2011年6月の日記

■…2011年 6月10日 (Sat)…….ひとまずの予定
さて、報告すべきことがたくさんあるんですが、
それはちゃんとわかっているんですが、

写真やビデオの整理と編集、
そして身辺の整理やら
日々の悩みに埋もれています。

もう少し、時間をかけてきちんと整理しますので。

いつのまにか誕生日を迎えたようですが、
さて、プレッシャーをひしひしと感じております。
年齢がだんだんジョークになるようになってきました。
外人さんに歳とか言うと冗談だと思われます。

とりあえず、遠征終わりまして、目の前の生活をどうにかしないといけないので、
なにかいい仕事ありましたら教えてください。

さしあたって、直近の、ライヴの予定があります。

まず、今週土曜日、ってもう明日か。

イマリトーンズではなくて、
友人のTakeさんのバンドの手伝いで、
西麻布にある新世界という劇場兼ライヴハウスみたいなところで演奏してきます。

これですね。
こちら

このTakemaro Band(仮)ってところでギター弾いてきます。
このページだと自分の名前のってませんが。

ちょっとジャズっぽいポップといったところだと思います。
僕はロック色を加える役目でノイズを鳴らしてきます。

イマリトーンズのライヴももちろん予定を組んでいます。

6月26日(日)
ライヴバー新橋ZZにて、
出番は2番手の19:45くらいから。

こちら

距離感の近いライヴバーでの演奏ですが、
一応、遠征後初めてのライヴになりますので、
かの地にて成長したスケールの大きなロックを聞かせることができると思います。

そして、毎年恒例、G-1グランプリの季節が今年もやってきました。
7月23日(土)
G-1 Grand Prixのバンド演奏の部にて、イマリトーンズ演奏します。

こちら

そして、2年前のG-1のときと同じように、
またも、この日は、ヴォーカルにクロジュンを迎えまして、
4人編成の通称「黒伊万里」にて、やります。

クロジュンと組んで行うライヴはこれで3度目になるわけですが、
彼のためにハードな曲をばっちり用意してありますので、
最強のライヴができるんじゃないかと。

ぜひぜひ、予定に入れておいてくださいませ。

楽しみです。

No(784)

■…2011年 6月12日 (Mon)…….美しい世界
昨晩は友人のTakemaroさんの関係で、都内のジャズ風のコンサートにてポップバンドにてギターを弾いてきました。

いろいろ思うことはあれど、こうした機会を与えられたことに感謝でした。

けっこういいギターを弾いてきたと思う。

さて。

終わる世界は美しい、
ということを知っていますか。

人が死を自覚したとき、その目にうつる世界は美しい。

知っていますか?

世界がいつ終わる、なんていう予測も予言も観測も信じてはいないけれど。

5月21日だって、
「オレらが演奏する日に(しかも大好きなシアトルで)終わるわけなかろうが」
と言って、実際にそうMCして、乗り切りましたが、
おれたちが世界を救ったんだと言わんばかりに(笑)

しかし、
ようここまで生き延びてきたなと思うわけです。

命の価値を自覚することなんて本当にはできないわけで、
僕たちはどれだけ感謝してもしすぎることはない。

たとえばあと1年しか生きられないとしたならば、
その1年で、どれだけたくさんのことができることか。

僕は本当にそう思うんです。

そして、これまでの、1年1年、ずっとそうだった。

その1年で、本当にたくさんのことをすることができた。
1年たてば、別世界だった。

そうして、たぶんこの10年、いや15年くらい、生きていた。

要するにうちの嫁さんと出会ってからは、
もうこれで最後かな、と思うことが多かった。

そう思ってからは、一日一日を、大切にしようと自然に思うようになった。

10年後のことは考えない。

10年後、なんて、僕たちにはないかもしれないのだから。

でも、人として、100年後の世界とか、

1000年後の世界とか、

あるいは永遠に続くタマシイとかイノチとかいったものは、

心に留めていたい、

そんなふうに思います。

今日という日は、そのためにこそあるのだから。

これから、1年、2年、
あるいは3年かかるかな。

どれだけのことができるだろう。

3年もあったら。

それは、僕にはとてもたくさんの時間のように思える。

神様に本当にどれだけ感謝したらいいかわからないくらいだ。

もうひとしごと。

そこまで、生きてみよう。

死というものがより身近になったこの日本の地で。

東京は無邪気な日常を取り戻したふりをしているけれど、

でも本当はもう戻れない。

みんな知っている。

好むと好まざると、

僕たちは変わっていかざるを得ない。

そういうものだと思う。

昨晩はたけさんに誘っていただいたジャズのライヴ、
楽しかったし、
演奏者の人々も、そこにいた人たちも、お客さんも、
みんなレベルが高かった。

でも僕は楽しくなかった。

小さな会場ではあったけれど、
たとえばもし自分のバンドのライヴで、
あれだけの演奏会が都内でできたとしたら、
僕はとてもうれしいだろう。

だから、昨日の演者の皆さんの幸福と充実はわかるつもりだ。
それについて本当に尊敬を祝福を送りたい。

どこにいるかは関係ない。
いくつか旅をしたから、もう知っている。

500人のぎょーかいじんの前でショウケースを成功させた翌日、
僕たちはナッシュビルのダウンタウン近くの小さなバーに寄った。
カントリーシンガーのおじちゃんたちが、
誰もいない中で歌っていた。ギター一本で。

いや、美味かった。歌も、ウイスキーも。
でも、僕たちは知った。

環境も、場所も、生まれも育ちも言い訳にはできない。
いちばん最後には。
遅かれ早かれ。

自分がどんな音を鳴らすか、
そこにかかっているんだ。

自分に嘘をつかずに生きられるかどうか。

大切なものは、自分の外ではなく、
自分の中にあるんだ。

こういうことを書くようになったら、
僕もまた調子が戻ってきた証拠です(笑)

No(785)

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