さくらピース

 

これは3月に僕たちがソーシャルメディアに投稿したものだ。忙しかったので、このウェブサイトに投稿することができず、タイミングが遅くなってしまったけれど、それでも大切なことのように思うので、やっぱり投稿しておきたい。

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僕たちは時折、日々の生活が忙しいせいで、大切な事すらも言えないように感じることがある。けれど、僕たちは黙っているのは好きではない。

ここ数年の間、「クリスチャン」「キリスト教徒」でいることを気まずく感じる事が多かった。
それはこの人間の世界においては、”クリスチャン”とは宗教であるからだ。宗教(religion)とは政治(politics)につながっており、そして政治(politics)とは権力(power)につながっている。

 

ジーザスは政治ではない。
ジーザスは権力ではない。
ジーザスは「どちらの側につくか」という事ではない。
ジーザスは誰が正しいか、誰が間違っているか、という事ではない。

なぜなら神の目から見れば、本当に正しい人間なんて誰もいないからだ。
僕たちはみんな罪人だ。僕たちはみんなおんなじだ。

 

ジーザスとは悔い改めということだ。
ジーザスとは、許しという事だ。
ジーザスとは、救いという事だ。

信仰というのは、主義主張のことではない。
信仰とはライフスタイルのことではない。
それは単に、君と神との間にある関係のことだ。
僕たちはそれぞれの場所で、それぞれにベストを尽くし、神に与えられた使命を果たすのだ。

 

僕たちは世界のいわゆる「クリスチャンバンド」とは違うかもしれない。
それはたぶん僕らが日本のバンドだからだろう。

でも日本出身のクリスチャンバンドとして、これだけは言っておきたい。

僕たちは平和を信じている。
僕たちは霊的な戦い、精神の戦いを戦っているが、武力による戦争は信じていない。
僕たちは戦争に、暴力に、人間性に反する残虐な行為に反対する。

その昔、聖書の時代には、ユダヤの人々は強い武力と政治的な力を持った、強力な救世主を求めていた。
けれども神様の計画はそれとは違った。神は彼らに、愛と、情けと、許しをもたらす救世主を与えた。
イエス・キリストだけがそれをやることが出来たんだ。

 

僕たち人間は完璧じゃない。
この世界では正しい人なんて一人もいない。
だからこそ僕たちは悔い改め、お互いを許し、愛し合わなければいけないんだ。

これはキリスト教のごくごく基本の部分だと思っていたのだけれど。
時々、僕たちは果たしてこの「キリスト教」という宗教の一部であることが、本当に正しい事なのだろうかと思う時がある。
たとえそうであっても、やっぱり僕たちはジーザスを信じている。
もし誰かに「おまえらはクリスチャンじゃない」と言われても構わない。
なぜなら僕が思うに、イエス・キリストはまさにそのようにして、十字架を背負うことになったからだ。人類すべての罪をその身に背負って。

 

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