Jackson/Charvelに共感できない自分はもはやメタルギタリストではないのか

もう前のメンバーの時の写真になってしまうので、ベーシストHassyとドラマーJakeの姿は切り取って掲載しなければならないが、自分がJackson Rhoadsを持っている写真を掲載しておこう。

 

些細なギタートーク。

ギターというか、雑誌だろうか。
2020年2月号の「ギターマガジン」が、一冊まるごとJackson/Charvelの広告/カタログと化している、という話を聞き、ついつい購入してしまった。ギター雑誌を買うなんて何年ぶりだろうか。雑誌的なインタビューや情報にしても、ウェブからの情報で十分、というかウェブ上の情報の方が早くて質、量ともに上、という状況になってすでに久しいと思う。

もし英語が読めるのであれば、アーティストのインタビューであれ、メーカー、ビルダーのインタビューであれ、二ヶ月後に日本の雑誌に掲載される翻訳された(文脈的に間違って翻訳されることも多い)ものを読むよりも、英語のものを読む方がよっぽど中身が濃いし、たくさんの情報を早く得られる。こういうのも今の時代となっては普通のことだろう。

また雑誌等の媒体で翻訳された情報を読む場合、商売、代理店等の大人の事情によって、文脈やニュアンス、紹介のされ方など、価格の上乗せ同様に内容も「盛られる」ことがほとんどだ。これを言ってしまうと世の中が回らないけれども。

 

雑誌なんてものは、実情は昔からそうだったとは思うのだが、中身のほとんどは広告だ。
しかし、こうしてインターネットの発達とともに音楽業界、音楽ビジネス、音楽の制作や発信が様変わりして久しく、それに伴い、これもまた時代の流れによって、出版業界をめぐる状況も大きく変わって久しいと思う。

だからこそ、音楽雑誌、ましてや「ギター雑誌」なんてものは、昔とはずいぶんと違うものになっていると思う。その立ち位置や、コンテンツの作り方が。

かつてはメジャーだった音楽雑誌も、気が付けば、「これ中身全部広告だよね」といったチープなものになっていき、そういった流れを見るにつけ、printed mediaというのか、印刷された紙媒体の「終焉」を感じたものだし、良いも悪いも両方の面から複雑な気持ちになったものだった。

とはいえ、出版業界の方々も、そのような世の中の流れに対して黙って見ているわけではなく、近年ではかつてとは違った切り口で雑誌のコンテンツを作るようになっていると思う。

今回の、「一冊まるごとJackson/Charvelのカタログ」という内容も、そのひとつであろうと思う。安直といえば安直だし、あがき、と言えばそうかもしれない。
けれども、こうして僕みたいな、「往年のメタラー」「中年メタルギタリスト」が、やっぱり一冊買ってしまったのだから、その作戦はまったくの無駄とは言い切れない。

 

 

なぜうっかり、何年ぶりかもわからぬ紙媒体のギター雑誌などを買ってしまったか、というと、
最近、ネット上でわりと「スーパーストラト」の写真を見ることが多かった。

今年(2020年初頭)のNAMMのニュースなど見ても、Fenderが80年代後半に販売していたHM Stratをリイシューしたり、どうにも「1980年代っぽいスーパーストラト」が本格的にリバイバルしそうな流れを感じる。(錯覚である可能性も高い)

自分の手元には、現在、「スーパーストラト」と呼べるギターは、2本だけあるが、そうやっていかにも80年代っぽいメタルの匂いのするギターの写真を見るにつけ、目の保養というのか、眼福というのか、「やっぱスーパーストラトはええなあ」と、萌えっとしていたものである。

なので、Jackson/Charvelの特集といえば、どうしてもやはりそういったスーパーストラトの写真がいっぱい載っているのであるから、目の保養になるだろうと思ってついつい買ってしまったのであった。

で、JacksonおよびCharvelのおおざっぱな歴史、歴代のアーティスト、代表的なメタル系ギタリストのインタビュー、彼らの使っているギターの紹介、現在のギターのラインナップ、そして国内製造のラインナップの紹介、と、ひととおりコンテンツは網羅されているのであるが、

それらの往年のヘヴィメタルのヒーローたちの写真と、その愛機たちの写真、それらの勇姿に「萌え」っとして、目の保養になったのは良かったのであるが、

それと同じくらい、それらの「ヘヴィメタルのヒーロー」たちの語っている内容に、今となってはまったく全然共感できない自分自身にショックを受けた。

そういう意味では、やっぱり僕はメタルギタリストでは無いのだろうと思う。

 

いや、もちろん自分は、往年のヘヴィメタルに憧れてギターを弾き始めた、元メタル少年であるが、その後、世の中のメタルをめぐる流れからは、次第に距離を置くようになってしまった。

だから、現在、世の中の一般的な「メタラー」「メタルファン」「メタルギタリスト」たちが考える「ヘヴィメタル」と、僕が考えている「ヘヴィメタル」との間には、ずいぶん違いがあると思う。

 

つまり、僕が考えるところの「理想のヘヴィメタル」は、あるいは一般的なメタルの人たちからすれば、ヘヴィメタルですら無いかもしれない。
けれど、それでもって「お前はメタルじゃない」と呼ばれるのであれば、それはそれで一向に構わない。

 

 

Jackson / Charvelといったブランドに、僕はひととおりの思い入れはある。
それは、やはり往年の良い時代の、80年代のヘヴィメタルをもっとも色濃く彩ったブランドであるし、幸運なことだが自分にとっての最初のギターはJacksonだったからだ。

だが、そもそも考えてみれば、今回の特集に掲載されているギターヒーロー達に、僕は憧れていただろうか。

掲載されていたインタビューの中で、たぶんもっとも共感できたのはJake.E.Leeのインタビューだったと思う。同じ文脈でRATTのウォーレンも言ってることは理解出来た。

掲載されていたギタリストたちの中で、唯一、僕は少年の頃に、確かにジェイク・E・リーのプレイは憧れていた。それは少年の頃にOzzyをやっぱり聴いていたからである。今でもJake.E.Leeは、ちょっと他とは一味違うギタリストだったと思っている。

 

Jacksonの特集ということで、スラッシュメタル系のギタリストのインタビューがたくさん掲載されていた。

けれども、僕はスラッシュメタルはかなり好きな方であるが、それにも関わらず、ギタリストとして、スラッシュメタル系のギタリストの音作りには共感できないことが多い(笑)

もっともスラッシュメタルというのも難しいジャンルで、BIG4と呼ばれる人たちもそうだったが、極端なサウンドを持ちつつ、バンドが大きくなるに連れて、どうしてもスラッシュメタル以外の、よりメインストリームな何かにならなくてはいけないという運命的な矛盾を抱えている。

BIG4、いわゆるスラッシュメタル四天王の中で、僕が一番好きなのはと聞かれれば、僕はそれはAnthraxだと答えるが、そのAnthraxにしても、100パーセント好きとは言い切れず、複雑な思いが色々とある。
Megadethにしてもやっぱり複雑な思いがあるし、いわんやメタリカをや、である。

そんなふうだから、スラッシュメタルのギタリストたちに対しても、好きだけれども、全部好きとは言い切れない、みたいな、アンビバレンツな感情を抱いている。
また、彼らのサウンドについても、どうしても極端な感想を抱いてしまうことになる。(極端なサウンドを出している人たちなわけだから、ある意味、それで狙い通りなのかもしれない)

 

参考までに言えば、僕がいちばん好きなスラッシュメタルのレコードは、Forbiddenのファーストになるだろうと思う。
彼らもやっぱりJacksonを使っていたのだろうか? それは知らない。
でも、普通に考えたらやっぱりJacksonを使うだろうな。

(と、思って、今、初めてYouTubeで映像を見てみたのだが、Jackson「も」使っている、という感じだったようだ。ベーシストがJacksonを弾いている。ギターの人、なんか、めっちゃEVHの2ndのバンブルビーみたいなの弾いてるし、笑)(しかしここでもやっぱり、EVHがキーワードに出て来るんだね。どちらにしても、その1988年の映像で見ると、ギタリストは2人ともボルトオンのスーパーストラトタイプだ。)

これだね。

 

 

極端でわかりやすい例だと思うが、今回掲載されていた中でも、もっともわかりやすい例でいえば、いまではほぼ日本人となっているところのマーティー・フリードマン氏は、めちゃくちゃ上手いギタリストで、プレイに関しても音楽性の高度さに関しても尊敬しているし、メガデスでのプレイやサウンドも、メガデスの音楽性の中では非常にマッチしていると思うが、単体のギタリストとして考えた場合には、僕はとてもじゃないが、あまり良い音だとは思えない。

もっとも、伝統的なブルースを弾きましょう、という時に尖ったJacksonを使う人はあまりいないわけで、スラッシュメタルの人であっても、オフの時や別プロジェクトでもっとリラックスしたプレイをする時にはヴィンテージのレスポールなんか使ったりすることがあるだろう。

マーティー・フリードマン氏にせよ、その他のスラッシュメタルのギタリスト達にせよ、その魅力は「ウォームな音」とか「味のあるプレイ」ではなく、スピーディーでメカニカルなプレイとか、もっと違うところに魅力があるわけだから、そういったメタルバンドの文脈の中で、Jacksonの音が生きるのは当たり前と言えば当たり前である。

 

これはJackson/Charvelの人ではないが、もうひとつの「よくあるわかりやすい例」としてはPaul Gilbertを挙げることが出来るだろう。
もっとも僕は彼のソロアルバムとか全然聴いていないから、フェアな事は言えないが、ポール・ギルバートのギタープレイは素晴らしいが、だがサウンドに関しては、かなり味気ない薄っぺらい音だと思う。それは、MR.BIGにおいてはビリー・シーンのようなごっつい音を出すベーシストと一緒に演ってたから仕方ないよね、と思っていたが、最近の動画など見ると、彼単体で弾いていてもやっぱり「薄っぺらい音」である。
そういう音で世間に認知されたから、それをシグネチャーサウンドとして貫いているのかもしれない。

だが、その「薄っぺらい」サウンドが、必ずしも悪いわけではなく、だからこそ可能になるプレイというものがあり、だからこそ獲得される音楽的な表現の幅というものがある。ギタリストは誰しもそうであるように、その鳴らす「自分の音」というのは、自分の音楽性を最大限に発揮するために適したものになっているはずだ。
現に少年時代の僕だって、MR.BIGのポール・ギルバートの音を、「薄っぺらい音」ではなく、「ポップで軽くて魅力的」と思っていたのだし。

 

それとは逆の例を挙げれば、2,3年前に、Hiatus Kaiyoteのヴォーカルの女の人がソロ活動をしていた時に、彼女は一人で弾き語りのスタイルで演奏していたが、その時に弾き語りに使っていたのが、JacksonのRandy Vだった。メタルではない、どちらかといえばオシャレ系のジャンルの人で、また女性の弾き語りでランディVを使うというのは、明らかに意外性のあるチョイスだったが、インパクトのある見た目や、その他の女性シンガーとの「差別化」という効果だけでなく、ランディVのスルーネックのぱりっとしつつも上品で扱いやすいサウンドが、意外と弾き語りのスタイルにマッチしていることに驚いたものだった。もちろん歪んだ音ではなく、クリーン系の音である。
こういうのも、実際にスルーネックの音や使い勝手、そしてRhoads Vがいかにそのスルーネックの特性を素直に生かすデザインになっているか、ということは、Jacksonユーザーであれば経験上わかっていることだろうと思う。

 

逆にここにヴィンテージ系の「よく鳴る」レスポールなど持ち込んでしまった日には、音が太すぎる、鳴り過ぎてうるさい、となっていた可能性が高い。(そして、実際に1950年代には、そういった理由でレスポールはジャズギタリスト達から敬遠され、売れなかった、というのが歴史的な事実だったはずだ。)

 

ちょっと本題から逸れてしまったが、僕は自分が手にした最初のギターこそJacksonのスルーネックのものであったけれども、大人になってギターの音が多少わかるようになってからは、「スルーネック」というものに必ずしも賛同しておらず、よってJacksonのギターの音も、「決して悪いものではないが、本来のギターの良い音というのは、それではない」というふうに考えている。

なので、今回の雑誌の「一冊まるごとカタログ」の中でも、共感できたインタビューは、どちらかといえば「スルーネックのJackson」を弾いている人よりは、「ボルトオンのCharvelスーパーストラト」を弾いている人の方が共感できた率が高かったわけだ。

そもそもCharvelは、Eddie Van Halenとも関わりの深い、スーパーストラトの起源として由緒正しいブランドであるし、そのサザン・カリフォルニア的なイメージや、また伝統的なストラトの価値観をかなり引き継いでいるところなど、エレクトリックギターの歴史の中でも「正統」の流れをかなり汲んでいる。(ただの主観だけど)

 

 

もちろんスルーネックのギターが駄目だと言っているわけではなく、良い点、優れている点、長所があるとも思っている。
そして、ロックの歴史の中において、Jacksonのヘヴィメタル用のギターというのは、そのスルーネックの特色や長所が見事に生かされたひとつの例だということは間違いない事実だと思う。

 

そして、僕自身、3、4年ほど前に、それまでの手持ちのギターを半分くらい売ったり、手放したことがあったのだけれど、その際にも、メタル系のギターの中で唯一、1990年製の日本製Jacksonの白いランディVだけは、売らずに手元に残してある。

それは、好きなギターではあるし、扱いやすいギターでもある。
僕は今では、スルーネックの音や、モダンなメタルの音に必ずしも賛同していないが、エレクトリックギターの音というものは、価値観次第であり、「自分と違った価値観」の楽器も、ひとつふたつ所有しておくと、それらが必要になることがあり、やはり便利であるからだ。

でも、その白いランディVは、2009年頃に中古で手に入れて、愛用してはいるが、レコーディングで使ったことはほとんど無いし、また、はっきりいって見た目重視の「写真撮影用」だったことも事実なのだ。(メタルっぽい見た目の「アイコン」として世界中に通用するのは、Jacksonの偉大な点であるのは間違いない)

 

「ヘヴィメタル」って難しいテーマだし、時代によっても、スタイルによっても、価値観によっても変わるけれど、
僕は13歳の頃にいちばん最初にJudas Priestに憧れて、今でもその気持ちは変わらないけれど、
Priestは、70年代にはSGやFlying V等の伝統的なGibsonを使うことが多かったけれど、80年代の全盛期には(そしてそれ以降も)ずっとHamerを使っていたでしょう。

Hamerは間違いなく、伝統的なGibsonの価値観を受け継いでいるメーカーだったよ。
そして、僕は今でもHamerのギターは良いと思っている。(ちょっと僕にはアメリカン過ぎるところがあるのも事実だけれど)
一本だけ、1997年製のコリーナVも、まだ所有しているし。
Priestの考えるヘヴィメタルのサウンドが、Hamerのものであったとすれば、やっぱり僕の考えるヘヴィメタルも、「スルーネック」ではなく、「ヴィンテージを受け継いだセットネック」の方になっておかしくない。

PriestはJacksonを弾かなかったし、
Eddie Van HalenもJacksonを使わなかった。
そしてもっと言えば、Randy Rhoadsも、そのメインの音はレスポール・カスタムだった。

かといって、それでも僕はJacksonの精悍なデザインと、コンコルド・ヘッドストックに憧れ続けるだろうという自覚はあるが(笑)

ソロイストが似合わない、って気付いたのは、ずいぶん大人になってからだったんだよ。
あれはネックが長いし、背の高い人じゃないと似合わない気がする。
自分は小柄だし、Dinkyの方が自分には合っていたね。。。

 

 

日本製の安いやつだけど、Charvel Dinkyを録音で使ったのは、数えるほどしかないけれど、
“Jesus Wind”に入っている”Revolution”という曲は、バッキングもソロも白いDinky、たぶん1989年くらいのやつ、を使ったね。あとは同じアルバムに入ってる”The War”のソロもそうだったと思う。

 

これね。

 

 

こと今回の、Jackson / Charvelに絡めて言えば、
僕のギターに関する現在の価値観は以下のような感じだ。

  • 日本製のギターにわりと思い入れがある
  • 今ではBacchus (Deviser/Headway/Momose/STR)のギターにべた惚れしている
  • なので、かつてはJackson/Charvel/B.C.Rich/Musicman等所有していたが、気が付けば、全部Bacchus/STR/Headwayに入れ替わっていた
  • 今の自分が理想とするサウンドは、Eddie Van HalenとPeter Greenの中間地点のどこかにあると思っている
  • 自分の価値観の中では、最高のギターは「きちんと作られたセットネック」だと思っている(だが、きちんと作られたセットネックというものは、世の中のセットネックのギターのうち1%くらいしかないと思っている)
  • 僕の考える「きちんと作られたセットネック」には及ばないが、ボルトオンのギターはちゃんと使える音がする、と思っている。(そして、セットネックよりも簡単なぶん、「きちんとしたボルトオン」のギターは、セットネックと違って世の中にたくさん出回っている)
  • 「セットネックが難しい」というのは、単に制作が難しい、というだけでなく、商売上の理由や、ギターをめぐる世間の価値観など、様々なものが難しい、と思っている
  • スルーネックは、ちょっと音が平坦すぎると思っている
  • スルーネックは、アタックの音がちょっと野暮ったいと思っている
  • スルーネックは、音が均質的で良いが、そのぶん表現力に欠けると思っている
  • スルーネックは、演奏の使い勝手もよく、また常に80点以上の音がするが、100点満点の音は絶対にしないと思っている
  • スルーネックは、とはいえ、ライヴで使うと、間違いなく抜ける音になってくれるのも事実だと思っている
  • スルーネックは、とはいえ、スラッシュメタル等の、鋭い音をスピーディーに出すには、なるほど確かに適している、と思っている
  • とはいえ、やっぱりそういったヘヴィな音楽を鳴らすにも、スルーネック以外にもっと良い方法があるんじゃないか、と正直思っている
  • Jacksonの音は決して嫌いではないのだが、今の自分には必要ないと思っている
  • Jackson、および、その日本人の職人による発展形であるCaparisonは、ヘヴィメタルの本質をよく掴んでいるメーカーであり、クオリティは非常に高いと思っている、が、今の自分が求めるサウンドでは無いと思っている
  • 自分の価値観の中で最高のものと考えているのは「きちんと作られたセットネック」であるが、そうはいっても、ボルトオンのサウンド、演奏性、フィール、ヴァイブ、等は、時と場合によってはやっぱり必要であり、また歴史上の優れたギタリストたちは皆、Fender系とGibson系の両方を使い分けてきた。自分はストラトは必要ないかもしれないが、ハードロック系の流れを汲むスーパーストラトは、やっぱり手元にひとつかふたつは必要だ、と思っている
  • 単純に歳を取ったせいかもしれないが、やたらパワーのあるピックアップで歪ませるのも、もはや気持ち悪いな、と感じている。とはいえヴィンテージPAF最高とか言い出す気はなく、「ほどほど」くらいがいいと感じている
  • 理想のギターを自分の思い通りにデザインしたりカスタマイズする、ということには興味がなく、ギターのことをわかっているのはギタービルダーでありメーカーの職人さんなわけだから、より一般的なギターの枠組みの中から、ビルダーさんの思いを汲み取った上で、自分に合ったものを鳴らしていきたいと思っている
  • モダンなハイゲインサウンドに興味はなく、そもそもアンプはクランチ程度に歪めばいいと思っている(とはいえ、クランチという言葉の定義も曖昧なので、だいたいJCM800くらい歪んでくれれば十分、と書いておく)
  • その逆に、ブティック系の反応のいい高級なクリーン系のアンプ、とかにも興味は全然ない。普通にロックが弾けるアンプがいいと思っている。

 

 

無駄なことをたくさん箇条書きにしてしまった。

幸せなことに、90年代の前半、僕が少年時代に(ピアノ教師の母親にしっかりした楽器を選べと言われ)手にすることの出来た楽器は、日本製JacksonのSoloist Standardモデルだった。

それはスルーネックだった。
それはとても良いギターで、楽器としての表現力は十分にあったと言っていい。

そして、それは時代性を考えれば、エレクトリックギターというものの本質を考えた時に、あの時代においてはベストに近い選択であったと思う。今でも変わらないかもしれないが、当時の一般的なマーケット、ましてや地方において、「まともなエレクトリックギター」というものが、基本的には存在していない、という時代状況の中で、最低限、間違いなく楽器としての表現力を保っている「スルーネック」のギターを選んだのは、手堅い選択であったと感じている。

だからこそ、少年時代の自分は、ギターを弾き続けることが出来て、またそのサウンドにインスパイアされて、高校時代の3年間でたくさんの曲を書くことが出来た。賛否はともかく、今の自分はその延長線上である。

 

だが、素晴らしい楽器であったと同時に、その「フィール」にどこか満足していなかったのも事実だったのだ。

その「違和感」と格闘するように、高校生だった僕はギターの塗装を剥がし、背面やネックの塗装はもとより、表面のポリ塗装も剥がしてしまったし、またメタル系のギターには似つかわしくないほど弦高を上げ、ピックアップの高さも下げて、極力オープンなサウンドを求めていた。

だから、一般的なSoloistの使い方とは、まったく違う使い方をしていたと言っていい。

1999年~2001年に録音した”Prototypes”, “Kodomo Metal”, “Entering The New World”の音は、そうやって極力、「オープンな鳴りを求めた」セッティングのSoloistで鳴らしたものだ。

そして、その後、Musicman Axis-EX等の、ボルトオンのギターをやっと所有して使うようになると、そのアタックへの反応の良さとダイレクトなフィールに感激し、ああ、これが求めていたものだったのか、と感じたものだった。

自分がもともと、求めていたのはこっちだったのだ、と。

 

一応、掲載しておこう。
これも一応、Jackson Soloistの音なのだ。
典型的な使い方とは、多少違うかもしれないが。

 

 

とはいえ、「ボルトオンのスーパーストラト」というトピックひとつとっても、それをめぐる事情はやはり簡単ではないのであって、

かのEddie Van Halenが、初の本格的なシグネチャーとして、「完成形のスーパーストラト」たるMusicman Axisを世に提示するまでは、おそらくは僕が求めるボルトオンのギターは、世の中に存在していなかっただろう。(だってヴィンテージのテレキャスにハムバッカーを載せるわけにはいくまいよ。それはあれか、Jeff Beckのテレギブってやつか。)

2000年代の初頭になって、やっとそれが日本製のEXモデルとして、僕の手に届くところまでやってきた。

僕みたいな底辺のインディでやってるギタリストの手に、それらの恩恵が届くまでには、そんなふうに、世の中のあれこれを経由するので、時間がかかる。

でも、それらの世の中のあれこれを経由しないと、やっぱり僕みたいな底辺のギタリストの手には回って来ないのであるから、ギター業界にせよ、雑誌媒体にせよ、楽器業界にせよ、世間のメタルギタリストの人たちにせよ、そういった人たちの日々の努力には、やはり、感謝と尊敬である。

僕は今ではBacchusのギターを非常に喜んで愛用して弾いているが、
そのBacchusひとつ取っても、そのブランド発足から、こうして「良いクオリティのものが、安価で、たくさん流通し」、僕みたいな無名のギタリストに届くようになるまでには、長い時間と、多くの人々の関わりと、様々な努力があったことだろう。

 

だから、今回の「一冊まるごとJackson/Charvelのカタログ」と化しているギターマガジンにも、文句は言わない。尊敬だ。感謝だ。

ただ、往年のヘヴィメタルに憧れていたはずの、元ギター少年である自分が、これらの名だたるメタルのヒーローたちの語る内容に、いつの間にか、ちっとも共感できなくなっていたこと。

それがショックだったので、感傷を書き記しておきたかっただけである。

 

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