Halenのミュージシャンとしての本質、そして本当の凄さを感じる。

つまり、エディはいつも言っていた。「自分はロックスターじゃない。ただ音楽を作っているだけのミュージシャンだ。ただ音楽を作っているだけの、普通の人間だ。」
いつもそう言っていた彼の発言が真実であったことを、このTOOLコンサートでの「写真お願いします」事件は物語っているではないか。

 

60歳を越えた今、ペットのポメラニアンのCodyと一緒に、とぼけた写真を時折掲載し、本人はもはや「ただの変わり者のオッサン」なのかもしれないが、そんな人物が、いったい世界にどれだけの影響を与えてきたことか。

 

エディ・ヴァン・ヘイレンという一人のギタリスト、ミュージシャンの功績、世に与えた影響を、きちんと測ることは難しい。
誰もみんな、エディがどれほど巨大な影響を、ギターの、そして音楽の世界に及ぼしたか、わかっていないだろう。
それほどに、その影響は計り知れないからだ。

 

エディは、いったい何度、世界を変えた???
1978年の衝撃のデビューだけじゃない。
彼はその後も、何度にもわたって、エポックを作り出し、ロックの未来図を塗り替えている。

タッピングは?
アーミングは?
その他枚挙に暇のない数々の定番のテクニックは?
80年代メタルはエディ抜きにあり得た?
スーパーストラトは? コンポーネントギターは?
スライダック(パワーソーク)は?
ギターだけでなく、”Jump”のヒットでキーボードサウンドをも変えた?
“Beat It”のソロだけで、ポップミュージックのサウンドをも変えた?
Musicmanのシグネチャーがその後のブティックギターに与えた影響は?
ブラウンサウンドという言葉が、エディ本人を離れ、固有名詞になって何年たつ?
5150/6505系のアンプの存在を抜きにして、モダンメタルのサウンドが成り立つ?

その影響はあまりにも幅広く、あまりにも深くて、列挙するだけでも難しい。詳細に語れば、きっと語り尽くせない。

 

さて、ここからが本題であり、個人的な感情であり、クレイジーに、見た夢の記録である。

目が覚めた時に、はっとしたのは、それは僕は、過去にも何度かこうした夢を見たことがあるからだ。

きっと、大なり小なり、人間であるならば、皆さんも経験のあることなんじゃないかと思う。

たとえば、僕は、親父が亡くなる二日前にもそういった夢を見たし、また姪っ子が生まれた前日にも同じような夢を見た。

僕がはっとしたのは、これは先週のことだったと思うが、僕がその時に見た夢が、その感覚や、舞台装置(説明が難しい)が、それらの夢と似たものだったからである。

 

時はクリスマスの時期だった。
もうすぐクリスマス、みたいな季節の設定であったように思う。

アメリカであろうと思われる土地の、とある家庭で、庭でパーティーが行われている。
そこには何人もの人が、食事をし、バーベキューみたいなことをしているが、その中にいる一人が、誰であろう、他でもないDavid Lee Rothであることが僕にはわかった。

夢であるから、あまり詳細なことは覚えていない。
会話や文字は英語であったが、僕も多少は英語はわかるので、夢の中でも英語でやりとりをしていたように思う。

詳細を覚えていなくて本当に残念なのだが、
パーティーが進むと、家の中から、窓から女の人が顔を出し、庭でパーティーをしている人たちに向かって声をかける。
いわく、「もう時間だから行きましょう」みたいな趣旨のことを。
僕の目には、その女の人は、今のエディの奥様であるJanieさんのように見えた。

パーティーはそこでお開きとなり、皆はガレージに向かい、車に乗り込む。
さきほどまでいたDavid Lee Rothはどこかに行ってしまった。

おかしなことだが、一台の乗用車に、たくさんの人が乗り込んだ。
車の中はたくさんの人であまりにもぎゅうぎゅうだ。
その中に乗っている人たちは、皆、「ファミリー」といった感じの人たちであり、
そんな人たちの中に、また、狭い車内にぎゅうぎゅう詰めで入っている中に、自分も乗せてもらってしまっていることに、僕はとてもばつの悪い、申し訳ない気持ちになった。

そして、まるで駅にでも到着するように、あるいは、一人一人の家まで送っていくように、ある場所で、またある場所で、車が止まり、そのたびに、乗っていた人たちが、一人、また一人、と降りていく。
ぎゅうぎゅう詰めだった車内が、だんだん広くなり、がらんとしていく。

そして、最後に車が止まり、人が降りると、ついに車内には、三人だけになってしまった。
車内には、かのEddie Van Halenと、Wolfgang君と、そして僕の三人だけ。
(車内のどの位置に座っていたのかは、覚えていないし、覚えていても、あまり自信がない)

僕ははっとして、その状況に衝撃を覚え、そして目が覚めた。

 

これはきっと、意味のない、ランダムな夢だろうし、
また、熱心なファンであれば、憧れのロックスターが夢に出て来ることってあるだろうと思う。

たとえば、僕にとっては決して憧れの人というわけではないが、少年時代に夢の中にイングヴェイ・マルムスティーンが出て来たことがあり、そのことは結構鮮明に覚えている(笑)

 

ただ、先に、親父が亡くなった際にも不思議な夢を見たと書いたが、Eddie Van Halenなんて言ったら、「音楽的には」僕にとっては父親同然の存在であり、けれどもそれは、全世界で少なく見積っても百万人くらいのギタリストが、同じように思っているだろう。

だから、たとえそれが夢の中であったとしても、実の息子であるWolfgang君と共に、そのなんだかよくわからん車の中において、そこまでご一緒できた、ということは、自分にとっては、衝撃的なことであったのだった。

目が覚めたのであるから、僕はきっと、そこで車を降りたのであろう。

 

しかしそれであっても、僕はやはり、涙を禁じ得なかったし、
その夜、僕はひさしぶりに”1984″アルバムを聴き、「あれ、このアルバム、こんなに泣けたっけ」と思ったのは事実である。

キリスト信者が神の「恩寵」や「許し」に涙するのと同様に、
それは悲しいと思って泣くのではなく、神が、運命が、そして音楽というものが、豊かに与えてくれた愛や、希望や、光といったものに感じて涙するのだ。

そしてそれを、たとえ人間的にはどうであったかはまったく知らんが、それを、まっすぐに、あるべき姿のまま、心のままに鳴らし、世界に響かせてくれた一人の偉大な音楽家に対して、感謝の気持ちを抱いたのだ。

 

僕が個人的な記録として、書き留めておきたかったのはここまでだ。

 

夢はただの夢だし、僕はもし贅沢を言えるのであれば、もう一枚、Van Halenのアルバムを聴きたいし、またMichael Anthonyの復帰したVan Halenがツアーをやり、その前座でWolfie君のバンドが演奏する、というのも見てみたい。

けれども、もしそれが実現しなかったとしても、僕は文句は言わない。

誰が、かのEddie Van Halenに文句が言えるだろうか。

ロックの世界に、音楽の世界に、かくもここまで、巨大な影響を与えた、そんな計り知れない人に対して、文句が言える人がいるだろうか。

彼は、ここまで素晴らしくとんでもないことを、もう僕たちのために、してくれたではないか。

 

今の時代には、本物のロックスターはもういない。
ロックが崩壊し、かつての音楽業界も崩壊し、インターネットそしてソーシャルメディアの時代となった現代には、本当の意味でのロックスターと呼べる人など存在しないのだ。

だが、敢えて言うならばVan Halenは、本物のロックバンドであり、本物のロックスターだ。

インターネット、ソーシャルメディアの時代においては、バンドは家族操業となり、そして臆面のない自己PR、違う言い方をすればセルフプロモーションが出来る人だけが、人気と注目を集める。だがそれはロックスターではない。あくまでソーシャルメディアに依存したひとりよがりなスターでしかない。

昔からのベテランのミュージシャン、バンドであっても、今の時代にも活動を継続しているのは、そういった「ソーシャルメディアのスター」として自己を再定義し、PRが出来た人だけだ。しかし、そこに音楽が伴っているかと言えば、答えは残念ながらノーだろう。

 

そういった時代に入った時に、本物のロックスターであり、本物のミュージシャンであったVAN HALENというバンド、そしてEddie Van Halenという人は、それ以上、そうした偽物の世界で活動していくことを潔しとしなかったのでないか。
僕は、なんとなく、そう感じている。

歴史的な役割として、少なくともオーバーグラウンドな意味での「ロックが終わった」後の世界において、活動を継続することに、意義を見出さなかった。
そういうことではないか。

そして、もしそうであるとするならば、それはまさに一流ならではのいさぎよさだと僕は考える。

 

これも僕は何度も繰り返し指摘していることであるが、けれどもほとんどのファンは覚えていないかもしれない。
しかし、そもそも、エディはこう言っていた。

1998年のことだ。
「もし、このアルバムが世間に認められないのであれば、僕はもう引退して、Van Halenをやめるよ。そして、ギターではなくチェロを弾くよ」と。

彼の言っていった「このアルバム」とは、無論、1998年にリリースされた”Van Halen 3″のことだ。
そのアルバムをファンがどう評価したかは、皆さん御存知だろう。

エディは、自分の言っていたことを、有言実行したに過ぎない。

 

そういえば数年前のGuitar Aficionado誌のグラビアには、エディがチェロを持っている写真が掲載されていたではないか? (いや、チェロ・ギターみたいな不思議な楽器だったか)

きっと、少なくとも、エディ自身の中では、彼はきちんと筋を通しているだけのように思うのだ。

これくらいにしておこう。

 

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