2014年6月の日記

■…2014年 6月 2日 (Tue)…….ソルフェイベースデビュー
友人のR氏の結婚式に行ってきた。
もともと僕は人見知りであったりコミュニケーションに問題が少なからずあるので、
友人も多いわけではなく、またこうした結婚式などもこういう場に顔を出すことも決して多くはないのですが、
R氏がクリスチャンの親しい友人ということもあり、
本当に他人事とは思えないような、
自分のことのように嬉しいというか、こちらまで幸せな気分になって祝福したくなるようなそんな式でした。
なによりR氏はとてもなんというか、キュートで、「いいやつ」というのか、
こんなに「いいやつ」は実際初めて会ったんじゃないかな、というくらいの人物なので、
そのあたり、彼はいろんな人に愛されているのだろうと思います。
彼はルックスもキュートなやつですが、
まじめなクリスチャンでもあり、
前々から、「いいかげんな女だったらRクンは渡さないぞ!www」みたいなことを僕らは言っていたので(笑)
しかし彼が、いろいろ進路や人生に悩みながらも、
こうして自分の人生を切り開き、
ふさわしい伴侶を見つけて、人生を切り開いていっていることに、
本当に素晴らしい、良かった、こうでなくちゃ、と、
思うことができたのであります。
そして、また毎度のことですが、
われら横浜のVIC、ヤオ牧師、その友人たち含めて、
普段の仲間でわいわいやれたこともまた幸せだったでしょう。
昨年のThe Extreme Tour Japanでもお世話になった石巻の人たちにも会うことができてよかった。
石巻は、やはりなんというか、震災の後、とても大変ですが、
なにかあの場所は、これから良いことがあるような気がしています。
Rクンが居るのであればそれは祝福された地であることでしょう。
また、うちの嫁さんは、見る約束のライヴがあったということで、披露宴の最後の方で帰っちゃいましたが、嫁さんと一緒に、この素晴らしい式に参加して、いろいろ振り返ることができたのも良かったと思います。

そしてその後、私はベースを抱えたまま、とんぼがえりして町田に向かい、
ソルフェイのライヴで演奏しました。
ソルフェイに参加させてもらい、加入後、初のライヴというか、
ソルフェイのベースとしては初お目見えというのかデビューしてまいりました。
往年のJackson Wingerベースが炸裂ww
これは、正確にはJacksonとKip Wingerの契約が切れた後の、”Futura”という名前になってからのモデルですが、まあ一般的にはWingerベース、ですね。
いまどきこんなの売ってません。
自分のバンドのときと、キャラを変えようと、また、Wingerベースにふさわしくかっこつけようと、グラサンかけてみましたが、結果こんなひどいルックスになってしまいました(笑)

トランペット吹きのジョー氏が、結婚式の時間を間違えて、遅れてやってきたのですが、そのジョー氏を、町田のNutty’sに連れていったのですが、ちょっとこの日はNutty’sは爆音だったようで、彼は全部見ないでかえってしまいましたが、まあでもソルフェイの人たちに軽く紹介できたのでまあいいか、と。まあしかしジョー氏もいつ会っても熱い男ですね。

ソルフェイの演奏は、自分のベースは、やはり本番になると、なかなか指が動かなくて必死な感じでしたが、
しかしそれも含めて熱いステージができたと思います。
バンドの状態も悪くなかったのではないでしょうか。
ソルフェイ初ステージにしてなんだか声援もかけていただきました。
そして、Tak Nakamineということですが、なんだかステージネームというか、名前が「たっくん」になってしまったようです。それはそれで、自分のバンドのときとちょっと違って良い感じです。自分は呼び名は、Takか、Toneか、どちらでもよいんですが、英語の人はだいたいTakと呼ぶので、たっくんというのもその延長でなんだかよいですね。
バンドの皆さん、応援してくださる皆さん、ありがとう。
自分の好きなベーシストやそのスタイルについて書こうかと思いましたがまた今度!

No(4012)

■…2014年 6月 2日 (Tue)…….Dee
最近、ちょっとアコギをふらふらと弾いてしまうことが多いのですが、
昨日、ふとアコギを手にとって、なんとなく、ふらっと、今更にランディー・ローズのDeeをコピーしてしまいました。
この歳にして、今更ですが(笑)
まあでも、後で聴いてみると、僕もあの曲うろ覚えだし、どちらかというとBlzzard of Ozよりも、Tributeに入ってる生っぽいバージョンの方を10代の頃に聴いているので、
比べてみると、結構間違ってコピーしてますが、
まあでもこういうのは、自分なりに間違ってコピーすることの方が大事かなと思います。
自分なりのコードが発見できるし、
いくらでも弾き方なんてあるしね。
自分はアコースティックギターはぜんぜん下手ですが、
かといって、初めて弾くわけでもないので、
昨年あたりから、よしアコースティックギターをちゃんとやろうと思い、
初歩のクラシックギター教本なんてのも買ってきてあるのですが、
まだ最初の数ページしかやってませんが。
けれどもこうして自分なりにDeeとかコピーできるので、
フィンガーピッキングも含め、自己流ですが、決して弾けないわけじゃないので、
楽しく弾ければいいかなと。
その先に自分なりのアコースティック演奏のスタイルにたどりついていければいいなと思います。
しかしこうしてコピーするのは、ある日の午後にふらっとやればいいですが、
その後の人生で、アコギを手にとってDeeとかふらっとつま弾けるわけです。もちろんたどたどしく、ですが。
それは、とても素敵な財産であるわけで、
こうした往年のハードロックの名曲、名演は本当に凄い、素晴らしいなと思うと同時に、
たとえば自分が70歳になったときに(そこまで生きてる可能性それほどない気がしますが)、アコギを手に取ってこれが弾けるわけで、
なんと音楽は素晴らしいなと思うわけです。

No(4013)

■…2014年 6月 6日 (Sat)…….阿漕な適用
最近、制作のこともあり気持ちに余裕がなかったせいか、
癒しを求めるのかアコースティックギターを手に取ることが多かった。
動画もまだアップすらしてませんが、
先月の桜木町でやったアコースティック演奏の評判がよかったこともあり。
フィンガーピッキングがだんだんうまくなってきたこともあり。
はて自分の曲で、過去のもの、ワーシップの曲、日本語の曲、英語の曲、クリスチャンになる前の曲、ぜんぶふくめて、アコースティックでやれる曲、あるかなと見てみたら、「これやれそうだな」というのを数えてみたら、20曲あった。
今すぐアコースティックアルバムが作れるじゃないか(笑)
作らないけどね。きついから。
でもアコースティックの演奏は十分できるってことだね。
さてアコースティックギターなんてものに、ちゃんと向き合おうとしたのはほとんど初めてのことだけれど、
いざちゃんと練習してみると、アコースティックギターの練習は、練習とか技術もだけど、それよりもむしろ、「どうやって活用するか」「どうやってあてはめるか」「どうやって適用し、どうやって使うか」という方法論を見つけることだ、ということに気が付いた。
僕は、だいたいの曲は、ピックで、ピック弾きで、弾ける。
けれども、アコースティックだと、エレクトリックとは違うので、
これはピックじゃ無理じゃん、ていう曲もある。アンサンブル的に。
でも、フィンガーピッキングをしていくと、フィンガーならいける、っていう曲も結構ある。フィンガーならリフと同時にベースラインも弾けたりするし。
そして、案外と、フィンガーピッキングの方が、より繊細でより正確なプレイができるということが判明した。
これはわりとショックなことで、つまり、長年エレクトリックギターを弾いて、ピッキングというかピッキングのコントロールはそれなりに自信があるはずなのに、それよりも繊細なコントロールがフィンガーの方ができてしまうということがショックだった。
いずれにせよ、自分の音楽に、自分の人生に、自分のスタイルに、どう、アコースティックギターというものを応用し、適用し、活用し、当てはめていくのか。
そもそも、そんなもの必要あるのか。
バンドで演奏すりゃそれでいいじゃんか。
とも思うが、
それはそれで新しい世界が見えてきている。
昔書いた、今ではぜんぜんバンドで演奏しない曲とかも、やれるわけだから。
ハイトーンで歌う必要もない。落ち着いたアコースティックは、低い声でもたぶんいける。ささやくだけでもたぶんいい。バンドと違って声が埋もれたりたぶんしない。
老後の楽しみは見つけたかもしれない(笑)
ともあれ、依然、水面下で進んでいる「おしゃれ系アコースティックユニット」の進捗具合によって、またアコースティックの応用、適用の仕方を見つけることになるだろう。

No(4038)

■…2014年 6月 6日 (Sat)…….コーラス録音
ここのところ取り組んでいる録音制作。
「コーラス(ハーモニー)パートを録音するのは簡単なはず」と思っていたんですが、やってみると、やはり「簡単」というわけにはいかず、やはり手強いです。
とはいえ、リードヴォーカルを録音したときほどは体調も悪いわけではなく、声も出ないわけではないので、また、やはり比較すればリードヴォーカルよりは簡単なので、本日は半分ほどやっつけました。このまま順調にいけば、明日もう一日スタジオに入って作業すれば終わるはずです。天気も心配ですが。まあヴォーカル録音なので楽器は持っていく必要ないし。
今回の録音制作(レコーディング、とも言う)は本当に苦しいです。
こんなにいっぺんにフルアルバム的に作るのはひさしぶりということもあり、
昔よりも歳を食っている、ということもあり、
なにより、なんか精神的に、スピリット的に、人生的に苦しいです。
リードヴォーカルも本当に苦しくて、なるべく最小限のテイク、トラックで済ませてしまった。それが良かったのか悪かったのかは完成してみないとわからない。
けれども、コーラス(またはハーモニー、またはバックグラウンドヴォーカル)といえば、僕の(ぼくらの)昔の作品を聴いてみればわかると思うけれど、僕はいつも、わりと、かなり、コーラスハーモニーを重ねて、分厚いハーモニーを何トラックも重ねることが多かった。
けれども、今回は、本当に歌うのが、制作に向き合うのが、なんか人生が、苦しいので、コーラスについても最小限に、最小限のテイクと、最小限のトラックしか、重ねない。どうしても必要な箇所に一本だけ、とか。
それが果たして良い結果になるか、悪い結果になるか、は、完成してみないとわからない。
明日、順調にいけば、それも終わって、あとは休日にうちの嫁さんに一曲、オクターブ上のラインを重ねてもらえば本当にすべて完成、
ミックスも、仮ミックスくらいだったら、ほどなく出来上がるだろうけれど、
どうやら、ここまで、もうすぐ完成、ってとこまできたけれど、
本当に完成するまで生きていられるか自信ない(笑)
ギター録音に取りかかってから、スケートボードすらやってないです(爆笑)
のんきなものだけれど、これは自分としては本当に余裕がない。
完成したら、少しずつ人間らしい生活に戻れるかと(笑)
Facebookやtwitterでの皆さんとの交流も、少しずつまたできるようになるかと。
なんかインターネットにもあまり向き合えない感じですが。
なんでこんなにきついのかと、ほんと。
せめてものことに良い作品になりますよう。

No(4039)

■…2014年 6月 6日 (Sat)…….モーターバイクミッショナリー
クリスチャンバイクミッショナリー、Lord’s Angels神奈川支部のホームページが公開されました!うちのバンドの”Faith Rider”のビデオもフィーチャーされてます!すごい!ありがとう!でも僕はバイク乗れない!バイク乗れる人ぜひ!
こちら

No(4040)

■…2014年 6月 7日 (Sun)…….コーラス終える
さて昨日をもって、ここのところ取り組んでいた録音制作、コーラス(バックグラウンドヴォーカル)の録音を終えまして、ひととおりの作業が完了しました。
あとは、ミックス、ですが、これは枕元でできる作業です(今、僕の場合は)。ほど遠くなく、仮ミックスくらいは出来上がることでしょう。
なんだか精神的、霊的、っていうのか、なんか人生としてとても辛い録音作業でしたが、一応”Revive The Nation”と名付けるつもりのこの作品が、これで出来上がることになります。もっともバンドとして発表するのはまだまだ先のことですが。
今まで、たくさん録音作品を作ってきましたが、またバンドとしてもいろいろな旅路をめぐってきましたが、自分自身この人生において、この作品は音楽的、または霊的に、作れるものとしては自分にできる最高のものというかひとつの到達地点であろうと思います。自分の霊的な限界いっぱいの作品でしょう。
思うに自分はたくさん音楽を作ってきました。それは、人知れず、かもしれませんが、自分が1998年以来、録音制作してきた音楽、楽曲、作品、バンドとして形になったのは2004年からですが、たくさん作ってきました。一般的なインディーバンドや、多くのメジャーのバンドと比較しても、たぶんかなりの量だと思います。それは、自分の音楽の活動において、いちばんの優先事項は、音楽を作り出す、録音作品を作り出す、そのことであったろうと思います。それは単純に本能的なもので、音楽に向き合う、ということですが、音楽を作り出すことを優先するがゆえに、バンドとして社会的に外向きに活動することは二の次になっていたと思います。ゆでに僕らは一般のバンドが普通にやっていることをあまりやっていない部分もあるでしょう。しかしよければ僕たちがこれまで作ってきた録音作品に触れてみてください。たくさんありますので。Imari Tones (伊万里音色)のホームページ、そしてBandCampで聴くことができます。いくつかの楽曲はYouTubeにもあります。しかし全部を聴こうと思ったらとてもたくさんの量があるので大変だろうと思います。
ここまで歩いてこれたことに本当に感謝します。
バンドはここから、次の「歴史ものコンセプトアルバム」であるJesus Wind(仮)の楽曲に、すでに取りかかっていますが、ここから先は自分の霊的な限界を超えるものです。自分の才能というか霊的な限界の先にあるものなので、どこまでできるか、どのようになるか、またどのようにしていったらいいか、さっぱりわかりません。ぱっぱらぱーです。ゆえに、ぱっぱらぱーな気持ちでこの先の人生にのぞみたいと思います。

さて本日は吉祥寺に、Midoriさんのところの教会にて、アコースティック演奏のオープンマイクに参加してくる予定なのですが、あいにくのこの大雨です。楽器が濡れないよう心配しながら、いってきたいと思います。

No(4046)

■…2014年 6月11日 (Thu)…….僕は遠くへ生きたい、転じて、神の御心
誕生日のメッセージありがとうございます。
なんだかとても元気が出てきました。
さて、とはいえまたいつものように
ひとりごとのような文章を
書いてしまいますが。
思えば、昔はこういった文章はmixiに書いたりして
Facebookは英語の短いポストしかしなかったのです。
しかしFacebookが普及するにつれいつのまにかFBにも
日本語で無駄に長い文章を書くようになってしまいました。
FBやtwitterは短いポストだけにして、
バンドのホームページの日記ページだけに記録として書いておけばいいのですが。
どうしても思考を書き留めておきたい習性があります。
本日はソルフェイの練習で町田にベースを弾きにいっておりました。
ベース弾きとしてももっと経験を積み精進したいのですが、地道に少しずつがんばろうという感じです。

さて自分は退屈しています。
音楽の話をすれば、自分のプロフィールやバンドのウェブサイトにもいつも書いています。
自分の人生におけるファイバリットアーティスト、バンドのベスト3は、Van Halen、熊谷幸子、そして+/-{plus/minus}でした。
Van Halenは言わずとしれた、70年代~80年代のアメリカを代表するハードロックバンド。
熊谷幸子さんは、90年代に活躍した日本のシンガーソングライター、
そして+/-{plus/minus}は、2000年代から活躍している、アメリカやニューヨークを拠点とするインディーバンドです。
もちろん人生の中で、限られた見識の中でも、たくさんの素晴らしい音楽に出会ってきました。
けれども、自分の人生で、リスナーとして、音楽に触れるという意味では、本当に幸せだった時が3度ありました。

それは、ひとつめは、10代の頃にVan Halenを聴いていたとき。
これは多感な少年時代なので特別なのは当然ですが、やはりいろいろな意味で、これ以上のロックバンドはいないと思っています。特にDavid Lee Roth時代の最初の6枚は人間業とは思えません。これからもVan Halenを超えるようなロックバンドにはおそらく出会えないでしょう。もし出会えるのであれば本当に教えてほしいと思っています。

ふたつめは、90年代の後半に、熊谷幸子さんの音楽に触れていたとき。
90年代の後半は、自分の人生にとっても、少しばかり苦難の時期でありましたが、音楽的には多くの大切なものに出会いました。自分にとっては、うちの嫁さんといわゆる「恋愛」をしていた時期とも重なりますので、その意味でも大切な記憶です。なにより熊谷幸子さんの音楽を僕に教えてくれたのはまだ高校生だった頃のうちの嫁さんですが、僕はユーミンは大好きですが、まさかそのユーミンの直系のアーティストで、そのユーミンを超えるほどの鋭い感性と音楽性を見せてくれる熊谷幸子さんの音楽は本当に、なんというか、貴重なほどに出会えたことが幸福でした。

みっつめは、2007年から数年かけて、このニューヨークの無名のインディーバンドである+/-{plus/minus}の音楽に出会えたこと。
プラスマイナスを聴いたのは、もちろんブッチャーズ経由で知ったのですが、
初めて彼らの音楽に触れたのが、実は2007年のテキサス、オースティンのSXSWだったというのもドラマティックな出会いでした。彼らは日本でも結構人気があるので、何度か来日しており、日本でも当時見れたのですが、なぜだか僕はアメリカで初めて彼らを見たのです。
そして彼らの本当にぶっとんだ音楽性の高さに触れたとき、それは僕のミュージシャンとしての歩き方も変え、新しい時代に向かって歩き出そうと決意させてくれたのでした。

さて僕は退屈しています。
自分の音楽をせいいっぱい作り、向き合っていますが、
そしてここ数年、アメリカを遠征したり、その延長の企画を日本に持って来たり、
自分たちなりに、なすべきことを少しずつやっているつもりではありますが、
音楽的には常に退屈と戦っているのが事実であり現状です。

たとえば+/-{plus/minus}が5枚目のアルバムを出し、そして来日してとんでもなくすさまじいコンサートを行った2008年の秋以来、僕はそれ以上のものに果たして出会っただろうか。

まったくなかったわけではありません。
たとえば、2012年に出たVan Halenの復活アルバム。
そして、ブッチャーズの2010年の「無題」そして昨年出た遺作である「YOUTH」、これらは文句なく、「空前絶後」と言えるものです。

けれども、長い沈黙を続けて、今年やっと発表されたプラスマイナスの新作は、よくもわるくも、かなり丸くなってしまっていたこと。
ここのところ、アメリカの新しいバンドや、インディーバンドを聴いても、それほどぐっとこない。
Demon Hunterの新作も、悪くはないのだけれど、やはりストレートかつポップになってしまっていて、僕をわくわくさせてくれるようなものではない。
Switchfootは相変わらず素敵ですが、あのバンドに僕をぶっとばしてくれるような音楽性を僕は期待していません。
世界的な音楽業界の縮小や、いよいよロックンロールというものが、新しいものを生み出すものではなく、古いものを繰り返し再生産するクラシックな芸能になってしまったことを感じることが多く。
プラスマイナスのような本当に先鋭的で意欲的で才能に満ちた、インディーバンドに出会うことも容易ではなく。
はたして、今の時代にそれをやることが、どれだけの覚悟と犠牲と決意をともなうものか。考えてみれば。

いまどきのインディーズは本当にレベルが高いので、
そういう意味では刺激にはなるのですが、
たとえばスケートボードの世界、スケートビデオの映像作品を見てみても、
メジャーな作品よりも、インディーバンドの音楽を使っているインディーブランドのビデオの方が、音楽的にはかっこいいものが使われていたりする、そういう時代状況ではあります。
けれども、プラスマイナスくらいの本物の才能に出会えるかと問われればそれはまた別の話です。

僕は年齢的にも、人生のステージ的にも、もう新しい音楽を、積極的に探したり、ディグったりするのはもういいかな、と思っていたりします。
人生の中で聴ける、触れることができる音楽にも限りがあります。
これからは、もっと古典と言われるものに触れていったり、大事なものを繰り返し聴くことに時間を使った方が良いのかなと思ったりもします。
そういう意味では、昔から好きだったモーツァルトだけでなく、
ベートーベン先生の交響曲がやっとぐっとくるお年頃になってきたとも思います。

さて、大好きなフェイバリットミュージシャンという意味でいえば、
音楽というものは、人生を指し示すものであり、また人生を作っていくツールでもあります。
ミュージシャンは楽器という道具を使って音楽を作りますが、
それを聴く人、リスナー、芸術を受け取る人間は、
音楽という道具を使って人生を作り出すのだと思っています。

その意味で、僕は、好きな音楽から受け取ってきたものを、
自分の人生の中で、生かすことができたでしょうか。

10代の頃、Van Halenを本当に好きで、
Eddie Van Halenをかなりのところまで理解していると自負する数少ない人間の一人として、
自分はそれなりのことができているか。
これについては、それなりに、かなりやれているかもしれません。
自分なりの音楽を追求し、究めていくということに関しては、
ここまで、それほど手を抜くことなく、人生の中で取り組んでくることができています。
僕は本当は、ミュージシャンになりたいとは思っていませんでしたので、僕は本当は、Van Halenのスピリットを、音楽ではなく、音楽以外の仕事を通じて、社会の中で表現したいと思っていたのです。
けれども、その夢はかないませんでした。
また、その当時思っていたそのVan Halenの音楽の「スピリット」も、必ずしも当時思っていたような形では継承、表現できていないと思います。
けれども、僕は自分なりに、その先にあるものを見つけましたから・・・。
(たとえば、「信仰」であるとか)

僕はまた、他の多くのVan Halenのファンの方にはあまり好評でないところとして、
1998年の”Van Halen 3″からも、多くの影響、また薫陶を受け、自分の指針としています。
その意味ではあのレコードは自分の人生を決定づけるものであり、特別な一枚であり、自分の音楽家としての人生を指し示すものでありました。
またVan Halenということでいえば、長い沈黙の後、2012年についにリリースされた復活作(A Different Kind of Truth)も、もちろん外すわけにはいきません。
あれはとんでもないレコードであり、とんでもない傑作でしたが、
あのアルバムを聴いて、僕は、自分のやってきたこと、やっていることが、間違いではないのだと思ったのです。
そして、その指し示した道を歩くのであれば、
僕はまだまだ、自分の思うロックンロールを追求し、鳴らしていかなくてはなりません。
その意味では、自分の歩いているこの道は、必ずしも間違ってはいないでしょう。

では熊谷幸子さんの音楽についてはどうでしょうか。
僕が1990年代の後半に、熊谷幸子さんの音楽を聴き、感動して、感じたことを、僕は自分の人生の中で生かせているでしょうか。
熊谷幸子さんの音楽の中に示されたものを、人生の中で自分は歩けているでしょうか。

熊谷幸子さんの音楽について語る時、個人的には僕はうちの嫁さんとの出会いを抜きにして語ることはできません。
熊谷幸子さんが、もしラヴソングを歌っていたとすれば、それは僕らにとっては、他でもない自分たち自身のことだったからです。
その意味では、半分くらい、かなりの程度、8割くらいは、僕は歩けているかもしれません。
なぜなら、僕は今でも、うちの嫁さんと、今ではこうしてちゃんと夫婦として、仲良く一緒に暮らし、人生を歩んでいるからです。

けれども、その当時、僕が夢見た人生。
それは、必ずしも、こんなではなかった。
それは、先述したように、僕は別にミュージシャンになりたいわけではなかった。
わかっていて、成功する見込みのほとんどないインディーバンドで、苦しいのを承知で自分の音楽を追求するような、そういう人生を、別にやりたいわけではなかった。
僕が夢見た、嫁さんと一緒の人生。
そして、熊谷幸子さんの90年代ジェネリックなフォーマットの中で歌われる音楽の向こうに夢見た人生は、
もっと普通の一般的な人生を、僕は夢見ていた。
そこに関しては、まったくやれていない。
けれども、夫婦の関係という意味では、かなりのところ、やれているでしょう。

僕が熊谷幸子さんの音楽の向こうに見ていた、もうひとつのもの。
それは、新しい時代の、新しい価値観による、新しい世界。
僕は、そこに向かって歩くことができているだろうか。
それは、今も歩いている途中だと思うのです。
そして、それは、僕一人で歩くものでも、戦うものでもない。
この世界、この時代に生きる、一人一人、また、人々みんなで、
戦って、懸命に歩いて、そこに向かっていくものだと思うのです。
音楽になにか意味があるとしたら、それしかないだろうと僕は思います。

2012年以降、熊谷幸子さんは、ついにアーティストとしての活動を再開されました。
その活動はスローペースではあっても、
新しい楽曲を発表し、ライヴも行ってくれる熊谷幸子さんの存在は、
なにげに、今の時点で、僕の「退屈」を解決してくれる、もっとも有力なアーティストかもしれません。
そして、熊谷さんの現在の活動を思うにつけ、
自分の歩いてきた道も、あるいはまったくの無駄ではなかった、まったく間違いではなかったのかな、自分の今歩いているこの道も、あるいはこれでいいのかもしれない、と思ったりします。

熊谷幸子さんは、十分にメジャーなキャリアを積んできたアーティストですが、
その知名度や売り上げ枚数に関係なく、
間違いなく世界でも超一級のアーティストでありソングライターです。
その熊谷幸子さんの活動を間近で体験できるというだけでも、今の時代にあって、十分に幸運、幸福なことかもしれません。
5月にも東京でのコンサートを体験し、それは本当に感動的なコンサートでしたが、
7月に鎌倉で行われるコンサートも、嫁さんと一緒に見に行こうかと思っています。

では、+/-{plus/minus}の音楽についてはどうでしょう。
僕は、彼らの音楽を聴いて感じたことを、自分の人生の中で生かすことができているでしょうか。

僕は、自分のバンドで、何度か、アメリカ遠征をして、かの地でのツアーとか、ライヴとか、ちょっと貴重な演奏体験とか、してきました。
でも、そもそも、このように、アメリカでインディーズのライヴをやろう、と思ったのは、このプラスマイナスの存在があったからなのです。
彼らの音楽に、彼らのライヴに、その存在に、触発されたからこそ、僕は、僕もこの地で演奏活動をしてみたい、と思ったのです。

たとえば80年代や90年代の音楽を聴いて、想像し憧れていたアメリカは、大きくて、強くて、そして白人社会のアメリカでした。大規模なスタジアムコンサート、マッチョなロックンバンド、あるいはBon Joviのような華やかなバンド。
けれども、プラスマイナスの音楽に触れ、またその他の幾多のインディーバンドの存在に触れ、そして僕らが自分らの目で見聞きした2000年代、2010年代のアメリカは、
雑多な人種、アジアやヒスパニックや、入り交じり、そして小規模で多種多様で。
そしてインディーズのアートが盛んに行われ、人々がそれぞれに楽しむ、そんなアメリカでした。
それを信じることができたからこそ僕はかの地に足を運んだのです。

かの地において、一度でいい、そんな中で自分たちも演奏してみたい。
その思いは、実現しました。たぶん、十分すぎるほどに。
その意味では、僕は彼らの音楽に感じたものを、ある程度歩けているでしょう。

けれども、僕が彼らの音楽、+/-{plus/minus}の音楽の中に、本当に惹かれていたもの。
それは、やはりまた違った人生なのです。
インディーバンド、インディーアーティストというものは、概してリベラルなものです。
僕がこうしたリベラルで先鋭的なアートに惹かれるのも、半分はそうした彼らのリベラルな気風に惹かれているのです。
わざわざ認めるまでもないのですが、僕はどちらかといえばリベラルな気質の方が肌に合う人間です。
これは皮肉ですが、アメリカでキリスト教徒、クリスチャンといえば、保守的というかコンサバなイメージ、保守的な人たちが多いでしょう。
けれども、日本人にとっては、必ずしも当てはまらないことがあり、それは日本で保守的でコンサバな人であれば、それは神道とか仏教徒であるはず。
日本人の中だと、また海外の文化に明るく、先取的な人の中に、クリスチャンになる人が多くいるということはあると思います。

このプラスマイナスの音に感じるやすらぎ、
僕は、本当はそこへいきたいのです。
そうした人生こそが、自分にとって、本当に安らげる、満足のいく生き方であろうと思うのです。
しかし、そこへいくにも、やはり、今やっている音楽を止める、という条件がつきます。
僕はいつも言うように、本当はやめられるものであればいつでも音楽をやめたい。
けれども、中途半端で投げ出すわけにはいかない、というそれだけで、続けています。
ここまでやって区切りをつけたら、ここまでやって結果を出したら、ここまでやってやり遂げたら、やめよう、
そう思う機会が何度かありました。
けれども、その度ごとに、神さんは次の道を指し示してくれちゃいました。
だから、「どうやったらきちんと成し遂げて終われるか」その最短の道を常に考えて、選んできました。
その結果、逆説的にバンドがここまで続いてきた、ということが言えると思います。
次にこれをやったらハッピーに終われるだろう、と思うことを常にやってきた結果、先につながってきたということです。

ハッピーにやり遂げて、そして後は自分の望む人生を、自分の望む形で送ることができたら。
それは些細なことなのです。

けれども、リベラルな生活、自由な人生というものも、簡単ではないことはわかっています。
リベラルな都会の生活も、
(先進的な田舎の生活も)
それに見合う先鋭的な刺激をずっと得続けることができなければ、成り立ちません。

けれども、先述したように、現代の音楽シーンは、現代のアメリカのインディーズシーンであっても、もはや僕を満足させてはくれそうにない。
そうあっては、果たして、僕の思い描く「理想の余生」は、続くでしょうか。
また、音楽に背を向けて、本当に僕は生きていくことができるでしょうか。

人は最後には保守的というか、伝統的なものを求め、そういったものに回帰します。
それとは別にしても、プラスマイナスの、今年の初頭に出た5年半ぶりの新しいアルバム。

その内容は、かつてのように先鋭的なものではなく。
僕と同じように、彼らも、この世界と音楽世界の状況に、退屈し、絶望し、生活苦の中でもがき、苦しんでいたのだと、
そう納得させるに十分なものでした。

退屈していたのは僕だけではない。
あのUSインディーの先端を長年にわたって走ってきた
先鋭的な才能の持ち主である彼らをして
この時代に苦しみ、退屈し、絶望していたのです。

であれば、それは、
東京にいようが、ニューヨークにいようが、
ナッシュビルにいようが、
ベルリンにいようが、ジャカルタにいようが、
上海にいようが、
変わりがないのだと思います。

果たしてロックンロールは、
もう進化の限界に達してしまったのか。

僕が彼ら+/-{plus/minus}の音楽の中に見たもうひとつのもの。
それはロックの未来。
メインストリームや、メジャーな音楽が、
進化をやめてしまい、ロックンロールの真実に、未来に、
向かっていくことをあきらめてしまった現代にあって。
そんなことは関係なく、
自由に、身軽に、インディーのままで、
最先端のロックの真実を鳴らすこと。
より音だけを信じるその純粋な信念。
間違いなく世界でもっとも最先端の進化した本物のロックを鳴らしていたプラスマイナスというこの雑多な人種の音楽集団。
彼らの音楽に感じること。
それは、世界でいちばん先の音を鳴らすこと。
無名のインディーであっても、なんであっても。
誰よりもいちばん先へ、誰よりもいちばん遠くへ。
いちばん遠くまでいける音を鳴らすこと。

そしてそれだけのものを彼らは感じさせてくれた。
だからこそ僕も心に火をつけて、燃えることができた。

今、僕は退屈している。
けれども、僕の心についた炎が、決して消えたわけではない。
ただ、自分なりに、誰よりも先へ行きたい、
誰よりも遠くまでいける音を鳴らしたい、
そう思ってきた自分が、
いかに今、絶望し、苦悩し、なんともいえない寂しさを感じているのか。

けれども、その先が、決して示されなかったわけではないのです。

昨年の秋に発表された、
我らがbloodthirsty butchersの、吉村氏の遺作である最後のアルバム。

これは、今、僕がこの文章の中で挙げた、3つのフェイバリットアーティスト、
それらを超えて、あるいは挙げなくてはいけないものかもしれない。

ブッチャーズ吉村氏は、
そのブッチャーズとしての人生、
そしてこの最後の作品を通じて、
ほとんど「勝ち逃げ」のように
「俺がナンバーワンだ」
と、世界中のミュージシャンたちに、ロッカーたちに、
宣言して、去っていったのです。

どうやったら、これを超えられるものか。

残りの人生。
僕は、それだけを考えて、生きていったらいいのかも、しれません。

そういうことかもしれない。

自分の人生は、なかなか自分では決められない。
それは、自分の本能が、その望むものを、勝手に選び、決めてしまうから。
あるいは神の御心か。

でも、それを、自分にわかる範囲でいいので、
理解し、知るように努めようと思っています。

自分の場合、やはりそれは、
音楽家のはしくれとしての、勝つか負けるかの勝負。
それが中心にあるようです。

もっとも先へ行けるロックンロール。
僕は思うのです。
たとえば、人が生きる限り、
音楽がなくなることはないでしょう。
また、ロックンロールがこの先、なくなってしまうこともないでしょう。
けれども、
こんなふうに音楽を鳴らし、
こんなふうに音楽を作ることができるのは、
ひょっとしたら今だけかもしれないと。
今から100年後、10年後、あるいは1年後、
もうこんなことはできないかもしれないと。

ロックンロールの真実を、もっとも先を
とらえることができるのは
ほんの一瞬かもしれないと

僕はこの時を何年、何百年、何千年、何億年、
待ったのだろうか。
なぜこのタイミング、この時に、この場所にいることが出来たのだろうか。

僕はそれを当たり前とは思いません。
偶然だとも思いません。

今だからできることをやろうと思うのです。

願わくば、はるか遠くの人々にも、伝えることができるようなものを。

No(4058)

■…2014年 6月26日 (Fri)…….アコースティック・生じゃない・ギター
先日、お店にてアコースティックギターをいくつか試奏してきました。
それは最近、アコースティックギターの一人演奏にいろいろ可能性を感じているので、
また最近この歳にしてなぜだかやっとアコースティックギターに取り組んでみる気分になり、家でもアコースティックの練習をいろいろやっているので、
そもそも世の中にはどんなアコースティックギターがあるのか試してみようという気になったからです。
あとはどうにも昨年くらいからギアというか楽器に関して追求していく姿勢になっていることも理由です。

アコースティックギターに関しては自分は12年も前に入手した安い4万円くらいのカナダのシーガルを持っており、
それに関してはかなり気に入っていて、自分にはひょっとしてアコースティックはこれ一本で足りてしまうのではないかというように感じています。

しかしながら定番のMartin、Taylorあたりはもちろん、
自分は昨年からDeviserさん(Bacchus, Momose)の大ファンなので、
Headwayのアコースティックギターを試してみたいという気持ちがあるのでした。

折しも、昨年のThe Extreme Tour Japan、アメリカとカナダのバンドと一緒に日本国内でいろいろやったときに、日本国内の音楽環境において、アコースティック演奏がいかに大切か(便利か)を強く思い知ったこともありますが、
自分も音楽やる人間のはしくれとしては、
本当に良い楽器であれば、無理をしてでも(ローンを組める範囲であれば)、手に入れる姿勢はあります。

が、ここに問題があり、そもそもアコースティックギターとはどういう楽器なのか、アコースティックギターとは何なのか、という命題があるのです。

というのは、自分は常々言っているとおり、
アコースティックギターという楽器そのものを、あまり信用していないからです。
一般的なイメージとは違うかもしれませんが、
自分はアコースティックギターとエレクトリックギターを比較した場合、
アコースティックよりも、エレクトリックの方が、
繊細で、微妙な表現が可能であり、高度な表現、幅の広い表現が可能な楽器だと考えています。
比較してアコースティックギターとは、楽器としていまいち未完成であり、おおざっぱで、繊細さに欠け、限定された演奏方法しかできず、表現力に乏しい楽器だと感じています。
そして、その事実に反して、世間では一般的に逆のイメージでとらえられており、
価格も(ありがたいことに)逆の感じで設定されていたりします。
とはいえ、その限定された使い方が、用途としてニーズがあるため、アコースティックギターは重宝されるのも事実です。

で、先日、お店にていくつかのアコースティックギターを試してみましたが、
定番と言われるマーチンのDなんとか、たぶんD28。
それからHeadwayのモデルを何本も。
そのうちひとつは百瀬氏によるモデル。
試してみましたが、
正直、それほどの感動は得られず。

これなら、手元にある4万円のカナダSeagullでいいんじゃね、っていう。

これは、あるいは、僕がアコースティックギターというものを勘違いしていて、良い楽器の基準がわからないだけなのか、
あるいは、世界全体がアコースティックギターというものを勘違いしていて、なんかまったく違うところに行ってしまっているだけなのか。

僕はどちらかというと後者の可能性に賭けたい気分です。(笑)

あるいは、このカナダのSeagullというギターが、
かなり反則気味のギターで、ちょっと特別な立ち位置にいるのか、
そのどちらかでしょう。

自分が先日試した感じでは、
Martinの正統派で、これぞアコースティックギターという感じの
重厚な鳴りもよかったし、
Headwayの、軽やかで澄んだ音色も素敵だったのですが、

自分の手持ちのSeagullと比較して、
とはいっても、その場で比較したわけではないのでフェアな比較ではありませんが、
そんなに変わらない、というよりも、
どちらかというと、手持ちのシーガルの方がいいというか、
この高いギターどれも、自分の安いSeagullを、超えてなくない?みたいな。

もちろん、当然超えてる部分もあるんですが、
全体として見たとき、総合点で手持ちの4万円のシーガルの方が勝ってしまう、というか。
これは、自分としては、やはりちょっとショックなことで。

つまり自分が何を期待していたかというと、
「うおお、やっぱり俺の安いシーガルとは段違いだぜ!比べ物にならないすごい鳴りだぜ!音色もまったく違うぜ!すごい表現力の幅だぜ!これはもう無理しても手に入れるぜ!」
みたいのを期待していたんですね。

そして、僕は昨年、Bacchusのエレクトリックギターに感動して以来、
Deviserさんのファンでありますので、
その本丸ともいえるHeadwayのアコースティックギターにも、
圧倒的な感動を期待してしまっていたんですが。

結果として、
「アコースティックギターというのは、僕にとっては、この程度のものなのかな」
という感じの、結論であり。それは、少なからずショックであったということです。

これはひとつには、
僕の持っているSeagullは、シダートップであり、
そのシダー特有のあたたかい音色に対して、
一般的なスプルーストップの鋭い音色が、自分に合わなかったということかもしれません。
でも、アコースティックギター、スティール弦のやつ、は、一般的にほとんどみんなスプルーストップだしねえ。あるいはマホガニーとかもたまにありますが。実際、今回試してみたHeadwayのギターの中には、マホガニートップのやつもありました。そちらの方が確かに、手持ちのSeagullにテイストは近かったような気がします。

それからSeagullは、サイドとバックはWild Cherryの3プライらしいんですが、
3プライの合板とはいえ、
シーガルの場合、これって合板であることが、欠点(disadvantage)というよりは、むしろ利点(advantage)になってしまっているような。Wild Cherryという素材のせいかもしれませんが。

シダートップというのは、どうやら素材として柔らかく、傷がつきやすいみたいなんですね。現に僕のSeagull S6も、傷だらけだし、ちょっと爪でひっかいただけで、傷跡ついちゃうし。
そういう理由もあって、シダートップのギターって少ないのかなって思いますが。

そうしたいろいろな理由で、カナダSeagullは、なんだか反則気味の立ち位置にいるんじゃないかという気がするわけです。

自分の持っているこのSeagull S6、ピエゾピックアップのついたS6+というやつですが、
既に購入してから12年が経過している。
とはいえ、そんなにしょっちゅう弾いていたわけではありません。
自分にとってアコースティックギターというのは、ごくたまにしか使わないものだった。
それでも、たまには使っていたし、あとは教会のワーシップとかで持ち出して弾いたりとか、したし。
Seagullのウェブサイト見たら、なんでもシダーというのは、スプルースよりも経年変化が早いらしい。早くエイジングが進むということです。なので、12年弾いてきたこのギターは、あるいはちょっとしたヴィンテージ的な楽器になってきている可能性があります。
おそらくアコースティックギターというのは、そうした経年変化というかエイジングが、エレクトリックよりも顕著に鳴り方に表れる楽器かもしれず、そういう意味で、店頭に新品で置いてあるMartinやHeadwayのギターと比較するのもフェアではないかもしれません。

けれどもこの自分のSeagull S6+は、これまでにも僕の音楽人生の中で、ばっちり結果を出してきてくれています。
過去に何度か録音で使ったときも、これまでに行ったアコースティック演奏においても。
折しも、最近録音を終えた”Revive The Nation”というImari Tonesの作品(アルバム)において、2曲でこのSeagullのアコースティックを使っていますが、非常に良い、まさにばっちりな結果を出してくれています。

今までに使用したのは、いずれもピック弾きによる演奏ですが、

自分は、ピック弾きであれば、このギターは、非常に良い結果を出せる、それこそ高いMartinよりも良い結果が手軽に出せるのではないかと思っていました。

その一方、
今、自分がアコースティックギターの可能性を追求しようと思っているのは、
フィンガーピッキングの方で、
フィンガーピッキングが最近ちょっとずつ出来るようになってきたので、
そっちも試してみようと思ったときに、
手持ちのシーガルで、フィンガーがなかなかうまく鳴らせず、
またその音量であるとか、レスポンスの違いに、
これはもっと「鳴りのいい」楽器を使ったら、フィンガーピッキングによる表現の可能性がぐっと広がるのではないかと思ったのです。

しかし皮肉なことに、こうしていくつかの楽器を試し、アコースティックギターについて調べてみると、
実はこの手持ちのシーガルこそ、フィンガーピッキングに非常に適しているという事実が判明してしまった。

自分が今回試した楽器の中にも、2本ほど、ナット幅の広いモデルがありました。
それらは、フィンガーピッキング向きとされています。
そして、ナット幅の狭いモデルは、確かに、フィンガーピッキングすると、ちょっと窮屈な感じなのです。

で、よく見てみると、自分の持っているSeagull S6は、ナット幅が広い。
これはフィンガーピッキングに適したスタイルです。

そして、シダートップによる深みのある暖かい音色。これも、実はフィンガーピッキング向きであることがわかってきた。シダーというのは、ガットギターというのか、クラシックギターでよく使われ、それらのギターは当然、フィンガーピッキングで演奏することが多いということです。

で、そうこうしているうちに、夜な夜なつま弾いていたら、手持ちのシーガルが、確かにフィンガーピッキングでもなんだか鳴るようになってきてしまった。
これは、楽器が反応してエイジングしたのか、自分の右手の指先の皮が固くなったのか、あるいは単純に自分の指のピッキングがしっかりしてきて上手くなっただけなのか。
理由はわかりませんが。

結果として、今回お店で何本か試してみたところ、
皮肉なことにフィンガーピッキングにおいても、
ん、なんだか、うちのシーガルの方がむしろ反応いいじゃん、
な結果になってしまった。

今回お店で試したうち、
Headwayについては、
一本だけ試した、百瀬さん本人モデル、
やはり感動がありました。

そして残念ながら、
百瀬さん本人モデルと、
お弟子さんによるATBモデルとの間には、
確かにちょいとばかし、明らかにわかる差があった。

でもどちらもやはり素直できれいな音で好きではあります。

けれども、以上のいろいろな理由から、
その百瀬さんモデルすら、
手持ちのシーガルと交換しますか、と言われたら、
僕は手持ちのシーガルの方を選んでしまうかもしれない。

たとえばね、1弦でタッピングするんです。
アコースティックでタッピングとか、
もちろんあまりしませんが、
音の太さを測るにはひとつの方法かもしれない。
で、今回試した中では、
マーチンのやつも含めて、
手持ちのシーガルのように、タッピングが太い音で鳴ってくれるやつは、
なかったんですね。
あるいは張ってある弦のせいかもしれないが。
それから、6弦をばちこーん、って鳴らしたときの、ブーム!な低音も、なかった。
これも張ってある弦のせいかも、あるいは、しれないが。

なんか、やっぱりSeagullはズルしてるような気がします。

自分としてはHeadwayさんを贔屓し応援したいところではありますが、
今回試した範囲で思ったことは、
やはり、アコースティックギターというものは、なんか、いまいち、信用できない、ということ。

そして、自分の手元にあるこのSeagull S6+を、ただの安い楽器だと思わない方がいいかもしれない、ということ。
これは、案外と貴重な楽器かもしれない。

そして、もしアコースティックギターというものが、楽器そのものとして、この程度のものであるのなら、
自分には、死ぬまで、この地球上では、このSeagullだけで用が足りてしまうかもしれない。

そう思って、よくよくSeagullを眺めてみると、
そのところどころに、施された工夫に、
これは、安価なボルトオンの、4万円のギターではありますが、
そのところどころに施された構造上の工夫に、
なんだか80年代にJacksonギターが、既存のエレクトリックギターに
施したのと同じような、先進的な工夫というものを、
感じるのでした。
気のせいかもしれないが。

いずれにせよ、ちょっと真面目にアコースティックに取り組んでみようかな、と思ったときに、
自分の手元に、すでに、アコースティックギターという概念そのものがあまり好きではない僕の好みに合うような珍しい、理想的な楽器が、
既に12年熟成された形で、
なぜかすでに手元にあったというのは、
ちょっとした幸運かもしれません。
12年前にこの楽器を選んで買った自分に拍手を送りたい。
というか神に感謝ですが。

でもまだわからないので、
これからもいろいろ試して勉強は続けようと思います。

ちなみに試したMartin D28と、
Headwayと比較してどう思ったか、というと、
うーん、やはり、ギターとしてどまん中にいるのは、
圧倒的にやはりMartinなのかな、と思いました。
でも、Headwayのなんだか、きれいで軽やかで素直な音、は、
決して嫌いではなかった。

現時点の結論として、
まちがいなく言えるのは、
これからアコースティック演奏を追求するにしても、
手持ちのSeagullで、まったく、ちっとも、これっぽっちも問題はない。
これでぜんぜん足りてしまう、ということ。
むしろこれを超えるものを探すのは、かなりお金を出したとしても、
実はかなり難しいみたいだ、ということ。

でも、将来、自分の老後のためのギターがあるとしたら、
老後に静かに弾くためのアコースティックギターがあるとしたら、
やっぱりそれは、Headwayの良いやつに出会いたいなと思います。
それは、音がきれいだから。
そんな老後があるとしたら、の話だけれども。

で、ついでというか、
そのSeagull S6+を使用した演奏のひとつ、
Imari Tones “Heroes EP”に収録の、
「愛の色」のビデオです。
といっても、ライン録りしたピエゾピックアップの音なんですけどね。

こちら

No(4070)

■…2014年 6月26日 (Fri)…….Love alone is worth the fight
さっくりネガティヴなこと書きますが、
最近というかここ数年の、
というよりもここ十数年の政治状況を見るにつれ、
もう政治というのかPoliticsについては語りたくもないし考えたくもないという感じになっています。
僕にはもう賛成だの反対だの意見を唱える元気もありません。
そういうラインをとっくに超えてしまっている。
まあ社会にしろ法律にしろ政治にしろ最初っから僕は絶望しているんですが。
既存の民主主義ってものに対してもそうだし。
そうでなければ僕は貧乏ミュージシャンやることもなかったし。
かといって最低限の意思表示とか、投票に行く、とかはもちろんしたいものですが、
現実はそれよりもずっとはるか先に行ってしまっているようです。
ぶっちゃけていえば僕はこの国に対しても、世界全体とか地球の人類全体に対しても、未来についてわりと絶望している方で、それは日本だけでなくアメリカであってもその他の国であっても。
音楽についても、信仰についても、文化についても。
たとえば2011年の災害の以前であってもそれはそうだったし、あの災害以降はなおさらそうであろうと思います。
かと言って生きている限りは人として、世界とか人類とか国とかについて希望を捨ててはいけないわけで、
人は最後まで愛し合わなくてはならず、
この身は滅びようともなんかそういう未来みたいなもののために戦わなくてはいけないわけで、
自分としてはもうそういった個別の政治的なトピックについてはもう語ることも触れることもしたくないのですが、
自分は精神的、というのか、スピリット的、霊的、日本語でいうと心のあたり、心の部分、そうした霊的な部分を改善し変えていくことがすべての根本であろうと信じています。
現代において革命というものがあるとすれば、
自分の目指す革命はそこであろうと。
音楽家、芸術家が描いたものは、そのときは形のない概念に過ぎないとしても、その100年後、200年後に必ず現実になります。
僕はそう信じています。
そのために僕は音楽を作り演奏しているつもりです。
そのそも、その100年、200年というのが、世界のこれからの歴史に対して、間に合うかどうか、わかりませんが。
でもそういう人類全体の精神のスピリット的なサイクルも、現代社会では早くなっているはず。
政治や、制度や、国際的な問題について語るとき、
僕はもう語りたくはないけれど、
Switchfootの新しいアルバムに入っていた曲の、こんなタイトルが頭に浮かび、僕はそれだけを繰り返し唱えたいと思います。
“Love alone is worth the fight.”
(そのために戦う価値のあるものは、唯一、愛だけだ)

No(4071)

■…2014年 6月29日 (Mon)…….世界観
この「お金持ちと結婚したい女性にJPモルガンの社長がアドバイスした話」は、
なんかインターネット上をcirculateしてるし、
なんか別のバージョンも見たことがあるような気がするし、
インターネット上を出回っているこういう記事って
あまり信憑性がないので、実際にJPモルガンだかの社長が言ったことでは
ない可能性が高いと思いますが、
なんか、ふと、自分にとって気付きにつながりそうなので、
僕も回答してみることにします。

こちら

ハロー、質問者さん。
あなたの質問は、ある意味、世の中にありふれたものですが、
あなたの質問は、とある興味深いテーマに対する問いかけをしてくれていますので、
回答することにします。

私は年収4000万円ありませんが、
結婚生活はうまくやっている方だと思いますので、
お金持ちの立場からではなく、結婚というものを人生で経験した男性の一人として、
回答させていただきます。

私が思った、あなたの質問が投げかけているテーマとは、
「世界観」ということです。

たとえば、人が小説、物語、映画などを作るとき、
そこには「世界観」があります。

スターウォーズでは、
科学の発達した宇宙時代に、
ジェダイと呼ばれる騎士が、
フォースという超能力を駆使して、
悪の勢力と戦う、という世界観があります。

またハリーポッターであれば、
魔法の力を中心とした世界観があるでしょう。

進撃の巨人であれば、
人類は巨人に捕食され、
巨人から逃れて壁の中で暮らしているという世界観があります。

またシンデレラのようなおとぎ話では、
お姫様は王子様と結婚することによってすべてが解決し、
happy ever afterとなるという世界観があるでしょう。

そして、映画や物語だけでなく、
人にはそれぞれ「世界観」があるのです。
そして、人はそれぞれ、その「世界観」に基づいて
自分の人生の物語を紡ぎ、
自分の人生という作品を作り上げるのです。

さてここで本題に戻りますが、
あなたが投げかけた質問は、
ひとつの世界観に基づいています。

それは、要約して言うのであれば
「男は皆、美しい女を求めており、
金持ちの男、社会的に成功した男ほど、
美しい女性をめぐる競争に勝ち残り、
美人の女性と結婚する」
という世界観です。

私は、このあなたの質問の前提となっている世界観を
個人として否定する気はありません。
実際に、こうした「世界観」の中で生きている人は
たくさんいるからです。

しかしここで問題なのは、
すべての人が、その世界観によって生きているわけではない
ということです。

また、あなたの質問の前提となっている世界観は、
女性の美しさ、という事柄を中心としていますが、
ここにもひとつの問題があり、
女性の美しさは、必ずしも単純なものさしで測れるものでは
ないということです。
たとえば陸上競技や100メートル走のタイムのように、
単純な数字で優劣をつけられるものではないからです。

私からひとつ、あなたに対して提示できることがあるとすれば、
それは、結婚というのは「世界観」の共有ではないかということです。
結婚というのは、男女が二人で共に生きて、二人の「世界観」を作り上げていくことです。

ですから、もし結婚について考えるのであれば、
自分と同じような「世界観」を持つ人が、結婚相手にふさわしいということを言うことができます。
(もちろん、逆説的に、まったく異なった世界観を持つ相手が最高のパートナーとなることもあるでしょう)

なので、あなたがすべきことは、
もしお金持ちと結婚したいと望むのであれば、
そういったお金持ちの人たちの「世界観」を学び、知ることであろうと思います。

しかし、ここにひとつの皮肉に満ちた推論があり、
それは、あなたの質問の前提となっている、
「男は皆、美人を求めており、社会の勝者であるお金持ちは美人と結婚する」
という世界観ですが、
おそらくは、お金持ちの人たちの中で、
このような世界観の中で生きている人は少ないのではないか、ということです。

女性の美しさを、単純なものさしのようにして測り、
それを競争によって手に入れるというような世界観の中で生きているのは、
社会的に地位のあるお金持ちよりは、
むしろ、社会の中のより不安定な場所で生きている人たちではないでしょうか。

ですから、あなたがもし、
自分の美しさを、競争の道具または武器のように考え、
それによってお金持ちの男性との結婚を望むのであれば、
それによって出会えるのは、
あなたを競争の商品かトロフィーのように考える男性だけでしょう。
もしあなたがそうした世界観の中で、これからも生きていきたいと望むのであれば、
それも立派な人生ですが、
そうした世界観の中では、
安定した結婚生活は長続きするのが難しいものであるということを
覚えておいてください。

人間の行為というものは、
あなたのこの質問がそうであったように、
すべからく、
その人の「世界観」の発露です。

そして人は、その人の内部に持つ
「世界観」によって行動し、
人生のシナリオを書き、
自らの人生を作り上げるのです。

ですから、なるべく豊かな「世界観」を
持つように努めましょう。

なるべくポジティヴな「世界観」を
持つように努めましょう。

人生とは、
自分の中に、どのような「世界観」を
持つことができるか、
というゲームであり、

また生きるということは、
自らの中に「世界観」を
築き上げる作業でもあります。

「世界観」によって、
人は人生を変えることもできるのです。

ちなみに、たくさんの人が、
ひとつの「世界観」を共有することを
「宗教」と呼びますが、
長くなるのでここでは触れません。

いずれにせよ、もしあなたが、
男性や、世界や、relationshipについて学ぶのであれば、
「結婚」というものが、
競争の景品よりももう少しばかり意味のあるものだということに
気付くでしょう。

ですから、
あなたが、自分の美しさにふさわしい男性と出会い、
結婚したいと望むのであれば、
そういった素晴らしい男性と共有できるような、
「世界観」を、自らの中に作り上げることです。

その「世界観」を作り上げていく中で、
あなたの「結婚」や「お金」についての
考え方も、変わっていくかもしれません。

その時、あなたの今回の質問、
お金持ちの男性と結婚したい、
ということについて、もう一度、考えてみてください。
それは、あなたが本当に望んでいるものなのか、
それを自分自身に問うてみてほしいのです。

もし本当に、それでもあなたが、
お金持ちの男性と結婚したいと望むのであれば。

どういった男性が成功するのか。
成功し、お金持ちになり、社会的に地位のある男性は、
どういった世界観で生きているのか。

それを学んだ上で、
将来、お金持ちになりそうな、
まだ今はお金持ちでない若い男性を、
その目で見極めればよいのだと思います。

もちろんその男性がお金持ちになるとは限りません。
誰が成功するのか。
どうすれば成功するのか。
わかっていれば、誰も苦労はしませんから。

人生はしょせん、ギャンブルですよ。(笑)

—–

というわけで、
俺も日々、自分の「世界観」を、
問いかけ、築き上げ、そして変えていこうと思う。

それが、今日の行動につながり、
ひいては明日を作り上げていくだろうから。

No(4072)

■…2014年 6月29日 (Mon)…….Deviser guitars
Since last year I’ve become a big fan of Japanese guitar manufacture company called Deviser. To me they look like Godin (Canadian company) in Japan, with brands such as Headway (Acoustic), Bacchus (Electric), and Momose (High End Electric). They make great instruments for affordable price. In our latest recording session we did this year, I used a Bacchus Les Paul type for 80% of the guitar tracks. Now I’m looking into their Headway acoustic guitars to see if I can get one. I love Made In Japan guitars. If acoustic, yes I can play Takamine, but hey, my last name is Nakamine and it’s gonna be a joke! Like, Tak Nakamine plays Takamine!??

No(4073)

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