レッスンジャーナル (Day 9)

[Day 9]

「ドラマーさんがベテランでなんか強力っぽいからベースはお手軽な人選でもいいかな」という安易な思いつきで、
周囲からはかねてからサジェスチョンも無いではなかった「サイドプロジェクトでお遊びでベースを弾いていた嫁さん」を起用するという安易な考えに飛びつき、

家庭内レッスンを始めて一週間ほどが経った。

初日こそ、「走ることを教えようとしたらまず立てなかった」ということで、
まずはハイハイするところから、
みたいなノリで心配したものだが、

もちろんまだまだレベルは低いものの、
「優秀な幼稚園児」くらいの感じにはなってきて、
あるいはなんとかなるかも、くらいの期待は持っている。

良いことを言えば嫁さんは物事を学ぶのは早い。
記憶力もいい。

それから、これは当然のことだが、教えるにあたって、コミュニケーションの問題が無い。
つまり、長年一緒に生きて来た嫁さんなので、教えるにあたっても意志の疎通がスムーズだ。
これは案外大きい。

 

もちろん、彼女をバンドの一員、というかプレイヤーとして起用するとなれば、運営上の問題は色々ある。
でも、なんかもう、いっかなー、全部、どうでも、みたいな心境なので、今の僕は。

要するに、もう僕は「バンド」をあきらめているのである。
ルックスも、演奏力も、世界制覇する気も満々の、
イケてるバンドで、実際に世界を制する。
そういうのは、もうとっくにあきらめきって、
そして10年続けた[Tone – Hassy – Jake]体制を終わらせた時点で、
なんかもう、全部終わった感、どうでもよくなった感がある。

 

[Tone – Hassy – Jake]体制について言えば、
彼らとて決してプレイヤー、ミュージシャンとして才能があったわけではない。
でも、それでも僕らは10年やってきて、アンダーグラウンドな手法ではあるが、それなりに活躍してきた。
そして実際に音楽をたくさん作ってきた。
だから、彼らだってやっぱり特別な存在だったのだ。
この3人は、特別な組み合わせだったんだよ。

それが終わってしまったのだから、
後はもう、どうでもいいかな、みたいな心境がある。
余力で流していけばいいや、というか。

 

だから今、立ち上げようとしているバンドの形も、
間違いなく「割り切ったもの」だ。
とりあえず別に世界制覇とかしなくていいから、
スーパーバンドになる必要もないから、
当面、目の前のライヴ活動が出来ればいいや、みたいな。

 

あとはもちろん「鍋島」を作ること。

「鍋島」を叩いてもらう、理想的な技術を持った人材だと思ったから、
ベテランドラマー氏と、やってみる気になった。

でもそれは今後のことだから、また時が来ればアップデートする。
これからバンドを立ち上げ、作っていくのだから。
形になったら、発表していくつもりだ。

で、今回、ベテランのドラマー氏と出会ったことによって、
じゃあ運営上のこと、精神性のこと、そして何よりルックスを重視して、
ちょくちょく言われていた「嫁ベース」という安易な考えに飛びついてみた。

なんかもう、なるようになればいいや、
それで「鍋島」が作れるのであれば。
だって、録音の時は、ベースは自分で弾けばいいんだし。

 

これがうまくいかないようであれば、それこそ環境を変えればいいんだしね。
そしたら、それは待ち望んでいた「音楽をやめるチャンス」になるかもしれない。
こんな途方もないものに向き合うのは、もう懲り懲りだ。

人間なんて小さな存在は、ちょっとでも「真実」とか「本質」とか「芸術」みたいな、つかめないものに向き合ってしまったら、
どんなに背伸びしたって、届きっこないのだから。

生身の人間ってものには、限界がある。
太刀打ちなんか出来るわけがない。
だから、自分に出来ることだけやればいい。

 

嫁レッスンをしていて、良いことは、
もちろん、若い頃に出会ってから、彼女とはずっと、かけがえのない存在として愛し合ってきたわけだが、
こと、今この時点で、音楽や楽器についてレッスンをする、という行為は、
案外とやっぱり、親密な行為になっている。
それは、なんというか精神的な意味合いにおいて。

だから、このレッスンをする、つまり、嫁ベース起用する、ってことは、
腰を据えてゆっくり、っていうか、あせらない、たとえ相手がよちよち歩きであっても、気持ちに余裕をもって、ひとつひとつ進んでいく、という、そういう覚悟で向き合う、ということであるので。

ジーザスモードの時みたいに、「なんで弾けないんだよ、こんな簡単なのが。じゃ、もういいや、ずっとルート弾いてればいいから。」みたいに片付けない、ということ。

 

で、一週間余りがたった時点で、夫婦仲も良くなっているし、それは、なんというかお恥ずかしいことだが肉体的な意味ではなく、なんかちょっと精神的な意味で。
生活に張り合いも出てきたし、
そして意外と、まだ幼稚園児レベルではあっても、意外と熱心に習得し、吸収しているようだ。その、技術や知識を。

もちろんこれは、仮に「ルートしか弾いてない」とはいっても、サイドプロジェクトである「熱きリョウ with Jesus Mode」でベースを弾いて、ライブ活動をしてきた、という経験の下敷きも、やっぱりあるだろう。

 

でもって、ひょっとすると、意外と才能も、無いようで、それなりにあるのかもしれない。

もちろん、それはバリバリといきなり弾きこなしたり、黙っていてもいきなりアドリブで弾きまくるような才能ではないけれど、
なんというのか、なりたい自分になっていく才能みたいなものが、あるのかもしれない。

昨晩もちょっと、流れで初歩のタッピングを教えてみたが、
もちろん、まだ基本のところがよちよち歩きではあるものの、
意外と楽しそうにタッピングをやり始めたではないか。
こういうところから、得意技とか方向性を見つけて、案外と人は伸びていくものだ。

 

もともと私は、いつも冗談話で言っているように、
音楽の才能が無い女性と結婚したい、と言ってうちの嫁さんを選んだくらいである。

だが、果たしてそれは事実だったのか。

確かに彼女は絵に描いたような音痴である。
だがそれは、音程認識が音痴なのではなくて、声を出すのが不器用だから音痴、という方の音痴である。そんで、この人がどんなに運動神経がにぶくて、不器用なのかは長年一緒にいれば当然知っている。
ドラマー氏は、コーラスの練習をしたい、と言っているのだが、
ひょっとして、不器用なところを乗り越えさえすれば、それすらも向上するのではないか。

 

どっちにしても、嫁としては、女性としては、僕にはもったいないくらいの素晴らしい女性である。
それは間違いない。

神は言っているのかもしれない。
試してみろ、と。
私が君の旅路の道連れとして遣わした、この女に、
それくらいの「機能」が備わっているのは当然ではないか、と、
神は笑っているのかもしれぬ。

 

まぁ数ヶ月後にはもうちょっとはっきりするだろう。

以上、次回の報告まで。

 

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