ジャズもプロレスも理解らない

僕はジャズはまったくの門外漢であり、全然知らないし、定番どころすらあまり知らないし、ましてやそれについて語る知識もなければ資格もない。

だが、いわゆる「ジャズ」のカテゴリに分類されると思われる音楽を、時折、純粋な好奇心で聴くことがある。
そして、そのようないわゆる「ジャズ」のカテゴリの音楽を聞く際に、「果たしてこれは面白いのか、それともつまらないのか」と考えていたのだが、
(考えている時点で、たぶんわかってない、笑)
今のところ、ほとんど例外なしに、「これはつまらないものだ」という結論に達してしまい、それ以外のところにたどり着けない。

なのでおそらく自分はジャズに向いていないのだろう。
人には好みというものがあり、寿司が好きな人もいれば、カレーが好きな人もいる。
たとえばこれは僕の持論であるが、ギタープレイヤーには、歳を取ってブルース(シンプルな方)に行く人と、ジャズ(複雑な方)に行く人に別れると思う。で、僕はたぶんシンプルな方に行きたい人間なのだろう。

もちろん、ジャズは偉大な音楽のひとつであり、
なんというか、20世紀になってから始まってきた比較的に新しい音楽であり、その歴史的な意義は、一応はわかっているつもりだ。
たとえその「ジャズ」という概念(それが「意識」であれ「無意識」であれ)が、それ以前のはるか昔から存在していたとしても、人間の演奏家がそれを「ジャズ」として演奏できるようになったのは、20世紀になってから、ここ100年くらいだ、ということで、それは美術史であるとか、近代史であるとか、文化史であるとかそういったものの一環として認識はしているつもりである。

 

ジャンルってことで言えば、たとえば僕はパンクは決して嫌いではないが、かといって詳しくもないのだが、パンクという音楽をいくつか聴いてみて、またパンクというものに真剣に向き合って考えれば考えるほど、「パンクというものは存在しない」という結論にたどり着いてしまう。それはそれで非常にパンクな結論だと呼べるかもしれない。不思議なことにそれは「存在しない」と言った瞬間に存在することになる。ちょっと神という概念に似ているところがある。

同様のことで言えば、僕はスラッシュメタルはかなり好きであるが、このスラッシュメタルについても、考えれば考えるほど、「実は存在していない」という答えに近づいてしまう。ゆえに僕は本当の意味でのスラッシュメタルを鳴らすバンドを、いまだに見つけられていないのかもしれない。もし、「これこそが本物のスラッシュメタルだ」と呼べるバンドがあったら、もし親切な方がおられたらぜひ教えてほしい。ちなみに僕はいわゆる「ベイエリアクランチ」に分類されるバンドは結構好きである。

かといって「ロック」というもの、ないしは「ロックンロール」というものに関しては、確実に「存在している」と言える。たぶん言いきれる。なにしろ聖書にも書いてあるくらいだからな。(だからクリスチャンロックやってるんだが)

また純粋な「ヘヴィメタル」に関しては、これもあやうい概念ではあるが、けれども「おそらく存在している」と言える。それは、単純に僕自身もヘヴィメタルミュージシャンのはしくれであるからだろう。本当にはしくれではあるが。

どんな仕事でもそうだが、ほとんどの人には存在せず、見えもしなければつかめもしないような概念を、「これはある」と思える人が、その道に進んでいくのだろう。

「日本食? 料理? そんなものは存在しない」
ひとつ間違えると僕はそう感じてしまう。だから僕は料理人にはなれなかったのだろうと思う。

(同様に僕は「法の支配」や「社会正義」といったものも信じられなかったわけだ。さて、「民主主義」というものを、僕は信じられるだろうか)

 

さて、前置きはさておいて、(いつものように前置きが長いのだった)、
前置きはさておき、僕は今朝、ジャズを聴いていた。

たまに聴いているうちに、多少は耳が慣れたのか、早朝で頭がはっきりしていたのか、いつもよりは音が耳に入ってきた(ような気がする)。

そこで思ったのは、ジャズというのは「状態」ではないか、ということだった。

「ジャズというのは状態のことである」これが、門外漢で、ほとんど素人の僕が、無名のメタルバンドやってる人の立場で、今のところ出した結論である。

もちろんジャズミュージシャンというのはみんなとてつもなく上手い人たちであり、その「状態」を作り出すために、高い技術や、理論や、修練や、才能や努力が必要なのは言うまでもない。

つまりはもうちょっと気が利いた言い方をするのであれば、ジャズというのは「完璧な状態」のことだ。と、思う。

状態というのか、自然作用のことだろう。自然作用と一体化するために、ジャズミュージシャンは修練を迫られるのではないかと思う。それが出来た時に、たぶん「状態」が成立する。

それがどんな「状態」なのかは、言葉にして説明するつもりはないし、ましてや、そんなものは皆さん一目でわかることだろう。逆に言えば皆が一目でわかるようなことが、僕はこの歳になるまでわかっていなかったかもしれない。

 

だがその「状態」というのは、たとえるのならばプロレスに近いのではないかと感じた。
プロレス、というと言葉が足りないかもしれないが、
つまり、「ショーとして行われる、勝敗のわかっているプロレス」の試合のことだ。

たぶんわかりにくいたとえなのだろうと思う。もっといい例えがあるといいのだけれど、思い付かない。

(あるいはこれは誤解で、ジャズの原点や原初においては違ったかもしれない。が、門外漢の僕には、そこまでさかのぼる術がない。前述したパンクの例えで察していただければ幸いだ。)

僕はプロレスは知らない。詳しくもない。
だから、あるいはここでもまったく的外れなことを言っているかもしれない。

もちろん、プロレスは偉大なスポーツであり、偉大なエンターテイメントだろう。

そして「ショーとして行われる、勝敗の決まっている、純粋な真剣勝負ではない」ところの「プロレス」も、そしてまた「ジャズ」も、それを楽しむためには知性や想像力、そして社会性を必要とする、高度な大人のたしなみであろうと思う。

「ジャズ」も「プロレス」もわからないのだから、きっと僕は精神的にいまだに未成熟なのだろうという自覚はある。

(考えてみれば、真剣勝負を謳う格闘技には社会性は存在しない。)
(もちろん概念の話であって、実際には純粋な真剣勝負というものは存在し得ない。)

 

ジャズというのはフリースタイルな音楽だと認識しているが、逆説めいて、そこにおいてはやはり勝敗というものは最初から決まっているように思える。勝敗があらかじめ決まっているか、ないしは最初から勝敗というものが無いと言ってもいい。

そして逆説めくが、形式をきっちり決めているはずのロックミュージック(あるいは単純な形式から成り立つブルース)には、そこに未確定なる勝敗というものがはっきりと存在しているように思う。つまり勝つか負けるかは、やってみないとわからないし、その結果ははっきりと出る。

 

もちろん、世の中においては名称と実質が異なることが時折あり、それゆえに、すべてのジャズにおいて勝敗があらかじめ決まっているわけではないし、またすべてのロックンロールにおいて勝敗が付けられるものでもない。

しかし、いずれにしてもロックンロールの本質は、勝つか負けるか、その勝敗の行方がわからないところにあるように思う。

そしてそれは、現在進行形においてそうだ。

 

これに関しては、いわゆるキリスト教の本質、ないしは霊、あるいは人にとっての信じるという行為と、
その対比として存在する自然崇拝、多神教やアニミズム、ないしは動植物や被造物が持つところの霊、生命と言い換えてもいいが、
それと似たような対比が、そこにあるかもしれない。

(そう思って、カントリーミュージックとか改めて聴いてみると、また面白そうだ。つまり、クリスチャンぽいカントリーの事である。)

別段にジャズが自然崇拝や多神教の音楽であるわけではないが、ジャズが「作用」の表現であるとすれば、そういったものに結びつきやすい性質は持っているかもしれない。
それは「意識」と「無意識」の対比として考えることも出来る。(秩序と無秩序、と言ってしまうとたぶん語弊がある。ジャズにも作用にも秩序があるからだ。)

ブルーズはたぶん「無意識」の中から「形」を取り出し、その「無意識」の向こうにある本質にたどり着くための試みだ。逆説になるが、そのために一度「形式」を取り出し、その上で「無意識」にまで高める必要がある。
(さらに逆説になるが、優れたジャズミュージシャンは「作用」の中にあってこれが出来るのではなかろうか。と、書いた時点でやはり僕はジャズがわかっていないことがバレてしまっている、笑)

ではなぜ「形式」を「無意識」になるまで繰り返すのかというと、それは人が本来持つ「罪」(原罪)というものに立ち向かうためだろう。

ブルースミュージシャンが単純な進行を繰り返すのはたぶんそういう意味であり、
またハードロックやヘヴィメタルのミュージシャンがリフを繰り返すのもたぶんそういう意味だ。
逆説めくが、「リフ」という言葉も元来はジャズから来たものだとどこかで読んだことがある。

こうして考えてみればみるほど、「果たして、これは勝てるかな」と、勝負の行方は不透明に思えてくる。
少なくとも僕はそう感じてしまう。
皆さんはどうだろうか。

 

信仰というのは、きっと多分に「勝負」であり、
またそれは勝敗がわからない勝負である。
あるいは、勝負というのは勝敗がわからないから面白い。

(勝敗が最初からわかっているやつを新興宗教、ないしはインチキと呼ぶ)

そしてやはり逆説になってしまうのだけれど、聖書には「私はすでに世に勝利した」と書かれているのであった。

 

たぶん僕は勝負をしたい人間なのだと思うが、大人げないので黙っておこうと思う。

 

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