俺たちはキリスト教のイベントに出るべきなのか

日本初の本格的クリスチャンヘヴィメタルバンド、なんつーことを名乗って、2008年あたりから、人知れず、地道にちまちまと活動を続けているわけだけれども、

当初から、こういったクリスチャン関係というのか、キリスト教関係というのか、「キリスト教業界」のイベント、ギグ、(営業とか)、をやるべきなのか、出るべきなのか、そのあたりは、複雑な思いがある。

結論から言えば、僕らは、「クリスチャンホームに生まれ育った」わけでもなく、また「牧師の息子だった」わけでもなく、「大人になってから自分の意志でキリストを信じてしまった」クチの人間だったため、そしてそんな人間が、ヘヴィメタルという表現に可能性を見出して始めたバンドだったため、そして、現実的にヘヴィメタルという音楽性とキリスト教世界との親和性があまり良くないものであったため、
(また、通い始めた教会も、組織に属さない、いわゆる単立のとても小さなところだったため)
理由はどうあれ、結果として、いわゆる「キリスト教」の「業界」からは距離を置いてきた。

 

僕は、営業というものが嫌いだ。

もちろん、世の中の大半の人や、普通のビジネスマンの方々は、この営業というものについて、深く理解し、よくわかってらっしゃることだろう。
そこにはもちろん、その道の教えというものがあるだろう。

世の中はビジネスで回っているし、あるいは営業で回っているかもしれない。
そして、それは人間の世界の営みである以上、教会だって例外ではないだろう。

たとえそうであったとしても、僕は営業と信仰というものを一緒にはしたくない。

ビジネスというものは、営業というものは、数字だ。
そういうものだと思う。
というよりも、世の中というものは数字で回っているものだろう。

 

けれども、俺は、馬鹿なことがやりたい。
馬鹿なことをやっている人間が好きだ。

いつも言っている言葉だけれど、
キリスト教の世界には「伝道」っていう言葉がある。

俺にとっては伝道っていうのは、
教会の会員をたとえば1000人増やすことじゃない。

1人の人間を愛することだ。

なぜなら人を本当に愛することって、
簡単なことじゃない。

とてもじゃないが、そんなに簡単なことじゃない。

だから、
誰か一人でも、本当に愛することが出来たのなら、
君の人生における宿題は、
だいたいきちんと成し遂げたことになる。

そう思っている。

 

愛を表現する、ってことは、
バカなことをやる、ってことに大体等しい。

馬鹿なこと、とは、悪い事とか、非人道的な行為のことではなく、
自分にとって、必ずしも得にならないことのことだ。

あるいは、なんかしらんけどこれ以上ないくらいに最高にかっこわるく恥ずかしいこと、のことだと思う。

だから僕は、個人としても、バンドとしても、
そういった「馬鹿なこと」を、なるべくやってきたように思う。

 

たとえば僕らは2015年に、「松原湖バイブレーションジャム」と銘打たれた、「クリスチャンロックのフェスティバル」に参加した。
それは実のところ、とある友人が身銭を切って企画した、手作り感にあふれるイベントだった。

人によっては、その友人が、苦労をしてまでそんなイベントを企画し、実行したことに対して、何を馬鹿なことを、と思った人もいるかもしれない。
けれど、それは素晴らしいイベントだった。

それは僕たちのバンドが2012年にアメリカのワシントン州とオレゴン州の境目あたりで参加した、X-Festというクリスチャンミュージックフェスティバルがあったが、それと同じような楽しさと、祝福があった。
それは、規模と歴史こそ違うかもしれないが、やはりそのX-Festも、手作り感にあふれたフェスティバルだったからだ。
普通の日本人の感覚からすれば、馬鹿みたいな人たちが集まっていたかもしれない。けれど、だからこそとてもハッピーな場所だった。

 

そういう「馬鹿みたいな演奏機会」とか、「馬鹿みたいな場所」とか、「馬鹿みたいな伝道」は、やってみたいんだ。
それは、「馬鹿みたいに愛を伝えたい」からだ。

 

余談になるが、先日、とある方から情報をもらい、
メキシコから来ていたスケートボード・ミッショナリーの団体の人たちと、一緒にスケートする機会があった。
おなじみの(まあ新横なんだけど)スケートパークで、「ミッショナリー」である彼らは、「馬鹿みたいに」神のメッセージを、人々に伝えようとしていた。聖書のカードとか、スケーターたちに渡していたんだよ。

そういうことに関わるのは、僕も初めてじゃない。
それこそThe Extreme Tourに関わった時、それが日本であれアメリカであれ、ストリートで、訪れたすべての場所で、馬鹿みたいなコミュニケーションの中で、教会とか関係なく、僕らはやたら陽気に「愛のメッセージ」を無差別に伝えようとしていた。無差別伝愛? なんて言うのかな?

 

それは、たぶん傍から見れば馬鹿みたいなことで。俺だって、ちょくちょく通っているスケートパークで、そんなことをするのは抵抗が無いわけじゃない。なんと言っても、ここは日本だしね。他の国では、こういうことは決して珍しくないが、日本ではキリスト教に馴染みないし、宗教つうだけでアレルギーあるし。

 

だから、スケーターの子たちの反応も色々だったけど、面白かった。
拒否したっていい。批判されたっていい。別に無理に受け入れなくったっていい。

でも、たとえ批判されたって、
一応俺だって、冗談でキリスト教徒やってるわけじゃない。
本気でやってるんだ。

命をかけて信じてるものがあるんだったら、
やっぱりそれは、命をかけて伝えるんだよ。
それは今日とか、明日とかじゃなくて、生涯を通してやるんだ。
もちろん、今、ここで、今日、君に、伝えることが大事なんだけれども。

だから、たとえ「馬鹿なこと」であっても、
愛を伝えるってことについては、俺は生涯あきらめないと、決めているんだ。

(とはいえ、完璧には行かないけれど、ね、人間だから)

 

そしてもういっぺん言うと、
キリスト教の教会の会員を増やすことと、
愛を伝えるってことは、
残念ながら同じじゃないんだぜ。

なぜって、愛は営業じゃないからだ。

愛は数字に換算できない。

愛を伝えるってことは、
何の役にも立たないんだよ。

それでも、やるんだ。
だから、やるんだ。

だからこそ、そんな何の役にも立たないことをやるような、
馬鹿なやつらが必要なんだ。
もっと、もっと。

 

 

さて、俺たちはヘヴィメタルバンドだ。
そして、今まで、必ずしも、徹底的に「ヘヴィメタル」のスタイルを出してくることが出来なかったが(音楽性もややこしいし)、
これから新ラインナップを発表し、ジャパメタの世界に、きちんとデビューしようとしているのである。

だからこそ、そんな俺たちは、
キリスト教の中のイベントに、参加してもよいものだろうか。

 

その昔、僕が「クリスチャンメタルやるぜ」とか言い出した頃。
友人たちが「宗教にかかわるなんてやめておけ」と心配してくれたのを覚えている。

けれども僕は、「きゃー、キリスト教、素敵!」と思って始めたわけではなく、どちらかといえば、「キリスト教なんつっても、どうせ人間のやる宗教だから、くだらねーこといっぱいあるんだろうな」と、あらかじめ思って始めた方だ。

そして実際に、やっぱりくだらねーことがいっぱいあった。
予想していたぶん、落胆は小さくて済んだかもしれない。

何が嫌なのか。
排他的なところだろうな。

嘘つきという種類の人間が、意図せずして自然に嘘をついて生きていけるように、
排他的な人間というものは、たぶん大体の場合、自分たちが排他的であることに気付いていない。

人間というものは、特にそれが一定の集団とか社会を形成した時、物事の先にある前提を「当然のこと」として考えるようになるから、だと思う。

 

でも、そこが小さなライブバーであれ、ライブハウスであれ、野外のフェスティバル会場であれ、あるいはゲリラ的なセッティングであれ、
そこで音を鳴らすことに、意義があるのなら、(そして、いやしくもクリスチャンロックバンドを名乗るのであれば、いつだってそこには意義がある)、

きっと僕らはそこで音を鳴らすだろう。

 

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