衰退する世界のハーモニクス

こういう日本語で書く「徒然」のジャーナルを、今はAIの翻訳の精度が上がっているから、それらを使って英語にしてもらって英語のウェブサイトにも掲載しようかと、思わないでもない。でも、今日のところはまだ腰が重い。言葉の壁があるからこそ、また人間世界のコミュニケーションにはあらゆる壁があるからこそ、僕らは音楽をやっているのであって、個人的な思いであるとか、内面や生活上のstruggleの記録は、日本語で、日本語がわかる方々にだけシェアすればいいかな、という思いがある。本当に伝えたい事は音楽に込めてあるのだから、それだけでいいではないか、と思う。

 

 

たとえば僕には、エディ・ヴァン・ヘイレンのように、ギターを使って鋭いハーモニクスでsquealというのか、キュイーンとすごい叫び声を出すことは出来ない。

まったく出来ないわけではないし、一応やり方も知っているが、ライヴの場でやって成功したことはほとんどない。歌いながら、飛び跳ねてステージやってると尚更だ。レコーディングなどで落ち着いて座って弾けば、成功率は半々くらいにはなるが、ライヴの場だと10回に一回くらいしか成功しない。笑。

 

もうすぐ出すアルバム”Coming Back Alive”は、80年代ハードロックへのオマージュの色合いが強いので、そのEddie Van Halenのようなハーモニクスのスクィールを鳴らしている曲もある。(たぶんMessage From Aboveという曲のギターソロの入りの部分のことだ)
でも、それでもやっぱり自分はEdward Van Halenのような音は鳴らせない。

要するに2フレット付近とか、1.8フレットくらいの箇所を使ってアームダウンを絡めて鳴らすハーモニクスなのだけれど、もちろん技術的にはやり方は知れ渡っているし、同じような鋭いハーモニクスを鳴らすギタリストもたくさんいるが、Eddie Van Halenのような迫力のある音で「あれ」を演れている人は殆ど居ないように思う。

それは単純に「手」の違いなのか、練習量なのか、才能なのか。
僕はたぶん単純に「手」が違うからなんじゃないかと思うんだけど。エディ・ヴァン・ヘイレンみたいな「手」を持っていた人は他にいなかった、って事で。

 

往年のメタルギタリストで言えば、みんなそれぞれの方法であの”squeal”をやっているわけで、たとえばダイムバック・ダレルは3フレットや4フレット付近を多用して(しらんけど)派手なアーミングをしつつ、もう少し音程の低いはっきりした音を出していたように思うし、ジョー・サトリアーニは逆にブリッジ側の位置で左手でアームを押さえながらハーモニクスを鳴らしていた。でも、エディ・ヴァン・ヘイレンのようなすごい叫び声にはやっぱりならない。むしろ良い比較対象としては、Randy Rhoadsなんかはライブ盤を聴くと、純粋なピンチ・ハーモニクス(ピッキングハーモニクス)でもって、エディに負けないようなスクウィールを出していたように思う。あれはすごい。同じピンチ・ハーモニクスでもザック・ワイルドで言えば、むしろ低音弦のリフに交えてピンチハーモニクスを多用し、それに振幅の大きい速いビブラートを合わせる事でトレードマークのスタイルとしていた。

 

僕の場合はしょうがないので、ライブの時に、どうしてもああいう音を鳴らしたい時には、11フレット付近を鳴らすようにしていた。11フレットとか、11.3フレットとか、11.7フレットとか。その辺の方が楽なんだよね。2フレット付近よりも、雑にがーっと鳴らせるから。雑な音だし、ダサいんだけど、それが僕の精一杯だなって思っていた。

 

どちらにしても、エディ・ヴァン・ヘイレンが大きなステージの上で、華やかなロック・アンセムに乗せて「きゅいーん」というあの特徴的な叫び声を鳴らした時、それはロックの栄光、20世紀アメリカの栄光、そしてアメリカンドリームの果てにある自由というもののために鳴らされた瞬間であったと思う。世界のロックファンはみんな、その瞬間を体験し、目撃した。僕もたぶん目撃した。

 

僕の持論では、1990年台には少なくともオーバーグラウンドではロックは死んでいたので、2000年台以降のロックは少し違うもののために鳴らされていたと思う。

2000年台以降のインディバンドは、規模は小さくとも、多様性と、それがもたらす自由、より個人個人の信条と生活の中にあるささやかな幸福の中にある真実を信じて、音を鳴らしていたのだと思う。世界の片隅で、スターではなく、種々雑多な個人がそれぞれに鳴らす音。
そして基本的には、僕もその文脈で音を鳴らし続けている。

ただ僕らの場合は、クリスチャンミュージック、ゴスペル、キリスト教の信仰とつながることで、自由というものが単なる自由で終わることなく、その果てで神に向き合う事。自由の向こう側にある守るべき何か、到達点というものを見つけ出したと思う。
それが到達点だと思っていたら、Sister Rosetta Tharpeに出会い、ロックの創始者たる彼女がすでにゴスペルとロックの融合を完成させていたので、実はそれは開始点だった、というオチが付いた。僕にとってはそれはロックの真実の発見以外の何物でもなかったわけだ。

 

ソーシャルメディア上というか、Facebookのとあるグループ上で、ある人が良い時代のGrateful Deadのコンサートについて語っていて。たぶん80年代とかの話だと思うんだけど。

つまり、9.11とかを通じて、21世紀にはアメリカは、世界は、変わってしまい、昔、あったはずのロックの自由というものは社会から失われてしまった、と。(半分くらい、インターネットやソーシャルメディアのせいのような気がするけどね)

確かに過ぎ去ってしまった世界のことではあるんだけれど、確かにそういったものが存在していたらしい。
たぶんそういった精神が、ロックを支え、ロックを生み出していた何かだったのだろう。

 

この世では、どんなものでも、生まれ、発展し、繁栄し、そして衰退し、やがては滅びていく。
それは、自然の法則であって、あたりまえのことである。
ひとつの植物が、芽を出し、育ち、花を咲かせ、だがやがて散り、枯れていくのと同じことだ。

それは、ロックンロールという音楽、その歴史についても同じことだろう。

ロックは死んだ。
ロックの歴史は間違いだらけだ。
ロックは失敗し、衰退した。
あるいはそれは、人類が失敗したということかもしれない。
僕なんかは、そう感じてしまう。

人類は失敗した。
民主主義は失敗した。
自由は失敗した。
で、あるからして、衰退というものは免れないのか。

 

そんなこと言ったら、キリスト教の歴史を見たって、そんなの間違いだらけであるが。
キリスト教の現実を見ると、人類は信仰というものに、神を見ることに、失敗している、失敗した、と思えてくる。そんなことがたくさんある。人にとって、神を認識するということは、やはり難しいことなのだ。キリストの十字架という、いかにもわかりやすい出来事があったとしても、それでもやはり、愛を認識することは難しいのだ、人類にとっては。

 

学者とか、哲学者とか、思想家とか、そういった方々は基本的に、世の中を冷徹な目で見つめ、あるいは世の中に落胆し、苦々しい思いで世の中を見ている人々なのではないかと思う。理想とか、理念といったものがある。それは、概念であり、形而上のものであり、つまりは理想である。だが現実は、もっと混沌としている。そして時に、というか多くの場合には、混沌をつかさどる力の方が、理想に向かう力よりも強かったりする。この世界の現実が、そして人間というものが、混沌から逃れられないのは、たとえば普通に生活しているだけでわかる。引っ越したばかりのきれいに片付いた部屋は、数ヶ月も生活していれば、やがて煩雑とした状態になる。理想的にデザインされた機能美は、怠惰と粗雑さの前に力を失っていく。

 

僕だってそんなふうに、ロックミュージックについて考えた時、また世界について考えた時、苦々しい思いになる事がある。いや、ロックミュージックの現状と、ここに至るまでの歴史を思えば、苦々しい思いばかりだ。
ロックミュージックだけではない。人類社会は、今という時代は、失望と失敗と落胆と衰退に溢れているのではないか、そんなふうに思えてくる。

 

果たしてそれは自分の選択の結果だったのだろうかと思う。
自分が違う人生を選んでいれば、あるいは違うストーリーが見れたのだろうか。
僕がそのような選択をしたせいで、(まあ、選択肢なんて与えられていなかったように思われるが)、世界が滅んでいく筋書きを見せられているのではないか、と、そんなふうに感じる事がある。

決して望んだわけではないのだが、僕はいつのまにか、自ら選んで、ロックが滅びゆく世界を見ているのではないかと。

 

だからこそ、僕は少し態度を変えようと思っている。
もう少しハッピーな筋書きを読みたいからだ。
世界に対して前向きな態度を取る事で、あるいはもっと希望に満ちたストーリーを見られるのではないかと思うからだ。

 

そういった理由からだろうか。
ここ半年あまり、僕は若い頃の気持ちに戻り、自由について考えることが多かった。
世界の状況なんて関係ない。世界が何をしてようと関係ない。自由というものに立ち戻り、白紙の状態から人生を考えてみたい。そんな思いだ。

 

時代状況の中で、当たり前だと思っていた事が、実はそうではない事がある。
ロックが華やかだった時代、そしてまだ平和や自由といったものが信じられていた時代。
若者たちはこぞってバンドを結成し、ギターを手に取り、ロックを演奏した。
80年代とか、90年代とか、そういう時代の話かな。

やがてデジタル技術の発達により、インディーズ規模や個人においても音楽制作が可能になっていった。
そんなふうにして、音楽を作り出すこと、音楽を鳴らすことが当たり前のことだと思っていた。

何百年がたった後でも、若者たちはロックを鳴らし、バンドを結成し、成功を夢見るものだと思っていた。

 

たぶんそうじゃない。
ロックを鳴らせるのは、自由の名のもとにロックンロールを鳴らせるのは、今だけだったかもしれない。

時が過ぎれば、あああの時代にはロックンロールなんてものがあったんだね、なんて人々は振り返る。
自由を信じて音楽を鳴らしていた時代があったんだね、って。

そしてモーツァルトやベートーヴェンのように歴史上のものとして扱われる。

 

若者は、人は、いつでも志を持ち、立ち上がるかもしれない。

幕末の頃には、日本の若者は刀を持ち、剣術の腕を磨き、志のために在野から立ち上がった。
その昔、中国では、男たちが桃園で誓いを交わし、義勇兵として立ち上がった。
もっと昔、やっぱり中国のどこかでは、道というものを求めて若者たちが孔子に弟子入りした。

理想のために旗を掲げようというする若者は、いつの時代にもいるかもしれない。
いや実際はたぶんその逆か。
いつの時代にも、理想のために人生を捧げて立ち上がる者は、実は貴重なのかもしれない。

 

でも、ギターを持って自由という理想のためにロックを鳴らせるのは、今だけかもしれない。
今だけ「だった」かもしれない。
あるいはすでに、過去形かもしれないのだから。

 

理想のために戦った英雄も、最後には皆、敗れて死んでいく。
歴史っていうものはそういうものだ。戦いっていうのが、そういうものだからかもしれない。
栄枯盛衰。盛者必衰。Victoriousだった者も、やがては衰えていく。

だが信仰者には敗北というものはない。
神が、キリストが、すでに勝利しているからだ。

 

そして信仰者の行き着く先は、突き詰めればそれは、いつだってそこにあるのは殉教という運命かもしれない。
この現実世界において、信仰を突き詰めれば、自然とそうならざるを得ないのだと思う。

別に、逆さ吊りになって死ぬつもりはないんだけど。
けれども、何かに殉ずるっていうのは、悪くない。
大変だけど、何かに殉ずる、何かに殉じて生きるっていうのは、やっぱりなかなか、かっこいい。

命よりも大切なものっていうか。
何かに殉ずるのであれば、自分はやっぱり自由に殉じたい。

それは、アメリカ人が言うような、銃がないと守れないような自由のことじゃなくてさ。
そのためだったら死んでもいい、っていう、笑顔で語れる理想のことだね。

 

自分は果たして最後まで音を鳴らせるか。
この旅路を最後まで歩けるか。

けれども僕の信じる自由は、社会の状況とか、政治の状況とか、そういうのは関係ない。
It’s all between me and God.

 

ロックンロールは放蕩息子の音楽。
放浪の果てに、何も無い荒野で、今にも死にそうになりながら、ただ一人、そこで神に向き合う。
その瞬間のために生きている。

 

リフが聴こえるんだよ。
レスポールが鳴った時。
リフが鳴った時。
あるいは、”Highway To Hell”を歌うBon Scottの声が聴こえた時。

何も無い荒野の果てに、確かに天国が見えるんだ。
逆説的だけどね。

でもキリスト教は本質的に逆説の宗教だ。
ロックンロールだってそうだ。

 

政治や軍事や社会の体制ではない。
経済でも人望でも成功でもない。
何もない、旅路と放浪の果てにある場所。
自分は確かにそこに自由を見つけたんだろうな。

すべては神と自分との間のこと。
他のことは全部関係ない。

 

そもそも、何もないところから、荒れ果てた荒野を前に途方に暮れながら、たった一人で始めた音楽なんだよね、これは。

そこから、荒れ果てた何もない荒野から、僕は新しい世界を作り出そうとしてきた。ひとつひとつDIY方式で。

たった一人で新しい世界に移住し、そこに皆をinviteしようと思ったんだ。
皆も来なよ、こっちの世界は素晴らしいぜ、って。
そろそろ、その世界に身も心も、移り住むべき時かもしれない。

 

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