2015年4月の日記

■…2015年 4月 5日 (Mon)…….真説トイレの神様
【閲覧注意】
【食事中の人はぜったい、見ないでね!】
【お花畑】【お花畑】【お花畑】
【猫】【猫】【子猫】
【犬】【犬】【子犬】
【鹿】【鹿】【子鹿】
【バンビ】【バンビ】【ゾンビ】
【奈良公園に子鹿のゾンビ】
【もう一度言うけれど】
【食事中の人はぜったい、見ないでね!】

うこ、
または、
んこ、
あるいは
う、まる、こ、
の話をしたい。

英語のタイムラインを見ていると、
リベラルとコンサバの罵り合いを見ることに事欠かないし、
最近、日本だって世の中の情勢として、
そういうことを見かけるようになった。
アメリカでは、クリスチャンというのは保守派のことだけれど、
日本ではむしろ逆だったりする。
つまり、たぶんみんなどっか勘違いしてる。

僕が思うに、

リベラルとは、
人間はそもそもんこをするべきではない、
と思っている人のことだ。

そして
コンサバティブとは、
自分は現にんこをしていない、
と思っている人のことだ。

どちらも同じくらいクレイジーだ。

そして、そんなふうだから、
実際にんこを前にしたときの対処方法も違ってくる。

コンサバティブは、
目の前にんこがあることに文句を言い、
そのんこを隣人の家に投げ入れる。
そして、投げ入れた者は英雄視される。
んこを隣人の家に投げ入れることは罪ではない。
なぜなら、自分はんこをしておらず、
その投げ入れたんこも当然自分のものではないからだ。

リベラルは、
目の前にんこがあることを嘆き、非難し、
世の中からんこをなくすべきだと騒ぎ立てる。
自分もんこをしているにも関わらず、んこに関わるものを非難し、
そして、下水処理施設の前で抗議のデモをする。
なぜなら、そもそもんこは存在してはいけないものであり、
その処理施設も当然存在してはいけないものだからだ。

んこのなすりつけあいをすることは、
敗者という名の誰かを犠牲にしさえすれば、
根本的な解決方法を考えなくてすむので、
楽でいいが、
けれどそれは、実際のところ猿にでもできる。

かといって、
目の前のんこを放置しておくわけにもいかないし、
ましてや、
んこをすることなく生きていくことは、
今のところ人間にはできそうにない。

じゃあ、どうやったら、
んこを人になすりつけることなく、
人類は生きていけるのか。

キリストは、すべてのんこをぬぐい去る、
のか?

信仰とは、トイレットペーパーのことなのか?

現実には、人はみな、んこをするのであり、
たぶん人が生きることの、唯一の方法は、
一人一人が、少しずつでいいから、
自分も他人も含めて、身の回りのんこを拾い、
それをできるだけ自然な方法で、処理するか、
あるいは肥料にして畑を耕す。

そんな感じだろうか。

そんなに大袈裟なことじゃないよね。
みんなやってることだと思う。

すべての罪をぬぐいさるイエス・トイレットペーパー・キリストは言った。
私についてくる者は、自らの人生のデッキブラシを背負い、
お互いのんこを拾いなさい。

(言うてへん、言うてへん)

No(4361)

■…2015年 4月 9日 (Fri)…….ライヴ告知、の告知
Imari Tones (伊万里音色)、ひさしぶりにライヴします。
写真撮影だの、ビデオ制作だの、音源発表だの、いろいろやっていたので、
ひさしぶりのライヴという感覚は正直ないのですが、
よく考えると昨年11月以来、半年ぶりのライヴです。
ぜひご注目ください。

5月6日(水祝)
新橋ZZ
こちら
ADV 2100yen / DOOR 2600yen
19:00Start
出演: B.D.Badge、ジョリポリ、FDN、CLOD、Imari Tones
いかしたライヴバーで、強力なバンドの皆さんと共演!
充実したライヴイベントになることが予想されます。
Imari Tonesはわりとレア曲中心に攻める予定です。
ぼくらの出番は、2番目の、模様です。

そして5月にはもう一本、わたくしナカミネToneのアコースティックソロもやります。

5月21日(木)
町田Nutty’s
こちら
Song of Songs Vol.14 Gospel Night
Fee 2,000yen
Open 19:00 – Start 19:30
出演: オオハラシンイチ(ソルフェイ)、Toshi_rock閣下(B.D.Badge)、
Hiroki Miki (CLOD)、ヤマモトカオリ、Tak Nakamine (Imari Tones)、他

ソルフェイのオオハラ氏の主催にて、町田Nutty’sにてクリスチャンアーティストが集まってアコースティックナイト!
これはまた、なんというか相当に貴重なイベントです!
最近ぼちぼちアコースティックをやっている私も、さらなる新機軸を求めてがんばります。
たまには有名なカバー曲でもやってみようかな!

No(4457)

■…2015年 4月12日 (Mon)…….橋渡し
マスタリングという言葉の定義も既に今の時代は曖昧だと思いますが
マスタリング的な音の処理ということでいえば、
それはコミュニケーションの橋渡しに他ならないと考えています。

つまり、同じ内容の言葉を言うにしても
それを大きな声で言うのか、小さな声で言うのか
あるいは、
やわらかい音声で言うのか
きつい口調で言うのか
それだけでニュアンスがずいぶん違ってくる。

マスタリング時の音処理というのは、
そこの橋渡しを、その楽曲、音源の用途と、伝える相手、場所に合わせて、
「空気を読んで」
目的にかなった伝わり方をするように音を調整することだと考えていま、まうす。

僕は人とおしゃべりしたりしているときに「空気を読む」ことは苦手ですが、
音の伝わり方に関して、若干、考えることはでき、まうす。

つまり、ミックスとは作家の創作でありますが、
マスタリングとはリスナーのための橋渡し弟子。

今回のものでいえば、なるべくくせのないように、
かといってサウンド的な主張は残して、
さりげなく邪魔にならずに、老若男女に伝わるよう平均値を意図した、つもりではつかねずみ。

さりげなくBGMとして邪魔にならないように。

邪魔にならずに祝福はあふれるようにしました。

とはいえ、まあたしかに余裕さえあれば、
ああ確かに2番のヴァースはちょうどよいけれども
1番のヴァースは周波数特性かマイクのりか
そこだけ別処理してエンハンサー強めにするなりEQで軽くして抜けるようにするなりという手もあるけれど
その数時間がすでに生活を破綻させるので(泣)

その他細かいところの音の選び方に言及すればきりがありませんが、
依頼した歌唱も狙い通りであったし、

さりげなくバランスと実用性の取れた
良い出来と考えています。

No(4480)

■…2015年 4月12日 (Mon)…….進むぬこと人類
この前、思いついた、
「リベラルとは、すべての人はぬこをすべきではない、と思っている人」
「コンサバとは、自分は現にぬこをしていない、と思っている人」
というやつなんだけれど、

つまり、逆に言えば、
お互いに認めようとしないところがあり、それは、

リベラルは、人間がぬこをせずに生きることは不可能だ、ということを認めようとしない。なぜなら、それを認めてしまったら、自分たちのやっていることが現実に即さず、無駄であることがわかってしまうからだ。

コンサバティブは、自分がぬこをしていることを認めようとしない。なぜなら、それを認めてしまったら、自分たちが誰かを犠牲にしていることを認めることになり、自分たちの生活や信条を変えなければいけなくなってしまうからだ。

もうちっとうまく文章変えられるかもしらんがそんなラットまいす。

No(4481)

■…2015年 4月14日 (Wed)…….ぬこと人類その3
先日から考えている、人間のタイプ、
つまりはリベラルとコンサバに関する考察だけれど、

結論ぽいことに達するとすれば、
人間のそうした限界や弱さ、まあキリスト教的に言えば罪(sin)ってやつを、
乗り越える、まあ乗り越えられないんだけれど、
向き合うには、結局、絶望と後悔しかないのかなと、思っている。

つまり、
絶望したリベラルこそが、もっとも良いリベラルであり、
また、
後悔したコンサバティブこそが、もっとも良いコンサバティブである。

たったこれだけのことだけれど、
結構いろんなことが自分の中で見えてきた。

また後でまとめてみようと思う。

No(4482)

■…2015年 4月14日 (Wed)…….ぬこによるぬこのための政治的立場の考察
書いたものをまとめてみました。

人間には政治的立場っていうことでいうと、
リベラル(進歩主義者)と、コンサバティブ(保守主義者)がいるとされる。

その定義や内容にいろいろの差はあれ、
それは基本的に、どこの国でも変わらない、ようだ。

そして、この両者は、事あるたびに反発し、
お互いをののしり、
ほとんど感情的になって対立する。

いったいぜんたい、何故なのか。

そのことについて考えてみた。

考察を書く前に前提として断っておくと、
僕は自分のことをどちらかといえばリベラルな人間だと思っている。
かといって、分野やトピックによっては、非常に保守主義的な考えを持っていたり、そういった発言をすることもあるので、
やっぱり物事はそんなに単純ではない。

自分独自の言い方を許してもらえるのであれば、
僕は自分のことを、右に行き過ぎて一周して左側に行ってしまった人間とか、
左に行き過ぎて一周して右に行ってしまった人間、と、
そんなふうにかっこつけて言いたいと思っている。

それでも自分がどちらかといえばリベラル寄りというのは、
それは、やはり自分はミュージシャンというか音楽とか芸術家のはしくれであるので、
やはり、自由に新しい音楽表現を追求するにあたって、
どうしてもリベラルな立場の方が有利だということが大いに関係している。
自分にとってはよりいかした音楽を鳴らせる方が正義であり、より良い音楽を鳴らせる方に僕は進んでいく。

けれどもよりいかした、新しい音楽を求めていくと、逆に古い伝統的で保守的な要素に行き着いたりもするので、やはり物事はそれほど単純ではなく、どちらの要素も併せ持って人は生きていくものなのだ。

自分はそれなりに熱心なキリスト教徒であるが、
アメリカでは一般的にキリスト教徒は保守的なコンサバティブ層のことを指すと
言われているが、
僕は必ずしもそうは思わない。

そしてその状況は海を渡って日本では、必ずしも当てはまらず、むしろ逆の傾向になることが多いと思われることからも、
一般的に言われるリベラルとコンサバティブという定義や対立軸が、いかに曖昧で信用ならないものかということを言うことができると思う。

そして、新しい音楽を追求して音楽を鳴らしたい自分の立場が、リベラル寄りだという自分の居場所の理由になっているように、
結局のところ、主義というのは社会の中でその人が立っている立場の現れに過ぎない。もちろん地域によって人や物の性質とか気質とかに違いはあれど、北海道に住んでいる人が全員気難しいとか、熊本に住んでいる人が全員短気だとか、そういったことはないように、その人が立っている場所と、その人の内面の本質とは、まったく別の問題であるということを忘れてはならない。

また、同様に政治的な主義主張や、立場というのは、スポーツのチームの応援のようなものだと僕は思っている。たまたま関西の生まれだから阪神タイガースのファンになるのか、あるいはたまたま埼玉に住んでいるから西武ライオンズのファンになるのか、あるいは巨人ファンになる人にはそれなりの理由があるし、またアンチ巨人と言われる人にもそれなりの理由がある。
でも多くの場合、それはほとんど偶然といえるような些細な理由であり、決して「阪神タイガースの政治理念に賛同したから」とか、「読売ジャイアンツの経営哲学に共感したから」とか、そういうことではないと思う。
けれども、人はそれでもnonetheless、スポーツに対して感情的になり、激しく対立し、ライバルチームのファン同士は殴り合いのケンカをしたりする。
それは、自分の贔屓のチームを批判されることが、自分の立っている立場を否定されることと同義であるように感じるからだろう。
自分の生きている(生きてきた)立場というものを否定されて、心穏やかでいられる人間というのは、決して多くはない。

現状で、政治というものも、これとそれほど変わらないと、僕は思っている。
Prove me wrong, if you want. Please.

だから、リベラルとコンサバティブというのも、
しょせんは人の立場に過ぎないのであって、
人の本質を指す言葉では無いのだ。

前置きが例によって長くなったが、
書き進めたい。

僕はこのリベラルとコンサバティブについて、
「ぬこ」を使って説明したい。

つまり、う、ぬこ、のことである。

それが何を指すかはご推察いただきたい。

以下、先日の日記のコピペである。

— — —

僕が思うに、

リベラルとは、
人間はそもそもぬこをするべきではない、
と思っている人のことだ。

そして
コンサバティブとは、
自分は現にぬこをしていない、
と思っている人のことだ。

どちらも同じくらいクレイジーだ。

そして、そんなふうだから、
実際にぬこを前にしたときの対処方法も違ってくる。

コンサバティブは、
目の前にぬこがあることに文句を言い、
そのぬこを隣人の家に投げ入れる。
そして、投げ入れた者は英雄視される。
ぬこを隣人の家に投げ入れることは罪ではない。
なぜなら、自分はぬこをしておらず、
その投げ入れたぬこも当然自分のものではないからだ。

リベラルは、
目の前にぬこがあることを嘆き、非難し、
世の中からぬこをなくすべきだと騒ぎ立てる。
自分もぬこをしているにも関わらず、ぬこに関わるものを非難し、
そして、下水処理施設の前で抗議のデモをする。
なぜなら、そもそもぬこは存在してはいけないものであり、
その処理施設も当然存在してはいけないものだからだ。

ぬこのなすりつけあいをすることは、
敗者という名の誰かを犠牲にしさえすれば、
根本的な解決方法を考えなくてすむので、
楽でいいが、
けれどそれは、実際のところ猿にでもできる。

かといって、
目の前のぬこを放置しておくわけにもいかないし、
ましてや、
ぬこをすることなく生きていくことは、
今のところ人間にはできそうにない。

じゃあ、どうやったら、
ぬこを人になすりつけることなく、
人類は生きていけるのか。

キリストは、すべてのぬこをぬぐい去る、
のか?

信仰とは、トイレットペーパーのことなのか?

現実には、人はみな、ぬこをするのであり、
たぶん人が生きることの、唯一の方法は、
一人一人が、少しずつでいいから、
自分も他人も含めて、身の回りのぬこを拾い、
それをできるだけ自然な方法で、処理するか、
あるいは肥料にして畑を耕す。

おそらくそんな感じだろうと思う。

と、このように、
「リベラルとは、すべての人はぬこをすべきではない、と思っている人」
「コンサバとは、自分は現にぬこをしていない、と思っている人」
と定義してみたのだけれど、

また別の視点から書いてみれば、
この両者には、お互いに絶対に認めようとしない事実がある。
リベラルもコンサバティブも、どちらも非常に不都合な真実を隠して生きているのだ。

リベラルは、人間がぬこをせずに生きることは不可能だ、ということを認めようとしない。なぜなら、それを認めてしまったら、自分たちのやっていることが現実に即さず、無駄であることがわかってしまうからだ。

コンサバティブは、自分がぬこをしていることを認めようとしない。なぜなら、それを認めてしまったら、自分たちが誰かを犠牲にしていることを認めることになり、自分たちの生活や信条を変えなければいけなくなってしまうからだ。

と、このようにまったくの思いつきで、
リベラルとコンサバに関して考察してみたのだけれど、

結論ぽいことに達するとすれば、
人間のそうした限界や弱さ、まあキリスト教的に言えば罪(sin)ってやつを、
乗り越えるためには、
まあ本当に乗り越えることはできないので、向き合うしかないのだけれど、
立場の限界を越えてそれらに向き合うには、結局、絶望と後悔しかないのかなと、僕は思っている。

つまり、
絶望したリベラルこそが、もっとも良いリベラルであり、
また、
後悔したコンサバティブこそが、もっとも良いコンサバティブである。

ということだ。

もちろんこれらは仮説に過ぎないものではあるのだけれど、
こうした立場の違いについて考えてみることで、
いろいろと得るものがあるように思う。

以上です。

No(4483)

■…2015年 4月14日 (Wed)…….TenKei2015
まあそういうわけで、
絶望と後悔に向き合って生きることが、
人間にできる最善の生き方だと言われてしまったので、
そのようにしようと思います。

まあ、何をするまでもなくすでに最初っから人生絶望と後悔ばっかりだけどね(笑)

No(4484)

■…2015年 4月14日 (Wed)…….Unknown Road 未知の道ビデオ
こちら

そんなわけで、
たくさんミュージックビデオを作るよ、という計画どおり、
今度は”Unknown Road”という曲のビデオを作ってアップしました。

今年、発表というのかリリースする予定の、昨年録音した作品ちゅーのかアルバム、”Revive The World”から、はやくも3曲目のビデオになります。

リリースもしてないアルバムから、何曲もビデオを公開するのも、
あまり一般的ではないかもしれませんが、
まあなんか、無名のバンドゆえに勝手にやらせてもらってる感じですよね。

実際のところ、あと2曲ぶんのビデオの素材も、すでに撮影済みなので、
順番に、その2曲のビデオも制作し、発表する予定ではいます。

そしてまた、5月末には、あと1、2曲ぶんの素材の撮影をする計画になっています。

まあでも、6月以降は、いろいろとライヴとかXTJのどうするこうするとかたてこんでくるから、現実的にはそこまでで、その後はどこまで隙を見て撮影ができるか、かなあ。

そして実際のアルバム発表はいつになるのか、とか。
いろいろやってると2015年ちゅうにリリースできず、
2016年にずれこみそうな気が、今からひしひしと(苦笑)

だって、ひとくちにリリースといっても、
ほい、っとiTunesとかにのせて発表すればいいわけではなく、
実際にはそれに伴っていろいろやらなきゃいけないじゃん、
いくら無名のインディバンドとはいってもさ。
それらを年内のスケジュールで果たしてできるかどうか。

もしそれができずに2016年にずれこんだとして、
そしたら、次の作品”Jesus Wind”のれこーでんぐはいつになるんだ?

いやあ、なにせ無名のインディバンドを、生活に必死な中で無理矢理やってるんで、
いろいろなアクションとか計画も生活のリズムに制約されてしまうんよね。

どうなるんだ、俺たちのバンド活動。
海外ツアーもまだまだやりたいのに、いつやれるんだ。

ていうかそうこう言っているうちに、
自分の中での「鳴らさなければいけない音」の追求も、どんどん進んでいってしまっているし。

そうした追求というか音の突き詰めが終わらないうちにツアーに出ても、それはどちらかというと、「お仕事」というか「義務」のようなニュアンス。今出せる音で、皆さんに楽しんでいただこう、という趣旨の。

これこそが世界に向けて鳴らす俺たちの完成されたジャパニーズロックだ、
と言って大々的に鳴らすことができるのはいつの日なのか!?

それまでバンドは存続するのか。
それまで俺たちは生きていられるのか。
やってみんとわからん。

で、話それましたが”Unknown Road”のビデオです。

まあ、珍しく、というか、僕らにしては珍しくメッセージ性のあるビデオになりまして、
メッセージ性なんて言ってしまえば、僕らの楽曲にはぜんぶ、ジーザス、とか、希望とかポジティヴなメッセージがあるんだけれども、

めずらしく、元気の良いだけではなく、多少なりとも深みのある楽曲ができたなー、というのがこの”Unknown Road”。
多少は、大人っぽい曲が書けた、というところでしょうか。

アルバム”Revive The World”の他の曲と同様に、2012年の秋から冬にかけて書いたものですが、
なんでこんな曲が書けてしまったかというのは、それはもう察してください、としか言えないですよね。
それくらい、激動の世の中に僕たちは生きていますんで。

そうした気持ちが、この”Unknown Road” (未知の道)というタイトルにも表れているわけなんですが。

数年前からいつも言っている気がしますが、
僕は神さんが、この世界とか、人類を滅ぼさずに、
僕らがこうして一日を生きていられることに、いつだって信じられない思いでいます。

毎朝、起きるたびに、うわ、まだ世界は滅びてないよ、
まだあと一日生きられるんか、
と、驚いているわけです(笑)

もちろん、神は人の罪をすべて許し、
そのためにイエス・キリストが人類の罪をすべてかぶった、
とされてるんですけれど、

現実には人の罪っていうのはヒマラヤ山脈よりも高く積もってるように思えるし、
イエスさんが再臨したらそれって終了の合図、って感じじゃん。
いつ終わってもおかしくない的な。

だから、こうして僕らが次の新しい一日を与えられているというのは、
ひょっとして世界のどこかの誰かが、何か尊い行いとか、自己犠牲的な事をしたりしたからなのかもしれない、

と、そんな想像から、この歌詞を書いてみたんですね。

僕らにこの一日が与えられているのは、
神の慈悲と許し故なんだろうな、という。

で、このビデオの良いところは、
その歌詞の日本語訳を手書きの文字で表現できているところですね。

タイトルがUnknown Roadだから、道の映像を使いたかったんだけれど、
それと合わせて、小説家が文章を書いているシーンみたいのを撮りたかったのよ。

で、昭和の文豪みたいなさ、太宰治的なイメージで。
世界の広がりを出すのに、実際にいろんな道をドライブして広大な景色を撮影する、という方法もあるんだけれど、
物理的な広がりじゃなくて、イマジネーションの広がりを表現するのに、作家が文章を書いている、というのは、創作世界の無限の広がりを表現できるので、良い組み合わせかなと。

で、そんな昭和の文豪かよ、みたいな雰囲気が撮影できる場所、ないよね、とか前々から思っていたんだけれど、
ありました。

自分の住んでいるアパートから、徒歩10分くらいの場所に(笑)

これ、あれね、昨年11月に、The Extreme Tour Japanでアンジェロが来て、
うちの近所を一緒に歩いたときに、見つけたんだよね。
というか、それまで気が付かなかったことがそもそもにぶいというべきか。
ほんと、ディープな街なんだよね、ここ。

アンジェロのアーティスト名はGallery Catだから、
このGallery Moon Catというのはほとんど同じだね、
と言ってそこの前で写真を撮ったんだけれど。

まあそういうわけで、
横浜は、白楽にある、六角橋商店街の中にあります、ギャラリームーンキャット、屋根裏劇場、というところで映像の撮影をさせていただきました。

結果、雰囲気ばっちりでしたね。狙いどおり。

で、作家のまねごとして、文章を書くんだけれど、
じゃあ、当然日本語で書くことになるので、
曲の歌詞の日本語訳を書けばいいや、って。

僕らはいつも大抵、手作りミュージックビデオを作るときに、
歌詞の字幕をつけるんですが、
それは、自分の英語の発音とか文法とか必ずしも完璧ではないので、
内容がなるべく伝わるように、という意味ですが、
今回は、英語の歌詞字幕に加えて、
日本語訳が映像の中で表現される、ということになって、
なかなか面白いんじゃないかと。

で、細かいディテールに多少はこだわるので、
わざわざ、購入しましたよ、
三千円くらいする、安物の万年筆を(笑)

でも、用途は普通の文章を書くことではなく、
ビデオの中で言葉を表現することだから、
「楽譜を書くためのミュージックペン」なるものがあって、
文字が太いらしいんだけれど、
それでちょうどばっちりでした。
ビデオの映像でちょうど映える文字になった。

と、ともに、それで歌詞の言葉を書く、という作業をしていたら、
言葉の力、というものに、
あらためて思い当たった。

現代では文字というのは、パソコンや携帯デバイスでタイプするものだけれど、
手書きで文字を書く、ということの意味や、
そのことによって生み出される言葉の力、
ということについて、考えさせられた。

そんなこんなで、最近、何度か、
Instagramに手書きの文字の写真をアップしてたのは、
そういう経緯だったんだけれど、
やっぱぜんぜん”Like”つかないね(笑)

この「手書きの文字」と「言葉の力」
ということに関しては、
次のビデオとか、次以降のビデオの中でも、
素材として使っていくことになると思う。

まあ、それほどどうってことのない
よくあるアイディアなんだけどね。

で、道の撮影ですが、
急造パンクバンドPeter’s Chiken Party(活動開始に向け準備中?)のシンガー?でもある?(ハテナばっかだが)Nobu氏と、ご存知ソルフェイのリーダーであるオオハラ氏と一緒に、「9月に予定しているバイクとクリスチャンミュージックのフェスティバル」の打合せのために長野県にある「松原湖バイブルキャンプ」に行ったときに、車の中から撮影しました。

ビデオの最後には、その「松原湖バイブルキャンプ」の看板も映っています。

結果、当初このビデオのことを考えていたときには、道の映像を使えたらいいな、としか思っていなかったんだけれど、
結果的にまだ雪の残る長野県の山の中まで行った結果、
見事な雪景色のビデオになった!

これは予想外のラッキーでした。

そんで、僕は車の運転ってしないし、
そうした道の映像を撮る機会もなかなかなく、
あるいは数年前にアメリカツアーの際に撮った車窓の映像とか
使おうかとも考えていたんだけれど、
その時の映像って、古いカメラを使ってるから、画質よくないしね。

どうしようかと思っていたところ、
日本の!長野の!雪の!
情緒あふれる映像を撮ることができた。

なんという幸運。

かかわってくれたみなさんどうもありがとう!

見てくれる方も、なにもかもぜんぶみんな、
どうもありがとう!

さて、こうして地道に、地味に、
映像を作ってアップしてはいるものの、

しょせんはコミュニケーションや営業の致命的に下手な、
半分ひきこもりの無名のインディバンド。
しかもやたらニッチな分野とジャンル。

なかなかたくさんの人に見てもらうというわけにもいかず、
再生回数も増えません。

けれども、
まあ工夫してみるよ。
そろそろまた費用かけて宣伝も打ってみようかな。

そして、そうはいっても、
まったく芽が出ないわけではない。

うちのバンドのYouTubeチャンネルも、
もうすぐチャンネル全体の再生回数が、10万回に届きます。
まあ、いちばん再生回数の多い動画は、スケートボードのやつだとはいっても。

本当は、もう一桁、増やしたいところ。
全体の再生回数が、100万いったら、けっこう、それなりだよね。

オリジナルの音楽やってる、バンドのチャンネルなら、なおさら。

ひとまずの目標は、その倍の20万、ということになるんだろうけれど。

ここまで来るのにも何年もかかってるからなあ。

長生きできれば(笑)

神様よろしく。

サンキュージーザス!

No(4485)

■…2015年 4月16日 (Fri)…….Young and Wild 1978
常々言っていると思うが
(いや、これは余り人前では言ってない笑)
僕は「鷹の爪団」の総統のようになりたいと思っている。

つまり僕たちのロックバンドとしての目的はあくまで世界征服であるが(これは常々人前でも言っている)、
その世界征服の手法やスタイルとして、鷹の爪団のようでありたい、と思っている。
(まあ、「鷹の爪団」も、そんなに見てないから、それほど知らないんだけれど)

Van Halenの東京ドームのライヴ盤を少しずつ聴いているが、
もちろんこの作品についてはまた折を見てちゃんと感想をしたためたいと思っているのだけれど、

あらためて彼らの演奏に触れて思うのは、
ロックミュージックが持つ、また人が持つ、
青春というのか若いエナジーが持つその特別なパワーというか。
日本語になってないが。

つまり、現在のVan Halenは、David Lee Roth時代の、初期のVan Halen、最初の6枚の楽曲を演奏している。
それらの楽曲が持つ、メッセージ、パワー、そしてまたドラマ、ストーリー、物語、といったものに、
ロックミュージックが本来持つメッセージの特別さをあらためて感じる。

そのあたり、自分たちのバンドについて、また自分の音楽人生について省みて思うのである。

つまり、David Lee Rothのいた時代の、若きVan Halenの演奏は、彼らの青春のパワーそのものだ。

ロックミュージックの持つ、衝動的なメッセージ。
いろいろな偉大なミュージシャンの例を出すまでもなく、
人がその特別さを捉えることができるのは、芸術家の人生の中でもたった一度きりで、
それは、つまりは青春時代である。
10代の激動の嵐の時代の中で、人はもっともみずみずしく、また純粋なパッションとメッセージ、そして神から与えられた物語を紡ぐことができるのだ。

かえりみるに、
今の僕らのイマリトーンズ、
つまりは英語でクリスチャンロックをやっている現在のImari Tones、
これは、僕の年齢でいえば30歳頃からやっと始めたものだ。

だから現在のクリスチャンロックを海外向けにやっているImari Tonesというのは、
「いい歳をしたダメ男たちの純情の物語」なのである。

そして、もちろん、状況も違えば、鳴らす音も違えば、場所も違うし時代も違うので、まったく同じではないが、
つまりは現在の「クリスチャンロックをやっているImari Tones」というのは、
Van Halenでいえば、Van Hagar、つまり、サミー・ヘイガーが加入してからのVan Halenなのだ。

もちろん、僕らは基本的にダメ男たちであるので、
そしてまた、大きな成功を手にしているわけでもないので、
そこに純粋な純情のパッションがないわけではないのだ。
そこには純情のパッションがあり、
そして描かれているのは僕らと神様とのラブロマンスであるのだ。

なぜなら現在のTone-Hassy-Jakeという体制になってから最初の作品である
アルバム”Victory In Christ”は、
まさに僕らの純情のパッションである命の音であり、
いい歳をした僕らの、世界に向けた純情だったからだ。
だからあれらの曲を演奏すると今でもその純粋な気持ちを思い出す。

そして僕のミュージシャンとしての使命というかやるべき仕事のひとつに、
Van Hagarというだけでなく、エディ本人が成し遂げることのできなかったVan Cheroneのその先を鳴らし、成し遂げる、という使命がある以上、
やはり僕はこれをやるべきなのだ。

けれども、こうして初期Van Halenの、その祝福された音の物語に触れていると、
ロックバンド、ミュージシャンにとっての、
自身の若き純粋なパッションの物語がどれほど重要かということを、
あらためて思い起こさせられる。

その物語は、やはり何度でも語られるべきなのだ。

では、僕の、そして僕らのバンドImari Tonesにとっての、
その青春の物語は、もう過ぎてしまったのか。

それは、ちゃんと形にもしてあるとおり、
まったく、そうではないのだ。

僕は、バンド活動を形にして始めるまでは、
確かに遅かった。
自分の音楽プロジェクトであるImari Tonesをバンドとして形にして立ち上げる頃には、
自分はもう20代の後半だったからだ。

これを、10代の頃に形にすることができていたのなら、
あるいはこのImari Tonesの物語も、違うものになっていただろう。
よくもわるくも。

けれども、僕が、一人の音楽家として、
その自分の人生における、10代のみずみずしいパッションを、
神から与えられたもっとも重要なメッセージを、
自分だけが持つ物語を、
紡がなかったかといえば、
そうではない。

僕は確かにそれを紡いだのだ。
そしてその音は、今でも自分の中に鳴っている。

それはつまりユーミンでいう荒井由実時代の楽曲であり、
Van Halenでいえば、若きパサディナのパンクだった、
Van Rothの音なのだ。

ロックが若い音楽である以上、
往々にして、ロックミュージシャンは、早熟であると言われる。
では、その基準から比べて、決して若くない年齢からバンドを立ち上げた僕は、
その音楽性においても、遅咲きであったのか。

いや違う。
多くのロックミュージシャンと同様に、
僕もやはり、内面の才能においては早熟であり、
10代の頃、つまりは高校時代において、
100曲以上の楽曲を書いたのだ。

それらは、適材適所で、また大人になってから、その時その時で曲を書き上げるので、
それらのすべての楽曲にスポットライトがあたったわけではないが、
その後、大人になりバンドを立ち上げてからも、
そして、今現在にいたっても、
その10代のときに書き上げた曲が、いくつかバンドのレパートリーに含まれている事実からも、
決してそれらが若さゆえの未熟な習作というわけではなかったと思っている。

僕の物語は、Van Halenとは違う。
当然ながら違う。
時代も、国も、環境も違う。

けれども、齢60にして、
今、また新たに鳴らされるEddie Van Halenの若き音楽の物語に触れるにつけ、

やはり、僕が鳴らすべきもっとも重要なメッセージ、もっとも伝えるべき物語は、
その自らの青春のパッションであると、あらためて思うのだ。

これは、別に今さら気付いたことではなく、
最初っからずっと、思っていたことであり、そのことは常に自分の頭の中にあったことだ。

最終的に戻ってきて、鳴らすべき音は、これである、
と、
いつでもわかっていた。
そこへ向けて、すべて音を鳴らしていくのだ、と。

そのためにどれだけ時間をかけて回り道をしたとしても
そのラヴソングを、鳴らすことこそが、
自分の愛であるのだと。

だから、いつの日か、僕は、また、
自分にとってのこの”Van Roth”を鳴らすだろう。
(そこにたどり着くまで生きていられたらの話だけど)

クリスチャンロックですらない、
そしてヘヴィメタルですらない、
自分にとってのロックンロールを。
そして自分にとってのポップミュージックを。

あとどれだけの「宿題」をこなしたら
そこにたどりつけるのかわからないが、
今は「いい歳」をした自分たちだからこそ鳴らせる、
英語で歌う、本格的ハードロック、
日本初のクリスチャンヘヴィメタルを、
やれるところまで追求したいと思う。

それは自分にとってのVan Hagar、
そしてVan Cheroneの、その先。
そして「いい歳」をした僕らの
現在進行形の青春と純情を鳴らすための物語だ。

まあ、でも、いつになるかな。
やるべき「宿題」、まだまだあるからな。

でも、自分の中には、常にそういう葛藤があるんだよ。
いい歳をした大人である自分が、
追求しなければいけない、今鳴らさなくてはいけない音があるけれど、
けれども人生の最後には必ずまたもう一度青春の音を「やっと、きちんと」鳴らしたい、という思いが。
その葛藤がね。

そういえば最近また思い出したように、
時折だけれど、
2000年代のイギリスに活躍したThe Musicというバンドを聴いている。
彼らはアルバム3枚で解散したはずだ。

彼らが成功し、そして失敗したのは・・・

理由を探すことはいくらでもできる。
そして、失敗したバンドなんて、世の中にはたくさんある。

また、世の中にはスポットライトを浴びることができなかったミュージシャンもたくさんいる以上、
曲がりなりにも華々しくひととおりの活躍をした彼らを、
失敗と呼ぶことには語弊があるだろう。
僕も含めた多くの無名のミュージシャンから見れば、それは立派な成功かもしれない。

でも、Van Halenのような大物中の大物。
成功の中の大成功というような伝説的な、
そんな成功例ばかり見るよりも、

散っていったバンド、
それほど成功しなかった音楽家、
彼らから学ぶことも、またたくさんある。

なにが言いたかったのか。
そう、
サウンド。

たとえばあの時、
日本製の「なんとか使える」Musicman Axis-EXと、
Marshallのコンボアンプと、
Cranetortoiseのペダルで作り出した、
あの音が、
自分にとっての唯一の音だったように。

青春のそのサウンドにはルールはない。
その音が、どれだけかけがえのない特別なものなのか、
ということだ。

(Cranetortoiseのペダル、もうライヴで使うことはないだろうなと思っていたけれど、そういえば最近、ソルフェイのライヴで何度か使ってるな。それはやはり、J-Popということかな。)

けれども、それを、齢を経て、
一周して、経験と成長をもって鳴らすことができたら、
どんなに幸せだろうか。

自分の中の純情パッションは死んでいない。
これまでも、一瞬たりとも眠ってはいない。
ずっと燃え続けている。

その音を鳴らすために必要なのなら、
どんなものでも喜んで捨てよう。

けれども、
投げ捨てたつもりで、
すべてを捨てた瞬間に、
それが自分のものになる。

そんな事が、世の中にはちょくちょくあることも、
僕は知っているつもりだ。

最後まで物語を紡ごう。
あきれるほど遠回りな青春ラヴソングを鳴らし続けよう。

No(4486)

■…2015年 4月23日 (Fri)…….最適解エレクトリックベース
ギターにはギターの最適解というものがあると思うのだけれど、
それは作曲スタイルとか演奏スタイル、などなどによるものだと思う。
ではベースはというと、
結論から言えばベースにはアンサンブルの数だけ最適解があるのだと思う。
ちょっとベースについて考察しているのだけれども、
一般的に言って、エレクトリックベースといえば、Fender社のものが圧倒的に基本だと思う。
ジャズベとプレベ、というふたつに関しては誰もが知っていると思うけれど、
最近になってやっと気付いたのだけれども、このジャズベとプレベ、というふたつの一般的なバリエーションに加え、そこにボディがアルダーなのかアッシュなのか、というふたつの要素があることをやっと知った。つまり1960年代のジャズベはアルダーで、1970年代のジャズベはアッシュだった、とかそういう話らしい。
いってしまえば、エレクトリックベースの正解というものがあるとすればそれはもう圧倒的にFenderのJazz Bassであり、たまたまそれが正解だったんだから仕方ないじゃん、くらいの勢いである。
けれども、たとえそれが正解だったのだとしても、
必ずしもすべてのプレイヤーがその正解を選ぶ必要はない。
それは、アンサンブルというものはバンドごとに違うものだからだ。
マホガニーボディ、セットネックのSGベースがはまることもある。
スティングレイの独特の音がはまることもある。
ポプラボディやバスウッドのやわらかい(?)音がはまることもある。
アッシュボディの現代的なベースがぴったりくる音楽もある。
そしてもちろんめっちゃ高いよくわからん弦がいっぱいあって妙な模様の木目がはいってスルーネックのやたら高いベースがぴったりくる音楽もある。
ピック弾きで歪んだごっついプレベの音が合う音楽ももちろんある。
すべてはアンサンブル次第なのか。
RushのGeddy Leeの音はめっちゃ主張していると思うし、ミックスの音もでかいが、それが良いかどうかはともかく、あのバンドはそういうアンサンブルなのだからそれでいいのだ。
そしてアンサンブル、とは、人間関係、と言ってしまってもいいかもしれない。
力関係、と言ってしまうと語弊があるけれども。
音で会話し、ともに作り上げる人間関係のことだ。

よくよく聴いてみるとベースの音色というものには本当にいろいろな種類がある。
そう思って自由にベースの音色を選び、作りこむことで、アンサンブルにより自在に色をつけることができる、のかもね〜。

No(4487)

■…2015年 4月23日 (Fri)…….Vandenberg’s Moonkings来日公演
Vandenberg’s Moonkings見てきた。ざっくりメモ。
名器Gibson Les Paul Heritage80に、ピンスイッチのMarshallで鳴らしたエイドリアン師匠は至高のサウンド。もちろん。
クラシックロック直球のサウンドで最高のショウだったのですが、
Extraアンコールの際に”We’re out of songs. We’re gonna let you decide.”とか言ってるときのまさかの”Friday Nightコール”にはエイドリアン師匠も胸アツだったのではないでしょうか(やらなかったけど)。世間的にはおそらくWhitesnakeのギタリストとして認知されているエイドリアン師匠、Vandenberg時代の楽曲をたくさんやる、というのは想定の外なのでしょうね。でも日本の熱心なメタルファンはその時代の曲を覚えているぜ、ということなのでしょう。

さて、ここ1、2年ほど、ギターサウンドと楽器ということについてちょっとばかし考えてみて、ヴィンテージギブソンとかヴィンテージレスポールとかについて考えていた最近の私ですが、こうして名手Adrian Vandenberg師匠が弾くレスポールの音を実際に聴き(さすがに59年ではないけれど。持ってこれないのかもね。保険とかきっと。でもVandenberg時代から使ってるHeritage80ですよ。)、明確にはっきりとわかったのは、たとえば正直に言うんであれば、おんなじオランダ出身の伝説的ギタリストで名字におんなじVanがついたとしても、伝説の名器ヴィンテージレスポールで鳴らすエイドリアン師匠のサウンドよりも、はっきりいって僕はお手製の安物フランケンギターで鳴らしたEddie Van Halenの音の方が好きだ、ということ。ある意味わかりきったことではありました。
そして、もうひとつこうして現場に接してわかったこと。
それは、彼らのような70年代、80年代を切り開いていったミュージシャン、ギタリストたちにとって、それら”ヴィンテージ”とは、スタート地点に過ぎなかったということ。(もちろん当時は「ヴィンテージ」なんて言われてなかったでしょうけど)
つまり、今の時代にあっては59年レスポールとか58年フライングVとか、何千万円もする代物になってしまっているので、ヴィンテージはつまり至高であり最高のように感じます。つまりはそれが究極のゴールみたいに思えます。
けれども、彼ら時代を切り開いてきたミュージシャンたちにとっては、ヴィンテージとはゴールではなく、スタートであったのだなあ、と。
そのことを強く感じました。
これも、ある意味、わかりきった当然のことですが。

それをスタートとして、その上に、ヒーローたちは(まあ、E.V.H.のことですが)、それ以上に発展させ突き詰めた、独自のサウンドを築き上げてきたのだ、と。
そして、ここ1、2年自分がすっかりBacchus/Deviserひいきで愛用している”猫ポール”に関しても、それはやはりGibsonの音とは違うことがこれではっきりしました。
Gibsonの古いレスポールというのは、やはりホンジュラスマホガニーなのかなんなのか、「なんか凄みのある」音がします。それは英語で言うとMajesticという感じかな、「権威を感じる」音がします。ひいてはそれがBritish Hard Rockの伝統の音と結びついていったのだと思いますが。
僕の「猫ポール」は使われている木材が違い、アフリカンマホガニーなので、音も違って当然なわけです。
ヴィンテージはスタート地点に過ぎない。基本に過ぎない。あたりまえのことです。そしてそれは、ギターという楽器そのものにも言えることでしょう。
「猫ポール」の音がどんなか、と聴かれれば、先日YouTubeにアップした”Unknown Road”という曲があるので聴いてみてください、と今はアップしたので言えます。”Victory”や”Born To Ride”も猫ポールですが、”Unknown Road”がいちばんクラシックロックっぽいレスポールの音が聴ける曲だと思います。

そしてそうした1970年代の伝説的なロックにせよ、レジェンドたちが作り上げてきたロックの歴史にせよ、そして今日こうして見たVandenberg’s Moonkingsにせよ、それはやはり「基本」に過ぎないわけです。
ではその「基本」以上の「応用」をどうやって追い求めていったらいいのか。
それは現代を生きるインディーミュージシャンとしては、もう十分すぎるくらい既に知っていることです。
けれども僕は新しいものや未来を追い求めたいのと同じくらい、普遍的なロックの「道」というものに近づきたい、と思っています。だからこそ自分なりに見聞を広めようという気持ちのひとつふたつはありました。

そういう感じでした。
良いものが見れました。ありがとう。

またヴォーカルについても少々気付きがありました。
エキセントリックで飛び抜けていた古い世代のロッカー、ミュージシャンたちと違い、世代が後になれば、安定し、技術的にも向上した、平均的にうまくやれる人たちが主流になってきます。それはシンガーにも言えることですが、思うにテナーの醍醐味というのか、男性ハイトーンヴォーカルの醍醐味というのか。たとえば綱渡り(tightrope)というものがあると思うわけです。サーカスの見せ物、つなわたり。あれはやっている行為といえば、ただ「歩く」というそれだけです。けれども、細いロープの上を歩いているからスリリングな見せ物になるわけです。もし、それが2メートルの幅の橋の上を歩いていたら、それは「ただ歩いているだけ」であって、見せ物でもなんでもないわけです。
そう思うと、声や首や体形の太い人をうらやましがる前に、エキセントリックな表現が可能な不安定な自分にもっと感謝すべきかな、と思います。不安定な声の人とか、あるいは不安定な性格の人とか、あるいは人間として不安定な人とかは。

以上です。
4月中は自分はちょっとは労働し人並みに働きづめの予定なので、忙しいというよりは僕は特に気持ちに余裕がないので、友人の皆さんも連絡取りづらくなるかもしれませんが、すみませんよろしくー。

No(4488)

■…2015年 4月24日 (Sat)…….記憶の中のレスポール
昨日書きましたように近年になりLes Paulに興味もって、Vandenberg先生の演奏など聴いて、Heritage80なんていうモデルがあることを知ったのですが、ちょいと検索したところ、代表的なHeritage80のプレイヤーとしてBernard Butlerの名前があって卒倒した。Suedeの1stアルバムほとんどこのギターだって。間違いなく夢中になった音楽。人生もう一度振りかえってみる必要があるな・・・

No(4489)

■…2015年 4月26日 (Mon)…….違いのわかる男のための3bandEQ
また楽器トークである。
エレクトリックベースというものは、
エレクトリックギター以上に、正解の数と幅が限られているような気がしている。
なので、一般的なジャズベ、プレベ以外で、オリジナルなデザインで成功しているメーカーやブランドには敬意を覚えるし、国内海外に限らず、また音楽を作る分野であっても、音楽以外の分野であっても、本当に新しいものをデザインするという難しさを考えさせられる。それ以上つっこむと難しくなるので書かないが。

僕はここ2年くらいすっかりDeviser/Bacchus/Momoseのファンであるので、Apple教信者の友人が数年前に僕にMacBookを勧めてくれたみたいに、周囲の人にどうしてもBacchus/Momoseを勧めてしまう傾向がある(笑) つまりはこの感動と発見を皆にも味わってもらいたいという思いである(笑)

当然、うちのバンドのベーシストにもバッカスいいよ発言をしているのだが、先日からデザイン的にこれは合うんじゃないかというモデルがあったので、機会を見つけて昨日一緒に試しに行って来た。良い機会だったので昨年くらいから本格的に「ベーシストとしてもデビュー笑」している僕のメインであるCraft SeriesのTF-Ashも持っていったのである。それはつまり比較のためと、はっしー先生にこのTF-Ashが合うかどうかのチェックにもなるからである。もし合えば、次回のバンドのレコーディングにおいて音作りの選択肢になるからだ。

というわけで、Bacchus/Momoseの取り扱いが充実している都内のイケベを2店はしごしてみたのだけれど、僕の収穫としては、今まで何故だか試していなかったBacchusのベースの代表的モデルであるWoodlineのアクティヴモデルを試せたことだった。定評あるバッカスベースの代表的なモデルで、どのお店にも置いてある定番だけれど、「いや普通のジャズベとか別にいいし」的な偏見が僕にもはっしー先生にもわりあいとあるので、無意識のうちにスルーしていた。
だが弾いてみるとやはりこれが非常に良いではないか。充実した堅実な鳴りをする。いかにもこれがBacchusだよねという真面目で実直な音だ。モダンで実用性も高い。用途の幅も拾い。しかしこれが何故だかはっしー先生のピッキングには合わなかった。後になって「やっと頭が起きてきた」発言があったので、そのせいかもしれないし、お店の試奏用アンプのせいかもしれないが、これはお互いに軽くショックだったのではないだろうか(笑)

結局のところルックスに引かれていたお目当てのモデルは、サウンドにぴんと来なかったようで特に何も購入には至らなかったのだが、何年も一緒に演奏しているベーシストであるはっしーの、演奏という僕らのもっとも大事な分野を通じて、あらためて彼のことを理解する良い機会になった。
はっしーが何故アクティヴタイプの、しかもMidブーストが付いたベースを必要とするのか、その理由もあらためて理解できた。
言うまでもなく彼は気難しい男である。だからこそうちみたいなバンドで演奏している、ということも言える(笑) 彼の長年の愛機はUSA Laklandのものすごい良いベースだ。キルテッドメイプルトップ、アッシュバックだが、実際の音はどちらかというとアルダー寄りのバランスが取れつつも中音域に色のついたものだ。いうまでもなくLakland USAは素晴らしいベースであり、仮にFenderのヴィンテージを持ってきたとしても、この彼の使い込まれたLaklandと比べて良いかどうかはあやしいところだと僕は思っている。過去にアメリカにツアーに行った際には移動やリスクなどを考慮して、低価格ならがも3バンドEQを搭載しプレイヤビリティ、サウンドのバランスも取れていたCliveを使用していた。Samick社企画のインドネシア製のブランドであるが、恐るべきコスパのこれもかなり実用性の高い優秀な楽器である。はっしーによれば電装系にやや難があるとのことだけれども。
とにかくプレイヤーとしても気難しい彼のそんなプレイヤーとしてのニーズに答えられる楽器、ということを思うのである。それはうちの嫁さんの決してバンドマンでもないのにStryper好きのメタル女子であったがためにいつのまにか”Atsuki Ryo with Jesus Mode”でベースを弾いていた、というニーズにBacchus Globalの安価なTFモデルが完璧に答えたのと同様である。その個人のスタイル、タッチ、パーソナルなニーズに答えるものが良い楽器でありソリューションであるのだ、と。(その様子はたとえば先日のJudas Priestの来日公演において、老いたGlenn Tiptonを長年の愛機Hamer Phantomが完璧に支える感動的な光景を通じて見たばかりだ。)

もうひとつの収穫は比較用に持っていった僕の手持ちのTF-Ashをはっしー先生も気に入っていたことだ。20万のMomoseも試奏したのだが、うちのバンドの用途においてはこっち(TF-Ash)の方が良い、ということで同意した。はっしー先生のLakland USAはこれ以上ないくらいの名器なのだが、どちらかといえばアルダー系ヴィンテージの音であるので、壁のようにヘヴィな音を出すモダン系アッシュの音が、特にこれから取り組む次の作品(アルバム)の楽曲には必要になるシーンが予想されるのだ。特に前回の録音で初めてドロップDチューニングの楽曲をレコーディングしたが、それらの経験からしても、ヘヴィかつタイトなドロップDの楽曲においてもTF-Ashの方が狙ったサウンドに合うことが予想される。なので録音の際の選択肢になり得ることがわかったことは収穫だった。(TF-Ashはコスパも含め非常に優れた楽器であると思う。可能なうちにゲットしておいて正解だったと言わざるを得ない。)

そしてBacchus Globalのベースを2、3本試したのだが、そのコスパの良さにははっしー先生も驚いていた。「え、これで5万円なの?」という感じだ。正直ベースという分野においては、正解の数も幅も限られ、ギター以上に値段と性能が比例する傾向が強いと思われるので、このBacchus Globalでどこまで本当に戦えるかは、用途によって工夫の必要があるところではあると思うが、けれども面白い楽器を高いクオリティで作っているな、という点は間違いない。
世間一般ではBacchusはどちらかというとベースの方が高く評価されていて、ギターに関しては「入門用の安物」のイメージがついて回っていると思うが、実のところギターとベースという楽器の性質の違いもあり、実用の上でのコスパというか、「10万円以下の楽器で50万円の楽器の性能を凌駕してしまう」という奇跡の確率は、ギターの方が高いのではないかと思う。けれどもベースにおいてもやはりコストパフォーマンスの良さは非常に高いけれども。そういった「これしかない」という奇跡がたまにあるからこのブランドのファンになったのだけれど。

とはいえその「50万円の楽器」の価値もなかなかに信用ならないのが世の中である。
ついでに寄った楽器店にて、「USAのどこぞの高名なビルダーのハンドメイドの云々」といったレスポールモデルを見つけ、思わず試してしまったのだけれど、決して悪い品ではなかったものの、果たしてどうだろうか、という感想だった。「世の中に売られているレスポールの9割以上は詐欺である」という僕の持論はやはり変わらない。それくらい難しい、というかややこしい分野だと思う、レスポールは。

さて、はっしー先生にDeviser製の楽器を持たせるとすれば、やはりどうしてもMid Boostの3band EQが付いたものである必要があることが改めてわかった。たとえば手持ちのTF-Ashなども、プリアンプを載せ替えるとか、Bartoliniに載せ替えるとかすれば良いかもしれないが、現在TF-Ashに乗っているAguilar OBP-2は非常に素直な、というか、パッシヴ時と変化の少ないトランスペアレントなプリアンプであることも今回いろいろ比較していく中でわかった(EQフラットだと出力はそんなにブーストされない)。そう思うと楽器の音色としてこのベースはAguilarのプリアンプとマッチして完成してしまっている。載せ替えるのは得策ではないということだ。

Bacchusのベースでもともと3band EQが載っている機種は限られている。
これもBacchus Duke Standardと同様に、品数が少なくて滅多に見かけない”Twenty Four”の上位モデルしかないという結論になる。上位モデルなので決して安くはないが、気難しく違いのわかる男である彼にはそれしかないだろう。旧タイプのセパレートブリッジのやつなら結構中古で見かけるのだけれど、このタイプは3band EQがカット方向にしか効かず、また鳴りとしても僕らの用途には音質が鈍すぎることは確認済みだ。現行の普通のブリッジのタイプが安価で見つかれば良いのだが、これがまた「滅多に見かけない」のである。まあ運が向けば、彼のLaklandに良い連れ合いが見つかる時が来るだろう。

そんな感じである。
僕としてもまだまだギターのみならずベースもキーボードもドラムも練習して上達したいと思っているが、いろいろと刺激と勉強になった日であった。

No(4490)

■…2015年 4月30日 (Fri)…….不可能だと思っていたことが次々と現実になるってジーザス
Facebookやブログでアナウンスしました通り、今年の9月21-23日の連休の3日間、長野県にあります「松原湖バイブルキャンプ」にて、「松原湖バイブレーションジャム」というイベントが行われることになりました。

これは、松原湖バイブルキャンプという場所で行われることもあり、基本的にクリスチャンな感じのイベントなんですが、自然豊かな場所でのキャンピング(宿泊というか建物は普通に山荘だと思います)、バイクのツーリング、バーベキュー、パン作り教室、自家焙煎コーヒーなどなど、イベント盛りだくさんでありまして、その中で、大々的に(?)「クリスチャンロックのフェスティバル」が計画されている、という感じのイベントです。

で、もちろんゴスペルミュージックのフェスとか、クリスチャンミュージックのイベントは、今までにもこの日本においてもたくさんあったと思うのですが、「クリスチャンロックに焦点を絞ったフェス」というのは、おそらく初めてではないか(クリスチャンロックのバンド自体、あんまし存在していなかったこともあり)、ということで、ちょっと画期的なイベントなのです。

説明させていただくと、このイベントは、2013年の”The Extreme Tour Japan”以来、良き友人であり仲間としてたびたびつるんでいただいており、僕らの”Faith Rider”のオフィシャルビデオにも出演しているバイク乗りのNobu氏の企画でありまして、そのNobu氏と、また昨年2014年のThe Extreme Tour Japanにおいてお世話になりましたいわきの勿来キリスト福音教会の住吉牧師の主催にて行われます。

バイクツーリング、ならびにクリスチャンロック、という、ちょっとハードで面白いコンテンツを軸に、ファミリーでも楽しめるキャンプ、バーベキューなどを組み合わせたイベントで、ご家族はもちろん老若男女どなたでも楽しんでいただけるイベントになるのではないかと思います。パン作り教室、自家焙煎コーヒー、そして僕は初めて聞くスポーツの名前ですがスラックラインというものに挑戦するイベントもあるそうです。

そして出演する「クリスチャンロックバンド」は、
サルーキ=、牧師ロックス、ソルフェイ、Indicator、Peter’s Chicken Party、そして僕たちImari Tones (伊万里音色)。
そしてロックというくくりではありませんが、韓流イケメンゴスペルシンガー、おなじみサムエル氏も出演します。
これ、今の日本のクリスチャンミュージックのシーンとしては(狭いシーンですけれど)、今が旬、という意味でも、かなりかなり豪華なメンツだと思います。

詳細はこちらの公式Facebookページまで!
こちら

さてそしてここからは個人的な所感なんですが、
まずはなにより、こんな「クリスチャンロックのフェスティバル」なんてものが開催されること自体、かなり驚いている!そして嬉しく思っている!
たぶんこれは間違いなく僕らImari Tonesとしても、今年2015年のハイライト的重要なステップになると思っている!

そして、僕らの良き仲間でもあるNobu氏の企画でこのようなイベントが実現した(する)というのも素晴らしいことだ。

やはりなんだか2013年、2014年のThe Extreme Tour Japanをやったあたりから、いろんなものが(この日本においても)動き始めているような気がやっぱりなんかちょっとしている。

実は2014年のXTJ以来、CLODの三木氏と、ソルフェイのオオハラ氏と一緒にいろいろ画策しているプロジェクトもあるのだ。(またそれは、機会を見て発表することになると思います。)

今回の松原湖Vibration Jamに関しては、CLODが残念ながら他の重要ライヴと重なり都合がつかなかったのが残念ではあるのだけれど、

ずっとがんばっているサルーキ=はもとより、そして大先輩であるB.D.Badge (ex.栄光号)はもとより、そして今、巷でなにかと話題になってたりする「牧師Rocks」もいるし、こうして、ソルフェイ、CLOD、Indicator、あとは僕らのやってる「Atsuki Ryo with Jesus Mode」とか、
こういったイキのいい実力のある「クリスチャンロック」のバンドがこれだけ出てきた、ということは、これはともにシーンを形成しなにかをひっぱっていく、ともに作り出していく良いチャンスなのではないか、と、僕らは皆でそう考えたのだった。

そしてこうして、Nobu氏の企画により、そうした小さなシーンではあるけれど日本のクリスチャンロックのバンドたちをどどーんとまとめて「フェスやりますよ!」というようなイベントが実現するというのは、すごいことだなと思うとともに正直かなり嬉しい。

なんか僕らも地味に地道にちまちまやってきたことが、少しは芽を出して報われるような思いがなんだかする。もちろん、すべてはこれから皆で作り上げていくものなのだけれど。

Nobu氏は、僕らはImari Tonesとしてもかなりお世話になっているし、今年リリースしたうちらのミュージックビデオにも何本か映り込んでいるし、彼は行動的な人物であり交遊関係も広く、彼を知っている人はみんな知っていると思うが、かなり彼もつっこみどころの多い人間ではあるのだが(図体がでかいとか)、彼の良いところはとにかく実際にその場に顔を出してどんどん行動するところであり、つっこみどころは多いが親しみやすい人間であるので、僕は昨年XTJ2014のイベントで動き回る彼を見て、まあソルフェイのオオハラ氏も同様であるけれども、彼もうまいこと神さんに使ってもらえれば、なにげに大きな仕事ができる人間なんじゃないかなと思っている。まあそうした日本のクリスチャンシーンの中での働きを期待しているわけだ。
まあ目下のところ彼の課題ははやいところ良い嫁さんを見つけることだとは思うがそれは大きなお世話であるので放っておくとしよう(笑)

そしてそんな行動的な彼に連れられて、3月の初旬に僕らは、僕とソルフェイのオオハラ氏とNobu氏は、イベントの打合せや下見ということで、その松原湖バイブルキャンプに実際に連れられ行ってきたのであった!

その時に撮影した雪景色の風景とか、バイブルキャンプ入口付近の光景が、僕らの先日アップした”Unknown Road”のミュージックビデオにも使われているのだけれど、

実際に訪れた長野県の「松原湖バイブルキャンプ」、とても良い感じの、山の中というか、絵に描いたようなきれいな高原の林の中のキャンプ場で、そしてまたその現場を見て、僕は2012年のアメリカのThe Extreme Tourで参加したクリスチャンミュージックのフェスティバルである”X-Fest”を思い出したのであった。

X-Festは、アメリカのワシントン州とオレゴン州の境あたりで毎年行われるクリスチャンミュージックのフェスで、それもやはり山の中のキャンプ場で行われる、3日間のイベントなのだけれど、
まるでそのX-Festの日本版ができるじゃないか!と、はっきり言って僕はそんな感じで現場を見てとても楽しみにわくわくとしてきた!

あの時、アメリカを周りながら、X-Festでも最高の演奏と最高の体験をしたけれども、こんなフェスを日本でやるのは難しいだろうな、と思っていてけれども、こうして、それが日本でも実現しようとしている。

これが、どんなに意義深く、嬉しいことであるかは、とても言葉では言い尽くせない。

そして、最高の仲間たち、最高のミュージシャンたちとともに、その演奏をすることができるのだ。

そう、その2012年のアメリカ西海岸のThe Extreme Tourに参加して以来、僕らImari Tonesは、2年以上もアメリカを訪れていない。
けれども、それ以来、「とてもこれは日本では無理だろうな」と思っていた日本版The Extreme Tour (The Extreme Tour Japan)も、2度にわたって開催することができたし、その成果も着々と積み上がっている。そして、そこで参加したX-Festのようなイベントもこうして実現しようとしている。この日本でだ。

まさに、おお神よ、おおジーザス、まじで神さん、サンキュージーザス、と叫ばずにはいられない。
まあすべては神さんが、その大きな手で行うことであり、僕らは神さんに使われるままに自分らの役割をいっこいっこ果たすだけである。
悪いようにはなるまい。そう思っている。

さてそんなX-Fest、じゃなくて、「松原湖バイブレーションジャム」である。

絶対に楽しいものになるはずだ。
3日間参加して、食事付きイベント付きで、参加費は一人17,000円、という話になっている。と思う。
もちろん一日だけの参加も可能である。1日だけの日帰り参加であれば3,500円であるのでそれもいいかもしれない。
ロックコンサートの日は3日間の中日である9月22日である。
僕らの出番もその日だ。たぶん僕らの演奏は夕方頃のはずだ。

ぜひ期待して、この画期的なイベントに参加してほしい。
そして、もちろんクリスチャン色の強いイベントではあるのだけれど、神さんの手に魂をゆだねてみよう。

そこには何か新しい出会いや、新たな発見、そして神の存在とパワーを感じることのできるチャンスがきっとある。

結構、人生を変えるくらいのすごいイベントになるかもしれないぜ!
わりと本気で、そう思う。

ちなみにこれは僕らが2012年、そのワシントン州の”X-Fest”で演奏したときの映像である。
この時の演奏も悪くなかったが、今はもっと凄い演奏ができるはずだ。
期待していてほしい。

こちら

No(4491)

■…2015年 4月30日 (Fri)…….バイブレーションジャム、ブログの文章
松原湖のイベントの件、オフィシャルブログにアップした文章である。

Festival Annoucement!
(Japanese below 日本語は下にあります)

We are very happy to announce that we are going to play “Matsubarako Vibration Jam”, which is actually the first ever “Christian Rock Festival” in Japan, in September 2015.

This is not only a big step for our band, but an very important step for Japanese Christian music scene!
We are very happy and proud to be a part of this!

“Matsubarako Vibration Jam” is a 3days camping event full of fun activities such as motorbike riding, barbeque, slacklining, bread baking workshop, and speciality coffee.

The event will take place at Matsubarako BIble Camp (松原湖バイブルキャンプ), Minamisaku-gun, Nagano-prefecture, Japan.

During the 3days event, Christian rock festival will take place on September 22. The bands on the bill are, Saluki=, Boxi Rocks, Soul of Faith, Indicator, Peter’s Chiken Party and Imari Tones. Also Gospel pop singer Samuel will perform on September 21.

For the detail please visit the festival’s official Facebook page.
こちら
You will need to register via a reservation form on the website (URL is on the flyer.)
You can buy/register 3days package (17,000yen including all the food) or just one day ticket (3,500yen, food not included. Could be a good idea if you only visit for the music festival on Sep 22).

Matsubarako VIbration Jam
Date: September 21-23, 2015
Place: Matsubarako Bible Camp
こちら
Activities: Motorbike riding, Barbeque, Music Festival, Slacklining, Bread Baking Workshop, and Good Coffee
Bands/Musicians: Saluki=, Boxi Rocks, Samuel, Soul of Faith, Indicator, Peter’s Chicken Party, Imari Tones
Fee: 17,000yen (3days including all meal) or 3,500yen for 1day (Food not included)
Official Facebook Page
こちら

That’s the announcement.
Now here is our personal story behind the festival.
This event was planned by Nobu, a motorbike riding really tall dude who has been helping us so much since 2013, and co-hosted by Pastor Sumiyoshi at Nakoso Christ Gospel Church in Iwaki, Fukushima. (We played his church last year November. Really nice church.)

You know what, we toured in USA with other Christian bands in 2012 as The Extreme Tour. That’s when we played this really nice festival called X-Fest in Stevenson WA. That was also a 3days camping festival with so many great Christian bands from all around USA/Canada. That was pretty awesome and we played one of our best shows there. We were all filled with Holy Spirit. It was incredible.
But at the same time, we thought it was probably difficult to do a festival like that in Japan, because Japanese Christian population was much smaller and Christian music scene was really small.

But now, we have done “The Extreme Tour Japan”, which we thought was impossible too, 2years in a row, we met great Japanese Christian rock bands such as CLOD and Soul of Faith, and now we have this Christian Rock Festival coming up!
We visited Matsubarako Bible Camp in March and that place really reminded me of X-Fest camping site (Stevenson WA).
So we believe this is going to be X-Fest Japan version. It’s really awesome.

And our good friend Nobu is hosting this event and we are gonna play along with all these great bands!!?? It’s BEYOND awesome!!

Surely once again, we know there is NOTHING impossible for God.

Please come and feel the “Vibration”!
Because it’s going to be awesome and God’s presence will be there strongly! I’m sure we will all be filled with Holy Spirit.

Lastly, just to feel the vibe, here is a movie of us playing X-Fest, Stevenson WA in 2012.
It was a good show for us, but it’s going to be even more awesome at Matsubarako, because we have sharpened our swords very much since 2012 tour….

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Thank you very much and God bless you all!
Tak / Imari Tones (Japan)

フェスティバルのアナウンスです!

僕らImari Tones (伊万里音色)は、今年2015年9月に長野県の松原湖バイブルキャンプで行われる「松原湖バイブレーションジャム」に参加し演奏します。松原湖バイブレーションジャムは、日本で初めてとなる「クリスチャンロック」のフェスティバルであり、僕たちはこれに参加することをとても嬉しく思います。

これは、僕たちのバンドにとって大きなステップであるだけでなく、日本のクリスチャンミュージックにとっても重要な一歩です。このイベントに関われることをとても嬉しく思います。

「松原湖Vibration Jam」は、3日間にわたるキャンプイベントで、ロックフェスティバルの他にもバイクツーリング、バーベキュー、スラックライン、パン作り教室、自家焙煎コーヒーなどの楽しいイベントで盛りだくさんです。

このイベントは長野県の南佐久郡にある松原湖バイブルキャンプで、9月21-23日の間に行われます。

3日間のイベントの中で、クリスチャンロックフェスティバルは9月22日に行われ、サルーキ=、牧師ROCKS、ソルフェイ、Indicator、Peter’s Chicken Party、そしてImari Tonesが演奏します。また21日にはゴスペルシンガーSamuelも歌います。

詳細はオフィシャルのフェイスブックページをご覧ください。
こちら
参加にはインターネットでの申込が必要となります。(URLはフライヤーに書かれています)
料金は3日間の全日程の参加で17,000円(食事が含まれます)です。
また、1日だけの参加では3,500円です(食事は含まれません)(9月22日のロックフェスティバルだけを見る目的であれば良い方法かもしれません)

松原湖バイブレーションジャム
日程: 2015年9月21?23日
場所: 松原湖バイブルキャンプ
こちら
イベント内容: ロックフェスティバル、バイクツーリング、バーベキュー、スラックライン、パン作り教室、自家焙煎コーヒー, etc
出演バンド: サルーキ=、牧師ROCKS、サムエル、ソルフェイ、Indicator、Peter’s Chicken Party、Imari Tones (伊万里音色)
料金: 17,000円 (全日程)、3,500円(日帰り)
公式フェイスブックページ
こちら

アナウンスは以上です。
そしてこれはこのイベントにあたっての僕たちの個人的な気持ちです。
このイベントは、バイクライダーであり僕らの友人でもあるNobu氏によって企画されたものです。そして福島県いわき市の勿来キリスト福音教会の住吉牧師によって主催されています。(僕たちは昨年11月に勿来キリスト福音教会で演奏させていただきました)

思えば、僕たちは2012年、他のクリスチャンバンドたちと一緒にThe Extreme Tourとしてアメリカをツアーしていました。
そしてその中で、ワシントン州のStevensonという場所でX-Festというフェスティバルに参加したのです。それはやはり3日間にわたるキャンプイベントで、クリスチャンミュージックのフェスティバルでした。そこで、アメリカやカナダのたくさんの素晴らしいバンドたちと一緒に演奏し、時間を過ごし、それは素晴らしい体験でした。僕たちは最高の演奏をして、そしてホーリースピリットに満たされました。
けれども同時に、こんなフェスティバルを日本でやるのは難しいだろうな、と思いました。なぜなら日本ではクリスチャンの人口も少ないし、クリスチャンミュージックのシーンはとても小さいし、音楽をやる環境もずいぶん違うからです。

けれども、こうして気が付けば、僕たちはこれも同様に不可能だと思っていた日本版The Extreme Tour (The Extreme Tour Japan)を2年連続で行い、CLODやソルフェイといったような素晴らしい日本のクリスチャンロックバンドと知り合い、そしてこうしてクリスチャンロックのフェスティバルをこうして行おうとしています。

僕たちは今年の3月に、実際にこの松原湖バイブルキャンプを訪れてみました。そして、そこで見た光景は、僕にあの時体験したX-Festの風景を思い起こさせるものでした。僕らはこれはそのX-Festの日本版のようになるのではないかと思っています。

そして僕らの友人でもあるNobu氏がこれを企画し、そして良き仲間である他の素晴らしいクリスチャンバンドたちと一緒に演奏できるなんて、本当に素晴らしいことで夢のようです。

僕たちはあらためて、神様には不可能なことは何一つないのだ、ということを学びました。

ぜひ、このイベントに来て、「バイブレーション」を感じて下さい。
きっと凄いイベントになります。神の存在、栄光、そしてパワーがその場に感じられるでしょう。きっとその場にいる全員がホーリースピリットに満たされるだろうと思います。

ちょっとした「雰囲気」を感じてもらうため、というわけではないですが、参考までにこれは僕たちが2012年にそのワシントン州Stevensonにて行われたX-Festで演奏したときの映像です。
この時は良い演奏でしたが、でも松原湖ではきっともっと凄い演奏になるでしょう。この時以来、僕たちもさらに研鑽を重ねましたので・・・。

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どうもありがとう。
皆さんに神の祝福がありますように!

Tak (aka Tone) / Imari Tones (伊万里音色)

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