2016年5月の日記

■…2016年 5月 2日 (Mon)…….火種
[まとまりのない書きなぐり雑記]
昨日というか既に一昨日か、町田で、クリスチャンでバンドとか音楽をやってる仲間たちによるライヴイベントが行われたわけだ。で、俺も自分のバンド、Imari Tones(伊万里音色)にて演奏してきた。自分らの演奏の出来は、決して完璧ではなかったし、その言い訳はまた別途書きたいところだが(笑)
そうはいっても、これら、この日はのべ5バンドというか5組のアーティストが、町田Nutty’sというライヴハウスで演奏し、お祭り騒ぎを繰り広げた。
そのことについて、「いったい何の意味があるのか」とか「ただのお祭り騒ぎではないのか」とか言われたり、思ったりすることもあるかもしれない。普通の世間からもそうだし、クリスチャンの人たちからも。

日本という国において、神の愛を伝える、伝道っていうのは、難しい。
たとえば俺は、ここ3年ほど、エクストリームツアージャパンという企画に関わっている。これの運営を、なるべく俺は人に手渡していきたいと考えているのだけれど。
ここ何年か過去に来ていた人たちがそうじゃなかったと言うわけでは決してないけれど、エクストリームツアージャパンとしては、少なくとも僕が関わっているうちは、日本のことを本当に思ってくれるバンド/ミュージシャン/ミッショナリーに来て欲しいという思いがある。バンドがツアーに出る理由は色々だけれど、少なくとも日本ツアーのことを、ステータスであるとか、成功のチャンスであるとか、自分たちの思いを実現するための乗り物として考えないミュージシャン、そして人としての質というのか人間性である。本当に日本の人たちに、そしてエクストリームツアーの精神にのっとって、遠く離れた小さな町の、たった一人のために、神の愛を伝えるのだと本気で思ってくれる人に来て欲しい。
それは高望みというか望み過ぎかもしれないが、日本での伝道(ミッショナリー)にはそれくらいのことが要求されると俺は思っている。

海外から来ているミッショナリーの人たち、たとえば、都内にもたくさんあるキリスト教会で、外国の人たちが多かったりする場所はある。彼らがミッショナリーとして日本に来ることは素晴らしいし、それに案外と、このキリスト教人口比率が「異常な低さ」を誇るこの国で、キリスト教の拡大はそういった移民の人たちが単純に増えていくことによって成し遂げられるかもしれない。そんな予感も結構する(汗)
しかし、その時に人々が口にする感想はあくまで「日本もずいぶん国際化したね」というものであって、「日本にもずいぶんキリスト教が普及したんだね」という言葉では決してない。
この、神道とか道徳とか含めある意味「神の民」には違いない日本の人々(民族、とか、国家、という言葉は使うまい)が、神を見出し、本来の形で神のもとに立ち戻るには、何が必要なのか。
それについて、俺なりの答は見つけているつもりだけれど、それを音楽なり芸術の形で自分のバンドなり体現するには、まだ時間がかかるだろう。

その自分のバンドが、どれだけそれをやれるかは、また別として。
昨晩というか一昨日もあらためて思ったが、これだけのバンド、アーティストが、なんだか純粋に神を思い、「クリスチャンロック」なんていって、信仰をキーワードに集まってライヴイベントをやるなんて、やっぱり俺は、これはちょっとしたことだと思う。自分の演奏の出来不出来はともかくとして、これだけはたぶん確かに肌で感じたことだ。

俺は別にアメリカ式のキリスト教に文句があるわけではないけれど、かといって文句がまったくないわけではない。数年来、どうしてもフェイスブックにせよ知り合った外国のクリスチャンの方の言動がタイムラインに流れてくる。みんないろんなことで、日々議論をしている。だけれども、少なくとも、俺が知り合って、友達になった日本のクリスチャン、(多くは、そう、あれだ、何かの意味でやっぱり、outcast) (見放された孤独な孤児たちはそう、天なる神が父になってくれる) 、彼らは、少なくとも、ああいったあれやこれや、こうしたことで、人を非難したり、裁いたりする人たちではなかった。少なくとも、そういったことで、人に対して間違っている、と決めつけるような人たちでは、なかった。(当社比)

だから、こうした、無名のちっぽけなバンドたち、ミュージシャンたち、それが「キリストだ」なんつってロックを鳴らして集まってばか騒ぎをしている。それは、たったそれだけの意味のないことだと思うかもしれないけれど、日本人にとってのクリスチャニティ、日本人にとっての信仰、そして日本人にとっての神、ということを考えた時、俺はここにこそ、その火種があるかもしれないと、わりと、そんなふうに思っている。

ここから革命が始まるんだと、なんの疑いも無く思ってるやつばかりじゃあ、ないか?
そして、革命ってのはいつだって、ばか騒ぎから始まるもんなんじゃあ、ないか。

広い世界、人類の歴史の中、本当に神を中心に置いた「祭り」「ばか騒ぎ」は、世界の中、まさにこの日、この場所にこそ、あったのではないかと。

どうせマイノリティを宿命づけられた我らなれば、
願わくばそう、信仰の最先端を生きたいものだ。

No(4677)

■…2016年 5月 5日 (Thu)…….ライヴ御礼と反省 Stick to your guns
とりあえず4/30と5/3と2本ライヴをやってみた。
写真は新橋でのかっちょいい自分である(笑)

今回、この時期にライヴを組んでみたのは、「レコーディングしててヴォーカルパートを録る際に、あ、そういえば歌うの半年ぶりだ」とかいうふうにならないためである。

つまり、普段、世間との接点も少なく(汗)、ライヴもあんまりやらず、時折いきなりアメリカにツアーしに行ったりとか、近年では毎年のThe Extreme Tour Japanあたりとかで動くだけのうちのバンドにして、このレコーディング期間中をわざわざ狙ってライヴを2本組んでみたのは、レコーディング期間中に、その作業だけにかかりきりにならず、バンドで人前で歌う、というプラクティスを用意しておきたかったからだ。つまり、ドラム録り、ベース録りなどでスタジオでのバンドリハも何ヶ月もやってない中、ライヴの準備のためにリハーサルを何本かやるし、人前でライヴやって歌うということは、自分のヴォーカルにとってなによりのエクササイズになるからである。

しかし、知ってのとおり(知らないかw)、今回のコンセプトアルバム「Jesus Wind」のレコーディングには、いろいろなプレッシャーがかかっていたり、楽曲も難しいものが多く、レコーディングは難航している。途中にStryper来日という(我が家的には)ちょっと疲れるイベントを挟んだこともあり、また精神的なプレッシャーが自分自身に思いのほかのしかかり、また機材やサウンドの点でもかなり悩んだこともあり、自分としてはかなり苦しんでいる。(そして毎年恒例の春の大掃除、我が家では大掃除は春に行う、をやっと終えたこともあるww)

その苦しんでいる、あんまりよくない精神状態は、ライヴの演奏やパフォーマンスにおいても、かなり表れた、反映されてしまう結果になった。
とはいっても、見ていただいたお客さんからしてみれば、決してそんなことはなかっただろうし、全力の演奏、全開のパフォーマンスをしていたように映っていたことと思う。
けれども、実際自分の内面とか精神状態から言うと、近年まれに見る低いテンションの演奏を、町田でも新橋でも行ってしまった(汗)
本当に勘のいい人には、伝わっていたかもしれない。

ちょっと前にライヴ告知の投稿で、「プロはいつでも80%のステージをやって皆を納得させるかもしれないが、一回限りの150%の演奏をするのがインディーバンドのいいところ」みたいに書いたが、いみじくもどっちかというと、ベストでなくても最低限80%の演奏で皆さんに納得していただく、というような演奏をしてしまったわけである(笑)
しかし、それでも何かしら感じてもらったり、少しでも喜んでもらったのであれば、それは僕たちも今までの修行の成果というか、地力が付いていたということかもしれない。逆に言えばコンディションが悪い状態でも伝えることができる部分、それこそがアーティストの純粋な実力の部分なのかもしれないし。

見た目に元気いっぱいのパフォーマンスをしていたように見えたかもしれないが、内面的にここのところの僕の精神状態がいかに悪化していたかは、うちの嫁さんがよくよく知っている(笑) しかしその部分は敢えて日記に記す必要もあるまい(汗)

そして、自分たちの演奏の出来不出来はまったく関係なく、4/30の町田も、5/3の新橋も、どちらも全体としては素晴らしいイベントになった。
4/30の町田に関しては、Calling Recordsの仲間たちをはじめとするゴスペル、クリスチャン系のアーティストが集まり、これだけのお祭り騒ぎをやってのけたことは、それぞれのいろいろな背景や事情をかんがみても、果てしなく大きな意味があったと思う。そんで、僕としても、この「火」を燃やし続けていく気はまんまんである。今度吉祥寺でCalling Recordsの路上ライヴを企画しているらしく、願わくばCalling RecordsのFacebookページとかチェックしていただければ幸いだ。なんにせよこのイベントに関われて、その中で僕らなりの演奏をどかんと鳴らすことができ、僕らとしてもハッピーであり、光栄である。

5/3の新橋に関してはB.D.Badge寿朗閣下企画のスーパーイベントであり、実力派ぞろいのベテランの皆さんとの共演であり、僕らとしても胸を借りるくらいの気持ちで一番手を務めさせていただいた。近年稀にみるテンションの低い演奏をしてしまった、とは言っても、たぶん傍から見ればわからなかっただろうし、テンション低く冷静だったぶん、かえってミスは少なく、比較的精度の高い演奏ができたことが、成果と言える。

問題点というか、サウンドイシュー、反省点としては、特に4/30の町田では、ギターの音を本番で下げてしまったことが若干の悔いである。これは、リハの段階で若干大きめにアンプを鳴らしていたのだが、本番前にギターから音を出してみたら、その段階で前にいるお客さんが「うるさい」というような顔で後ろに逃げていったので(汗笑)、ジャンル的にもメタルイベントでもないぶんTPOを考えて少しギターを下げてみた次第である。後から録音したものを聴くと、やっぱりもっとギターをどかんと出したかったな、というのが本音であるが、それでもギターソロはばっちりフィーチャーされていたし、バッキングに関しても、Jackson Randy Rhoadsの鋭い音色は、たとえ音量が小さくてもcut through the mix (埋もれずに聴こえて)していた。遠慮せずにぶちならせばよかったのに、という考え方もあるが、あえて遠慮して譲ってしまうのも、それはそれで自分らしい気がする。まあいいんじゃないかな、と今は思っている。

町田での問題点はベースの音に関してのPAさんとのコミュニケーションで、つまりは好評のなんちゃって仏教ソング(笑)”Saints Seeking Salvation”は昨年後半からライヴ演奏を始めた曲だが、よくよく考えるとこういう「いわゆるライヴハウス」でやるのは初めてである。そんでもって、うちは普段ベースがスラッピングをやることはほとんどない。はっしーが本番でスラッピングをやったのは、この曲以前で言うと、それこそ2008年に一度だけライヴ演奏した”Rockn’Roll is the proof God loves us”以来かもしれない。(もうそれから8年もたつんかい笑。ていうか、8年たっても相変わらず「神様がロックンロールをくれた」とか「Jesus is the ROCK!」とか歌ってるのは我ながら笑える。)
だから、ついつい忘れてしまったんだよね。ベースのスラッピングについてPAさんとコミュニケーションをとっておくことを。
結果、その曲だけでなく、その次にやったRepentまで、外音に影響が出てしまった。
でもまあ、これはある程度、仕方のないことでもある。たぶんこういうことをちゃんとしたければ、専属のミキサーを雇えという話である。

あとは町田のライヴにおいては、ドラマーのジェイクが結構ミスをしてくれた。彼も決して安定したドラマーではないが、この日は悪いところが出ていたと言える。後で鉄拳制裁を加えておいたので(ははは、ジョークですってば)、5/3の新橋においてはかなりマシなドラミングをしてくれたが、久しぶりに演奏したFirst Popの変拍子は間違えるは、Repentはダメダメだわ、Jee-Youのキメは永遠に合わないわ、と、失敗のフルコースな内容でした(汗)

しかし、そんな中にあって、町田でのステージも、僕の強引なMCのしゃべりっぷりと、強引なギターソロで、無理矢理お客さんを納得させたのであった。
あとはあれかな、見た目。ランディVを使ったんだけれど、あのとがったギターのかっちょいい見た目で、半分はごまかせていたのではないか。やはりヴィジュアルは大事である。

よかった点としては、あの精神状態の中で(自分は精神状態はかなり歌唱に影響します)、このセットリストで、あれだけ歌えれば、もちろんいきなりイアン・ギランとかフレディ・マーキュリーになれるわけではないが、決して完璧ではなかったにせよ、僕の基準の中では、たとえひどい声だったにせよ、この状況であれだけ歌えれば上々である。笑われるかもしれないが、その点は自分としては成長である。レコーディング期間中、ヴォーカル録りの前の修行、エクササイズとしては、十分な成果が得られたと言える。

僕らもそうそう、年間ライヴを300本やったり、いつもツアーに出ている、みたいなバンドではない。なので、一本一本、テーマを持って成長していけるように組んでいるが、今回のテーマにおいては、
昨年やっていた豪速球な必殺のセットリストではなく、ゆるい曲も含めた多様性のあるセットリストを組むこと、
町田にあっては主役はソルフェイであるので、主役を持っていくのではなく、脇役に回ること、
ここのところ、1曲目が常に”Testimony”をやっていたので、違う曲で幕を開けること、特に新橋では1曲目に”Jee-You”を持ってくるというのがちょっとチャレンジだった。
まだまだ完璧に演奏できるとは言い難い”Repent”をライヴ演奏して、少しでも練度を高めること、
などなどがあった。

そして僕の個人のテーマとしては、このJackson Randy Rhoads、いわゆるランディVをまた使ってみる、というひとつのチャレンジがあったのである。

近年では、Bacchusの日本製レスポール「猫ポール」やHamerのコリーナVなどとの出会いによって、ギターの価値観がずいぶん変わり、「きちんと作られたセットネック」に自分の理想のサウンドを見出している僕であるが、そうはいっても、また違ったタイプのギターを試してみたいのである。つまり、音の価値観なんてものは多様であって、何が正しいかなんてわからないのである。今はこれがいい、と思っていても、将来的にはまた意見が変わるかもしれない。常に探求しておきたいのだ。

あとは、いっちゃ悪いが、「猫ポール」や「コリーナV」を持ち出す時は、「本気」のライヴ、勝ちにいくライヴであることが多いのだ。今回は、「勝ちにいく」ことよりも、「脇役にまわり、その上で学ばさせてもらう」ことが目標だった。そこに、猫ポールを持ち出すよりは、違うギターで臨みたいのである。
あとは本当の理由は、これからギターの録音をする前に、セットアップの面を含めギターのトラブルを最大限避けるために、持ち出したくなかったというのがいちばん大きかったりする。神経質かもしれないが。

そんで、この1990年製、ジャパンメイド、いわゆる共和商会時代のランディVの可能性を再びディグってみる機会としたのだ。
このランディV、非常に良い楽器であり、また自分にとってはかなり貴重な楽器でもあるのだが、思い起こすと、このギターを使って「本当に良いライヴ」をした記憶があまり無い。それなりに使っているし、実際、性能は良いのだが、これを持って演奏したライヴは、なんだかいつも煮え切らない内容だった気がする。言ってしまえば、このギターがいちばん活躍するのは、写真撮影の時である。つまり、見た目がメタルで非常にかっこいいから、ということだ。で、そんな楽器を、今度こそ使いこなしてみたかった。

で、今回、ライヴに向けてバンドでリハーサルをした際に、ふとピックアップを替えてみたくなった。今までも替えようと思わなかったわけではない。たまに、「これ替えた方がいいんじゃないか」という思いがよぎる時はあった。このギターを入手したのは某オークションで2008とか2009年頃だったと思うが、もともと、前のオーナーが交換したと思われる、リアにダンカン59、フロントにディマジオのPAF Proタイプ(型番ちょっと違う特殊なやつ)がついていた。で、俺は正直なところ、ダンカン59というのはかなり、非常に好きなピックアップである。オープンで、ハイがしゃきんと鳴り、ピッキングニュアンスも拾ってくれるところが非常に好きなのだ。そういった面で、なまじダンカン59が好きだったために、ここまで「替えようかな」と思っても、実際に決意して実行するところまで行かなかった。

が、今にして思えば、なぜもっと早く替えなかったのだろう、という思いだ。
今回、バンドリハを終えた後に、「もう帰り道で楽器屋寄ってToneZone買って帰る」状態だった。なぜなら、ダンカン59は好きなピックアップではあるものの、このギターに関しては、もともと生鳴りが決して大きいギターではないこともあり、メタル用途には絶対的なパワー不足を感じたからである。そんでもって、BlackStarのペダルのハイゲインのセッティングで鳴らしてみたら、ハウリングが起きたからである。なぜ今まで気が付かなかったのか。メタルな見た目のギターは、やはり相応にふさわしいメタルな音を奏でるべきなのである。

で、結局面倒だったので楽器屋には寄らなかったのだが、お金ないし。
家に帰って、そういえば道具箱の中に古いJacksonのピックアップがいくつかあることを思い出したのである。
Jacksonのギターに、Jacksonのピックアップを付ける。あまりにも自然である。なぜ今まで、そうしなかったのか。
僕は少年の頃に最初に持ったギターがこの時代のJacksonだったということもあり、この時代の日本製Jacksonのファンである。そしてこの時代のJacksonに付いていたピックアップが好きで、今までも結構使ってきたのである。そのせいで、道具箱の中にはいくつかのJacksonピックアップが残っている。
弦の間隔のピッチとか、エスカッションのネジ穴とか、いろいろ試行錯誤しつつも、サイズがぴったりと合ったのは、J-80。かつてお世話になっていたプロデューサーY氏の受け売りではないが、いちばんバランスが取れていて、密度の濃い音が出る、僕も非常に気に入っているやつである。

手元にデータがないのでわからないが、この1990年製Randy Rhoadsには、おそらくストックではJ-50BとJ-50Nのセットが載っていたと推測され、熱心なJacksonのファンの方からしてみれば、J-80を載っけてしまうことには反論もあるかもしれないが、少なくともJacksonらしいヘヴィメタルな音になったということは間違いない。しかも外してよく見てみれば、載っていたダンカンは”59N”であり、つまりネック用で余計にパワーのないタイプだったわけだ。大幅なパワーアップと同時に、とがった見た目にふさわしい攻撃的な音に生まれ変わった。

もちろん、59は好きだけどパワー不足、という状況から論理的にロジカルなステップとしてはSH-5カスタムあたりも試したいし、ToneZoneのっけてどうなるか、とかも試してみたいが、それは将来的にゆっくり試していけばいいことであり、当面はこの自分にとってはおなじみのピックアップであるJ-80でJackson本来のメタリックな音を鳴らせばよいだろう。

で、2本のライヴに使用してみて、出た結果としては、
身も蓋もない結論としては、「やっぱランディVはかっこいい」というものであり、「俺、意外とランディV似合ってる」というものである。
やはり、ロックバンドのステージというものは見た目も重要な要素である以上、いろいろな意味で「自分に似合う楽器」というものは大事にするべきだろう。
また、この時代の日本製Jacksonや、Jackson製ピックアップなど、今ではもう入手が難しい、自分の時代(自分がティーンエイジャーだった頃の)の楽器を使い続けるというのも大事なことだ。それは若い世代にはもう手の届かない音なのだから。

出音に関しては、J-80に替えたことで、メタリックで攻撃的な音になり、メタル的な倍音は強調されるようになったが、それでもこのランディVがもともと持っているいかにもスルーネックらしいぱこんぱこんといったピッキングニュアンスはまったく失われなかった。音が気持ちいいくらいにぱこんぱこんと立ち上がってくるので、速弾きもしやすいし、スウィープの難易度なんかは格段にハードルが下がる。複雑なフレーズを弾くときにも、多少ピッキングをミスっても、がきんがきんと鳴ってくれるので、かっこいい音になってしまうのである。

もともと僕はスルーネックの音に関しては決して好きではないし、猫ポールと比べてしまうと、本当に気持ちのいいところの音はやっぱり出ないが、それでも十分にこの「精神状態の悪い」状況だった演奏の中で、楽器に助けてもらえた部分は大きい。それはサウンドや演奏性だけでなく、見た目の部分も含めてである。

前述のように、失敗点もいくつもあり、精神状態など、決してベストと自分で言い切れるパフォーマンスではなかったものの、地力の向上により、見ていただいた皆さんにはご好評をいただいたこともあり、この2本のライヴ、合わせ技一本、みたいな感じで、これまでこのランディVを持って行った演奏の中でもようやく一定以上の「納得のいく演奏」が出来たと言っていいのではないかと思う。

たぶん今後も本気で勝ちにいく際には猫ポールとか持ち出すだろうが、僕はライヴはほんと気まぐれであり、そういう気分でない時、見た目重視でいきたい時、またメタリックな音で攻めたい時、など、十分にこの1990年製ランディVが役に立ってくれるだろう。

その他、音作りに関してはいくつかの収穫があったものの、すでに十分長過ぎる日記なので省略とする(笑)

見て来ていただいた方々、共演していただいた皆様、かかわっていただいた皆様に、感謝とお礼を申し上げます。
さらに精進いたします。

No(4678)

■…2016年 5月 7日 (Sat)…….いやライヴ映像をアップしただけですが
クリスチャンメタルバンドImari Tones(伊万里音色)が世に問う、初の仏教ソング!(笑) 仏教とキリスト教のクロスオーバー的な内容ですがw 現在僕らは日本の歴史をテーマにしたコンセプトアルバムを作っているので、こういう曲が出来ました。昨年10月の新橋の映像デス。
こちら

Our first ever “Buddhist Metal” song? It’s a Buddhism&Christian crossover song we wrote for the concept album about Japanese history.

No(4679)

■…2016年 5月10日 (Tue)…….空飛ぶキッチン
先日作ってYouTubeにアップしました「空飛ぶキッチン」のビデオについてちょっと書かせてください。

こちら

いまどきYouTubeというものはインディーミュージシャンにとって、いやメジャーミュージシャンにとっても、最大かつ最重要の発信、露出のチャンネルであると認識していますが、僕らも地味に、少しずつYouTubeにもいろいろと素材とかミュージックビデオをアップしていますが、やはりなかなか伸びないアクセスにやきもきすることもあります。

とはいえ、やたらニッチなことをやっている無名のインディーバンドとしては、頑張っている方だと言うことも出来るし、決して悪い数字ばかりではないのですが、それでも、もっと多くの人に見て、聴いてもらいたい、という思いは強いです。矛盾するようですがそれと同時に、ちょっとでもじわじわとロングテールに視聴回数が伸びていけばいいなとも思っていますが。数字の話をすれば楽曲のビデオとしてはFaith Riderの静止画バージョンが現時点で12500くらい、例のバイクのバージョンが3400くらい、昨年作ったビデオの中では”Born To Ride”がやっと2600くらいですが、他のやつはまだ1000にも届いていないですが、それでも十分にありがたいと思ってしまうのが無名のインディーバンドです。ここ何年かで作ったミュージックビデオも、1000から3000の間でちょっとずつ地道にふらふらしています。1000に達してないやつもいくつもありますが、まあ数字よりも内容を見ていただく方が意味があると思います。

まずはいきなり話が変わるんですが、4月の頭に久しぶりにバンドでリハーサルというのか集まってスタジオ練習したときに、ちょっと間が開いたせいか、いろいろな気付きがありました。ヴォーカルの発声やギターの音作りなど、いろいろの点での気付きがあったのですが、そこで思ったことのひとつに、バンドとして、ミュージシャンとして、いかに愛されることが大事かということでありました。

恋愛ひとつとってもそうですし、人間関係ひとつとってもそうですが、僕は愛することに一生懸命になる方で、愛されることに関してかなり不器用であったりします。

4月と5月に行った2度のライヴにおいては、反省事項はいろいろあるし、先日も書きましたように難しいレコーディングの期間の最中だったということもあり、精神状態があまりよくなかったのも事実です。

けれども、ビデオを見返してみると、そんなふうには見えないし、アホみたいなステージをやっていても、なんというか。愛することと愛されることについて、バンドマンとして、決して間違った演奏はしていなかったな、と思います。それは、やはりいろいろな気付きを通じて、またささやかな活動を何年もやってくる中で、学んだことであると思います。

そして今回、この「空飛ぶキッチン」の簡単なビデオを作ってみたのですが、そのフッテージというか素材として、先日やったばかりの町田の映像とか、あとは昨年名古屋の路上でやった時の映像とか、使ってみたんですが、この「空飛ぶキッチン」のいかにもアホっぽい楽曲と相まって、そのまったくもってアホっぽいステージングの映像に、自分でも妙に感銘を受けまして、「アホでなんぼ」のミュージシャン、バンドマンとして、決して自分たちは間違った演奏はしていないな、と、妙な手応えを感じました。

愛の形といいますか、いかにして愛し、いかにして愛されるか、というのは、人それぞれに道があるし、人それぞれに運命があるわけです。ロックバンドというものは、そして音楽というものは、これは恋愛関係であるわけで、世の中に対し、あるいは世界とか宇宙とかいろいろに対して(ひいては神に対して)、どのように愛し、どのようにラヴコールを送っていくのか、そして、どのような恋愛関係を結ぶのか、それは、人それぞれに、バンドそれぞれにスタイルというものがあるわけです。

僕らは決して器用ではないし、バカみたいな難しい領域のことをバカみたいなニッチで行っていますが、それでも、このラヴコールということについては、自分たちなりに、向き合ってきたのであり、決して間違ってはいなかったということを、現時点で思います。もちろん、これは現時点で思うべきことではなく、もっと何十年もたった後で振り返るべきことですが、現時点でそれを意識することは重要なことであり、もっというならば、もっと若い頃に自覚的であるべきでした。あるいは、いや、もちろん、知っていたかこそ音楽なんぞを始めたのでしょうけれど。心の奥の部分でね。
けれども、あまりにも人と違うところを目指して、その違いに戸惑って生きてきた中で、自分たちなりの愛することの形を見極めるために、僕たちは時間がかかったし、それがやっとわかるようになってきたということでしょう。

で、そんなバカみたいな楽曲、「空飛ぶキッチン」なんですが、
これは僕が17歳、高校2年の時に書いた曲です。
それを、約10年後、自分のバンドImari Tonesを立ち上げた後に、とある時期に録音し、それを、さらにまた10年後、ミックスのやりなおしをしたのが、今年の年始にやっと完成させた「異能レース」「無責任なメシア」の2枚の「ReBuild」バージョンです。20代のときに録音した際に、曲のキーを少し変えています。それは、ギターのリフのキーは変えたくないが、歌のキーは低すぎたので、テーマ部分のギターリフは動かさずに、全体の歌のキーだけ少し上げたわけです。その結果、面白い転調になっています。

昨年この10年前に録音した2枚の作品の「ReBuild」作業を進める中で、24曲くらいの楽曲のうち、半分くらいはベースを弾き直し、2割くらいはギターも弾き直しましたが、この曲についてはベースとリズムギターを弾き直しています。ただ、ギターソロに関しては10年前に弾いたバージョンを越えられなかったので、そのままです。
このリズムギターの音は、結構いろいろ処理しており、10代の頃に演奏したりカセットテープにデモ録音した時とか、20代の頃に録音した時にも、うまく「nail」(きちんと当てる)ことができなかったものを、やっとモノに出来たかな、という感じです。何のギターを使ったかは秘密にしておきましょう(笑)まあ、Bacchusですけどね(笑)。 WavesのDoublerとか、EventideのUltraReverbを逆チャンネルにちょっと使ったり、コーラスのプラグインもかけたりとか、いろいろ処理しています。いつになくJ-PopというかJ-Rockっぽい音だと思います。ギターソロに関しては10年前にAxis-EXで弾いたものですが、これは確かEventide UltraReverbのレトロっぽいディレイのプリセットを使っていて、そのプリセットのデジタルノイズがかなり乗っています(笑) そのノイズを、うるさいな、とも思ったんですが、ノイズを無くすと意外と寂しかったので、ああ、このノイズはこういう80年代っぽいレトロ効果を出すものなんだ、と思って、そのまま使ってしまいました。でもそのせいで、ギターソロが結構映えていると思います。

で、この曲は、基本的に一人録音したものなので、バンドでは演奏していません(笑) というか、2007年に一度だけバンドで演奏したことが、Yプロデューサーにお世話になっていた時期の最後の方に、馬場クン&はらっち体制だった頃のイマリトーンズで、一度だけ実は演奏したことがあると思います。
あとはそれこそ、高校の頃に友人とお遊びでやったバンドで一度演奏したことがあるかな、くらいのものです。

楽曲は1980年代丸出しというか、むしろ1990年代初期っぽい軽薄さを持っているので、とても恥ずかしく、そして10代の頃の歌詞を、録音した20代の頃にさらに改変しましたが、それでも十分に恥ずかしい歌詞です。
しかしあらためてこうして聴いてみると、こういう軽薄でポップ、よく言えばキャッチーな曲というのは、人生においてそうそう何度も書けるものではない。
もちろんその後のイマリトーンズにも、ポップな曲はたくさんありますが、ここまでJ-Pop的というかJ-Rock的なものは珍しいと言えます。
なんかこう、若い時に書いた楽曲も、大事にした方がいいというか、今では時代も2周りくらいして、あらためてこういうのも「アリ」になっている可能性もあるので、もし可能であれば、またバンドで演奏してみてもいいのかな、と少し思っています。

いずれにせよ、このビデオは、もともとなんでもいいからこの「ReBuild」した2枚の日本語の過去アルバムから、何かYouTubeに上げなきゃな、と思って、この曲に関しても写真というか静止画を適当に並べて簡単なものを作ろうと思っていたのです。
だけれど、静止画もいくつか並べてはみましたが、先日の町田の映像とか昨年の名古屋の映像とか置いてみたら、案外ぴったりとはまった、そしてそれらの映像が、うちのバンドのキャラクターをよく表すものだったので、これでいいな、となってしまったものです。

そして、名古屋の路上でギター持ってスケートボード試みたときの絵も、せっかくなので採用しました。あの時は、ぜんぜん集中できずにうまくいかなかった。だけど、オーリーの一発くらいはなんとかなっていた。高さないけど(笑) あとはキックフリップというかバリアルフリップを失敗してる絵とか(笑) あの時に弾いたデッキで貴重なHamer USAのフライングVに傷をつけてしまったので、映像を役に立てないともったいないと、思い。

個人的な話ですが、名古屋の路上というか野外での演奏というのは、僕の音楽人生の中でも、原点というほどではないですが、原風景のような体験です。
15歳、そして16歳のあの時に、地元の仲間たちと名古屋の久屋大通の野外ステージで演奏した時の体験、そしてその時に見えた風景、見えたもの、見えた未来を、追いかけて今に至ります。今でもたぶんその時に見えた未来を追いかけていると思います。

その名古屋でまたこうしてオープンエアで演奏できたのは個人的には嬉しいことであったし、そういった場において、自分たちらしい「アホっぽい」ステージを展開できていたのであれば、それこそが修行の成果かと、言えるかもしれません。

いずれにせよアホっぽい「空飛ぶキッチン」と、そのビデオなんですが、
いかんせんネット上のオーディエンスのほとんどが外国の子たちであるうちのバンドのこと、日本語の楽曲に対する反応はやっぱり鈍い気がして、アクセスも伸びるかどうかわかんないんですが(汗)

でも、このアホっぽさ、軽薄なポップさ、そして、「愛する」こと「愛される」ことに対しての姿勢。

なんだか上から「この路線で行けよ」と言われているような気がする、そんなビデオです。
さらに精進していきたいと思います。
神さんの御心があらば。
サンキュージーザス。

No(4680)

■…2016年 5月12日 (Thu)…….音と言葉のrise above it
僕の親しい友人であったり、ミュージシャン仲間の友人たちであれば、音楽について僕と話をしたときに、僕が「俺はあんまり歌詞を重視しない」っていう発言をしているのを、聞いたことがきっとあると思う。

ここに自分の人生の言い訳を書いておきたい。
あんまりストレートに書くと、J-Pop批判とか、内外問わず音楽業界の否定になってしまうから、ほどほどにしておきたいんだけれど、半分は自分自身に対して書くことだ。

それでも、これはなぜ、自分が今まで、人生の中で意固地な選択をして、こうして意固地な人生を送ってきたかの、その説明にはなると思う。

僕は、音楽を作る上で、ソングライターとして、また実際のところリスナーとしても、あんまり歌詞を重視していない。
そして、音楽仲間と会話する時でも、僕はいつも「歌詞はどうでもいい」とか言っている。

けれども、それはもちろん、本当にどうでもいいと思っているわけじゃない。
俺だってもちろん、曲の歌詞に感動したり、ふと耳にした歌の歌詞が響いて涙してしまうことは、何度だってあるからだ。

けれども、それは、「音のメッセージ」が、歌詞の、言葉のメッセージと一致している場合のことだ。

僕は歌詞を重視しない。そんなに重要とも思わない。
それは、僕が歌詞とか言葉のメッセージ以上に、音そのものに込められたメッセージの方を重視しているからだ。

こういうことを言うといつも不思議な顔をされるけれど、つまり、こういうことがある。
歌詞の上で、言葉の上で「君を愛してる」と歌っている。
けれども、その一方で、音の方は、「君のことなんか嫌いだ」と言っている。
そういうことがある。

また、歌詞の上で、「愛がすべて」と歌っている。
けれども、その一方で、音の方は、「金がすべて」とか「地位と名誉は安泰だ」と歌っている。
こういうことは、わりと頻繁にある。

もちろん、歌詞や言葉のメッセージと、音が発するメッセージが常に一緒である必要はない。
それを敢えて不一致にしておいて、そこにメッセージを込めるのも表現だし、ユーモアや風刺につながる。

けれども、音の発するメッセージと、言葉の発するメッセージが、相乗効果のように、手と手を取り合って響き合う状態こそが、基本的にはベストというか、本来の姿だと思う。

だから僕が曲を書く際には、音に込められたメッセージを読み取って、そこにうまいこと、響き合い、調和するような言葉、歌詞を乗せるように務めることになる。

ちなみにミュージシャンが曲を作る時、音楽の部分から作りはじめる人と、歌詞の部分から取り掛かる人と、大きく分けて2種類いると思う。
上記のように僕はどちらかというと音の部分から先に作る方だ。というよりも、音の部分は、勝手に天から降ってくる。その、天から降ってきた、天から与えられたものを、僕は自分なりにきちんと処理や加工をしようと務めるのだし、またふさわしい言葉を乗せようと努力するわけだ。

もちろん、僕だって場合によっては言葉から先に出来る場合もあるし、言葉と音が同時に出来る時もある。それは、いろいろだと思う。でも、基本的には僕は音から先に作るタイプの作曲家だということだ。

そしてもちろん世の中には、言葉からを先に、歌詞というよりは言葉を中心にして紡ぎ始めるタイプのミュージシャンもいる。そういったアーティストの方は、おそらくは、言葉が降ってくる、言葉をこそ天から与えられるのではないかと推測する。僕はそういう人のことを詩人と呼びたい。そういった詩人は、たぶんフォークミュージックの世界にはわりと多く見られるみたいで、そういった音楽の中では、言葉のメッセージが先に来るぶん、音楽はどちらかというと舞台装置や背景の役割しか果たしていないことが多かった。

もちろん、僕もそういったフォークミュージックを楽しむことはできるが、それは日本語という言葉が理解できる場合であって、英語ないしは外国のそういった言葉優先の形態を持った音楽に対しては、日本語の場合よりも楽しめないのは事実だ。(それでも、いろいろなことを感じることは出来る。)

言葉優先の音楽形態ということで思いつくのはラップ、ヒップホップであるが、面白いことに、ヒップホップにおいては、その中でも優れたものは、やはり言葉同様に、時にはラッパーの繰り出す言葉以上に、その音楽というかバックトラックがストーリーを語っている場合が多かった。だから、僕はヒップホップも優れたものであれば、たとえその英語のラップが聴き取れなかったとしても、十分に楽しむことができる。これは、ラップ、ヒップホップという表現が、そのアーティストの出自であるとか、生活環境であるとか、そういった背景を重視する表現形態であることに関係があるのだと思う。

いずれにせよ僕は歌詞を重視しない。
それは、音の発するメッセージ、音に込められたメッセージを理解した上で、その上で言葉のメッセージを受け取りたいという思いでもあるし、
もうひとつは、人は、言葉を使ったメッセージよりも、言葉以外の部分において、より本当の気持ちが、表れるものだからだ。
言葉を使って表現するよりも、言葉を使わずに、音を使って表現する方が、より自分の気持ちを、自分のことを表現できる。
だからこそ音楽を始めたのだし、ミュージシャンとは本来そういう人種だ。
そして、僕も基本的に、そういう世界の中で人生を生きてきた。

けれども、ここに問題があり、それは、そういった言葉の外にある、音によるメッセージを、すべての人が理解できるわけではない、ということだ。

人は、言葉のメッセージよりも、言葉を使わないメッセージの中にこそ、本当の気持ちが表れる。
逆に言えばそれは、人は、言葉の上では、いくらでも嘘がつけてしまうということである。

音は嘘をつかない。
けれども、その音にこめられたメッセージを、必ずしも理解しない、重視しない人の方が多数派である場合には、
ミュージシャンは、音をなおざりにして、言葉の上で嘘を言うことが可能になる。

言行不一致という言葉がある。
その人の言う言葉と、行動が、必ずしも一致していない状態のことを言う。
この場合、僕にとっては、言葉というものは歌詞ということになり、そして行動というものは音ということになる。
それは、僕が考えるミュージシャンということにあっては、音というものは、「仕事」であり「行動」そのものであるからだ。そして、聖書っぽく言えば、果実ということになる。その木の良し悪しを見分けるには、その実をもって判断すべし、というあれである。
僕は、その意味で、1人のミュージシャンとして、なるべく言行一致した状態でありたいというだけのことである。
僕が「歌詞を重視しない」というのは、つまりはそういう意味です。

ミュージシャンが、言行不一致な状態にある時、そこにある表現は「記号」というものになる。

記号、つまり、サインはあるが、実体はない。看板はあるが、品物はない、という状態である。
「こだわりの職人が作る日本一のラーメン」と書いてあるが、実際には工場で作られた大量生産だったりするあれだ。

言うまでもなく、これは音楽に限ったことではなく、世の中というのはこの「記号」であふれている。
そして、実際のところ、世の中はこの「記号」で成立しており、「記号」によって回っている。

そして、こんなことは、誰でも、子供でもわかるようなことだ。

だから、俺はこうして、自分のこだわりを書いてみたけれど、
そういった「記号」で成り立つ世の中や、ステージの上で「嘘」を歌ってみせる(内外問わず、ほとんど多数派の)ミュージシャンたちに対して、非難するつもりは無いのだ。
また、その資格もない。

なぜなら、世の中のほとんどの人たちは、そういった「記号」と「嘘」で成り立った世の中の上で、がんばって生きているわけで、そして生きるということは、そもそもがそういうものだ。
商売というものは、客に媚びを売ってナンボのものだ。
また音楽の世界とか、芸能の世界といったものも、そもそもがそういった性質のものだ。

それをわかった上で、「俺は嘘をつきたくない」とか言って、そんな世の中に背を向けて意地を張って突っ張っているのは、「俺の勝手」というのか、勝手に選んだことであり、自分がかっこつけてやっているだけのことである。
これは俺のケンカだ、ということだ。
自分で勝手に始めたケンカである。
それで人を非難する筋合いは、僕の中のどこにもありはしない。

世の中に嘘があふれていることに対して、非難する筋合いはない。
そもそもが人はすべて、嘘つきであることから逃れ得ない。
俺だってどうしたって嘘つきであることから逃れられるわけはない。
完全に言行が一致することなんてありはしない。

聖書には人は罪のない、正義の生き物としては描かれていない。
聖書には、人は嘘をつくものだ、と書かれている。
キリスト教の世界ではいちばん偉い人であるはずの初代ポープ(笑)、ペテロさんだって嘘をついた。しかも予告つきで。イエス「お前はこれから嘘を付く」ペテロ「はは、そんなバカな・・・ひぃ、いつのまにか嘘を付いていたァ!」てな感じで。
つまりはイエスはどこだと聞かれたときに「イエスなんて人知りませんがな。わては無関係どす。」とか言ったわけである。一度ならず、ご丁寧に三度も。

だが神はそんな人間のことも許されたではないか。

俺は神ほどには人を許す度量もないし、間違いだらけの世の中のことも許すほどの器量もない。
だけれどもそんな俺のことも、神さんは許してくれるんじゃないかなぁ・・・。

歌詞ということでいえば、ひとつだけやはり書き記しておきたのは、俺は歌詞に感動して泣いたことは日本語であれ英語であれ何度もあるけれど、
やはり俺をいちばん泣かせたのは、bloodthirsty butchers吉村秀樹氏の、文法も、辞書も、言葉の並びも無視した、殴りつけるような言葉が、やはりいちばんの衝撃であり、いちばんに俺を泣かせた「詩人」であったと思う。

No(4681)

■…2016年 5月13日 (Fri)…….開墾中のうた久々に
いつかくる
そのときがくる
そう遠くない未来に
ぼくたちが
このふるさとを
この星を
はなれなくてはならないときが
このばしょを捨てて
新しい世界に
向わなくてはならないときが
新しい虚無の中へとびだすとき
ぼくたちのふるさとはどこなのか
ぼくたちのこころは
どこにあるのか
いま
ぼくたちが
しなくてはならないことは
僕たち
おんがくかや
げいじゅつかが
しなくてはならないのは
ふるさとを鳴らすことだ
それはこの国とか
あの街とか
そういう場所ではなく
僕たちのこころのありかを
作っておくことだ
また
ぼくたちが
正しくそこへと向えるように
新しい世界を
切り開き
鳴らしておくことだ
音で世界を作る
音で世界は作られる
鳴りひびけ
虚空の中に
決して消えない
こころの座標を
鳴り響け
新しい世界の
宇宙ブルース

No(4682)

■…2016年 5月17日 (Tue)…….予想以上に難航
レコーディング死ぬほど難航中。どのへんで難航してるかは秘密。僕らのバンドも、今見えてる範囲ではよほどのことが無い限りこんなふうにいっぺんにフルアルバムみたいにして作るのもこれが最後だと思うが(以降あったとしても数曲ずつとか楽なやり方にする)、今回はもう今までで一番難航していると言っていい。ただ振り返って、難しい作品になることを予感していろいろ準備してきたのは良かったと言わざるを得ない。はっしーの桜ベースなんかはその最たる例だ。ともかくもここがふんばりどころだ。あせらないでひとつひとつやるしかない。

No(4683)

■…2016年 5月27日 (Fri)…….難航いただきます
コンセプトアルバム、”Jesus Wind”(仮)の録音制作、エレクトリックギターの録音がすべて終わりました(hopefully)。
あとはこれから録ったものを編集して、それからアコースティックギターの録音もちょっとありますが、アコギは自分の部屋で録っちゃう予定なのですぐに終わる予定です。

ドラム録音もわりと難航し、ベース録音はそれ以上に難行でしたが、
ギターの録音も、もう本当に予想の5倍くらいの難航ぶりでした。

そうはいっても、のべ14トラックの録音を、4日のスタジオワークでやっつけたのだから、傍からみれば早い作業で順調のように思えるかもしれませんが、内容から言うと、まちがいなく、自分の人生の中でもっとも難しかったギター録音でした。

今回のアルバム「Jesus Wind」は、コンセプトアルバムですが、ナメていたのは、これを「ごくごく単純なヘヴィメタルのアルバム」だと思っていたことです。
つまり、今までのような「幅の広い自己流ハードロック」(ZeppelinとかRushみたいな)ではなくて、よりストレートで、様式美系のヘヴィメタルっぽいコンセプトアルバムなので、内容もたぶん単純なものだろう、と、なぜだか考えていたのです。

けれども、蓋を開けてみたら、これがまったく違った。
つまり、コンセプトアルバムで、ストーリーがあるぶん、ストーリーテリングというか、ストーリーに沿って、思いのほか様々なタイプの楽曲があり、またそのストーリーを語るぶん、演奏にも表現力が求められて、実は楽曲の枠組みこそ多様性があるように思いつつもストレートな演奏で良かったこれまでと違い、「本当の意味で」表現力が問われる内容だった。そして、そのストーリーに沿った楽曲の、バラエティが、実はよく見てみれば、非常に振り幅が広かった!

つまり、確かに典型的なヘヴィメタル、Jee-Youとか、Repentみたいな、ストレートで直球なヘヴィメタルもいくつもあるんだけれど、それらの間に、ストーリーの中で、ボサノバみたいな曲とか、ビートルズみたいな曲とか、ヒップホップ系のグルーヴとか、ダウンチューニングとか、ファンクなリズムとか、インストの曲とか、本当にいろいろあったのである。

これは、どっかで頭の中で「今度のやつは単純でストレートなヘヴィメタルアルバム」と思い込んでいたのが、間違いだったようだ。

だから、ドラムやベースの録音の際にも、よくよくディレクションして「音楽監督」やらなくてはならなかったけれど、音色やダイナミクスにも気を使った。
思えば前作”Revive The World”は、本当に自由奔放に曲を書いたので、そのぶん自然体で、音色も基本的にひとつの音色だけで、あとはたまにギターを持ち替えるだけとか。ギターも8割型「猫ポール」で、2曲だけHamerとか、2つのソロだけMusicman Axisとか、それくらいだったけど、今回に関しては、バリエーションという範囲ではなくて、本気で曲によって音色を変えなくてはいけなくて、(それでも、傍から見れば同じような音色かもしれないが)、ギターも結局、5本使って、曲ごとに本当に絵の具や絵筆を持ち替える感じだった。
考えれみればベースも3本使い分けているし、今まででいちばん楽器のバリエーションを必要としたアルバムということになる。

そしてたった4日間のスタジオワークだったとはいえ、今回のギター録音を終えて、本当にこれは勉強になった。そして、終わってみて、自分はまだまだギターや、アンプや、録音のことを、全然知らない、ということを思い知らされた。

愕然としたことがいくつかあるのだけれど、そのうちのひとつの最たるものは、Marshallのキャビネット。
リハスタで録音をするのだけれど、それはアンプは、リハスタにあるMarshallのJVMを使わせてもらうんだけれど(日本の無名ミュージシャンの現状)、
なんか2年前にやった前作の録音のときとくらべて、猫ポールやHamerを鳴らしても、いまいちどーんと来ない。演奏していても、なんか、勝手が違う。
それでも、気にせずにどんどん録音を進めていたんだけれど、最終日に、あと2曲半、というところで、やっと気が付いた。
マーシャルのキャビネットのスピーカー、4発のうち、半分の2発しか鳴ってなかった(笑)

これ、キャビの裏側のスイッチ見たら、そうなってたんだよね。
気付くの遅いって(笑)

たまたまオンマイクのSM57を立ててたのが、鳴ってる方のスピーカーだったせいもあって、明白な問題にならなかったこともあり。

これは、リハスタ的には、経営として電気代の節約でそうなっていたのか、あるいは、たまたまスタジオを利用していた人が、そういうセッティングにしたのかは、わからないけれど(また検証してみる)。

キャビが半分しか鳴ってないんだったら、そりゃ、パワー感は半減するよね。

気付いた時には既に遅く、そんな状態で、ほとんどの曲を録音しちゃった。

って、言っても、そこで確かめてみたんだよ。
4発ちゃんと鳴らした場合と、2発だけで鳴らした場合の違いを。

これがライヴだったら、4発鳴らした方がいいに決まってるし、
あるいは前作みたいな自由はハードロックだったら、4発鳴らした方がレンジ感が出て良い結果につながる。

でも、半分の2発しか鳴ってないってことは、スピーカー同士の位相の干渉とか、余計な箱鳴りも、少なくなるのも事実。他にもいろいろ、あると思うけど、今回のようなピュアなヘヴィメタルの音を狙いたい場合には、案外この方が、狙った音が得られたんじゃないか、と、検証してみて、そう感じた。

だから、幸運だったのか、不運だったのか、それは、作品が完成してみないとわからないけれど、今の時点では、きっと今回の作風に関しては、実は幸運だったかもしれないと、考えている。

ギターに関しては、結果的に5本のギターを使い分けることになったけれど、知ってのとおり僕はこの2、3年というもの、Bacchusのレスポール「猫ポール」に出会って以来、ギターに関する価値観は大きく変わった。
で、2014年に録音した”Revive The World”は、8割は猫ポールで録ったんだけれど、今回の音楽性の広さ、多様さは、それだけでは済まなかった。

で、結果的に、この録音を通じて、またも僕のギターとそのサウンドに関する価値観は、大きく揺るがされた、とは言わないまでも、改めて学ぶことが多かった。

改めて使ってみたもう14年も使ってるMusicman Axis-EXとか、これもたまにしか使わないけれど要所で重要なソロを弾き出してきた89年製Charvel Dinkyとか、こうして改めて久しぶりに使ってみると、改めてその良さというか魅力に気付いて圧倒された。つまりは、使い方次第なんだな、って。楽器というものは。どう良さを生かしていくか。この日本製のDinkyだって、決して高いギターではないし、センターずれも起こしてるけれど、センターずれを起こしているからこそ、ネックジョイントの伝達が良くなってこの音が出ている可能性もある。

もちろんどちらにしても自分の手元にある楽器は自分に合ったものであるから、それも合っているから使い続けているものなので、当然と言えば当然なのだけれど。

そして今回の録音の鍵というか最大のトピックとして予想外の活躍を見せたのは(予想はしていたけれど)、Bacchus Duke Standard、通称「ショコラ」だった。
実のところこのギターは、ここ2年くらいの間、秘蔵していて人前でまったく弾いていないもので、これはつまり「鍋島」用の文字通りの秘密兵器であり最終兵器なんだけれど。そうはいっても、家での「パソコンにつないだ録音」にはしょっちゅう使ってるから、色々の音源で既に音源デビューというか皆様の耳には触れている。昨年やった”ReBuild”作業のギターの録りなおしはほとんどこれだし。先日YouTubeにビデオをアップした「空飛ぶキッチン」(ReBuildバージョン)のバッキングもこれだし。

で、実のところこのギターは「秘蔵っ子」なので、人前で弾いたことないってことは、家での曲作りと録音のみで、スタジオに持っていってアンプにつないで鳴らしたことすら無いわけよ。
で、今回、この”Jesus Wind”のれこーでぃんぐのために、初めてスタジオに持込み、アンプにつないで、ブースターにぶっこんでみたら、瞬時にして「ひゅーん」ってハウリングが起こった(笑)

これは、本当に愕然とした。
そう、つまり、よく見てみたら、ピックアップ、ロウ浸けっていうか含浸されてないやつだった。
つまり、パソコンにつないで鳴らしてる時点で、「すごいクリアな音のモダンなピックアップ」とか思ってて、すげえモダンでヴァーサタイルなギターだ、とか日記にも書いていたのに、実際のところはめっちゃヴィンテージタイプだったという。
これはもちろん、ヴィンテージタイプのいわゆるP.A.F.タイプのピックアップが、いかにレンジが広くて反応が良いか、ということでもあるんだけれど、勘違いも甚だしく、またちょっとアンプにつないで鳴らしてみればすぐわかることであるだけに、めっちゃ恥ずかしい。

僕は気に入ったギターに関しては、なぜだか昔から、ペアで所有する習性があり、ずっと使ってるMusicman Axis-EXに関しても、ピンク色のやつとペアで、赤いアルダーボディのAxis-EXSっていうのをペアで使ってる。音の傾向はちょっと違うんだけれど。
また手放しちゃったけどEpiphoneのフライングVも2本ペアで交互に使い分けてたし、HamerのフライングVにしても、USA製とインドネシア製の「高いのと安いの」を両方使い分けている。
古いCharvel Dinkyにしても2本持ってたしね。1本は手放しちゃったけど。
で、Bacchusのレスポールについても同様のことをしてしまっているわけだ。なぜかって、嘘みたいな安価で投げ売りされちゃってるわけよ。性能はものすごいのに。ここのメーカーの楽器はやっぱり、ネームバリューが無いんで。

実際のところactually、「猫ポール」(BLP-STD-FM)と「ショコラ」(Duke Standard)の違いは、ボディの重さと、塗装が大きく違う。あとはピックアップとかコンデンサとか電装系に小さな違いはあるけれど。
猫ポールが4.2kgなのに対して、ショコラは3.6kgしかない。(材は同じアフリカンマホガニーなので、個体差かもしれんが、ひょっとするとショコラはウェイトリリーフくり抜かれてるかもしれない。)このことによるキャラクターの違いはまずかなり大きい。ぶっちゃけヘヴィな音を出すにはやっぱり多少重量のある猫ポールの方がいい。
それから猫ポールがトップラッカー塗装なのに対して、ショコラはオイルフィニッシュ。これもキャラクターの大きな違いになってくる。猫ポールのトップラッカー塗装というか、バッカスさんのトップラッカー塗装については全然気に入っているし良い感じなのだけれど、オイルフィニッシュのDuke Standardは、なんというか鳴りっぱなしというか、塗装によるフィルターがほとんどかからずに倍音が好き放題に鳴りまくっている感じだ。

この「奔放かつ野放途に倍音鳴りまくり状態」のショコラの持ち味を、今回の録音ではとくと思い知ることになった。
周波数的にも、あくまでミッドレンジにピークつうのか押し出しのある猫ポールに対して、フルレンジで鳴ってしまうショコラのキャラクターはなかなかに衝撃的で、今回の楽曲にどう生かしていくか、ということを、考えながらの録音だった。

どちらにせよ含浸してないピックアップのハウリング。
いや、ロウ浸けのないピックアップって言えば、ダンカンの59なんかこれまでかなり愛用していたんだけれど、ダンカン59の付いたギターでハイゲインな音でライヴやったことも何度もあるはずなんだけれど、今までいったいどうしていたんだろうか。単純にハウリングとか気にしてなかったのだろうか。

いや、反応はいいし、素晴らしいんですよ。このピックアップ。たぶんおなじみの国産G社が作ってるものなんだろうけれど。フロントなんてジャズも弾けるしね。昨年のReBuild作業で「夜の歌」のソロもこれだし(SpotifyとかBandCampで聴いてみてよ)、今回も”The Peace”のボサノバのソロはこれで弾いたし。
ただ、僕のセッティングだとどうしても、また録音の際もある程度アンプを音量鳴らして録音したいんで、どうしてもやはりボリュームを全開にするとハウってしまい、手元のギターのボリュームをおそるおそる8とか8.5とか8.3とか微妙に絞りながらレコーディングすることになった。
だから今回の録音には、ショコラのボリュームは10で鳴らした音というのは入っていない。いや、ソロは入ってるか。でもバッキングは全部、8とか8.5の音。でも、それでも十分に表現力のある音が録れたのが、この楽器とヴィンテージ系ピックアップの恐ろしいところだった。

しかしどちらにしてもハウリングとは紙一重であったので、たとえば”The Wave”のギターリフのブレイクというか「間」の部分、この無音というか休譜をどう演出するかというのはバンドアンサンブルの永遠のテーマでもあるけれど、今回、その間のスペースは、このひゅんひゅん言うゴーストのようなハウリングのうめきが演出することになった。(最初に猫ポールで弾いたので、二度目に弾き直したショコラのバージョンが採用されれば、の話だけれど)

その”The Wave”という曲にしても非常に苦戦したので、一度録音したギタートラックを、やりなおす、なんてほとんど初めてのことだし、本当に今回は、デモの段階とか、バンドでリハーサルをやっていた段階では、まったく問題に思わなかったのに、実際の録音をしてみると、音作りとか、音色選びとか、録音とか、チューニングや楽器の特性に至るまで、いろいろの問題が噴出して、こんなことは初めてというくらいに難航した。

やりなおしがまだ発生しないといいんだけれど。ギタートラックの編集はこれからだから(汗)

The Waveは本当に苦戦して、猫ポールで最初に録って、ブースターはCranetortoise真空管VT-2Bで、ばっちり、と思ったんだけれど、後で聴いてみたら妙な違和感があって。
で、最終日に余った時間で思わずショコラでやりなおしてみた。ブースターはShoalsを使って。

この曲は、The Waveっていうのはつまり、あまり触れたくないけれど2011年のあの出来事がテーマなんだけれど、なんか声が聴こえたもの。「はんぱな音では許さない」「こんなものではなかった」って。それが誰の声かは、考えたくない。だから猫ポールとAlbit/Cranetortoise VT-2Bの「きれいな」音よりも、ショコラ&Shoalsの「重く、荒れた」音の方が、より正解だったのかもしれない。セッションの最後だったから弦も錆びていて、チューニングの問題も発生していたのだけれど、敢えてそれでよかったのかもしれない。まぁ、どのテイクを採用するかはこれから決める。

それでも、本当にそこまでやっても”The Wave”なんかは、「ごめんなさい」っていう感じだった。
俺のギターはここまでです、俺の表現力は、これが限界です、っていう。

思えば2年前にやった”Revive The World”の録音は、本当に今思うと順調だったのだと思わざるを得ない。ヴォーカルはしんどかったけど。精神的に。だって音作りで迷うことなんか一切無かったもの。その時点で使っていた安いインターフェイスの安い内蔵マイクプリも、こうして振り返って検証してみると、安価ながらも実用的な使いやすいものだったことがよくわかる。今回、マイクプリも新しく用意したことで、音のレンジや選択肢は広がったが、そのぶん、音の選択肢も増えて、また音作りは難しくなってしまった。

そして思うままに、自分流の音楽を奔放に感情のままに書いた”Revive The World”、あれは自分の音楽の「霊的」キャパシティの中では最高のものであったと思う。そして、その音楽を書いた後に「猫ポール」と出会った。
その時に思ったことは、つまり、人というものは基本的に、自分の霊的なキャパシティの限界の中でしか物事を認識できない。つまりギタープレイヤーであれば、自分の霊的なキャパシティというかレベルを越える楽器とは、基本的には出会えない、出会っても良さを認識できない、というものだと思う。
だけれども「猫ポール」は、自分のそのギタープレイヤーとしての霊的なレベルを越えるものだった。そして引き上げてくれるものだったと思う。

そしてその直後というか、2013年の大晦日から、2014年の正月、元旦と2日、そのほんの2、3日の間に、この”Jesus Wind”の楽曲が書けてしまった。
(8割、9割、かな。”Jee-You”に関しては、その直後に、Y&Tの来日公演を見て、”Forever”でみんなが合唱しているのを見て、「俺もこんなわざとらしくてクサいメタルの曲を書いてみたい笑、と思い、出来た曲。でも、そのおかげで、このコンセプトアルバムのストーリーの結末が、人類滅亡、ではなくて、希望のある終わり方になった。)

だからこの”Jesus Wind”の楽曲は、自分の音楽的な霊的キャパシティを越えたものなのだ。ソングライティングの面でも。
だからこそ、自分の手に負えないのも、自然なことかもしれない。
そういった、自分の器を越えるものに向き合ったことで、ぜんぜん未熟ながら、経験も少ないながら、まぁ未熟なんだけれど、あらためて自らの未熟さと、何も知らないんだ、ということを思い知らされた。

キャビネットの件や、ショコラのピックアップの件もそうだし、マイクプリに関しても、事前に準備して検証しておいたにもかかわらず、そのセッティングは、その日ごとに結果が違っていた。これも曲によって要求する音がまったく違うということだと思うのだけれど、だから、一日の録音を始める前に、いちいち、すべてのギター、ペダル、マイクプリの組み合わせを試して、検証してからでないと始められなかった。その結果も、毎日違うわけで、まあ普通レコーディングなんてものはそんなものかもしれないが、ちょっとしんどかったな。

サウンドというか機材つーかギアの面でもうひとつの事件は、やっぱりオーバードライブのペダルのShoalsだったと言わざるを得ない。
これはHeavy Lid EffectsのShoalsなんだけれど、ここ数ヶ月、なぜだかオーバードライヴに今更悩んで、いろいろ検証していて、気が付いたらこのShoalsが手元にあったんだけれど。
たぶんこれは今回の作品の音楽性とか方向性のせいだと思うんだけれど、長年、実に8年とか9年くらい自分の足下でメインとして君臨してきたそのAlbit/Cranetortoiseの真空管ブースターよりも、このShoalsの方が勝ってしまうということが多発して本当に焦った。

ぶっちゃけShoalsはノイズは多い。これは間違いない。けれども、やはり僕の人生において、良い音、良い歪みと、ノイズというのはトレードオフの関係にあるようだ。ノイズレスで良い音、良い歪み、とかは、やっぱりあり得ないのかもしれない。当然ながらCranetortoiseの真空管入りに関しても、アンプに突っ込めばやはりノイズは乗るのだから。

僕は、今回のこの”Jesus Wind”の、今までの僕らの作品の中では、珍しく例外的に「正統派ヘヴィメタル」なサウンドに向き合うについて、今までのナチュラル系トランスペアレントドライヴではダメだ、ということを、本能的に察知していたのだろうか。
それくらいに、前作までメイン使用していたAlbit/Cranetortoiseのブースターの音では足りない、合わない部分を、このShoalsの「あくまでヘヴィメタル」な音は見事にカバーしてくれた。
結果的に、7割くらいの曲では、Cranetortoise VT-2Bよりも、このShoalsが採用されてしまった。
実のところ、ソロはちょっとそのままでは弾きづらい音だったので(ライヴではEQ踏むから問題ないけれど)、ソロに関してはVT-2Bを使った割合が多いけれど。

野放途な音圧、とか、レンジの広さ、トランスペアレントな音の粒立ち、ということでいえば、今までの音の方が勝っているけれど、今回の作品のダークでインテンスな正統派ヘヴィメタルの音については、今回使用したShoalsはまさにうってつけだった。ていうかたぶん今後のライヴの足下のメインはこれになるだろうと思うし。レンジが広過ぎるAlbit真空管よりも、より中域にフォーカスした一般的なTS系オーバードライブの方がライヴの場で使いやすいケースが増えてきたのは、前にも書いたとおり。

とにかく今回のギター録音を通じて、自分の未熟さというか、「ああ、俺はギター下手だなあ」と思うことが、非常に多かった。何度もあった。
それくらい、足りなかったし、手強かった。学んだし、学ばされたし、思い知らされた。

That be said, そうはいっても、ひとつ良かったことは、ギターソロ。
テイクを重ねなかったのよ。
これは、歳を食ってきて、単純に体力とか気力が昔よりも全然ないってこと(笑)

そういうこともあってか、いや、そういうわけじゃないんだけれど、ギターソロ、本当に最初のテイクで決まって、これでいいや、とか、まあ念のためもう2、3テイク弾くんだけど、3テイク弾いて完了、だったりとか。とにかく早かった。
自分の中に、別人格の「達人」が居て、「先生、お願いします」って言って、その達人に出て来てもらって、弾いてもらう感じ。で、その達人は白髪の老人なので、2、3テイクしか弾いてくれないわけよ。2、3テイク弾いたら、疲れて帰っちゃう。そしたら、もう弾けない(笑)

唯一テイクを重ねたのは”Bushido”のギターソロかな。ライヴだと問題ないんだけれど、れこーでぃんぐだと正確さとスピードが要求されて、ちょうど集中力が欠けていたこともあって、かなりテイクを重ねてしまった。

今回、キャビネットが半分しか鳴ってなかったりとか、VT-2Bの感触も、Shoalsの感触も、いまいち勝手が違ったりして、ギターソロもなんか弾きづらかったんだけど、それでも無理矢理弾いちゃったし、

あとはね、もともと、今回の作品のギターソロは、デモのテイクをそのまま流用しようかとか思ってたの。かなり本気で思ってた。
それはつまり、デモを作った際に、まぁデモはパソコンにつないでAmplitibeで弾くんだけど、なんかやたら難しいギターソロが出来てしまって、ああこれは、もう二度と弾けないだろう、たぶんこのデモのテイクを越えることは無理だろう、と思って、半分くらいはそのデモのテイクをそのまま使っちゃおうと思っていた。

だけれども、やっぱりアンプ鳴らして録った方が、リアリティがあるじゃん。パソコンの整った音じゃなくて、アンプとマイクの、荒くて生々しい音の方が。
で、結果的に、「自分のギタリストとしての霊的な限界を越えた」この難しいギターソロ群なんだけれど、終わってみれば、全部アンプを通して弾けちゃってた。
もちろんそれは、それぞれに適した楽器に助けられて、の話。あとは自分の中にいるその白髪の達人の力。

まあ決して、完璧、とか、滑らか、ではないかもしれないし、その意味では、あのいろいろ人任せで辛かった「Japanese Pop」の録音を思い出すんだけれど、あれもヘヴィメタル色強かったし、完璧ではなくても、ありのままを表現できる生々しいギターソロが録れたんじゃないかと思う。

で、これからギタートラックの編集して、ちょっとだけアコギ録って、それからヴォーカルを録っていくんだけど、

いちばん書きたかったことというか、今現在の心象風景。

それは、俺の今の気持ちは、「トップ、いただきます!」というものなのね。
これは、笑っちゃうようなことだと思うんだけれど。

有名無名とか、売り上げの数とか、会場の大きさとか、いろいろな基準があるけれど、音楽的なことについては。どこまで究めるかということについては。いちばん先へ行くというか。

で、この、今作ってる”Jesus Wind”じゃなくて、
これは、無論、その先にある最終到達点の「鍋島」のことなのね。
この録音期間中に、「鍋島」のデモも作っちゃおうと思っているので。
僕の中では、「鍋島」をきちんと鳴らして、作り上げたら、それは、「トップ、いただきます」ということになるんだ。

それは、もちろん、笑ってくれていいんだけれど。

でもね、これも当たり前のことだけれど、音楽とか、芸術というものには、明確な基準がない。
そのぶん、厳しい、と言っていいかどうかはわからない。
つまり、スポーツであれば、明確な基準がある。それはつまり、記録の数字とか、結果は数字で明確に順位を付けることができる。表彰台に立って金メダルを受け取れるのは1人だけだ。

だからこそ逆にスポーツの厳しさもそこにある、結果がすべて、という感じ。ただ、そんなスポーツの世界であっても、そこには不確定要素とか、運とか、巡り合わせとか、たとえば怪我しちゃうとか、いろいろな不確定要素があるわけだ。

そんな不確定でわからない世界で、音楽とか芸術には、いったい何が良くて、何が悪いのか、何をもって良いものとするのか、その基準すら、そもそも明確に存在しない。だから、その基準すらも、自分で作り上げなければいけない。そしてその基準とか価値観というもの自体に、勝負をかけていかなければならない。

芸術というのはそんなものだから、たとえばそんな真実も基準も存在しないような世界の中で、「これが一番だ」と言える、そんな基準とかものさしを見つけることが出来ただけでも、僕はそれは素晴らしいことであり、幸運なことだと思っている。
だから、僕が、今現在、あくまで自分自身の狭い見識の中での、自分自身による基準であったとしても、「トップ、いただきます」という気持ちになっている、ということは、やっぱり喜ぶべきことだと思う。

そして、いつの日か、その自分の最高到達点である「鍋島」を作り上げたとして、そして、またいつの日にか、その基準自体を打ち砕かれるような、自分を越える圧倒的な作品とか才能に、巡り会ったとしたら。
その時、僕は本当にそのことを、嬉しく、また、幸せに思うに違いない。
だって、こんな僕なんかがトップを取れてしまうような世界に、僕は住んでいたいとは、あまり思わないから。
もっとすげえやつらが、いっぱいいる世界に、俺は生きていたいのだから。
そんな世界をこそ、夢見て、俺は、すべてのことをやっているのだから。

そこまで生きていられるかどうかは、わからない。

「鍋島」を鳴らし切ることが、あくまでトップの到達点だけれど、この”Jesus Wind”を完成させることが出来たら、それはそれで、ひとつ、城を築き上げたことにはなる。それでも、満足と言えば満足だけれどね。

まずは、ここでがんばって、今やっているこの”Jesus Wind”を、完成させなくては。

実のところ、「トップ、いただきます」という精神状態は、
ハイであるべきだし、歓喜であるべきだし、ヒャッハー、であるべきだ。
このことに思い当たったとき、僕は少年時代のいろんなことを含めて、ああ、自分の人生が、すべてmake senseすることに気が付いた。

だから、そこは、明るく陽気に、歩き、また、走るべきだ。
そういう流儀だし。

なぜって、何か物事を実行するとき。
それを計画したり、立案したりするときには、いっぱい悩んで、思案しなくてはならない。正しいかどうか、検証し、綿密に、計画を立てなくてはならない。

けれども、ひとたびそれを実行する段になったら。
何も考えてはいけない。
頭はからっぽで、悩まず、ためらわず、笑顔でさっくりと引き金を引かなくてはいけない。
行動っていうのは、そういうものだ。

だから、今がその時だ、と僕は思っている。
陽気に、一歩一歩、のんきに、鼻歌を歌いながら、進みたい。

けれども、実際のところは、やっぱり、へとへとの精神と肉体をひきずって、
また文字通り、重い機材や、荷物をひきずって、
死にそうな顔をして、歩いているのが、現状の日々だ。

実際はそんなものかもしれない。
それでも、根っこの部分は、楽天的に、のんきで、陽気でありたいものだ。

No(4684)

■…2016年 5月29日 (Sun)…….out of phase
週末バンドリハ、からのピックアップ交換。(理由は先日の日記参照) 安くて良い品国産G社。国産ギターにOEMで載ってるのは何度も使ってきたがG社の名前で直接出してるの使うのは初めてかも。下手っぴなハンダでなんとか配線したが電気的な知識が無いせいかセンターポジションが逆相でフェイズアウトしてしまった。いわゆるPeter Green状態というやつか。しかし使ってみるとこの逆相サウンド中々面白い。つまりなにもフロントとリアは10:10にしなくても10:3とか好きなようにブレンドすればすげえ面白い音が作れるじゃないか!なんだ、こんな面白いの早く教えてよ!
#gotohpickups #outofphase #guitarpickups

No(4685)

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