2013年5月の日記

■…2013年 5月 3日 (Sat)…….エクストリーム理想論
たとえばね
理想論なんだけれど

以前から思っていたこととして
たとえば日本にはパチンコ屋さんがたくさんある

アメリカに行くと
まあ地方にもよるけれど大体の場所では
教会がたくさんあって
各ブロックにひとつ、各コーナーにひとつ
ってほどじゃないけれど
でもそれくらいあると言っても大袈裟じゃないくらい
あったりする
教会が

日本ではそれに該当するのはたぶんパチンコ屋さんとか
コンビニとかかな
感覚的にはパチンコ屋さんに近い
どこの駅前にもある
どこの郊外にもある

日本中のパチンコ屋が
ぜんぶ教会になったら
ずいぶん良い国になるだろうにと
思ったことは何度かある
パチンコが趣味の人には申し訳ないが

そういうことをFacebookの書き込みを見ていて
思い出した

だけれど
じゃあ日本中のパチンコ屋さん全部ぶっこわしましょうか
とか
そういうのはたぶん違うので

ラブホテルって話もあったけれど
またそれはそれで別の話だけど

たぶんパチンコ屋さんに通う人というのは
おそらく多くのケースにおいて
これ以上ないくらいキリストを必要としているわけだ
ニーズがものすごくある
じゃあパチンコ伝道をすればいいのかと
クリスチャンパチプロになって
もちろん冗談だが

理想論なんだけれど
僕は
じゃあパチンコ屋さんぶっこわして教会にしましょう
っていうのはそれもなんか違う

形とか建物はあるいはどうでもいいんじゃじゃ名菓

たとえば立派な建物の教会でも
その中身は必ずしも
本当にJesus Followerとして
正しい人々であるかはわからない
そうでない場合もある
またそうした立派な建物の教会では
できないことがある

じゃあ派手な装飾で
騒々しいノイズの
パチンコ屋であっても
その中にいる人の心が
変わったらどうだろう

その中にいる人が
皆、にこやかで満たされていたらどうだろう

神への感謝と、
真実の追求と、
自己への挑戦と、
他者への愛情と、
そんな心で、パチンコ台に向かっていたら
そういう人たちが集っていたら

そんなことが可能だとしたら

そこはもうパチンコ屋であってパチンコ屋でない
きっとパチンコはより至高のスポーツやアートへ昇華されるし
自然にそこは、ふさわしい形に変わるのではないか

そんなことが可能だとしたら

そんなことは、なかなかできることではない
愛を伝えるとか
愛を表現するのは
方法論ではないから

自分のロックンロールも、
それがたぶん理想の目標で

最近向き合っているスケートも
たぶんそのあたりが目標で

ライヴをやるとき
演奏を考えるときに思う
クリスチャンロックバンドやってる身としては

別に日本人がクリスチャン少なくてもいい
別に無宗教だっていい
たとえば君たちが教会に来ないのであれば
ここを教会にしちゃえばいい

形にこだわって
教会に来いとか
そういうのはたぶん傲慢だ

君たちがみんな別にクリスチャンでないのであれば
クリスチャンの定義を広めちゃえばいい
愛を伝えて
それでもう君たちは神様に愛されている
神様の子供だよと
言ってしまえばいい

形にこだわって
洗礼を受けてないからとか
酒を飲むからとか
毎週教会に来ないからとか
そういうのはたぶん傲慢だ

みんな罪人ってことにおいては
大差は無いのだから

みんなで酒飲んでロックンロールして
騒げる
それを僕らの教会にしちゃえばいい

日本に特有(アジア諸国は知らん)と思われる
ラブホテルであれば

たとえばキリスト教の文化背景がある
欧米と違うから
背景になってる社会状況が違うから
じゃあいきなりラブホテル全部なくしましょうとか
たぶんそれも違うと思う

よくあるクリスチャンの人みたいに
アフェア(不倫とか、sex outside marrigeとか)とか
普通の日本人の感覚だとそんなの問題にするのも冗談に思えるくらいだが、
アフェアというか、
そういうのがダメですとか言い出したら普通どん引きなので

どんな不倫でもいいよ
道ならぬ恋もあれば
いろんなそれぞれの状況もあるじゃない

でもそこに来る人たちが
それぞれに真実の愛を求めるようになったら
そこはもういわゆる薄汚れた場所じゃないじゃない
どっちかというと神聖な場所になるじゃない
そしたら、自然にそこはふさわしい形に変わるよ

そういう社会になっていけばいいじゃない
そういう場所になっていけばいいじゃない
そういう国になっていけばいいじゃない
そういう家庭を作っていけばいいじゃない

比較的熱心な
クリスチャンをやっているつもりだけど
そういう趣旨で
クリスチャンロックバンドをやっているつもりだけど

クリスチャニティがどうとか
キリスト教の趣旨とか形とか
そういうのいいから
それ以前に

もっと愛を伝えること
心を伝えること
真実を伝えること
そっちのが先だよね

そしたら自然に
心が真実を求めるようになったら
心が高みを目指すようになったら
自然にキリストってことに気付くよ
ジーザスがしてくれたことに気付くよ

俺もそうだったもん

ハコとか
建物とか
見た目とか
形とか関係ないよね

中身だよ
心だよね

という、
至極あたりまえの
理想論

でも、方法論じゃだめなんだ
愛は方法論じゃないから
だから
難しい
理想に命をかけるには
身を以てそれを示すには

どうすればいい

[end of the story]

No(899)

■…2013年 5月31日 (Sat)…….吉村秀樹追悼
bloodthirsty butchersの吉村秀樹が亡くなってしまった。

書かずにはいられない。
そして飲まずにはいられない。

僕はいつも、日本で一番好きなロックバンドはbloodthirsty butchersだと言い続けてきたが、
どちらかといえば、
あれもこれも好きだけどブッチャーズが一番好き、
というのではなく、
むしろ
bloodthirsty butchersこそが唯一好きな日本のロックバンドだったのだ。

ちょっとでも流行っているものや、嘘くさいものはどうしても毛嫌いしてしまう
ひねくれた嗜好をしている僕だけれど、
ブッチャーズだけは、本当に好きになることができたのだ。

僕は日本のミュージシャン、バンドでいうと、
1970年代は荒井由実、
1980年代はEarthshaker、
1990年代は熊谷幸子、
2000年代はbloodthirsty butchers
が好きなバンドだ、
と言い続けているけれど、

ことその中で、
2000年代に自分のバンドを始め、
同時代を歩きながら接してきたこと、
そして何度もライヴを見てきたこともあって、
bloodthirsty butchersは
それらの大好きな日本人ミュージシャンの中でも
もっとも身近なバンドだった。

46歳、そしてこのタイミング、
とても早過ぎる旅立ち、
それは間違いない。

それについての感慨や、考えは、
とても文章にして書けるはずもない。

バンドページの英語のコメントには、
言葉の問題もあって陳腐なことしか書いていない、
けれども、
そこに書いたように
彼らはその長いキャリアの中で
決してポピュラーなバンドではなかった
流行したりしたこともない

彼らはとてもキャリアが長いベテランなので
売れる売れないにかかわらず、
いつでもそこにいるような気がしたし、
いつまでも居てくれるような感覚も持っていた

でも音楽を聞くと
いつでも、これで最後になってしまうんじゃないか
それくらいの芸術的なテンションの高さがあった

また、決して売れているわけではないミュージシャンとしての
彼らの歩みは、想像するまでもなく、
大変な道のりであったに違いない。
それは、数年前にリリースされた彼らのドキュメンタリー映画にもきちんと描かれている。

よくぞここまで音楽を作り続けてくれた
現実には、その言葉こそがふさわしいのではないか

2010年にリリースされた「無題 NO ALBUM」は本当に衝撃的なくらいに素晴らしい作品だった。
あの作品を聞いた後、僕はあまりの素晴らしさに「日本のロックはもうこれを最後に聴かない。これ以上のものはもうあり得ないからだ。」とそう決めてしまった。

ここ数年、僕は自分のバンドでたびたびアメリカで演奏させてもらっているが、
アメリカに行く前に、ほとんど必ず、ブッチャーズのライヴを下北なり渋谷なり新代田なり見に行って、日本のロックバンドのアイデンティティと、その精神的なルーツというものを、、、、とにかく気合いを入れていたんだよ。ブッチャーズを見て。

アルバムごとにほぼ必ず一度はライヴを見るようにはしていたはずだけれど、
最後に見たのは、昨年の初夏あたりの渋谷のワンマンだったか。会場はnestだったと記憶している。素晴らしいライヴだった。文句なしの演奏であり、幸せだった、そしてばっちり泣かされてしまった。
かつて同じnestで+/-{plus/minus}を見てMegalomaniacで泣いてしまったように、
black outで、oceanで、ばっちり泣かされてしまった。
確かに僕は音楽については涙もろい方ではある。

もうあの吉村さんを見ることができない、
これが一期一会というものか、
でも本当にあの吉村秀樹という人は、
その人となり、芸術家としての、そしてその存在感は、
本当に出会うことができてよかった。
それしか言葉が出てこない。

幸いなのは、
あの「無題」に続く新作のアルバム、
すでに完成して、リリースを待つばかりだという、
そのタイミングで旅立ってしまった吉村さん、
そこに何を感じたらいいのか、それは人それぞれだけれども

不謹慎だが
あの傑作である「無題」に続く、
さらなる傑作を、そして、それを吉村秀樹という超弩級の天才音楽家、天が与えた芸術家の、
その遺作として、聴くことができる
とにもかくにも「無題」に続く新しいアルバムを
聴くことができるという事実に、
喜びを感じている自分がいる
ミュージシャンの性というべきか
そこから何を読み取ることができるか、自分は

早過ぎる
とても早過ぎる
まさかこんなに早く吉村秀樹が逝ってしまうなんて
もっと走り続けてくれると思っていた
ずっとそこに居てくれると思っていた
まさかこんなに早く

でもそこに何を見出し、
何を感じるか

いいことばかりじゃない
何を思い、どういう選択をしていったらいい
自分は

本当に正直なところ
実の父親を亡くしたときよりも
ショックが大きいくらいだ

以前も書いたことがある言葉だけれど
もう一度言わせてほしい

日本のロックのもっとも素晴らしいもの
それはブッチャーズにこそある

もしそれに異論があったとしても

ブッチャーズこそは
日本のロックのもっとも美しいものである

ここには異論を挟ませない

そして
bloodthirsty butchers
吉村秀樹
あなたこそが
僕にとっての日本のロックのすべてだった

彼らの魅力を伝えることはとても難しい

動画もあまりYouTubeに上がっていない
新しいところの楽曲と、
クラシックとひとつずつ紹介するのであれば、
このふたつだろうか

“Ocean”
こちら

“7月”
こちら

僕にとっての
日本のロックが
これで本当に
終わってしまった

さようなら
吉村秀樹
bloodthirsty butchers

No(900)

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