加速した記憶

今日さきほど。その某レーベルのCEOみたいな人とZoom会議。
明日、某ドラマーさんと面会。
すごい急ピッチで進めないとやばい。
送られてきた書類に目を通すのもしんどい。

 

たとえば思い出す。
はるか昔。2004年。2月。
はらっち(はその前から居たけど)、みねっちと出会って。
2,3回の練習であっという間に5, 6曲ものにして。
3月にはライヴしてた。
そのまま怒濤の一年間。そういうものだよね。若さって。

 

2008年。10月。
はっしー(はその前から居た)、ジェイクと出会って。
2, 3回の練習でやっぱりあっという間に7, 8曲を仕上げて、
11月にはライヴしてた。
そんで翌年4月にはアメリカに飛んでた。
なんでかな。信じてたからだろうな。

 

2018年。7月。
KojiさんとMarieと一緒に練習を始めて、
ためしに5曲やってどんな感じか見ようと思った。
そしたらその5曲をやるのに半年以上かかった。笑。
だから僕は”Nabeshima”は一人で作ろうと決意した。
でも俺は今でも出来るんならKojiさんと演りたいんだよ。
憧れのドラマーだと、今でも思っているんだ。

 

2006年も忙しかった。
どうしようかと思った。
あっという間に物事が進んで、
ベーシストを急いで見つけないといけなくて、
Bくんに出会ってリクルートした。
そして彼とはらっちを伴ってドイツへと飛んでレコーディングした。
Bくんはどちらかというとレコーディングありきのスタジオミュージシャンみたいな立ち位置での参加だった。現に人前での演奏はほんの3回。
歴代のバンドメンバーの中で、唯一仲良くなれなかった人でもある。

 

今のこの流れは、その時に近いものがあるかもしれない。
物事が動いているから、動けるプレイヤーが必要だってこと。

 

もし、明日面会するドラマーさんを採用するのであれば、
いきなりの初仕事は、もはや1,2週間のうちに、
宣材用のアー写撮影ってことになる。
翌月にはオフィシャルなMVを撮ることになる。
はっきりいってお互いの人間性を見極めて、なんて言っている暇はない。
とりあえず1年、このアルバムのプロモーションだけでも手伝って、という方が現実に近い。

もう若くないが、数ヶ月の間に、何曲のレパートリーをものにしなければならないだろう。
しかも、その”Nabeshima”の楽曲をやらなければならない。難易度は高い。

 

無茶だな。
どんな弾丸スケジュールかと思う。

ビジネスは待ってくれない。
万全な体制の時にチャンスが訪れるとは限らない。
むしろ体制が整っていない時にこそそれはやって来る。

 

確かに2006年のドイツ行きの時もこんな感じだったよ。
え? って思ったらすべてが進んで、気が付いたらもうフランクフルトの空港に居た。
それが良かったのか、悪かったのかはわからない。
ただひとつ確かなのは、良いことも悪いことも、前に進まなきゃわからないってこと。
そして、どんな結果になろうと、前に進まなきゃいけないってこと。

 

音楽、ショウビジネスの世界には昔から、Show Must Go Onっていう言葉がある。
鳴らすべき音は待っちゃくれない。
立ち止まれば、それまで。
結果はギャンブル。それがルール。
無茶は承知。
見切り発車上等。野垂れ死に上等。
さて、覚悟はいいか。

 

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