アンドリング in 愛を知る国

今月、つまり2018年9月。
生涯忘れられないであろう出来事があった。

もとより8月の末頃に、その方が緊急に入院されたという知らせがあった。
そのためうちの嫁さんは、見舞いのため何度も地元に通っていた。
しかし自分の誕生日くらいは二人で平安に過ごしたいから、ということで、8月31日には共にデートし、都内某所を散歩して、語り合って過ごした。それは、まるで僕らが高校生の頃に地元でそうしていたのとまったく同じように。8月31日は彼女の誕生日であると同時に僕たちの結婚記念日でもある。

9月某日、真夜中に知らせがあった。
僕はその日しがない肉体労働の後だったので、さらにその前の日も持ち前の不眠症で眠れていなかったため、二日間ほとんど寝ていない状態で駆けつけることになった。

思えば、およそ一年前の昨年の9月末、やはり同じような状況でその方が倒れたという連絡があり、僕たちは駆けつけたのだった。
それからほぼ一年。
客観的に考えれば、よく一年もった、と言えるのだろうと思う。

僕らは別に奇跡を起こして病気を治すことは出来ないが、
祈ることは出来る。

うちの親父の時もそうだったが、
病気になって初めて心が通じるということがある。

昨年のその時から、
彼女(うちの嫁さん)と、そのご両親にとって、
止まっていた時間が動き出した。

それは閉鎖的であった家庭の中で、
家族の絆、夫婦の絆、親子の絆が、
あらためて確認され、修復され、
伝えるべき言葉を伝え、
お互いを認め合うための時間となった。

僕は彼女のご両親を尊敬している。
どこの家庭にも問題はある。
僕の実家もそうだった。

だけれども、たとえ世間と距離があったとしても、
それであっても、それだからこそ、
僕は彼女のご両親の事をよく理解できる。

そして、そんな中に生まれた彼女が
ご両親にとってもたらされた「希望」であり「光」であったことも。

今まで何度も見てきた家族のアルバム。
時代を考えても非常にハイセンスで、美男美女の素敵なご夫婦の写真の中、
天真爛漫な彼女が登場すると、
とたんにすべての空気が一変する。

それは、新しい自由な世界の始まり。
そして、僕はそのために、この場所に呼ばれた。

20年ほども前になるか。
そう、20年以上も前のことだ。
僕は彼女と恋に落ちたが、
その事は僕の家庭にも彼女の家庭にも波紋を起こし、
二人の関係を家族に認めてもらうためには、
何年もの歳月が必要だった。

けれども、こうして10年、20年の月日が経ち、
本当に伝えたかったことが、
ようやくわかりあえる。
僕らは愛を伝え合い、お互いを理解し合うために、
ここに来たのだということが。

そのための手助けが少しでも出来たのであれば、
それこそが僕が彼女と結ばれた理由なのだ。
そのために僕は、彼女の元に呼ばれたのだ。

愛によって月日とともに何かが変わるのであれば、
しかるべき形を取り戻すのであれば、
それこそが僕にとっての革命だ。
愛が伝わるということ、
それこそが、何かが変わるということだ。

そんな仕事を、これからも共にしていきたい。

 

話は変わるが、
日本人には伝わるであろうキャラクターとして
アンドレというものがある。
もっとも若い世代には伝わらない可能性もある。
僕らの世代でもあやしいくらいだから。

つまりはベルサイユのバラに登場するアンドレというキャラクターのことだ。

うちの嫁さんと共にあって、
僕の人生はある意味、アンドレ的であったかもしれない。
それはよくわかっている。

しかし一年前のあの時以来、
彼女の家庭にあって、僕はアンドレの役割に徹していたように思う。

男性の愛や、器量が試される場面であろうと思う。
僕は一般的な男性のように、社会的な地位や、経済的な力は持っていない。
けれどもたとえば、心を込めて料理をすることは出来る。

お母さんの得意料理だったという芙蓉蟹を、作ってさしあげることが、お父さんに、できるだけでも、僕らにとっては、それはきっと幸福なことだった。

彼女の家庭にあって、「アンドリング」(Andre-ing たった今でっちあげた造語) (彼女を支え、影のように寄り添うこと) という使命を果たすことが出来たことを、感謝したい。

そして、そんな家庭の中にあって、家族のつながりを支え、
伝えるべき愛をきちんと行った、彼女の勇気を讃えたい。

 

そしてまた、一般的な日本の家庭であったにも関わらず、一般的な宗教や慣習から距離を置きたいという考えにより、
そして僕と同様にうちの嫁さんもキリスト者であるから、
結果として不思議なことに一般的な慣習や儀式はすべて排して、
キリスト教の形でお祈りをすることとなった。

親戚の皆さんに、アーメン、と言っていただくことは、
これは日本においてたとえば(一般のノンクリスチャンの)結婚式の際に、アルバイト牧師の外人さんが祈りを捧げても参列者はほとんど「アーメン」とは言わない(そもそも言うタイミングがわからない)ことを考えれば、非常に不思議なほどにありがたいことであったと思う。

もちろん、伝えるべきことはきちんと伝えておいたはずである。
彼女は。
そして僕もそれを確信している。
少なくとも、僕たちはその方を、キリスト者として送り出したのだ。

周囲や世間は関係ない。
自分らしい選択をすること。
それが、その方にとってとても大事であったことを、
僕たちは理解している。

そして僕たちはその事をとても尊敬している。
とても美しく、そしてとてもかっこいい、
去り際であったと、
とても安らかで、きれいな、
まるでカトリックの聖人でも見ているかのような、
その寝顔を見て、
僕はそう思い、確信した。

苦しむことなく、美しい姿のまま、
その方は去っていかれたのだ。
それこそが、僕らにとっては奇跡であったろうと思う。

僕らの答えはそこにある。
そして、それでいい。

 

不思議なことに、
これらの出来事の最中、
僕らが出会ったその地元の町を歩いていると、
今までに時折、帰ってきた時とは違う、
懐かしい空気を感じた。

それは、まるで物語が、
時間と空間が、
本来あるべきところへ戻ってきたような。
年月と経験を経て。
次元の旅を経て。
愛の物語は、
物語の本筋は、やっとこれから、再開されるのだ。
それもきっと、いただいた奇跡であろうと思う。

いただいたもの、受け継いだもの、
それらの「美」を大切に守りながら、
僕はこれからも、彼女の側にあり、
この物語を最後まで紡いでいこうと思う。

 

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